著者
北田 晃司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

長崎県は、1990年代まではわが国を訪問する外国人の訪問率で上位10位以内に入っていた。2000年以降も同県を訪問する外国人観光客は数的には増加しているものの、わが国を訪問する外国人観光客の目的地としての重要性はむしろ低下傾向にある。その理由としては同県への訪問数が外国人観光客の中で最も多い韓国人観光客が近年の円高傾向によりわが国への訪問数が低下していることに加えて、他の国籍の外国人観光客についても台湾は北海道、中国はいわゆるゴールデンルート、ヨーロッパは東京、京都に加えて中部地方という具合により自らの好みに合った都道府県を訪問する傾向が強まっていることが挙げられる。特に長崎県や沖縄県などは、異国情緒を感じさせるという点では日本人観光客の高い評価を受けているものの、いわゆる日本情緒や雪景色などを求める外国人観光客からの評価はあまり高いとは言えない。しかし、その一方では近年、東アジアからの観光客を中心に、いわゆる買い物ツアーよりも、自国と日本との文化交流や日常的な食事などに対してより高い関心をもった外国人観光客も増加が見られることから、今後は長崎県に限らず、わが国の都道府県あるいは市町村は、自らの観光資源、特にその歴史的および文化的価値をあるがままに受け止め、外国人観光客に対してもより強くアピールすることが国際観光の振興に有効と言える。
著者
須山 聡
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本論は高齢化と過疎化の進展の結果,居住者がいなくなるという,図式的な「過疎化言説」を批判的に捉え,離島の過疎を客観的に評価する材料を提供し,離島の無人化について新たな知見を得た。戦後,全国で78島が無人化したが,多くは過疎化以外の要因によるもので,過疎化にともなう人口減少の末の「無人化島」はわずか15島にすぎないことがわかった。さらにそれらのうち12島は行政からの勧奨に応じた集団離島によって無人化した。無人島の発生は,過疎の終着点ではなく,むしろ行政が無人島化を最終的に進めた。集団離島に際しての行政/住民の意志決定プロセスを,詳細に検討する必要があることがわかった。
著者
栗栖 悠貴 稲澤 容代
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

中央教育審議会の答申(2016年(平成28年)12月「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」)にて,高等学校において新たな必履修科目として「地理総合」の設置を求めるなど,地理教育が重要視されている.また,その実施にあたっては,各教科等の教育内容を総合的に捉えて教育課程を編成する「カリキュラム・マネジメント」の重要性が指摘された(2017(平成29)年2月報告「小学校におけるカリキュラム・マネジメントのあり方に関する検討会議」報告書より).しかし,教科横断的な学習を早期に実現するためには,①簡易に利用できる教材②具体的な実践事例などが必要である.教科としての地理は社会科の分野に位置づけられるが,地形や空間的な位置関係を把握するための手段として,地理的な考え方を活用すると教科横断的な学習が可能となる.本報告では,特別なGISソフトが不要なウェブ地図であり,有用な地理空間情報が豊富に掲載されている地理院地図<https://maps.gsi.go.jp/>を利用して,地形を切り口とした教科横断的な学習や地域学習を支援するための具体的な活用例(参考:国土地理院応用地理部ツィッター<https://twitter.com/gsi_oyochiri>)を中心に紹介すると共に,考察を深める際に利用できる地理院地図の便利な機能について紹介する.
著者
武田 一郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.294-306, 1998-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49

日本の太平洋沿岸の砂礫質海浜における後浜上限を地形と海浜植物を用いて六つのタイプに分類し,その高度BH(平均海面からの高さ)と海浜堆積物の粒径Dとの関係を検討した.その結果,D<10mmの範囲ではDが大きくなるにつれてBHも大きくなるが,D>10mmの範囲ではDが大きくなるにつれてBHが小さくなること,また,バー海岸のBHはバーなし海岸のBHよりも小さくなることを見出した.後浜上限高度は暴浪時に波が遡上する最大の高度Rmaxに一致するが,Rmaxは暴浪時の波の規模だけではなく,バーの波に対するフィルター効果,汀線砕波波高を規定するステップの規模,および礫の消波効果と関係する.これらの諸要素はDと密接に関連するために,BHもDに大きく左右されることが分かった.
著者
高崎 章裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.2, 2008

<BR> 近年,環境への関心が高まり,河川の清掃活動や植林活動などがNPO団体や市民ボランティアによって,全国各地で行われている.地域を越えた住民や市民団体のネットワークの形成は,環境問題を考える上で重要な役割を果たすものと考えられる.<BR> そこで本研究では,熊本県球磨川流域において環境保全を行っている「球磨川水系ネットワーク」の活動,中でも「球磨川源流水リレー」を取り上げ,人々がどのように流域圏のネットワークを築き発展させてきたのか,そしてそのネットワークを通して,地域や球磨川に対する参加者の意識がどのように変化してきたのかについて明らかにすることを目的とする.<BR> 熊本県球磨川流域には17の自治体が含まれ,流域内人口は約14万,流域面積は1,880km<SUP>2</SUP>におよぶ.当該地域にはいまだに決着が付いていない川辺川ダムの建設問題が残されており,球磨川流域の住民は古くから環境問題と向き合ってきた.そして1996年,球磨川の変化に気づいた住民たちが「球磨川水系ネットワーク」を立ち上げた.現在は39団体で組織され,流域内の植林活動,一斉清掃,水質調査などを実施し、また共同イベントとして「球磨川源流水リレー」を毎年開催している.<BR> 「球磨川源流水リレー」とは,竹筒に汲んだ球磨川,川辺川の源流水を人の手だけでつなぎ,約170kmの距離を隔てた八代海まで運ぶイベントである.イベントが始まった1996年の参加者は約50名に過ぎなかったが,ビラ配りなどの地道な宣伝を通して学校や地域に情報を発信し続けてきたことで認知度が高まり,現在では約700名もの流域住民が参加するイベントへと成長した.参加者層は,地域住民や地元の小中高校生をはじめ,カヌー・ラフティングクラブ,漁協組合,そして自治体職員まで非常に幅広い.<BR> そして「球磨川源流水リレー」は,2005年から,不知火海に注ぐ約20河川の源流水を運ぶ「環・不知火海源流水リレー」へと規模が拡大された.「源流水をリレーする」という行為は,人と人,地域と地域を繋ぐ象徴的行為である.参加者たちは,実際に球磨川に接することで現状に気づき,球磨川からの恩恵や自然への感謝の気持ちが芽生え始める.そして、彼らの中には"My River"という考え方を持つものさえ出てきた.「球磨川源流水リレー」の参加者たちは,活動を通して球磨川という特定の自然に対する意識が変化したと捉えることができる.<BR> 本発表では,自然の意味,すなわち場所の意味が,どのように変化し,形成されていったのかについても報告をしたい.
著者
松岡 憲知 上本 進二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.263-281, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
36
被引用文献数
3

日本アルプスの稜線縦断面にみられる起伏と岩質の関係について検討した.花崩岩などの単一の岩種からなる稜線では,起伏は岩盤中の節理の発達程度(密度・結合度)に対応し,突出部ほど節理の発達が少ない.また複数の岩種からなる稜線でも,岩種にかかわらず,起伏は節理の発達程度に対応している。例えば,赤石山脈の堆積岩地域では,チャートや砂岩などの節理の発達の少ない岩石が突出部を構成し,節理の発達の著しい頁岩が鞍部を構成するという対応関係が認められる.節理の発達がとくに著しい断層破砕帯は,深く切れ込んだ鞍部を形成する. 現在の日本アルプスの高山地域では,風化作用の中で凍結破砕作用が卓越している.凍結破砕作用に対する抵抗性の大きさは,主として岩盤中の節理の発達程度に依存している.したがって,現在の凍結破砕作用の進み方は,現在みられる稜線上の起伏の状態と調和的であり,組織地形はより明瞭になっているといえる.
著者
大城 直樹 荒山 正彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.250, 2009 (Released:2009-06-22)

本シンポジウムの目的は、「郷土」という表象が、いかにして近代の日本において受容ないしは導入され、国民の地理的想像力の中で確固とした実在物として自明化されていったのか、そもそも「郷土」なる概念ないしは着想はどこに由来するものなのか、さらに「郷土」表象をめぐる実践が、どのようなかたちで展開していったのか、これらの事項について検討することにある。 藩政村レベルの共同体とその生活空間を越えて、行政村レベルで共同体意識をもたせるために導入されたこの表象は、元来、19世紀に概念化されたものであり、日本に導入されて100年経った現在、その自明化および身体化を含めて批判的に再検討されるべきである。初等・中等教育における地理のプレゼンスの問題とも直結する肝要な表象=概念を、無反省に使い続けることは、比喩的に言えば、制度疲労による欠陥を見落としてしまうことにつながりかねない。自明化された「郷土」表象の相対化とその歴史的・政治的文脈の洗い出しを行うことが必要である。特定の空間的範域への情動と表象の質の再検討を旨とする本シンポジウムの意義は、特にその批判性にあるといえる。自明視されすぎてしまった「地理」的現実の近代的仕組みを、もう一度その初発の構築プロセスから問い直し、なぜ今なおそれが有効に機能しているのか、そのからくりを解き明かしてみたい。表には出ずとも、あるいは逆にそうであるからこそ、地理的表象とそれに連動する実践は、アンリ・ルフェーブルのいう「空間的実践」と同様、近代性そのもののなかに深く介在しているといえるからである。 周知のように、この「郷土」なる概念ないしは観念が、日露戦争後の農村部の疲弊に対して内務省が主導した地方改良運動と連動したものであるならば、内務省の行政資料に分け入って、その制度的導入・普及の様相を突き止める必要も出て来よう。無論,「郷土」なる表象に当該するものが、前近代になかったかどうかの検証も行う必要があるだろう。 1930年代の文部省主導による郷土教育運動については、なお一層の検討が必要である。小田内通敏のような在野かつ半官の研究者,文検などの教育をめぐる資格制度とそれを取り巻く出版社や大学教員の関係性などに関する研究も、広く郷土研究を再考しようとする場合には必要となる。と同時に,同時代の民芸運動、民俗学、民具研究といったルーラルなものを対象とする知の体系の成立および展開にも着目する必要がある。 郷土教育運動と民俗学・民藝運動・民具研究といった、等しく「郷土」ないしはルーラルなものに関わる知的運動体の活動を問う際にネクサスとなるのは「表象の物象化」の問題である。郷土教育運動は、いうまでもなく文部省主導で1930年代に行われたものであるが、郷土教育自体は無論それ以前からある。郷土教育の中でいかに「郷土なるもの」が表象され、学校教育の中で教え込まれていったかを、より多くの事例から検討していく必要があるだろう。日本人の郷土表象の根幹がここにあるからである。また、これと同時期に柳田國男によって創始された日本民俗学、柳宗悦らの民藝運動、澁澤敬三のアチックミュゼアムを中心に行われた民具研究、これらの知の運動体は多くの言説を生産していったが、まさにその言説の生産行為自体が「郷土なるもの」を実体化せしめ、それを研究者や読者にとって自明なものとして刷り込み、さらにそういうものとして再生産していくことになった。本来、概念ないしは着想に過ぎなかった「郷土」が表象であることを越えて実在物であるかのように物象化していくのは、まさにこのプロセスにおいてである。 だが、これまでのこの知の運動体に関する諸研究では、この「郷土なるもの」を実体として前提しすぎていた。柳田が言ったのとは異なる文脈ではあるが、「郷土を郷土たらしめるもの」、その諸契機に留意する必要があるし、それを突き止めることがおおきな課題となるだろう。 【参考文献】:荒山正彦・大城直樹編(1998):『空間から場所へ』,古今書院,「郷土」研究会編(2003):『郷土―表象と実践―』,嵯峨野書院、2003年,
著者
坂本 優紀 渡辺 隼矢 山下 亜紀郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
巻号頁・発行日
pp.000341, 2018 (Released:2018-06-27)

1.研究背景と目的 長野県は,2013年の打揚煙火製造額が全国2位,製造業者数では1位と,煙火生産の盛んな地域である.その中でも特に,長野市を中心とする北信地方と飯田市を中心とする南信地方に,その利用の偏りがみられる.今回対象とする南信地方は,1712年に奉納煙火があったことが記録されており,長野県内において最も古くから煙火を扱ってきた地域といえる.当地域の煙火の特徴としてあげられるのが,三国(さんごく)と呼ばれる筒系吹き出し煙火である.三国は,赤松の大木を刳り抜いたものや,竹筒,あるいは紙管の中に数種類の火薬を詰めた煙火で,長さは大きいものでおよそ200cm,重さは約250kg(火薬の総量は24kg)になる.現在でも,北は宮田村から南は阿南町まで幅広い範囲において神社の祭りで奉納されている. 古くから奉納煙火として使用されてきた三国であるが,近年では,三国を地域のイベントに取り入れる事例もある. そこで本発表では,長野県南信地方北部の上伊那地域における三国の分布とその利用形態に着目し,三国の拡がりと利用形態の変遷を明らかにすることを目的とする. 2.対象地域対象地域である長野県上伊那地域は,長野県南信地方の北部に位置し,伊那市を中心に,駒ヶ根市と上伊那郡の6町村によって構成される.当該地域は,古くは南流する天竜川と,木曽駒ケ岳から東流する太田切川によって地域内の交流が分断され,方言や文化などに差異がみられることで知られており,三国においても同様の傾向がみてとれる. 3.結果と考察2016年に打揚げられた上伊那地域の三国は,14件である.煙火は,江戸時代に愛知県三河地方から伝わったとされており,その分布をみると南側に偏っていることがわかる.利用形態では,多くの打揚げが祭り時の奉納煙火であるものの,箕輪町での打揚げのみが,イベント時のパフォーマンス目的となっている.また,宮田村の三国に関しては,1962年から商工会主体で奉納を始めた記録が残っており,他の地域の奉納煙火とは異なる経緯が明らかとなった.以上の結果をまとめると,江戸時代に愛知県より伝わった煙火は,長野県南信地方で三国へと変化し,駒ヶ根市の太田切川を北限として,神社の奉納煙火として氏子たちにより継承されてきた.戦後になると,駒ヶ根市の北側の宮田村の祭礼に三国が取り入れられることとなった.しかし,それは氏子ではなく,商工会が主体となって行われた.さらに,2000年代に入るとより北側の箕輪町でもパフォーマンスの一環として三国が打揚げられることとなった.上伊那地域においては,三国を氏子主体で奉納煙火として利用する地域から,北側にその打揚げ範囲が拡大していくとともに,その利用形態に関しても,より世俗的なものに変化していることが明らかとなった.本研究の遂行にあたり,2017年度筑波大学山岳科学センター機能強化推進費(調査研究費),課題「山岳地域に関するツーリズム研究の課題構築」(代表者:呉羽正昭)の一部を使用した.
著者
田中 雅大
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>いまやデジタルなものはあらゆる場所に行き渡り,社会を構成する重要な存在となっている.そこで人文社会科学の分野ではデジタルなものに関する存在論的・認識論的・方法論的な議論が活発化している.本発表では英語圏を中心に展開されている「デジタル地理学」という取組みを概観し,特にソフトウェアの役割に着目しつつ,デジタルなものに関する地理学的議論の動向を紹介する.</p><p> 重要なのは,デジタル地理学はその名の通り「デジタル」なもの(ソフトウェア等)に注目するということである.技術的にいえば「デジタル」とは数値によって離散的に情報を表すことを意味する.あらゆるデジタルなものは「数値」という点で同質・等価であり,すべて分け隔てなくコンピューティングの対象となる.また離散的であるためソーティング(整列)のような操作を施せる.突き詰めればデジタルなものは物理的実体のない数値という抽象的存在である.人々は様々なモノをインタフェースにすることでデジタルなものと物質的に関わっている.</p><p> コンピュータの処理速度が飛躍的に向上し,様々なインタフェースが日常空間のあらゆる場所で登場するようになったことで,デジタルなものが有する上記のような性質が社会-空間的問題を引き起こしている.ここでは都市空間におけるソフトウェア(コード)の役割を論じたThrift and French(2002)を筆者なりに解釈しつつ,デジタルなものと地理学の関係を整理したい.彼らによればソフトウェアの根幹は「書くこと」であり,それには3つの地理学的含意がある.すなわち,①ソフトウェアを書くことの地理,②ソフトウェアが書く地理,③書き込みの場としてのソフトウェアの地理,である.</p><p> ①については,どこの・誰が・どのようにソフトウェアを書くのか,またそれに参加できるのか,という経済・文化・政治に関わる問題がある.また,人間はソフトウェアを書く行為を通じてデジタルな空間的知識(デジタルなまなざし・世界観)を身に着ける,という認識論的問題もある.</p><p> ②は空間の監視や管理の問題と関係している.デジタルな存在であるソフトウェアの働きを人間は直接知覚できない.ソフトウェアは常に「背景」や「影」として存在し,人間の無意識の領野にある.その意味でソフトウェアは人間を超えた存在more-than-humanである.それは様々なアクターとの布置連関の中で行為主体性agencyを発揮し,都市のような空間を自動的に生産している.都市に存在するあらゆるものが様々なデバイスを通じてデジタル化され,数値として一緒くたに扱われ,ソーティング等の操作を施される.それはすぐさまインタフェースを介して物理空間に反映され,新しいかたちの社会的不平等・排除を引き起こしている.2000年代以降,こうしたポスト人間中心主義的な「空間の自動生産」論が展開されている.</p><p> ③は人間と空間の関係に関わる問題である.ソフトウェアは創造性を発揮できる実験的な場でもある.たとえばThrift and French(2002)は,創造的なソフトウェアプロジェクトの多くが人間の身体に関心を寄せていることに注目している.ソフトウェアは五感の拡張(拡張現実,仮想現実等)や記憶の保存(過去把持)に関わっており,「人間」や「文化」なるものはどこに存在するのか,という問題を喚起する.</p><p>Thrift, N. and French, S. 2002. The automatic production of space. <i>Transactions of the Institute of British Geographers</i> 27: 309-335</p>
著者
小池 司朗 菅 桂太 鎌田 健司 山内 昌和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.60, 2018 (Released:2018-12-01)

国立社会保障・人口問題研究所は2018年3月,「日本の地域別将来推計人口(平成30年推計)」(以下,地域推計)を公表した。この地域推計は,2015年の国勢調査人口を基準として,2045年までの地域別人口を男女5歳階級別に推計したものである。推計手法はコーホート要因法を採用し,推計に必要となる仮定値は過去に観察された出生・死亡・人口移動の地域差を反映させて設定している。したがって,人口移動の地域差が推計結果に大きな影響を与えていることはいうまでもないものの,出生力と死亡力の地域差も推計結果に無視できない影響を及ぼしていると考えられる。本研究では,地域推計の仮定値を利用し,出生力と死亡力に地域差が存在することによって,将来人口にどの程度の差が生じるかについて検証する。 地域推計においては,出生に関する仮定値として子ども女性比,死亡に関する仮定値として男女年齢別生残率を,それぞれ用いている。そこで,仮に子ども女性比と男女年齢別生残率が全国一律の値であったとした場合,具体的には国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)」(出生中位・死亡中位仮定)から得られる全国水準の子ども女性比と男女年齢別生残率を各地域に一律に適用した場合の推計値を試算し(以下,出生死亡地域差なし推計),地域推計の結果と比較することによって,出生力と死亡力の地域差が将来推計人口に及ぼす影響を抽出した。また,出生力と死亡力それぞれの地域差の影響をみるために,死亡力のみ地域差が存在しないとした場合の推計値も併せて試算した。なお,両推計値の試算に必要となる人口移動に関する仮定値は地域推計と同じ値とした。 出生死亡地域差なし推計による2045年の人口の試算値を基準とする同年の地域推計の人口との乖離について,出生力と死亡力それぞれの地域差の影響を変化率の形で表すと,都道府県別にみれば,出生力の地域差による影響が最もプラスなのは沖縄県(+9.1%),最もマイナスなのは東京都(-3.3%),死亡力の地域差による影響が最もプラスなのは長野県(+1.2%),最もマイナスなのは青森県(-2.5%)となった。沖縄県以外でも,九州の各県では出生力の地域差による変化率が+2~+5%にのぼり,相対的な高出生率が人口減少の緩和に少なからぬ効果を持っていることが明らかになった。
著者
村山 良之 黒田 輝 田村 彩
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

自然災害は地域的現象であるので,学校の防災教育(および防災管理)の前提として学区内やその周辺で想定すべきハザードや当該地域の土地条件と社会的条件を踏まえることが必要である。災害というまれなことを現実感を持って理解できるという教育的効果も期待できる。福和(2013)の「わがこと感」の醸成にもつながる。<br><br> 学校教育において,児童生徒に身近な地域の具体例を示したりこれを導入に用いたりすることは,ごく日常的である。しかし,山形県庄内地方では,新潟地震(1964年6月16日,M7.5)で大きな被害を経験したが,多くの教員がこのことを知らず,学校でほとんど教えられていない。発災から約50年が経ち,直接経験の記憶を持つ教員が定年を迎えており,教材開発が急務であると判断された。そこで,既存の調査記録(なかでも教師や児童生徒,地域住民が記した作文等)および経験者への聞き取り調査を基に,当時の災害を復元し,それをもとに教材化することを目指した。<br><br>庄内地方における1964年新潟地震災害の復元<br><br> 鶴岡市においては,被害が大きい①京田地区②大山地区③西郷地区④上郷地区について調査した。①と②について記す。<br><br> ①京田地区は,鶴岡駅の北西に位置し,集落とその周辺は後背湿地である。小学校の校舎を利用して運営されていた京田幼児園では,園児がグラウンドへ避難する際に園舎二階が倒壊し,保母と園児16名が下敷きとなった。学校職員をはじめ,地域住民やちょうどプール建設工事を行っていた従業員によって13名が救出されたが,3名の園児が亡くなった。当時の園児Sさんは,倒壊部分の下敷きとなったうちの1人である。逃げる途中に机やいすから出ていた釘で左の頬を切った。自分もグラウンドに逃げたかったが,体が倒壊した建物にはさまれて動かず,「お父さん!お母さん!」と叫んで助けを求めるしかなかった。その後泣き疲れて眠ってしまい,気付いた時にはすでに救出されていたそうだ。<br><br> ②大山地区は,鶴岡市西部に位置する。地区の西部は丘陵地,東部は低地である。町を横断するように大戸川と大山川が流れており,当時の市街地は大戸川の自然堤防上にあった。ここは家屋被害が鶴岡市でもっともひどく,道路に家が倒壊したものもあった。家を失った人々は公民館や寺の竹藪,旧大山高校などで数日間生活した。大山は酒造業が盛んで,醤油作りも行われていたが,これらの被害も大きかった。酒造会社のWさんによると,町中を流れる水路に酒が流れ込み,酒と醤油の混ざり合った異臭が数日間消えなかったそうだ。大山小学校においては,明治時代に造られた木造校舎の被害が大きかった。当時3年生だったOさんの話によれば,教室後方の柱が倒れてきたとのことだった。大山小学校ではちょうど3日前の避難訓練の成果がでて,職員と児童全員がけがすることなく避難することができた。<br><br> 酒田市においては,既存文献で被害の大きい①旧市街地②袖浦・宮野浦地区の2地域について調査した。うち①について記す。<br><br> ①旧市街地は最上川右岸の砂丘とその周辺に位置する。水道被害が深刻でとくに上水道の被害が大きく,6月17~19日にかけて完全断水となった。その間は自衛隊の給水車で水を賄っていた。酒田第三中学校で2年生の女生徒がグラウンドに避難する途中に,地割れに落ちて圧迫死した。グラウンドには,何本もの地割れが走り,そこから水が噴き上げため,落ちた生徒の発見が遅れた。犠牲者と同学年のIさんの話によると,校庭でバレーボールをしている際に地震が起こった。先生の指示で最上川の堤防に逃げようとした時,グラウンドにはすでに地割れが起こっていた。地割れが自分に向かって走ってきた恐怖は,今でも地震の際に思い出すそうだ。水道管の被害,グランドの地割れや憤水から,酒田では広域にわたって激しい液状化が発生したことがわかる。<br><br>新潟地震の教材化<br><br> 現行の小学校社会科学習指導要領では,3年「市の様子」,「飲料水・電気・ガス」,4年「安全なくらしを守る」,「地域の古いもの探し」,5年「国土と自然」,6年「暮らしと政治」の各単元で,上記結果を用いた授業展開が考えられる。このうち3,4年社会科では地元教育委員会作成の副読本を用いることが一般的である。鶴岡市と酒田市の現行副読本には新潟地震災害は含まれていないため,これに追加可能な頁を,上記の研究成果を基に試作した。<br> 鶴岡市教育委員会では,次期改訂で新潟地震を取り上げることとし,2018年度から検討を開始した。以上の研究成果が次期副読本に活用される見通しである。

2 0 0 0 OA 刊行の辞

著者
岩田 修二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-1, 2006 (Released:2010-06-02)
著者
栗本 享宥 苅谷 愛彦 目代 邦康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.69, 2019 (Released:2019-03-30)

はじめに 水沢上地すべり(以下ML:35.9363°N,137.0445°E)は岐阜県郡上市明宝に存在する大規模地すべり地である.MLは古文書に基づきAD1586天正地震で生じたとされてきた1,2).しかし先行研究では地質学的論拠が示されていない.筆者らは地質調査と地形判読を基礎として,MLの地形・地質的特徴と最新滑動年代を明らかにした.地域概要と研究方法 <地形>MLは飛騨高地南東部に位置し,周辺には標高2000 m以下の山岳が卓越する.木曽川水系吉田川とその支流がMLを貫く.<地質>ML一帯には烏帽子岳安山岩類が分布する.これはML西方の烏帽子岳から1 Maごろ噴出した安山岩と火山砕屑岩からなる2).同安山岩類は下部の凝灰角礫岩質の部分(以下Ep)と上部の安山岩溶岩(以下Ea)に分類される.他に貫入岩や,花崗岩,かんらん岩,美濃帯堆積岩類も分布する.MLの北に庄川断層帯三尾河断層(以下MF:B級左横ずれ)が走る.MFの最新イベントは840年前以降で,AD1586天正地震が対応する可能性が高い3).<方法>空中写真やDEM傾斜量図等を用いた地形判読と野外踏査を主な手法とした.踏査で採取した試料の14C年代測定も行った。MLの地形と地質 MLは3条の滑落崖と,複数の地すべり移動体に分類される.やや開析された滑落崖は円弧状を呈し,急崖をなす地点ではEaが露出する.地すべり移動体南部の平坦面についてはその分布標高からL~H面に分類できる.全移動体の体積は約2.2×107 ㎥である(侵食部分を含む).以下,各地点での地形・地質的特徴を述べる.<P1>不淘汰かつ無層理のEaの角礫からなる地すべり堆積物を,シルト~中粒砂の堰止湖沼堆積物が覆う.地すべり堆積物にはパッチワーク構造が観察できる.地すべり堆積物に含まれる材はcal AD1494~1601を示す.堰止湖沼堆積物層最下部の材はcal AD1552~1634である.<P2>P2周辺の吉田川の渓岸には割れ目に富むジグソーパズル状に破砕されたEaの岩盤や,シート状の粘土層や著しく座屈・褶曲したEp層がみられる.この堆積物の特徴は大規模崩壊堆積物にしばしば認められる特徴と類似・一致する.<P3>P3を代表とする地すべり移動体南部のL~H面上には,比高がまばらな長円形の小丘状地形や閉塞凹地が分布する.小丘状地形は破砕されたEa・Ep岩屑などで主に構成される。このような地形は、地すべりの移動方向に短軸をもつ4).小丘状地形の短軸方向と分布を集計し,各地形面の移動方向を検討した.地形面同士の関係(切る・切られる)も考慮した結果,過去3回の滑動が推測できた.<P4>P4付近では高さ約20 m,幅約50~100 mにわたり蛇紋岩化の著しいかんらん岩が分布する.かんらん岩は,およそ北―北北東方向に発達しているとみられる2).おわりに本研究は以下のようにまとめられる.①MLの各所に大規模地すべりと判断できる地形や地質的証拠がみられた.②P1ではcal AD1552~1634に地すべりによる堰き止め湖沼が生じた.③地すべり移動体上の微地形判読から,過去3回の滑動が推測された.④そのうち最新の滑動がcal AD1494~1601に発生したことは確実で,その誘因としてAD1586天正地震が挙げられる.⑤地すべりの誘因はML周辺の活断層による地震が,素因は蛇紋岩などの地質的な条件が考えられる参考文献 1)飯田(1987)『天正大地震誌』、井上・今村(1998)歴史地震,14,57-58. 2)河田・磯見・杉山(1988)「萩原地域の地質」.地調.3)杉山・粟田・佃(1991)地震,44,283-295. 4)木全・宮城(1985)地すべり,21(4),1-9.
著者
梅田 克樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.133-157, 2001-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43

本研究は,愛知県みどり牛乳農協の組合員における酪農経営動向に地域的分化が生じた要因を,地域的機能組織の階層的構成に着目して検討した.分析の結果,多頭育化志向の強い組合員が半田市住吉地区に集中する反面,その他の地区では多頭育化志向が弱まる傾向にあった.その要因として, 4次の階層的構成をなす地域的機能組織の存在が挙げられた.その中で,多頭育化を牽引してきた半田市の組合員は,地域的機能組織が担うすべての事業において最小最適規模を達成し,集積の経済を獲得していた.ところが,その結果として知多郡部の第3次機能組織は過小規模に陥り,個別酪農経営の支持効果が著しく低下した.また,住吉地区においては,第2次機能組織である住吉酪農発展会が,技術革新や技術発展を創造する場として機能していた.このように,地域的機能組織による個別酪農経営の支持効果によって生じた地区間格差が,組合員の経営動向に地域的分化を生じさせていた.
著者
渡辺 久雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.34, no.12, pp.631-649, 1961

本研究の目的は,条里制起源が,これに先行する肝晒地割にあることを明らかにし,中国の肝晒地割形式が,朝鮮を経て,古墳時代にわが国に伝来し,条里制の基盤となつたことを,地割形式およびGeo-magnetochronologyの成果より明らかにすることにある.その:解明の順序は1)条里制と5刊百地割, 2) 東亜における磁石・磁針の問題,3)兵庫県下における条里遺構の復原とGeomagnetochronologyの応用とする.<br> (1) 古い地積単位の残存から,条里地割に先行する一種の地割の存在を考える立場は早くからあつた.しかしそれがいかなるものか,いつ頃実施されたものかについては必ずしも明確にされていなかつた.この点に関して,筆者は条里先行地割が,中国の井田・肝階地割と同系のものと考え,その証明として,地割形式を尺度および進法の変遷から検討した,<br> (2) この種の先行地割方式が,いつ頃わが国で開始されたかという,本論文の表題である起源論について,この種の先行地割が古く阡陌地割と呼ばれていた点から,地割の経緯線は常に東西と南北を指している筈だと考え,中国における古代の方位決定法,ならびに磁石・磁針の問題の解決から出発した.その結果,わが国へも,古墳時代すでに司南と呼ばれる一種の簡易Compassが渡来し,阡陌地割の施行に利用されている可能性を認めた,<br> (3) 条里遺構の復原に関して,筆者の年来の疑問点の一つは,条里地割における経緯線方向の区々なることにあつた.その理由に関する従来の解釈に疑義を持つとともに,あらたな解釈として,磁針を用いたことによつて生.じた当時の地磁気偏角に原因すると仮定した.そのテストとして,兵庫県下における条里地割の経緯線方向の測定値を,近年著しく発達したGeomagnetochronologyの偏角永年変化表に照合し,地割が紀元3世紀より6世紀にわたつて施行されたことを知つた.また結果において,河系ごとに地割施行に関する地域的類型の存在をも認めることができた.<br> 最後にGeomagnetochronlogyが,本論文の起源論の根幹をなすものであるだけに,その客観妥当性を若干の吏実との照合によつて試みた.もちろん100%の妥当性があるか否かは,史実自体の側にも問題がある限り明言できぬが,かなり高い信頼度を認めることができた.しかし今後,全国各地における条里地割への適用をはじめ,各方面における妥当性の検証が必要である.
著者
小泉 諒 西山 弘泰 久保 倫子 久木元 美琴 川口 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 = Geographical review of Japan (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.6, pp.592-609, 2011-11-01
参考文献数
30
被引用文献数
8

本研究では,1990年代後半以降における東京都心部での人口増加の受け皿と考えられる超高層マンションを対象にアンケート調査を行い,その居住者特性を明らかにするとともに,今日における住宅取得の新たな展開を考察した.その結果,居住者像として,これまで都心居住者層とされてきた小規模世帯だけでなく,子育て期のファミリー世帯や,郊外の持ち家を売却して転居した中高年層といった多様な世帯がみられた.それぞれの居住地選択には,ライフステージごとに特有の要因が存在するものの,その背景には共通した行動原理として社会的リスクの最小化が意識されていることが推察された.社会構造が大きく変化し雇用や収入の不安定性が増大している中で,持ち家の取得は,機会の平等が前提された「住宅双六」の形態から,個々の世帯や個人の資源と合理的選択に応じた「梯子」を登る形態へと変化したと考えられる.
著者
服部 亜由未
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.182, 2009

<B>はじめに</B><BR> 近世後期から近代における北海道の基幹産業は漁業であり,その中心をなしたのがニシン漁であった.ニシンの粕は北前船により,西日本を中心とした日本各地に運ばれ,魚肥として綿や菜種などの商品作物へ利用された.太平洋戦争中,及び戦後における食料難の時代には,重要な食料として求められるなど,ニシンの漁獲量が皆無になる1960年ごろまで,需要は高かった.さらに,技術の発展や漁場の拡大により,大量の労働力が求められた.近世にはアイヌ民族を使役し,アイヌ民族が減少すると,本州からの出稼ぎ者を雇うことで成り立っていた.ニシン漁を介して多くの人々が移動し,その影響力は大きかった.<BR> しかし,1960年には北海道日本海側でのニシン漁は幕を閉じ,ニシンは「幻の魚」と称されるようになった.そして,ニシン漁の担い手たちは今,姿を消しつつある.現在,ニシン漁経験者各人の中に記憶として眠っている体験をまとめることで,史料分析からは描き出せない具体的内容を付加できる最後の段階にきているといえる.<BR> 一方,北海道の日本海沿岸地域では,ニシン漁に関係する建造物の保存運動や,「ニシン」をキーワードに観光化策への連結も主張されるようになってきている.<BR> 本報告では,ニシン漁が行なわれていた時代のニシン漁と漁民とのかかわり,特にニシンの不漁から消滅にかけた漁場経営者や出稼ぎ者の対応について検討する.また,近年のニシン漁に基づく活動を紹介し,ニシン漁を考える意義について述べたい.<BR><B>ニシン漁と漁民</B><BR> 3月下旬から5月下旬の2ヵ月という短い期間に,獲れば獲るほどお金になったニシン漁には,多くの労働力が必要とされた.特に,江戸時代に行なわれていた場所請負制度が廃止されると,漁場が増加した.漁場経営者は漁業権を獲得すれば,自由に漁場を開くことができ,漁場周辺の人だけでは足らず,多くの出稼ぎ者が雇われた.<BR> ニシンは豊漁不漁を繰り返し,その漁獲地は北へ移っていった.漁の傾向が予測できない状態で,漁場経営者は多額の出資をして準備を行ない,出稼ぎ者は出稼ぎ地域を決定しなければならなかった.漁獲量が変動する中で,ニシン漁場経営者たちは,漁を行なう網数に適した出稼ぎ者を雇い,漁獲量が多い場合には,臨時の日雇い労働者を雇う形態をとっていた.また,衰退期には,ニシン漁以外の収入源や共同での漁場経営への移行,生ニシンの加工業への転換が見られた.一方,出稼ぎ者は初年度には身内とともに出稼ぎに行くが,その後は各自の判断により地域や漁場を決めた.そして,不漁期を経験した人々への聞き取り調査からは,2年続いて不漁であれば,3年目には他の漁業や他業種の出稼ぎに転換する傾向が見受けられた.報告では,史料や聞き取り調査から判明した実態を紹介・検討する.<BR><B>ニシン漁に基づく町おこし</B><BR> 北海道日本海側の市町村には,ニシンが獲れなくなった現在においても,ニシン漁にまつわる歴史や文化が存在し,ニシン漁によってその市町村が形成されたことを感じさせる.各自治体史編纂の地域史においては,この点が強調されてはいるが,自村のみの事例紹介でとどまっている.そのような中,後志沿岸地域9市町村では,「ニシン」という共通の資源を基軸にした「後志鰊街道」構築の試みがなされている.報告者はこのような興味深い取組みを後志地域だけでなく,北海道日本海側全域,東北を中心とした出稼ぎ者の出身地域,さらには北前船の寄港地を含んだ地域にまで拡大できないものかと考えている.こうしたニシンによる地域交流圏を仮称「ニシンネットワーク」として調査研究を進め,各自治体の町おこしに協力していきたい.<BR> ここではその第1報として,出稼ぎ者の出身地域である青森県野辺地町の沖揚げ音頭保存会の活動を紹介する.当会は,利尻島への出稼ぎ者を記した「鰊漁夫入稼者名簿(利尻町所蔵)」がきっかけとなり,2008年に結成された会であり,祭りや小学校での実演,指導を行なっている.2009年9月に利尻町の沖揚げ音頭保存会との交流会を行なった.<BR><B>ニシン漁再考</B><BR> 昨今,放流事業の成果もあってか,再びニシンが獲れるようになり,話題となっている.ただし,現在漁獲される石狩湾系ニシンは,かつての北海道サハリン系ニシンとは種類が異なっており,かつてほどの漁獲量にはならないと予想される.しかし,利益至上主義による乱獲をしてはならないことを過去の経験から学ぶ必要がある.<BR> また,北海道日本海側の地域形成の議論には,出稼ぎ者出身地域とのつながりからのアプローチ「ニシンネットワーク」論が有効であると考える.そのために,北海道と出稼ぎ者出身地域との両地域を対象とし,史料の発掘や経験者への聞き取りを積み重ねていきたい.<BR>
著者
中条 健実
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.158, 2004

1 はじめに<br><br> 発表者は昨年人文地理学会において広島県福山市の閉鎖百貨店の再利用について報告したが、今回は福山事例と異なる特徴をもつ愛知県豊田市の閉鎖百貨店再利用について述べる。中心市街地空洞化・経営破綻による大型店の店舗閉鎖などにより、ここ数年で各地の中心市街地に大規模な商業空白が発生した。その中で、撤退した大型店の跡地・建物を再利用することで中心市街地の利便を維持する事例が増えてきた。民間業者間での大型店転用がうまく進まない場合、地元自治体の何らかの関与が必要となるが、自治体主導での大型店の詳しい転用の経緯・合意形成過程については、各地の中心市街地の業務・居住などの利便を維持するために重要と考えられるにもかかわらずほとんど報告がされていない。本研究では閉鎖百貨店という商業空白が再利用される過程を地域の特徴を踏まえつつ明らかにし、その効果も考察する。<br><br>2 研究事例での再利用経緯<br><br> 愛知県豊田市の旧豊田S百貨店は、大型店を求めていた市と経営拡大を図る旧Sグループの意向により、1988年名鉄豊田市駅前中心市街地再開発の一環として開業した。しかし開業以来一度も黒字を計上することなく、2000年秋の旧Sグループ経営破綻を受け、同年12月の閉鎖が決まった。<br> 豊田市の構想では、駅地区の再開発事業は豊田市商業の中心核と位置付けられていた。大型店を長期に欠くと、同地区への集中投資により交流施設群として蓄積を進めてきていたこれまでの豊田市の政策全体が破綻しかねないとの理由で、市は旧S百貨店の後継体制を速やかに構築する必要があった。<br> 豊田市はS百貨店グループ経営破綻の直後すなわち豊田S百貨店閉鎖発表前から、市長のトップダウンで市三役と商工部・都市整備部代表者などで百貨店閉鎖対策プロジェクトチームを構成、事態の変化に瞬時に対応しつつ関係者との交渉を行うことにした。<br> まず豊田市は可能な支援政策を検討、代替百貨店誘致を試みたが複雑な債権債務関係から失敗し、結局、地元資本が旧S百貨店の債権債務を整理、土地建物を全て購入して新事業を誘致する以外に大型店存続の可能性が無いとの結論に至った。<br> そこで豊田市は既存のTMOまちづくり会社を利用、市から公的資金を貸し付け、購入に充当する方法をとることにした。公的関与による大型店再生・変則的な資金利用を行う具体的な再生スキームを組み立て、それに従い市民の理解を得ることにした。市民アンケート・意見募集などを通し、市民の意見を旧S百貨店購入にまとめ、2001年3月市議会で購入予算案を可決した。代替のM屋百貨店は2001年10月開業した。<br><br>3 考察<br><br> 豊田市は建物管理の第3セクター「豊田まちづくり」とともに主導的に新規店舗探しを行うことで、比較的短期に代替のM屋百貨店を誘致できた。専門店導入による店舗面積の適正化のほか、販売品目の特化・賃料引下げの工夫により代替百貨店をテナントとして入居しやすくしている。名古屋に本拠地を置くM屋百貨店にとっても中京経済圏での集中出店、地元自動車メーカーとの関係強化への貢献というメリットがあった。<br> 町村合併を繰り返し成長してきた豊田市では、豊田市駅前の再開発地区は中心地ではあるが吸引力が強いわけではない。また、名古屋方面への自動車通勤の多い同市では近隣自治体の大型小売店利用も多く、駐車場の少ない豊田市駅前中心地域は商業的にも不利な場所である。それにもかかわらず、市議会および市民の意見を短期間で駅前大型店は必要であるとまとめあげ、また今回豊田市が百貨店を維持することを通して中心地を強調する政策をとったことは特徴的である。<br>
著者
田嶋 玲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.335, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに 福島県の檜枝岐村で江戸時代より伝承されている「檜枝岐歌舞伎」は,祭日に上演される「地芝居」と呼ばれるジャンルの芸能である.今日ではその伝統性・真正性が高く評価されており,福島県を代表する「民俗芸能」「伝統芸能」として多数の観光客を集めている. これまで,ある地域で伝承されている芸能を対象とした研究では,「担い手」を演者のみに限定する研究が多かった.しかし現代においては,芸能の上演は行政や観光関係者,そして観客などの多様な主体が絡み合うことで初めて成立している.本報告では,近代以降における社会変化の中で,檜枝岐歌舞伎の上演が成立する空間がどのように変化してきたか,そして,その上演の存立基盤を形成する主体がどのように多様化してきたかを明らかにする.2.観光化以降における上演空間の変容 歌舞伎は江戸時代に檜枝岐村へ伝来して以降,「大衆芸能」として村民の手で上演されており,村の紐帯ともなっていた.その在り方が大きく変化したのは戦後のことである. 昭和20年代以降,研究者によって「檜枝岐歌舞伎」が見出され,県内の芸能大会に出場しメディアに取り上げられることで「貴重な民俗芸能」となっていった.しかし,テレビをはじめとする新しい娯楽の登場と,経済成長に伴う若者の流出によって,昭和40年代には上演が困難になった. 一方その頃,檜枝岐村は奥只見ダム建設に伴う電源収入を元手に,全村を挙げて尾瀬を中心とした観光化を推し進めていた.その中で檜枝岐歌舞伎も観光資源として見出され,村内の鎮守神で上演される歌舞伎に外部から多数の観光客が集まるようになった.すると,これに対応するように上演空間も大きく変容していった. 観光客が収容しきれないほどまで増えると,境内は階段状の観客席へと造り替えられ,照明や音響設備も整えられていった.物的な面だけでなく質的な面も大きく変化した.畑作から民宿などの観光業に転換した村民は,上演日には観光客の対応に追われるようになり,上演を見るのが難しくなってしまった.その結果,歌舞伎の上演は村の紐帯という役割を失い,観客は外部からの観光客で占められるようになったのである.3.存立基盤を構成する主体の多様化 檜枝岐歌舞伎と檜枝岐村を取り巻く戦後の変化は,観客以外にも多数の主体を上演の存立基盤に加えていった. 檜枝岐村とその周辺地域では,江戸時代から各村落に地芝居が点在し,それらの上演を演技指導者や道具貸し出し業者が支えていた.戦後,その存立基盤はより複雑化していく.ミクロスケール(村内)では,観光化に伴って村民が演者・行政・民宿などの主体に細分化されていき,上演を共に支えつつも,「伝承」と「利用」のバランスを巡るせめぎ合いが発生するようになった.メソスケール(周辺地域〜県内)では,特に檜枝岐村と直接関わる地域の企業が多数の寄付を出すようになり,重要な資金源となっている.観客の多くはマクロスケール(全国)に位置する主体だが,彼らは客席を埋め尽くし,多数の拍手やカメラのフラッシュを浴びせることで,演者たちの「原動力」を湧き立たせる重要な役割を担っているのである. 戦後における社会の変化は,一度は檜枝岐歌舞伎の伝承を危うくした.しかし結果的にその変化は,上演の存立基盤に多様なスケールからの主体を招き入れることにも繋がった.現在の檜枝岐歌舞伎の上演は,こうした存立基盤の上に初めて成立しているのである.
著者
山本 卓登
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.269, 2020 (Released:2020-03-30)

Ⅰ 研究の背景と目的中山間地域の地域公共交通を支えてきた路線バス事業は,利用者の減少と他部門での収益性の悪化により厳しい状況に置かれている.自治体に移管されたのちも,収益性の改善は見込まれない.地域公共交通に関しては,工学や経済学の分野から効率的な運行形態を模索する研究,地域社会学や人文地理学の分野から事例に基づき現状や経緯の分析を行う研究など,多分野の研究蓄積がある.一方で,地理的条件や生活実態を踏まえて,保障すべき地域公共交通の内容を明らかにするような,実践的な研究が不足している.本研究は長野県下伊那郡阿南町を事例に,中山間地域の存立基盤として保障すべき,地域公共交通の内容を明らかにするとともに,具体的な運行案の提示を試みる.Ⅱ 対象地域の概況阿南町は長野県南部の下伊那郡に位置する.下伊那地域の中心都市は飯田市であるが,高校や病院を有する阿南町は周辺の村に対する中心機能を有している.阿南町の地域公共交通は幹線道路を走行し阿南町と周辺の村,飯田市を結ぶ南部公共バス,各集落と医療機関を結ぶ町民バス,近隣の村に拠点を置くタクシーがある.阿南町は,前2者の運行に関わっており,後者には半額補助のタクシー券を発行することで関わっている.なお,飯田市への交通には,町の東側に隣接する泰阜村内を走るJR飯田線も併用されている.Ⅲ 利用実態の分析に基づく保障水準の導出現状の地域公共交通の利用実態を踏まえると,阿南町における地域公共交通の合理的な保障水準は,①主に通学需要に対応するため幹線道路沿いに停留所を持つ路線を平日毎日運行すること,②主に通院需要とそれに付随する買い物需要に対応するため,集落内に停留所を持ち集落と医療機関(や周辺商業施設)を結びつける路線を週1回以上運行することであることが導出される.通院需要に対応する便の運行頻度の導出根拠は,週2回以上運行する町民バスの路線の停留所別の乗降記録から,定期的に週2回以上利用している者がいる可能性が低いことに基づいている.また,現行のタクシー券は補助率が低いため,長距離の利用では1回あたりの自己負担額が大きい.そのため病院から離れた地区の住民には利用されず,病院周辺の住民に利用が偏る現状がある.通学需要や病院への通院需要に対応する南部公共バスの運行には一定の妥当性があるため,改善案は町民バスとタクシー券のみを対象として検討した.Ⅴ 具体的な改善案と合理性の検討先述の水準に基づき改善案を示す.概要としては次の通りである.①通院需要に対応する町民バスの路線の運行頻度を週1回に統一する.②利用の極端に少ない町民バスの路線を廃止し,他の路線を一部デマンド化することで利用できる地域を拡大する.③財政支出を抑制しながらタクシー券を必要としている住民が利用できるよう,購入制限の追加や補助率の引き上げといったタクシー券の制度変更を行う.利用者にとっては,②③によって保障水準が満たされる住民が増えることに利点がある.経営に苦しむタクシー事業者にとっては,1回当たりの利用額が多い比較的長距離の利用が促進されるため増収が見込まれる.町民バスの受託事業者としては減収となるものの,課題である運転士確保の問題を緩和することになるため,許容範囲と考えられる.自治体は,出資者の立場としては財政支出の拡大をもたらさないため許容できると考えられ,地域公共交通の計画者の立場としてはタクシー事業者の経営への好影響が地域公共交通の選択肢の維持に繋がるという利点がある.Ⅵ おわりに以上,保障水準の導出,運行案の提示,合理性の主張を行った.インテンシブな調査による住民感覚の把握,検討手法の一般性を検討する事例研究の積み重ねが,今後の課題である.