著者
板垣 竜太 戸邉 秀明 水谷 智
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.27-59, 2010-08

論説(Article)本稿は国際的な視野から日本植民地研究を再考した。その際、「比較帝国研究」の枠組とは一線を画すことに留意し、日本帝国を他の植民地帝国と比較するというよりは、日本植民地研究の史学史と現況に焦点を合わせた。すなわち、マルクス主義、近代化論、ポストコロニアル論などの欧米の学界に由来する歴史研究の枠組が、日本植民地研究にどう受容され、対話がおこなわれ、批判され、鍛えられてきたかに注目し、議論を展開した。This essay reviews Japanese colonial studies from an international perspective. The essay, however, is not intended as yet another example of so-called 'comparative empire studies'. Rather than comparing the Japanese empire with others, it focuses on the past and present of the historiography of Japanese colonialism. It discusses a range of theoretical issues by examining how the historiographical frameworks developed in the Euro-American academia was received, discussed, and critiqued by scholars of Japanese colonialism.
著者
水谷 智洋
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典學研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.19-29, 1970-03-23

Agamemnon's speech (II. 19. 96 ff) in reply to that of Achilles is apt to be taken for an excuse, but a close scrutiny of the two speeches shows that it is nothing of the kind. It is to be noted that an "apology" is almost meaningless in the Homeric world where one believes only in an attained result without considering about its motive. Such an attitude is typical of a society where people live under "a kind of armed truce" without having the benefit of even "a limited public administration of justice"; it reflects also the Homeric theology which recognizes the divine will in every phase of human activity. Accordingly, if one's honour is hurt a recompense is sought usually not in a mere excuse but in an aquisition of wealth, and Achilles acts no otherwise when on Athene's advice he refrains from resorting to violence against Agamemnon. He seems, however, to have given up this attitude when he rejects flatly Agamemnon's offer of many gifts and Briseis' return. The reason for his conduct, which he never explains clearly, is to be sought in that he rebels against the heroic principle of behaviour according to which an offer of gifts is prerequisite to recompense an injured honour. In other words, he finds the conventional means of compensation meaningless if it were but a mere formality. All the same he is unable to give a logical explanation for his conduct, for his concept of honour differs so much from the traditional one that the epic language has no suitable words to express his disillusionment. Thus the only way left for him, when confronted with the necessity to take part again in the war, is to criticize the heroic practice through his behaviour: he is, or pretends to be, utterly indifferent to Agamemnon's gifts, and this attitude is to be explained as a bitter attack against the wide-spread acceptance of honour in the forms of material gains. But whether he wishes or not, he is given the gifts, and on the face of it he follows the pattern of heroic behaviour as if he renounced his wrath only in exchange for them. In this he is, one might say, typical of an Homeric hero. His rebellion is destined to collapse, because his criticism of the heroic principle, if carried to its logical conclusion, would have to be directed against the Homeric theology as forming the background of the heroic world and also because he has no proper words for his feelings. And since he leaves his criticism incomplete, he is after all allowed to remain within the frame-work of the Homeric narrative.
著者
板垣 竜太 戸邉 秀明 水谷 智 Ryuta Itagaki Hideaki Tobe Satoshi Mizutani
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 = The Social Science(The Social Sciences) (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.27-59, 2010-08-10

本稿は国際的な視野から日本植民地研究を再考した。その際、「比較帝国研究」の枠組とは一線を画すことに留意し、日本帝国を他の植民地帝国と比較するというよりは、日本植民地研究の史学史と現況に焦点を合わせた。すなわち、マルクス主義、近代化論、ポストコロニアル論などの欧米の学界に由来する歴史研究の枠組が、日本植民地研究にどう受容され、対話がおこなわれ、批判され、鍛えられてきたかに注目し、議論を展開した。
著者
水谷 智一 道下 尚文 佐藤 浩 小柳 芳雄 森下 久
出版者
The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers
雑誌
電子情報通信学会論文誌 B (ISSN:13444697)
巻号頁・発行日
vol.J105-B, no.6, pp.474-483, 2022-06-01

本論文では,移動体通信用アンテナとして,細径かつ低姿勢な無指向性の直交偏波共用アンテナについて検討している.水平偏波素子であるHaloアンテナとその上下に同じ構造を有する2個の無給電素子の内部に垂直偏波素子であるダイポールアンテナを挿入した構成を提案している.シミュレーション及び測定結果により,提案アンテナは,比帯域幅が8.1% (VSWR ≤ 2)であり,所要帯域内の中心周波数の波長λ0に対して提案アンテナの素子径及び素子高はそれぞれ0.14λ0及び0.49λ0であった.また,所要帯域内で20 dB程度の直交偏波間アイソレーションが得られた.垂直偏波の無指向性が崩れる傾向にあるが,CMA解析を通じて,直交偏波無指向性を改善する可能性を見出すことができた.
著者
水谷 智洋 志塚 ふじ子 松澤 恒友 天野 良彦 蟻川 幸彦
出版者
長野県工業技術総合センター
雑誌
長野県工業技術総合センター研究報告 (ISSN:18813119)
巻号頁・発行日
no.9, pp.174-176, 2014

当センターでは,栗渋皮抽出物に,in vitroで抗糖化活性があることを見出した。そこで,in vivoでの効果を検討するために,ストレプトゾトシン(STZ)誘導1型糖尿病モデルラットに,4週間の混餌投与を行った。その結果,抗糖化効果は確認できなかったが,腎臓において,酸化ストレスの指標であるTBARSの上昇を有意に抑制し,抗酸化効果があることが示唆された。
著者
水谷 智彦
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.177-196, 2016-05-31 (Released:2017-06-01)
参考文献数
33

本稿は,明治前期に刊行された「学校管理法書(以下,「管理法書」)」中の罰に関する記述を分析し,そこに描かれた教師像とその変容過程を解明するものである。「管理法書」は,当時の教育知識を主導的に形成した師範学校関係者により書かれた書物で,教員志望者へ学校運営・管理方法を説明する役割を担っていた。 本稿では,学校における罰を,周縁的な存在である生徒の逸脱行動への処遇として位置づけた。そのうえで「管理法書」中の罰の記述を分析し,教師がいかに生徒の逸脱を定義し,それに処遇するよう要請されたのかを考察した。分析には,バーガーとルックマンが世界を維持するための概念機構として理論化した治療と無効化を用いた。 分析の結果,罰は1880年代の逸脱行為を排除する無効化から,90年代の逸脱者の矯正・訓練をおこなう治療へと変化し,それにともない,教師像も裁判官から医者へと変容したことが示された。また,この変化は森有礼の教育政策である「人物査定」の要請と廃止を契機に普及した「性質品評表」という生徒の診断装置の登場によってもたらされたことが,「管理法書」から明らかになった。 最後に本稿の二つの知見を述べた。その一つは,明治前期には人びとの生活世界の中心ではなかった学校が,世界を維持するための概念機構を用意しはじめていたことである。またもう一つの知見として,その概念機構が国家の政策ではなく,教育知識の担い手により準備されていたことを論じた。
著者
曽我部 知明 杉村 公也 川村 陽一 水谷 智恵美 渥美 峻輔 和田 美奈子 島崎 博也 辻野 陽子 近藤 真由 西垣内 美佳 山添 智子
出版者
東海北陸理学療法学術大会
雑誌
東海北陸理学療法学術大会誌
巻号頁・発行日
vol.23, pp.O018, 2007

【目的】脳卒中片麻痺患者が自動車運転を希望する例は少なくない。そこで、本研究は当院で実施している身体機能評価を用いて、自動車運転している群(以下運転群)、自動車運転を希望しているがしていない群(以下非運転群)の2群の各データから、脳卒中片麻痺患者の運転可否を判定するための判別関数を求めることを目的とした。<BR>【対象】対象は、本研究に同意が得られた脳卒中片麻痺患者20例(男性19名、女性1名、平均年齢58.4±6.6歳、発症までの平均運転歴378.4±94.7ヶ月、運転群11名、非運転群9名)であった。<BR>【方法】測定項目は、発症前運転歴、上肢、手指、下肢の運動麻痺の程度(Brunnstrom stage〔以下Br.stage〕)、上肢筋力(非麻痺側握力)、下肢筋力(非麻痺側下肢最大筋力を測定しピーク値を体重で除した値〔N・m/kg〕)、運動耐用能(6分間歩行距離〔以下6MWD〕)、歩行能力評価(10m歩行時間、10m歩数)、立位動的バランス能力指標(Timed Up&GO Test〔以下TUG〕)、バランス評価(Berg Balance Scale〔以下BBS〕)、ADL評価(機能的自立度評価法〔以下FIM〕)を用いた。運転群、非運転群の2群を判別するために、多変量解析の判別分析を用い、線形判別関数を求めた。なお本研究は、当院倫理審査委員会の承認を得て実施した。<BR>【結果】分散共分散行列の等分散に関する検定は有意ではなく、等分散であったため、線形判別関数を、Z=17.90499*Br.stage手指+46.13531*下肢筋力-0.26896*運転歴+6.320207*10m歩行時間-17.2167*Br.stage上肢+3.262781*FIM-3.5203*10m歩数+2.330337*BBS-1.18787*TUG+0.09723*6MWD-2.2287*Br.stage下肢-0.17041*握力-425.2(Z≧0ならば運転群に判別、Z<0ならば非運転群に判別、正判別率1.00、誤判別率0.00013)と求めることが出来た。判別に大きく関っている項目は、Br.stage手指(P=0.012)、下肢筋力(P=0.013)、運転歴(P=0.025)、10m歩行時間(P=0.030)、Br.stage上肢(P=0.036)、FIM(P=0.036)であった。<BR>【考察】脳卒中片麻痺患者に対し、自動車運転可否の評価を試みた報告の多くが、発症後も運転を継続する可能性が高いのは上肢の麻痺が軽度、運動機能、ADLが高い傾向があると述べている。今回の結果から、運転可否の判別に大きく関っている項目にも同様の傾向がみてとれ、半側空間無視など明らかに自動車運転に支障をきたす高次脳機能障害がみられない場合において、運転の安全性を確認する上で身体機能についても評価していく必要があるといえる。<BR>
著者
八田 博志 向後 保雄 棚次 亘弘 大鍋 寿一 水谷 智昭 川田 宏之 重村 卓
出版者
宇宙航空研究開発機構
雑誌
宇宙科学研究所報告 (ISSN:02852853)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.1-26, 1996-03
被引用文献数
2

ATREX用のタービンディスクには,航空機のものに較べてより高温とより高速回転が負荷される。本報告では,高温強度に優れ,軽量・低熱膨張係数を併せ持つ炭素繊維強化/炭素マトリックス(C/C)複合材料のATREX用のタービンディスク適用を検討した。 C/C複合材料を動的負荷がかかる一次構造物へ適用した例は殆ど報告されていない。そこで本論文の前半では,タービンディスクの開発を念頭に,関連すると推定されるC/C複合材料の基礎特性を示し,適用に際してのC/C複合材料の長所と短所を明らかにした。 C/C複合材料の利点は上記の他に,高面内靭性及び疲労負荷や集中応力に対する不敏感性が挙げられ,タービンディスクヘの適用に当たり問題になるのは,低層間強度・靭性及び耐環境性(耐酸化性を含む)であることを指摘した。前者に対する対策は三次元強化の採用が,後者に対してはSiCコーティング及び部分的な耐環境性セラミックスの適用が不可欠である。後半では,負荷荷重とC/C複合材料の特性の比較検討の結果たどり着いた二種類の候補構造,即ち一体構造と三分割構造を比較検討した。肉厚円盤から切削加工で製造される一体構造は成形上有利であるが,強化繊維の最適化が困難である。特に激しい捻れがあるファンブレード部の強化が最大の課題である。一方,ファンディスク,ファンブレード,及びタービンリングを接合する三分割構造は,強化繊維の最適化は比較的容易であるが,接合部強度と接合部の空隙や滑りなどから生じる不安定振動を如何に抑制するかが課題である。両モデルを比較すると現段階ではより高速回転が期待できる三分割構造が有望と言えよう。
著者
ハージ ガッサン 水谷 智[訳]
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.11-37, 2010-02

論説本稿の議論の対象は多文化主義的な統治性の限界である。とりわけ,現代オーストラリアにおいて,「統治不能なもの」がなぜ,いかにレバノン系のムスリム移民像に具現化されているかを検証する。This essay is concerned with the limits of multicultural governmentality. It investigates the spaces where this governmentality fails: the spaces where it comes face to face with the `ungovernable'. In particular, the essay examines how this `ungovernable' has become embodied in the figure of the Muslim immigrant in contemporary Australia.翻訳:水谷智
著者
宇山 智彦 平野 千果子 秋田 茂 前川 一郎 河西 晃祐 小沼 孝博 水谷 智 長縄 宣博 天野 尚樹 中山 大将
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-10-21

近代帝国の植民地および脱植民地化の歴史を、比較と関係性の視角から研究した。帝国権力と周縁・植民地社会を結ぶ媒介者・協力者の役割、植民地の知識人による近代化の試み、諸帝国の競存体制と植民地同士の関係、帝国・植民地における移民の位置づけ、帝国の暴力と反乱、第一次世界大戦とロシア革命のインパクト、脱植民地化をめぐる国際関係などを研究し、帝国論・植民地論の知見を現在の国際問題の分析にも応用した。全体として、帝国権力が国内外に作り出す格差構造と、植民地の被統治者の主体性の両方に目を配りながら、植民地史の多面性と今日的意義を明らかにした。
著者
水谷 智洋
出版者
学習院大学
雑誌
研究年報 (ISSN:04331117)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.1-12, 2009
著者
水谷 智 平野 千果子 有満 保江 三ツ井 崇 永渕 康之 松久 玲子 板垣 竜太
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本共同研究では、日本(朝鮮、台湾、沖縄等)とヨーロッパ(イギリス、フランス、オランダ、スペイン、ドイツ等)の植民地史を、「医療」「官僚制」「人種主義」といった<近代性>の問題系に属する主題を軸に再検討した。植民地主義をグローバルな文脈で共同研究するにあたっての<比較>の必要性と危険性の両方に十分に注意を払いながら、様々な支配経験に関する実証研究を突き合わせ、相互参照を可能にする枠組および概念の創出を目指した。その結果、近年の植民地研究の鍵となっている「植民地近代性」(colonial modernity)の概念の可能性と限界が明らかになった。また共同討議の過程で、議論の対象とした植民地帝国のそれぞれが、他国との<比較>によって自国の支配を正当化し統治政策を策定していた歴史像が浮かび上がってきた。<比較>それ自体を歴史研究の対象として主題化し、植民地主義の一部としてそれを根底的に検証し直す必要性が理解されるに至ったのことも、本研究の重要な成果の一つである。