著者
真家 和生 鳴瀬 麻子
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2013, no.23, pp.97-100, 2013-01-01 (Released:2013-05-17)
被引用文献数
1 1

日本の旧石器時代は極めて特殊な特徴を有している.それは,旧石器が出土する遺跡からは人骨すなわち旧石器時代人が伴出されず,旧石器時代人が発見された遺跡からは石器が出土しない,ということである.これは旧石器使用者がどのような人々であり,現在の日本人につながる人々であるのかどうかという判定ができないということを意味しており,日本の旧石器時代研究の足枷となっている.本報告では,人類学および考古学の最新情報を整理し,現時点でのこれら情報の整理を行った.なお本報告は,平成24年度大妻女子大学人間生活文化研究所共同研究として「東国の旧石器時代文化の再考と復元」の題名で研究費をいただいて行った作業のまとめであり,オリジナル研究ではないことをお断りしておく.
著者
内藤, 若狭
出版者
巻号頁・発行日
vol.[343],
著者
高田 朝子
出版者
一般社団法人 経営情報学会
雑誌
経営情報学会 全国研究発表大会要旨集
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.76, 2002

危機に直面したときに組織はどのように行動し、どのように事態を収束させようとするのであろうか。本研究は地下鉄サリン事件に直面し対応した聖路加国際病院の事例研究である。サリンという今まで全く経験のない薬物中毒に対して、聖路加国際病院は医療関連チーム、事務スタッフチームがそれぞれ現場で意志決定をしながら対応していった。これは、危機に際してトップダウンで意志決定をして対応するとされた従来の危機対応のあり方とは違うものであった。本研究では自己効力感の概念をチームレベルにまで発展させて、チーム効力感として危機対応の際に有用であることを検証した。
著者
藤村 健一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

百舌鳥・古市古墳群は大阪府堺市・藤井寺市・羽曳野市に位置する。2017年、これに含まれる45件49基の古墳が文化審議会によって世界文化遺産の推薦候補に選ばれた。早ければ2019年にも正式に登録される可能性がある。<br> 推薦候補に選ばれた古墳には、仁徳、履中、反正、応神、仲哀、允恭の各天皇陵古墳が含まれる。このうち、堺市の仁徳天皇陵古墳は国内最大、羽曳野市の応神天皇陵古墳は国内2番目の規模の古墳である。天皇陵は皇室祭祀の場所であり、現在でも宮内庁が管理している。<br> 発表者は2016年、京都の拝観寺院(観光寺院)の意味や性格について報告した。これらの寺院に対しては、主に宗教空間、観光施設、文化財(文化遺産)という3種類の意味が付与されている。これらは互いに異なる立場から意味づけられており、対立する可能性をはらむ。1980年代の古都税紛争は、このことが一因であったと考えられる。<br> 天皇陵古墳に対しても、様々な立場から異なる意味づけがなされ、そのことが摩擦を生んでいる。本研究では百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳を事例として、そこに付与された様々な意味を整理・分析するとともに、意味づけを行っている人々についても調査し、摩擦の要因を解明する。<br> 百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳に付与された意味は、①聖域、②文化財、③観光地・観光資源、④世界文化遺産の4つに集約できる。①の見方をとるのは主に宮内庁と皇室、神道界の人々や、皇室崇敬者・皇陵巡拝者である。②の見方をとるのは、主に古墳を研究する歴史(考古)学者である。③は地元の経済界や観光業者・観光客を中心とした見方である。④は、主に世界遺産登録運動の推進役である地元自治体や文化庁の見方である。<br> ①~④の意味には重複する部分もあるが、これらは一致しておらず齟齬もある。とりわけ、①の見方をとる立場と②の見方をとる立場の間では対立が顕著である。天皇陵古墳を②とみなす歴史学者は、宮内庁を批判してきた。<br> ①の立場をとるのは宮内庁・皇室関係者だけでない。神道界や皇室崇敬者、皇陵巡拝者には、天皇や皇室に対する尊崇の念をもって天皇陵を聖域視する人々が少なくない。<br> こうした人々の中には、天皇陵古墳をもっぱら文化財とみなす歴史学界や、世界遺産登録を推進する行政、観光資源としての利用を図る業者を非難する人もいる。ただし、現代の皇陵巡拝者は必ずしも皇室崇敬者に限らない。彼らは「陵印」収集など多様な動機をもって巡拝している。
著者
丸山 政己
出版者
一橋大学大学院法学研究科
雑誌
一橋法学 (ISSN:13470388)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.95-114, 2018-11-10

The balance between dynamic evolution and legal stability or fragmentation and integration of international legal order are always challenges for multilateral treaty regimes. This is partly related to the traditional debate on the status of the constituent instrument of international organizations(IOs)―particularly of IOs' own practice―in treaty interpretation. In this regard, the ILC adopted the Draft conclusions on subsequent agreements and subsequent practice in relation to the interpretation of treaties(the Conclusions) in 2018. The Conclusions is relatively self-restraining and remains within consensualism in international law. However, there are some remarkable points: clarification of subsequent practice of not the all parties as a supplementary means under Art. 32 of the Vienna Convention on the Law of Treaties ; a broader concept of the IOs' practice(Conclusion 12- 3); and indication of controversial evolutive interpretation while revision by subsequent practice is generally excluded. An examination of the Conclusions and its commentaries suggests fundamental issues to be explored. First, while the inherent doctrine of interpretation of constituent instruments still has its rationale, we have faced increasing diversity shown by various IOs. Is it really possible of general doctrine for every IO? Second, how can the extent and conditions of de facto revision by subsequent practice be found from the perspective of global constitutionalism? Lastly, reconstructing the concept of IOs' practice including organs not composed of member states, can we pursue legal control mechanisms in IOs? The agreement of all the parties will remain pivotal unless these issues are seriously addressed.
著者
田中 晋作
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.110, pp.163-186, 2004-02

今回のシンポジュウムで与えられた課題は,古墳時代の軍事組織についてである。小論の目的は,この課題について,今までに提示してきた拙稿をもとに,とくに,古墳時代前期後半から中期を対象にして,①古墳時代前期後半以降にみられる軍事目的の変化,②中期前半に百舌鳥・古市古墳群の被葬者集団による常備軍編成の可能性,③中期における軍事組織の編成目的について検討し,つぎの私見を示すことである。前期後半,それまでの有力古墳でみられた示威や防御を目的とした武器が,一部の特定古墳で具体的な武装形態を反映した副葬状況へと変化する。この変化は,既存有力古墳群でみられるものはなく,この段階で朝鮮半島東南部地域の勢力とそれまでにない新たな関係を結んだ新興勢力の中に現れるものである。中期に入り,百舌鳥・古市古墳群の被葬者集団によって,形状および機能が統一された武器の供給がはじまり,大規模な動員を可能とする基盤が整えられる。この軍事組織の編成を保障するために,両古墳群の被葬者集団の特定の人物もしくは組織のもとに,人格的忠誠関係に基づいた常備軍が編成される。さらに,武器の副葬が卓越する一部の古墳で,移動や駐留を可能とする農工具を組み込んだ新たな武器組成が生まれる。このような武器組成は,国内に重大な軍事的対峙を示す痕跡が認められないことから,計画的で,遠距離,かつ長期間にわたる軍事活動を視野に入れた対国外的な組織の編成が行われていたことを示すものである。以上の検討結果によって,古墳時代前期後半以降にみられる軍事組織の編成は,政治主体が軍事力の行使によって解決を必要とした課題が,それまでの対国内的な要因から,朝鮮半島を主眼とした対国外的な要因へと変化したことを示していると考える。The given theme in this symposium is the archaeological analysis of military organization in the kofun period. The aim of my article is to investigate 3points of analysis from the latter half of first period to the middle period of the kofun era. The first point is the evolution of change of the organization and function of the military since the latter half of the first period. The second point of analysis concerns the ability to establish a standard army in the first half of the middle period by the developing political power whose members were later buried during in the Mozu-Furuichi cluster of mound tombs. The final point is the aim of organization in the middle period.In the latter half of the first period, the change in the burial procedure of weapons in tombs reflects the change in the aim and purpose of the demonstration of power and use of defense. This influence was also reflected in the condition of the armament itself. At that time, this change was brought about by newly-risen groups connecting with other groups located in the south-east region of the Korean peninsula.During the middle period the foundation for the large scale mobilization of armies was established through the supply of similarity equipped weapons. These were unified in function and form and supplied by the Mozu-Furuichi group. The standard army was controlled by the presiding organization or chief of this group and bound by a pledge of allegiance. The standard army would then guarantee the stability of the military organization.Further, a new composition of weapons included farm implements used in the transferring and stationing of armies appeared in some tombs which surpassed previously buried weapons. This composition of weapons indicates the existence of a military organization that has the ability for deliberate, long-distance and long-prolonged military action, if the circumstance at a given time did not include a serious military confrontation in the country.Through these investigations I hope to present the following conclusion. The focus of the military organization that was established since the latter half of the first period in the kofun era changed from internal to external, mainly regarding the Korean peninsula.

1 0 0 0 OA 公事吟味留

出版者
巻号頁・発行日
vol.[76] 寺社奉行内寄合手限 一 慶応二,

1 0 0 0 OA 勤王文庫

著者
有馬祐政 編
出版者
大日本明道会
巻号頁・発行日
vol.第3編 (山陵記集), 1921
出版者
巻号頁・発行日
vol.[11],
著者
浦野 晴夫 Haruo Urano
出版者
中京大学経営学会
雑誌
中京経営研究 (ISSN:09199209)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.1-21, 2003-02
著者
野口 亮 平柳 好一 益守 眞也 河室 公康 八木 久義
出版者
日本森林学会
雑誌
日本林学会大会発表データベース
巻号頁・発行日
vol.114, pp.428, 2003

1.はじめに 地形の起伏が大きい早壮年山地からなる東京大学秩父演習林の急斜面上では、200cm以上の火山灰由来物質が堆積しA層が80__から__100cmと厚く発達した黒色土が分布する。本研究では土壌断面内における化学性、植物珪酸体、微細形態学的特徴の垂直的変化から、急斜面上で特異的に厚い土層と発達したA層をもつ土壌の堆積過程を明らかにすることを目的とした。2.調査地及び、調査方法 調査地は東京大学秩父演習林内の28林班に4小班と31林斑い13、14小班である。28林班に4小班では傾斜17°の南向きの急傾斜面中腹に土壌断面を作製した(プロット1)。厚さ90 cmのA層を持つ黒色土であった。同地点での植物珪酸体抽出用試料採取時の土壌断面をプロット2とする。31林班い13小班では、傾斜26.5°の南向き極急斜面の中腹に土壌断面を作製した(プロット3)。黒色土であり、A層の厚さは100 cmであった。プロット3より20 mほど上方の同一斜面上に位置する傾斜22°の急傾斜地の31林班い14小班にも土壌断面を作成した(プロット4)。A層の厚さが70 cmの黒色土であった。プロット1及びプロット3において化学分析用及び微細形態学的性質研究用として土壌層位ごとに試料を採取した。また、プロット2及びプロット4において植物珪酸体抽出用に土壌試料を採取した。3.分析採取試料の化学性として、pH、リン酸吸収係数、全炭素量、陽イオン交換容量、交換性陽イオン量、塩基飽和度などを調べた。植物珪酸体は抽出を行い、鉱物顕微鏡下で検鏡した。大型のファン型植物珪酸体について表面の孔隙量により3段階に分別し、各段階の分布割合を調べ、植物珪酸体の風化度の指標とした。また、ササ類由来とススキ類由来の植物珪酸体の比率を調べた。微細形態学的特徴は土壌薄片を作製し鉱物顕微鏡下で観察した。4.結果および考察4.1 化学性いずれの土壌も、リン酸吸収係数及び活性アルミニウムテストにより、新生代第四紀の火山灰を母材とする土壌であることが確認された。塩基飽和度は非常に低く、高い層で7%、低い層では1 %を下回っており、極めて塩基の乏しい土壌であった。また、全炭素含有率はいずれの土壌においてもA層で大きく、全体的に極めて多量の腐植が集積していることを示している。4.2 鉱物組成プロット1,3ともに全層に輝石、石英が多く含まれており、重鉱物のみを見ると、半分以上を紫蘇輝石が占め、次に普通輝石が多く、角閃石、黒雲母、磁鉄鉱が含まれていた。この重鉱物組成を奥秩父(滑沢、栃本)、三峯付近のローム層の重鉱物組成(埼玉第四紀研究グループ、1967)と比較すると非常に似ており、八ヶ岳東側緩斜面のローム層中の重鉱物組成(小林、1963)とも似ていることから、今回採取した土壌も、八ヶ岳を由来とする火山灰を母材とすると考えられる。また、プロット1,3ともにB1層以深で磁鉄鉱の割合が増加しており、B1層以深の土壌は埼玉第四紀研究グループの分類によると、関東ローム層序の武蔵野ローム層以前に対比される、Dローム層以前のローム層に相当すると考えられる。B1層より浅い部分の土壌は関東ローム層序の下末吉ローム層と同時代に対比されるEローム層であると考えられる。4.3 植物珪酸体プロット2ではササ類由来の植物珪酸体が、プロット4ではススキ類由来の植物珪酸体の比率が多くなっていた。A層における腐植の由来は、検鏡結果からプロット1及び2ではササ類が、プロット3及び4ではススキ類が腐植の主な供給源であると推定される。植物珪酸体の風化度は、プロット2では0__から__40 cmにかけて、プロット4では0__から__30cm、30__から__70cmのそれぞれの深さにおいてほぼ一定の値を示し、風化度1,2,3の植物珪酸体の含まれる割合も一定となっており、40 cmの深さまでの植物珪酸体が土壌に供給された年代に差がないことを示唆していた。また、偶発的な崩落物と考えられる大角礫が含まれており、斜面上部尾根では火山灰が厚く堆積していないことから、これらの土壌は、比較的短い期間に、マスウエィスティングによって斜面上部から土壌が運搬されて堆積した二次堆積の影響を受け形成されたと考えられる。また、プロット4では、30cm深と70cm深を境に、風化度が異なっていたことから、少なくとも2度、異なる時期に二次堆積の影響を受け形成されたと考えられる。プロット2の40__から__70cmの深さでは深くなるほど植物珪酸体は未風化のものが減少し、風化の進んだものが増加していた。このことから、この深さにおける土壌は二次堆積の影響をあまり受けずに長い年月をかけて一次堆積による火山灰の堆積と、腐植の集積が併行して起こった結果発達した土壌であると考えられる。
著者
北村 幸彦
出版者
一般社団法人 日本アレルギー学会
雑誌
アレルギー (ISSN:00214884)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.45-47, 2005-02-28 (Released:2017-02-10)
参考文献数
15
被引用文献数
3

肥満細胞の研究は大部分は即時型アレルギーのエフェクターとしての機能についてのものである. 少し目先を変えてこの総説では(1)肥満細胞の分化に関与する転写因子, (2)肥満細胞の腫瘍, (3)肥満細胞が関与する自然免疫について書く. 1. 肥満細胞の分化に関与する転写因子 肥満細胞は多分化能血液幹細胞の子孫である. 多分化能血液幹細胞の子孫のうち, 赤血球と血小板の分化にはGATA-1とGATA-2が関与し, マクロファージ, B細胞, 好中球の分化にはPU. 1が関与する. GATA転写因子とPU. 1は上記の細胞の分化に対しては拮抗的に働くが, 肥満細胞の分化にはGATA転写因子とPU. 1が協調的に働く点に特色がある. GATA転写因子とPU. 1が肥満細胞の分化に関与するのは比較的に初期の段階であるが, 我々が調べたmicrophthalmia転写因子(MITF)は肥満細胞の分化の後期に関与している. 我々はMITF遺伝子自身が転写されないためにMITFを欠損するマウスを, 肥満細胞を欠損するWBB6F_1-Kit^W/Kit^W-νマウスと同じ遺伝的背景で作成した.
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],
著者
丸山 勝也
出版者
公益財団法人 日本醸造協会
雑誌
日本醸造協会誌 = Journal of the Brewing Society of Japan (ISSN:09147314)
巻号頁・発行日
vol.105, no.7, pp.432-439, 2010-07-15
参考文献数
6

節度ある飲酒として純エタノールに換算した場合,1日あたり20g程度が適量とされている。これはどのような医学的根拠から導かれるのか,飲酒家にとっては興味を惹かれる問題である。本稿ではアルコール関連障害の診断,治療を行ってこられた専門医にお願いし,アルコールの作用,アルコール代謝と個人差ならびに関連疾患について医学的側面から簡潔に説明して頂いた。更に,その知見から導かれる病気にならない飲み方についても解説して頂いた。特にアルコール依存症の早期発見や予防のために,自己診断によるスクリーニングテストは有用である。

1 0 0 0 OA 諸名家手簡

巻号頁・発行日
vol.[6],
著者
財津 亘
出版者
日本犯罪心理学会
雑誌
犯罪心理学研究 (ISSN:00177547)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.1-14, 2010-02-28 (Released:2017-09-30)
参考文献数
27

本研究では,連続放火事件のベイジアンネットワーク(BN)モデルを構築し,犯罪者フロファイリングを想定したモデルの精度を検討した。モデル精度の検証は,窃盗歴と就業状態の推定を通じて行った。BNは,現象の因果関係を条件付き確率の連鎖ネットワークによって表し,未知の現象に関する可能性を確率で算出することができる。詳細な手続きや結果は次のとおりである。まず,探索アルゴリズムの一つであるK2アルゴリズムおよび情報量基準の一種であるMDL (minimum description length) を用いて,学習用データ(518名)を基にBNモデルを構築した。その結果,放火犯の窃盗歴は放火後の通報という行動や駐車場などの放火現場といった変数と関連性がみられた。さらに,就業状態は車両の使用と関連性がみられた。第2に,検証用データ(未解決事件と想定した30名のデータ)を用いてモデルの精度を検証した。その結果,窃盗歴に関する精度は80%と高かった。しかし,就業状態に関する推定精度は50%であった。より精度を高めるためには,より正確な情報のデータペースを使用し,さまざまな探索アルゴリズムや情報量基準を用いることで,モデルを試行錯誤して構築していく必要がある。

1 0 0 0 OA 絵本太閤記

著者
岡田玉山 著
出版者
楽成舎
巻号頁・発行日
vol.11, 1886
著者
江藤 優子
出版者
九州理学療法士・作業療法士合同学会
雑誌
九州理学療法士・作業療法士合同学会誌 (ISSN:09152032)
巻号頁・発行日
vol.2016, pp.277, 2016

<p>【はじめに】</p><p>臨床現場では、主疾患とは別に認知機能面の低下や認知症を有した患者が多くみられる。高齢者が増加する中で、当院では簡便な認知機能の判定評価としてHDS-Rを使用している。今回は、HDS-Rを使用し軽度~中等度の認知症状を認める患者に対し、「日記をつける」という活動を通して、その効果を検討する。</p><p>【目的】</p><p>症例は、胸椎圧迫骨折で入院した80代の女性。入院前は独居生活であり、退院後も独居生活を送ることを本人・家族ともに希望されていた。しかし、長期入院による認知機能の低下とADLの低下が危惧された。そこで、本人のなじみの活動である日記を活用し、現実見当識を促し認知機能の賦活を図ることにした。</p><p>【方法】</p><p>作業療法介入2日目に日記を開始。日曜日を除く6日間のリハビリ時に日記を記入するが、記入する量に制限は設けない。内容に関しては、必ず日付・曜日を記入すること以外は症例の意思に任せ、助言は最小限にとどめる。作業療法士・理学療法士が傍に寄り添い、症例のペースで記入してもらう。日曜日やリハビリ時間外の記入は、症例に任せる。記入後は内容について症例と共に読み返しを行い、感想を伝えたりその時の気持ちを聞く作業を行う。実施期間は、4月22日から7月9日までの11週と1日。</p><p>【結果】</p><p>HDS-R:4月21日16点、6月2日26点、7月7日21点。日記を開始した直後は、自発的な取り組みはみられていなかったが、2週間後には自発的に記入しようとする様子がみられ、8週間後には自発的な記入が定着した。また、日時や職員の名前を確認するために、日記を想起の手掛かりとして自ら利用することができるようになった。内容については、開始当初は自分の気持ちを書くことは少なかったが、徐々に気持ちを表出した内容がみられるようになった。</p><p>【考察】</p><p>リハビリ開始当初は、HDS-R16点と認知機能の低下がみられた。認知機能面へのアプローチとして、自宅でも行っていた「日記を書く」作業をリハビリとして導入した。導入から6週間後には、HDS-R26点と10点の向上がみられた。しかし、退院目前に体調を崩し臥床傾向に陥り、日記を開くも日付のみの記入や内容量の減少がみられた。しかし、ADL面での低下はなく、FIMの点数に大きな変化はみられなかった。その直後のHDS-Rは、21点とカットオフ値となった。</p><p>「日記を書く」という作業だけではなく、記入した内容に対してフィードバックを行うことが症例にとって「意味のある活動」を行っている実感に繋がり、脳活動の賦活に影響を及ぼしたのではないかと考える。よって、フィードバックを十分に行えなかったことがHDS-R 5点減点に繋がった可能性も考えられた。</p><p>入院当初は臥床傾向で自発的な言動が少なく、不活発な状態であった。身体機能面のアプローチと併用し、日記を導入したことで、症例の自発性を引き出し認知機能の改善に繋げることができた。脳活動の賦活に日記が有用であることは広く知られているが、その内容に対してフィードバックを行う作業が、より脳活動を促進する可能性があることが示唆された。</p><p>【まとめ】</p><p>認知機能の低下を認めた高齢者に、なじみの活動であった日記を導入し認知機能の賦活を図った。現実見当識訓練のひとつとして日記をつけることは、記憶・認知機能・見当識を高めるために有用であると思われる。</p><p>【倫理的配慮,説明と同意】</p><p>症例・家族に対し同意文書に基づく説明を行い、症例報告に参加・発表することの同意を得ている。</p>