著者
小池 拓矢 鈴木 祥平 高橋 環太郎 倉田 陽平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100082, 2016 (Released:2016-11-09)

1. はじめに スマートフォンの普及にともない、携帯端末で利用する、実空間と連動したさまざまなサービスが登場している。観光分野においては、位置情報を活用したサービスが観光客の行動に影響を与えるだけでなく、観光振興のツールとしても活用されている。そのなかでも本研究では、世界規模で行われている位置情報を利用したゲーム(以下、位置ゲーム)に着目した。 世界規模で行われている位置ゲームの例として、現実空間で宝探しを行う「ジオキャッシング」がある。ある参加者が設置した宝箱を他の参加者がスマートフォンやGPS受信機を片手に探し回るものであり、2016年7月現在、世界には約290万個の宝箱が存在している。また、Niantic Labsが開発・運営する「Ingress」は全世界規模で行われる陣取りゲームであり、この位置ゲームを介して企業のプロモーションや自治体の観光振興が行われている例もある。そして2016年7月、位置ゲームにAR(Augmented Reality: 拡張現実)と人気キャラクター「ポケモン」の要素を加えたアプリゲームである「Pokemon GO」が全世界で順次配信された。このゲームの最大の特徴はスマートフォンのカメラ越しの風景に、ポケモンがあたかも現実空間に存在するかのように出現することである。配信直後からPokemon GOで遊んでいる写真などがSNSに数多くアップされ、メディアでは社会現象として連日このゲームの話題が取り扱われた。 倉田(2012)はジオキャッシングやスタンプラリーのようなフィールドゲームを観光地が実施する意義について、以下の5点を挙げている。 地域の有する観光資源を認知してもらう機会が増える観光資源に付加価値を与えることができる観光客の再訪が期待できる滞在時間の増加が期待できる旅行者が地元の人と言葉を交わすきっかけを生み出せるかもしれない つまり、本来は目を向けられることもないスポットに人々を誘引する可能性を位置ゲームは含んでいる。本研究の目的は、Twitterの位置情報付きツイートをもとに、Pokemon GOの観光利用の可能性について基礎的な知見を得ることである。 2. 研究方法 Pokémon GOの配信がアメリカなどで始まった2016年7月6日以降、Twitterの投稿内容に「Pokemon GO」の文字列が含まれる位置情報付きツイートを、TwitterAPIを用いて収集した。そして、ツイートが行われた位置やその内容について整理し、分析を行った。日本では7月22日に配信が始まっており、「ポケモンGO」の文字列を含むツイートについても分析の対象とした。  3. 研究結果 日本でPokemon GOの配信が開始された7月22日(金)から24日(日)までに日本国内で投稿された位置情報付きツイートのうち、上記の条件を満たすものの分布に関する図を作成した。これによると、Pokemon GOに関するツイートの投稿地点は全国に広がって分布していることがわかった。
著者
髙井 寿文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.研究の目的<br></b>2006年の総務省『地域における多文化共生推進プラン』により,外国籍住民に対する防災情報の提供が推奨されている.多くの自治体で外国籍住民向けのハザードマップが作成されてきたものの,地名を多言語で表記しただけの地図で彼らが読図できるのか疑問である.そこで本研究では,外国籍住民の事例として日系ブラジル人を対象とした読図実験を行った.そして,彼らにとって分かりやすいハザードマップの地図表現について考える.<br><b>2.研究の方法</b><br>1)調査対象者<br>名古屋市港区の九番団地に居住する日系ブラジル人10名(男性5名,女性5名)を対象とした.調査を実施した2006年2月~2007年1月時点での年齢は20~60歳代,在日年数は1~8年間であり,多くは自動車関連工場で働く労働者である.<br>2)使用した地図<br>ハザードマップの基図の1つに用いられる都市計画基本図(平成12年度版)を用いた.個々の建物の家形枠が表示されているため,地図上で自宅を定位できる.都市計画基本図をベースに要素を追加し,表現の異なる3種類の地図を作成した.いずれも大きさはA2版で,縮尺は2万6千818分の1である.3種類の地図に表記した要素の内容は,それぞれ以下の通りである. 地図A:区の境界線. 地図B:地図Aの要素に加えて,学区の境界線,学区名,鉄道線路,鉄道駅,路線名,駅名. 地図C:地図Aと地図Bの要素に加えて,コンビニエンスストア,ガソリンスタンド,スーパーマーケットのロゴマーク.信号機,国道番号. 地図Bは,現行のハザードマップに合わせた地図表現である.地図Cで追加した要素は,髙井(2004)で明らかにされた,日系ブラジル人がナヴィゲーションの際に用いるランドマークの特徴に基づいている.<br>3)実験の手続き<br>調査対象者の自宅である九番団地と,彼らにとって身近な施設である港区役所および協立総合病院の位置をたずねた.地図A,地図B,地図Cの順番で提示し,九番団地に続けて港区役所と協立総合病院の位置を探し出してもらった.このとき読図しながら頭の中で考えたり思ったりしたことを,意識的に発話してもらった. 地図の紙面全体が収まる画角で8mmビデオカメラを設定し,調査対象者10名の読図の過程を録画した.読図中の発話プロトコルでは,彼らが手がかりとして用いた地図の要素に着目し,地名やサインの時系列での出現のしかたを検討した.また,録画した映像には調査対象者の地図上での手の動きが記録されている.この動作は定量的に把握できないものの,指示した場所は読図中の手がかりとして扱った.<br><b></b><b>3.分析結果</b><br>1)定位した位置の正誤<br>地図Aでは,全ての調査対象者が九番団地を定位できなかった.団地を示す家形枠に類似している工場や倉庫を間違えて定位した者が多かった.地図Bでは,大きく離れて定位した者は減少した.それに対して,地図Cでは10名中8名が正確に定位できた.定位した九番団地の位置と本来の位置との距離のずれは,地図Aで最も大きく,次いで地図B,Cの順に小さくなった.地図Bでは大体の位置に定位できたものの,地図Cの方が,より正しく定位しやすくなることが分かった.一方,地図Cで港区役所または協立総合病院を定位する課題では,いずれも正しく定位できた者は少なかった.<br>2)発話プロトコルの内容と読図中に指示した場所<br>地図Aでは,名古屋港や幹線道路を発話しながら探し出そうとしたが,地図上で指示した場所は,そのほとんどが間違っていた.地図Bでは,最初に名古屋港駅を見つけた後に,地下鉄の線路をたどりながら,次々に駅名の注記や幹線道路を指示した.地図Cでは,全員が九番団地の向かい側にある『サークルK』を発話しながら指示した.この『サークルK』が,九番団地の定位を容易にするサインであることがわかった. しかし,同じコンビニエンスストアのロゴマークがたくさん表記されているために,かえって定位するのに混同した者もいた.このことは,ランドマークを機械的に表記すれば良い訳ではないことを示唆している. 以上の分析から,日系ブラジル人にとって自宅を定位しやすいハザードマップの地図表現が明らかとなった.適切なランドマークを現行のハザードマップに加えると,読図の精度が飛躍的に向上する.たとえばコンビニエンスストアのロゴマークのような絵記号を表記した地図表現が効果的である.<br><b>参考文献</b><br>髙井寿文2004.日本の都市空間における日系ブラジル人の空間認知.地理学評論77(8):523-543.
著者
川添 航 坂本 優紀 喜馬 佳也乃 佐藤 壮太 松井 圭介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br>近年,アニメーションや映画,漫画などを資源とした観光現象であるコンテンツ・ツーリズムの隆盛が指摘されている.本研究は,コンテンツ・ツーリズムの成立による来訪者の変容に伴い,観光現象や観光地における施設や関連団体,行政などの各アクターにどのような変化が生じたかという点に着目する.研究対象地域とした茨城県大洗町は県中央部に位置しており,大洗サンビーチ海水浴場やアクアワールド茨城県大洗水族館などを有する県内でも有数の海浜観光地である(第1 図).また2012 年以降はアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として商店街を中心に町内に多くのファンが訪れるなど,新たな観光現象が生じている地域でもある(石坂ほか 2016).本研究においては,大洗におけるコンテンツ・ツーリズムの成立が各アクターにどのように影響したかについて整理し,観光地域がどのように変化してきたか考察することを目的とする.<br><br>2.対象地域<br>調査対象地域である大洗町は,江戸時代より多くの人々が潮湯治に訪れる観光地であった.その観光地としての機能は明治期以降も存続しており,戦前期においてすでに海水浴場が開設されるなど, 豊かな自然環境を活かした海浜観光地として栄えてきた.戦後・高度経済成長期以降も当地域における観光業は,各観光施設の整備や常磐道,北関東道,鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の開通などを通じ強化されていった.しかし,2011 年に発生した東日本大震災は当地にも大きな被害をもたらし,基幹産業である観光業や漁業,住民の生活にも深刻な影響を与えた.大洗町における観光収入は震災以前の4 割程度まで落ち込む事になり,商工会などを中心に地域住民による観光業の立て直しが模索されることになった.<br><br>3.大洗町における観光空間の変容<br>2012 年放映のアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として地域が取り上げられたことにより,大洗町には多くのファンが観光者として訪れるようになった.当初は各アクターにおける対応はまちまちであったが,多くの訪問客が訪れるにつれて様々な方策がとられている.大洗町商工会は当初からキャラクターパネルの設置や町内でのスタンプラリーの実施など,積極的にコンテンツを地域の資源として取り入れれ,商店街などに多くのファンを来訪者として呼び込むことに成功した.また,海楽フェスタや大洗あんこう祭りなどそれまで町内で行われていたイベントにおいてもコンテンツが取り入れられるようになり,同様に多くの来訪者が訪れるようになった.これらコンテンツを取り入れたことにより,以前は観光地として認識され<br>ていなかった商店街や大洗鹿島線大洗駅などにも多くの観光者が訪問するようになった.宿泊業においても,アニメ放映以前までは家族連れや団体客が宿泊者の中心であったが,放映以降は1人客の割合が大きく増加するなどの変化が生じた.
著者
池口 明子 岡本 耕平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.48-58, 2013 (Released:2013-04-19)
参考文献数
21
被引用文献数
1

本稿は,海外フィールドワークによる地理的知の還元の1つのモデルとして,大学地理学教育への還元を提案し,その課題をラオスにおける実践例に基づき検討した.市場経済化にともなう土地利用計画の変化や観光化を受けて,ラオス国立大学ではGIS(地理情報システム)や地誌教育のニーズが高まっている.GIS教育への還元において筆者らは,単にコンピューターの操作や地図情報の提供ではなく,地図を作成するプロセスを重視し,ラオス農村で自ら用いたGPSによるデータ作成法を教員らと実践した.地誌教育においてはフィールドワークの成果に合わせて日本の農山漁村の問題も提示するなどの工夫により,調査する側とされる側の双方の研究教育機関による地理的知の創造を目指す必要がある.
著者
板倉 悠里子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.96, 2010 (Released:2010-11-22)

I はじめに 文学作品を扱った地理学的研究は,作品のジャンルや分析の視点において多岐に渡っている.その中で,複数の作家の作品群を使用した場所のイメージ研究では,文学作品の記述のみを分析の対象としたものが多く,作品に多大な影響を与えると想定される作家の経験はほとんど対象とされてこなかった.また,作家の経験を元にしたイメージの研究では,特定の作家のみが扱われ,複数の作家において,場所の経験の違いによるイメージの差違は明らかにされてこなかった. そこで本研究では京都を舞台とした文学作品を事例に,作品を書いた作家の場所の経験,特に京都での居住経験により,文学作品に出現する場所の分布や出現数,出現した場所の傾向,その場所に対して付与されたイメージに差異があるのかを明らかにする.また,作品全体において京都のどのような部分が認識されているのかを明らかにし,作品の舞台としての「京都」の特性を考察する. II 研究方法 研究対象地域は京都府京都市とし,研究の対象となる作品は,京都を舞台にした文学作品を紹介している書籍から,主に近現代(明治~昭和)の文学作品を抽出し決定した.それらの作品中に現れた場所とそのイメージを表す語の抽出を行い,場所の出現数や分布状況から,出現した場所の傾向,イメージを表す語の構成に関して特徴を分析した.その際,分析の視点として作家の京都での居住経験を主な視点とし,作家を類型I:京都で生まれ育つ,類型II:京都に一時的に住む,類型III:京都に住んだことはない,という3類型に分け分析を行った.また,作品を総合して京都のどのような部分が作品中に現れたのか,その分布の特徴や出現した場所の傾向から作品の舞台としての京都の特性を考察した. III 結果・考察 場所の出現数に関しては作家類型による差違が見られなかった.場所の分布状況に関しては作者の場所の経験による特徴も見られるが,同時に作品の内容に依るところも大きく,居住経験による明確な差違はないと考えられる.場所の表記の仕方や出現した場所に関して,類型Iの作家は通り名での表記が多く,観光地ではない場所を出現させる傾向がある.対して類型IIIの作家は地点名での表記が多く,観光地を多く出現させる傾向がある.類型IIの作家は類型Iと類型IIIの中間的な特徴を有している. 場所のイメージに関しては,類型Iでは場所のイメージが地物で構成されていることが多く,その場所がどのような雰囲気か,その場所をどのように感じたかということがあまり含まれない.それに比べ,類型IIIではその場所の雰囲気や,場所に対して感じたことでイメージが構成されている.類型IIではイメージを構成するものとして比較的地物が多いが,その場所の雰囲気や感想も含まれており,類型IとIIIの中間的な存在であると言える. 以上のことから,場所の認識やイメージには,京都に対して「内部者」であるか「外部者」であるか,つまり京都をどのように経験しているかという違いが大きく影響していると考えられる.類型Iの作家は京都で生まれ育った「内部者」であり,彼らにとって周りにある風景は当然の物であるため,場所への意識は希薄となる.そのため,場所のイメージはその場所を認識するためのもの,すなわちその場所を構成する要素が主となる.一方で類型IIIの作家は京都に居住したことがない「外部者」であり,場所に対する意識は高い.そのため,場所のイメージは自身がその場所で実際に経験した感情が主となる.類型IIの作家は両者の中間的な存在であると言えるが,類型内で居住経験の仕方によって「内部者」よりの視点と「外部者」よりの視点に別れる. また,作品全体において,京都として意識されている場所は京都駅よりも北側,特に四条河原町を中心とした繁華街の地域や,嵐山に代表される観光地,寺社仏閣,そして山や川が多い.ここから,文学作品で表された京都の特性には、以下の3つがあげられる.(1)生活の場としてではなく観光や遊びのための場,すなわち「娯楽の場」としての特性.(2)「寺社仏閣の街」という特性.(3)「盆地地形」「河川」という地形的・自然的な特性.これらの特性は,京都に対して人々が持つイメージの形成にも大きく関わっていると考えられる.
著者
品田 光春
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.251, 2008 (Released:2008-07-19)

1.問題の所在 本報告では、明治前期における鉱業政策の前提となる政府による各種鉱業資源に関する空間認識について、国内の石油資源を事例に検討する。近世以前からの長い伝統を有する金属鉱業や、近世末期から燃料として注目されていた石炭鉱業に比して、石油業は灯油輸入の増加を背景に、近代になってはじめて産業としての重要性が認識された。そのため、中央政府にとっては未知の鉱業であったといっても過言ではない。この未知の鉱業資源である石油産地としての油田に関する地質・地理的な国土情報を、いかに公権力たる政府が認識したかを、複数の公的な油田調査・視察報告書の記載内容から読み解いていく。 2.資料と分析方法 今回の報告は明治30年代の地質調査所による継続的な油田調査事業以前の、明治前期における主要な国内油田調査として、大鳥圭介、ライマン、地質調査所(中島謙造)の3者の報告書の内容を相互に比較し検討する。主として用いた資料は、大鳥圭介については『信越羽巡歴報告』(1875年)を、ライマンについては『日本油田地質測量書』(1877年)、『日本油田調査第二年報』(1878年)、『北海道地質総論』(1878年)を、地質調査所(中島謙造)については『本邦石油産地調査報文』(1896年)である。 3.大鳥圭介の油田視察 旧幕臣の大鳥圭介は、欧米視察で得た知見から石炭・鉄と並んで石油業の重要性を認識しており、新潟・長野の「くそうず」の将来の開発を期待し、内務省勧業寮出仕中に、新潟・長野・山形の石油・石炭産地を視察し、地質学の視点を踏まえた科学的視点から、当時の石油産地の地質・地形・生産状況について大久保利通に報告した。大鳥は「鑿井の業も越後を先にして次に信濃に及を順とす」として、新潟県を主力産地として優先的に開発すべきと認識していた。これら大鳥の知見が後の官営石油事業やライマンの地質調査事業の方向性を空間的に規定した可能性が高い。 4.ライマンの油田調査 大鳥とも密接な関係にあったライマンは「お雇い外国人」として開拓使での北海道地質調査を経て、1876年から内務省勧業寮(1877年廃止、以後工部省工作局)へ所属し、新潟県を中心に日本初の本格的な広域地質調査を実施した。ライマンにより日本のおおまかな油田地帯の地理的分布(北海道・東北日本海側・新潟・長野・静岡)と含油層(第三期)が提示され、民間鉱業者にとっても借区設定など後の油田開発の大きな指針となった。また地質図作成や地質調査の人材育成にも大きく貢献した。特に地質図の作成は国土空間情報の可視化という点で、大きな意義がある。結局ライマンの油田調査は諸般の事情で未完に終わるが、得られた知見は大久保利通・伊藤博文・大隈重信などの政治家に伝達され、政府の国内石油資源に関する空間認識に影響を与えたと思われる。なお、ライマンは結果的に国内油田開発をあまり有望視しなかったが、政府としては1882年に設立された地質調査所において油田調査を行っていることからわかるように、国内油田開発の可能性を積極的に模索していたと思われる。 5.地質調査所(中島謙造)の油田調査 1893年に地質調査所の地質課長に就任した中島謙造は、日本人による初の本格的な石油地質調査を行い、地質図整備事業に関連して得られた全国(新潟を中心に、北海道・東北・静岡・長野・和歌山・山陰)の産油地の情報を集大成した。これはライマンの調査を補完し、民間石油鉱業者の開発の指針としての情報提供を意図したものである。 6.まとめ 大鳥やライマンらが指摘したように、実際に明治期の石油業の鉱業空間は新潟県を中心に形成されていき、短期間に原油生産も大幅に増加していった。大鳥・ライマン・地質調査所らの地質調査事業は、地理・地質情報の提示という点で、初期の国内石油業界の発展に貢献した。そして、政府の国土空間に対する認識の中でも、国内石油資源への関心はしだいに高まっていくのである。
著者
栗林 賢
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.463-472, 2018 (Released:2018-10-04)
参考文献数
9

近年,廃棄されるはずの食品を企業などから収集し,食品の支援を必要とする生活困窮者などに再分配するフードバンク団体の活動が活発になってきている.しかし,地方に立地する団体の多くは東京に立地するセカンドハーベスト・ジャパン(以下,2HJ)からの食品の転送によって活動を維持できている状況にある.そこで本研究では,2HJからの転送を受けてこなかったフードバンク団体がどのようにして食品調達先を確保し,活動を維持してきたのかを,東京から遠距離にある北海道に立地するフードバンク団体を事例に明らかにした.その結果,事例としたフードバンク団体の中でも,活動を開始する以前から近接する他団体との繋がりを有していた団体は,活動初期から食品提供を受けたり,調達先を紹介してもらっていた.一方で,他団体との繋がりを有していなかった事例でも,調達方法の工夫や活動の周知によって食品調達先を確保し,活動を維持できていることもわかった.
著者
喜馬 佳也乃 猪股 泰広 曽 斌丹 岡田 浩平 加藤 ゆかり 松村 健太郎 山本 純 劉 博文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

本研究で対象とする筑波山は,茨城県つくば市と桜川市との市境に位置する山であり,日本百名山の一つに選定されている.筑波山は二つの嶺を有し,西側の標高871mの嶺が男体山,東側の標高877mの嶺が女体山と称される.南の山麓には男体山と女体山とをご神体とする筑波山神社が鎮座し,門前町が形成されている.本研究では筑波山における来訪者の特性や交通媒体の変化に伴う筑波山門前町の観光空間としての性格の変容とその過程を明らかにした.<br> 筑波山は古代から文献に登場しており,万葉集には歌垣の地として紹介されている.古くから人々に親しまれる筑波山には筑波山神社が古代,知足院中禅寺が781年には建立された.しかし,中世には神仏習合が進んだ.江戸時代には,都の鬼門を守護する山として幕府の保護を受け,中禅寺の南方に門前町が整備された.それによって旅籠や遊女屋,茶屋や土産物屋が集積し,現在まで続く門前町が形成されることとなる.明治時代に入ると,廃仏毀釈によって中禅寺が取り壊され,中禅寺本堂跡地に現在の筑波山神社拝殿が造営された.これにより中禅寺の門前町であった地域が筑波山神社の門前町となった.<br> 門前町は明治時代に一時衰退するも,東京と水戸や土浦とを結ぶ鉄道が整備される中で,再び賑いをみせた.1925年にはケーブルカー,1966年にはロープウェイが設置され容易に登頂できるようになった.また1914年から1987年まで運営していた土浦と筑波山を結ぶ筑波鉄道,1965年に完成した筑波スカイライン,2005年に開通したつくばエクスプレスのように道路や鉄道の整備が行われ筑波山域内および筑波山への交通の利便性が向上した.<br> 筑波山は都心から70 kmという立地もあり,戦前は宿泊を伴う参拝客や,講組織のような団体客が多かった.それが戦後になると,道路交通網の発達や自動車の普及により,バスを利用した団体ツアー客や自家用車による個人客が増加した.しかし,この頃には日光を代表とする関東圏の他の観光目的地へのマスツーリズム形態が進展したことにより,筑波山の観光地域としての相対的地位が低下した.モータリゼーションの進展は,旅館から土産物屋に転向する店舗をもたらしたとともに,筑波鉄道などの公共交通の衰退に繋がり,筑波山門前町の観光地域としての地位をさらに低下させた.<br> 観光地として低迷していた筑波山門前町に新風をもたらしたのが2005年のつくばエクスプレス開通と近年の登山ブームの到来である.2001年に開湯した筑波山温泉も,多くの登山者に利用されている.しかし,登山ブームによって創出された来訪者は交通の結節点となる門前町に食事等で滞在することが少なく,観光地内での門前町の実質的な中心性はそれほど上昇していない.<br> このように門前町では登山ブームにより創出された来訪者を十分に取り込めていない.その背景には,門前町の観光関連施設経営者の高齢化といった地域内部の課題も少なからず関係している.しかし,門前町の活性化には筑波山神社を主目的とする来訪者の存在も必要であり,その意味では御朱印帳などの新たな取り組みは注目される.<br>
著者
多田 忠義
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.347-358, 2018 (Released:2018-06-12)
参考文献数
5
被引用文献数
1
著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.164-185, 2016-09-30 (Released:2016-10-11)
参考文献数
60

本稿の目的は,EUおよびドイツにおける文化創造産業(以下,KKW)政策の策定経緯を注視しつつ,特に5州(N=W,ハンブルク,ブレーメン,ベルリン,ザクセン)のKKW産業構造と空間的特性をみることにより,ドイツのKKW政策の特徴を検討することにある.ドイツにおけるKKWは,経済危機時の経済的安定性や,欧州文化首都等,創造都市への国際的機運の高まりを背景に新しい産業としての認識が高まった.ドイツのKKW政策は,特に都市空間との関連性が顕著であり,都市経済および都市構造への影響と多分に関わると推測される.
著者
浦山 佳恵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

1.研究の背景と目的<br> 近年、生物多様性が人の暮らしにもたらす自然の恵みを&ldquo;生態系サービス&rdquo;とし、その変化を評価する試みがなされている。衣食住や信仰などの文化多様性は、生態系サービスのうち&ldquo;文化的サービス&rdquo;に含まれ、各地の生態系を維持し、人の社会・精神生活を支える礎にもなっているとされる。また、グローバル化が進むなか地域の魅力を高める資産になる、災害などからの回復力(レジリアンス)の源にもなりうる等の指摘もある。しかし、これまで文化多様性の変化について、地域レベルでの解明はあまり進んでいない。<br> 長野県は多様な自然環境を擁し食文化や行事等伝統文化にも多様性がみられるが、近年生物多様性の減少が指摘され、文化多様性へも影響が懸念される。市町村誌類から明治期~昭和30年頃の野生生物を用いた伝統行事について調べたところ、盆行事は野生生物利用の地域的多様性が顕著で、現在県版レッドリスト掲載種となっているキキョウをはじめ盆花の山野からの採取が広く行われていた。<br> そこで本研究では、長野県の文化多様性に生物多様性の減少が与えた影響を把握することを目的に、盆行事の多様性の変化とその要因を明らかにすることを試みた。<br><br> 2.研究方法<br> 文献調査により、盆行事の歴史や長野県における多様性について整理した。次いで、盆行事により区分された県下7地域ごとに1市町村選定し、4~6名の住民に集まってもらい、(1)昭和30年以降の盆行事の変化とその要因に関する聞取りと(2)昭和30年代の盆棚の復元を行った。調査にあたり、長野県で食文化による地域づくりに取組む池田玲子氏に各地域の調査協力者を紹介頂き、調査協力者を通して調査地や話者を選定した。特色ある行事として、諏訪地域の新盆の高灯籠建て、下伊那の念仏踊り等についても現地調査を行った。<br><br>3.盆行事の歴史と長野県における多様性<br> 盆行事の起源は定かでないが、中国で成立した「仏説盂蘭盆経」に基づく寺院での仏教行事が、7世紀には伝来し貴族社会で行われ、鎌倉時代末に家で祖先に食物を供える日となったとされる。各地の盆行事の伝承には固有の祖先祭りの性格が伝えられているともいわれる。伝統的な盆行事は、墓掃除、盆花採り、迎え盆(盆棚作り、迎え火)、送り盆(供物を川等に流す、送り火)、新盆・その他から構成され、地域により多様であった。迎え火と送り火により先祖を送迎するが、盆花採りによって盆花を依代に先祖を迎える、供物を川に流すことで先祖を送るとも考えられていた。長野県でも盆行事は多様で、上記の構成要素によって県下は7地域に区分された。<br><br>4.盆行事の変化とその要因<br> 昭和30年代には各地で身近な野生生物を利用した個性豊かな盆棚が作られていたが、昭和40年以降盆棚の多様性は減少していた。また、キキョウなどの盆花は栽培・購入されたものに変化し、アメリカリンドウやアスターなども用いられていた。その要因としては、勤めを中心とした生活様式への変化、盆花や盆ござ等の栽培・購入化、家の建て替え、高齢化等の社会的要因の他に、盆花や盆ござ等に用いられた野生生物の消失といった自然的要因が聞かれた。しかし、その自然的要因も、圃場整備や薪炭林の利用放棄・農地開発、畑の利用放棄など社会的要因によるものであったことも聞かれた。<br> 送り火と迎え火に用いる燃料の多様性も燃料の購入化により減少していた。供物を川に流すことはほとんどの地域で生活改善事業によって禁止され、供物は個々で処分されていた。諏訪地域の高灯籠建てはかつて新盆の家と親族が山からアカマツ等を伐り出し行っていたが、技術の継承が困難等の理由により行う家が減少していた。<br><br>5.おわりに<br> 長い歴史を持つ盆行事は、先祖を迎えることで故人と残された者、家族、親族、さらには地域住民が繋がりを深める行事であるが、行事を通して人々は山野やそこに生育する野生生物とも密接な関わりを築いてきた。しかし調査からは、社会環境の変化により、行事による自然環境との関わりは減少し、盆行事の多様性も減少している様子が伺えた。一方で、地域の文化を継承しながら生物多様性を保全する取組みは、里山等二次的自然の保全に役立ち、多くの地域住民の参加が得られる可能性がある点で重要である。今後さらに研究を進め、盆行事を地域の資源として再生し、キキョウ等の草原に生育する野生生物を保全する取組みに繋げていきたい。<br><br><br><br><br><br>
著者
武者 忠彦 箸本 健二 菊池 慶之 久木元 美琴 駒木 伸比古 佐藤 正志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000278, 2018 (Released:2018-06-27)

中心市街地再生論の転換低未利用不動産の増加を実態とする地方都市中心市街地の空洞化に対しては,商業振興や都市基盤整備の名目で,これまでも夥しい額の公共投資がなされてきたが,その成果はきわめて限定的であった.こうした現状に対して,近年は中心市街地再生をめぐる政策を批判的に検討し,空洞化を是認する論調も強まっているが,政府は2014年に策定した「国土のグランドデザイン2050」において「コンパクト+ネットワーク」モデルを提示しているように,人口減少や財政難,低炭素化を背景としたコンパクトシティの文脈から,中心市街地再生の立場を継続している.もっとも,政府が掲げるコンパクトシティ政策は,土地利用と施設立地の効率化を追求した中心市街地への機能と人口の〈再配置論〉であり,どうすればそのような配置が可能になるのか,そのような配置にして生業や生活が成り立つのか,そこで望ましい社会や経済が形成されるのか,といった議論は各地方都市の「マネジメント」に丸投げされているといってよい.都市マネジメントの可能性:事例報告からの示唆では,地方都市にはどのようなマネジメントの可能性があるのか.これまでの中央主導による補助事業に依存した開発志向型の再生手法が,ほとんど成果を生み出せず,もはや依存すべき財源もないという二重の意味で使えない以上,基礎自治体や民間組織のようなローカルな主体が中心市街地という場所の特性を見極め,未利用不動産を利活用して戦略的に場所の価値を高めることが不可欠となる.その際には,高齢化,人口流出,共働き世帯の増加,公共交通網の縮小など,地方都市固有の文脈をふまえることも必要である.本シンポジウムで報告する未利用不動産の活用事例からは,以下の2つの可能性が示唆される.第1に,PPP/PFIや不動産証券化などの市場原理を導入して介護施設や商業施設を開発した事例のように,「低未利用状態でも中心市街地であれば新たな投資スキームを導入することで価値が見出される」という可能性である(菊池報告,佐藤報告).第2に,都市的環境にありながら相対的に地代の安い未利用不動産では,リノベーションによって新規参入者の経営が成立し,賑わいが生まれ,そこに新しい社会関係が構築されるというように,「中心市街地で低未利用状態だからこそ価値が生まれる」という可能性である(久木元報告,武者報告).とはいえ,これによってすべての地方都市が再生にむけて動き出すわけではない.各都市の立地や人口のポテンシャルを考慮すれば,どこかに〈閾値〉はあるはずであり,選択可能な戦略も異なってくる(箸本報告,駒木報告).未利用不動産の利活用と新しい幸福論本シンポジウムで議論する未利用不動産を切り口とした中心市街地再生論は,同じ再生を目的としながらも,かつてのような国の補助事業に従って計画されたエリア包括的な再生論とは異なる.未利用不動産を利活用を通じて,それぞれの主体が中心市街地という場所の特性をあらためて構想し,商業やオフィスの機能に限らず,居住,福祉,子育てなどの機能を取り込みながら,周辺エリアの価値を高めていく.それは単なる商業振興でもなく,都市基盤整備でもない,個別物件の再生から戦略的に考える都市マネジメントの視点である.こうして再構築される中心市街地での生活風景が,かつての百貨店や商店街が提供した「ハレの場」や郊外における「庭付き一戸建て」に代わる幸福論となり得るのか,コンパクトシティの成否はこの点にかかっているように思われる.
著者
谷岡 能史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1 はじめに<br>「御用部屋日記」(以下「日記」とする.)は,兵庫県豊岡市にあった出石藩の公式記録である.日記のうち1815年(文化12)~1869年(明治2)の664冊は現存し,豊岡市立図書館のホームページで閲覧できる.今回の発表はここから天候記録を抽出した結果である.<br><br>2 集計方法<br> 今回の発表では,日記において各日の記載の冒頭にある天候に関する記載を集計した.<br>「雨」「小雨」「大雪」などが記され,降水があったと考えられる日の数を降水日数,そうでない日(天候に関する記載がない日を除く.)の数を無降水日数として集計した.<br>また,降水日数のうち,「雪」「小雪」などの記載がある日の数を雪日数,「雨」を雨日数,雨と雪の両方が記載されている日をみぞれ日数とした.「霰」(あられ)と判読できた日もあり,便宜上「みぞれ」として集計したが,「霧」と見分けがつきにくかった.<br><br>3 集計結果<br> 1815~1869年について集計したところ,降水日数は2774,無降水日数は5543,判読不能の日数が39であった.図1はこれを月ごとに示したもので,12~2月に降水日数が多く,5月と8月は少なかった.<br> 時系列でみると,天候記録は1810年代後半と1850年代に多く,1820年代後半と1860年代は少なかった. <br> 冬(前年12月~2月)について,図2に示した中で降雪率が最も高かったのは1845/46年で,1月26日(和暦では弘化2年12月29日)には積雪が5尺に達したという.また,積雪7尺の記載がある1849/50年冬も降雪率が高かった.<br> 7月の降水率について,図3に示した中では1823年・1853年・1861年が0.10を下回った.このうち,1823年は「因府年表」(鳥取)等にも干ばつが記載されていた.逆に,1840年は日記において降水率が0.44と高かったが,「因府年表」には干ばつの記載もあった。しかし,日記で降水率が高いのは7月前半であり,「因府年表」においても7月13日(和暦6月15日)までは雨が多かったと記され,両者はこの点で整合的であった.<br> また,1850年10月8日(嘉永3年9月3日)には北東風を伴った水害の様子が書かれ,他地域との比較による台風進路の推定にも役立つと期待される.
著者
畠山 輝雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.476-488, 2016 (Released:2017-03-29)
参考文献数
22
被引用文献数
2

本稿は,徳島県三好市三野地区太刀野山地域を事例に,過疎地域における集落維持を目的とした廃校利活用事業の可能性と,同事業が地域住民へ及ぼす影響について明らかにした.太刀野山地域の廃校利活用事業は,域外からの社会的企業が三好市の休廃校等利活用事業を活用し,介護保険事業の地域密着型通所介護や地域支援事業(介護予防)を核としたコミュニティビジネスを実施している.同事業の結果,利用者の活動増加や健康増進がはかれただけでなく,太刀野山地域の住民の集落維持意識が向上した.このように,同事業は公民連携の「新しい公共」による地域づくりとしての事例だけでなく,近年過疎地域の地域づくりのあり方として議論されている「ネオ内発的発展論」の事例として,研究蓄積に寄与できると考える.
著者
杉本 興運
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.246-260, 2017 (Released:2017-12-16)
参考文献数
18

本研究では,シンガポールが大きな観光発展を遂げ,外国人訪問客の多く訪れる国際観光拠点となった過程を,観光やMICEに関する政策や資源・施設開発の側面から明らかにする.シンガポールにおける現在までの観光産業の成功の背景には,地理的・言語的優位性を活かしながら,政府主導による観光立国への積極的な取組みを継続してきたことがある.独立当初には,観光振興は外貨獲得や雇用創出のための手段であったが,2010年以降のMICEの発展や統合型リゾートの成功にみられるように,現在では国家の国際競争力を高める手段としても重要な役割をもつようになった.特に,最近の中心地区における話題性の高い大規模な観光・MICE施設開発が,拠点機能の向上に大きく寄与している.
著者
高根 雄也 近藤 裕昭 日下 博幸 片木 仁 永淵 修 中澤 暦 兼保 直樹 宮上 佳弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100126, 2016 (Released:2016-11-09)

本研究では、地表面からの非断熱加熱を伴うハイブリッドタイプのフェーンが、風下末端地域の高温の発生に寄与しているという仮説を、3つの異なる手法・視点:独自観測・数値シミュレーションによる感度実験・過去データの統計解析から検証した。このタイプのフェーンは、1)典型的なドライフェーン(断熱加熱)と、2)地表面からの加熱(非断熱加熱)の複合効果によって生じる。フェーンを伴うメソスケールの西寄りの風に沿った地上気象要素の現地観測により、1)の典型的なフェーンの発生が確認できた。このフェーン発生地の風下側の平地における2)地表面からの非断熱加熱の効果に関しては、風下の地点ほど温位が高くなるという結果が得られた。そして、その風下と風上の温位差がフェッチの代表的土地利用・被覆からの顕熱供給(地表面からの非断熱加熱)で概ね説明可能であることが、簡易混合層モデルによるシンプルな計算にから確認できた。この非断熱加熱の存在を他の手法でより詳しく調査するため、WRFモデルによる風上地域の土壌水分量の感度実験、および過去6年分の土壌水分量と地上気温、地上風の統計解析で確認した。その結果、風上側の地表面から非断熱加熱を受けた西寄りの風の侵入に伴い、風下の多治見が昇温していることが両手法によっても確認された。この地表面加熱を伴うハイブリッドタイプのフェーンが、この風の終着点である多治見の高温に寄与していると考えられる。
著者
一ノ瀬 俊明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.229-235, 2018 (Released:2018-05-31)
参考文献数
16

地理学の成果を政策立案に生かすための行政支援の事例として,世界的に高い評価を得たヒートアイランド対策の体系化,および国連環境計画の地球版環境白書など,従前より筆者が関わってきた地理学のアウトリーチ活動を振り返り,アウトリーチ活動への提言をまとめた.研究活動が少なからぬ公的資金で支えられている今日,アウトリーチ活動は単なる社会奉仕にとどまらない.研究活動を見直し,強めていくプロセスでもある.とりわけ,アウトリーチ活動を通じて得られた各種ステイクホルダーからのリアクションを,自身の研究活動にフィードバックしていくことが重要である.
著者
米島 万有子 中谷 友樹 安本 晋也 詹 大千
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000217, 2018 (Released:2018-06-27)

1.研究背景と目的 デング熱は,熱帯地域や亜熱帯地域を主な流行地とする代表的な蚊媒介性感染症の一つである.近年,温暖化や急速に進む都市化,グローバル化に伴い国内外の人や物の流れが活発になり,これまでデング熱の流行地ではなかった温帯の地域においても,デング熱の定着が懸念されている.日本では,2013年に訪日観光客のデング熱感染が報じられ,国内感染による流行が警告された(Kobyashi et al. 2014).翌2014年には首都圏を中心に,約70年ぶりの国内感染に基づくデング熱流行が発生した.これを受けて,防疫対策上,デング熱流行のリスクを推定することは,重要な課題となっている. これまでデング熱流行のリスクマップ研究では,様々な方法が提案されているものの,その多くはデング熱流行地を対象としている(Louis et al. 2014).デング熱が継続的に流行していない地域を対象とした近未来的な流行リスクを評価する方法は,気候条件によって媒介蚊の生息可能性のみを評価する方法(Caminade et al. 2012など)と,デング熱の流行がみられる地域の気候データと社会経済指標から流行リスクの統計モデルを作成し,これを非流行地にあてはめて,将来的な流行リスクの地理的分布を評価する方法がある(Bouzid et al. 2014).本研究ではこれらの先行研究を参考に,媒介蚊の生息適地に関する気候条件と,日本に近接する台湾でのデング熱流行から作成される統計モデルに基づいて,日本における現在と将来のデング熱の流行リスク分布を推定した.2.研究方法 本研究では,はじめにデング熱流行地の中でも日本に地理的に近く,生活様式も比較的類似している台湾を対象とし,台湾におけるデング熱流行リスクの高い地域を予測する一般化加法モデル(GAM)を作成した.デング熱患者数のデータは,台湾衛生福利部疾病管制署で公表されている1999年~2015年に発生した郡区別の国内感染した患者数を用いた.Wen et al. (2006)を参考に,患者数のデータからデング熱の年間発生頻度指標(Frequency index(α))を求め,これを被説明変数とした.説明変数には,都市化の指標として人口,人口密度,第一次産業割合を,気候の指標として気温のデータから算出した積算rVc(relative vectorial capacity)値を,媒介蚊の違いを考慮するための指標として,Chang et al.(2007)をもとにネッタイシマカの生息分布の有無を示すダミー変数を設定した.rVcはデング熱ウイルスに感染した蚊が人間の間に感染を広める能力を示す指標である.rVcは月平均気温の関数として求めており,その詳細については,安本・中谷(2017)を参照されたい. 上記の作成したモデル式に,日本国内の人口や気候値をあてはめて,台湾のデング熱流行経験に基づいた日本での流行発生頻度の予測値を求めた.人口および第一次産業割合のデータは2010年の国勢調査のデータを,2050年の人口データは国土数値情報の将来推計人口を用いた.なお,日本のリスクマップ作成では台湾の郡区と平均面積がおおむね一致する2次メッシュ単位で作成した.3.結果 台湾の郡区別にみたデング熱の発生頻度を従属変数としたGAM分析結果,気候指標の積算rVc,都市化の指標の人口密度,第一次産業割合に有意な関係性が認められた. このモデルを用いて,日本の2010年と2050年のデータを用いて,現在と将来のデング熱の流行リスクマップを描いた.現在では,リスクの高い地域は大都市圏の中心部に分布している.しかし,気候変動の影響によってデング熱の流行リスクの高い地域は著しく拡大することが推定された(図1).4.おわりに 本研究は,台湾のデング熱流行経験に基づいて,現在の日本のデング熱の流行リスク分布と気候変動の影響による流行リスク分布の推定を定量的な手法によって行った.2014年の流行発生地は,本研究の結果においてもリスクの高い地域であった.長期的にも気候の温暖化の影響によって,デング熱流行リスクの地理的分布は拡大することが示された.付記:本研究は,JST-RISTEX「感染症対策における数理モデルを活用した政策形成プロセスの実現」(代表:西浦博)において実施した.
著者
川久保 篤志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめに 2011年3月の東日本大震災に端を発する福島第一原発の未曾有の大事故は、現在でも事故原因の究明が完全には進んでおらず、避難を余儀なくされている原発周辺住民の帰還の目途も立っていない。にもかかわらず、政府は将来における原発廃止を決定できずにいる。この背景には、国家レベルでのエネルギーの安定供給の問題に加えて、原発の立地に伴う電源三法交付金による地域振興効果に期待する立地自治体等の思惑がある。 では、原発の立地地域では交付金をもとにどのような地域振興が図られてきたのか。本発表では、これまでの研究蓄積に乏しい島根原子力発電所(以下、島根原発)を事例に検討する。島根原発が地元にもたらしてきた交付金は1980年代に入って急増し、2010年までに累計720億円に達しており、その使途について検証する意義は大きいと思われる。 なお、島根原発が立地する松江市鹿島町は、松江市と合併する2005年までは八束郡鹿島町であったため、合併前に建設された1号機・2号機に関する地域振興効果の分析は旧鹿島町域で行い、現在建設中の3号機に関する分析は新松江市域で行うことにする。2.1号機・2号機の建設に伴う旧鹿島町の交付金事業の実態 旧鹿島町は、島根県東部の日本海に面した人口約9000人、面積約29km2の小さな町で、県東部有数の漁業の町として発展してきた。島根原発計画は1966年に持ち上がり、当時は原子力の危険性より用地買収や漁業補償に焦点が当たりながら、1974年には1号機、1989年には2号機が稼働した。 これにより多額の交付金や固定資産税が入ってきたため、特に1980年代と2000年代に積極的に地域振興事業が行われた。旧鹿島町役場と住民へのヒアリングによると、その主な使途は1980年代半ばまでは学校や運動公園、保健・福祉関係等の箱モノ建設が中心だったが、次第に、歴史民俗資料館(1987年)、プレジャー鹿島(1991年)、野外音楽堂(1998年)、鹿島マリーナ(2002年)、温泉施設(2003年)、海・山・里のふれあい広場(2005年)など、娯楽・観光的要素の強い事業が増加してきたという。これらの事業の中で住民から評価が高いのは、小・中学校校舎の新増設や公民館・町民会館の建設で、次代を担う世代の教育と地域住民のコミュニティ活動を活発化させる上で大きな役割を果たしたという。また、1992年の下水道施設の整備も高齢者の多い地元では高く評価されている。 一方、産業振興という観点では農業と漁業の振興が重要だが、農業については水田の圃場整備事業やカントリーエレベーターの新設を行い、生産の効率化・省力化を進めた。また、プレジャー鹿島や海・山・里のふれあい広場では地元の農水産物等の直売が行われた。漁業についても、町内4漁港の整備改修が進められ、恵曇地区に水産加工団地が整備されたた。しかし、これらの事業は一定期間、農業・漁業の維持に貢献したものの、1990年代後半以降には担い手不足から衰退傾向が著しくなった。 また、都市住民との交流促進の観点からは、総合体育館(1998年)・鹿島マリーナ・温泉施設が一定の成果をあげている。例えば、総合体育館は1999年以降毎年、バレーボールVリーグの招待試合を開催しており、2010年以降には松江市に本拠を置くバスケットボールbjリーグの公式戦や練習場として利用されている。鹿島マリーナは贅沢施設に思えるが、町中央部を貫流する佐陀川に無造作に係留していた船舶がなくなることで浄化が進み、かつ、山陽地方の釣りを趣味とする船主が係留料を支払うことで多額の黒字経営を続けているという。また、温泉施設は年間20万人の利用者がおり、夕方以降は常に満員という状況にある。3.3号機の建設に伴う松江市の交付金事業の展開と問題点 2005年に建設着工した島根原発3号機は、出力が137万kwと1号機・2号機を大きく上回っており、その交付金事業は桁違いの規模になった。図1は、これをハード事業(施設の建設が中心)とソフト事業(施設の運営が中心)とに分けて、示したものである。これによると、交付金は着工後に急増して2007年にピークの75億円に達した後、稼働年(2012年予定)に向けて減額されていることがわかる。また、交付金の使途は減額が進む中でソフト事業を中心としたものに変化していることがわかる。なお、発表当日はこの資料をもとに、交付金事業の内容を批判的に検討する。