著者
三橋 順子
出版者
講談社
雑誌
(ISSN:03850366)
巻号頁・発行日
vol.33, no.10, pp.41-43, 2008-10
著者
難波 功士
出版者
日本マス・コミュニケーション学会
雑誌
マス・コミュニケーション研究 (ISSN:13411306)
巻号頁・発行日
no.70, pp.29-39, 2007-01-30

The term 'subculture' has been used with many different meanings. From the point of view what culture was supposed to be against the term 'sub-'culture, I try to classify the uses of subculture into three groups. 1) Subculture as an antonym of high culture, in this case, subculture mainly related to massmedia. 2) Subculture as an antonym of total culture, in this case, subculture mainly related to segmented media. 3) Subculture as an antonym of main or dominant culture, in this case, subculture mainly related to alternative media. Based on the typology, I try to survey recent treatises or books on 'media and subculture'.
著者
渡邉 美代子
出版者
東京経済大学
雑誌
東京経済大学人文自然科学論集 (ISSN:04958012)
巻号頁・発行日
no.129, pp.47-71, 2010-02-24

According to M. Polanyi, "our message had left something behind that we could not tell, and its reception must rely on it that the person addressed will discover that which we have not been able to communicate."1) The explanation of his statement can be found in the structure of metaphors because they provide us with a partial understanding of things ; in other words, they hide other aspects of the concepts. Metaphors help us understand the surrounding world and a language is metaphorical by its very nature. This paper discusses the relationship between the structure of metaphors and the tacit knowledge from a cognitive linguistic viewpoint.
著者
遠矢 和希
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.71-78, 2009
参考文献数
43

ART(Assisted Reproductive Technology)を利用できる成人の法的制限について、諸外国では議論になっている。性的マイノリテイの家族形成権について欧米ではそれぞれに法的対応をとっており、ARTを利用した性的マイノリティの挙児・育児は盛んである。親のセクシャリティと子どもの発達に関する研究においては性的マイノリテイの育児には問題がないとする結論が多いが、多数派の価値観からマイノリティを判断する限界もあるという。一方わが国における性的マイノリティの状況と法制度を鑑みても、同性カップルがARTにより挙児・育児に至る可能性のあるパターンは5つある。欧米の性的マイノリティの家族形成権の法整備は(1)宗教的・文化的問題、(2)子どもの福祉や健全な発達の問題、(3)国際政治的問題などによって各国で判断されていると推察され、日本でのARTに関する法整備においても性的マイノリティへの視点が必要であると思われる。
著者
高良 麻子
出版者
一般社団法人 日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.126-140, 2018-07-20

変容している生活問題への対応が十分とは言えないなか,社会的に排除されている人々に対して地域を基盤とした総合的かつ包括的支援が展開されている.なかでも,制度の未整備などには法律・制度・サービスの改廃・創設を含む構造的変化を促す組織的活動であるソーシャル・アクションが必要だと言えるが,研究と実践ともに蓄積が乏しい状況である.そこで,本研究ではソーシャル・アクションの実践を体系的に把握することを目的とし,成果が確認された社会福祉士による42の実践事例を分析した.その結果,近年実践されているソーシャル・アクションは当事者の参加度が低く,かつ介入対象レベルが狭いことが明らかになった.実践プロセスは,制度などに関する課題に気づき,課題を把握し,課題理解促進や関係者の組織化を並行して行いながら,構造的変化を目的とする組織的活動を行っており,日頃からのネットワークや実践の蓄積などの基盤が不可欠だと考えられた.
著者
瓜巣 由紀子
出版者
浦和大学・浦和大学短期大学部
雑誌
浦和論叢 (ISSN:0915132X)
巻号頁・発行日
no.53, pp.21-48, 2015-08

わが国では、社会的養護を必要とする児童が増加している。しかしながら、社会的養護の施設の区分には、障害児でありかつ被虐待児である児童が利用する施設である障害児入所施設が含まれていない。障害児でありかつ被虐待児の児童については、児童福祉法に規定される同じ「児童」でありながら、施策の適用の違い、児童福祉施策の対象あるいは障害児施策の対象となるのかにより、施設への入所制度に矛盾があるのが現状である。 そこで本論文では、児童福祉施策と障害児施策の視点から社会的養護の現状と課題について考察した。その考察からわが国の社会的養護は被虐待児をその主たる対象とし、障害児であり被虐待児についての視点は乏しいものであるという知見を得た。この社会的養護の課題解決のため、わが国の「すべての児童」を対象とした政策立案を形成するシステムの構築について提言した。
著者
三浦 宏文
出版者
実践女子短期大学
雑誌
実践女子短期大学紀要 (ISSN:13477196)
巻号頁・発行日
no.35, pp.73-84, 2014-02

本稿では、2011年に日本テレビ系列で放送された連続ドラマ『妖怪人間ベム』に見られる仏教思想を考察した。このドラマの中で、ベムたちは自分たちがどのような境遇にあっても救いを求める人間がいる限り救い続けるという浄土教の法蔵菩薩に通じる行動原理を示していた。さらにその最終回では、自らの人間になりたいという夢を断念して人間たちを永久に救い続けるという決断をする。これは大悲闡提の菩薩に通じる境地を示していたのである。 This paper investigates Buddhism thought included in a Japanese serial TV drama "Humanoid Monster Bem". In the story, Bem helps anyone in need, even if he also had any difficulties. In his attitude, we can find a kind of Bodhisattva thought of Buddhism. In addition to this, in the last episode of this TV drama, Bem chooses to continue his salvation activity forever at the sacrifice of his own dream of becoming a human being. It is the thought of Boddhisattvaicchantika, which immeasurably deepens Altruism of Bodhisattva, that his decision in this episode represents.
著者
ナンニーニ アルダ ビオンディ マルコ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.61, pp.237-270, 2011-10-15

本稿で紹介するのはGiscel(Gruppo di intervento e studio nel campo dell'educazione linguistica、www.giscel.org) Giapponeのメンバーによって作成された日本人学習者を対象とした「初心者のためのシラバス」である。Giscelはイタリア言語学学会(Societa di Linguistica Italiana:SLI)の一部として、イタリア語教育研究を進めるグループである。日本のグループは2005年より存在している。当然のことながら、イタリア語は日本のコミュニティの言語ではない、「外国語(伊:lingua straniera,LS)と呼ばれるものである。ある言語を使うコミュニティ内で学ぶ言語は「第2外国語」(伊:lingua seconda,L2)と呼ばれる。学ぶ環境が異なると、ある程度異なったシラバスが必要となる。そこで、Giscel Giapponeのメンバーは日本の環境に合ったシラバスの研究を行なっている。まだ初期段階に過ぎないが、日本でのこのようなアプローチは初めてのため、イタリア語教育の関係者に紹介することを目的として執筆した。様々な意味を持つ「シラバス」(sillabo)は、イタリア語教育の文献では専門用語としてカリキュラム(curriculum)の一部をなし、「知識や能力の観点から(必要とされ、)教える内容の選択とその順序を整えたものを表す(Ciliberti 1994:100,il sillabo e"quella parte dell'attivita curricolare che si riferisce alla specificazione e alla sequenziazione dei contenuti di insegnamento fatta in termini di conoscenze e/o capacita")。つまり、「講義要綱」でも、「教科書」でもない。それらはシラバスの次の段階のものであり、curriculumの発展段階に位置する。Giscel Giapponeのsillabは2つの基本的な文献を出発点にしている。まずは、L2/LSに必要な知識や能力を特定するためにQuadro comune europeo di riferimento(QCER,ingl.CEFR)を基にしている。特にこのsillaboが目的としているのはQCERのレベルA1とレベルA2の一部である(cf.http://www.lanuovaitalia.it/profilo_lingua_italiana/sei-livelli.html, 2011年1月)。次にLo Duca,Sillabo di italiano L2,Roma 2006を参考にしているが、次の2つの点でLo Ducaから離れている。その違いこそがGiscel Giapponeのシラバス研究のオリジナリティをなしている。一つは文化的な内容と能力を明確にする点である。Lo Ducaは、ヨーロッパのErasmusプログラムで留学する大学生を対象としているため、文化的な内容は、イタリアで滞在することによって学ぶことができるものとし、シラバスでは扱わないことにしている。それに対し、Giscel Giapponeのsillaboでは、日本で学ぶ学習者を対象にしているため、いかなる文化的な内容でも教えるべきものとして考慮しており、日本文化とイタリア文化の似た部分と似てない部分を明確化し、誤解を招かない正しい知識を与えるにふさわしいものとなっている。もう一つは学習者が既に持っている言語的・社会文化的知識(conoscenze pregresse linguistiche e socioculturali)を系統的に考慮する点である。最近の言語習得研究においても、母国語が学習者の使う一つのストラテジーとして重要視され始めている(cf.Chini 2005)。筆者の考えでは、言語だけでなく、その文化にもアプローチするならば、学習者は母国語と文化(lingua e cultura materna:略:L1/C1)に対する「既存の知識と経験」を懸け橋として、「新しい言語と文化(lingua e cultura seconda:L2/C2 o straniera:LS/CS)との間に様々な形の関係を作ることで、新しい知識を得ることができる(cf.Nannini 2002,2005,2009a)。実際、De Mauro-Ferreri(2005)が、こうした既知の知識や経験をlinguistica educativa(教育的言語学)研究の一部として認めているのも偶然ではない。というのも、De Mauro-Ferreriは"l'incremento del patrimonio linguistico gia in possesso di chi apprende"(学習者が既に持っている言語財産の増進化)を出発点としているからである。このsillaboは言語の全てのレベルを考慮することで、《宣言的知識conoscenze dichiarative「〜を知る」》と《手続き的知識conoscenze procedurali「〜を使うことができる、ノウ・ハウがある》の齟齬を乗り越えることを試みている。学習者が練習問題を解く段階では、「できる」ように見られてしまうことがよくあるが、現実には、「習った」とされる同じ要素を自律的に使うことができない(一例を挙げれば、冠詞の意味、使い分けなど、cf.Nannini 2007b)。どのコミュニケーション・タスクにも言語的な形が必要とされ、その中には社会的・文化的・語用論的な要素だけでなく、語形論的・統語論的な要素も含まれる。こうした要素は相互に補い合って、言語能力の発展に寄与するものである。その結果、このアプローチの中心になるのは語彙となる(cf.Ferreri 2005)。Bettoni(2001:77)が断言するように、「ある単語を学ぶということはその単語の文法を学ぶということだ("imparare la parola significa impararne la grammatica")からである。換言すれば、単語の中に表れる「文法」に注意を向け、それをコミュニケーションの一部として考えない限り、「文法」を正しく理解して学ぶことはできないということである。このように、sillaboでは、そこで扱われるコミュニケーション・タスクをそれぞれ以下の観点から順番に分析を加えている。1)基本的な言語表現2)語彙3)社会・語用論4)音声・音素学;プロゾディ(イントネーションなど)5)意味・統語論的なカテゴリー(例:冠詞の意味的な範囲と使い分け)6)文化的諸要素7)形態・統語論とメタ言語の自覚 また、初心者に必要とされたコミュニケーション・タスクは下記の通りである。挨拶。自己紹介と他人の紹介。自分と相手の家族について話す。情報の尋ね方と与え方。バールやレストラン、ホテル、店でのやりとり。体調や気分・感情の基本的な表現。自己や他者に関する身体や性格の簡単な描写。銀行員との簡単なやりとり。