著者
箕輪 はるか 北 和之 篠原 厚 河津 賢澄 二宮 和彦 稲井 優希 大槻 勤 木野 康志 小荒井 一真 齊藤 敬 佐藤 志彦 末木 啓介 高宮 幸一 竹内 幸生 土井 妙子 上杉 正樹 遠藤 暁 奥村 真吾 小野 貴大 小野崎 晴佳 勝見 尚也 神田 晃充 グエン タットタン 久保 謙哉 金野 俊太郎 鈴木 杏菜 鈴木 正敏 鈴木 健嗣 髙橋 賢臣 竹中 聡汰 張 子見 中井 泉 中村 駿介 南部 明弘 西山 雄大 西山 純平 福田 大輔 藤井 健悟 藤田 将史 宮澤 直希 村野井 友 森口 祐一 谷田貝 亜紀代 山守 航平 横山 明彦 吉田 剛 吉村 崇
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

【はじめに】日本地球惑星科学連合および日本放射化学会を中心とした研究グループにより、福島第一原子力発電所事故により放出された放射性物質の陸域での大規模な調査が2011年6月に実施された。事故より5年が経過した2016年、その調査結果をふまえ放射性物質の移行過程の解明および現在の汚染状況の把握を目的として本研究プロジェクトを実施した。2016年6月から9月にかけて、のべ9日間176名により、帰還困難区域を中心とする福島第一原子力発電所近傍105箇所において、空間線量率の測定および土壌の採取を行った。プロジェクトの概要については別の講演にて報告するが、本講演では福島県双葉郡大熊町・双葉町の土壌中の放射性セシウム134Csおよび137Csのインベントリ、土壌深部への移行、134Cs/137Cs濃度比、また空間線量率との相関についての評価を報告する。【試料と測定】2016年6・7月に福島県双葉郡大熊町・双葉町の帰還困難区域内で未除染の公共施設36地点から深さ5 cm表層土壌を各地点5試料ずつ採取した。試料は深さ0-2.5 cmと2.5-5 cmの二つに分割し、乾燥処理後U8容器に充填し、Ge半導体検出器を用いてγ線スペクトルを測定し、放射性物質を定量した。【結果と考察】137Csのインベントリを航空機による空間線量率の地図に重ねたプロットを図1に示す。最大濃度はインベントリで137Csが68400kBq/m2、比放射能で1180kBq/kg・dryであった。インベントリは空間線量率との明確な相関がみられた。深部土壌(深さ2.5-5.0 cm)放射能/浅部土壌(深さ0-2.5 cm)放射能の比はおおむね1以下で表層の値の高い試料が多かったが、試料ごとの差が大きかった。また原子力発電所より北北西方向に134Cs/137Cs濃度比が0.87-0.93と明確に低い値を持つ地点が存在した。
著者
竹内 幸絵 Yukie Takeuchi
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Hyoron Shakaikagaku (Social Science Review) (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.145, pp.59-90, 2023-05-31

「映像・デザイン研究『饒舌の映像-テレビ・コマーシャル・フィルム』」は,草月アートセンターが主催し,1968年に東阪で6日間開催された催事である。本稿はこの開催経緯とかかわった人物,内容詳細と広告界の反応に注目し,そこに表れている関係性を歴史化することを目的としている。「饒舌の映像」の企画者は今村昭という電通の広告制作者いしがみみつとしだったが,今村は石上三登志名で前衛映画の評論家としても活動していた。石上の活動拠点が1960年代の日本の前衛芸術運動を牽引する中心的な存在だった草月アートセンターだった。今村は石上の経歴を用いて「饒舌の映像」を文化催事として企画した。米国と日本の傑作テレビCM集,日本の5名の代表的制作者の作品集などが上映され,鈴木清順,筒井康隆,サトウサンペイ,野坂昭如,竹村健一らが登壇したシンポジウムも併催された。入場料500円を徴収したにもかかわらず毎回満員となった。複数のメディアがこれに驚きをもってとりあげた。反響は広告界の構造転換を促進し,長く君臨していたグラフィック・デザイナー団体の解散を加速させた。「饒舌の映像」は今村・石上というふたつの顔を持つ人物を介した前衛芸術とテレビCMの交点であり,これ以降テレビCMの社会的・文化的価値についての議論が本格化したと考えられる。
著者
二宮 和彦 北 和之 篠原 厚 河津 賢澄 箕輪 はるか 藤田 将史 大槻 勤 高宮 幸一 木野 康志 小荒井 一真 齊藤 敬 佐藤 志彦 末木 啓介 竹内 幸生 土井 妙子 千村 和彦 阿部 善也 稲井 優希 岩本 康弘 上杉 正樹 遠藤 暁 大河内 博 勝見 尚也 久保 謙哉 小池 裕也 末岡 晃紀 鈴木 正敏 鈴木 健嗣 高瀬 つぎ子 高橋 賢臣 張 子見 中井 泉 長尾 誠也 森口 祐一 谷田貝 亜紀代 横山 明彦 吉田 剛 吉村 崇 渡邊 明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

日本地球惑星科学連合および日本放射化学会を中心とした研究グループにより、福島第一原子力発電所事故により放出された放射性物質の陸域での大規模な調査が2011年6月に実施された。事故より5年が経過した2016年、その調査結果をふまえ放射性物質の移行過程の解明および現在の汚染状況の把握を目的として、福島県の帰還困難区域を中心として、100箇所で空間線量の測定と土壌の採取のフィールド実験を行い[1]、同時に計27箇所で土壌コア試料を採取した。本発表では、このコア土壌試料について分析を行ったので、その結果を報告する。土壌採取は円筒状の専用の採土器を用いて行い、ヘラを用いて採取地点で2.5 cmごとに土壌を切り取って個別にチャック付き袋に保管した。採取地点により、土壌は深さ20-30 cmのものが得られた。土壌を自然乾燥してからよく撹拌し、石や植物片を取り除いたのちにU8容器へ高さ3 cmに充填した。ゲルマニウム半導体検出器を用いてガンマ線測定し、土壌中の放射性セシウム濃度を定量した。なお、各場所で採取した試料のうち最低でも1試料は、採取地点ごとに放射性セシウム比(134Cs/137Cs)を決定するために、高統計の測定を行った。深度ごとの測定から、放射性セシウムは土壌深部への以降が見られているものの、その濃度は深度と共に指数関数的に減少していることが分かった。一方で土壌深部への以降の様子は土壌採取地点により大きく異なることが分かった。また、本研究の結果は同一地点で表層5 cmまでの土壌を採取して得た結果ともよく整合した[1]。[1] K. Ninomiya et. al., Proceedings of the 13th Workshop on Environmental Radioactivity 2017-6 (2017) 31-34.
著者
北 和之 篠原 厚 河津 賢澄 二宮 和彦 稲井 優希 箕輪 はるか 大槻 勤 木野 康志 小荒井 一真 斎藤 敬 佐藤 志彦 末木 啓介 高宮 幸一 竹内 幸生 土井 妙子 阿部 善也 岩本 康弘 上杉 正樹 遠藤 暁 大河内 博 勝見 尚也 神田 晃充 久保 謙哉 小池 裕也 末岡 晃紀 鈴木 杏菜 鈴木 正敏 鈴木 健嗣 高瀬 つぎ子 高橋 賢臣 張 子見 中井 泉 長尾 誠也 南部 明弘 藤田 将史 森口 祐一 谷田貝 亜紀代 横山 明彦 吉田 剛 吉村 崇 渡邊 明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

【研究背景】 2011年3月に起こった、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、福島県を中心とする陸域に大規模な放射能汚染が起こった。事故後の2011年6月には、日本地球惑星科学連合および日本放射化学会を中心とした有志の研究グループが、汚染状況の把握のための土壌採取のフィールド実験を実施した。これにより初期の汚染状況が明らかとなったが、航空機サーベイ等による汚染状況の把握は継続して行われているものの、実際に土壌を採取して汚染状況の詳細を把握する大規模な調査はそれ以降行われていない。事故から5年以上が経過し、土壌に沈着した放射性核種(主に放射性セシウム:134Csおよび137Cs)は環境中でその化学形態等を変化させ、土壌の深部への浸透や流出により、初期とは異なる分布状況に変化していることが予想される。帰還困難区域の除染作業が開始されようという状況で、土壌の放射性核種の汚染状況を把握するのはきわめて重要である。そこで本研究では、福島県内の帰還困難区域を中心として土壌採取のフィールド実験を行い、その分析により現在の汚染状況の把握することを目的に実施した。【調査概要】 本研究プロジェクトは、2016年6月から9月にかけての9日間、のべ176名で実施した。福島県内の帰還困難区域を中心として、公共施設等を選定したうえで、各自治体との情報交換を行い、除染が行われていない地点全105か所を土壌採取場所として選択した。まずはNaIシンチレーターもしくは電離箱を用いて地面から1 mおよび5 cmの空間線量の測定を行い、専用の採土器を用いて表層より5 cmの土壌を採取した。試料採取場所におけるばらつきを評価するために、1地点ごとに5試料の採取を実施し、5年間の環境中での放射性核種の移動状況を評価するために、土壌は表層部の0.0-2.5 cmと、深部の2.5-5.0 cmに分けて採取した。また放射性核種の移行過程をより詳しく調べるために、4地点につき1地点程度、深さ30 cmのコア試料の採取も行った。本講演では、この調査について概要を説明し、事故直後と5年後の比較などいくつかの初期結果について簡単に紹介する。より詳細な結果については、別の講演にて報告が行われる。
著者
竹内 幸一
出版者
一般社団法人映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会技術報告 (ISSN:13426893)
巻号頁・発行日
vol.33, no.14, pp.25-26, 2009-03-11

2つのレンズで撮影する立体カメラは2つの画像の大きさや位置をあわせるのに大変な作業です。しかもその映像は自然な立体画像ではなく10分も見ていると強調立体で目が疲れてしまった。立体の要件を30年前から研究してくると、通常言われている立体撮影の鉄則である2台のカメラでなくても1台のカメラで撮影できた一つが、この横走り立体カメラ方式です。ベータムービーを開発しヨーロッパで発表したときにライン川の列車の中からベータムービーで撮影したのがこの横走り立体です。1982年頃です。例えば走っているバスの中から街の景色を撮影すると時間方向に隣り合った2コマを立体の左右の絵の代りに使えます。時速36キロでは秒速10メートル、60分の1秒の1コマでは15センチ相当になります。15センチ相当の視差のある左右2台の立体カメラの代用になる。また普通のテレビ1台でもそのまま立体がたのしめる。左眼に透過率30パーセントから50パーセントの黒フィルタの片眼サングラスメガネをかけると3D画像が楽しめる。左眼の視覚知覚が暗いために遅れて、遅れたカメラ画像が見える。つまりカメラ位置が10センチほど遅れた映像を見ている勘定になる。左右の画像があたかも10センチ離れた2台カメラの立体カメラの代用になる。
著者
竹内 幸絵
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

テレビCM放映は1953(昭和28)年に始まったが、「昭和30年代」に入った当初は戦前からの技術的・人的蓄積があったグラフィック広告界が隆盛し、テレビCM界の地位は低かった。しかし当該10年の後半に至って広告メディアとしての両者の社会的地位は転倒する。この現象は、テレビCMを中心に起きた「見て理解する」から「感覚的に受け入れる」への視覚性の画期であったと思われる。本研究は今日の視覚メディアの原点としても重要な本現象を、大量の実広告資料、関係者の聞き取り、雑誌などの周辺資料をもとに多角的な視座から検証し解明を目指す。同時に成果をもとに、メディアの視覚性を歴史認識に取り込む方法論の構築を検討する。
著者
木村 亨 船越 康信 竹内 幸康 野尻 崇 前田 元
出版者
特定非営利活動法人 日本呼吸器外科学会
雑誌
日本呼吸器外科学会雑誌 (ISSN:09190945)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.120-125, 2009-03-15 (Released:2009-12-14)
参考文献数
25
被引用文献数
3 3

1998年1月から2008年5月までに非小細胞肺癌に対して縦隔リンパ節郭清を伴う肺葉切除または肺全摘を施行した782例のうち,術後乳糜胸を来たした17例(2.2%)を対象とし,乳糜胸の診断,治療方法等につきretrospectiveに検討を行った.6例(35%)は脂肪制限食(A群),8例(47%)は絶食・高カロリー輸液(B群)で治癒したが,3例(18%)は胸管結紮術(C群)を必要とした.術後ドレーン排液量は術後5日間すべてC群で有意に多かった.脂肪制限解除時期(10.1±4.1日vs15.8±10.1日vs21.3±21.4日)はC群で遅く,ドレーン抜去時期(8.7±4.6日vs18.9±11.0日vs12.3±1.5日)と退院時期(28.1±9.9日vs43.8±17.6日vs77.0±66.3日)はA群で早い傾向にあった.術後乳糜胸は発生予防に留意するとともに,保存的治療にもかかわらず1000ml/日以上の排液が持続する場合は速やかな胸管結紮術を考慮すべきと考えられた.
著者
竹内 幸絵 Yukie Takeuchi
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Hyoron Shakaikagaku (Social Science Review) (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.140, pp.55-78, 2022-03-31

本稿の目的は,黎明期の「フィルムによる広告」の実態を明らかにし,それへの当時の社会認識とその後の広告への接合について考証することにある。最初の広告の「上映」は明治24(1891)年の「廣告幻燈会」だった。その後明治42(1909)年に特設会場での無料イベントにおいて初めて「動く広告」が上映された。この際の広告は戦後のPR広告と近い性質を持っていた。観客に広告を広告として視聴する態度がまだ十分に育っていなかったため,上質な演目に広告を埋め込む「広告映画番組」であることが求められたからである。一方映画館においては昭和初期に,番組内で商品を扱う「タイアップ広告」映画が上映されたが長くは続かなかった。業界関係者の「動く広告」への期待は大きく活発に議論がされ,昭和初期には実験的な短編広告動画も制作された。特設会場での「広告映画番組」の上映は昭和初期まで長期間継続した。これは昭和14(1939)年に施行された映画法が定めた「文化映画」という新たな属性に「広告映画番組」がニュース映画などと一体的に包摂されていく土壌となった。
著者
藤田 直也 山田 拓司 野村 孝泰 牧野 泰子 村田 水紀 竹中 学 村田 浩章 竹内 幸 長崎 理香 金子 幸栄 伊藤 剛 柴田 麻千子 小山 典久 鈴木 賀巳
出版者
一般社団法人 日本小児腎臓病学会
雑誌
日本小児腎臓病学会雑誌 (ISSN:09152245)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.27-31, 2004 (Released:2006-12-15)
参考文献数
12

新生児の急性腎不全に対する腹膜透析 (PD) ではしばしば除水が困難である。我々は過去に, 腹腔内に少量の腹膜灌流液を貯留した状態を維持しつつ持続的に注排液を行う手法で, 新生児の急性腎不全例を良好に管理できる可能性があることを報告してきた。しかし注液側も排液側も流量を機械的に調節する手法では, 腹腔内に常時適当な量の腹膜灌流液を貯留しておくことが困難であった。今回は新たな試みとして, 排液側の回路をやや挙上することによって腹腔内に常時一定量の腹膜灌流液を貯留した状態を維持しつつ, 持続的に灌流する方法でPDを施行した。すべて既存の物品を用いて実施が可能であり, より簡便に一定の貯留液量を保ちながら持続灌流が可能で, しかも大量の透析液を灌流しても, 全く問題なく治療が可能であった。新生児のPDは, その手法にまだ改善の余地があり, 改良することで, より良好な治療ができる可能性があるものと考えられた。
著者
白井 智裕 竹内 幸子 福田 憲子 加藤 宗規
出版者
理学療法科学学会
雑誌
理学療法科学 (ISSN:13411667)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.213-217, 2015 (Released:2015-06-24)
参考文献数
21
被引用文献数
1 2

〔目的〕大腿骨近位部骨折症例に対し,術後1週の歩行能力から退院時歩行能力を予測できる因子について検討した.〔対象〕大腿骨近位部骨折症例119例とした.〔方法〕術後1週の歩行能力から3群に分類し,退院時歩行能力の到達確率を算出した.また年齢や認知症などを加えた予測式を検討した.〔結果〕退院時に杖歩行獲得する確率は,術後1週の歩行能力が平行棒以下では24.2%,歩行器では86.7%,杖歩行以上では100%であった.また,多変量解析により,術後1週の歩行能力が平行棒以下群では年齢,手術までの日数,受傷前barthel index,歩行器群では年齢,認知症が採択された.〔結語〕術後1週歩行能力は大腿骨近位部骨折症例の予後予測をする上での指標となる.
著者
竹内 幸絵 佐藤 守弘 熊倉 一紗
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

研究2年目はまず広告業界誌『プレスアルト』の冊子体に記載されていたリスト情報を元に、広告作品の詳細来歴情報(広告主やデザイナー、印刷手法など)についての文字起こしを行なった。情報は5619作品分取得することができた。次にこの文字情報と、初年度撮影済の広告現物スナップ写真(画像情報)6183枚との照合作業を行い、画像情報に適切な文字情報を紐づけて行く作業を行った。およそ8割の画像情報について合致させることができた。最後にデータベースソフトを用いてこの結果を管理する仕組みを構築し、文字情報(例えば企業情報やデザイナー名)から関連する画像情報を呼び出すなどの一括検索が可能な形式に生成した。一方このデータベースとは別に、現存またはコピーが確認できている冊子体298冊の全ページのPDF化を行った。これは脆弱な冊子の記事を研究時に確認閲覧可能とするために必要な作業であった。広告印刷物というエフェメラメディアの研究では、たとえ現物が残っていたとしても制作年すら同定が難しく、まして印刷形式や色数、紙の質などの確定は著しく困難である。この不確かな状況がこれまで広告研究の推進を阻害して来たといえる。本研究の固有性は、破棄され後世に残りにくい広告の実物が現存すること、そしてのみならず、その制作時の来歴が冊子体により明確であるという点にある。従って今回の研究では、数千点の作品画像情報に明確な来歴情報を紐づけて整理することが大きなひとつの目標であった。この当初のねらいの基礎部分を上記の二つ基礎のデータを二年度までに制作することで実装した。すなわちデータベースで数千の作品の検索を行い、その作品のさらなる詳細情報を冊子から読み取るという研究環境を整えることができた。
著者
竹内 幸一 吉岡 誉晃
出版者
一般社団法人 映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会技術報告 (ISSN:13426893)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.73-76, 2011

2つのレンズで撮影する立体カメラは6センチのカメラ間隔が常識であった。しかし立体感が強調されすぎて不自然で飛び出す立体であった。しかもその映像は10分も見ていると自然さがなく強調立体で目が疲れてしまった。立体の要件を研究してくると、通常言われている立体撮影の鉄則である左右のレンズ間隔:視差距離が人間の目と同じの65ミリでは実際は強調立体になってしまい目が疲れていた。そこで1970年当時、ハーフミラー合成により2つのカメラ間隔を0センチから10センチまで可変できる立体カメラを試作した。広い景色の広角ワイド撮影で無い限り2つのレンズ間隔が1センチから3センチの微小視差立体カメラの方が自然な立体映像が得られた。その画像は銀座のソニービルでの立体テレビ映像公開でも試用した。1998年に1レンズ方式で大口径レンズ内の微小視差を使ったズームもマクロも可能で2D/3Dコンパチブルの実用立体カメラも完成させた。それを2008年再度S社に技術紹介したため、2009年ソニー発表の240ヘルツ単眼レンズ3Dカメラにつながった。最近はCCDやCMOSカメラが小型になってきたので電通大のアイデアコンテストを利用して2008年2カメラによる視差3センチの3Dカメラも試作した。1センチから3センチの左右カメラ間隔が家庭用立体カメラには必然と願い電子機器メーカーに紹介をした。学会や大学での発表やSIGRAPH Asia2009でも自然な立体感を展示した。その結果か2010年から家庭用3Dカメラに微小視差方式の立体カメラが製品化されてきた。
著者
竹内 幸一 吉岡 誉晃
出版者
一般社団法人 画像電子学会
雑誌
画像電子学会研究会講演予稿 (ISSN:02853957)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.73-76, 2011

2つのレンズで撮影する立体カメラは6センチのカメラ間隔が常識であった。しかし立体感が強調されすぎて不自然で飛び出す立体であった。しかもその映像は10分も見ていると自然さがなく強調立体で目が疲れてしまった。立体の要件を研究してくると、通常言われている立体撮影の鉄則である左右のレンズ間隔:視差距離が人間の目と同じの65ミリでは実際は強調立体になってしまい目が疲れていた。そこで1970年当時、ハーフミラー合成により2つのカメラ間隔を0センチから10センチまで可変できる立体カメラを試作した。広い景色の広角ワイド撮影で無い限り2つのレンズ間隔が1センチから3センチの微小視差立体カメラの方が自然な立体映像が得られた。その画像は銀座のソニービルでの立体テレビ映像公開でも試用した。1998年に1レンズ方式で大口径レンズ内の微小視差を使ったズームもマクロも可能で2D/3Dコンパチブルの実用立体カメラも完成させた。それを2008年再度S社に技術紹介したため、2009年ソニー発表の240ヘルツ単眼レンズ3Dカメラにつながった。最近はCCDやCMOSカメラが小型になってきたので電通大のアイデアコンテストを利用して2008年2カメラによる視差3センチの3Dカメラも試作した。1センチから3センチの左右カメラ間隔が家庭用立体カメラには必然と願い電子機器メーカーに紹介をした。学会や大学での発表やSIGRAPH Asia 2009でも自然な立体感を展示した。その結果か2010年から家庭用3Dカメラに微小視差方式の立体カメラが製品化されてきた。