著者
申 知燕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.282, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに 近年のグローバルシティでは,国際移住が急激に増加していく中で,従来の労働移民に加えて,トランスナショナル移住者が多く見られる.中でも,留学生やホワイトカラー労働者といった,国際的なキャリア形成を目標とする若年移住者層の急増によって,移住者の集住地を含む都市空間全体が大きく変化している.このような変化は,居住地や商業施設の立地条件だけでなく,インターネットやスマートフォンの普及による移住者の行動変化にも起因すると考えられる.しかしながら,従来の研究は,都市空間における物理的空間としての集住地と移住者間の関係に注目したものが多く,バーチャルな空間がいかに既存の集住地に影響を及ぼしているのかについて把握した研究は少ない.そこで,本研究では,グローバルシティにおける近年の韓国系移住者(以下韓人)を事例に,かれらのオンラインサイトおよびコミュニティの利用状況から,トランスナショナルな移住行動,中でも場所の制約のないオンライン空間でのエスニックな活動が集住地や都市空間全体に与える影響を明らかにしようとした. 本研究にあたっては,2013年5月から2020年1月にかけて移住者を対象としたアンケートおよびインデップス・インタビュー調査を実施した他,回答の中で言及されたオンラインサイト・コミュニティについて,情報を収集・分析した.2.事例地域の概要 本研究では,現代における代表的なグローバルシティであるニューヨーク,ロンドン,東京の大都市圏を事例地域としている.それぞれの事例地域における韓人人口数はニューヨークで約22万人,ロンドンで約1万人,東京で約15万人と推定されている.各地域では,戦前もしくは戦後直後から韓人の流入が続いており,主に旧期移住者によって,インナーシティや郊外を中心に集住地が3〜5カ所程形成されてきた.しかし,1980年代後半から,高等教育機関への留学や一般企業での就労を目指して移住する若年層が増加しており,かれらは既存の集住地には流入せず,大都市圏各地,特に市内中心部および生活・教育環境の良い一部郊外に散在するようになった.3.知見 本研究から得た結論は以下の3点である. 1点目は,1980年代後半からグローバルシティに移住した韓人は,自らのアイデンティティを保持し,エスニックな必要を満たすために,散在しながらもオンラインサイトやコミュニティを利用することである.かれらからは,集住をし,エスニックビジネスを営み,集住地のコミュニティに積極的に参加するといった,旧期移住者特有の移住行動が見られないが,それはかれらが現地社会に同化しているからではなく,移住過程でインターネットを通じてエスニックな資源を得られるからであると考えられる.かれらは,移住の前段階で,母国や経由地でオンラインサイトやコミュニティを利用することで移住先に関する情報を収集しており,移住後も,それらの情報と自らの社会経済的資本を適切に活用することで,既存の集住地に深く依存しない生活を送る. 2点目は,オンラインサイトやコミュニティは,エスニックな資源を必要とした個人移住者によって自発的に設立・管理・利用される傾向が強い点である.オンラインサイト・コミュニティの利用者は,オンライン上でエスニックな情報交換,親睦活動,中古商品の売買などを行っており,中でも情報交換機能を重視している.これらのサイトやコミュニティは,移住後に情報交換や人脈形成の必要性を感じた個人移住者の善意によって,非営利目的で立ち上げられたものが多く,管理者はサイト・コミュニティが大型化しても,商業化させて収益を得るよりは,一利用者として参加し続ける傾向があった.一部の企業は,インターネットを積極的に利用する移住者層をターゲットとし,同時代の韓国で販売されるような商品やコンテンツを提供することを目的にウェブサイトを立ち上げるが,通販サイトを除いては,情報提供や交流の機能がサイト維持のための原動力となっている. 3点目は,このようなオンラインサイト・コミュニティの利用様相は,かつて物理的な空間としての集住地が持っていた機能の一部が切り離され,バーチャル空間上に別途存在するようになったことを示すことである.大都市圏に散在し,集住地に頻繁に訪れることが難しい移住者にとって,場所の制約がなく,自由に多様な情報を得られるオンラインサイト・コミュニティは唯一無二なエスニック空間となる.しかし,その存在により,逆説的に,集住地に凝集する必要性は低下するため,集住地の機能分化とオンライン化が進む.
著者
鎌倉 夏来
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.280, 2020 (Released:2020-03-30)

知識や技術の創造と拡散がいかなる地理的特徴を有するのかを明らかにすることは,地理的に不均等な経済成長を理解するために重要である.これまで,イノベーションを取り巻く様々なアクターが形成する環境に注目した研究は,ナショナルイノベーションシステム(NIS)や地域イノベーションシステム(RIS)といった,地理的な領域として区切られたなかでの制度を分析するという枠組みや,個別の産業特有のシステム環境に着目したセクターイノベーションシステム(SIS)といった枠組みの中で論じられてきた.しかしながら前者においては,地理的スケールの境界や階層を先験的に設定することで,本来重要な役割を果たしているアクターを軽視する可能性がある.また,後者については,既存の産業枠組みにとらわれることによって,産業の枠を超えたイノベーションの創出を把握することができないという問題点があった.本稿では,知識や技術に着目した「技術イノベーションシステム(TIS)」という分析枠組みを導入し,より知識や技術そのものの特徴に即したイノベーションシステムの地理的特徴を解明するための試論を展開したい.分析対象は,近年国内外で多様な産業への応用が期待されているAI(人工知能)関連技術とした.まず,1980年から2019年について,AIに関連する論文を抽出した.具体的には,Web of Science Core Collectionの中でComputer Science, Artificial Intelligenceに分類された論文935,548本(2020年1月8日時点)を取得し,その中で高頻度に引用されている2,350本の論文を分析対象とした.高被引用文献は,2009年から2019年に発表されたものに限定されていたため,分析対象はこの期間となる.特許出願等の状況から2014年以降は「第三次AIブーム」とされていることから,①2009年〜2013年,②2014年〜2019年の二つの時期に分けて分析を行った.共著者数を考慮せずに論文数で重み付けし,①と②の期間を比較すると,中国の研究機関・企業の割合が二倍近くになっていることがわかった.しかしながら,これらの論文に占める国際共著論文の割合は,最も論文数の多かった中国科学院で60%以上となっているなど,国単位での分析には適していないことが確認された.そこで,著者の所属する研究機関・企業をノードとした社会ネットワーク分析を行なったところ,国単位の内部ネットワークが必ずしも強固ではないことが示唆された.
著者
池田 安隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.10-29, 1979
被引用文献数
7

大分県中部の第四紀火山地域には,短く屈曲に富んだ正断層が多数発達するが,その多くが地溝をなして分布している.このうちの主要な2つの地溝万年山地溝および速見地溝について,その具体的な発達過程を明らかにすることを試みた。両者は筑紫熔岩の流出後,およそ80~50万年前に活動を始めた.断層運動と並行して地溝内での火山活動があり,万年山地溝では万年山熔岩が,速見地溝では山陰系の火山岩類が噴出した.これらの噴出口の配列から,地溝中心部にはマグマの通り道となった開口割れ目が存在すると考えられる.速見地溝の北西縁では内側の断層の方が外側の断層より活動時期が新しい.これは開口割れ目を境にして両側のブロックが展張していくとすれば説明できる.地溝周辺の隆起も,開口割れ目の生成に伴う周囲の変形として説明できる.地溝を形成する断層運動自体は,開口割れ目の生成に伴う付随的な運動であろう.
著者
山田 耕生 藤井 大介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.305, 2019 (Released:2019-03-30)

1.研究の背景と目的 現在、イタリアでは集落内に点在する空き家等を宿泊施設に活用し、ホテルの客室に改修し、集落全体をホテルに見立てた、アルベルゴ・ディフーゾ(Albergo Diffuso、以下ADと表記)が大きな注目を集めている。ADは直訳すると「分散型ホテル」の意味で、現在のAD協会会長ジャンカルロ・ダッラーラ氏が1980年代に提唱した概念である。 イタリアでは日本と同様に少子高齢化が進んでおり、地方の小都市、集落では人口減少や地域経済の衰退が問題となっている。そんな中で、集落内の空き家、空き部屋を宿泊施設として活用し、地域を運営するADは地域活性化に向けた打開策として期待されている。 本研究では、2018年9月にイタリア国内9地域において実施した現地調査をもとに、ADの施設と経営、宿泊者の動向や特徴を明らかにする。さらにその結果を踏まえて、日本における空き家、古民家の宿泊施設への活用の今後の方向性を考察する。2.アルベルゴ・ディフーゾの現状(1)アルベルゴ・ディフーゾの条件 AD協会では加入の条件として「ADが統一組織にマネジメントされていること」「一定以上の水準のホテルサービスが提供されていること」「ADの各建物が適度に離れていること」「ホテルまたは地域内にて飲食、生活サービスが提供されていること」「地域コミュニティに開かれ、宿泊客と融合できること」などが挙げられている。(2)アルベルゴ・ディフーゾの分布 2018年4月時点、AD協会に登録されているADは102地域である。2011年に35地域、2015年に86地域であったことから、毎年10地域のペースで増加している。 ADはイタリア北西部のヴァッレ・ダオスタ州を除くイタリア全州に分布しており、なかでも中部のトスカーナ州、ウンブリア州、マルケ州、ラツィオ州に全体の約1/3のADが分布している。(3)アルベルゴ・ディフーゾ経営の特徴 ADの立地は丘や山麓に位置する町や村、山間部の街道沿いなどに位置するケースが多い。主要都市(空港)からのアクセスは車で1~2時間がほとんどである。 ADの施設については、宿泊室はキッチン付きのアパートメントタイプと、ベッドルームにトイレ、シャワー室がついたB&Bタイプの両タイプが混在している。 ADの経営は家族経営がほとんどである。建築家や飲食店経営などの個人事業主がホテルのオーナーになっている。 宿泊客の傾向をみると、おおむね4月~9月がシーズンで、特に7月、8月はヨーロッパ各地でバカンス期になることから、稼働率が高い状態である。しかし、11月~3月までは宿泊客数がピーク時の1、2割程度に落ち込む。3.まとめ~日本の空き家、古民家の宿泊施設への活用に向けて~ イタリアのADは空き家の再生という観点で、歴史的文化財をしっかり改修した分散型ホテルは観光として有効である。日本で展開するためには宿泊施設してしっかりと費用をかける必要がある。またイタリアの場合はADが機能分散型になっていないケースが多いが、日本では地域をコーディネートする組織(協議会、DMO、DMC)を作りながらADを運営すれば、街づくりと観光を作り出し、大きく発展する可能性がある。
著者
北島 晴美 太田 節子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100141, 2011

1.はじめに<br>日本では,1966年に死亡数が最少の670,342人となった。その後,高齢化の進行とともに死亡数が増加 し,粗死亡率も1979年に最低値6.0(人口1000対)を記録したが,その後は上昇傾向にある。一方,年齢調整死亡率は,粗死亡率が上昇に転じた後も低下傾向にある。粗死亡率の上昇は,老年人口の増加,年少人口の減少により,人口構成が変化し,死亡数が増えたことに起因する。<br>今後,さらに高齢化が進行し,粗死亡率の上昇傾向も継続し,医療費や社会福祉など様々な分野での対応が急務とされる。本研究では,高齢者(65歳以上)の月別,年齢階級別,死因別の死亡について特徴を把握した。<br>2.研究方法<br>使用したデータは,2001~2009年人口動態統計年報(確定数),2010年人口動態統計月報(概数)(厚生労働省)である。<br>月別死亡率の季節変化,年次推移を把握するために,1日当り,人口10万人対の死亡率を算出し,月別日数,閏年の日数の違いによる影響を除去した。また,各年の月別死亡率は,推計人口(各年10月1日現在,日本人人口)(総務省統計局)を用いて算出した。<br>高齢者死亡率は,65歳以上と,65~74歳,75~84歳,85歳以上の年齢階級に分割したものを検討した。<br>3.月別死亡率の変化傾向<br>総死亡(全年齢階級,全死因)の月別死亡率は,2001~2010年において,いずれの月も変動しながら上昇傾向にあり,死亡率は冬季に高く夏季に低い(厚生労働省,2006,北島・太田,2011)。<br>高齢者の場合も,65~74歳(図1),75~84歳,85歳以上の年齢階級のいずれにおいても,月別死亡率は,冬季に高く夏季に低い傾向がある。<br>2001~2010年の10年間の月別死亡率年次推移は, 65~74歳(図1),75~84歳では,いずれの月の死亡率も,次第に低下する傾向が見られる。85歳以上の死亡率は,年による変動が大きい。<br>4.4大死因別死亡率の季節変化<br>2009年確定数による,65歳以上,各月,4大死因別死亡率は,悪性新生物には季節変化が見られないが,心疾患,脳血管疾患,肺炎の死亡率は,いずれも冬季に高く夏季に低い傾向がある。冬と夏の死亡率比(65歳以上,最高死亡率(1月)/最低死亡率(7月または8月))は,心疾患1.7,脳血管疾患1.4,肺炎1.6である。
著者
瀬戸 芳一 福嶋 アダム 高橋 日出男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.223-232, 2019
被引用文献数
1

<p>本研究では,夏季の関東地方南部を対象として,風向の定常性を示す定常度や風向の日変化に着目し,都市の気温分布とも密接に関連する局地風系の交替時刻の地域分布を検討した.日中と夜間との風向変化が内陸で明瞭な海陸風日を抽出し,定常度の変化から判断した交替時刻の等時刻線を描いたところ,日中には海風前線に対応する海岸線に平行した等時刻線の内陸への進行が認められた.一方,夜間の陸風への交替は海風よりも進行速度が遅く,翌5時においても東京都区部の大部分では陸風への交替がみられなかった.東京都区部など海岸に近い地域ほど,1日を通して南寄りの風が卓越し陸風が到達しない日数の割合が大きく,特に東京湾岸では海陸風日のうちの約60%を占めた.そこで,海陸風日の中で沿岸部まで陸風が到達した日について改めて交替時刻を求めたところ,陸風への交替は海陸風日よりも早く,翌5時には東京都区部のほぼ全域において陸風への交替が認められた.</p>
著者
花岡 和聖 リァウ カオリー 竹下 修子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100164, 2016 (Released:2016-11-09)

本研究の目的は,アメリカン・コミュニティ・サーベイを用いて,結婚や出産後も就業継続がより容易なアメリカに暮らす既婚の日本人女性を対象に分析することで,自然実験的に,日本人女性の専業主婦志向やその背後の価値規範を,他の6カ国のアジア出身女性との比較の上で明らかにすることである。ロジット分析による分析の結果,雇用獲得と関係する複数の要因を調整した上でもなお,アメリカに暮らす既婚の日本人女性の雇用割合は他のアジア出身女性よりも目立って低いこと,特に教育水準や夫の収入,3歳以下の実子の有無,夫婦間のエスニシティの差異などの説明変数の効果に他国の出身女性とは異なるパターンを見出した。
著者
松浦 誠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000067, 2018 (Released:2018-06-27)

1.研究目的 奈良県天理市は,天理教の本部が所在し,市域には数多くの天理教施設が立地する。そのため,天理市は日本を代表する宗教都市であるとされる。天理市の都市形態や天理教景観については多くの先行研究がある。西田(1955)は,宗教都市のモデルケースとして市制直後の天理市の都市計画について分析を行った。研究のなかで地形図を用いて都市の拡大の様子を明らかにするとともに,詰所にも着目し,その件数と収容可能人数の増加を示した。シュヴィント(1978)は,天理市を紹介するなかで天理教信徒の様子や教団施設,中心商店街の特色について論じている。桑原(1970)は天理市と天理教の関係性に着目するなかで,明治後半に三島の市街地化が急速に進んだ一方で旧市街の丹波市の成長が止まっていることや,詰所が教会本部から周囲に移動していることを地籍図から明らかにした。また,商店街の業種調査から門前町の特色を確認し,旅館がほとんど存在しないがゆえに詰所の機能が徹底していることを裏付けた。浮田(1975)は奈良県内の他都市と比較することで,天理市の特色を確認した。 上記の先行研究では,主に天理市の宗教都市としての特徴について論文執筆当時の状況をもとに明らかにしている。都市の形成過程について触れたものもあるが,天理教施設の分布から都市の形態に着目するにとどまり,その景観的特徴の変遷については明らかにされていない。一方,建築学においては,五十嵐(2007)が天理教建築の変遷や様式の特徴について論じ,天理教建築は入母屋屋根・千鳥破風という様式であり,大正期に建築された神殿のデザインを模倣し,現在まで取り入れられていることを明らかにした。 本研究では、天理教関連施設の立地展開を含めて,天理教景観の変遷を明らかにすることを目的とする。対象とする期間は大正期から昭和30年代とする。期間の設定理由は資料的制約もあるが,最初期の天理教主要施設の建設が終了した時期からおやさとやかた建設期までを含んでおり,当初の景観から現在の様式の景観が成立するまでの変遷を追うためである。なお,天理教景観とは,①信仰にかかわる施設②教団運営にかかわる施設③信者の子弟の教育施設④信者等の宿泊施設によって構成された景観と定義し,位置を含めて考察する。2.研究資料 大正期から昭和戦前期までの天理教施設の分布と景観を分析する資料として,天理教道友社編輯部編『天理教地場案内』1921,天理教綱要編纂委員会編『天理教綱要』1929-1931,1933-1934,天理教教庁総務部調査課編『天理教職員録』1936に掲載された天理教本部周辺の案内図と中川東雲館『天理教写真帖』1915の写真を用いる。また,天理教施設のなかでも信徒等の宿泊施設である詰所に着目し,景観的特徴について「天理市都市計画図1/3,000(1953年1月測図,1962年3月修正)」や二代真柱・中山正善の講話をもとに明らかにする。3.結果と考察 天理教景観は,大正期から昭和戦前期にかけて,信仰にかかわる施設や教団運営施設が神苑及びその周囲に位置し,それらを取り囲むように詰所が立地,教育施設が外延部に位置するという形態であった。そして,天理教施設のなかでも特に詰所の分布が教会本部から離れる形で広がったことにより,天理教景観も拡大した。また,詰所は囲いや広い敷地など,一般の民家とは異なる特徴をもっていた。しかし,詰所の建物に関する基準はなく,本来は統一性がなかったが,現在はおやさとやかたに用いられている屋根様式を取り入れることで,特徴的な天理教景観を構成している。 詳細は,発表で報告する。
著者
磯谷 有紀
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.60, 2007

<BR> 近年、八ツ場ダム建設に伴う集落移転事業が注目されているが、昭和初期に荒川中流域で行われた大規模な河川改修によって移転を余儀なくされた住民がいたことや、現在でも堤外地に集落が残されていることはあまり知られていない。これまでの荒川の堤外地に関する研究では、集落の立地環境などが明らかにされてきた(池末:1988)が、居住者の生活の実態や集落移転と河川改修の関係を詳細に考察した研究例は見当たらない。そこで、本研究では荒川中流域の堤外地集落を事例に、堤外地での生活および移転の時期と移転形態の関係を、荒川の洪水と河川改修工事を通して明らかにすると同時に、荒川の河川改修が堤外地集落に与えた影響と問題点を検討することを目的とする。本研究では、荒川中流域の羽根倉橋から大芦橋に至る区域の埼玉県川越市古谷上の握津地区、さいたま市の西遊馬地区・二ツ宮地区・塚本地区、吉見町の明秋地区、鴻巣市と吉見町にまたがる古名新田地区の計6集落を対象に、堤外地での生活と堤内地への移転の実態を比較・検討する。これらの集落は、下流に位置する東京を守るための横堤が建設された区域に立地しているという点で共通する。<BR> 堤外地での生活や洪水の実態を明らかにするために、各集落の居住者およびかつての集落居住者へインタビュー調査とアンケート調査を実施すると同時に、河川改修の詳細を知るために国土交通省荒川上流河川事務所へのインタビュー調査も行った。また、河川改修前の集落と住居の位置を復元するために、埼玉県立文書館において古地図(荒川筋平面図など)の調査も行った。1930(昭和5)年に開始された荒川上流改修工事によって、蛇行していた荒川の流路は直線化された。直接この工事区域となった世帯は、移転補償を受けて堤内地へ移転した。しかし、工事区域にはならなかったものの、遊水地となった堤外地に取り残される形となった集落が存在した。昔から水害の多い地域であったため、この堤外地集落の住民(多くは農家)は、水害防備としての屋敷森や水塚、避難用の舟などを備えてはいたものの、工事前までは洪水と共存して生活を営んでいた。しかし、改修工事やその後の上流域においてのダム建設などにより、以前よりも洪水の被害が増大するようになったことを理由に、自ら堤内地への移転を希望するようになった。しかし、国の移転補償が年間1戸程度しか認められなかったため、自費で移転する居住者もあり、この頃の移転形態は世帯の事情などによって違いが生じた。その後、1999年8月の洪水を契機に国の移転補償費が確保されたことから、一括移転が実現した集落(握津地区など)もあった。このことから、集落の移転形態は、移転時期により大きく異なるといえる。さらに、住居の移転とその補償に対する行政や住民の取り組み方によって、移転先が広範囲に分散することとなった集落と、同地区内へ集中する集落に分類できることが確認された。また、今後も堤内地への移転は希望せず、堤外地で農業を継続すると決めている住民がいることや、横堤の上に形成された集落があることは、注目すべき点である。<BR> 以上、本研究で明らかになった点は、以下のようにまとめられる。荒川の河川改修によって始まった堤外地に残された家屋の移転は、改修工事そのものによる移転と、工事の結果堤外地になり、洪水被害が増大したことに伴う移転との二つの要因がある。移転先は、同地区内への「集中移転」(明秋・西遊馬地区など)と、元の集落から離れた地区への「分散移転」(握津地区など)に、移転時期は、多くの住民が1~2年の短期間に移転した「一括移転」(明秋地区など)と、長期間にわたって徐々に移転が進んだ「段階的移転」(塚本地区など)に分類される。<BR> 遊水地としての堤外地となったことで、住民の生活は脅かされ、堤内地への移転、さらには集落の解体へと進んだ。下流の都市地域を守るための公共事業として推し進められた荒川の改修工事は、中・上流域に暮らす住民の犠牲の上に成り立っているといえる。
著者
尾方 隆幸 大坪 誠 伊藤 英之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.44-54, 2020

<p>琉球弧の最西端に位置する与那国島で,数値標高モデル(DEM)による地形解析と,露頭における地層・岩石と微地形の記載を行い,隣接する台湾島との関係も含めてジオサイトとしての価値を検討した.与那国島の表層地質は,主に八重山層群(新第三系中新統)と琉球層群(第四系更新統)からなり,地質条件によって異なる地形が形成されている.与那国島の代表的なジオサイトとして,ティンダバナ,久部良フリシ,サンニヌ台が挙げられる.ティンダバナでは,八重山層群と琉球層群の不整合が崖に露出し,地下水流出に伴うノッチが形成されている.久部良フリシでは,八重山層群の砂岩が波食棚を形成し,岩石海岸にはタフォニが発達する.サンニヌ台には正断層の露頭があり,断層と節理に支配された地形プロセスが認められる.与那国島のジオサイトは,外洋に囲まれた離島の自然環境や背弧海盆に近いテクトニクスを明瞭に示しており,将来的には台湾と連携したジオツーリズムやボーダーツーリズムに展開させうる可能性を秘めている.そのためにも,地球科学の複数分野を統合するような基礎的・応用的研究を継続することが必要である.</p>
著者
竹内 淳彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.10, pp.665-679, 1966

戦後,北九州工業地域の国内的地位の低下の実態と要因を明らかにした.<br> 1. 全地域生産額の75%を占める八幡製鉄など臨海部重化学工業の停滞は筑豊炭の重要性の減少,大陸貿易の中止などによって有利性を失っている上に,巨大な固定設備を要するこれらの工業の新規投資が市場条件などにより他地域に行なわれているためである.<br> 2. 三大工業地帯では生産の中心となっている機械工業部門が,当地域では筑豊炭田・八幡製鉄・小倉兵廠などの発展条件を有しながら4部門合せて11%と全く低調である.これは親企業の自己完結的生産体系によって素材加工部門や部品生産のための下請,再下請群などの生産体系が養成されていなかったためである.今日,耐久消費財部門の成長が全くみられないのもここに原因がある.<br> 3. 日用消費財部門が全く欠如している.これは, (1)八幡製鉄の消費財充足形態が成立の事情などから地元に消費財部門を養成しなかったこと, (2)八幡製鉄が諸雑作業のために,日用消費財生産を支えるべき多くの低位労働力を吸収してしまっていること,および, (3)臨海工場によって埠頭が占拠される結果,雑貨取扱を不振とし,ライナーポート化を困難にするため,港依存の雑貨工業の発達が抑圧されたこと,などによるものである.<br> 4. 北九州の停滞はわが国臨海型重化学工業地域の発展の限界を示す最初の事例と考える.
著者
山本 政一郎 尾方 隆幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100116, 2017 (Released:2017-10-26)

1. 問題の所在 学校教育は,言うまでもなく,学術的な成果に基づいたものでなければならない.しかしながら,地理教育については,その母体となる地理学,さらには関連する地質学や地球物理学などの成果が適切にフィードバックされていない現状があり,特に大地形についてはいくつかの指摘がなされている(たとえば,岩田 2013;池田 2016). 高校「地理」「地学」で扱われる分野には,共通する内容が多い.両科目で共通する分野については,お互いに協調して対象を取り扱うことで,地球に対する理解をより総合的・系統的に身につけさせることができる.しかしながら,同じ内容を説明しているにも関わらず両科目間で用語が異なっていたり,内容の解説そのものに相違があったりする.さらに,同一科目内においても,同じ内容を示す用語が教科書会社によって異なっているなど,混乱がみられる. この現状は学校教育現場に混乱をもたらす.とりわけ,教育を受ける側の生徒にとっては,受験に伴う不公平さえ生まれかねない.これらの問題を即時に解消することは困難としても,教育者側が相違の現状を把握しておくことで,それらに留意した説明をするなど,教育現場での対応が可能になる.そのためには,まずは教育現場で実際に使用されている教科書を分析し,課題を可視化する必要があろう. 本発表では,高等学校「地理」「地学」において,教科書によって記載が異なる事項を中心に,2017年度に使用されている全ての教科書(地理B:3冊,地理A:6冊,地学:2冊,地学基礎:5冊,科学と人間生活:5冊,計21冊)を対象に,用語のブレを比較検討する.地形分野については,大地形および沖積平野,土砂災害に関する用語がどのように扱われているか,またそれらの発達史・プロセスがどのように扱われているかについて報告する.気象・気候分野については,大気大循環に関する用語・説明の範囲,および気候区分に関する記述の違いを中心に報告する.2. 用語問題の類型発表者らは用語問題を以下の3つの類型に分類している.類型I)科目内の違い……同一科目内において,同じ内容を示す用語が教科書会社によって異なっているもの.大学受験など,科目内で統一した知識が必要となる際に障壁となる.類型Ⅱ)間の違い……同じ内容を説明しているにも関わらず両科目間で用語が異なる.地理・地学の連携を行う際に障壁となる.類型Ⅲ)学術用語との違い……学術界で死語となった,あるいは変更されて現状で使用が不適切な語.大学での教育を含む日本国内の知識理解の向上のために使用を改めたい. この類型に加えて,異音同義語(同じ定義だが異なる用語)と同音異義語(異なる定義だが同じ用語)の分類も重要である.学習者にとってはどちらも混乱を生じるものであるが,前者の問題は同じ定義であることを確認できれば解消しうるものの,後者は学術的に極めて不適切といえる.  3. 改善に向けて 将来的には「地理」「地学」両領域にまたがって用語の用例・相違の状況を把握できるように,用語の状況を整理・統合して公表しているデータベースの構築が望ましい.文部省発行『学術用語集』のように一時点での情報で,かつ情報がその持ち手に限られる媒体のみではなく,情報を閲覧しやすく,更新しやすいオンライン形式であれば,教員,教科書会社,大学入試作問者,学習者である生徒も使えるものとなろう. 【文献】池田 敦 2016. 月刊「地理」, 61 (2): 98-105.岩田修二 2013. E-Journal GEO, 8 (1): 153-164.尾方隆幸 2017. 月刊「地理」, 62(8): 91-95.山本政一郎・小林則彦 2017. 月刊「地理」, 62(9): 印刷中.
著者
畠山 輝雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.29-43, 2020 (Released:2020-01-01)
参考文献数
34
被引用文献数
1

本稿は,全国の地方自治体へのアンケート調査により,公共施設へのネーミングライツ(以下,NR)導入の最新動向を明らかにし,その特徴について考察する.またそれを踏まえ,関連する既存研究と併せて今後の地理学的研究の可能性を探る.日本のNRは,地方自治体の脆弱財政下において官民協働や自主財源確保を目的とした広告事業の一環として導入されている.しかし,その導入状況には地域差が生じている.この理由として自治体の保有する公共施設の種類やスポンサーとなりえる企業等の立地状況が関係している.また,NR導入により施設名が変更されることで,施設名から地名が消失する事例も生じている.さらに,NR導入に対して,議会承認をはじめとする合意形成が行われていないことも明らかとなった.これらの課題に対して,経済地理学,行政地理学,地名研究,政治地理学,社会地理学をはじめとする地理学的研究の蓄積が望まれる.
著者
酒井 扶美 立見 淳哉 筒井 一伸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.14-28, 2020 (Released:2020-01-01)
参考文献数
13
被引用文献数
5

「田園回帰」という言葉で,都市から農山村への移住に注目が寄せられている.しかし,農山村への移住者の増加による新たな「なりわい」の創造と,自治体をはじめ多様な主体が行う起業支援とは密接にかかわっていると考えられる一方,その実態についての調査研究は十分には行われていない.これに対し,本稿では,兵庫県丹波市を事例に,特に制度的な起業支援のみならず,移住者と地域住民との起業を介した新しい関係性の上で,どのようなサポートが生み出されているのか,その詳細な実態を明らかにした.移住起業のサポート実態を理解する上で,単に制度的なサポートだけではなく,地域における様々な主体が行なっている支援の総体を把握する重要性を改めて示すことができた.
著者
重野 拓基 澤田 康徳 埼玉県熊谷市政策調査課
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-13, 2020 (Released:2020-01-01)
参考文献数
25
被引用文献数
1

本研究では,夏季の高温が顕著である熊谷市を対象とし,熱ストレスにより保健室に来室した児童生徒の割合の地域性を明らかにした.さらに,在校時(8~18時)の最高気温・湿度と来室者割合との関係を明らかにすることを試みた.来室者割合と各地点の全地点平均からの湿度差との相関係数はr=0.43で有意であったが,気温差との相関係数はr=-0.06で有意でなかった.来室者割合が大きい地点は,市北東部~南西部に認められた.これらの地点では全地点平均より平均的に湿度が高く,気温差は小さい地点が多い.市北東部~南西部の土地利用が水田であることから,児童生徒の熱ストレスによる身体的不調には,学区の土地利用に関係した湿度の影響が大きい可能性がある.児童生徒の熱中症やそれに至る熱ストレスによる身体的不調を予防するためには,学区スケールの暑熱環境の把握が重要であると考えられる.
著者
小嶋 和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.122, 2019 (Released:2019-03-30)

火山と人間の共生という観点から、継続的な噴火が見られる桜島の人々の営みを明らかにすることは、火山との共生の在り方の1つの例を示すこととなる。本論では桜島の土地利用変化から、火山活動が地域社会にどれほどの影響を与えどのような変化をもたらしたのか、自然と社会条件の両側面から考察する。さらに、地域社会の変化とともに桜島の火山活動が人々に与える影響がどのように変化したのかに注目し、火山との共生の在り方について考察を行った。桜島は、北岳と南岳からなる複合火山である。1946年に溶岩を流出した昭和火口は2006年から活動を再開した。現在は南岳か昭和火口から噴火が継続している。北岳の北~西部山麓には主に火山麓扇状地の地形が見られ、南岳の北東~南部には古期南岳噴出物と新期南岳噴出物とが複雑に入り組みながら分布する(小林ほか2013)。山麓には火山を囲むように17の集落が存在し、北西部が旧桜島町、南東部が旧東桜島村である。両地域ともに農業や漁業が中心産業だが、近年観光業にも注力している。噴火回数と降灰量の変化(鹿児島地方気象台による)は以下の通りである。①1955~1971年:南岳の活動が開始した。②1972~2001年:南岳の活動が活発化し、多量の降灰が問題となった。③2002~2007年:南岳の活動が停滞した。④2008~2017年:昭和火口からの噴火が始まり、ふたたび多量の降灰をもたらした。土地利用の変化(3時期のGISによる分析)は、旧桜島町域においては、火山麓扇状地全体に露地の果樹園や畑が広がっていた。しかし、1975年から1995年にかけて、標高150m以上の上場地帯を中心として耕作放棄地が増加した。また、降灰営農対策事業の後押しにより、施設園芸も増加した。1995年から2015年にかけては、耕作放棄地や施設園芸がやや減少し、北西部に露地の畑が増加している。旧東桜島村域においては、多くが溶岩台地であり、耕地として利用できる地域が限られているが、標高の高いところには同様に耕作放棄地が見られた。社会の変化(統計資料・文献・聞き取りによる)は、旧桜島町域においては、1970年代初頭までは農業従業者が多かった。しかし、1970~1975年にかけて、専業農家が著しく減少し、全年代で農業従事者が減少した。専業農家の減少とともに、町内の公共土木事業を担う建設業や、島外の会社や商店で働く人が増加した。以上より、旧桜島町域と旧東桜島村域は、行政区域上の違いだけではなく地形地質が異なっており、それが土地利用や産業、人口の違いを生んでいる。また、旧桜島町域における年代による土地利用変化の要因は、①1970年~1990年代後半:南岳活動活発化以降、急速に耕地や収穫量が減少し、耕作放棄地と施設園芸の面積が急増した(石村1981・1985)ことから、火山活動が土地利用変化の大きな要因だったと考えられる。②1990年代後半以降:火山活動と関係なく耕地面積が変化していることから、火山活動は土地利用変化の大きな要因ではなく、1970年代以降若年層を中心に離農が進んだことによる農家の高齢化の進行や後継ぎ不足などの影響が強い。また、施設園芸の普及により降灰被害が抑制できるようになった。最後に、旧桜島町域における土地利用の地域差の要因は、標高と降灰堆積量が大きな要因であると思われる。高齢で人手が少ない農家を中心に、上場地帯から漸次放棄されていくが、特に北部は温州みかんの育成園が多かったことや、火口に比較的近く降灰堆積量が多かったために農作物への被害が大きく、耕作放棄が進んだと考えられる。桜島では現在農業は主たる産業ではなくなり、かつて生活に大きな影響を与えた降灰被害以上に、島内の雇用の少なさ、フェリーによる移動などが生活の支障となっており、全国的に見られる農村と同様の課題を抱えていると言っていい。近年は、NPO法人やUターン者を中心として桜島全体を観光資源として活用しようという動きがある。新たな火山との共生の形が桜島で生まれつつある。
著者
原口 剛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>1.はじめに—寄せ場研究からの問い</b></p><p></p><p> 地理学における寄せ場研究の先駆である丹羽弘一は、1990年代初頭に、寄せ場のジェンダー問題という困難な問いに取り組んだ(丹羽 1992, 1993)。すなわち、釜ヶ崎で起きた性差別事件や糾弾を受け止め、研究者のアイデンティティと立場性を問うたのである。その自己批判と学界制度への批判は、いまなお際立った重要性をもつ。他方で、丹羽の問いを継承しつつ乗り越えることは、現在の私たちの責務であろう。たとえば丹羽は、自らの内なる権威主義を振り払うべく、生身の人間として他者と「ぶつかりあう」よう訴える(丹羽 2002)。だがそれでも、私たちはフィールドの他者から研究者として視られるだろうし、その立場を隠すわけにはいかないだろう。とするなら、私たちがフィールドの他者に関わり、社会的現実と切り結ぶには、研究という活動によるしかない。</p><p></p><p>このような問題意識にもとづき本報告では、かつて丹羽が成したように、路上の運動の声や実践に応答しうる理論の視角を模索したい。具体的には、野宿者運動の状況と、地理学の理論的動向という2つの地平を取り上げる。それぞれの地平において、フェミニズムの視角はいっそう重要なものとなりつつある。かつ、フェミニズムからの問いは、90年代とは異なる射程を有している。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>2.運動の状況—寄せ場から野宿者運動へ</b></p><p></p><p> 1990年代以降の寄せ場では、日雇労働者の大量失業がもたらされ、都市の公共空間に野宿生活が広がった。この現実に直面して、運動の姿勢は2つに分岐した。既存の労働運動は、野宿を非本来的な生活として捉え、そこからの脱却と労働市場への復帰を最優先課題とした。これに対し野宿者運動は、彼らの実存を肯定し、公共空間においてその労働・生活を守ろうとした。</p><p></p><p>後者の野宿者運動は、90年代末に現れた潮流である。この新たな運動は、既存の運動の枠を超えた実践を志向した。第1に、寄せ場の運動における労働者主体の把握は、あまりに狭く限定的だった。なぜなら、野宿生活者は下層労働市場からも排除されており、彼らが従事するのはアルミ缶集めなどの都市雑業である。第2に、公園などの占拠や反排除闘争は、最も重要な実践であった。ゆえにこの運動は、世界各地のスクウォット闘争を参照し、公共空間とはなにかを問うた。そして第3に、この潮流において、フェミニズムの声や実践は無視し得ないものとなった。その異議申し立ての声は、性差別の問題はもちろん、それを下支えする国家と資本主義への対抗へと向かっている。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>3.理論の動向—マルクス主義とフェミニズム</b></p><p></p><p>路上の運動が変転を遂げているならば、理論も同じ場所にとどまるわけにはいかない。丹羽が議論を展開していた90年代においては、文マルクス主義とアイデンティティの政治は鋭く対立し、フェミニズムもまた後者の陣営に数えられていた。だが2000年代に入ると、マルクス主義とフェミニズム双方のなかで、重大な転換が生じたように思われる。</p><p></p><p>一方のマルクス主義地理学において、その代表的論者であるD・ハーヴェイ(2013)は、本源的蓄積の再読を通じて「略奪による蓄積」という概念を提起した。そしてこの概念にもとづきつつ、「労働の概念は、労働の工業的形態に結びつけられた狭い定義から……日常生活の生産と再生産に包含されるはるかに広い労働領域へとシフトしなければならない」と明言する(p. 239)。このように再生産領域を重視することでハーヴェイは、潜在的にであれ、フェミニズムとの交流可能性を開いた。</p><p></p><p>他方のフェミニズム研究においても、おなじく本源的蓄積がキー概念として浮上しつつある。たとえばS・フェデリーチ(2015)は、女性の身体をめぐる抗争が、資本主義の形成史において決定的な戦略の場であったことを論じた。そのことによりフェデリーチは、賃労働や労働市場を自明の前提とするのではなく、労働市場が形成される過程のうちに見出される抗争こそ、階級闘争の根底的な次元であることを看破した。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>4.おわりに</b></p><p></p><p>運動における新たな志向性と、研究における理論の動向とは、別々の局面でありながら、同じ方向へと進んでいるように思われる。そして双方の地平において、フェミニズムの声や理論は欠かせない契機となっている。そこから、いくつかの命題や課題が見出される。第1に、本報告でみたフェミニズムの実践や理論は、アイデンティティの政治を超え出て、資本主義と階級に対する批判的視角を打ち出している。よって、ジェンダーの視点と階級の視点とを、互いに切り離すことはできない。第2に、この理論的地平において、労働の概念を問い直しは中心的課題の一つである。つまり、労働市場の内側だけでなく、その外側に広がる搾取や略奪の機制を捉える視点が求められている。</p>
著者
岡田 俊裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.20-38, 1996-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
128
被引用文献数
1

地質学専攻の小川琢治 (1870-1941) が地理学研究に着手したのは,『台湾諸島誌』 (1896) を執筆し,『地学雑誌』を編集した (1897~1907年)ことに要因があった. 1908年京都帝大地理学講座の主宰者となった小川は,孤立荘宅と条里集落に関する研究を例示して居住地理学研究を唱導した.当初彼は,農業経営や農村生活へも考察を及ぼす姿勢を示したが,以後,もっぱら村落居住の起源・成立と変遷の研究を重視するにいたった.また小川は,刀剣の銘文を判読して刀工の地理的分布を明らかにした.それは当時の有力な集落の分布を示し,古代・中世日本の地域像の描出に役立った.小川が翻訳または考案した地理学用語は,あまり普及したとはいえない.しかし,彼の創見に富んだ研究業績は,高い研究レベルにおいて強い指導性をもった.ことに居住地理学の分野にはそれが明瞭に認められ,歴史地理的考察を軸とする研究方法は今日の人文地理学にも直結している.
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.20, 2019 (Released:2019-09-24)

1.はじめに 旧版地形図をWebサイト上で配信・閲覧する「今昔マップ旧版地形図配信・閲覧サービス」は,2005年にWindowsソフトとして開発を開始し,2009年にインターネットダウンロード,2013年にWebサイトとして開発を継続している(谷 2005,2009,2017)。2022年から実施の高校の必履修科目「地理総合」においては,防災などの単元で新旧地形図の読み取りが地理的技能として位置づけられており,これまで以上に旧版地形図が活用されることが想定される。そこで,今昔マップでは,従来の大都市地域だけでなく,収録範囲を47都道府県の県庁所在地まで広げるとともに,機能面でも改良を行っている。2.データセットの追加と利用状況 今昔マップは当初は首都圏のみだったが,3大都市圏,政令指定都市と範囲を拡大し,2019年6月の津と山口の公開により,全県庁所在地を網羅し,現在37地域の地形図3,759枚が収録されている。収録範囲の拡大にともない,2014年には1000件/日程度だった「今昔マップ on the web」のアクセス数は,2018年以降は6000件/日を超えるようになっている。3.システム面での改良 「今昔マップ 旧版地形図配信・閲覧システム」は,地図タイルを配信するタイルマップサービス,WindowsPCにインストールして使用するデスクトップソフト「今昔マップ3」,Web上で閲覧する「今昔マップ on the web」から構成される。このうち「今昔マップ3」は大きく変化していない。 タイルマップサービスについては,限られたサーバ容量の中でデータセットを追加するため,ファイル容量の削減に努めた。まず,従来256色(8ビット)で保存していたカラー地形図画像を,16色(4ビット)に減色した。これにより,カラー画像の場合はファイルサイズが半分近くまで減少した。また,海域が広い図面は,細かな青色ドットのためファイルサイズが大きくなっていたため,海部を白抜きにして加工し,ファイルサイズを縮小した。さらに,当初は独自に色別標高地図タイル画像を作成しており,重ねられるようになっていたが,地理院地図の色別標高図を使用することにして独自の標高タイル画像は削除した。サーバのデータ容量の削減により,データセットの追加が可能となった。 「今昔マップ on the web」については,状況の変化に伴いシステムを大きく変更した。まず2016年には,スマートフォン等で位置情報を使用するためSSLで呼び出せるようにした。さらに,公開開始時にはGoogle Maps APIを利用したシステムだったが,2018年に無償使用の範囲が縮小したため,オープンソースWeb地図ライブラリ「Leaflet」を使用することにし,JavaScriptのプログラムを全面的に書き換えた。それまではデフォルトでGoogleマップが右側に並べて表示されていたが,Leafletになってからは地理院地図がデフォルトとなった。しかし,Googleマップで利用できるストリートビューは古い街道の現状を見る際などで有用なため,右クリックで当該地点のGoogleマップにリンクするメニューを作成した。Googleマップだけでなく,YAHOO!地図やMapion等の地図サービスにもリンクしている。また,Leafletに変更した際に,それまでの1画面または2画面表示に加え,4画面に分割して表示できるようにした。 昭和戦前期の一部地形図では,軍関係施設などが消されるなどのいわゆる戦時改描が行われている。戦時改描図は,図郭外の定価欄が( )で括られているとされており,今昔マップ収録地図においてもそうした図面が51枚含まれる。戦時改描図は,知らない人が見ると改描を信じてしまう可能性がある。そこで今昔マップでは,定価欄が( )で括られている図面の上にカーソルがある場合は,図幅情報として地図上に注記することとした。具体的に地図上で改描されている箇所はわからないものの,改描の可能性を注意喚起することはできめるだろう。 文 献谷 謙二 2005. 時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ』(首都圏編)の開発.埼玉大学教育学部地理学研究報:25,31-43.谷 謙二 2009.時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ2』(首都圏編・中京圏編・京阪神圏編)の開発 .GIS-理論と応用:17(2),1-10.谷 謙二 2017.「今昔マップ旧版地形図タイル画像配信・閲覧サービス」の開発.GIS-理論と応用:25(1),1-10.
著者
土屋 純
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.140, 2010 (Released:2010-11-22)

本発表では「商品」の持つ意味に着目し,都市研究と流通システム研究との新たな融合を試みたいと考える.比較的古くから存在する商品であり,近年では流通チャネルの多様化が進んでいる「化粧品」に着目していきたい. 流通システム研究における「商品」の取り扱い 地理学における流通システムに着目した都市研究は,(1)都市空間における商業の集積・分布パターンを検討した研究,(2)商品フローに着目した流通システム研究,(3)都市社会と消費との関係に着目した研究,の3つに大別できると考える.流通システムを取り扱っている以上,商品について少なからず考察が行われていると考えられるが,では3つの分野ではどのように「商品」を取り扱ってきたのであろうか. まず,(1)の分野では,商品への着目は概して少なかったといえよう.ベリーの中心地研究を引用しつつ,店舗の集積や分布状況について検討し,商業と都市構造との関係について検討してきた. (2)の分野では,商品のフローに着目し,主にチェーンストアなどを題材として,地理的に広がる市場に対してどのように商品が配送されているのか,配送コストに着目して分析してきた.その際の商品の取り扱いは,大量販売としての商品の「量」,配送コストなどの「コスト面」への着目である.こうした研究では,流通システムの経営的,経済的仕組みを解明することに主眼が置かれていることから,流通の最終段階である「消費」に対する考察が十分に行われていなかった.その結果,商品の質的側面について検討してこなかったといえよう. 都市研究における消費への着目 では,(3)の分野では商品はどのように取り扱っているのであろうか.注目したいのは,アメリカの諸都市におけるジェントリフィケーション研究における消費への着目である. 例えば,Smith(1996)は,スターバックスコーヒーに着目し,ジェントリフィケーションとの関わりを検討するために,スターバックスにおける店舗デザイン,商品開発,サービスを考察している.(1)都市のインナーシティにおける再開発地域という環境が,1990年代中頃までにスターバックスの営業戦略を形作り,(2)シアトル系コーヒーという商品文化がチェーン展開によって様々な地域に展開していったこと,を指摘している.ジェントリフィケーション研究では,新中間層の消費に着目して,新たな食文化を題材として場所の意味について考察しているのである. 他にも(3)の分野では,ショッピングセンターの建造環境や,グローバルな商品連鎖と消費,など様々な側面に着目した研究が行われており,欧米諸国の都市社会を舞台に議論が進んでいる. 化粧品流通から日本の都市を捉える 本発表では,日本における化粧品の流通システムについて検討し,都市空間,消費との関わりについて捉えることを試みる.欧米のように日本の都市社会でも階層分化が進行し,消費が多様化していると考えられるが,(1)化粧品流通はどのように進化しているのか,(2)都市空間の中でどのように再編成されているのか,の2点ついて検討できればと考える. 化粧品とは,基礎化粧品とメークアップ化粧品といった顔につけるものから,ボディ用商品など多岐にわたる.化粧品の流通システムは,百貨店のインショップでのメーカーの直接販売だけでなく,コンビニやドラッグストアでの大量販売も行われ,近年ではインターネットやテレビなどの通信販売も発展している.また,@コスメなどインターネットの書き込みサイトも登場し,新たな社会ネットワークも発達している. 参考文献 Michael, D. Smith. 1996. The empire filters back: consumption, production, and the politics of Starbucks coffee. Urban Geography 17: 502-525.