著者
北岡 志保 古屋敷 智之
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.53, no.7, pp.702_2, 2017 (Released:2017-07-01)

げっ歯類を用いたうつ病モデルの1つである.このモデルでは,解析対象のマウスを体格が大きく攻撃性の強いマウスの攻撃に1日10分間,10日間連続で曝露し,その後,マウスの行動変化を調べる.反復社会挫折ストレスは社会性の減弱(社会忌避行動の誘導)や,不安亢進,快感覚の消失といったうつ病でみられる症状を誘導する.反復社会挫折ストレスによる社会忌避行動の誘導は抗うつ薬の反復投与により改善する.つまり,このモデルは予測妥当性を満たすうつ病の動物モデルとして注目されている.
著者
中村 航洋 川畑 秀明
出版者
日本生理心理学会
雑誌
生理心理学と精神生理学 (ISSN:02892405)
巻号頁・発行日
pp.1602ci, (Released:2017-07-08)
参考文献数
76
被引用文献数
1

脳機能画像技術の発展に伴い,人が主観的に経験する美がどのような脳神経過程によって生み出されているかを研究する神経美学が近年注目を集めている。これまでの脳機能画像法による計測から,視覚芸術や人間の身体に対して主観的に美が経験されている際には,情動的処理システム,認知的処理システム,感覚運動的処理システムの少なくとも3つの機能的に独立した神経システムが駆動することが示されてきた。情動的処理システムは美の知覚に伴う快情動の経験において中核的役割を果たし,脳の報酬系を構成する眼窩前頭皮質や腹側線条体の神経活動は美的評価の程度と相関する。また,認知的処理システムは美的印象評価の決定に必要とされる情報の統合を担い,背外側前頭前野の関与が指摘されてきている。さらに,具象画や顔,身体像などの知覚処理を担う感覚運動的処理システムは,対象に特定的な知覚処理のみならず,対象の視覚美も表現していることが明らかになってきた。近年では,このような美的経験の神経基盤を計測するのみならず,経頭蓋磁気刺激や経頭蓋直流電気刺激などの脳刺激法を導入した研究も行われ,美的経験はその背後にある神経活動状態を脳刺激によって修飾することで操作されることが明らかになってきた。こうした脳機能画像法と脳刺激法による神経美学的研究から,美は報酬価値表象,意思決定,感覚運動に関わる神経システムの複雑な相互作用によって生み出されていることが示唆される。

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著者
東京天文台 編
出版者
丸善
巻号頁・発行日
vol.第22冊(昭和24年), 1949
著者
山川 偉也
出版者
桃山学院大学
雑誌
桃山学院大学総合研究所紀要 (ISSN:1346048X)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.129-168, 2007-06-20

This article first takes a critical look at Aristotle's definition of "human being" as a "politicalanimal" (πολιτικον ζψον), as noted in his Politics 1253a2_3. Following that is a study of the correlation between Aristotle's and Diogenes' views of human beings. The author initially provokes the reader's attention to the fact that the Aristotelian term "political animal" originally had two contexts. First, according to Historia Animalium, the political animal is a species of "gregarious animal" (τα αγελαια). Therefore, it is not the case that human being is a unique species of political animal; a large group of different species described as political animals does indeed exist. Aristotle states, for example, that various forms of political animal, such as "man," "bee," "wasp," "ant" and "crane," each has a common property: the devotion to some common good in its political community. On the other hand, in Politics 1252a1_7, Aristotle identifies "the so-called city-state" (η καλουμενη πολιζ) as a "political community" (η κοινωνια η πολιτικη)_According to Historia Animalium, the human being is only one species of political animals. But, according to Politics 1253a 7_8, the human being is a "political animal" in a greater measure than bees or any other "gregarious animal". The author insists that it was precisely in this context that Aristotle needed to specify human beings by a geometrical proportion: `God :Man=Man : Animal.' The author analyzes thoroughly Aristotle's view of human being and discloses the fact that Aristotle's theory of the "natural slave" conflicts with his own definition of"man." In this way the author divulges the invisible aspects of Aristotle's political thought. The author then concentrates to clarify the meaning of Diogenes' mission "paracharaxon to nomisma" ("deface the currency") and to highlight the significance of his protest against the Aristotelian definition of human beings: God : Man=Man : Animal Thus, the author proceeds to deface the current interpretations of Diogenes of Sinope's conception of justice and cosmopolitanism, which has been regarded by scholars as almost "nothing"or at least as a "shadowy ancestor" of the cosmopolitanism of Zeno of Citium. In place of these interpretations the author is submitting another version of cosmopolitanism that is to be regarded as a defaced version of Alexander's. Following the Sinopean dog philosopher's mission"παραχαραξον το νομισμα" ("deface the currency"), the author is defacing contemporary views on Diogenes of Sinope's "character" (χαρακτηρ)_
著者
薬袋 秀樹 Hideki MINAI
巻号頁・発行日
2001

平成13年度(第87回)全国図書館大会・第12分科会(図書館員養成)「高度な専門性をめざす図書館情報学教育」配付資料,2001.10, 7p.
著者
野村 伸一
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.31, pp.25-66, 2003

朝鮮民族の伝えた仮面のあそびは夜陰を貫く鮮烈な一条の光芒のようなものであった。それは邑落の広場で多くは夜半,篝火のもとに俗語と歌謡を交えた台詞,強靱な身体を反映する跳舞とともにおこなわれた。 演じ手はクヮンデ(広大)とよばれた者たちである。かれらは文献では高麗時代に突然現れ,その出自は明らかでないが,鮎貝房之進がかつて推定したようにおそらくは北方からきた異邦人であろう。朝鮮朝においても仮面戯や雑戯,またパンソリなどの謡い物の担い手として活動した。かれらは朝鮮時代に賤民とされ,同じく賤民とされた巫覡と縁戚関係を結んだ者も多かった。 また朝鮮朝後期に成立したとおもわれる現存仮面戯の多くは在地の郷吏が陰に陽にかかわっていて,かれらの素養,趣向が反映されたために,台詞のなかに多数の漢文の詩句が挿入されることになった。それはちょうどパンソリという謡い芸の変容と対応する。 朝鮮の仮面戯の系統について,李杜鉉は,ムラの城隍祭におこなわれる仮面戯と「山台都監系統劇」とに大別している。前者としては河回,江陵および東海岸別神クッの仮面戯があげられている。また後者は黄海道や京畿道,慶尚南道の仮面戯のことで,それはいずれも朝鮮朝の儺礼を管掌する官庁「山台都監」の影響下にあるという前提のもとで名づけられている。しかし,李杜鉉自身がいうように,宮中の儺礼の際におこなわれた「山台雑劇」「山台儺戯」は必ずしも仮面のあそびではなく,今日民間に伝承されたものと同一ではない。しかも,京畿道と黄海道のものは類似した部分も多いが,慶尚道の仮面戯をそれらと同類のものとしていいのかどうかは,反論も提起されている。 ただ,わたしは,本論において系統論にはあまり深入りする考えはない。わたしがここで提起した問題は,朝鮮の仮面戯は儺と死霊供養の観点からみる時,「城隍祭」の仮面戯であれ,「山台都監」系統のものであれ,また慶尚南道のものであれ,すべて包括的に論じることができるということである。そもそも山台都監とは宮中の儺にかかわる官庁であり,そこに出入りしたクヮンデらの動向が儺礼の廃止以後,どのていど民間の仮面戯に影響を及ぼしたのかは推測するほかはないのだが,かれらの演戯の根柢は東アジアに広く存在する民間の儺であり,また孤魂供養の場にあった。このことはのちにいろいろな視点から述べることになる。 わたしは,以下では,まず朝鮮全国に広がる主要な仮面戯を概観し,現存する仮面戯の成立にとって主要な契機は何だったのか,また仮面戯の動因は何であったのかを検討し,次に,主として言語伝承の面について,また東アジアの枠内における比較対照の必要性について論じようとした。 論議はかなり広くなるが,仮面戯はそもそもなぜおこなわれたのかということが基本的な問いかけであり,その答えはまだ明確に出されていない。そこで,まずわたしの視点の大枠を提示しておきたい。 朝鮮のムラのまつりは毎年おこなわれるが,すべてのまつりに仮面のモノが訪れるわけではない。従って,ムラまつりが仮面戯を胚胎したというだけでは十分な説明にはならない。ムラの祭儀の場に来訪するモノは無数にあり,いちいち目にみえるかたちでは表現しないのがふつうである。しかし,天災,疫病,飢饉,暴政などムラの存亡にかかわるとき,そうしたモノは姿を現した。いや現れることが待望された。それは巫覡のクッのなかに織りこまれるばあいもあるし,また農楽隊のかたちで訪れ,迎えられることもあっただろう。また男寺党やその前身となる流浪の芸能者のかたちで訪れることもあっただろう。 かれらは,クッの場に集うモノなので,訪れてから,まずはムラのようすをながめる。ムラでは巫覡のクッもあっただろう。農楽隊による出迎えもあっただろう。そうしたところへやってきたモノたちは鬼神,神将などの姿をとる。そして通例,楽の音に誘われてやってきたことを告げる。またかれらは楽士によびとめられる。このとき,楽士らは村人を代表していて,このモノたちを受け入れる。 あそびの場に引き寄せられてきたモノたちは障害を持っていたり,かたちが歪んでいたりする。そうではあってもかれらなりの一生を語り,また演じてみせる。それは辱説(悪態),地口による笑い,あけすけな性の表現,家庭の不和などに満ちていて,身分ある人士の日常とは縁遠いが,東海岸のコリクッの登場人物がそうであったように,農村の日常,あるいは民俗世界の記憶としては真に迫るものがあった。猥談は農作業の合間に頻繁におこなわれ,哄笑にも似た笑いと些細なことが原因の派手な夫婦喧嘩こそは日常茶飯事だった。しかも,その世俗性はほかならぬクッのなかに構造的に埋め込まれていた。 これらの要素は,たとい郷吏のような地方官僚が「風紀上怪しからん」とあそびに介入したとしても消し去ることのできないものであった。なぜなら,かれら,モノたち(孤魂野鬼)の帰趨が邑落の存亡とかかわるという暗黙の前提があり,郷吏はこれを受容せざるをえなかったからである。郷吏は自分たちの主宰する年末の儺戯を仮面戯を中心に構成した。その際,付け加えられたものがあるとすれば,それは漢文もじりの台詞や強烈な両班諷刺のことばなどでしかないであろう。およそ祭儀にかかわる伝来の本質的な面は全面的に受容するほかはない。そのことではじめて地域共同体の儺の儀が全うされたのであるから。 こうして,根源的な問いかけが出されることになる。すなわち,一体,邑落の祭儀にとって原初の仮面戯はどのようなものとして受容されたのか。いいかえると,なぜ仮面戯が必要であったのか。この問いは少なくとも定説に対する根源的な問題提起になるだろう。すなわち,朝鮮には古来,ムラに自然発生した仮面戯と都市に住む専門的な芸人による仮面戯の二種類があったという解説は決して回答とはならないということである。 この根源的な問いかけにこたえるべく,以下には個々の仮面戯をみていくことにしたい。以下の構成は大きくふたつに分かれる。第一は,別神クッのなかの仮面戯である。慶尚北道の河回仮面戯と江原道江陵の官奴仮面戯がそれで,韓国では通例,村まつり系統の仮面戯とされている。第二は黄海道,京畿道および慶尚道の仮面戯で,近年の韓国の研究によると専門的な芸能者の参与したあとが濃厚なものである。 わたしの視点では,とくに両系統を分ける必要はないと考えるが,それについては,ここで論じるよりは全体をみた上で述べるのがよいと考える。従って,ふたつに大別したとはいえ,それはあくまでも便宜的なものである。
著者
田中 耕一郎
出版者
一般社団法人日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.30-42, 2010-08-31

本研究では,<重度知的障害者>を包摂する連帯規範の内容と深く関わる承認をめぐる問題について考察する.<重度知的障害者>をいかに承認しうるかという問いは,連帯規範の人間概念に<重度知的障害者>をどのように包摂しうるのか,という問いと同義であるが,現代の福祉国家を哲学的次元において基礎づけてきたリベラリズムの正義では,人間概念の核に自律性をおくがゆえに,そもそも<自律性なき者>(と評価された者)の存在は,その理論的射程に含まれてこなかった.本研究では,まず,リベラリズムの人間概念に異議を唱えたいくつかの倫理的思考を検討しながら,<重度知的障害者>の承認問題におけるそれらの可能性を考察する.次に,<重度知的障害者>も含め,あらゆる人間存在を包摂し,かつ,万人が自明と認めうる普遍的な人間的属性としてvulnerabilityを提起しつつ,この人間的属性から連帯規範を立ち上げることの可能性について考えていきたい.
著者
長野 匡隼 中村 友昭 長井 隆行 持橋 大地 小林 一郎 高野 渉
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 第33回全国大会(2019)
巻号頁・発行日
pp.1L3J1101, 2019 (Released:2019-06-01)

人は知覚した高次元の時系列情報を意味を持つ単語や単位動作に分節・分類することで認識している.ロボットが単語や動作を柔軟に学習するためにも,このような教師なしで分節・分類する能力は重要であると考えられる.本稿では教師なしで高次元の時系列データから特徴抽出すると同時に,単位系列に分節・分類が可能なHierarchical Dirichlet Processes-Variational Autoencoder-Gaussian Process-Hidden Semi-Markov Model (HVGH)を提案する.HVGHは,HDP-GP-HSMMにVariational Autoencoder(VAE)を導入したモデルであり,VAEとHDP-GP-HSMMのパラメータが相互に影響しあい学習される.VAEにより高次元データを分節化に適した低次元の潜在変数へと圧縮し,その潜在変数の遷移をガウス過程を用いて表現することで,高次元の複雑な時系列データの分節化を可能とする.実験では,様々なモーションキャプチャデータを用いて,提案手法が既存手法よりクラス数の推定精度及び分節・分類の精度が高いことが示す.
著者
三村 喬生 中村 友昭 松本 惇平 西条 寿夫 須原 哲也 持橋 大地 南本 敬史
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 第33回全国大会(2019)
巻号頁・発行日
pp.1C4J301, 2019 (Released:2019-06-01)

非ヒト霊長類など社会集団を構成する動物種においても広く観察される視線・表情・姿勢・動作などの身体表現を用いた非言語表現は、社会的コミュニケーションの本質的要素を成していると考えられるが、有効な定量解析技術がなく、コミュニケーションダイナミクスの理解において課題となっている。本研究では、身体表現を高解像度かつ汎用的に解析する手法の開発および実装として、小型霊長類コモン・マーモセットの典型的な摂餌行動を対象とし、ログデータを取得と身体動作時系列の分節推移構造推定を行った。データ取得には深度カメラとオ ブジェクト検出器を組み合わせた新規のマーカーレス・3 次元 モーショントラック技術を開発・実装し身体部位のトラッキン グ情報を抽出した。分節推移構造の推定には、ガウス過程の導入により多次元連続量を取り扱える拡張を施した隠れセミマルコフモデルを用いた。結果、マーモセット行動エソグラムの高解像度な分離を得たことから、提案手法は疾患モデル動物の病態評価など幅広い応用が期待される。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.134-154, 2019

【要旨】<br> 玩具映画産業の実態とその多様性について、大正末から昭和15年頃までの玩具映画全盛期の業界大手6 社の業態とその傾向性の差異を、玩具映写機やフィルムなどの史料分析により実証的に論じる。<br> 玩具映画とは、戦前を中心に存在した子供用35㎜フィルムと家庭用映写機のことである。玩具映画ブランドには「ライオン」「ハグルマ」「孔雀」「キング」「朝日活動」「大毎キノグラフ」などがあるが、先行研究でブランド名などは知られていてもその業態は未解明であった。また玩具映画はフィルムの二次利用で映画産業の派生的領域をなしたが、従来各社の具体的相違についても未知であった。本稿は、系統学的方法から逸脱する短命メディアを「分散状態の空間」として「アルシーヴ化」するメディア考古学の視座から、東西玩具映画各社の流通・販売戦略を対比的に分析し、日本の映画産業の知られざる多様性の一端を明らかにする。なぜなら玩具映画は、劇場用映画を解体的に二次利用することで、映画の専門家ではなく、玩具会社や享受した子供までが映像を脱構築して無数のヴァリエーションを生み、他に例をみない拡がりをみせたからである。従来の映画史からすればそれは「断片」であり消滅した「雑多なもの」ではあるが、映像文化全体からみれば、日本の玩具映画とその産業形態のヴァリエーションはきわめて重要な存在であるといえる。
著者
藤井 靖浩
出版者
Arachnological Society of Japan
雑誌
Acta Arachnologica (ISSN:00015202)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.5-18, 1997 (Released:2007-03-29)
参考文献数
40
被引用文献数
4 4

関東平野北西部にすむコモリグモ類の日周期活動と生活場所における種間の相違を落し穴トラップで調べた. オオアシコモリグモ属の種 (ウヅキ, イナダハリゲ, クサチハリゲ) はいずれも昼間にだけ捕獲された. また, ナミは昼間に, イモは夜間にやや多く捕獲された. しかしフジイ, クラーク, チビ, コガタ, ヒノマルの捕獲頻度は昼夜ともほぼ同様であった. コモリグモ類の生活場所は3つの環境要素の質や段階, すなわち, 底質 (B, むきだしの土壊; L, 生きた植物体; D, 死んだ植物体), 光の条件 (s,日向; d, 日陰), 水の条件 (0, 雨水のみ; 1, 止水; 2, 流水) の組み合わせで分類された. どの種も3っ以上の生活場所に出現し, ウヅキはBs0, クサチハリゲとアライトはLs0, クラークはLs1, イナダハリゲ, イモ, ナミはLs2, チビとコガタはDs0, エビチャとヒノマルはDs1, フジイはDd0で, それぞれの最高頻度を示したが, 生きた植物の上層部ではまれだった. 調査区内にすむ他の7種 (スジブト, カガリビ, クロコ, ハラクロ, キクヅキ, キシベ, キバラ) は低密度ないし低移動性のため, ほとんどないしまったく捕獲されなかった. 日周期性や生活場所に関するこれらの傾向において, ステージや性による相違は不明瞭であった.
著者
石黒 直隆
出版者
日本獸医師会
雑誌
日本獣医師会雑誌 = Journal of the Japan Veterinary Medical Association (ISSN:04466454)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.225-231, 2012-03-20
被引用文献数
1

私のオオカミに関する遺伝学的な解析のきっかけは,約10年前,高知県仁淀村の旧家片岡家の屋根裏から発見された頭骨のDNA分析を依頼されたことに始まる。それまで遺跡から出土する古代犬の骨から残存遺伝子を分離し系統解析を行っていた実績から,ニホンオオカミのミトコンドリアDNA(mtDNA)分析を頼まれた。頭骨は天保8年(1837年)に捕獲されたもので,至近距離から銃で撃たれた弾痕が頭蓋骨に観察されるが,形とサイズとも一級品の試料であった。本試料の分析を通じてニホンオオカミについていろいろと調べるうち,国内のニホンオオカミ骨標本はきわめて少なく,DNA分析がほとんどなされていないばかりか分類学上の位置づけも不明であることが明らかとなった。この分析依頼をきっかけに,全国に散在するオオカミの骨を訪ね歩いては骨粉を採取し,絶滅したオオカミのmtDNA分析を行ってきた。本誌では,これまでの分析結果を基に絶滅した2種類の日本のオオカミの遺伝学的系統についてまとめてみた。
著者
阿部 一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.7, pp.453-465, 1990
被引用文献数
5

Landscape can be considered as place in terms of phenomenological geography. In this paper, the author examines the concept of landscape with reference to that of place, and proposes a con-cept of &ldquo;story&rdquo; in order to prepare a framework for the study of landscape change synchronous with our consciousness change. The results are as follows:<br> 1) Landscape is the life-world on which our belief in objective reality is founded, and is a repository of meaning. Therefore, the concept of landscape coincides with that of place as a space with value and meaning.<br> 2) Place is not only an object of intentionality but also a process of intentionality. According to Nishida Kitaro's (1926) theory of place, place is the field of consciousness, which means that place is also the process of recognition. We call this aspect of place a &ldquo;meaning matrix&rdquo;, the implicit knowledge required for understanding meaning, such as a standard for judgment or a view of value.<br> 3) It is &ldquo;story&rdquo; that represents the meaning of landscape. A story is a discourse on objects-a legend, an article, or a picture and indicates the trend of history. The subject and landscape are changing together, influencing each other in parallel with a &ldquo;story&rdquo; (see Fig. 4).<br> 4) The task ahead for landscape study is to understand the self-understanding of a social group by analyzing its &ldquo;story&rdquo;, and to clarify the structure of the meaning matrix.
著者
横関 隆 岡野 裕之 並木 美太郎 高橋 延匡
雑誌
情報処理学会研究報告システムソフトウェアとオペレーティング・システム(OS)
巻号頁・発行日
vol.1990, no.49, pp.1-8, 1990-06-08

本報告では,我々が研究・開発を行っているOS/omicron第3版のファイルシステム内部アーキテクチャ「ソフトウェアバス」について述べる.ソフトウェアバスはハードウェアのコモンバスシステムを参考に考案したもので,OS内部をモジュール化し各モジュールの呼び出しを,バスと呼ばれる仲介手続きを通して行うものである.この結果,OSを構成する各モジュールの独立性を高め,保守・拡張を容易に行うことができる。ソフトウェアバスを導入し,OS/omicronファイルシステムでは,モジュールの交換・単体デバッグが容易に行え,OSのプロトタイピング環境の基礎を実現した.また複数のファイルシステムが共存できるマルチファイルシステムの環境を整えた.This paper describes a "Software Bus" architecture on which OS kernel is constructed with independent modules. The idea of this architecture is based on common bus systems hardware architectures. Each module is accessed through a common bus by internal procedures and it manages many resources uniformly. We have implemented this software bus architecture on a file system of OS/omicron V3, which is designed for super personal computing and Japanese information processing.