出版者
日経BP社
雑誌
日経コンストラクション (ISSN:09153470)
巻号頁・発行日
no.281, pp.50-53, 2001-06-08

「コンクリートのことなら任せてください。だれにも負けない自信があります」。小野定さん(52歳)は,開口一番こう切り出した。小野さんは,コンクリートのことならどんな相談にも応じるコンサルタント会社,シー・アンド・アールコンサルタント(本社,東京都国分寺市)の社長だ。
著者
渡邉 勉
出版者
目白大学
雑誌
目白大学心理学研究 = Mejiro Journal of Psychology (ISSN:13497103)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-15, 2018-03-31

高村(旧姓,長沼)智恵子(1886~ 1938)は油絵画家として自立する志を抱き,『青鞜』創刊号表紙に凛とした女神を描いた。本論は彼女のその後をイメージの観点から臨床心理学的に考察した。彼女は彫刻家・詩人の高村光太郎(1883~ 1956)と出会い芸術家同士の新しい生活を始めたが,油絵制作の悩みや共棲の葛藤に直面していた時に,郷里の原家族が破産した。精神のバランスを崩し自殺を企て,その後統合失調症を発症した。入院後彼女は色紙の切抜きを日課にして,膨大な作品を残した。特に「蟹」は傑出していて自己イメージの投影が生じたようだ。光太郎は健やかな妻も病む妻も詩集『智恵子抄』に謳いあげた。賞賛も批判もあるが,誰も二人の生活のミステリアスな謎を解明することはできない。智恵子の死後,光太郎は十和田湖畔に二人の女性の裸像群を建てた。それは智恵子の面影を写していると評されたが,彼は完全に肯定していない。智恵子を賛美する自分を認識している,その自分の自覚を表現しているのかもしれない。いのちの最期に彼らが創出したイメージは,あたかも無意識に導き出されたかのように,それぞれの本来の資質を明らかにしているだけでなく,彼らの生涯を象徴している。智恵子の紙絵は,美しいものを求める執念だけでなく,ようやく自己の本来性を探り当てた喜びの表現でもあるに違いない。だからこそ光太郎ひとりにその秘かな楽しさを打ち明けたのではないか。
著者
吉田 理一郎
出版者
一般社団法人 植物化学調節学会
雑誌
植物の生長調節 (ISSN:13465406)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.26-32, 2019 (Released:2019-06-26)
参考文献数
47
被引用文献数
1

Amino acids, an essential component that constitutes proteins in vivo, are also known to play as a signaling molecule that regulates various physiological functions in the living organism. Ionotropic glutamate receptors (iGluRs) are ligand-gated channels that specifically transmit amino acid signals in the central nervous system. Surprisingly, homologs of iGluRs, known as glutamate receptor-like channels (GLRs), were also found in higher plant genomes. However, their physiological roles or molecular functions are still obscure. Here, I review the latest research of plant GLRs and discuss their roles in plant signaling including environmental adaptation and cell-to-cell communications.
著者
[佐藤愛麿編]
出版者
[伏見宮]
巻号頁・発行日
1931
著者
春成 秀爾
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.70, pp.59-95, 1997-01

小林行雄は,1955年に「古墳の発生の歴史的意義」を発表した。伝世鏡と同笵鏡を使い,司祭的首長から政治的首長への発展の図式を提示し,畿内で成立した古墳を各地の首長が自分たちの墓に採用していった意義を追究したのである。この論文は,古墳を大和政権の構造と結びつけた画期的な研究として,考古学史にのこるものと今日,評価をうけている。小林は,この論文で,鏡と司祭者とのかかわりを説明するために,『古事記』・『日本書紀』の神代の巻に出てくる天照大神の詔を引用した。しかし,神の名を意図的に伏せた。この論文以後も,小林は伝世鏡について言及したが,天照大神の言葉を使うことはなかった。1945年の敗戦前には,国民の歴史教育の場では,日本の歴史とは天皇家の祖・天照大神で始まる記紀の記述を歴史的事実とする「皇国史」のことであった。そこには,石器時代に始まる歴史が介在する余地はなく,考古学の研究成果は抹殺されていた。敗戦後,石器時代から始まる日本歴史の教育がおこなわれるようになる。しかし,科学的歴史を否定し,「皇国史」を復活させようとする政治勢力が再び勢いをもりかえしてくる。小林は,敗戦前から,記紀の考古学的研究につよい関心をもち,それに関する論文を書いてきた。けれども,実証を重んじる彼の学問で,実在しなかったはずの天照大神の言葉を引用することは,一つの矛盾である。さらに,神話教育を復活させようとたくらむ勢力に加担することにもなる。小林はそのことに気づいて,伝世鏡の意味づけに天照大神の言葉を用いるのをやめたのではないか。昭和時代前・中期の考古学研究は,皇国史観の重圧下で進められたことを忘れてはならない,と思う。Prior to Japan's 1945 defeat in the-Second World War, the teaching of its early history consisted of stories taken from 8th Century accounts (the Kojiki and Nihonshoki) which emphasized the history of the Japanese imperial court, said to have begun with its divine ancestor the goddess Amaterasu Ōmikami. What came to be taught in the post-war period was a more credible Japanese history for which the Stone age served as a starting point. However it was not long before conservative political forces reemerged in an attempt to revive emperor-centered education by denying scientific history.In 1955 the excellent archaeologist Kobayashi Yukio published a paper entitled "The Historical Significance of the Emergence of Kofun", in which, using bronze mirrors as evidence, he investigated the meaning and significance of the chieftains of various local regions adopting the Yamatostyle key hole shaped burial mounds to their tombs, while suggesting a process by which the position of chief priest developed into that of political chieftain. Kobayashi's linking of the emergence of these tumuli to the establishment of a Yamato political authority is now recognized as a seminal piece of archaeological research.To explain the link between bronze mirrors and the role of chief priest, Kobayashi made use of the phrases attributed to Amaterasu Ōmikami in the Kojiki and Nihonshoki, but at the same time deliberately avoided mentioning her name. Even in his later work on the same issue he never used the phrases nor term of goddess. The importance he attached to material evidence made it impossible for him, when dealing with historical fact, to employ the phrases of the god or goddes like Amaterasu Ōmikami, who patently had never existed. Further, to have done so would have appeared to lend support to those political forces intent on reviving a form of education in which Japanese history was to be based on mythology. No doubt aware of this, Kobayashi refused to use the phrases of the goddess. It should always be remembered that progress in Japanese archeological studies has demanded resistance to the pressures inherent in emperor-centered history.
著者
木村 悟朗 草間 俊宏 榎田 順一
出版者
紙パルプ技術協会
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.70, no.11, pp.1151-1153, 2016 (Released:2017-02-01)
参考文献数
8
被引用文献数
1 1

本研究は,紫外線領域を含む有色LED照明および白色LED照明へのユスリカ類の飛来量を明らかにするために,野外試験を行った。紫外線領域を含む有色LED照明(UV+blue, UV+green,およびUV+green+blue)3種と白色LED照明(UV+white)1種,合計4種の光源を使用し,各照明へのユスリカ成虫の飛来量を比較した。ユスリカ成虫はUV+green+blueにもっとも多く飛来し,次いでUV+green, UV+white, UV+blueの順であった。本研究で使用したLED照明に飛来しているユスリカ類は主に可視光領域,特に緑>黄緑>青の順に反応していると考えられた。さらに,紫外線領域を含まない防虫有色LED照明のユスリカ類に対する効果についても追加試験を行った。市販されている防虫有色LED照明である黄色LED照明(yellow)と緑色LED照明(green),および白色LED照明(white)の合計3種の光源を使用し,各照明へのユスリカ成虫の飛来量を比較した。各調査日のwhiteを1とした場合の防虫LED照明の相対飛来量を算出した。whiteに対するyellowの相対飛来量は0.2±0.3(n=3)であった。一方,whiteに対するgreenの相対飛来量は0.8±0.4(n=3)であった。これらの結果から,ユスリカ類の防虫には黄(yellow)が有効であると考えられる。
著者
堀田 英夫
出版者
日本イスパニヤ学会
雑誌
HISPANICA / HISPÁNICA (ISSN:09107789)
巻号頁・発行日
vol.2013, no.57, pp.49-67, 2013 (Released:2016-05-05)

憲法条文上の立法、行政、司法に関する主要な数語について、日本の公的機関公開の日本国憲法スペイン語訳とスペイン語圏諸国21か国(プエルトリコも国として数える)の現行憲法とを比較した。日本国憲法の「国会」および「参議院」のスペイン語訳語は、英語版からの訳であり、これらの英語およびスペイン語の語の歴史を見ることによって、歴史的意味合いが込められていることを示した。だがこれらの語はスペイン語圏のどの国の憲法でも使われていない。他に21か国と日本の憲法スペイン語訳にある用語が相互にどの程度共通しているかなどを示した。
著者
岡田 孝子
出版者
国公私立大学図書館協力委員会
雑誌
大学図書館研究 (ISSN:03860507)
巻号頁・発行日
vol.83, pp.42-53, 2008-08-31 (Released:2017-11-09)

近年,わが国でも市民に対する法教育の重要性が広く認識されるようになり,初等中等教育段階での法教育が学校教育の中で実践され始めた。しかし,法教育を受けた学生が実際に社会でその知識や能力を活用するためには,法情報に関する教育を受けることが必要である。本稿では法教育を受けた学生のための法情報教育を本格的に行う場としては大学教養課程が適切であるとの立場に基づき,市民のための法情報を理解して扱うための能力を「法情報リテラシー」と呼ぶ。そして,大学教養課程で学ぶべき法情報リテラシーの内容とその教授法について考察する。