著者
西澤 直子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.659-675, 1988-03

論文I 尊攘派の形成 (1) "尊攘派手子衆"の存在 (2) "尊攘派手子衆"の志向II 尊攘派の政治権力について (1) 尊攘派と世子定広の存在 (2) 尊攘派の藩制改革III 結論
著者
権丈 善一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.75-106, 2000-04-25

多くの社会科学研究には,問題設定をした瞬間に,ある程度結論が決まっているような側面があり,結論をどの方向に持っていくかということは,問題設定というスタート地点に強く依存している。社会保障研究は,少子・高齢化社会危機論という問題設定からスタートすることが多く,この立場から,社会保障の研究をスタートすれば,分析を待たずとも,結論は自ずと見えてくる。しかしながら,少子・高齢化社会危機論には,いくつかの事実誤認に基づくものがある。ここでは,その事実誤認を指摘する。とともに,少子・高齢化社会の社会経済問題は,資源の量が絶対的に不足して,日本国民の生活水準を低下させるというようなマイナス・サム社会の分配問題ではなく,わずか1%未満の経済成長を持続することができれば,プラス・サム社会のなかでの分配問題となることを論じる。ただし,この分配問題を解決するさいに,どうしても制度改革が必要となるし,租税・社会保障負担率は高くなる。日本の統治者たちは,この変化を国民に受け入れさせるために,危機論のキャンペーンをはるという政治手法をとってきたようである。だが,その手法は行き詰まりをみせている。そこで結論として,この政治手法の他の手法,すなわち,国民の制度不信を払拭する努力を行い,制度への信頼を高めながら,制度改革,租税・社会保障負担率の引上げを実現していく方法もあることを論じる。そして,所得保障,医療保障などについて,その具体的な方法に若干触れる。なお,ここでは結論を導き出すために,次のような議論を展開している。それは,経済学者・人口学者の予測能力を過信してはならないこと,"公平"というような多義的な価値規準に,絶対的でユニバーサルなものは存在せず,これはそれぞれの社会の成りたちと不可分な形で考えるべきであること,さらに,経済学に登場する利己的な合理的個人のモデルを鵜呑みにした公共政策を実行すれば,政治家をはじめとした日本の統治者たちは,国民からの支持を失う可能性があること,などである。
著者
青池 慎一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.403-414, 1990-12

Lazarsfeld, Berelson and Gaudet(1948)が1940年のアメリカ大統領選挙における投票行動の研究において,人々の意思決定に影響を与える人々や対人的影響の存在を発見し,その担い手としてのオピニオン・リーダーの分析を行って以来,多くの研究者によって,さまざまな意思決定分野や領域において,対人的影響やオピニオン・リーダーの存在が確認されてきているのである.オピニオン・リーダーは,いうまでもなく,Summers(1971,p.313)が述べているように,インターパーソナル・コミュニケーションによって,他の人々に大きな影響を与える人である.また,このインターパーソナル・コミュニケーションは,インフォーマルなものである.このオピニオン・リーダーに関して,今日まで数多くの研究が展開されてきているが,依然として,さらに検討されるべき多くの論点が残されているのである.本稿において,今後さらに研究されるべき諸論点のうちの三点をとりあげ,いかなる論点であるかを明らかにしていきたい.
著者
不破 有理
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

ドラゴンはブリテンの国家の表象として用いられる場合が多いが、ジェフリ・オブ・モンマス以前のウェールズの資料においては、古代ブリテンの王であるアーサーとは必ずしも初期の段階で結びついていたわけではない点を指摘した。また14世紀から15世紀におけるイングランド北西部に分布した一連のアーサー王作品を分析し、写本によって異なる作品の読み方が必要であり、アーサー王伝説が王権の表象として利用されたのみならず、地方の政情安定の表象装置としても作用していることを論じた。
著者
藤井 進也 中島 振一郎 野田 賀大
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

近年、音楽経験を豊富に積んだ高齢者は、音楽経験の少ない高齢者に比べて、ワーキングメモリーや実行機能など、認知課題の成績が優れていると報告された。これらの先行研究を踏まえると、音楽はヒトの認知機能の改善や維持、長寿健康社会の実現に有用であると示唆されるが、その神経生理メカニズムは十分に解明されていない。そこで本研究では、核磁気共鳴スペクトロスコピー(MRS)と、経頭蓋磁気刺激と高解像度脳波の同時計測手法(TMS-EEG)を用いて、音楽家と非音楽家の前頭前野グルタミン酸・γアミノ酪酸(GABA)神経機能を横断比較し、音楽機能・認知機能との関連性を解明する。
著者
浅井 隆志 野崎 智義 佐貫 潤一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

Toxoplasma gondiiに特異的と考えられていたジチオスレイトールにより活性化されるヌクレオシド三リン酸加水分解酵素(NTPase)が最近新種として登録された細胞内寄生原虫Neospora caninumにも存在ことを明らかにした。この酵素(NcNTPase)の遺伝子の塩基配列を調べたところ、予想アミノ酸数は626でT.gondiiのそれより2残基少なく、545と546番目のアミノ酸が欠落していること、NcNTPaseには二つ以上のサブタイプがあることが判明した。またNcNTPaseはT.gondiiに二つあるNTPaseアイソザイムのNTPase-IおよびNTPase-IIと約69%のアミノ酸配列が相同であった。また酵素学的性質はNTPase-Iに似ていた。このNcNTPase遺伝子組換体を作製し、ヒトIgG抗体との反応性を酵素抗体法(ELISA)で調べた。健常人のIgG抗体とNcNTPaseは反応せず、色素試験陽性者(T.gondii感染者)のうち一部のIgG抗体だけがNcNTPaseに反応し陽性であったが、しかし殆どのIgG抗体は全く反応しなかった。一部の陽性例は当然N.caninum感染が疑われたが、両虫体の全抗原を用いたウエスタンブロット法による精査の結果、両感染者ともNcNTPase以外のN.caninumのどの抗原とも反応しないが、多数のT.gondii抗原と反応することから、この陽性例のN.caninum感染は否定された。このことから、NcNTPaseはN.caninumのエイズなど免疫不全患者における人体寄生例の検索に有用な抗原であることが示唆された。
著者
安藤 寿康 坂上 雅道 戸田 達史 小林 千浩
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2018-04-01

本研究は、教育的・社会的に形成された人間のさまざまな心理的・行動的形質を説明する遺伝的・環境的な個体差の要因分析を、20年以上にわたり保持してきた思春期と成人期の2コホート、ならびにweb調査会社のコホートからなる双生児データによって行動遺伝学的に明らかにしようとした。思春期コホートでは認知能力や学業成績、利き手に及ぼす環境の影響について遺伝要因を統制することでより具体的・動的に明らかにした。成人期コホートでは利他性や教育動機やうつの遺伝・環境構造や、自尊感情とパーソナリティの発達的変化への遺伝と環境の影響を明らかにした。
著者
佐々木 掌子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.115, pp.305-336, 2006-02

特集教育研究の現在-教育の統合的理解を目指して-教育心理学投稿論文I. はじめに : 生物学的性別とは何か?II. ジェンダー・アイデンティティの形成要因 i) 環境の影響 a. Moneyのジェンダー・アイデンティティ研究 b. 性別割り当てとジェンダー・アイデンティティ研究 c. 家庭環境とジェンダー・アイデンティティ研究 d. 社会的な視点とジェンダー・アイデンティティ研究 ii) 生物学的な影響 a. ホルモンの影響 b. 遺伝の影響 iii) 遺伝と環境の交流点としての行動遺伝学III. ジェンダー・アイデンティティの形成と教育 i) 旧文部省(現・文部科学省)における性教育の基本的な目標と内容(抜粋) ii) 旧文部省の性別観とこれからの性別観 1) 生殖器の性別に基づいた性別二分法に対して 2) 性指向に関して,異性愛を前提にしていることに対して 3) 性役割に関して,固定的な性役割観を見直すことに対して iii) ジェンダー・アイデンティティと遺伝と教育This paper reviews the environmental factor (family and society) and biological factor (hormones and genetics) concerning the formation of gender identity. After that, from crossover view point between nature and nurture, it will discuss the methodology of behavior genetics, and the findings about the gender identity. So far, a number of studies have revealed that all people have their biological bias, and have challenged the biological dichotomy of men and women. Based on these findings, this paper suggests new gender concept and new point of view about sexuality education. Especially, as regards gender identity formation, it was discussed that we should not dismiss it as just the issue of particular individual (genetics), but deal with as social and environmental issues. The biological, psychological, and sociological research on gender self-formation with the interdisciplinary manner are expected to considerably shake the gender educational concept in the future.
著者
伊藤 清司
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.163-212, 1969-11

山川の鬼神・妖怪の属性とその棲み処を記述した山経は、山林薮藪沢に立ちいる者にとつて、怪物の害を避けるうえの手引きとなつたであろうし、これはまた、崇り・揃禍いする山川の神々の正体を判別して、それに宥恕を請い、あるいは、それを撃攘しようとする者にとつて、有効なる書でもあつたであろう。しかし、圧倒的な勢威をもつて君臨し、人々の幸不幸を支配したのが岳神であつた。山経はそれら岳神の祭祀方法について具体的に記録した書でもあつた。山経は好んで怪力乱神を語るものでは、もちろんなかつたのである。人倫関係の改善や社会秩序の確立によつて、世の平和と人々の幸福を期待しうると主張する者にとつて、山川に棲む神々は敬して遠ざくべきものであり、あるいは、否定すべきものですらあつた。しかし、山川に出没する妖怪の存在を信じておびえ、去来する鬼神の怒りに恐怖する人々は、変わることなく多かつた。已然として人々は、雲を湧出する峰々に神霊の存在を観じ、「山川ノ神ハ則チ水旱癘疫ノ災」をくだし、おるいはまた、「能ク百里ヲ潤ス」恩沢を賜うものと信じていた。山川の超自然的存在がこの世の禍福を左右するものと信じる社会にとつて、その超自然的存在について誌した山経は、決して、虚誕の書ではなかつたのである。山経は古代中国の邑里にくらす人々の伝来の民間信仰と、それらにかかわる日々のなりわいの苦悩とをふまえ、これに対処せんとする者-おそらくは、巫祝たちの儀礼の書としての一面をもつものである。山経はたしかに一つの実用の書であつた。 「漢書」芸文志によれば、かつて 禎祥変怪 二十一巻 人鬼精物六畜変怪 二十一巻 変怪誥咎 十三巻 執不祥劾鬼物 八巻 請宿除妖祥 十九巻 禳祀天文 十八巻 請〓致福 十九巻 請雨止雨 二十八巻の諸書が存していたという。今日、これらの古書の具体的な内容は知るべくもないが、「禎祥変怪 二十一巻」・「人鬼精物六畜変怪 二十一巻」等は、その名から想像して、山経の記録している百物・怪力乱神の類が含まれていたであろうし、「執不祥劾鬼物 八巻」・「請官除妖祥 十九巻」等には、これらの魑魅罔両・神姦を除祓するための儀礼・呪術が説かれていたとみられ、「請雨止雨 二十八巻」には、「現ワルレバ則チ大雨・現ワルレバ則チ大旱」を致す水神・旱鬼を宥和・祓除する呪術が記されていたとみられる。すなわち、これら一群の佚書の中には、山経の妖怪・百物の神々等に関する記述につながるものがあり、あるいは、その奥義書Upanisad的なものともいうべき書が含まれていると想像されるのである。他方、山経の岳神祭祀に関する記載自体は、どぢらかというと、礼書的体裁を帯びている。これらの点から、山経は「周礼」春官にみられる職掌に該当するもの、おそらくは祝史らの管轄するところではなかつたかと想像されるのであるが、山経と祝史・巫祝との関係については、稿を改めて考えることとする。
著者
中室 牧子 藤澤 啓子 グリフェン アンドリュウ 澤田 康幸 真野 裕吉 佐々木 みゆき 樋口 裕城 奥村 高明
出版者
慶應義塾大学
雑誌
挑戦的研究(開拓)
巻号頁・発行日
2020-04-01

厳密な政策評価の方法を用いた効果検証はほとんど行われて来なかった。そこで本研究では、政策評価の専門家で構成される研究者グループが、文部科学省・埼玉県教育委員会・埼玉県和光市・兵庫県尼崎市、アジア開発銀行と協力し、政策主体が実際に実施している下記の5つの教育政策の効果測定を実施し、「エビデンスに基づく教育政策」の先行事例をつくり、その定着に貢献することを目的とする。
著者
奥野 博庸
出版者
慶應義塾大学
雑誌
若手研究
巻号頁・発行日
2018-04-01

研究者はこれまでにインプリンティング疾患として有名なプラダー・ウィリー症候群患者よりiPS細胞を樹立し、欠失型PWSでは健常者由来細胞に比べて、iPS細胞化にともない、インプリンティングが部分的に解除されやすいことを見出した。PWS-iPS細胞を用いた患者モデルをin vitroで作成するためにはメチル化が維持される必要がある。またPWSが視床下部に関連する症状を主に呈しており、iPS細胞由来視床下部がin vitroモデルのターゲットになると考える。MeCP2結合領域をゲノム編集技術で皮膚線維芽細胞において欠失させてiPS細胞樹立を試みたが、iPS細胞の維持培養が困難であった。本年度は、すでに作出した健常者iPS細胞においてMeCP2結合領域を欠失させた細胞株の創出を試みた。また、iPS細胞から視床下部前駆体ニューロンへの安定して分化誘導する系を検討した。
著者
井手 勝美
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.23-31, 1978

本稿は若干の史料を補足して、旧稿「背教者・不千斎ファビアンの生涯」(広島工業大学研究紀要七-二)で解明できなかった彼の事蹟を明らかにしたものである。
著者
松本 正夫
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-47, 1961-12

Relying upon the existence-experience of regions of matter, life and mind, and using the analogy of proportionality of essences, I explained the conception of their essences and categories, Thus I arrived at the standpoint of analogical universal which transcends particular regions of beings. On this basis we get the regional metaphysics about the world in general. As we consider the essence of world as relative being and the essence of God as absolute being in the proof of God's existence, and by using the analogy of proportionality of existences, proportioned to each essence, we arrive at the standpoint of transcendental wholeness, ens commune sive analogicum, in which the absolute being and the relative being can coexist. Here we get metaphysics, i.e. ontology which treats not only regional beings in the world, but also the absolute being as its object. If ens commune sive analogicum, which covers both the absolute and the relative were itself an objective being, it would have to be another world, containing God and the world, where the God can not retain His absoluteness and becomes a mere relative being. So in order that, without loosing their "thing in itselfness", the absolute and the relative might still relate with each other in their coexistence, ens commune sive analogicum should not be universal in object but universal in function. Kitaro Nishida's place-universal and the voidness in Mahayana thought are the equivalents for that. This is an excessus from the absolute itsself and "diffusivum sui" of God. God establishes ens commune sive analogicum "the place" which is not aliquid in any sense i.e. nothing, or voidness, by throwing His pure act of actual existing upon not-existence; thus His pure act leaves behind all sorts of essences and even His own essence of the absolute i.e. the existence itself. This is the only place where the absolute and the relative can coexist. In His nature God has ens universale which can cause every creature but can only have ens commune sive analogicum as "the place" of Himself and His creature in habitus of creation. On one hand in ens commune God makes creatures coexist with Himself, still in the full possession of His absoluteness and on the other hand the mind of creature must expand (dilatare) itsself by ens commune in its habitus, though in its nature it remains finite and relative. "anima quodammodo omnia fit." For man, it is possible to meet the absolute as "you" in its transcendental itsselfness, and mot in any shade of idolatry only when he makes his mind-structure coincide with voidness of "the place", that can be realized in acquired habitus but never in its apriori nature.
著者
赤木 妙子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.127-140, 1991

論文はじめに一 尾張国津嶋と織田信長 (1) 戦国時代の津嶋と織田氏 (2) 織田信長と津嶋牛頭天王二 織田信長の自己神格化と摠見寺 (1) 摠見寺への理解と神格化 (2) 摠見寺と提灯祭 (3) 摠見寺の開山 (4) 摠見寺への参拝方法 (5) 自己神格化の終焉結びにかえて
著者
尾崎 康
出版者
慶應義塾大学
雑誌
斯道文庫論集 (ISSN:05597927)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.267-306, 1977-12-20

森武之助先生退職記念論集一 北宋刊本二 南宋刊本(覆北宋本〉三 元刊本四 明刊本五 武英殿版系諸本六 増入諸儒議論通典詳節七 諸刊本の本文について
著者
前嶋 信次
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.365-405, 1957-03

序言一 その經歷二 その門出について三 大地を球形と知りしか四 宣化と立化寺
著者
高橋 正彦 河北 展生
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.649-654, 1971-05

批評と紹介弔詞伊木寿一先生をしのびて伊木先生の想い出