著者
斎藤 幸雄 柴 光年 山川 久美 馬場 雅行 木村 秀樹 藤沢 武彦 山口 豊 大和田 英美
出版者
The Japanese Respiratory Society
雑誌
日本胸部疾患学会雑誌 (ISSN:03011542)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.95-100, 1991-01-25 (Released:2010-02-23)
参考文献数
12
被引用文献数
2

症例は60歳男性, 主訴は乾性咳嗽, 胸部X線写真にて右上肺野に腫瘤影が認められ, 気管支鏡検査で気管浸潤を伴う右S1原発の肺癌と診断された. 化学療法 (CDDP+VDS) 1クール, 続いて放射線療法 (50Gy) が施行されたがいずれの療法も奏効せず腫瘍の増大による気管圧迫のため呼吸困難が出現し, また上肢および体幹部に皮膚転移巣が多発した. 救命的にNd-YAGレーザーで気道の開大を行い呼吸困難および全身状態の改善が得られたため, 皮膚転移巣に対してはエタノールの局所注入あるいは摘出を行い退院となった. 外来での経過観察中 (退院時より約2ヵ月間) に残存する全ての皮膚転移巣が消失し, 続いて原発巣も退縮を示した. 現在, 発見から5年経過したが臨床的には腫瘍の再増殖は認められず健在である. 退縮の機転に関しては明らかではないが, 本症例は極めて稀な肺癌の自然退縮例であると考え報告した.
著者
木村 秀雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.383-401, 2007-12-31 (Released:2017-08-21)
被引用文献数
4

人類学は非常に厳しい環境の中にある。厳しい批評を受けて、民族誌という作品を書く力が減衰してしまっている。そのような状況の中で、批評が新しい民族誌の新しい方向性を切り開き、そこから生まれた新たな民族誌が再び新たな批評を生み出すという循環が成り立たなくなっているのだ。現在の世界を取り巻く状況を、世界無形文化遺産、特にボリビアの先住民であるカリャワヤを題材にして論じていく。そこから引き出せることは、世界無形文化遺産の制定は、危機にさらされた文化の保護を目的にしていて、そこで行われる活動は国際協力と似た性格を持つこと、職業的人類学者の書く民族誌は著作権を手放さない限り、究極的には人類学者の商売の道具であること、現地社会に調査の成果を還元するためには、無名の民族誌制作者として働くボランティアという立場もあるということである。そして最後に、複雑さをます世界の中で、民族誌の作成にも批評にも画一的な指針は存在しなくなっているが、そのことが逆に民族誌の自由度をますことにつながり、古いタイプの愚直な民族誌をも含め、民族誌の可能性は広がっていることが論じられる。
著者
徳井 教孝 木村 秀樹 嶋川 成浩 三成 由美
出版者
中村学園大学薬膳科学研究所
雑誌
中村学園大学 薬膳科学研究所研究紀要 = Proceedings of PAMD Institute of Nakamura Gakuen University (ISSN:18829384)
巻号頁・発行日
no.7, pp.29-33, 2014-09-30

(要旨)漢方治療と腸内細菌叢には密接な関連があり、詳細な腸内細菌叢の科学的分析が可能であれば、腸内細菌叢分析をもとに証の判定が可能となることが期待される。そこで、今回地域住民を対象にした健康調査のデータを用いて、腸内細菌叢をクラスター分析して得られた6つタイプと8つの中医体質(気虚、脾虚、陽虚、血虚、陰虚、気滞、湿熱、血瘀)の関連を検討するパイロット調査を行った。タイプ1では陰虚、湿熱、タイプ2では気虚、脾虚、タイプ4は気虚、脾虚、血虚、気滞、タイプ5は陽虚、血虚、血瘀、タイプ6湿熱との関連性が推測された。タイプ4は特徴的な体質がみられず中医学的には平の体質と考えられた。今回用いた腸内細菌叢分析法と体質評価法は妥当性の問題が残っており、今後さらに精度を上げた分析法、調査法を実施して腸内細菌叢と体質の関連を検討していく必要がある。
著者
伊豫田 旭彦 木村 秀敬 武井 悟 垣内 祥史 杜 暁冬 藤井 宗太郎 益田 義浩 枡野 大輔 宮田 一乘
出版者
芸術科学会
雑誌
芸術科学会論文誌 (ISSN:13472267)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.33-44, 2006-06-20 (Released:2008-04-11)
参考文献数
11
被引用文献数
1 4

加速度センサと, のれん状スクリーンを用いた野球におけるピッチングを体感するVRアプリケーションを提案する. 従来の入力デバイスにはない, 直接かつ直感的な入力方式を開発した. 加速度センサを埋め込んだボールを用いることで, 実際のピッチングと同じ動作で変化球を投げることができる. また, 現実空間と仮想空間をシームレスにつなぐスクリーンを開発することで, プレイヤーは, 投げたボールが仮想空間に飛び込むという新感覚を体験できるようになった.
著者
佐藤 良明 岩佐 鉄男 木村 秀雄 松岡 心平 DEVOS Patrick 長木 誠司
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

専門分野を異にする音楽=芸能研究者によって構成された本研究は、近現代を中心とした日本の「うた」の変容を、歴史的・地域的にきわめて広い視座から捉え直す研究として始まった。研究の根幹は1920年代以降の日本のポピュラー音楽の展開にあるが、「日本的」な歌舞の源基をなす、能を舞う身体の研究や、明治期における西洋歌唱の導入に伴う異文化混成の研究を含む「総合的」な視野のもとに進められた。漠然と「日本的」とされてきた音楽性の実態を、収集音源から実証的に把握し直した結果、近代の民衆が路上や演芸場で楽しんだ音楽に反映されているのは、なんらかの安定した「民俗音楽的類型」というより、西洋から移入された規範音楽への反発と、にもかかわらず起こった馴化の矛盾的な融合の姿であることが観察された。本研究はまた、日本の流行歌が、欧化政策が分断した「西洋的洗練」対「日本的情緒」の対立項に、アメリカから移入されたポップスが含有する「反クラシック的様式」とが絡む、複雑な構造の中で展開した様相を明らかにした。その成果は、一つには、「演歌の成立と発展」をめぐる書物に、もう一つには「J-POPの正体」をめぐる書物に結実しつつある。近代の米国で「下層民衆」が育んだルーツ音楽が、メディア社会における産業・権力構造の変容と絡みながら、ロックンロールという形式を取るにいたり、それが世界のポップ音楽を革新したいきさつは、一般図書『ビートルズとは何だったのか』(2006)で述べられた。同書が採ったグローバルかつシステム論的な枠組みの中に、演歌ならびにJ-POPの成立と発展を位置づけ、国際的な研究の場に発信していくことが次の課題である。
著者
内田 立身 国分 啓二 酒井 一吉 五十嵐 忠行 鈴木 照夫 樋口 利行 木村 秀夫 松田 信 刈米 重夫
出版者
The Japan Society for Clinical Immunology
雑誌
日本臨床免疫学会会誌 (ISSN:09114300)
巻号頁・発行日
vol.7, no.3, pp.146-153, 1984-06-30 (Released:2009-01-22)
参考文献数
24

慢性関節リウマチの鉄代謝異常を,血清鉄,総鉄結合能,血清フェリチン,フェロキネティクス,網内系細胞内鉄代謝の面から検討した.対象42例中57.1%に貧血があり,そのうち63%が正色性, 24%が低色性, 13%が高色性であった.血清鉄は66%が低値をとり総鉄結合能は82%が正常または低値,血清フェリチン値は83%が正常または高値を示し,鉄欠乏性貧血のそれと異なっていた. 15例のフェロキネティクスでは, PID T〓の短縮, PIT, RITの低値があり,これらは血清鉄低値,骨髄赤芽球系細胞の低形成の所見に見合うものであつた.59Fe標識コンドロイチン硫酸鉄を用いた網内系細胞の鉄動態の検索では,投与4, 6時間目に網内系細胞より動員される鉄量が正常に比し少なく,網内系細胞よりの鉄の動員の障害,いわゆるRE iron blockがあることが示唆された.この動員の障害により,血清鉄低値をきたし,骨髄への鉄供給不足,これに伴う無効造血の存在が病態として観察された.他方,骨髄では,造血幹細胞レベル,赤芽球細胞レベルでの低形成があり,これがPIT, RITの低値と関係していると思われ,貧血の主たる成因であることが類推された.
著者
木村 秀喜
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成29年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.170, 2017 (Released:2017-08-31)

【目的】減塩レシピコンクールに砂糖で魚をしめ、酒粕に漬け、南蛮漬け風にしたところ美味しい料理が出来た。そこで砂糖で締め、酒粕に漬けた魚と塩でしめた魚の嗜好差の有無について検討した。【方法】塩で締めた標準試料と砂糖で締めた試料を2点嗜好試験で官能評価を実施し、全員が終了後に円卓法により意見を聴取した。パネルは魚食による食育活動を行っているボランティア団体企画員(スタッフ)15人、試料に用いた魚種は身が均質な小型のアンコウを用いた。試料は15gとした。標準試料15個に対し4%重量の食塩を振りまぶし、砂糖締めは食塩0gで同量の砂糖を振りまぶした。各々15分間放置し、粕床にリードペーパーで挟み20分間漬けた。各々米粉をまぶし、少量の植物油でソテーした。冷めた状態のものを喫食し、質問紙でどちらが好みかのみを聞いた。粕床は酒粕400g、本みりん200gをビニール袋に入れ、良く揉み、42℃のお湯につけ10分放置後、再び良く揉んだ。全体がなじみ、温度が上がったところでとりだし、1晩常温で放置したものを2セット準備した。円卓法はどちらを選択したかを通知後、自由に討議した。【結果】標準試料を好んだパネルは8人、砂糖で締めたものは7人で、試料間に統計的に有意な差はなかった。(α=5%)円卓法では、締まり方が砂糖の方が良かった、塩分添加がなくとも食べることができるが塩分があればより美味しいなどの意見があった。魚を砂糖で締めて粕漬にすることは、減塩で美味しい料理になる可能性が示唆された。今後は砂糖締めと酒粕漬による魚肉の変化、魚種、ソテー以外の調理法など、広く検討したい。
著者
木村 秀海
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史學雜誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.94, no.1, pp.38-66, 127-126, 1985-01-20

The aim of this paper is to clarify the fundamental structure of Western Chou bureaucracy by using Western Chou Bronze Inscriptions. After demonstrating that in Bronze Inscriptions we must interpret 〓 (original from of Chung 〓) as Tseng-i 増益, and 〓 (another from of Ching 京) as Kao 高, Ta 大 and 〓 (original from of She 歙) as Tsung-she 総摂 and Cheng-chang 正長, I reinterpret the Bronze Inscriptions and come to the conclusions as follows : 1.In the Western Chou period, there existed three government offices : Ching-shih-liao 卿事寮, Kung-tsu-liao 公族寮 and Ta-shih-liao 大史寮, and every bureaucrat belonged to one of them. 2.Ching-shih-liao was the government office of Royal Domains which took charge of political and military affairs of Iiu-shih 六〓 in Tsung-chou 宗周 and those of Pa-shih 八〓 in Cheng-chou 成周. This office also assumed the character of royal government which could issue military commands toward feudal vassals. The chief of this office was Ta-shih 大師 and the subchief was Hsiao-fu 小輔. This office had five lower offices : Ssu-tu 〓土, Ssu-ma 〓馬, Ssu-kung 〓工, Shih-shih 師氏 and Tsou-ma 走馬. Every office consisted of one chief and two subchiefs. All of them were attached to either Pa-shih or Liu-shih, one chief and one subchief to Liu-shih, and one subchief to Pa-shih. 3.Kung-tsu-liao was the office which took charge of the royal home management. This office was deeply connected with Ching-shih-liao through conveying the King's and Queen's orders, and conveying requests appeals of officials ranked higher than Shih-tai-fu 事大夫 to the King. The chief of this office was Ta-tsai 大宰, and the two subchiefs were Hsiao-tsais 小宰 under whom came Shan-fu 善夫. The Shan-fu organization consisted of one chief and two subchiefs. 4.Ta-shih-liao was the office of secretariats where close attendants of the King made drafts and kept documents. The chief of this office was Nei-shih-yin 内史尹 (Ta-shih 大史). He had two subchiefs, Tso-nei-shih 左内史 and Yu-nei-shih .右内史 5.In the middle of the Western Chou period, the names of the officials were changed as below. The earlier period of Western Chou Ta-pao (大保) Hu-chen (虎臣) Hsiao-chen (小臣) Tso-tse (作冊) The later period of Western Chou Ta-shih (大師) Tsou-ma (走馬) Shan-fu (善夫) Nei-shih (内史) 6.The Western Chou bureaucracy adopted the fief rank system other than the official rank system. The four fief ranks known by now were Ching-shih 卿士, Shih-tai-fu 事大夫, Ya-shih 亜事 and Lu 旅.
著者
木村 秀次
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. II, 人文・社会科学編 (ISSN:13427415)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.145-155, 2001-02-28

中村正直訳『西国立志編』(明治四年・一八七一)には、「記号」という語が散見する。その「記号」のほとんどが、'motto' (モットー)の訳語として用いられており、現在の一般的な意味とは異なるものである。「目次」に記した手順のもとに調査したところ、この場合の「記号」は、やはり過去の諸分野の文献に見える「記号」とも意味にずれのある、特異なものであることが確認される。中村正直が何に基づいて、'motto'の訳語として「記号」という語を選んだのかについては、現在十分明らかにしえない。今後、更に調査を重ね、考察を進めるつもりであるが、本稿では、限られた文献を対象に調査した結果を中間的に報告する。なお、『西国立志編』には、同じく'motto'の訳語として、「標識」、「表識」などの訳語も用いられている。最後に、これらの語に関して若干触れる。