著者
土方 由紀子
出版者
奈良女子大学
雑誌
奈良女子大学社会学論集 (ISSN:13404032)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.197-211, 2011-03-01

The purpose of this paper is to discuss the change of the free school to Public School. Recently, the government and the free school think that the diversity of the school is necessary and people think that we should change the school. Because the school has a lot of problems like bullying and "Futoko", etc. The free school that insisted on "Ikikata" changed the meaning of "Futoko" and they think that "Futoko" needs various educations. The government thinks about the necessity of diversity for the nation, and the free school thinks that diversity is necessary for the child. It was clarified that the free school thought becoming Public School to be one of the diversifications and it proposes that the free school be taken to the government as a universal education. The government begins also to take the activity of the free school positively as one of the diversifications. However, there is a trap in the diversification. Foucault is discussing that the school is a system for the modernization. It is recalled the modernation system that the free school becomes Public School. "Futoko" is recalled to the modernization system by the diversification. The latent function of the school is standardization and it reaches "Futoko".
著者
大野 道邦 小川 伸彦
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本研究の目的は、記憶と文化の関係について18世紀初頭の「赤穂事件」を手掛かりに分析し「文化社会学」の理論的・経験的な可能性を追究するものである。この場合、(1)記憶は既存の文化的な「枠」に準拠して「構成/再構成」される、(2)記憶は集団や個人のアイデンティティ形成の焦点となり、新たな「文化」や「物語」として「生成」する、という仮設を設けた。研究の結果、次の知見等が得られた。1.文化論・記憶関係の諸議論を検討し、記憶と文化の関係の二重性や記憶様態の類型を理論的に明確にした。2.『假名手本忠臣蔵』の英仏訳書や忠臣蔵論等を検討し、赤穂事件記憶の演劇文化や国民文化としての成立過程の一側面について知見を得た。3.『忠臣蔵』の歌舞伎上演記録から、明治末から大正にかけての上演数の突出を確認し、これがナショナリズムの高揚と結びつく国民文化の形成に関連すると指摘した。4.事件記憶の構成において「サムライ名誉文化」がどの程度「枠」として機能したのかについて、事件論評や武士(道)関連文献を検討し理論的な知見を得た。5.「赤穂義士祭」について、義士祭・義士会および観光関係の資料を収集し義士祭の担い手やツーリズム的特性について知見を得た。6.愛知県吉良町における吉良義央関係の史跡・事績・伝承等を整理し、「対抗記憶」が形成されてきたことを確認した。7.京都・山科の岩屋寺における拝観者への対応に関する調査により、事件に関する語りを採取し分析した。8.長野南部伝承の義士踊りを現地調査し歴史的事件の芸能化に関する知見を得た。9.「銚子塚」(川崎)、「泉岳寺」(東京)、「大石神社」(京都)の調査結果を比較しつつ、義士記憶にまつわる祭祀のあり方を分析した。10.「忠臣蔵サミット」関係の資料を分析し、事件記憶の行政文化的・地域文化的な資源=資本化の動態について知見を得た。以上の調査研究から記憶と文化の関係の二重性仮説をある程度検証することができた。
著者
小路田 泰直
出版者
奈良女子大学
雑誌
日本史の方法 (ISSN:18804985)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.112-123, 2006-01-16
著者
早川 華代
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間文化研究科年報 (ISSN:09132201)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.280-290, 2012-03-31

This study is concerning Mumyo zoshi, which was written in about 1200. It is said to be the oldestJapanese literary criticism, attributed to Shunzei kyo no musume.My purpose is to show how she was influenced by the Heike family and their original culture.I consider that Heike had a characteristic culture. For example, they loved an ancient Japanese novel TheTale of Genji, and they were copying the hero of The Tale of Genji.The Heike clan was in power for the few decades at Kyoto, but they were overthrown in 1185 atDannoura. After about 15 years, Mumyo zoshi was wrriten. In those days, one new literary work appearedafter another, under the influence of a good old memory of Heike family. I suppose that Mumyo zoshiis one of them. Because we can find in Mumyo zoshi some key words relating to their surrounding, justlike "Saishoukouin": a great Buddhist temple built for Kenshunmonin. I explore that "Saishoukouin" is asymbol of the age of Heike clan.Another exemple is "Urazutai": it means the movement from beach to beach. Especially, Urazutaiof Hikaru Genji from Suma to Akashi is well-known. This term was very popular in those days, so thatwe can find it in many poetry anthologies or several Japanese proses wrriten in the Kamakura Age. In TheTale of Heike, Urazutai was also used many times. The Heike clan was described as a tragic hero, just likeHikaru Genji in the Suma chapter.The author of Mumyo zoshi loved much also The Tale of Genji, particularly Suma chapter wasimportant. That is why Mumyo zoshi was undoubtedly inflenced by Heike.
著者
中島 道男
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

[第1章]魅力的な社会批判のあり方を探るために、日本の知識人をめぐる言説を検討し、ロマンチックな観念性/普通の日常生活という対立への批判、観念的な自己還帰に終わるラディカリズム批判、“九〇度の転向"論などに注目した。さらに、近代化と知識人をめぐる問題、とりわけいわゆる近代主義をめぐる議論を検討することによって、魅力的な社会批判といえるためには、知識人が論じるその対象が「その内部に自己をふくんだ集団」であることが必要、という論点が得られた。魅力的な社会批判にかんする以上の議論を内在的社会批判の立場として整理した。[第2章]戦後日本の知識人を幾人かとりあげ、彼らがムラ共同体をいかなるスタンスから取り扱ってきたのかという問題を検討した。そこで確認されたのは、「没批判の現状肯定」か外在的社会批判かという二者択一は誤れる選択だということである。換言すれば、きだ・みのるの知識人としての仕事の意義をもっとも明確なかたちで取り出せるのは、戦後の進歩的な知識人に往々みられた、自己を、日本の外部、西欧型の近代市民社会におくという「自己特権化という欺瞞」への対抗という脈絡においてである、という論点にほかならない。そして、こうした立場がなぜ「没批判の現状肯定」ではないのかということを明らかにすることの可能な枠組みづくりをめざした。[第3章]前2章の、知識人・きだみのるの位置を確定するするための枠組みづくり作業を踏まえて、きだ・みのるの評論活動を、彼の著作・論文・エッセイを読み込みながら検討・考察し、彼の社会批判のスタイルが、外在的社会批判に対比される内在的社会批判の立場にほかならないことを指摘した。そのさい、検討の中心においたのは、きだ・みのるがいわゆる“東京の知識人"にたいしていかなるスタンスをとっているかという点である。[資料]「きだ・みのる著作一覧」(論文やエッセイも含む)
著者
小林 久高
出版者
奈良女子大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1994

当初より、本研究は、第1に原発問題をとらえる枠組みの構成、第2に島根原発をめぐる地域問題の分析、という2つの課題を設定していた。研究ではまず第1の課題を達成するため、(1)関連の先行業績を検討するとともに、(2)全国紙における原発関連の記事を収集し、また(3)世論関係の資料を収集することによって、原発問題をとらえる基本的な枠組みを構成した。そこで明らかになったことは、原発問題をとらえる際には、社会学の各分野のうち、社会問題論、社会運動論、生活構造論という3つの分野からのアプローチが有用であり、それらを総合した視点が必要であるということである。同時にまた意思決定の過程についての考察が重要であり、政治社会学的な観点からの接近も欠くことはできないということも明らかになった。第2の研究課題である、島根原発の研究は、これら4つの研究分野(政治社会学、社会問題論、社会運動論、生活構造論)との関連で進められていった。具体的には、政治社会学の枠組みをもとに地域政治における意思決定のありようを探るため、地方政治家や議会議事についてのデータが収集された。社会問題論との関連では反原発団体の活動を、主として地方紙を中心に検討した。原発問題をどう考えるかということにかんしては、住民全体が決して一様な意見を保持しているわけではない。商工会と漁民の見解の相違などは顕著なものであるが、そこには当事者の生活のありようが反映している。そして、生活は地域の長い歴史と関連している。したがって、原発所在地である鹿島町の歴史について考察することも重要であると判断し、資料収集を試みた。以上の基礎的な資料をもとに、今後さらに分析を進めていく予定である。
著者
佐久間 春夫 松本 清 品冶 恵子 酒井 茉帆 山本 美由紀
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

時々刻々と変化するスポーツ場面で、無意識的に最適方略を選択し、遂行する選手の受動的注意能力の変動状況を明らかにすることにより、瞬間情報処理能力を実現する最適配分のメカニズムを知る為に、注意のタイプ、眼球運動、脳波から検討を行った。クローズドスキル系の注意の「柔軟性欠如」「過度の狭さ」が、オープンスキル系では眼球運動における周辺視野の活用の高さが見出された。さらに注意と意欲について脳波の特徴を見出した。
著者
住友 元美
出版者
奈良女子大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2003

本年度は、主に、近現代日本の高等教育における女子大学の位置づけに関して、以下の研究を行なった。I、1、戦後に新たな家政学樹立の必要性を輪じていた今和次郎の「家政論」およびその後の「生活学」研究について史料解読を行なった。2、戦前・戦後に展開された女子高等師範学校および女子専門学校による大学昇格運動について史料の分析を行なった。3、戦後に誕生した新制大学における「一般教育」導入の意義について史料調査し、先行研究の検討を行なった。以上から、戦後の新制大学創設期に学問として独立していく(させられていく)家政学と今が提唱した「新しい家政学」とを比較検討して、戦後家政学の確立と女子大学誕生との関係を明らかにし、戦後女子大学(「家政学部」を女子大学の特徴として掲げる大学)が、戦後新制大学の規範的存在となる可能性を持つものであったことを示して、日本高等教育における女子大学の意義について言及した。(「戦後日本の高等教育における女子大学誕生の意義-今和次郎の「家政論」をてがかりに-」)II、Iに引続き、今の「家政論」を主なる史料として、戦後日本の復興(民主主義化)と新たな家政学樹立および「一般教育」との関係について検討した。(論文作成中)
著者
登倉 尋実 飯塚 幸子 奥窪 朝子 田口 秀子 田村 照子 大野 静枝
出版者
奈良女子大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1989

"健康・快適"をキャッチフレ-ズとして,様々な特殊機能を付記していることを誇大な表示と広告で示した衣料品について,平成元年度に実態調査を行った結果,着用効果が確認されていないものや弊害が考えられるものが含まれていた。広告の実態が,果して表示通りの機能を有しているかどうかを,また人体生理に与える影響について,実験室及びフィ-ルドにおける着用実験で,平成2年度から3年度に調べ,得られた主な実見は女下の通りである。登倉はウォタ-ベットについて,使用時には通常のベット使用時よりも深い睡眼が得られるが水温設定には注意を要することを報告し,飯塚は睡眼実験によって,特殊機能を付記した部位別温度制御可能電気毛布の問題点をあげ,伊藤は拘束衣服の着心他と整容効果は数gf/cm^2の被服圧によって影響を受けることを,大野は女子大生約50名について,サポ-トタイプパンストの使用実態,着用感のアンケ-ト調査結果と,市販のサポ-トタイプパンストを収集分類して10種を選んで行った着用実験の結果を,奥窪は成人女子被験者及び発汗マネキンによるサウナス-ツ着用実験の結果をス-ツ下に着用する肌着素材及び発汗量レべルとの関連について,田村は,パンストによる過度の身体圧迫は血流を抑制することを,出口は健康サンダルには明確な仕様書や品質表示がないこと,またサンダル底面の刺激点と使用者の土踏まずとの適合性は個人差が大きいことを,栃原はー5℃の人工気候室内で一般のスキ-ウエアと,特殊加工し保温性に優れると称しているスキ-ウェア-とを着用した実験結果を,緑川は寒冷環境において特殊下半身加温用足温器を着装時には非着装時よりも作業能率低下が少なくなることを,中谷は衛生加工は洗濯によりその効力が失われることなどを,綿貫はハイサポ-ト型パンテイストッキングを着用すると心臓への静脈還流量が増し血行が改善された可能性があることを報告した。
著者
久保 博子
出版者
奈良女子大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1996

夏期に温熱的快適となる冷房温度範囲,特にスカートを着用した女性にとって好ましい冷房温度を求め、冷房温度の基準化のための基礎データを得ることを目的とし,約30名の青年女子を被験者として夏期の温熱的快適性を測定する実験を人工気候室で行った。まず,好みの温度を選択する実験を行い,その平均値とばらつきを測定した。また,あらかじめ調節された温度を評価する実験と、好みの温度を選択する実験とでは快適性に違いがあるかどうか、同じ被験者で同時期に実験を行い検討した。さらに個人差が体格、生理的機能の違い、生活習慣等と関係あるか要因分析を行った。その結果以下の点が明らかになった。(1)30名の青年女子被験者に選択された気温は,23.5℃から30.5℃の範囲で約7℃の気温差が認められ,平均値は約27℃であった。その時の皮膚温は選択した気温と相関が認められるが,どの被験者も温冷感は「-1:やや涼しい」から「-2:涼しい」,快適感は「+2:快適」の申告で,選択した気温による差はなかった。(2)設定気温の評価実験では,気温選択実験における高温選択グループと低温選択グループで皮膚温には大差が認められなかったが,高温選択グループでは同じ温度でもより寒く感じ,28℃で最も快適と感じているが,低温選択グループでは同じ温度でもより暑く感じ,24℃付近でもっとも快適と感じている。(3)自己申告である「暑がり」「寒がり」には選択気温にも設定気温評価にもあまり差は認められなかったが,普段の生活で冷暖房機器の使用には差が認められた。(4)一定の環境評価での快適温度より快適な自由選択気温の方が個人差は大きかった。
著者
西村 雄一郎
出版者
奈良女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010

ラオスの首都ヴィエンチャン近郊の農村地域で住民参加型GISを導入・利用し,村民・現地の研究者とともに継続的・長期的な生活環境・自然環境に関わるデータを取得することを可能にする新しい方法の開発を行った.村民の日常生活行動と周辺の環境に関わるデータを長期的に取得し,日.季節などのサイクル的な変化と都市化や開発などによる直線的な変化の両者を継続的に住民自身・現地研究者・申請者の三者で収集・分析を行うことができるしくみを作った.
著者
高村 仁知
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

魚の嗜好性と機能性を高める調理法の開発を目的として、魚臭成分の原因となる脂質酸化生成物の生成を抑える抗酸化成分を含む香味野菜を加えて調理を行い、海産魚に含まれるにおい成分及び機能性成分の調理過程における変化を解析した。その結果、香味野菜を加えて調理することにより、脂質劣化に由来する揮発性成分が減少した。また、薬味なしの試料では調理後、抗酸化活性は減少していたが、薬味を加えることにより抗酸化活性が増加していた。以上の結果から、魚に香味野菜を加えて調理することにより嗜好性及び機能性において優れた効果を発揮することが示唆された。
著者
定本 朋子
出版者
奈良女子大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

【目的】日常生活における食事の中には、嗜好品としてコーヒーや紅茶のようにカフェインを含む食物がたくさんあり、スポーツ選手も容易にカフェインを摂取するこができる。しかし、カフェインは運動中の糖質および脂質代謝を変動させ、持久性種目の持続時間を延長させるというドーピング作用を持つことが知られてきている。さらに、カフェインが中枢神経を覚醒させることから、中枢神経の興奮水準の相違により大きくパフォーマンスが変わる、重量上げなどにおける力発揮にもドーピング作用を持つのではないのかと注目されてきている。本研究の第1の目的は、種々の強度の力を繰り返し発揮させた際におけるカフェイン摂取が力発揮に与える影響について検討し、力発揮に及ぼすカフェインの影響が交感神経活動を代表する心拍数及び動脈血圧にみられるカフェイン摂取に伴う変動とどのように対応するのかについて検討することである。さらに、筋交感神経活動を実際に計測し対応関係を明きらかにすることを第2の実験目的とした(しかし、数名の被験者について筋交感神経活動を記録したが、プリアンプの性能に問題があり、ノイズの混入を回避できなかった。このため、再現性のある信頼できるデータの収集ができなかったので、第2の実験結果については省略する)。【方法】健康な成人女子15名を被験者とし、静的握力発揮による随意最大筋力(MVC)を測定し、その25%、50%、75%、100%MVCに相当する握力を被験者の主観的感覚尺度により分けて出力させる。4段階の握力を5分間にわたり20秒間隔で8回繰り返し発揮させた。このような力発揮を同一被験者にたいし、体重あたり6mgのカフェインをコーヒーとして摂取した場合とカフェインを含まないコーヒーを摂取した場合とにおいて繰り返し実験を行った。【結果】(1)100%MVCのように高い張力の発揮時には、カフェインの摂取により発揮される握力が有意に増大することが示された。(2)繰り返し発揮される力の減衰を見てみると、カフェイン摂取時の握力が摂取しない時よりも高い(疲労し易い)にも拘らず、摂取しない条件よりも常に高い力が維持できることが示された。カフェインの摂取は疲労感を軽減するのではないかと推察された。(3)(1)の結果にみられる握力の増大と、カフェイン摂取にともなう心拍数と動脈血圧の上昇との間には正の相関が示された。
著者
吉川 仁子
出版者
奈良女子大学
雑誌
叙説 (ISSN:0386359X)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.44-56, 2008-03
著者
鷲尾 惟子
出版者
奈良女子大学
巻号頁・発行日
2011

In this article, I take each essences of music and dance of Uyghurs' forkrore in the Xinjiang Uyghur Autonomous Region, in order to illustrate the global flows of sounds, preservation or restructuring of tradition and culturemeanings, which influence Uyghur folk musics. My approach to this ethinomusicological study was influenced by "The invention of Tradition" writen by Hobsbowm & Ranger. In one side, I have the desire of yearning for the old memory for not being cultural ditionally preserved, against the change and the re-creation of it. The disseminatory power of media (Cassets and VCDs) facilitates the global movement of both musical sounds and political ideas. I argue, using examples of Uyghur folk songs and Uyghur folk dances and the performance, that these sounds and meanings are radically adapted and re-signified in the construction of Uyghur identity and cultural politics, in a complex interplay between the global, national and local, and between tradition and modernity. I discuss the gendered expression of Uyghur nationalism in popular song through the iconic figure of the weeping mother, demonstrating the ability of expressive culture (here music) to reveal underlying or underpinning political trends. In this article,it aims how to change for the culture of a certain community, in the society and nation, while developing diversity in a modern globalization society, and how to clarify whether to reflect it in the recognition of local peoples. Especially, I attention newly two local oasis' music, songs and dances, which had recently, to attention different directionality, in Uyghur cultures. More there, I think it be remained the essence of musical element, even if it select either preservation or the restructuring, of the tradition. Uyghur music embraces several distinct regional styles. So I will find direction essence, and the relation between music and peoples of Uyghur society.