2 0 0 0 OA 日本獸醫學史

著者
白井 恒三郎
巻号頁・発行日
(Released:2013-02-27)

(1)創始期 我国獣医学の創めは明かでなく,只,神話伝説によってのみ,その一端を知るのである。そこに神話の値うちがあると云える。そして私は系統的に日本獣医学史を作りあげ,この学問の基礎ずけを行なうこととした。先ず始めて獣医治療術を手がけたのは,神話伝説の中に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)によるもので,兎が皮をはがれ鳴いているのを治療したわけである。そして,大国主命は更に少彦名命(すくなひこなのみこと)と力をあわせて日本の畜産のために獣畜の健康と病気治療に尽したのである。勿論人々の生存や家畜,農業のために色々計画し,その発展を図ったので,人畜の治療はその一部分に過ぎないわけであった。 この頃から治療薬として草根木皮37種が開発され,人の治療のみならず獣医術の実施に役立ったものである。(2)太子流の始め 第33代推古天皇の頃(西歴595年)に高麗(こま)の僧恵慈が入国し,聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのおうじ)並に橘猪弼(たちばなえのすけ)が恵慈について療馬の法を学んだ。即ち太子(たいし)と,太子の命令による橘の両人が今の朝鮮から来た僧によって馬医術を学んだもので,この術は太子流として後世に伝えられた。 当時は三韓を朝鮮と呼び高麗はその一部である。そして,ここから医,獣医の術や馬匹が輸入されたけれども,その元は今の中華人民共和国即ち中国大陸にあったので,中国の学問が韓国を経て日本に入ったものと見てよい。(3)大宝律令と獣医の制度 第38代天智天皇の時代(西暦667年)に律令12巻を発布した。 文武天皇の大宝2年(西歴701年)にこの法令を完成して大宝律令(たいほうりつりょう)と称した。その従8位の部に馬医師があり,一つの官等が与えられた。その第23篇が厩牧令で病馬のこと,馬薬療病のことが定められていた。又,元正天皇の頃(719年)に左右馬療の馬医が笏(しゃく)を持つことが記されている。 (4)中国大陸からの獣医術輸入 かくて韓国から,その後中国大陸から,色々な物資,書類などが輸入されたが,中に獣医術に関するものもあった。中国の医術は始め4種に別れ疾医,瘍医,食医,獣医がそれで,1は内科,2は外科,3は食品衛生,4が獣医術であった。そして中国獣医の始祖(はじめ)は馬師皇(ばしこう)と云い,黄帝(こうてい)時代の人であるから,今から4000年以前と考えられる。又,馬師問(ばしもん)は「馬経大全」なる書物を著したが,これは春集,夏集,秋集,冬集に区分され,その中には疝痛,破傷風,溷晴虫などの治療法が書かれてある。 これらの本を始め種々の獣医書が日本に輸入され,日本獣医術の進歩に貢献したので,それらの書物の内容も小著に記述した。 前記の黄帝(こうてい)は4,000年前に始めて中国に国家を造った人で,馬師皇に種々獣医術を質問した。「馬経大全」の出版は西歴1319~1336年以後と考えられる。 (5)平仲国の入唐(中国へ入国) 桓武天皇の頃(西歴804年)肥後の人,硯山左近将監(すずりやま・さごんしょうげん)平仲国(たいら・なかくに)は中国大陸に入り大延(だいえん)なる獣医について馬療の術を受けて帰国し,その子安国(あんこく),眼心(がんしん),弟子(でし)の道義(みちよし)らにこの術を伝え,門弟も多くなった。仲国と安国,眼心の3人で(仲国百問答)が此頃に著された。 (6)延喜式と馬医 第60代醍醐天皇の頃(西歴905年)に延喜式(えんぎしき)が発令され,その中の宮職篇中に,馬寮の官員に年酒(としさけ)を賜る所謂白馬の節会(せつえ)なるものがある。延喜式第48巻に左右馬寮の篇あり,毎祭に官人が1人,馬医を引率して供し(ともし)奉ること,又,馬の薬,馬医,騎土,馬部(うまべ)を供(とも)とすべき箇条があり,馬医が騎手や牧夫を後にお供(おとも)をした様子が出ている。 (7)馬蹄の磨滅防止 保元から平治の頃(1156~1159)には,馬蹄を保つために,馬を石だだみの厩に入れ或は河原に引き入れ,よしをたいて蹄を焼き硬化することを図った。これによって蹄の磨滅を防いだ記録が松原博土の著述に見えていることによって,蹄鉄の無かった時代がしのばれる。 (8)「馬医絵巻」 亀山天皇の文永4年(西歴1267年)に西阿(せいあ)から七郎兵衛忠泰に「馬医絵巻」なる絵巻物を与えた。馬医の宝物というべきもので,秘事口伝(くでん),秘薬草,馬医肖像など書かれ,弟子に相伝えたものである。秘伝書とでも云うものであろう。 (9)桑島流 前述平仲国(たいら・なかくに)から18代の心海入道政近(桑島政近と通称)は,自らの姓を藤原(ふじわら)と改め,当時有名な馬医であったが,姓を桑島とも云い,この名を以て馬医の流派と定め,弟子が皆伝(かいでん)を終ると,この姓が与えられることにした。即ち桑島の流祖であり,今日でも,桑島の姓名を持つものには,この後継者の子孫を見ることが出来る。 奥州の伊達門司(だてもじ)の桑島(新右衛門尉)仲綱は,正親町(おおぎまち)天皇の頃(西歴1557年)に「療馬図説」(写本1冊)を赤塚雅楽助(あかつか・うたのすけ)に与えたが,これには馬体各部の名称及び療治の療法が書かれている。 (10)大坪流 中御門(なかみかど)天皇の享保2年(西歴1717年)に大坪流の「武馬必用」が著された。本書は木版で5冊からなる立派な本であり,その第5巻医馬の中に獣医の名が始めて出ている。それまでは馬医,馬医師と云ったものである。源義家(みなもとのよしいえ)が馬を医する書を作るに際し厩戸の皇子(うまやどのおうじ)即ち前に述べた聖徳太子著述の「医綱本記」を本としたそうで,義家が馬医の術を究めたこともうかがえるし,大坪流が太子流を元としたことも知られるのである。 (11)「良薬馬療弁解」 上記の書物はポケット判の獣医書と云うべく,良く出廻っている古書である。享保17年即ち第114代中御門天皇の頃(西暦1705年)に出版され洛隠士(らくいんし),似山子(じざんし)の編集するところである。 (12)犬医師の職制 霊元,延宝の頃,即ち5代将軍徳川綱吉の時代(西歴1680~1687年)には東京(当時は江戸)四ツ谷に病馬厩を設けたり,同じく中野に犬収容所を作ったりしたが,この時犬医師なる職制が出来た。勿論馬医の如く中国の流れをくむ術に終始したとは云い,相当の研究を積み秘伝を授って医術を施したわけだが,この犬医師に至っては何等の研究もないものが明日直ちに犬医師となることも出来た。5代将軍の生物あわれみの思想から当時重要視された一時代的職業であって長くは続かなかった。しかし当時は犬を殺したものは極刑に処せられたし,今川平助のような有名な犬医者が出た。 綱吉(つなよし)将軍の死後,不用犬は殺され,犬医師も職を失ったが,数年後狂犬病が多発し多くの人が害を受けた。但し,その時は犬数も少く爆発的大被害を受けずに済んだ。 (13)オランダ馬医入国 享保10年(西歴1725年)以後にオランダから馬28頭を輸入,馬術,馬医の法も入ってきた。この時に獣医ケイラスが長崎に渡来したが,これは徳川幕府が招聘したもので,享保11年には江戸(今の東京)に出て,今村市兵衛,吉雄忠次郎が附添い,ケイスル(ケイズルリングが本名)の云うところを書きとり,又,洋書を訳して「オランダ馬養書」を著すことになった。これによって中国流の馬医術は,一変して西洋獣医学を取入れることになったのである。 (14)島津義弘馬医術を学ぶ 薩摩の藩主で馬医術を研究したものに島津義弘がある。彼はその技術を部下の彦左衛門に授け且つ三稜針を与えたと云う。 (15)諸国に発生した獣疫 明正天皇の寛永18年(西歴1629年)以来から100余年に発生した家畜伝染病は,寛永18年に諸国に牛疫(Rinder pestか否かは不明)中御門天皇の頃に同じく牛疫,天保7, 8年に広島に炭疽,弘化4年に鶏痘が相模(神奈川県)に,天保年間山口に牛の気腫疽が発生し,同じく馬の皮疽病(真のGlanders and Farcy ではないと思うが)が多発した。 (16)解馬書の出現と菊地宗太夫 孝明天皇の嘉永4年(西歴1851年)に東水(とうすい)菊地宗太夫(藤原武樹)が解馬新書を著した。これが日本における獣医解剖学の始めである。従来の相伝になる解剖図は原始的か或は想像図に過ぎなかったが,菊地によって,写生画と具体的説明が附されたことは真に画期的と云うべきである。彼れは晩年オランダ獣医学を遊んだので,馬医としては初の西欧獣医学を学んだ人と云える。 (17)翻訳官今村市兵衛 今村源右衛門英生(えいせい)は,後に市兵衛と改名したが,通訳官(通詞)となり,後に御用方通詞目附(ごようがた・つうしめつけ)となる。これは通詞の最高位であった。「オランダ馬養書」の出版では洋風獣医学の開山とまで云われたが,ケイスルによる伝授は彼の獣医知識を大にしたものと云うべく,この意味で開山の語を附したのであろう。 (18)駒場農学校創立 明治5年(西歴1872年),政府は東京の内藤(ないとう)新宿に農事試験場を設け,農業,牧畜を試験することとなる。同7年同場に農事修学場を併置し,獣医,農学を教える教師を英国サーレン・セスター農学校から招く方針を立てた。同9年(1876年)に農学,獣医学の2課を設け,翌年これを駒場野に移す。そして駒場農学校と改称し,予科,農学本科,獣医科,農芸学科,試業科の5科を置く。その12月,校舎の新築完成し移転を終り,明治天皇の臨席を得て明治11年から開講した。獣医教師はマックブライド(Mc Bride)であった。これが後の東京大学農学部獣医学科その他である。 (19)陸軍馬医官 陸軍では明治5年(西歴1872年)に深谷周三を上等馬医に任じ,軍医寮で事務をとらせた。これが軍獣医官として正式任官した始めである。翌年馬医生徒15名を募集したが,学則では一般馬学,解剖学,馬身窮理,薬剤学,治療学を教えるわけで,最も当時獣医学の勝れているフランスからアンゴーが教師として招かれたのが1874年であった。 (20)アジアの牛疫来る 明治3年(西歴1870年)にロシア(今のソビエト)では,35万頭の牛疫病牛が発生し,同じ頃に韓国にも不明の牛病が大発生した。根元はシベリアと見られ,上海在住の米国領事マクガワン(McGawan)は日本外務省出張員に牛疫の危険を警告し,時の大学少助教石黒忠悳の意見書発表もあった。長崎県は牛疫の侵入を恐れ政府に上申するところあり,明治5年に果然内地に病毒侵入し,牛297頭が発病斃死した。かくて明治10年(1877年)までに4万余頭を殺す惨事に陥ったのである。 (21)実際獣医学の発祥 岩山敬義(いわやま・けいぎ)は大久保利通(おおくぼ・としみち)内務卿(ないむきょう)の許可の元に,千葉県印旛郡下に牧場を作ることに努力し,明治8年(西暦1975年)に牧羊場を作ることに成功した。同時に牧羊生徒70名を募集し,ジョンス・レーサム(Jones Lasum),リチャード・ケエ(Richard Kee)などを教師とした。同11年(1878年)に獣医の1科を置き速成を旨として教授し,これを駒場農学校変則獣医生と云った。これが将来東京帝国大学農学部実科獣医科となり,更に今日の東京農工大学獣医学科に発展した。 (22)ヤンソンの来日 明治13年(1880年)に駒場農学校獣医学科教師としてドイツ人ヨハネス・ルードウイヒ・ヤンソン(Johanes Ludwig Janson)が来日した。同年陸軍馬医黒瀬貞次(くろせ・さだじ)がフランスに留学しツールーズ獣医学校に入学,又,同年ドイツのカール・トロエスター(Karl Troester)が来日し,ヤンソンの助手となる。 (23)小石川私立獣医学校開学 明治14年(1881年)に陸軍馬医の小沢温吉(おざわ・おんきち)は同じく柳沢銀蔵と計り,東京の小石川護国寺境内において,その別院(伝通院)を借用することとし,小石川私立獣医学校を開設した。この時以後同20年(1887年)に亘り国内各地に獣医学校,獣医講習所が開かれた。 (24)中央獣医団体の出現 明治14年(1881年)に駒場農学校内に共立獣医会が出来,獣医会報を発行した。これが我国最初の獣医団体であった。同獣医会の中絶して後,明治18年(1885年)に大日本獣医会が出来,会誌を発行した。同20年(1887年)これを中央獣医会と改称したが,その後同会は50年の歴史を持って,後に日本獣医学会と合併して今日に至る。 (25)獣医免許規則の発令 明治11年(1878年)熊本県では獣医開業取締り並に試験規則を公布したが,同18年(1885年)に政府は太政官(だじょうかん)布告をもって獣医免許規則を公布した。これは獣医となるには獣医学術の試験を受け農商務卿(のうしょうむきょう)から開業免状を得べきものであることを法定したのである。同19年(1886年)の全国獣医数は410人,仮免状所有者を合して翌20年の調査で2647名,その内の本免状所有者は905名であることが判った。 明治23年(1890年)に獣医免許規則を改めた。そして獣医免状を受ける資格を法定した。 (26)明治中期の家畜伝染病 明治16年(1883年)以後の牛,馬の伝染病は福岡,熊本,福島,山口,大分,広島,埼玉,愛知などに炭疽が発生,又,皮鼻疽も発生しているが,後者は真性のものかどうか不明である。 (27)獣類伝染病予防規則発令 当時家畜が常に療気におびやかされ,その損害が大きかったので,政府は獣医の養成と獣疫関係の規則制定に尽力し,明治19年(1886年)に獣類伝染病予防規則を設け,牛,馬,羊,豚の伝染病たる牛疫,炭疽、鼻疽及び皮疽,伝染性胸膜肺炎,伝染性鵝口瘡(口蹄疫を云う),羊痘の予防取締りの法を定めた。 この年農務省農務局に畜産課,獣医課を置く。又,明冶29年に獣疫予防法と改め気腫疽,豚コレラ,豚ロース,狂犬病を加え,対照畜に犬を容れた。 (28)皮鼻疽の多発 明治20年~24年(1887~1891年)の全国における皮鼻疽は5,000頭に達し並倉東隆,時重初熊が西洋に発生しているBacillus malleiであることを確認した。但し,黒瀬定治は剖検上,これは欧州に発する黴性皮膚病であろうとした。又,時重も後に本邦皮疽病は日本皮疽,仮性皮疽,通称「カサ」と云われ,仮性皮疽と称すべきものと論じた。 (29)獣疫調査機関の新設 明治24年(1891年夏に,東京市外,滝野川町西ケ原にあった農商務省仮農事試験場の一部2室に獣疫研究室を新設し,讃井勝毅(さぬい・しょうき)がその仕事を担当した。後に農林省獣疫調査所となり,やがて今日の農林省家畜衛生試験場となる基礎を作ったのである。 (30)陸軍獣医学校新設 明治26年(1893年)に東京府荏原郡目黒村にある陸軍乗馬学校内に獣医学校校舎を設け,従来の重症病馬学舎並に蹄鉄騨舎を廃止した。校長は騎兵中佐をあて,教官に獣医監、騎兵大尉、軍医などを置いた.元来、我国の陸軍獣医は始め軍医部内に小さく設けられ,後に騎兵を主柱としたものである.翌27年(1894)年に陸軍1等獣医の黒瀬貞次が獣医監に始めて昇進した。かくて次々と人員を増し機能を拡大し,後に同校長には獣医中将を置くまでに発展したわけである。 (31)結論 大昔からの獣医事を研究してみると,今日の獣医学は往時に比して天地の差を来たし,隔段の進歩をみていることが明らかである。その組織体制,獣医政並に獣医学において少くも明治期を中心にして考えても大変な変化があり向上発展した事実を感じとるものである。しかし獣医取締規則が実際上に、又、大学や研究機関が学問上において,その発達に大きな原動力となったことは否定し得ない。 規則のことを考えると、大正末期に、その時の獣医免許規則を改正して獣医師法を公布させるべく、案を持ち、大会を開いて政府の発動を促がし、遂に大正15年4月7日(1926年)に獣医師法を布させ,昭和2年その施行規則と獣医師会令を公布するに至らしめたことが大いに斯学の発展に効果あらしめたのであって、その法規に基いて専門教育以上の学校を出ることが獣医師になる一大要素となったこと、各都道府県には必ず地方会を設けて、その団結による日本獣医師会を作ったこと,又その団結によって意思表示をし建言提案を行ない,斯道の組織を改善して行くことに大きな効果があったわけである。 一方、獣医大学は東京大学、北海道大学など多数の官立学校,府立,私立大学を持ち各き機関によって研究調査が行なわれ、医学、薬学、農学に並行して社会の注目を浴びている事実も考えて良く、各種指導、研究機関にも之等大学の出身者が就業して行き,公衆衛生や家畜衛生は勿論吾々の指導圏内に入っていることも喜ぶべき事実となっている。 上記日本獣医師会の創立は昭和3年5月(1928年)であったが,敗戦後,獣医師会及び装蹄師会が解散し23年(1948年)に社団法人日本獣医協会が新たに設けられることとなった。新獣医師法は昭和24年(1949年)に公布され旧法を廃止,又同26年(1951年)に獣医師会と改名したのである。これによって明治中期までの馬医,大正期の獣医なる称呼は獣医師と変った。 又,組織の点では人の保健所法が昭和22年(1947年)に公布され保健所に多数の獣医師が就職すると共に,家畜保健衛生所も各県ごとに数ケ所設けられ獣医学の実際応用により都市と農村を利しているのである。
著者
白井 康之
出版者
ERATO湊離散構造処理系プロジェクト
巻号頁・発行日
2011-06

個人情報をはじめとする機微なデータから個人が特定されないようにする技術は,近年の個人の行動履歴情報の利活用の進展に伴い,特にデータマイニングの分野で注目を集めている.k匿名性をはじめとする匿名化技術は,基本的にはデータ項目の組み合わせ問題に帰着するが,匿名化されたデータの効率的な管理という側面から見れば,ZDDをはじめとしたデータベースの効率的な管理手段が必要とされる分野である.本発表では,データの匿名化が必要とされる背景や研究動向等のサーベイを行った上で,必要とされる匿名化技術の概要ならびにZDD によるコーディング手法に関する検討結果について触れる.
著者
白井 勝美
出版者
慶應義塾大学大学院社会学研究科
雑誌
慶応義塾大学大学院社会学研究科紀要 (ISSN:0912456X)
巻号頁・発行日
no.31, pp.p169-175, 1991

論文はじめに第1節 イエズス会の一般的性格について第2節 反宗教改革とイエズス会第3節 「霊操」第4節 『霊操』の「総註」にみるロヨラの教育観の一端
著者
白井 涼子 波多野 賢治
雑誌
研究報告デジタルドキュメント(DD)
巻号頁・発行日
vol.2012, no.2, pp.1-6, 2012-03-19

現在,和歌研究では計算機による和歌データの分析がなされており,和歌研究者の一部では新しい知識発見に寄与するシステム開発を望む声もある.和歌の原本は一冊しか存在せず,多くの人によって書き写されて普及していくことが一般的であるが,その書写過程において,誤字や表現の違いが発生し,同一和歌であっても異なる表記になっていることがある.和歌研究を進めていく上ではそれらの和歌を同一の和歌として扱う必要があるため,同一の和歌の一元的な管理を可能にすることが望まれる.そこで,本稿では RDF による和歌データ管理手法を提案する.RDF による和歌データ管理を行うことで,和歌に関連するあらゆるデータを紐づけることが可能となり,同一の和歌を同一として扱うだけではなく,和歌単体を眺めるだけでは気づかない新たな知識発見に役立たせることが可能となる.Recently, researchers tend to analyze character strings of Japanese poems using computers, and a part of them require someone to develop a system that contributes to find their new knowledge. There is just one original copy of their anthology in the world, so that it becomes widespread thanks to transcription by a lot of people. In their transcription process, however, a literal error and a difference in their spellings may be occurred. As a result, transcriptional Japanese poem is different from its original one. If the researchers want to proceed with their research, original and transcriptional ones should be consolidated. In this paper, we propose an approach for managing Japanese poems using RDF. It can help to bind all data related to a Japanese poem. As a result, we can turn new knowledge into a solution in the research field of Japanese poem.
著者
白井 裕子
出版者
愛知医科大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2007

炊き出しの場所で,ホームレスの人々が主体的に自身の健康に取り組んでいけることを目指した健康支援活動を実施した。自己の健康を知る機会のなかった人々が,それを知ることを通して,健康に対する意識の変化や健康行動を獲得していくことにつながった。また、活動を積み重ねることで「互いに思いやる身近な存在としての関係」が構築された。この関係性は,支援活動の成果であるが、その一方で支援関係の基盤でもあった。
著者
後藤 文孝 白井 克典 森口 幸久 市村 正也
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. ED, 電子デバイス
巻号頁・発行日
vol.96, no.66, pp.33-38, 1996-05-23
参考文献数
13

CdSO_4とNa_2S_2O_3を含み、pH値を釣2.5にした溶液から、ネサガラス(In_2O_3)基板上に、電気化学的堆積(electrochemically deposition)法によりCdS薄膜を作製した。これを窒素、空気、酸素の各雰囲気において200〜500℃で30分間アニールした。He-Cdレーザを用いて77Kでフォトルミネッセンス測定を行うと、窒素雰囲気アニールの場合、アニール温度が高いほど、488nmのバンド始発光は弱くなり、より長波長側に欠陥準位を介した発光が現れた。しかし、空気、酸素雰囲気アニールの場合、アニール温度に関わらずバンド始発光が強く観測され、欠陥準位を介した発光の長波長側へのシフトはみられなかった。また、ピークの幅は、酸素雰囲気アニールの方が狭くなった。
著者
栗田 真悟 得平 司 内山 匡将 根来 政徳 福井 浩之 岡本 浩明 谷本 武晴 白井 一郎 本田 侑子 住田 幹男 大園 健二 相原 雅治
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, 2008-04-20

【目的】全人工股関節置換術(以下THA)の術後,中・長期後の合併症で最も問題なのはコンポーネントの弛みである.この原因には、コンポーネントの設置不良や,感染,外傷などと,ポリエチレン摩耗粉によって生じる骨溶解による無菌性の弛みと言われている.今回この無菌性の弛みに影響する因子について調査検討を行った.<BR>【対象と方法】対象は,当院において初回THAを施行され2002年10月~2006年12月までの間に,再置換術を施行した19名26股のうち,複数回再置換術を施行した症例を除き,調査項目(年齢,初回THA手術日,再置換術日,再置換術前JOAscore,関節可動域,筋力,身長,体重,職業歴,Life-Space Assessment,1日の歩行時間,移動形態,趣味,再置換に対するきっかけ)が得られた女性9例11股(初回THA平均年齢は53.0±4.0歳,再置換平均年齢65.82±8.32歳)である.項目はカルテによる調査と電話での聞き取り調査を行った.方法は初回THA手術から再置換術までの経過期間の平均値より早期に再置換に至った症例(以下短期群)と,平均値よりも遅く再置換に至った症例群(以下長期群)と定義し,この2群間における調査項目について比較検討した.統計処理はt検定を用い,有意水準を5%未満とした.<BR>【結果および考察】THA再置換術までの日数の平均値は12.9±5.45年であり,短期群6名の平均年齢61.1±3.6歳,長期群5名の平均年齢74.8±8.0歳,再置換までの平均年数はそれぞれ8.9±1.98年,17.6±4.32年で有意差がみられた(p<0.008).術側JOAscoreにおいて短期群74.7±19.66点,長期群46.4±10.16点であり,短期群で有意に点数が高かった(p<0.016).また,JOAscoreの疼痛の項目に関して短期群31.7±9.83点,長期群19.0±5.48点,車・バスの乗り降りの項目に関して,短期群3.0±1.10点,長期群1.2±1.10点,ADL合計点においても短期群16.0±3.58点,長期群10.4±3.29点と各々の項目で短期群で有意に高かった(p<0.012, p<0.024,p<0.025).術側屈曲筋力MMTにおいて短期群4.5±0.55,長期群3.2±0.84,術側外転筋力MMTにおいて短期群4.3±0.82,長期群3.8±0.84であり,短期群で有意に筋力が高かった(屈曲p<0.031,外転p<0.003).移動形態では独歩,一本杖,二本杖で分類し検討した結果,短期群で有意に補装具が少ない傾向にあった(p<0.047).趣味では毎日スポーツジムに通う,毎日の散歩,年に数回の旅行に分類し検討した結果,短期群で有意に活動量において多い傾向がみられた(p<0.045).しかし,Gunnarらによる研究とは異なりBMIにおいて2群間で有意差はなかった(p<0.367).これらの結果から,短期群では疼痛が軽く筋力も長期群より強いため,ADL能力も高かったと考えられる.また仕事や趣味,さらに移動形態では,より独歩に近いことからも短期群の活動性の高さが伺える.すなわち,今回の調査では活動性が高いことが弛みを助長し,再置換のリスクを高める要因のうちの一つであることが示唆された.<BR>
著者
荒木 祐一 島田 伸敬 白井 良明
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. PRMU, パターン認識・メディア理解 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.101, no.569, pp.87-94, 2002-01-11
被引用文献数
24

本論文では複雑背景下において大きさや位置, 方向が未知な顔を検出し, その顔の方向を推定する手法を提案する.まず, 目や口といった顔要素の候補を抽出し, 各顔要素らしさを計算する.次に, 顔としての幾何学的位置関係を満たしている顔要素の候補の組合せを顔として検出する.しかし, さまざま顔の大きさや方向を考慮する必要があるのでその組合せの数は膨大になる.そこで, その組合せの数を減らすために, 一般化ハフ変換により顔の候補領域の位置と大きさを限定する.その後, 確率の更新方法と効率的な顔検出を行なうために顔要素の候補間の影響の計算を修正した弛緩法を顔の各候補領域に適用する.顔を検出した後, 顔の輪郭に対する両目の位置によりその顔の方向を推定する.
著者
野田 隆裕 白井 治彦 黒岩 丈介
出版者
福井大学
雑誌
福井大学大学院工学研究科研究報告 (ISSN:04298373)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.69-76, 2008-03-31

The purpose of this research is to decrease the complicated selection operation in the Japanese input of a Personal Digital Assistant by using the Classified Examples Dictionary.Miniaturization technology for the Personal Digital Assistant using an interface without a keyboard has progressed.However,the method of a Japanese input is a problem.The Personal Digital Assistant has a characteristic interface using a small touch panel.Some techniques exist to help input characters.For example,the Graffiti,prediction conversion including POBox,etc. However,for any technique's writing a Japanese long sentence,especially a Japanese e-mail document,it becomes a big burden for a user.In many cases,e-mail documents are constituted combining certain sentences.So it is significant,if the dictionary which arranged many examples is drawn up and Japanese is inputted using that dictionary.In this paper,it is called The Classified Examples Dictionary.The purpose of this research is to ease a user's burden by using the dictionary.
著者
白井 孝尚 井尻 朋人 福島 秀晃 鈴木 俊明
出版者
関西理学療法学会
雑誌
関西理学療法 (ISSN:13469606)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.23-30, 2023 (Released:2023-12-22)
参考文献数
10

Patients with shoulder joint dysfunction may perform compensatory motion using the glenohumeral joint,scapula, or trunk to accomplish the intended movement. It is necessary to consider which treatment strategyto pursue, improvement of normal movement or acquisition of compensatory function, depending on theintended goal. In this paper, compensatory movement caused by functional impairment of the glenohumeraljoint and scapula are used as examples. In addition, electromyographic data are presented and details of thekind of compensatory movement occurring are explained.
著者
白井 喜代子 松岡 淳夫
出版者
一般社団法人 日本看護研究学会
雑誌
日本看護研究学会雑誌 (ISSN:21883599)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.1_73-1_81, 1990-04-01 (Released:2016-03-31)
参考文献数
16

The purpose of study is to obtain the relation of the bed-lying positions with intraabdominal pressure which is concerned to the respiratory and circulate function. The knowledge is important to select the bed-lying position for the effective nursing care to patient with the probrem of respration and / or circulation.The method : For the chair-sitting posistion, standing position, and bed-lying positions holding by 15°, 30°, 45°, 60°, 75°, 90°, up the upper half-body to the horizon by the gadget bed, the intra-abdominal pressure, the amplified respiration curves on chest wall and abdominal wall, the electromyogram with electrod on the surface of M. obliquus ext. abd. and M. rectus abd., and the rate of pulseusing E.C.G., were examined under the states of the quiet respiration, the forced respiration and the strains during inspiration and exspiration.The equipment to measure the intraabdominal pressure was consisted of the pressuresensitive radio transducer and the gastric-tube type receiver which was deviced by us. After the top of receiver was settled certainly on 45cm distance from the incisor, we measured the intragastric pressure which was approximately as the intra-abdominal pressure (P.R. DAVIS.).The volunteer subjectswere 10 healthy nurses with the age of 19~39 years.The results were as follows:1) The highest intraabdominal pressure was observed by the inspiraton with strain, and the less higher pressure was seen by the exspiraton with strain, the forced respiration and the quiet respiration.2) Under each type of respiration and strain form, the intraabdominal pressure increased according to the degree of holding up the upper half-body, and the highest was obtained 28.3mmHg by the inspiration with strain by 90°holding up position.3) The difference of pressure between of the inspiratory and the exspiratoly strain by the every bed-lying position went down almost on the same way. The difference of pressures between the quiet respiration and those with strain, was tended to increase acording rais-ing the upper half-body.4) The type of respiration was ofserved as the chest type when the upper half-body was laid horizontally, but it came gradually into the abdominal type during the rpper half-body was raised.5) On the electromyogram, the action potential of the abdominal wall muscles tended to decrease acording to lift up the upper half-body by each form of the respiration and the strain.Holding the upper half-body with some angle to the horizon seems to be significantly effective for the nursing plan to control the intra-abdominal pressure such as by chance of cough, expectoration, defecation and labor.
著者
大河内 信夫 板倉 嘉哉 堤 一郎 白井 靖幸
出版者
一般社団法人 日本機械学会
雑誌
日本機械学会関東支部総会講演会講演論文集 2007.13 (ISSN:24242691)
巻号頁・発行日
pp.171-172, 2007-03-15 (Released:2017-06-19)

The authors studied Fujiwara's water-wheels for irrigation which were built at Kazusa region in Chiba prefecture. They surveyed literature on bucket chain conveyor system for water in the Edo period. There were 3 materials concerned with Fujiwara's water-wheel. The authors restored Fujiwara's water-wheel bucket which was drawn on the Report of Archaeological Investigation carried out the Fujiwara-Type scoop wheel, No. 1 and 2 in Yoro, Ichihara city, Chiba prefecture. They compared data of Fujiwara's water-wheel bucket restored with data of literature for Fujiwara's water-wheel. Fujiwara's water-wheel power was calculated from data of the bucket restored.
著者
山本 雅道 白井 浩子
出版者
岡山大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

1. 走査型電子顕微鏡を用いて無腸目 Convoluta naikaiensisの初期発生の過程を詳細に記載し、産卵から孵化(約90時間後)までを以下の4期16ステージにわけた。第1期(卵割期):St.1-St.7, 第2期(陥入期):St8-St.10,第3期(球形期):St.11-St.12,第4期(偏平期):St.13-St.16卵割は変形ラセン卵割で、割球の胚内部への侵入は動物極、植物極の2極で進行した。2. 扁形動物渦虫綱より無腸目、カテヌラ目、多食目、卵黄皮目、順列目、棒腸目、全腔目、三岐腸目、多岐腸目の9目より17種を選び、18S rDNAのほぼ全長にあたる約2000塩基対のDNA断片の塩基配列を決定した。そのデータをもとに近隣結合法、最節約法、最尤法により系統樹を作成したところ、すべての系統樹で無腸目が渦虫類のなかで最も早期に分岐したグループであるという結論が得られた。3. 扁形動物渦虫綱の無腸目、カテヌラ目、多食目、棒腸目、全腔目、三岐腸目、多岐腸目の7目のミトコンドリアの遺伝子暗号を比較した。無腸目を除く6目AAA,ATAは各々アスパラギン酸、イソロイシンを指定してたが、無腸目ミトコンドリアではリジン、メチオニンを指定してた。この事実は、無腸目は他の扁形動物が特殊化する以前の段階で分岐していたことを示唆しており、無腸目の原始性を明確に示す結果と言える。4. 無腸目は体表上皮細胞とその下の筋肉組織を隔てる基底膜構造が全く存在せず、表皮と筋肉が複合構造を形成している。筋表皮複合構造の形成過程を透過型電子顕微鏡で追跡し、発生過程においても基底膜構造が出現する時期は全くないという結論を得た。この事実は、無腸目の筋肉表皮複合構造が退化の結果生じたものではないということを示唆している。
著者
白井 帆香 羽藤 英二
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.1638-1645, 2023-10-25 (Released:2023-10-25)
参考文献数
19

過疎化や高齢化が進む中山間地域においては,効率的な公共交通として需要応答型交通(DRT)に期待が集まっている.DRTは非定型的な活動に付随する低頻度な移動需要にマッチすることが求められるが,その予測や対応は困難である.そこで,本研究では日々の活動ニーズの変化を取り入れた再帰的スケジューリングモデルと,先着順ではなくモデルスコアに基づいて予約を調整するアルゴリズムを提案する.アルゴリズムは,予約調整に伴う繰り返しの計算コストに対応するため,ゼロサプレス型二分決定グラフによる経路列挙索引化手法を用いて実装した.実証分析を通して,本研究の提案は非定型的で低頻度な需要を予測し,予約調整システムを通して効率的にDRTにマッチングすることで,全体のサービスレベルを改善することを示した.
著者
山本 加代子 池部 晃司 白井 和美 笹谷 真奈美 水野 誠士 川尻 なぎさ
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 第56回日本農村医学会学術総会 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
pp.83, 2007 (Released:2007-12-01)

今回、外科領域の術中検査として検査した際に全てのパネルセルと反応する不規則性抗体が検出され、精査の結果、高頻度抗原に対する抗Ku抗体を保有した症例を経験したので報告する。高頻度抗原に対する抗体を保有する場合、ほとんどすべてのパネルセルと反応し陽性となるため、一般病院での同定や抗原陰性血の確保は困難である。このような場合、血液センターとの情報交換や連携が重要となり、主治医との迅速かつ的確な連絡を改めて示唆された1症例である。 <症例>患者 : 66歳 女性 妊娠歴あり 2子出産経験あり 現病歴:2006年12月 胃部不快感出現 2007年1月 食欲低下、体重減少のため他院受診 2007年2月1日 胃癌精査のため当院外科紹介受診 2月13日 膵臓、胃十二指腸摘出手術のため、輸血に備え、 タイプ&スクリーニング実施 既往歴:特になし <結果>ABO式血液型 O型 Rh式血液型 (+) 不規則性抗体(カラム凝集法)Pegクームス法、フィシン法 (2+)~(3+)陽性 抗体同定用パネルセルにて、Pegクームス法 自己対照以外すべて(3+)~(4+)陽性 レクチンH(3+)の反応 在庫MAP3本とのクロスマッチ Pegクームス法(4+) 上記の結果より、高頻度抗原に対する抗体の保有を疑い、広島県赤十字血液センターに精査を依頼した。その結果、ABO式、Rh式以外その他の血液型検査をさらに実施したところ、Kell式血液型がK-k-、Kp(a-b-),Js(a-b-)であり、抗Ku血清と患者血球との反応が陰性であることから、稀な血液型K0が疑われた。また、O型K0血球と患者血清との反応を確認したところ、生食法、ブロメリン法、Pegクームス法すべてにおいて陰性であったため、血清中には抗Ku抗体の存在があると考えられた。 <まとめ> 全てのパネルセルと反応することから高頻度抗原に対する抗体を疑い、血液センターに連絡し、精査と適合血の確保を依頼した。抗Ku抗体の存在が確認され、適合血が広島に解凍赤血球4単位あるとの連絡があった。主治医には高頻度抗原に対する抗体を保有しているため、適合血の確保が容易ではないことや、解凍赤血球の使用について説明した。高頻度抗原に対する抗体の同定は、一般病院では困難なため、血液センターとの情報交換や速やかな血液製剤供給体制のための連携が重要となると思われた。また今回の場合、術中および時間外に対応した症例であり、タイプ&スクリーニングの事前検査の重要性を再認識し、同定不能な時の適切な対応ができるマニュアルを備えておくことが重要と思われた。