著者
一円真治 梶克彦 河口信夫
雑誌
第75回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2013, no.1, pp.193-194, 2013-03-06

現在、Yahoo! Local SearchやGoogle Places、食べログといった飲食店やホテルなどのPOI(Point Of Interest)を取得できる位置情報サービスが数多く存在する。しかし、網羅的なPOIを個別のAPIからは取得できない、各サービスが保持するPOIの属性情報が異なる、また各属性情報の記述フォーマットが異なるといった問題がある。そこで、複数のサービスからPOIを取得し、統合的に利用可能にするプラットフォームを提案する。本プラットフォームでは、住所・電話番号・名前を用いてPOIを同定し、POIの各属性情報を正規化して統合する。

1 0 0 0 OA [京小本暦]

出版者
大經師降屋内[匠]
巻号頁・発行日
vol.文久3, 1862
著者
熊本 忠彦 伊藤 昭
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告情報学基礎(FI)
巻号頁・発行日
vol.1997, no.86, pp.31-36, 1997-09-11
参考文献数
10

近年,話し言葉を対象とする自然言語処理の分野において対話コーパスを利用した研究が盛んに行われている.しかしながら,従来利用されている対話データは,模擬的な実験環境において収集された対話 (模擬対話) であり,実際の状況下で得られるであろう対話 (実対話) と言語的・対話的性質が同じであるとは限らない.そこで,我々は,模擬対話と実対話の定性的,定量的な共通点/相違点を明らかにするための材料として,2つの対話領域において模擬対話と実対話をそれぞれ収集した.本稿では模擬対話と実対話を規定する要因について考察し,実対話を収集するための実験環境を設計する.また,この設計に基づいて実際に行った実対話収集実験についても述べる.In recent years various kinds of dialogue corpora have been constructed and used for studies on dialogue and spoken language. In conventional dialogue collection, however, systematically collecting a large amount of dialogues and constructing a very large corpus are considered critically important, while the spontaneity of the dialogues collected is not a point to be carefully considered. "Spontaneous dialogue" does not mean that the dialogue itself is spontaneous but means that an utterance in the dialogue is spontaneous. However, it is obvious that the spontaneity of a dialogue determines the structure and aspect of the dialogue. Therefore, in this article, we consider the spontaneity of a dialogue and propose a method for collecting spontaneous dialogues in an experimental environment. We also describe the two kinds of experiments which we actually conducted for collecting spontaneous dialogues.
著者
鷲田 清一
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学 = The Journal of Japanese Physical Therapy Association (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.31, no.8, 2004-12-20

古代以来,西洋各地域の言語が複雑に交叉し分岐してきた歴史のなかで,「癒す,治す」(heal/heilen)や「健康」(health)という語が,「全体」(whole)や「聖なる」(holy/heilig)という語と同族語として生成してきたという事実は,われわれをさまざまな想いへといざなう。傷が癒える過程,病を治す過程に,テクノロジーというものがこのうえなく深く介入するようになった現代社会では,<健康>でないもの,つまり病や傷は,局所(=部分)に原因をもつそれとしてとらえられる。また,それは生体の機能不全という視点からみられ,病に侵され傷を負っているという状態が,そのひとにおけるなにか別の意味の現われ(たとえば「罪業」や「試練」)としてとらえられることもない。これは治す側の問題である。他方,患者の付添人からすれば,患部の状態以上に(どんな苦しみなのかといった)患者自身がどういう状態にいるかが気がかりなところであり,また苦しみからの解放を祈ったり,「苦しみとともにする」(sympathyの語源である)ために何かを絶ったりする。そこにはhealとwholeとholyのからみあいがはっきりある。Healがwholeと切り結ぶところまでは分かるとして,なぜholyとまでつながるかというと,そこでは付添人は想いをそのひとの生のなかだけでなく生の彼方にまでもはせるからである。そのひとがいなくなるという事態,さらには身体の生を超えたそのひとの存在の意味にまで,である。つまり,治す側は身体の生の内部をみている。付き添う側は身体の生をあふれ出ているものをみている。そして,付き添う側の想いは「治療過程」の外側に置かれる。付き添うひとの気持ちはわかるが,病気を治すということはそういうことではない,と。その裏返しとして,<健康>もまた,器官や四肢の集合体としてとらえられた身体が総じて故障がないこととしてイメージされ,ふだんから血液検査やレントゲン撮影によって生体の機能不全のチェックをするという対処を求められる。健康が,身体の生の,治療するところのない「正常」な状態とされるのである。健康か不健康かの区別が医療機関での「健康診断」に託されるのだ。こうしてひとの身体は,医療テクノロジーの高度な装置のなかにますます深く挿入されていった。医療の行為や制度を断罪しようというのではない。<健康>が身体の「正常」に還元されている事態が,<健康>のイメージをどれほど損なっているかを,あらためて考えたいのである。たとえば医療テクノロジーの「暴走」を口にするひとがいる。「暴走」は,医療のあるべき様態を超えてしまっているということの表現であろう。が,しかし,われわれが自身の「よりよき」生を求めてそれに依存することにしてきた医療テクノロジーがもはや「人間的」でないかどうかは,われわれが「人間的」ということで何を考えてきたかという,歴史的な文化の問題である。<健康>の問題を身体の「正常」に還元する見方のひとつの問題は,それが個人の生を,生なきもの,つまり器官のモザイクー「死のモザイク」として表象させるというところにあるが,その見方のもうひとつの問題は,<健康>への視点をもっぱらひとの身体の内部に向け,そのことで他者との交通という場面を見えなくさせてしまうという点にある。こういうときはこういう草を煎じて飲むとか,こういうときはここのつぼを押すとか,かつて日常世界のなかにあった「相互治療」の文化は,民間医療,素人医療として,公的な医療機関のなかに呑み込まれ,消えた。身体と身体とのあいだの交通を超個人的なシステムが代行するようになることで,ひとは自分の身体のあり方への判断力のみならず,他の身体への通路をも見失いかけている。おおよそこのような視点から,今回,<健康>というテーマをめぐって,次のような問題を考えてみたい。「正常」でなくとも<健康>であるような生のあり方とはどういうものか。ひとは中年にさしかかると,ちょうど若いひとたちが自分の体格や身なりや身体感覚に強い関心をもつのとおなじくらいに熱っぽく,自分の「体調」や「健康体操」について語りはじめるそういえば,老人の「健康談議」を「老人の猥談」と揶揄するひとたちがいるが,ひとはなぜ,これほど<健康>に,あるいは自分の身体の状態に,熱い関心をもつようになったのか。身体に熱中するというよりも,「健康な身体」という観念,「正常値」という観念に,と言ったほうが正確ではあろうが。(当日の講演内容は次号に掲載予定です)
著者
一柳 正和
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05272997)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.39-49, 1988-11-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
小嶋 泉
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05272997)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.50-77, 1988-11-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
飯塚 昂大 原田 泰
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集 日本デザイン学会 第65回春季研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.218-219, 2018 (Released:2018-06-21)

2020 年のプログラミングの義務教育化に伴い,プログラミング教育の需要が高まる中,その実践の例が求められている.しかし現状として,文部科学省が定義した「プログラミング的思考」を育てるための手法が確立されているとは言い難い.本実践では,こうした状況を視野に入れ,教室以外の場所でプログラミングの学びを支援する方法を探る. プログラミングワークショップにおける新しい学び方の形態として,本実践の中ではプロジェクション・プレイという手法を提案する.プロジェクション・プレイはプログラミングにより作成したアニメーションをスクリーンに投影し,その前で演技を行うものである.プロジェクション・プレイによって,プログラミング教育の場に身体性を伴う活動を取り入れることができる.本実践ではプロジェクション・プレイがワークショップでどのような効果があるのかを記録し,考察する.
著者
青木 淳
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
1995

本論は『像内納入品にみる中世的「結衆」の特質-快慶作例を中心とする結縁交名の総合的研究-』と題して、仏像の像内納入品資料の分析を通じて中世社会を構成した政治・思想・芸術などにかかわる宗教的共同体(「結衆」)の実態とその役割を解明することを目的とする。とくに本研究では、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した仏師快慶の作例をとりあげ、その像内におさめられた夥しい数の納入品資料のうち、結縁文名(信仰者の連署名)の分析から、快慶の造像活動の背後にある勧進組織や職人集団による「結衆」組織の構造的分析を試みた。序章 本章では本論の中心資料となる像内納入品の史料的価値と研究の方向性を示した。従来の美術史や文学史の研究では、美術や文学における想像力を「個」の次元で理解するのが一般的であったが、中世初期に誕生した宗教・美術・文学などの運動においては、作者における「個」の問題もさることながら、いくつかの共同体を中心として形成された文化的・社会的事象が重要な役割を果たしたことを指摘した。 また、中世における「結衆」の祖型を古代の「緒」の組織、あるいは10世紀後半から11世紀前半にかけてのいわゆる摂関期の宮廷サロンやその周辺に発生した勧学会・二十五三味会などの宗教的共同体にもとめ、これらとの比較・対照を通じて中世的な「結衆」の性格について論じた。とくに従来の像内納入品研究の成果、および残された課題について具体的に指摘した上で、本研究により明らかにすべき問題点の所在を指摘した。第一章結縁の諸相 日本仏教における民衆化の歴史をたどるとき、さまざまな「結縁」をめぐる信仰の展開が重要な位置をしめる。 第一節「結縁の祖型」では文献的な基礎資料となる経典・祖師の法話・貴族の日記などより結縁に関する資料の収集を行なった。これらをもとに、人々の結縁の目的や手続きを語彙分析などの方法より事例別に分類し、結縁信仰の諸相を明らかにした。 第二節「金石史料より見た結縁」では、人々が「結縁」の行為を現実の「かたち」として認識する契機となった仏像の造立・写経供養・経塚建立などの際に添えられた銘文(金石文)をもとに、「結縁」の記事を年代を追って抽出し、整理した。ここでは、その記事を解析し「結縁」に纏わるデータベース-項目として年代・所蔵者[出土地]・内容[尊像別・書写経典別・埋納品別]・銘記法・願意・願主[施主]名・勧進僧の有無・結縁者数・公刊史料等をあげる-の構築を行なった。さらに結縁の目的について作例総数二百三十八をいくつかの項目に類別し示した。第二章中世的「結衆」の構図-東大寺僧形八幡神像の結縁文名を中心に- 本章では、治承4年(1180)12月、平重邊衡による焼き討ちで焼失した東大寺の再建にあたり、仏師などの職巧人がどのような役割を果したのか、その動向を像内納入品資料から探ることを主眼とした。とくに建仁元年(1201)東大寺八幡宮の僧形八幡神像の再興造立の場合を一つのモデルとして、その事業に関わった約百五十名にのぼる結縁者たちの「結衆」要因を「血縁的関係」「法線的関係」「地縁的関係」「職業的関係」などに分類し、そこに形成された結縁者相互のネットワークモデルを構築した。 この東大寺僧形八幡神像の場合、仏師の快慶が製作者であると同時に施主として関係していることから、この「結衆」の中心的な役割を果したものと考えられる。また結縁者に皇族をはじめ、東大寺・興福寺・比叡山・高野山などの僧綱に列なるものや、銅細工などの職人や芸能者の名が見えることに着目し、仏師快慶を中心とするさまざまな人間関係のネットワークを多面的に考証した。第三章中世教団の成立と造像信仰の展開 本章では、12世紀後半に成立した源空浄土宗における造像の問題を取り上げ、古代的な作善としての造像起塔を否定する立場をとった源空やその門下が、実際にはなぜ多くの仏像を制作したのか、という問題を中心に検討した。 ここではその背景として、従来の既成教団と異なり、いわゆる寺領荘園などの経済的基盤を持たない新興教団の経済的な問題が関係するのではないか、という仮説を提起している。基礎史料として仁治4年(1242)浄土宗西山派の開祖證空や後鳥羽上皇の子で天台座主道覺法親王が中心となって造立された京都府・大念寺阿弥陀如来立像、文暦2年(1235)澄憲・聖覚ら安居院流唱導の祖師たちの結縁した滋賀・阿弥陀寺阿弥陀如来立像の結縁交名を用い、初期浄土宗教団の組織と布教の背後に形成された勧進組織と信仰者たちのネットワークを明らかにした。第四章像内納入品にみる中世の祖霊信仰 本章ではに中世前期、すなわち源平の争乱と前後して造立された東大寺南大門金剛力士像京都市・遣迎院阿弥陀如来立像などの像内納入品の分析を通じて、中世の造像信仰とそこにあらわれた祖霊追善の問題について検討した。とくに前者からは歴代の村上源氏の名が発見され、この造像と時をほぼ同じくして頭角をあらわした源通親のクーデター(建久七年の政変)との関係を示唆した。また後者からは壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門二名の名が確認され、これら一連の快慶による造像が当時の社会状況と密接な関係にあったことを指摘した。さらにここでは建礼門院の出家に際して戒師を勤めた大原上人湛〓や、南都において斬首された平重衡の首を高野山に納めた重源らが結縁しており、中世の勧進聖たちがその募縁手段として各地で造像結縁をすすめる一方で、『平家物語』などの創作に関係したことをこれらの像内納入品資料より明らかにした。結章 以上全四章にわたる論証を通じて本研究では以下四つのネットワークモデルを構築し、その実態を明らかにするとともに中世における「結衆」の文化についての提言を試みた。1)鎌倉時代の東大寺復興造営においては、重源を中心とする大勧進細織が独自の職巧人集団などを含む共同体を形成し、その組織下に東大寺に関係の深い皇族・貴族(村上源氏など)や鎌倉幕府、あるいは東大寺・醍醐寺・仁和寺・神護寺などの僧侶と、彼らの血縁関係や法縁関係にある人々を含めた「結衆」の組織が協調関係を結ぶことによって、その経済的な基盤を支えた。また勧進集団は東大寺内の再興造営における造像起塔の多くを、特定の武家や公家などの権力者に奉行させることにより、資財・資金の調達の円滑化をはかった。(パターン1:「東大寺復興と共同体モデル」)2)重源による播磨・周防・伊賀などの別所経営では、在地からの造営料を東大寺に集中する一方、各地方の別所では大念仏の興行や迎講などの信仰儀礼、あるいは施湯などの結縁儀礼や社会事業を通じて教化し、勧進活動を活化させた。また別所における造像活動の多くは地域の人々の結縁によるもの(地縁結合)を中心として、勧進の手段としての造像が行なわれていたことを明らかにした。(パターン2:中世像内納入品にみる「結衆」と勧進の基本 構造 1180-1215)3)重源や明遍が深く関係した東大寺並びに高野山の勧進事業では、仏師の快慶が常に行動をともにしており、快慶のはたした役割の大きさを察することが出来る。また、快慶作の京都市・遣迎院阿弥陀如来立像などからは『平家物語』の成立に間係したと目される藤原通憲の一門や葉室家の一門等の結縁が複数確認されたことにより、『平家物語』の成立に東大寺の勧進組織が深く関与していたことを明らかにした。(パターン3:『平家物語』の成立に間係する「結衆」の捕造1180-1230)4)東大寺復興造営が終束すると、多くの職巧人たちは失業し分散したが、彼らは引き続き、源空浄土宗教団や親鸞の真宗教団などに吸収されたものと考えられ、そこにも彼らをネットワーク化する組織の存在がうかがわれる。こうした実態は快慶工房の作風を示す滋賀・玉桂寺阿弥陀如来立像(源空の追善造像)、京都・大念寺阿弥陀如来立像(證空関係の造像)、奈良・興善寺阿弥陀如来立像、滋賀・阿弥陀寺阿弥陀如来立像(浄土宗諸行本願義系の造像)等の作例から確認された。(パターン4:中世浄上宗教団の成立と勧進組織の関係 1180-1280頃)
著者
渡邊 徳明
出版者
慶應義塾大学
雑誌
研究年報 (ISSN:09174281)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-22, 1999

0. はじめに1. テキスト・ヴァージンの分類2. Rg.テキスト研究3. 作者の役割の重視4. 多元論的成立観5. 超個人的主体による多層的伝承 : 結びにかえて,,Der Rosengarten zu Worms" (Rg.) ist ein Heldenepos aus der Gattung der Dietrich-Epen, in dem Stoffe des Nibelungenliedes parodistisch verarbeitet wurden. Über die ursprüngliche Autorschaft dieses um 1250 entstandenen und bis zum Ende des 15. Jhs. in verschiedenen Textfassungen überlieferten Epos herrscht bis heute Unklarheit. Seit Beginn des 19. Jhs. hat sich die Einstellung zum Entstehungs- und Überlieferungsprozess der Rg.-Texte gewandelt. In diesem Zusammenhang hat sich vor allem die Ansicht über die Beziehung zwischen der subjektiven Produktivität einer Autorpersönlichkeit und dem Einfluss durch autorexterne Elemente verändert.Wilhelm Grimm (1836) und Georg Holz (1893) dachten, daß die Rg.-Texte aus dem Bestreben des Volkes, dem Nibelungenhelden Siegfried dem Volkshelden Dietrich von Bern gegenüberzustellen, entstanden seien. Es besteht bei ihnen also die Tendenz, äußere Elemente wie hier die Textbedingtheit durch die Verarbeitung und Variation überlieferter Sagenstoffe durch das Volk über den Einfluß einer Dichterpersönlichkeit zu stellen.Die positivistische Textkritikforschung von Hermann Schneider (1921) und seinem Schüler Carl Brestowsky (1929) führte zu einer anderen Gewichtung des Verhältnisses zwischen Überlieferung und Autor. Vor allem Brestowsky untersuchte die Rg.-Texte nicht mehr im Hinblick auf die Rezeption der Sagenstoffe, sondern sah in ihnen vielmehr ein in der realen Welt der literarischen Produktion durch einzelne Autoren hergestelltes Werk.Helmut de Boor (1959) führte diesen Gedanken weiter, indem er in der Auseinandersetzung des Dichters mit der realen Welt einen Ausdruck der jeweils vorhandenen Einstellungen für und gegen die höfische Kultur sah. Diese Interpretation durch de Boor beruht auf der Annahme von der Singularität der Archetypen der Texte.Dagegen hält Joachim Heinzle (1978) seine Auffassung von der Pluralität der Archetypen der Rg.-Texte. Wichtig ist ihm nicht die Einstellung eines einzelnen Dichters, sondern die gemeinsamen Motive und Tendenzen der Dietrichepen. Als besonderes Merkmal dieser Gattung nannte Heinzle die Komisierung und Prodisierung des überlieferten Stoffes.Michael Curschmann (1989) beschäftigt sich mit der wechselseitigen Beziehung zwischen der mündlichen und schriftlichen Überlieferung. Seiner Meinung nach gab es im Spätmittelalter einen im Publikum geführten Diskurs, in dem der Feindseligkeit gegenüber der Protagonistin des Nl., Kriemhild, Raum gegeben wurde. Laut Curschmann beeinflussten sich dieser öffentliche Diskurs und die schriftlichen Textfassungen bis zu einem gewissen Grade gegenseitig. Somit schreibt er dem Publikum einen schöpferischen Willen zu.
出版者
日経BP社
雑誌
日経ニューメディア (ISSN:02885026)
巻号頁・発行日
no.1441, 2014-11-10

スマートフォンやタブレット、パソコン向けソーシャル経済ニュースサービス「NewsPicks」を提供するユーザベースは、2014年中に自社独自の紙媒体を実験的に発行する。代表取締役共同経営者の梅田優祐氏は、「紙メディアにはオンラインメディアにはない優位性が…
著者
谷口 文彦 中川 智皓 新谷 篤彦 伊藤 智博
出版者
一般社団法人 日本機械学会
雑誌
日本機械学会論文集 (ISSN:21879761)
巻号頁・発行日
vol.84, no.861, pp.17-00534-17-00534, 2018 (Released:2018-05-25)
参考文献数
11
被引用文献数
1

Inverted pendulum vehicles controlled by movement of driver's center of gravity (COG), such as Winglet or Segway are the examples of Personal Mobility Vehicles (PMV). PMV is sometimes expected to be used in pedestrian spaces. When a driver brakes an inverted pendulum vehicle suddenly, the driver has to move his/her COG backward largely and has the risk to lose his/her balance due to the characteristics of vehicle control. Therefore, we aim to achieve a vehicle control system that is friendly to drivers in emergency. In the previous study, the coupling model of a vehicle and a human had been built on Multibody Dynamics and the technique to brake an inverted pendulum vehicle automatically had been proposed using that model. In this study, we carried out two experiments to decide the timing of the automatic braking system defined as Time To Collision (TTC). We carried out two experiments about stopping distance when a driver brakes an inverted pendulum vehicle suddenly and when the automatic braking system is operated, and we compared those results. Then, it was shown that stopping distance operated by the automatic braking system is shorter than by human driver's sudden braking operations. In addition, we derived TTC1 ( 0.7 s ) of inverted pendulum vehicles from these experiments about stopping distance by human drivers' sudden braking. Then, we derived reaction time ( 0.4 s ). Finally, we proposed a safety system using TTC1 and the reaction time. When TTC reaches 1.1[s], the alarm makes a human brake an inverted pendulum vehicle suddenly. Then if a human doesn't brake an inverted pendulum vehicle suddenly and TTC reaches 0.7[s], the automatic braking is operated.
著者
杉本 祐介 佐藤 太一 土井 千章 中川 智尋 太田 賢 稲村 浩 内藤 克浩 水野 忠則 菱田 隆彰
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
研究報告モバイルコンピューティングとユビキタス通信(MBL) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.50, pp.1-6, 2015-02-23

近年,インターネット上では,Facebook や Twitter における日記や amazon.com や食べログにおけるレビューなど,ユーザからの投稿を利用したサービスが数多く普及している.これらのサービスに寄せられる投稿の中には,楽しい,きれいといった感情を示す感情語が数多く含まれており,先行研究では,そういった感情語を利用した観光地のレコメンド手法の提案を行った.その際,喜びや楽しみ,好みなどのポジティブな感情語が 1 つのカテゴリに集中してしまうという問題があり,詳細な分類を行うためにはこの問題を解決する必要があった.そこで本研究では,ポジティブな感情語が 1 つのカテゴリに固まってしまう問題を解決し,レコメンドに適した感情語の分類方法の提案を行う.
著者
Etsuko Maeshima Yuka Okumura Juri Tatsumi Sayaka Tomokane Akiko Ikeshima
出版者
The Society of Physical Therapy Science
雑誌
Journal of Physical Therapy Science (ISSN:09155287)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.148-151, 2017 (Released:2017-01-31)
参考文献数
28
被引用文献数
3

[Purpose] The purpose of the present study was to examine cognitive function in middle-aged and older adults regularly engaging in synchronized swimming-exercise. [Subjects and Methods] Twenty-three female synchronized swimmers ranging in age from 49 to 85 years were recruited for the present study. The duration of synchronized swimming experience ranged from 1 to 39 years. The control group consisted of 36 age- and gender-matched community-dwelling middle-aged and older adults (age range: 49 to 77 years). Cognitive function was evaluated using the Japanese version of the Montreal Cognitive Assessment (MoCA-J) and compared between the synchronized swimmers and control participants. [Results] No significant differences in mean total MoCA-J scores were observed between the synchronized swimmers and control participants (23.2 ± 3.1 and 22.2 ± 3.6, respectively). Twenty-nine subjects in the control group and 17 in the synchronized swimming group scored below 26 on the MoCA-J, indicative of mild cognitive impairment. Significant differences in delayed recall—but not in visuospatial/executive function, naming, attention, language, abstraction, or orientation—were also observed between the two groups. [Conclusion] The results of the present study suggest that synchronized swimming has beneficial effects on cognitive function, particularly with regard to recent memory.