著者
竹内 淳彦
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.17, no.5, pp.479-492, 1965-10-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
20

The writer has investigated the distribution of camera manufacturing Industry, and inquired the geographical significance of its location in Japan. The following have been disclosed.1. About 65% of camera production comes from Tokyo metropolis, the main part of Keihin industrial area, furthermore; 70% of its workshops are also concentrated in Tokyo, forming the core of distribution in Japan.2. In Tokyo area, some 60% of the workshops are in Jonan district (Ota, Shinagawa, Meguro etc) southern parts of Tokyo, which is the core area of the Keihin industrial belt. And about 30% of the works are provided in the Johoku districts (Itabashi, Toshima etc), northern parts of Tokyo, being a nucleus district of binoculars production.3. About 2, 000 kinds of parts are required to manufacture any kind of camera. Such being the case, most parts of camera are supplied from subcontact parts-makers operated on a small scale. For the convenience of concentration most of them are located in the neighborhood of the camera makers to keep production at low cost.
著者
辻本 芳郎 板倉 勝高 井出 策夫 竹内 淳彦 北村 嘉行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.35, no.10, pp.477-504, 1962-10-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
19
被引用文献数
3 1

本研究は目本の工業を空間的配置の上から研究することをこころざしたものである.まず,最大の工業地帯である京浜の中核である東京都区内の分析を行なつた. 1958年末現在で都内30人以上の全工場を重化学工業・組立工業・軽工業の3部門にわけて考察した. 概観して,中小工場が多く,鉄鋼・化学・繊維などの基礎的原料部門にかけている.〈重化学工業〉城東・城北・城南に多いが,河川・運河ぞいのわつかの部分をのぞき,重量物をあつかうものは少く,雑貨工業か組立工業の一部とみとめられるものが多い.〈組立工業〉城南・城北の2大核心地域をもつが雑貨的耐久消費財の生産が主である.〈軽工業〉各種の問屋の集中地域である日本橋と,浅草を核として城東地域に卓越し,印刷出版は中央地域に集中している.これを総合すると雑貨の多い城東・中央の躯幹部分と,戦中戦後飛躍的に発達した組立工業を主とする城南・城北と,西郊に成立しつつある環状分布の地域に分けられる.いつれも同一製晶をめざした同業・関連業種の工場が割合せまい地域に集つている. これらの工場は,手労働を主とした雑貨的商品が多く製晶ごとめ問屋的生産組織が無数の小営業者を統括しているのが特色である.
著者
大場 知穂 竹内 淳 鈴木 瞭 上杉 正人 加藤 祐司 渥美 達也 三好 秀明
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.27-35, 2021-01-30 (Released:2021-01-30)
参考文献数
33

今回我々は内科クリニックで無散瞳眼底写真撮影と光干渉断層計を施行し,クラウドを用いて眼科医が読影するシステムを導入し,糖尿病初診患者と眼科受診を促しても受診しない再診患者に対して実施した.患者背景は全277例,初診122例,再診155例,罹患期間7.5±8.2年,HbA1c 8.0±2.1 %.全症例の35.7 %,初診29.0 %,再診45.1 %で所見を指摘され,網膜症9.0 %,黄斑浮腫3.6 %,緑内障20.2 %,白内障3.2 %で指摘された.所見を指摘された再診患者のうち90 %以上がその後眼科を受診した.このシステムの利点として(1)糖尿病診断時に急を要する眼科疾患を速やかに発見し眼科に紹介できる点,(2)眼科受診指示に従わない患者の眼底を評価し,受診行動を惹起できる点などが挙げられる.今後このような内科と眼科の連携により,眼科受診率の向上と糖尿病関連眼疾患の早期発見に繋がることを期待する.
著者
大宮司 勝弘 竹内 淳 岩岡 竜夫 岩田 利枝
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.74, no.636, pp.505-513, 2009-02-28 (Released:2009-11-02)
被引用文献数
1

The purpose of this study is to identify the architectural characteristics of Kyoto Tower Building, which was designed by Mamoru Yamada. The description of space composition and the features of the architectural design of Kyoto Tower Building, at the initial completion time, are based on a documentary film showing the building under construction and pictures and drawings held by Osaka Yamada Mamoru Architects and Engineers. On the basis of Yamada's studies of the floor plans, the rough drawings and perspectives, the design process of this building is analyzed.
著者
竹内 淳彦
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.193-203, 1971 (Released:2010-10-29)
参考文献数
15
被引用文献数
1 2

The Chukyo area (Aichi and Gifu Prefectures) and The Keihin area (Tokyo, Kanagawa and Saitama Prefectures) are two major automobile producing areas in Japan. Toyota City, a small city in the Chukyo area, has developed hand in hand with the growth of the Toyota Motor Company, ranking first among the car makers in Japan, and the population of the city has been increased remarkably since about 1960. Toyota Motor Company has much effected on the municipal administration and the economic activities.Accordingly, Toyota City should be considered as one of the typical mono-industry city in Japan. Both Toyota City and Kariya City where large scale parts makers (controlled by the Toyota Co.) are located take a leading position in the automobile industry in the Chukyo area.
著者
竹内 淳一郎
出版者
国際ビジネス研究学会
雑誌
国際ビジネス研究学会年報
巻号頁・発行日
no.12, pp.321-332, 2006

日本製カメラは、1965年以降、米国市場において「安かろう悪かろう」から「安くて良い」評価をえて、米国製やドイツ製のカメラに対して競争優位性を構築した。本報告は、米国における日本製カメラの競争優位の構築過程を、G・サローナー、A・シェパード、J・ポドルニー(2002年)がいうコスト-品質のフロンティアに基づき定量的に検証する。この二つの指標は組織能力とポジション優位の組み合わせによって構築されている。組織能力についてはカメラ企業の米国市場開発を、ポジション優位については、製品ブランドの構築過程を定量的に検証する。コスト-品質について継続的客観的データが入手できる"Consumers Union"(CU,米国消費者同盟)『コンシューマー・レポート』(1936年創刊)を使用した。コストは、入手が困難なため、コストが価格に反映しているという前提で、入手可能なCU調査の表示価格を代用した。品質は、CU評価のスコアを点数化して使用した。日本製カメラの輸出は、55年以降、二眼レフやレンズシャターカメラを中心に対米輸出が急増した。日本製がドイツ製を追い抜いたのは、62年に生産数・金額で、64年に輸出金額、67年には輸出台数と品質が、さらに、76年頃に信頼性においても凌駕した。検証の結果、日本製カメラは、65年以降の米国市場において、米国・ドイツ製カメラに対してコスト-品質面で競争優位性が構築されたことが確認できた。(1)日本製カメラのCU評価が「安くて良い」という競争優位性は、58年頃に二眼レフ、65年頃にコンパクト、72年頃に一眼レフが構築した。(2)日本製カメラの確かな品質・信頼性に裏付けられた製品ブランドは、CU高評価の多さもあり、消費者への知名度向上、ひいては企業ブランドの構築に大いに貢献したといえる。日本のカメラ企業が、社名やロゴに使うようになったことからもいえる。(3)日本企業のCU高評価の順位は、米国進出がステップ2(企業進出と現他業者の利用)やステップ3(自社販売経路の開発と促進活動の実施)の早い順位とほぼ一致する。もっとも、50年代以降、先発企業が自社製品ブランドによる対米輸出とアフターサービス体制の整備、政府の輸出検査による粗悪品輸出防止、60年代の一眼レフ、レンズシャッターカメラなど新製品・生産技術開発体制の構築、70年代から直接販売体制の構築も大いに寄与した。課題は、さらなる企業ブランド力の強化と商品・サービスの高付加価値化などによる競争優位性の構築であろう。
著者
竹内 淳彦 森 秀雄 八久保 厚志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.20-40, 2002-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
41
被引用文献数
1

大田区を中心とする東京城南地域の工業集団は,多様な加工業をベースに東京地域機械工業体系の技術集団として重要な役割を果たすとともに,ME化など技術の先端化に自助努力で対応してきた.1990年代に入り,厳しい経済環境変化の中で工業集団は新たな対応を示している.すなわち,戦後創業した第1世代の職人的技術に加え,ME技術を持ち,あるいは,新しいセンスを備え持った新世代が台頭している.両者は融合・結晶化し,それによって,ますます高度化する技術の自前化を進めるとともに,地についた企業間父流とそのネットワーク化を実現している.その結果,大田区の地域的な技術集団の機能はさりに局まっている.同時に,大田区の工業集団は,日本機械工業の技術高度化の核心としての新たな役割を担いながら,他地域との間の分業システムを強化させている.
著者
竹内 淳彦
出版者
日本地理教育学会
雑誌
新地理 (ISSN:05598362)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.22-34, 1968-09-25 (Released:2010-02-26)
著者
竹内 淳一郎
出版者
産業学会
雑誌
産業学会研究年報 (ISSN:09187162)
巻号頁・発行日
vol.2003, no.18, pp.65-76,128, 2003-03-31 (Released:2009-10-08)
参考文献数
28

Japanese sewing machine industry was promoted as an export industry after the World War II and expanded rapidly thereafter. At the beginning, Japanese sewing machines were regarded as “imitation of SINGER” and “cheap and nasty”.Later, however, Japanese sewing machines surpassed SINGER, which they modeled after, not only in export volume and value, but in terms of quality as well.In 1974, the sewing machine industry was released from Export Inspection Law, reaching its goal of improvement and stability of quality, far earlier than the camera (1989) and watch (1991) industries.This paper clarifies the reason and background of the above. In 1949 Japanese sewing machine industry, in cooperation with Japanese government, standardized household sewing machines and their parts, and the de facto standard of sewing machine parts was formed in the 1950s. In the case of the parts of cameras and watches there is no standard specification like the one of sewing machine parts. Standardization of parts contributed to the stability of quality and cost down of sewing machines.This paper demonstrates quality improvement of Japanese sewing machines, based on Japanese export inspection results and the product ratings by the Consumers Union of the United States.Figures show that Japanese sewing machines surpassed SINGER, in terms of production quantity in 1957, and of quality in 1969. From this point of view, it can be said that standardization of sewing machine parts was one of the reasons why this industry gained international competitiveness earlier than cameras and watches. Just for reference, Japanese camera industry surpassed German ones, in terms of production quantity in 1962, and of quality in 1976.This achievement was due primarily to the persistent efforts of Japanese sewing machine makers to improve their products, and to export promotion policy (including Export Inspection Law) of Japanese government (including JSMIA: Japan Sewing Machinery Inspection Association).
著者
前川 陽一 中村 亨 仲里 慧子 小池 隆 竹内 淳一 永田 豊
出版者
日本海洋学会
雑誌
海の研究 (ISSN:09168362)
巻号頁・発行日
vol.20, no.6, pp.167-177, 2011-11-15
被引用文献数
2

2009年4月と10月の2回にわたって,勢水丸を潮岬周辺に派遣して,詳細な海況の観測を実施した。串本・浦神の検潮所間の水位差は,しばしば黒潮流路が直進路をとっているか,蛇行路をとっているかの指標として用いられる。従来にない密な観測点を設けることによって,この水位差は串本・浦神の間で緩やかに起こっているのではなく,潮岬の沖,東西約6kmの幅で集中的に生じていること,また,その水位差のほとんどは,僅か150m深までのごく表層の海洋構造によって作り出されたものであることが示された。黒潮本流の流速場を支配している温度躍層以深の水温・塩分構造が直接関係するのではなく,振り分け潮のような現象によって黒潮表層水が紀伊半島南西岸にもたらされるかどうかによって水位差が生じていることをより詳細に示すことができた。
著者
竹内 淳彦 森 秀雄 佐藤 滋 大橋 正義 北嶋 一甫 山田 伸顕 本木 弘悌
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.55-59, 2000-03-31

1999年の地域大会として11月27日に上記のフォーラムを開催した.午前は「工業のまちを歩く」と題して東京都大田区内の住工混在地域を巡検し, 午後は大田区産業プラザにおいて会議が行われた.はじめに小関智弘氏の特別講演「工場に生きる人々とそのまち」が行われ, 続いて竹内淳彦の基調報告, 5名のパネラーの報告の後, 討論が行われた.なお, 巡検参加者は66名, フォーラム参加者は203名であった.座長は上野和彦(東京学芸大学)と松橋公治(明治大学)が務めた.以下には各報告の要旨, 討論と巡検の記録を掲げる.
著者
黒野 昌邦 西澤 玲奈 江頭 啓 竹内 淳
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
MEDCHEM NEWS (ISSN:24328618)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.127-131, 2018

<p>創薬研究に利用できる情報は指数関数的に増大し、ビッグデータの有効利用法の開発が望まれている。メディシナルケミストにとって、HTSの結果解析はリード創製のための重要なプロセスであるが、あまりにも膨大なデータのためにその取り扱いや解析が難しい。そこでメディシナルケミストに使いやすい可視化法「エルピスマップ」を開発したので本稿で紹介する。「エルピスマップ」は、良質なリード創製の可能性を見極められること、追加HTSまたはヒットからの合成展開のGo/No-go判断ができること、そして複数ターゲットのHTS結果を比較した場合、リード創製面でのプロジェクトの優先順位づけを可能にした新しい可視化法である。</p>
著者
竹内 淳彦
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.262-274, 1962

The writer has investigated the distribution of binocular manufacturing works and geographical significance of their location in Japan. The following facts were disclosed.<br>1. There are 215 binocular manufacturing works in Japan today. These works are very small in scale, having average of only 16 workers in each workshop.<br>Most of the works are concentrated in Tokyo area, and about 95% of them are closely distributed in Itabashi district, northern part of Tokyo metropolis, forming core of the distribution in Japan.<br>2. The following factors are considered to play an important role in the location of the binocular manufacturing industry.<br>a) One of the location factors which exerts a conspicuous influence upon the present pattern of the distribution is the existence of the commission agents naving an overwhelming power over the works. For the reason that all of the commission agents are situated in Tokyo, many works tend to be attracted by them and distributed in Tokyo area.<br>b) In Tokyo area, Itabashi was the only district where large scale binocular plants for mtlitary purposes were situated before the war. After the war, the production of the plant were all changed to peaceful (binocular) industries, and the existence of technical experts who worked in these factories may be said to have been the cause of their concentration in the area.<br>c) In recent time, the superiority of Itabashi district to others, which, as, mentioned already, plays an important part in the distribution of binocular industries, is due to the existence of many workers and subcontractors who are obliged to offer their cheap labour.
著者
板倉 勝高 井出 策夫 竹内 淳彦 北村 嘉行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.8, pp.403-424, 1964-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
25
被引用文献数
3

本研究は日本の工業を地域的に把握するために,最大の集中地域である京浜工業地帯の地域構造を明らかにしようとしたものである.そのために,まず工業地帯の領域を合理的に設定したうえで, 30人以上全工場の業種別分布図を基礎にして地帯内の工場分布を分折するとともに,工場間の地域的結合関係,すなわち生産構造を明らかにした. 京浜の工業において占める重化学工業の割合は厳密にみると極めて低く,工業地帯を特色づけるものではない.したがって,重化学を主体としている臨海地域のもつ意義は小さい. 京浜の工業を特色づけるものは自動車,テレビ,カメラなど耐久消費財を中心とする組立工業と,日用消費財を中心とする雑貨工業とであって城南と城東とを核心とした生産組織をそれぞれ形造っている.核心地域における工場は両部門とも,技術的にも特殊化され,また,同一製品の生産量が少ない製品を小単位ずつ,多くの種類にわたって生産している,すなわち「多種,小単位,特殊」生産を特色としており,それらが相互に強い結合関係を有しながら集中しているものであり,これを中心的大都市工業の特質と考えることができる.工業地域の拡大も,核心地域内における生産関係の変化によるものであり,したがって,京浜工業地帯の地域構造も,この核心地域によって規定されている.
著者
竹内 淳彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.91-104, 1993-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
14
被引用文献数
3 3

本研究の目的は,技術革新が急速に進むなかでの日本半導体工業の立地動態を明らかにすることにある。日本のセミコンダクター生産は1950年代の半ばに始まり,東京南部の機械技術集団の中で発展した。先端的な機械生産も既存の生産体系と無関係には形成されることはない。日本政府は,当時米国に比べ著しく遅れていた半導体生産の技術レベルを短期間に向上させる上で保護政策をとり,大型プロジェクトを発足させるなど重要な役割を演じた。同時に,互いに競争関係にあった各メーカーが,長期的視野から政府プロジェクトに参加し,協力して技術を発展させた事実も重要である。日本のセミコンダクターの生産は電卓や他の先端型消費財生産に支えられて成長し,とくに1980年代に質・量ともにあざましい発展を遂げた。東京・大阪の二大都市地域で成立した半導体工業は, 1970年代後半以降,九州,東北,その他の地方に次々と生産拠点を形成していった。一方,半導体工業は他の先端型工業と強く結びっいている。先端型工業の研究・開発機能が東京地域に集中しているために,東京地域だけが急速な技術革新に対応することが可能であった。そのため,東京を中心とする全国的な生産体系が強化されつつある。世界的な半導体工業のネットワーク化は各国の強力な管理貿易体制のもとで進行している。日本の製造業者は,厳しい国際的な研究・開発競争に対応していく必要がある。こうした日本半導体工業のグローバル化は,東京地域の技術集団を核とする全国的ネットワニクを強化しながら進行している。
著者
竹内 淳彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.10, pp.665-679, 1966

戦後,北九州工業地域の国内的地位の低下の実態と要因を明らかにした.<br> 1. 全地域生産額の75%を占める八幡製鉄など臨海部重化学工業の停滞は筑豊炭の重要性の減少,大陸貿易の中止などによって有利性を失っている上に,巨大な固定設備を要するこれらの工業の新規投資が市場条件などにより他地域に行なわれているためである.<br> 2. 三大工業地帯では生産の中心となっている機械工業部門が,当地域では筑豊炭田・八幡製鉄・小倉兵廠などの発展条件を有しながら4部門合せて11%と全く低調である.これは親企業の自己完結的生産体系によって素材加工部門や部品生産のための下請,再下請群などの生産体系が養成されていなかったためである.今日,耐久消費財部門の成長が全くみられないのもここに原因がある.<br> 3. 日用消費財部門が全く欠如している.これは, (1)八幡製鉄の消費財充足形態が成立の事情などから地元に消費財部門を養成しなかったこと, (2)八幡製鉄が諸雑作業のために,日用消費財生産を支えるべき多くの低位労働力を吸収してしまっていること,および, (3)臨海工場によって埠頭が占拠される結果,雑貨取扱を不振とし,ライナーポート化を困難にするため,港依存の雑貨工業の発達が抑圧されたこと,などによるものである.<br> 4. 北九州の停滞はわが国臨海型重化学工業地域の発展の限界を示す最初の事例と考える.
著者
松井 秀郎 竹内 淳彦 田邉 裕 濵野 清 吉開 潔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.シンポジウムの趣旨 1)新学習指導要領における地誌学習(諸地域学習)の拡充 平成25年度からいよいよ高等学校での新学習指導要領が完全実施となる。なかでも地理Bでは、三つの大項目の中で「(3) 現代世界の地誌的考察」を設け、諸地域の地誌的な学習内容を充実し、また、「地誌的に考察する方法」を身に付けさせることも重要なねらいとされている。 内容の取扱いでは「アで学習した地域区分を踏まえるとともに,様々な規模の地域を世界全体から偏りなく取り上げるようにすること。また,取り上げた地域の多様な事象を項目ごとに整理して考察する地誌,取り上げた地域の特色ある事象と他の事象を有機的に関連付けて考察する地誌,対照的又は類似的な性格の二つの地域を比較して考察する地誌の考察方法を用いて学習できるよう」とされ、これまでのいわゆる静態地誌,動態地誌に加えて、比較地誌の方法によっても考察することが求められている。 2)地理学における地誌研究などの衰微と再興への方途 高等学校での地理教育において、地誌学習が拡充される一方で、地理教育の根幹となる地理学における地誌研究や方法論としての地誌学の衰微が著しい。宮本昌幸・武田泉によれば地誌学を専門とする日本地理学会会員数は減少し、題名に地誌と明記した著書・論文や学会発表も低調な状況にある。 このような問題意識から、地誌学の興隆期から地誌学に強い関心を抱きつつ研究を続けてこられた先生方や、高校教育現場の長として地理教育に力を入れておられる校長先生、全国の学校での地理教育・社会科教育の指導を進めている教科調査官の参加を求めて、本シンポジウムを地誌研究などの再興に向けた講演と総合討論の場としたい。2.講演内容の概要 (1)濵野 清:「新学習指導要領における地誌学習の位置付け」 新学習指導要領における地誌学習重視の視点は、小・中・高等学校を貫く改訂の柱である。学力の重要な要素として基礎的・基本的な知識、技能の習得が求められる中、日本や世界の諸地域に関する地理的認識を養うための学習が、改めてその学習指導要領の内容として位置付けられることとなった。 ここでは、とりわけ大項目レベルで内容構成が変更された中学校と高等学校に焦点を絞り、その概要を確認したい。 (2)竹内 淳彦:「いま、地誌を考える」 「地誌」は正しい地方づくりのための基本である。"地域性の解明と記述"を目的とする地誌の基本は田中啓爾の研究に見られ、田中の「指標をもとにした地域性の解明」と動態的な「地位層」の考えこそが地誌研究のベースとなる。これらをもとに地域区分、域の重層、シンボルなどが検討される。「地誌」の充実のためには、学界、教育界、行政挙げての強力な取り組みが不可欠である。 (3)田邉 裕:「私の受けた地誌教育から考える」 1950年代の大学では、多田先生が外国地誌、福井先生が自然地誌、飯塚先生が「日本と世界」を中心に地誌全般を講じ、1960年代のレンヌ大学ではフランス地誌を受講した。共通する特徴は系統的・画一的でなく、「そこはどのような所か」を明らかに出来るような地域性の指摘から入っていた。自分がヨーロッパ地誌を講ずる立場になって、網羅的でありながらトピック的な地誌とその順序性の論理構築を心がけた。 (4)吉開 潔:「私の体験的地誌教育論」 グローバル人材の育成やリベラルアーツの重視など、総合的な知識・思考力を求める最近の教育動向は、地誌学及び地誌教育の活性化に資するものといえる。かつて高校地理教師として世界地誌を指導したとき、大学で地誌関係講座を履修した経験が活きた。新学習指導要領で地誌学習が充実された今こそ、地誌学研究者と中・高地理教師が連携・協力して、魅力ある地誌授業の開発・実践に取り組んでいく必要がある。
著者
大宮司 勝弘 竹内 淳 岩岡 竜夫 岩田 利枝
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集
巻号頁・発行日
vol.74, no.636, pp.505-513, 2009

The purpose of this study is to identify the architectural characteristics of Kyoto Tower Building, which was designed by Mamoru Yamada. The description of space composition and the features of the architectural design of Kyoto Tower Building, at the initial completion time, are based on a documentary film showing the building under construction and pictures and drawings held by Osaka Yamada Mamoru Architects and Engineers. On the basis of Yamada's studies of the floor plans, the rough drawings and perspectives, the design process of this building is analyzed.