著者
廣瀬 通孝 谷川 智洋 鳴海 拓志 青木 邦雄 葛西 寅彦 誉田 匠
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究では,拡張現実感(AR)を用いて史料映像を展示物に重畳表示する際に,カメラマンの動きを再現するように体験者を誘導することによって,より強烈な体験を与えることのできる新しいAR展示技術「行動誘発型AR」を開発し,受動的に展示物を眺めるだけの既存展示手法では伝えられなかった空間的状況を容易に把握可能とすることを目的とした.(1)史料映像から動的な3次元空間とカメラパスを抽出・再構成する画像処理技術,(2)ARで提示する視覚刺激を用いて視覚誘導性の身体運動を生じさせ,体験者の鑑賞行動を誘導するヒューマンインタフェース技術を開発し,(3)ミュージアムでの大規模実証実験によってその有効性を示した.
著者
青木 周司 森本 真司 町田 敏暢 中澤 高清
出版者
東北大学
雑誌
特定領域研究(B)
巻号頁・発行日
1998

本研究においては、ドームふし氷床コアから空気を抽出し分析することによって、主要な温室効果気体である二酸化炭素やメタン、一酸化二窒素の過去34万年に及ぶ変動の実態を明らかにし、さらに各気体成分の変動と気候変動との関係を明らかにした。それによれば、二酸化炭素濃度やメタン濃度は、暖候期には高く、寒候期には低くなっており、気温変化に極めて良く対応して変化したことが明らかになった。特に、メタン濃度は氷期・間氷期といった大規模な気候変動や、氷期中の比較的大きな気温変動に対応して変化しているばかりではなく、間氷期においてもヤンガ-ドライアス期やわずかな気候の寒冷化にも敏感に対応して変化していた。このことから、二酸化炭素とメタンが気候変動に正のフィードバック作用を及ぼしていたことが確認された。一方、一酸化二窒素についても氷期に低く間氷期に高いといった基本的な濃度変化が明らかになったが、濃度と気温との相関は比較的低かった。一酸化二窒素濃度が氷期の最寒期には310ppbvを越すような異常に高い値が必ず現れていたことを新たに見出した。このような高濃度は人間活動の影響が顕在化している現在の値よりも高く、氷期に露出した大陸棚での生物活動が関係している可能性が考えられる。また、コアから抽出した試料空気の酸素と窒素の同位体比を測定し、コアの年代決定の有効性およびコアへの大気成分の取り込み過程を検討した。これに関連して、フィルン空気の分析も行っており、その結果をモデルでシュミレートすることにより、空気が氷床に取り込まれる際の大気成分の濃度や同位体比の変化や、コア中の気泡とそれを取り巻く氷の年代差についても評価することができた。その結果、気泡の年代はそれを取り巻く氷の年代より常に若く、間氷期では年代差が約2000年であり、氷期には最大5000年まで拡大することが明らかになった。
著者
中澤 高清 中村 俊夫 吉田 尚弘 巻出 義紘 森本 真司 青木 周司
出版者
東北大学
雑誌
特定領域研究(A)
巻号頁・発行日
1998

地球表層における温室効果気体の変動と循環の実態を明らかにするために、系統的観測や循環モデルの開発を基にした広範にわたる研究を実施した。得られた結果を要約すると以下のようになる。(1)CO_2、CH_4、N_2O,CO,HCFC,HFC、PFC,SF_6などの温室効果気体の濃度と同位体比を、日本上空、太平洋上、シベリア、南極昭和基地、北極スビッツベルゲン島などにおいて組織的に測定し、近年におけるこれらの時間的・空間的変動およびそれらの原因や支配プロセスを明らかにした。N_2Oについては同位体分子種の測定を世界に先駆けて行い、その結果を基にして発生・消滅過程の定量的解析を試みた。また、得られたCO_2濃度とδ^<13>Cの測定結果を同時解析することによって近年の人為起源CO_2の収支を推定するとともに、HCFC,HFC,SF_6の観測結果を南北2ボックスモデルで解析することによりそれらの放出量の時間変化を詳細に検討した。(2)全球三次元大気輸送モデルを開発し、濃度と同位体比を基に近年におけるCO_2およびCH_4の循環を定量化するとともに、高空間分解能の全球生態系モデルを用いて炭素循環における陸上生物圏の役割を解明した。また、全球海洋物質循環モデルを開発し、CO_2交換を基本的に支配する大気-海洋間のCO_2分圧差およびOCMIPプロトコルに基づいた海洋の吸収量を推定した。N_2Oについてはマルチボックスモデルを構築し、過去500年間の大気中濃度の再現を行った。(3)大気-岩石圏における炭素循環の理解を向上させるために、観測に基づいて化学風化に伴う炭素フラックスおよび地下深部から大気へのフラックスの評価を行うとともに、炭素循環におけるサンゴ礁の寄与を検討し、その役割がザンゴ礁によって異なることを明らかにした。
著者
中村 俊一郎 寺西 武夫 青木 美珠代
出版者
園藝學會
雑誌
園芸学会雑誌 (ISSN:00137626)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.461-467, 1982
被引用文献数
3 8

セルリー種子の発芽促進に対するベンジルアデニン(BA), ジベレリン(GA<sub>3</sub>又はGA<sub>4</sub>)及びポリエチレングリコール(PEG)6000溶液処理の効果を調査した. またホウレンソウ種子ではPEG処理の発芽促進効果とともに, 処理後の乾燥貯蔵の可能性を調査した.<br>1. セルリー種子は20°Cを越えると発芽率が低下した. 発芽促進剤としてはBAが有効で, GA<sub>4</sub>も効果があるが, GA<sub>3</sub>は無効であった.BAとGA<sub>4</sub>とを併用すると最も有効であった.<br>2. セルリー種子はPEG処理によって発芽速度が早まり, 又25及び30°Cでの発芽率が上昇した.<br>3. 処理期間は7日間でも大きな効果が見られたが, 14日間処理すれば効果は更に増大した.<br>4. 処理温度は, 種子ロットによって, 15°Cが好適な場合と, 20°Cが好適な場合とがあった.<br>5. PEG処理中に光線を与えることによって, 処理効果が増大した.<br>6. PEG溶液中にBAを加えることによって処理効果が増大した. しかしGA<sub>4</sub>を加えても効果の増大は見られなかった.<br>7. ホウレンソウ種子もPEG処理によって発芽速度が早まり, 30°Cでは発芽率も増大した.<br>8. ホウレンソウ種子をPEG処理後, 7日ないし14日間貯蔵した時, 発芽率の低下は見られず, 発芽速度の減少も僅少にとどまった.
著者
青木恒三郎 編
出版者
嵩山堂
巻号頁・発行日
vol.第1,2巻, 1886
著者
飯田 康夫 奥山 康子 豊 遙秋 青木 正博 春名 誠
出版者
日本鉱物科学会
雑誌
日本岩石鉱物鉱床学会 学術講演会 講演要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.69-69, 2005

ラマン分光法は,赤外分光法とともに,分子や結晶の振動状態に関する情報をもたらす,振動分光法であり,物質の同定などを通して,鉱物学や岩石学においても有用な研究手段になると考えられる.著者らは,鉱物と人工的な無機物質のラマンスペクトル・データベースを構築してきた.2005年7月現在,無機化合物597件,鉱物580件について,ラマン・スペクトルのデータを蓄積している.スペクトルのデータは,産総研研究情報公開データベース(RIO-DB)制度によって,ネットワーク公開している.
著者
青木 秀男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.89-104, 2015

本稿は, 1945年8月6日に広島で炸裂した原爆について, 市内の被差別部落A町を事例に, 被害の他町との差異を分析し, その意味を, 災害社会学の概念 (社会的脆弱性, 復元=回復力) により解釈する. そして1つ, 原爆被害の実相を見るには, 地域の被害の<構造的差異>を見る必要がある, 2つ, 地域には被害を差異化する力と平準化する力が作用し, それらの力の拮抗と相殺を通して被害の実態が現れる, という2点を指摘し, 災害社会学を補強する. A町民の原爆死亡率は, 爆心地から同距離の他町とほぼ同じであったが, 建物の全壊・全焼率および町民の負傷率が高かった. そこには, ①A町には木造家屋が密集していた, ②建物疎開がなかった, ③原爆炸裂時に多くの人が町にいた (仕事場が自宅であった) 等の事情があった. また同じ事情で, A町民は多くの残留放射能を浴び, 戦後原爆症に苦しむことになった. そこには, A町の, 被爆前の社会的孤立と貧困の <履歴効果> と, 被爆による生活崩壊・貧困・健康障害の <累積効果> があった. 他方でA町民は, 被爆直後より被害からの復元=回復に向けた地域共同の努力を開始した. 地域共同は, A町の人々の必須の生存戦略であった. A町には, 地域改善運動や部落解放運動の基盤があった. しかしそれでもA町は, 戦後も孤立した町にとどまった. 地域の景観は大きく変った. しかし被害の構造的差異は, 不可視化しながら持続した.
著者
青木 秀男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.89-104, 2015

本稿は, 1945年8月6日に広島で炸裂した原爆について, 市内の被差別部落A町を事例に, 被害の他町との差異を分析し, その意味を, 災害社会学の概念 (社会的脆弱性, 復元=回復力) により解釈する. そして1つ, 原爆被害の実相を見るには, 地域の被害の<構造的差異>を見る必要がある, 2つ, 地域には被害を差異化する力と平準化する力が作用し, それらの力の拮抗と相殺を通して被害の実態が現れる, という2点を指摘し, 災害社会学を補強する. A町民の原爆死亡率は, 爆心地から同距離の他町とほぼ同じであったが, 建物の全壊・全焼率および町民の負傷率が高かった. そこには, ①A町には木造家屋が密集していた, ②建物疎開がなかった, ③原爆炸裂時に多くの人が町にいた (仕事場が自宅であった) 等の事情があった. また同じ事情で, A町民は多くの残留放射能を浴び, 戦後原爆症に苦しむことになった. そこには, A町の, 被爆前の社会的孤立と貧困の <履歴効果> と, 被爆による生活崩壊・貧困・健康障害の <累積効果> があった. 他方でA町民は, 被爆直後より被害からの復元=回復に向けた地域共同の努力を開始した. 地域共同は, A町の人々の必須の生存戦略であった. A町には, 地域改善運動や部落解放運動の基盤があった. しかしそれでもA町は, 戦後も孤立した町にとどまった. 地域の景観は大きく変った. しかし被害の構造的差異は, 不可視化しながら持続した.

1 0 0 0 OA 八丈ケ嶋

著者
薄恕一, 青木秀虎 著
出版者
国文館書店
巻号頁・発行日
1914
著者
青木 然
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史學雜誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.123, no.11, pp.1929-1968, 2014-11-20

This article studies the perceptions of Korea and China among the people in Japan during the latter part of the 19th century. The antecedent research has explained that the people had become to transfer their own sense of inferiority to their East Asian neighbors, whose Westernization had been stagnant, and disdained them because the people's opposition to Westernization had been crushed by means of the suppression of the revolt. This interpretation ignores the contradictory situation of a nation of people unable to internally resolve their own opposition to Western culture, while looking down on other nations based on those same Western standards. In order to show the way such a contradiction was dealt with in the Japanese mass consciousness, this article takes up the popular entertainment, especially kodan (講談), the Japanese traditional storytelling, to extract the Japanese people's understanding of Western culture and their hopes represented by the images of Korea and China on a deeper level than what was expressed in rebellion. In presenting the evidence, the author attempts to clarify the features of narrative of the popular entertainment in order to interpret its depiction of Korea and China in terms of popular understanding by focusing on the mentality of popular entertainment, as well as the changes of national entertainment policy, trends and social contexts. In concrete terms, the author identifies two conflicting types of narration in popular entertainment at the time: the satirical style that originated on the urban scene during the late Edo period and the oratorical style, which first appeared during the 1880s, against a backdrop of increasing migration from the countryside into the cities. In the performances taking up such events of the early 1880s as the Imo Incident (July 1882) in Seoul, Korea and the Sino-French War (1884-85), we find satirical narrative showed its twisted sympathies with "obstinateness" of the forces of resistance in both countries and ridiculing the shallow Westernized behavior of the Japanese people. On the other hand, when dealing with the 1st Sino-Japanese War, the oratorical style pours invective and abuse upon the Chinese, while the satirical performances objectified them and counteract with words of sympathy for the Koreans and Chinese. In the presence of such conflicting narrative styles, the Japanese people became aware of Korea and China not only as scapegoats for its own oppression, but also as a means of escaping from the constant anxiety of being confined within the limits of the Western code of civilized behavior. However, the difficulty in confronting the fallacy of its civilized self-image became expressed in the Japanese people's hesitation to empathize with its Korean and Chinese counterparts. Such a way of adopting Western civilization, which skillfully grants dispensation from self-denial, can be called, in the opinion of the author, one of the "privileges" accorded the masses living under imperial rule.

1 0 0 0 OA 軍談家庭文庫

著者
久保天随 (得二) , 青木存義 校訂
出版者
広文館
巻号頁・発行日
vol.第2冊 石田軍記,太平記 上, 1911
著者
上り口 晃成 青木 誠喜 森田 真功 田畑 勝彦 畦崎 泰男 前田 照太 井上 宏
出版者
大阪歯科学会
雑誌
歯科医学 (ISSN:00306150)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.248-254, 2002-12-25
被引用文献数
10

我々は唾液を経時的に採取しつつ,歯肉浸潤麻酔を行う試行と行わない試行を設定し,唾液中ストレスホルモンであるコルチゾールおよびクロモグラニンAの濃度変化を分析することで,疼痛刺激が唾液中ストレスホルモン濃度に与える影響を検討した.被検者として,健康な健常有歯顎者8名を用いた.実験は3日間行い,1日目は実験説明日とし,2日目と3日目に浸潤麻酔日とコントロール日をランダムに割り当てた.実験説明日は実験内容の説明と実験環境への順応を目的とした.コントロール日と浸潤麻酔日は同一時刻に実験を開始し,被検者を水平位にて10分間安静に保った後2分間の唾液採取と8分間の安静期間を交互に6回繰り返した.浸潤麻酔日においては,2回目の唾液採取直前である,安静開始後19分15秒から45秒までの30秒間,上顎中切歯歯肉頬移行部に浸潤麻酔を行った.採取した唾液は直ちに-50℃にて凍結し,ホルモン濃度を測定するまで保存した.濃度分析は凍結した唾液を解凍した後,3000rpmで30分間遠心分離し,EIA法にて測定した.統計解析として,危険率10%で浸潤麻酔の有無および時間を因子とした反復測定分散分析を行った.また,被検者ごとに異なる変化パターンを統合的に比較するため,各試行における変動係数を求め,危険率10%で浸潤麻酔の有無について対応のあるt検定を行った.分析の結果,歯肉浸潤麻酔による疼痛刺激は唾液中コルチゾール濃度およびクロモグラニンA濃度を上昇させるほど大きなストレスではないことが明らかとなった.また,唾液中コルチゾール濃度の経時的減少は水平位による安静効果がもたらしたと推察された.そして,経時的測定を行った唾液中コルチゾール濃度の変動係数を比較することで,歯肉浸潤麻酔によるストレスを評価できる可能性が示唆された.
著者
青木 こずえ
出版者
高知県農業技術センター
雑誌
高知県農業技術センター研究報告 = Bulletin of the Kochi Agricultural Research Center (ISSN:09177701)
巻号頁・発行日
no.22, pp.49-57, 2013-03 (Released:2014-01-16)

施設内で前作としてキュウリを栽培し,定植時に7種類と栽培終了直前に21種類の農薬を処理して,後作として栽培した葉菜類のコマツナ,チンゲンサイ,ホウレンソウ,ミズナへの移行を調査した.その結果,ホスチアゼート,ジノテフラン,ボスカリド,チアクロプリド,プロシミドン,チアメトキサム,クロチアニジンが葉菜類に吸収されやすい傾向がみられた.1.ホスチアゼートは,コマツナから農薬処理後142日に残留基準値を超えて検出され,基準値以下にまで低下するためには,処理後経過日数を160日以上要した.2.ボスカリドは,ホウレンソウから一律基準値を超えて検出された.農薬最終処理後の前作キュウリ栽培期間を22日延長して播種した場合でも一律基準値を超えた.3.チアクロプリドは,全葉菜類から一律基準値を超えて検出された.農薬最終処理後の前作キュウリ栽培期間を22日延長して播種した場合,チンゲンサイとミズナは一律基準値以下になった.4.クロチアニジンは,ホウレンソウに特異的に吸収された.