著者
杉原 重夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.83, 2011 (Released:2011-05-24)

日本各地で産出する黒曜石(黒曜岩)は、石器時代における石材資源として貴重な存在であった。これらの黒曜石製遺物の産地推定は、顕微鏡による晶子形態の観察、フィッション・トラック年代測定、機器中性子放射化分析(INAA)、蛍光X線装置(WDX・EDX)やエレクトロンプルーブX線マイクロアナライザー(EPMA)による元素分析など、さまざまな方法が用いられている。なかでもエネルギー分散型蛍光X線分析装置(EDX)を用いた産地分析は、多数の試料を非破壊且つ短時間内に処理できることから、現在では主流な方法である。 明治大学文化財研究施設では、日本全国の黒曜石原産地の調査成果を基に、各地の石器時代遺跡から出土した黒曜石製遺物の原産地推定を行ってきた。これまでに原産地推定の対象にしたのは250遺跡、遺物数は約30、000点に上る。その結果、北海道白滝・置戸産の黒曜石が樺太の遺跡から、霧ヶ峰産黒曜石が青森県山内丸山遺跡から、神津島産黒曜石が三重県や能登半島の遺跡で利用された例など、広域にわたる黒曜石の原産地―消費地の関係が明らかになってきた。今回は関東各地の旧石器時代~縄文時代遺跡の黒曜石原産地推定データを基に、海洋運搬の手法を効果的に利用したと想定される伊豆諸島・神津島産黒曜石の流通経路や流通範囲の変遷について、海洋環境の変化との関係から考察する。 1) 日本列島に人類が渡来した酸素同位体ステージ3(MIS3)の当初から、神津島産黒曜石は石器石材として使用された。MIS2~1の低海面期の東京湾は陸化しており、神津島産黒曜石については相模湾を北上し相模野台地から武蔵野台地へ至る流通ルートが推定される。 2) 縄文時代早期~前期~中期初頭は縄文海進最盛期と前後し、伊豆大島を中継地とする相模湾北上ルート・東京湾北上ルート・太平洋沿岸ルートが海上経路として開拓されたと推定できる。神津島の南方にある御蔵島や八丈島も神津島産黒曜石の流通圏に含まれる。 3) 縄文時代中期は神津島産黒曜石の流通が最も活発になり、伊豆半島・南関東地方の遺跡では高い比率で利用される。また、古鬼怒湾周辺地域の遺跡からも、太平洋沿岸ルートより搬入したと推定される神津島産黒曜石の利用が卓越する。伊豆半島東部の見高段間遺跡は伊豆半島を縦断して駿河湾東部沿岸地方に至る黒曜石の流通ルートとして重要な中継地であったと推察できる。 4) 縄文時代後期~晩期になると、伊豆諸島では依然として神津島産の利用比率が高い状態が維持されるものの、その他の地域では利用比率が低下し、相模湾北上ルート・東京湾北上ルートに限定される。このことは伊豆大島・下高洞遺跡における神津島産黒曜石の時期別利用比率の変化からも認められる。 神津島産黒曜石の利用を考えた場合、伊豆大島が神津島産黒曜石の流通ルート上において重要な位置を占めていたと推定できる。このような黒曜石の流通には海洋環境に適応した運搬手段(舟・筏等)が利用されたと考えられる。今後は全黒曜石製遺物を対象とした分析や新たな遺跡発掘調査により、神津島産黒曜石の流通圏について議論を深めたい。
著者
米村 創
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.91, 2011 (Released:2011-05-24)

沖縄にはトンビャン(桐板)と呼ばれる植物性の原材料で織られた織物がある。本研究では、トンビャンの原材料である植物について、沖縄・中国の貿易、貿易品の流通、そして中国での農作物生産物からその解明を試みることを目的としている。 トンビャンは古く琉球王国時代から中国の福建省福州からの貿易品として輸入されていたという伝承が残っている。トンビャンは糸で輸入されることも多く、輸入された糸は沖縄の織物生産者の手によって織られ、高貴な身分の者を筆頭に一般庶民の間でも夏の衣服として広く利用されていた。トンビャンの織物生産は沖縄の統計や伝承によれば、昭和10年代ころまで生産されていたが、その後は中国からの輸入が途絶え、原材料が無くなった沖縄地域でトンビャンが織られることはなくなった。原材料である植物の種類が不明であることより、現在では「幻の織物」として沖縄では位置づけられている。その原材料が竜舌蘭の一種ではないかと一部の研究者の間では説明されているが、未だに不明なままであると言わざるを得ない。 台湾や海南島(海南省)では明治・大正・昭和の時期にパイナップル(鳳梨)繊維を織物用として広範囲に特用農産物として栽培し、外国や内国へ輸出(移出)していたことが当時の資料や統計から明らかとなっている。主に中国大陸沿岸地域に輸出(移出)していたが、輸出先で鳳梨繊維の名称が麻類の名称へ変化することが多く、中国大陸沿岸地域での鳳梨繊維利用の確認が困難であった。しかし、福州港、また福州の周辺地域にも鳳梨繊維が流通していることが明らかとなり、福州で購入したという沖縄のトンビャンはこの鳳梨繊維で生産されたと考えることができる。見た目上、鳳梨繊維と沖縄のトンビャンの繊維が類似していること、台湾などにおける鳳梨繊維の外国への輸出供給量の減少時期と、沖縄におけるトンビャン生産量の減少時期が一致していることもそのことを裏付けている。つまり、トンビャンの原材料は主にパイナップルである可能性を指摘できる。図は予想されるトンビャンの原材料から消費地までの流通経路である。 沖縄の植物繊維の織物の一つに芭蕉布というものがある。芭蕉布などは沖縄で原材料である芭蕉を沖縄で栽培し、沖縄で織る織物であるが、一方トンビャンは輸入品のみの織物であることから、元々その織物を外国に求めていた貿易品であったと推察される。
著者
松山 薫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

広島県呉市は、1889(明治22)年の呉鎮守府の開庁を契機に、軍港都市として近代以降急速に発達した都市である。1902年に宮原村、荘山田村、和庄町、二川町が合併して市制を施行し呉市となった。その後、周辺に海軍関連施設用地が拡大するのにともない、さらに隣接町村の合併を視野に入れた「大呉市」構想が模索されたが、それが実現するのは昭和に入ってからであった。すなわち旧呉市に隣接する吉浦町、警固屋町、阿賀町の編入(1928[昭和3]年)、そしてさらに東方の広村、仁方村の編入(1941年)である。こうした市域拡大の背後には海軍の意向が働いていたが、一方で関係する自治体の側も、地域性や歴史的経緯の違いから、合併に対する態度は町村ごとに大きく異なった。本発表では、独自路線を貫こうとしたものの、海軍と広島県の圧力により最後に合併を受け入れた賀茂郡広村を主にとりあげる。 1941年に呉市と合併することになる広村は、地勢的にも歴史的にも当初の呉市域とは一線を画しており、呉市との合併を最後まで拒否しようとした自治体であった。広村は黒瀬川(広大川)河口部の低地を中心に発達した農村で、広村の西に位置する灰ヶ峰や休山などの山塊が、旧呉市の市街地が広がる二河川・境川流域との間を隔てている。広村はもともと優良農村として全国的な知名度を誇っていた。1910(明治43)年、内務省の模範村選奨制度が始まった際に、広村は最初に表彰を受けている。その後、1921(大正10)年に呉海軍工廠広支廠が開庁(2年後に広海軍工廠として独立)すると、それまでの農村的性格は次第に変貌した。広村は、急激な人口流入と市街化に対応し、将来的には「広市」としての市制施行を視野に入れた独自の都市計画に着手した。しかし、一方で呉市も呉市、阿賀町、警固屋町、吉浦町、広村を範囲とする広域的な呉都市計画区域案を作成していた。広村は当然そこに含まれることに強く反発したが、海軍、広島県、呉市の3者の意向のもとで1925年に呉都市計画区域は決定され、広村独自の都市計画構想は消滅した。 このような軍港周辺の都市計画決定や市町村合併には、海軍関連施設等の散在する地域を一体的に扱おうとする海軍の意向が強く働いており、それに抗うことは時代を追うごとに困難になった。田村(1957)によると、1940年11月に、元呉市長・澤原俊雄が自邸で山中直彦広村長、相原環仁方町長、水野甚次郎呉市長らと会見し、広村、仁方町の両首長に呉市との合併を説いた。その後5ヶ月間、山中村長は、海軍(鎮守府参謀長、工廠長等)と、その意を受けた広島県(知事、総務部長等)との交渉にあたって奔走したが、最終的には両者からの強硬な申し入れにより、「高度国防国家建設」のために合併を受け入れざるを得なかった。なお、こうした一連の軋轢は、戦後における広の呉市からの分離を目指す運動(1948~1950年)にまで尾を引いた。 田村信三 1957.『広町郷土誌』広町郷土史研究会.
著者
北田 晃司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.8, pp.651-669, 1996-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
19
被引用文献数
1 1

近代初期の非欧米諸国には,伝統的都市に行政的中枢管理機能,開港地などの新興都市に経済的中枢管理機能が立地するという二元的構造が見られ,それが後の中枢管理機能の立地にも影響した例が多い.本研究は植民地時代の朝鮮を例に,主要都市における経済的中枢管理機能および行政的中枢管理機能の立地を分析し,以下の結果が得られた. 1910年代初頭には,二元的構i造が顕著に見られた. 1920年代後半も大きな変化はないが,伝統的都市でも経済的中枢管理機能,あるいは新興都市でも行政的中枢管理機能を強化した都市が登場した.戦時体制下の1940年代前半には,工業化を背景とした北部の諸都市の経済的中枢管理機能の強化や,新たな官署の立地による都市相互の管轄関係の複雑化により,二元的構造はさらに後退した.このようななかで,京城の圧倒的優位のもとではあるが,北部では平壌,南部では釜山や大邸が,広域中心都市としての性格を持っに至った.
著者
川端 光昭 佐野 可寸志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.246-257, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
18

持続的な地域公共交通網形成には,地域の実情に合わせ多様な運行主体の組合せを検討する必要がある.本稿では,タクシー事業者の地域公共交通への参画状況,自治体のタクシー事業者の活用意向を明らかにする.加えて,先行事例の分析を通して,官民協働による地域公共交通のマネジメントに役立つ知見を得ることを目的とする.おおよそ半数の自治体が,公共交通事業をタクシー事業者に委託しており,タクシー事業者の参画が進んでいることがわかった.しかし,事業委託による運転士増等の雇用創出効果は限定的であること,委託事業者との情報共有が不十分な自治体が多いことが明らかとなった.先行事例の分析を通して,持続的な公共交通網形成には,タクシー事業者の経営資源を有効活用することの重要性を確認した.さらに,タクシー事業者の経営体力を十分に情報共有・理解し,実行可能な公共交通サービスを官民協働で制度設計するプロセスが不可欠と言える.
著者
渡辺 隼矢 桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1.研究の背景と目的</b><br> 近年情報通信環境の発達により,人々が観光情報を入手する,または能動的に収集する手段はインターネットに移行しつつあり,それにより情報発信の担い手や情報伝達のスピードは大きく変化している.特に2010年代以降「インスタ映え」など写真投稿機能を有したソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下SNS)が注目されており,実際にSNSに投稿された写真をきっかけとして観光行動が変化した事例も全国各地でみられている.観光地における場所イメージや観光客の関心は観光地理学における重要なトピックの1つであるが,SNSに投稿された写真データを分析することで,これら場所イメージや関心の急速な変化を把握することが可能である.そこで本研究はSNSの写真付き投稿データから,観光客の観光地に対する関心やイメージの時系列変化を分析・考察することを目的とする.<br> 対象地域は兵庫県朝来市の竹田城跡およびその周辺地域とする.竹田城跡は2006年の「日本100名城」の登録により,徐々に観光対象として認識されるようになった,比較的新しい観光地である.またメディアを通して雲海に浮かび上がる竹田城跡の姿が話題となり,2012年9月以降に「天空の城ブーム」を引き起こしたが,2015年以降ブームは衰退傾向にある.<br><br><b>2.データ</b><br> 本研究で使用するデータは2012年2月から2017年2月までの間に携帯電話やスマートフォンなどの端末から発信されたTwitter投稿データのうち,竹田城跡やその眺望スポットである立雲峡,また訪問の拠点となるJR竹田駅周辺などを含む地域(以下竹田地区)の位置情報が付与されたもの,および本文中に写真投稿を示すURL(https://twitter.com/~/photo/1またはhttps:// www. instagram.com~)を含む投稿を抽出した.投稿したユーザーが観光客か,もしくは竹田地区内に居住するまたは業務等で定期的に訪れる長期滞在者かを識別する手法としては,田中ほか(2015)のようなユーザーの一連の位置情報付き投稿からユーザーの生活圏を算出する手法もあるが,本研究では,簡易的に投稿のあった日数から識別する手法を利用した.算出の結果,期間内に7日以上投稿がみられたユーザーについては,投稿内容から長期滞在者であることが推測できた.それらのユーザーを除いた1,779ユーザーによる3,021件の写真付き投稿を本研究の分析対象とした.<br><br><b>3.分析結果</b><br> 平均月別写真投稿数は2012年19.9枚から2013年46.7枚,2014年93.8枚と増加した一方,それ以降は2015年44.0枚,2016年45.5枚となっている.また撮影のあったユーザー数も同様の変化を示している.<br> インターネット上より各投稿につき単一の画像が識別可能な投稿について,その撮影対象や構図から写真を分類したところ,竹田城跡から城郭・城外の風景を撮影した写真が占める割合は2012年から2015年まで継続して減少傾向であった一方,立雲峡など城跡外から竹田城跡を撮影した写真が占める割合は2012年から2016年まで継続して増加傾向であった.また雲海が撮影された写真が占める割合は,「天空の城ブーム」の発展・衰退にも関わらずほぼ一定であった.
著者
瀬戸 芳一 福嶋 アダム 高橋 日出男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.223-232, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
12
被引用文献数
1 1

本研究では,夏季の関東地方南部を対象として,風向の定常性を示す定常度や風向の日変化に着目し,都市の気温分布とも密接に関連する局地風系の交替時刻の地域分布を検討した.日中と夜間との風向変化が内陸で明瞭な海陸風日を抽出し,定常度の変化から判断した交替時刻の等時刻線を描いたところ,日中には海風前線に対応する海岸線に平行した等時刻線の内陸への進行が認められた.一方,夜間の陸風への交替は海風よりも進行速度が遅く,翌5時においても東京都区部の大部分では陸風への交替がみられなかった.東京都区部など海岸に近い地域ほど,1日を通して南寄りの風が卓越し陸風が到達しない日数の割合が大きく,特に東京湾岸では海陸風日のうちの約60%を占めた.そこで,海陸風日の中で沿岸部まで陸風が到達した日について改めて交替時刻を求めたところ,陸風への交替は海陸風日よりも早く,翌5時には東京都区部のほぼ全域において陸風への交替が認められた.
著者
矢嶋 巌 小坂 祐貴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.189, 2011 (Released:2011-05-24)

近年、日本では地方都市の高齢者を中心にフードデザート(以下FDsと略記)問題が顕在化している。FDs問題とは、自家用車や公共交通機関を利用することが困難な社会的弱者における、生鮮食料品店への近接性の低下がもたらす食料問題である(岩間ほか2009)。日本におけるFDs問題は1990年代後半から地方都市を中心に買い物難民、買い物弱者として発生が報告されている。FDs問題が深刻な問題として認識されてきたのはごく最近になってのことであり、研究報告も多くはなく、衛星都市を事例とした研究は現時点では確認されない。 本研究の目的は、京阪神大都市圏に含まれる衛星都市である兵庫県加古川市を対象にFDs問題の事例研究を行い、同市における高齢者の買い物環境について考察し、FDs問題の解決策について模索することである。同市は、1990年ごろに大型店が次々と出店した地域で、中小規模のスーパーが受けた影響は大きい。また1960年代から1990年代半ばまで衛星都市として急激に人口が増加し、その時期に移り住んだ年齢層が一定であることから、現在急速に高齢化が進んでおり、中小小売業の衰退と高齢化というFDsの条件からも研究対象地域として適している。研究方法は、GISを用いて生鮮食料品店への近接性と高齢者の居住状況からFDsエリアを想定し、聞き取り調査により高齢者の買い物状況や地域特性について調査した。特に買い物難民の条件とされる経済・健康・孤独の3つの視点を重視した。今回は、山陽本線東加古川駅北側のA地区、加古川線厄神駅北西約2kmに位置するB地区の2つの住宅地区に居住する高齢者を対象に聞き取り調査を行った。 本研究によるFDsエリアに居住する高齢者への聞き取り調査の結果、経済・健康・孤独の全ての条件にあてはまる高齢者を見つけ出すことはできなかった。しかしながら、いずれかの条件にあてはまる人は多くみられた。A地区では、5年ほど前に地区の中心にあったスーパーが閉店し、スーパーは住宅団地の周辺部に限られるようになり、身体的に弱っている高齢者の買い物環境は悪化傾向にある。聞き取り調査によると、閉店したスーパーは、生鮮食料品の供給だけでなく、地域のコミュニティの場にもなっていたという。単なる生鮮食料品店の復活のみならずコミュニティの場としての復活を望む声も聞かれた。 B地区では、5年ほど前に地区唯一の食品スーパーが閉店してから2年間FDsの状態であったことが明らかになった。現在では、同じ場所に別のスーパーが出店しているが、住民への聞き取り調査によると経営状態は良くはないという。このままでは以前のようにつぶれてしまうのではないかと懸念する声も多く聞かれた。B地区のようにスーパー経営が難しい地区については、社会福祉サービスとして行政による最低限の生鮮食料品の供給体制整備が必要となっているのかもしれない。 今後高齢化が急速に進むと予想される加古川市においてFDs問題はいっそう深刻化していくものと考えられる。また、高齢化問題は日本全国において共通する傾向であり、今後もさまざまな地域でこういった問題が見られるであろう。FDs問題の根本的な解決のために、今後も様々な地域における研究蓄積が急がれる。 <参考文献> 岩間信之・田中耕市・佐々木緑・駒木伸比古・齋藤幸生2009. 地方都市在住高齢者の「食」を巡る生活環境の悪化とフードデザート問題―茨城県水戸市を事例として―. 人文地理61-(2): 29-45.
著者
大和 広明 浜田 崇 田中 博春 栗林 正俊
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.197-212, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
19
被引用文献数
1

本論文の目的は,長野市を対象にヒートアイランド現象と冷気湖および山風との関係について,土地利用から求めた都市化率と標高に着目して明らかにすることである.寒候期の晴天静穏夜間の100事例を対象に日没時刻を基準とした気温のコンポジット解析をした.日没後2時間半以降に気温が都市部で高く郊外で低い,明瞭なヒートアイランド現象の気温分布が見られた.日没後数時間後には冷気湖も発達し,日出前まで冷気湖の底に明瞭なヒートアイランド現象を伴う気温分布が確認された.長野市中心部では山風が吹いている時に,中立に近い都市境界層が形成されていた.山風による力学的混合により都市境界層が維持されていた可能性が考えられた.また,日没後6時間過ぎ以降は郊外から都市に向かう冷気の流れの存在が示唆され,この流れが冷気湖の底でヒートアイランド現象の強さを若干弱めるものの,ヒートアイランド現象の気温分布を維持していたと考えられた.
著者
日下 博幸 猪狩 浩介 小久保 礼子 佐藤 拓人 ドアン グアン ヴァン
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.180-196, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
58
被引用文献数
1 1

本研究は,商業地,住宅地,緑地という異なる土地利用を1~2 km以内に有する東京都渋谷区を対象に,土地利用や人間活動の違いが気温とWBGTの非一様性の形成に及ぼす影響を観測によって明らかにした.観測結果から,日中では,住宅地の気温が商業地に比べてやや高く,緑地が最も低いことが明らかとなった.夜間は,商業地の気温が最も高く,緑地が最も低かった.また,緑地では夜間に接地逆転層が認められる一方で,商業地では夜間に少なくとも観測範囲内(地上から高度33 mまで)では絶対不安定となっていた.熱画像観測は,昼夜を問わず,商業地と住宅地で同程度の表面温度であることを示した.これらの結果は,商業地の大きな表面積・建物体積・熱容量による大きな熱慣性と人工排熱によると考えられる.この結果は,多層都市キャノピーモデルを用いた数値実験からも支持された.WBGTの場合は,気温とは異なり,商業地と緑地で大きな差はなかった.これは,緑地の高い湿度が原因であることが分かった.
著者
横山 貴史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.116-129, 2019 (Released:2019-03-20)
参考文献数
21

アルギン酸は,褐藻類から作られる安定剤として,食料品生産のみならず様々な工業生産に欠かせない製品である.南米,チリ共和国は,世界のアルギン酸原料海藻類の一大生産地である.本稿は,チリにおける近年のアルギン酸原料海藻類の生産動向を,現地調査をもとにして報告するものである.チリでは,2000年代初頭から,アルギン酸原料海藻類生産の急増がみられた.その要因には,中国国内の養殖コンブの工業用から食用への利用用途の変化を背景とした中国の購買力の高まりがあった.そのため,海藻価格は上昇し,第3州ウアスコ地区では,海藻採取人の所得が上昇した.近年では,海藻採取が行われていなかった地域でも海藻採取が開始されるなど,チリではアルギン酸の原料海藻類の採取が過熱している.
著者
岩間 絹世
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.59-73, 2017 (Released:2017-06-09)
参考文献数
28

兵庫県豊岡市城崎温泉は外湯周辺に集積する小規模宿泊施設が中心であり,これらの宿泊客は近隣府県からの若者や女性が多く,欧米からの外国人観光客も増加している.近年の城崎温泉の活況は2000年代後半から取り組まれた観光まちづくりの成果ともいえる.本研究では近年の城崎温泉の観光事業,宿泊施設,宿泊客の特徴を明らかにし,観光まちづくりを推進するリーダー集団の人間関係に着目した.観光まちづくりは20歳代~40歳代の若手・壮年の男性がリーダー集団となり,観光業以外の職業の住民も参加する点に特色があることが分かった.歴史的にみると,内湯騒動の経験が温泉街全体で栄える「共存共栄の精神」を生み,伝統的祭礼が異年齢でさまざまな職業の人々を結びつけ,若手・壮年に委任する祭礼の仕組みが観光まちづくりも若手・壮年の男性に任せるという地域特性を形成したことが明らかになった.最近では観光事業への女性の参加や周辺地域との協力関係もみられる.
著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.221, 2009 (Released:2009-06-22)

I はじめに 東京大都市圏の中核をなす東京23区では,規制緩和などに伴い,1990年代後半以降,丸の内地区や六本木地区といった都心部において,超高層のオフィスビルの建設などの大規模再開発が進んだ.また,バブル経済崩壊以降の地価の下落に伴って,マンションの建設も盛んになったことで,都心部における人口が大きく増加するなど,「都心回帰」と総称される現象がみられるようになった(宮澤・阿部2005). 本研究の目的は,このような東京23区を対象とした社会地区分析を行なうことによって,現在の社会経済的な都市内部構造を解明することである.東京23区を対象とした同様の研究は,都市社会学や都市地理学の立場からなされてきた(高野1979; 倉沢・浅川2004).本研究では,これらの成果を受け継ぎつつ,直近の小地域統計に基づいた社会地区類型を示し,その空間的なパターンについて検討する.特に,資料の制約から,これまで日本ではあまり検討されてこなかった,都市内部における外国人居住の空間的パターンについて,東京都が独自に集計した国勢調査結果データを用いて若干の考察を加えたい. II 分析手法とデータ 本研究で用いる小地域統計は,2005年の国勢調査結果と,2006年の事業所・企業統計調査結果であり,基本的には東京都が独自に集計・公開している町丁目別のデータを利用する.このデータでは,国籍別の外国人人口や,外国人のいる世帯数など,東京都独自の集計項目が存在しているが,職業大分類別の就業者数など集計されていない項目もあり,これらについては総務省統計局が公開しているデータを利用する. これらのデータから,東京23区内の全町丁目別に,居住者に関する54変数と,事業所に関する44変数を作成し,分析データセットを作成する.この分析データセットに対して,各町丁目の類型化のために,自己組織化マップ(SOM)を適用する(桐村2007).SOMは,ニューラルネットワークの一種であり,適用するデータからのサンプリングを繰り返しながら学習することによって,元のデータの特徴を抽出するアルゴリズムである.このようなSOMは,多次元データの可視化や類型化などに利用され,地理的なデータへの適用も可能である.SOMを本研究の分析データセットに対して適用することで,居住者および事業所に関する各変数間の関係性を可視化するとともに,対象とした各町丁目の類型化が可能となる. III SOMの適用と社会地区類型の分布 SOMを適用し,Ward法によって分類した結果,11類型が得られた(図1).類型の分布や特徴をみる限り,国籍別の外国人比率など,外国人に関する変数によって特に特徴づけられた類型はみられなかったが,都心商業地区ホワイト・グレーカラー類型は東南アジアを除く各国の外国人比率が高く,都心部に位置する繁華街の周辺部に分布する傾向がみられた.また,足立区などの北部に点在する高密度ブルーカラー類型は,東アジアや東南アジア系の外国人比率が高く,母子世帯比率や高齢単身世帯比率,完全失業者率が高いなど,社会経済的な弱者の多い地区であるといえる.他の9類型が示す空間的なパターンや,各変数相互間の関係など,より詳細な検討が必要であるが,紙幅の都合上省略する. IV おわりに 本研究では,2000年代半ばの東京23区の社会経済的な属性の類型化を行なった.特に,外国人に関する変数を利用したことで,東京23区における外国人居住地の空間パターンについて検討できた.類型の分布をみる限りでは,従来から指摘されてきた,大規模オフィスやホワイトカラー層の居住する都心と,周辺に位置する東西のセクターといった基本的な都市構造に対して,外国人に関する変数が大きく寄与しているとは言い難い.しかしながら,国籍ごとに居住地は大きく異なり,他の変数との関係性について検討することによって,外国人居住の空間的パターンの実態が明らかになるものと考えられる. 参考文献 桐村 喬2007.小地域の地理的クラスタリング―外れ値処理と空間的スムージング―.GIS―理論と応用―15: 81-92. 倉沢 進・浅川達人2004『新編東京圏の社会地図1975-90』東京大学出版会. 高野岳彦1979.東京都区部における因子生態研究.東北地理31: 250-259. 宮澤 仁・阿部 隆2005.1990年代後半の東京都心部における人口回復と住民構成の変化―国勢調査小地域集計結果の分析から―.地理学評論78: 893-912.
著者
村上 由佳 渡邊 三津子 古澤 文 遠藤 仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br><br> 2004年新潟県中越地震以降、集落の孤立とそれに伴う情報の途絶が、災害のたびに問題になってきた。2017年九州北部豪雨においても、情報の途絶が発生した。また、近年の災害においては、SNSを介して有益な情報がもたらされる一方で、それらがもたらす混乱も新たな問題として浮かび上がってきた。災害時に必要な情報が必要な場所に届けられるにはどのような対応が必要だろうか。発表者が調査を行ってきた2011年台風12号水害(紀伊半島大水害)を例に検討する。<br><br> 紀伊半島熊野川流域は、国内有数の水害常襲地域として知られている。本発表で対象とする和歌山県新宮市は、熊野川河口に位置する。2011年台風において、土砂災害・浸水・河川氾濫等により、死者13人、行方不明者1人、81棟の全壊及び家屋流出を含む2,968棟の住家被害等があり、局地激甚災害に指定された(和歌山県新宮市、2015)。<br><br> また、紀伊半島大水害時には、新宮市内の高田・相賀・南檜杖地区及び熊野川町地域全域が孤立するとともに、電話の不通、テレビ放送等の利用不能(和歌山県新宮市、2015)、防災行政無線の難聴(新宮市議会災害復興対策特別委員会被災地現地調査部会、2012)など、情報の途絶がおこった。<br><br> 本発表では、新宮市議会会議録や地方新聞(熊野新聞等)から、紀伊半島大水害時における情報の送受信に関する問題点を把握し、その対応と課題を整理する。<br><br> <br><br>2. 紀伊半島大水害時における情報伝達の課題<br><br>2.1. 被災時における情報送受信に関する課題<br><br> 被災時における情報の途絶により、被災者に被災状況が伝わらないことが問題であるが、他方で、例えば新宮市熊野川町西敷屋では、「平成23年には、携帯を含めて電話が一切つながらなかった。消防にも連絡がつかず、亡くなった方を自分たちで運び出した」(渡邊ほか、2015)というように、被災者側から必要な情報が伝達できなかったことも大きな課題といえる。<br><br>2.2. 課題に対する行政の対応<br><br>紀伊半島大水害の後に新宮市は、防災行政無線のデジタル化整備事業を実施し(計画は水害以前から存在)、防災行政無線をデジタル化、個別受信機の配備、防災行政無線難聴時に備え、メール配信サービス等を整備した。全国瞬時警報システムJ-ALARTの運用を開始し、津浪や地震などが発生した場合に、消防庁から人工衛星を通じ、防災行政無線を自動起動させて、緊急情報を伝達する仕組みを整えた(「紀南新聞」2015年3月29日)。このように被災者に情報を伝える対策は進んでいる。<br><br>一方で、被災者が被災情報等を伝達する方法については、課題が多い。防災行政無線をデジタル化することにより、情報の双方化が実現しているが、これは、被災者個人からの連絡手段というよりも、行政間、屋外の放送局と双方向で情報をやりとりするというところに主眼を置いた対応である(新宮市議会平成23年3月 定例会3月9日)。現実問題として、被災者は公的避難所ではなく、自宅の2階や、地形的に一段高いところに立地する隣家に身を寄せたりして難を逃れた。本地域では、高齢化が進んでおり、そうした地域において、遠くの公的避難所に避難することが困難な場合は多く、避難の現状に即した、被災者からの情報伝達手段の検討が必要である。<br><br>2.3. 被災者側から情報を伝えるための方法の整備について<br><br> 新宮市議会において、被災時に徒歩で向かうことが困難な集落から外部への連絡手段として、衛星携帯電話の配備が議論されたことがある(平成26年9月定例会)が、実現はしていない。しかしながら、散在した被災者個人から、情報を適宜適切に伝える手段としても、行政がSNS上の雑多な情報に惑わされずに、正確な情報をつかむという意味でも、衛星携帯電話等を整備することが有効であろう。ただしその場合、設置場所、導入コスト、被災時を想定した訓練や、連絡網等を作成する場合などの、個人情報保護との兼ね合い等が課題となる。<br><br> <br>和歌山県新宮市(2015)『紀伊半島大水害 新宮市記録集』/新宮市議会災害復興対策特別委員会被災地現地調査部会(2012)『水害時の避難行動調査からみるこれからの洪水対策 報告書「防災」から「減災」へ』/渡邊三津子ほか(2015)「水害常襲地域における流域社会の変容と災害対応に関する基礎的研究-新宮市熊野川町西敷屋地区を事例に-」、奈良女子大学地理学・地域環境学研究報告、Ⅷ、111-120頁。
著者
松本 至巨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.202-216, 2001-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
41
被引用文献数
1

本稿は東京中心部の緑地を対象にして地形景観,水文景観,植生景観を調査し,これらの諸要素と形成年代を関連させて緑地の自然的景観の地域的特徴を考察した.各緑地の自然的景観を現地調査した結果,自然斜面や原生樹木が武蔵野台地の斜面に残存していた.一方,低地には人工的に造られた景観がみられた.自然的景観から求めた「自然残存度」は台地で高く,低地で低くなっていた.緑地の形成年代を考察すると,低地における緑地の大部分は関東大震災後や第二次世界大戦後に都市的土地利用を改変したり水域を埋め立てた造成地に新たに造られた公園が多く,緑地内部の自然的景観も人工的に造られたと考えられるものが多数を占めていた・それに対し台地の緑地としては,江戸時代に成立した神社と寺院が卓越しており,長い歴史を持っ自然的景観が残存していた.しかし北部の谷中と南部の三田では,樹林や湧水の有無により自然的景観に差異がみられた.台地に分布する緑地には,自然残存度の高い景観と人工的に造られた自然的景観が混在していた.このように東京中心部における緑地内の景観の地域的特徴は,地形・水文・植生といった自然的景観によって規定されていることが明らかになった.
著者
太田 健一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.117, 2004

1.はじめに大雪山国立公園では,近年の登山ブームによる登山客の増加により,土壌侵食による登山道の荒廃が問題となっている.これまで,後藤(1993),渡辺・深澤(1998),沖(2001)らの研究によって登山道における土壌侵食のメカニズムや,侵食に影響を与える環境因子との関係が解明されてきた.それにより,登山道のきめ細かな維持管理の必要性が議論されるようになった(沖,2001)が,国立公園内全域に渡る登山道の現状把握調査や適切な侵食対策に関する議論はまだ行われていない.そこで本研究では,大雪山国立公園の中でも多くの登山者が利用すると思われる,旭岳,間宮岳,裾合平,沼の平,愛山渓を結ぶ登山道の侵食状況を明らかにし,適切な侵食対策について考察を行った.2.調査地と方法調査地である大雪山国立公園は,北海道の中央に位置し,総面積226,764 haにおよぶ日本最大の国立公園である.調査は2003年8月_から_9月にかけて行った.調査対象地域は,旭岳ロープウェイの終着駅がある姿見を起点として,姿見_-_旭岳山頂_-_裾合平_-_間宮岳山頂_-_沼の平_-_愛山渓を結ぶ登山道約12 _km_とした.この登山道は標高1230 mから2185 mに位置する.この登山道上のほぼ100 mおきにプロットを設置し,各プロットにおいて登山道の両側にアルミアングルを打ち込み,登山道の形状を測量した,測量は,近年,注目を浴びているデジタル写真測量を行った.これは,写真測量の応用で,_丸1_市販のデジタルカメラを用いて被写体を2方向から写しこみ,_丸2_得られたステレオ写真を三次元計測ソフトに入力し三次元座標計算を行い,_丸3_登山道の三次元モデルを作成して断面図を出力し,断面積を求める,という方法である.この測量法は,_丸1_ある区間の侵食量を体積で示せる,_丸2_高い精度が期待できるという利点がある.本研究では,多くの三次元計測ソフトの中でも最も信頼性が高いといわれている倉敷紡績株式会社製の三次元計測システムKuraves-Kを使用した.次に,現地踏査および地形図を用いて登山道が位置する斜面形を谷形斜面,平滑斜面,尾根形斜面の3タイプに区分し,さらに登山道の横断面形をその形態的特徴から平型,ガリー型,谷型,複合型の4タイプに区分した,3.結果と考察 調査の結果,AからHまでの8コース計108地点についてステレオ写真が得られた.それより,Kuraves-Kを用いて各プロットの侵食量を求めた.侵食量は,登山道の両側にあるアルミアングル同士を結んだ線を中心として,登山道の平面図上にアングル幅×1 mの方形区を想定し(図),方形区内における登山道側面の植生と裸地の境界から下の部分の体積を登山道の侵食量として算出した.その侵食量は最大で3453657.4 _cm_<sup>3</sup>(裾合平,D-10),最小で1248.6 _cm_<sup>3</sup>(沼の平,G-10)であった.B,C,Dコース(裾合平_-_間宮岳)において侵食量が大きく,A,Gコース(旭岳,沼の平)において侵食量が小さい傾向が示された.また,コースごとに登山道幅と侵食度合い(侵食量/断面積)を平均し散布図を作成したところ,F,Hコースは登山道幅が狭いにもかかわらず侵食を受ける強度が強く,B,Cコースは登山道幅が広い上にある程度の侵食を受けやすいことが示唆された.これらの登山道には早急な対応策が必要である.
著者
今里 悟之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.7, pp.394-414, 2001-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
63
被引用文献数
1

本稿では,中国四川省成都市近郊の一村落を対象に,解放前から現在における各時期の社会空間体系の変遷,村境(村落領塚)の画定状況,景観変遷の実態とその規定主体・要因を明らかにした.当該地域の基礎社会は,解放前は院子,集団化期は生産隊,改革開放後は生産隊を継承した村民小組であった.散居の基礎単位でもあった院子は,実質的には同族的な小村であった.成都盆地の社会空間体系は歴史的に流動性が特徴であるが,基礎社会レベルでは主に微地形がその境界基準となり,村境は集団化の過程で属人的要素を基礎として画定された.また,景観変化の規定要因は,国家の政治体制変化,区や鎮の政策,人口増加と経済水準上昇であり,景観維持の規定要因は,微地形と民俗思想(風水思想)の存続である.
著者
梅田 克樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

Ⅰ はじめに<br>インドの酪農は、約8,000万戸の零細酪農経営によって支えられ、持続的な農村開発に貢献してきた。その一方、資金力が乏しい零細経営ゆえに、生産性の向上が十分に図られてきたとは言いがたい。低疾病・高乳量牛への改良とその普及が、喫緊の課題になっている。近年は、数十頭の飼養規模を有する商業的酪農も出現し始めている。本発表では、インド酪農に大きな変革をもたらすであろう乳牛改良の進捗と商業的酪農の勃興について、カルナータカ州の現状を報告する。<br> <br>Ⅱ 乳牛改良の意義とその地域性<br>宗教的・文化的理由から食肉消費が少なく、動物性タンパクの摂取源として牛乳・乳製品が担う役割は極めて大きい。そのため、近年の急速な経済成長に伴って、生乳需給の逼迫が恒常化するようになった。<br>生乳需給の逼迫を招いている供給サイドの問題として、①在来牛の低い産乳能力、②高い育成牛死亡率、③低い搾乳牛比率、④長い乾乳期間が挙げられる。乳牛改良の加速化とその成果普及の促進は、こうした諸問題を解決するための特効薬と位置付けられる。第12~13次五カ年計画に対応して策定されたNational Dairy Plan(NDP, 2012~21年度)において、優良種畜の導入と人工授精(AI)技術の普及は、インド酪農が取り組むべき最重点課題に据えられた。2012~16年度におけるNDP予算の48%が、乳牛改良関連の諸事業に充てられている。<br>インドの在来牛(コブ牛)は、牛体が小さく暑さや病気には強いものの、年間乳量は300~600kg程度にとどまる。牛体が大きいヨーロッパ牛は、年間乳量は5,000~10,000kgに達するものの、高温や疾病には弱い。そこで、両者を交配することによって、熱帯性の気候に適応しながら年間1,500~2,000kgの産乳能力を備えた牛(交雑牛)が作り出される。ただし、高温多湿な東インドにおいては、在来牛の選抜による乳牛改良が主流である。水牛が多い北部・西部諸州は、ゼブー種など高乳量在来種水牛の増頭を推進している。交雑種の導入に積極的に取り組み、体型・能力に優れた高能力牛群の構築に成功しているのは、北部の一部州(パンジャブ州など)と南部諸州に限られるのが現状である。<br>最も効果的な乳牛改良の方法は、優秀な種牡牛を選抜・導入することである。1頭の種牡牛によって年間2万回のAI実施が可能になるため、遺伝的能力が高く伝染性疾病のリスクが低い優良種畜を効率的に利用できる。凍結精液は保存性・可搬性に優れるため、遺伝資源を広域的に利用することも可能になる。また、雌牛の発情に合わせたAI実施は、妊娠確率の改善や空胎期間の短縮にも直結する。その一方、広範なAI普及を実現するための人材育成やインフラ整備は遅れがちであり、技術的問題に起因する繁殖成績の不安定化がしばしば生じている。<br>2014年度には、全国50か所の精液生産センターにおいて、年間8,855万本の凍結精液が製造された。総妊娠数の3分の1程度がAIによるものと推定される。さらに、NDP期間中に480頭の種牡牛(受精胚輸入を含む)を輸入するなどして、年間1億本分の精液供給能力を積み増す計画になっている。<br><br>Ⅲ カルナータカ州における乳牛改良と商業的酪農の勃興<br>カルナータカ州は、交雑種の普及が最も進んでいる州の一つである。特に、州都ベンガルールの周辺では、交雑種の比率が顕著に高い。それに対して、相当数の役牛が残存している北部では、在来種の比率が依然として高いままである。<br>州内5か所の精液生産センター(年産計878万本)は、すべてベンガルール市とその周辺に位置している。同市中心部の北西方18kmに位置するヘッサーガッタ村には、連邦政府の管轄下にあるCentral Frozen Semen Production and Training Instituteを含む3か所の精液生産センターと、連邦政府・州政府の畜産研究機関が集中する。ベンガルール市中心部には、National Dairy Research Institute (Southern Regional Station)が置かれている。<br>各精液生産センターや隣接する研究機関群は、酪農新技術の普及拠点になっている。酪農従事者のための宿泊研修施設も完備されており、「商業的酪農」のインキュベーターとして機能している。普及拠点へのアクセスに優れたヘッサーガッタ村周辺は、商業的畜産の集積がみられる。当日の発表では、ベンガルール市内の大手IT企業から転じた新規参入者が、ヨーロッパ式の酪農技術体系をNDRIで学び、ヘッサーガッタの隣村において「商業的酪農」の創設につなげた事例等を報告する予定である。また、CFSPTIにおける凍結精液の製造過程を検証し、対処すべき技術的諸課題についても明らかにしたい。
著者
林紀 代美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.9, pp.491-511, 2001-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37
被引用文献数
1

本研究は,下関漁港・商港において,水産物流通の空間構造を解明することを目的とする.この際水産物輸入取扱を含めて,特に集出荷活動に注目して生産から消費の空間全体を検討する.下関漁港は1970年代以降水揚が減少し,漁港市場の集荷では搬入物が増加した.買受人の活動は周辺地域への分荷供給を行う「地廻り」に中心が移った.集出荷地域は周辺地域を中心にほぼ関東以西に広がる.下関商港では,東アジアを中心に貝類やフグなど特色ある輸入水産物を扱う.中継輸送を介して全国出荷する.活動で中心的役割を果たすのは水産物輸入業者である.しかし結節点に関係業者が集積する漁港の集出荷活動の場合と異なり,彼らは必ずしも下関に所在せず,下関の業者に業務を委託する場合もある.両港の活動は一部相互関係を持っが,両港に関わる流通展開は独立している.下関は特徴の異なる港湾,活動空間を並存する水産物流通の空間構造を形成せざるを得ない.