- 著者
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小嶋 洋介
- 出版者
- 中央大学人文科学研究所
- 雑誌
- 人文研紀要 (ISSN:02873877)
- 巻号頁・発行日
- vol.86, pp.227-256, 2017-09-30
「東洋哲学」を思想視座として戦略的に提起し,西洋哲学を中心軸とするのではない,新たな哲学確立の必要を示唆した碩学,井筒俊彦の意思を,本論考は踏襲するものである。井筒は,主著『意識と本質』において,イスラーム哲学の用語を援用しつつ「普遍的本質」(マーヒーヤ)と「個別的本質」(フウィーヤ)の二相を提起している。しかし,この二相の本質を単に並行的に論述することに,井筒の「本質」論の要諦が存するわけではない。両者の差異を認識しつつ,両者の合一を探求する点にそれはある。本論考は,その理論的深化・進展のための試みの一つである。ここでは,インド哲学の主潮流をなすと言える「有」の問題を,ヴェーダーンタ哲学の論理からアプローチすることを課題とする。そのための探究の機軸となるのは,井筒の「マーヤー」に関する論考である。ブラフマンという絶対「有」を「普遍的本質」として立てるヴェーダーンタ哲学において,マーヤーは「幻影」として,究極的には排除されるものと見なされるが,井筒による創造的解釈を通じて,マーヤーの新たな意味を探究し,そこに「自己」の問題が介在していることに,我々は着目する。