著者
橋本 三奈未 大木 愛 斉藤 美沙 木川 眞美
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.66, 2014

<b>目的</b> 人間の五感は、「視覚」に依存する割合が大きい。視覚は食物の好ましさの判断を最初に行うことが多く、味や口触りに対し優先的な先入観を与え、美味・不味の評価を左右すると言われる。そこで本研究では飲料を用いた官能評価を行い、カップの色が飲料の味に及ぼす影響について調査した。<b>方法</b> 2種類の飲料、紅茶(ジャワティ)・オレンジジュース(果汁100%)を用いて、甘味・渋味・苦味・酸味・爽快感等の10項目について、暖色系(赤・オレンジ・黄色)と寒色系(黄緑・青・紫)のグループに分け官能評価を行い、点数化し評価した。また、飲料の好ましさの順位をつけてもらった。官能評価後に自記式質問用紙にて、嗜好・色の好み等について質問した。<b>結果</b> 多くの項目でオレンジジュースの評価が高いが、渋味と苦味はジャワティが上回った。またカップの色によって味の感じ方が異なるかについては、ジャワティは寒色系カップの方が甘味・旨味・飲み易さの項目で評価が高かった。一方オレンジジュースは甘味と濃さが暖色系カップの評価が高く、渋味と苦味は寒色系カップの方が評価が高かった。この4項目で有意差がみられ(P<0.05)、飲料の種類(味)によってカップの色の影響に違いがあると示唆された。それぞれ2種類の飲料のカップで好ましさの順位を点数化したところ暖色系は2種類とも飲料の色とは反対の色が一位になり、寒色系はどちらも緑が一位になった。

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著者
下田歌子 著
出版者
博文館
巻号頁・発行日
vol.上, 1893
著者
根川 幸男
出版者
同志社大學經濟學會
雑誌
経済学論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.1095-1120, 2013-03

本稿では,ブラジルの日系キリスト教教育機関「聖州義塾」を取り上げ,1930年代前半の動向と特徴を明らかにする.この時期の同塾は,経営の自立化,教師陣の一新,教会との分離など小林美登利による改革が行われた.その一貫として,生徒の自治組織として塾生会が発足し,剣道・野球などの課外活動が行われた.また,サンターナ分校設立は多言語・多国籍教育の環境を生み出し,教育事業の多角化をもたらした.こうして小林と義塾は,ブラジルの日系移民子弟教育において重要な地歩を占めることになる.This study discusses the characteristics of the Seishu Gijuku, as well as its and its impact on the overall education of the Japanese–Brazilian Nisei in the early 1930s. During this period, the headmaster of the institution, Midori Kobayashi, undertook a number of fundamental reforms, including the establishment of self-sustaining management, the reshuffling of teachers, and the separation of the school from the affiliated church organization. As part of those reforms, a student organization called Jukuseikai was established; its student members enjoyed kendo (Japanese fencing) and baseball, among other activities. Furthermore, a multilingual and multinational education was offered at a branch school in Santa Ana, allowing Seishu Gijuku's educational offering to become diversified and thus contribute overall to improvements in the education of Japanese–Brazilian Nisei children.論説(Article)
出版者
東京美術学校
巻号頁・発行日
vol.明治43-45年, 1912
著者
遠藤 孝夫 ENDO Takao
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-16, 2009

本稿は、ナチズム崩壊後ドイツ最初の憲法であるヴユルテンベルク・バーデン州憲法 (1946年) を素材として、学校教育を含むドイツ社会の再建に果たす教会とキリスト教倫理の積極的な位置づけという事態の背景とその意味に迫ろうとするものである。この研究意図は以下のような関連する三つの課題意識 (思い) に基づいている。 第一には、ドイツの公教育の基本的特質の理解には、第二次世界大戦後のドイツの憲法が「神」との関係から国家の再建理念を基礎づけ、公教育の必須要素として宗教教育を明確に位置づけているのは何故か、この論点の州憲法段階での論議を含めた歴史的解明が欠かせないとの思いである。周知のように、ドイツ連邦共和国の憲法である基本法 (1949年) は、その前文において、この憲法が「神および人間に対する責任を自覚して」制定されたことを明記し、宗教教育を公立学校における「正規の教科」と位置づけ(第7条)、さらに教会等の宗教団体には「公法上の団体」の資格と租税徴収権も保障されることを規定している (第140条) 。この基本法第7条および第140条は、確かに文言上はワイマール憲法 (1919年) の当該条項を縮減しつつほぼ踏襲したものであったことも関係して、その意味内容に関する学問的関心は我が国はもとよりドイツにおいても高いとは言えない。 だが、ここで注目すべきは、基本法に先だってドイツ各地で制定されたた州憲法である。そこには、「教会は、人間生活の宗教的・道徳的基礎の確保と強化のために認可された組織」、「公立の国民学校はキリスト教的学校である」といった規定に象徴されるように、ワイマール憲法には見られない規定として、ドイツ社会と国民生活の再建において教会やキリスト教倫理を積極的に位置づける考え方が溢れている事実を確認できるからである。つまり、敗戦間もない1946年から順次制定された各州憲法とそこでの論議からは、多数の州憲法の最大公約数として制定せざるを得なかった基本法以上に、それぞれの州内のドイツ住民が憲法の諸規定に託した直接的な理念を知ることができ、また基本法の諸規定の意味内容は、こうした州憲法と関係づけることによって初めて正確に読み解くことができると言えるだろう。 第二には、州憲法とそこでのキリスト教倫理の復権の局面を、戦後ドイツ最大の課題ともいうべき「過去の克服」 (Vergangenheitsbewaltigung)とMaier, 1889-1971、1930年から33年までヴユルテンベルク州経済相) が、文部大臣と次官には、テオドア・ホイス (Theodor Heuss、後の初代大統領)とテオドア・ポイエレがそれぞれ任命された。当初マイア-は、文相にはカルロ・シュミットを推薦していたが、アメリカ軍政府は、後述のようにフランスを占領するドイツ国防軍に勤務していた経歴が反ナチ化指令 (7月7日付) に抵触することを根拠に、シュミットの文相就任に難色を示した。ただ、これは表向きの理由であって、フランスと対立関係にあったアメリカ軍政府としては、母親がフランス人であったことから「フランス的人物」 (MannderFranzosen) と目されたカルロ・シュミットの起用には同意できなかったのである。そこでマイア-首相は、9月19日付で、カルロ・シュミットを「州政府顧問」 (Staatsratim Staatsministerium) に任命した。このことによりシュミットは、ヴユルテンベルク・バーデン州の閣議に出席する資格を与えられ、後述のように、同州の憲法草案の起草にも従事することになる。 なお、カルロ・シュミットは、10月16日付で、フランス軍占領地区に設置されたヴユルテンベルク・ホ-エンツオルレン州の「政務局」(Staatssekretariat, 事実上の州政府) の局長 (Vorsitzender, 事実上の首相)および教育担当と司法担当の部長(Landesdirektor、事実上の文部大臣と司法大臣) にも任命されている。こうして、カルロ・シュミットは、ヴユルテンベルク・バーデン州とヴユルテンベルク・ホーエンツオルレン州という、南西ドイツの2州の戟後の復興過程で大きな役割を果たすことになった。
著者
半田 早菜栄 小川 克彦
雑誌
第77回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2015, no.1, pp.419-420, 2015-03-17

Twitter上でテレビ番組に関する感想や自分の意見を番組進行に合わせて投稿することを「Twitter実況」という。現在、テレビ視聴を分析する上で最も重視され利用されている視聴率という指標は古く、社会の現状に沿っていないものである。本研究では、「ハピネスチャージ!プリキュア」「残響のテロル」「すべてがFになる」のTwitter実況ツイートを分析し、現行の視聴率に取って代わる新しい視聴率の提案を行う。
著者
清水 潤三
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.539-540, 1982-03

論文
著者
徳増 厚二 長沼 英明 橋本 晋一郎 伊藤 昭彦 和田 昌興 岡本 牧人 山根 雅昭
出版者
一般社団法人 日本めまい平衡医学会
雑誌
Equilibrium Research (ISSN:03855716)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.64-72, 2007 (Released:2008-10-10)
参考文献数
17

Hyperosmotic solution of isosorbide has been used for treatment of Meniere's disease since Kitahara et al., Larsen et al. and Nozawa et al.. In recent studies reported that ADH is acting to open water channels, AQP-2 at the endlymphatic membrane and may act worse for labyrinthine hydrops. It is important the serum concentration of isosorbide after administration because ADH should be released if the serum osmotic pressure is elevated by isosorbide above more than 2% of normal serum osmotic pressure. In this study the equation predicting isosrbide serum concentration after oral administration was proposed on the basis of the data by Wakiya's report. It was confirmed the serum osmotic pressure remains below the threshold level for increasing ADH secretion by the routine method of 30 ml/once, 3 times every day. However, the method of 30 ml/once, single or two times every day should be recommended when the serum osmotic pressure before the medication is above 289 mOsm/kg.
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンピュ-タ (ISSN:02854619)
巻号頁・発行日
no.768, pp.92-94, 2010-10-27

外国為替証拠金取引(FX)サービス大手の外為どっとコムは9月17日、金融庁から1カ月間の業務停止命令を受けた。為替レートの誤配信や取引停止といったトラブルを続け、業務改善命令を受けた直後にも新たな障害を起こしたことで、当局の堪忍袋の緒が切れた。
著者
三浦 俊彦
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.69-81, 2002

The question "How can I be a?" ("a" being a proper name) has been recently referred to as "The Harder Problem of Consciousness", which would remain mysterious even after "The Hard Problem" about how subjective experiences arise is solved. Since both the indexical "I" and an exemplifying name "a" are ambiguous in their references, a formal analysis is required. Then, it turns out that any disambiguated version of "Harder Problem" is logically reduced to "The Hard Problem" or its special case "How can there be a?". There is no "Harder Problem" with its additional philosophical value. This is simply a matter of logic, independent of any ontology on whether metaphysical self exists or not.