著者
吉田 純 高橋 三郎 高橋 由典 伊藤 公雄 新田 光子 島田 真杉 河野 仁 植野 真澄 田中 雅一 Fruhstuck Sabine Dandeker Christopher Kummel Gerhard Patalano Alessio
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

現代日本のミリタリー・カルチャーの2つの構成要素、すなわち、(a)メディア・大衆文化に表現される戦争・軍事組織のイメージ、(b)軍事組織(自衛隊)に固有の文化について、平成26年度には歴史社会学的観点から、平成27~28年度には比較社会学的観点から、それぞれ調査研究を実施した。研究方法としては、インターネット意識調査、文献調査、映像資料調査、博物館・資料館等の現地調査、および関連研究者・実務者へのインタビュー調査等の方法をとった。これらの調査研究で得られた知見を総合した研究成果を、平成29年度中に、研究代表者・分担者の共著として出版予定である。
著者
大木 昌
出版者
京都大学
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.339-369, 1996-09

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。This is an attempt to call attention to the history of disease and healing (or, simply, medical history) as an alternative approach to Indonesian history. Though this aspect of history has been studied very little, it is important and useful for the better understanding of history from broader perspectives. To begin with, disease (implicitly including death) and healing may have been the primary concern of the majority of people. Thus, it may be important to know what diseases people suffered from, how diseases were perceived, and what kinds of healing methods were applied at specific historical times. These issues are relevant to many other aspects, such as living conditions, the natural environment, demographic structure, and so forth. On the other hand, change in the healing system may occur with the introduction of a new religion and the acceptance of new medicine (e. g., Islamic and Western medicines). In political and economic history, the health and the size of the population were decisive factors of economic force and state power. Economic development might improve health conditions through improved nutrition, but the increase of population density and the development of transportation provided favorable conditions for the spread of diseases. Keeping these perspectives in mind, we will first see what kinds of diseases were prevalent in Indonesia, particularly Java and Sumatra. In describing this, I will try to relate certain diseases to social and economic conditions of the time concerned. Next, I will describe healing practice. Finally I will examine the use of herbal medicines in Java in the 1870s and around the beginning of the twentieth century.
著者
李 美智
出版者
京都大学
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.265-293, 2010-12-31

Since 2000, the popularity of South Korean popular culture known as Korean Wave or Hallyu has increasedsignificantly in Southeast Asia. The Korean Government now recognizes cultural industries as one of thetop key industries of the nation. The purpose of this paper is to review the cultural export promotionpolicies of the South Korean Government which are the basic backgrounds of the spread of Korean Wave,and to investigate how Korean Wave is being accepted and developed in Southeast Asia by drawing on theexamples of Vietnam and Thailand. Among many genres, such as music and film, this paper focuses onKorean TV dramas as they are the most important driving force in the Korean Wave industries. Byexamining push and pull factors in both importing and exporting countries, it indicates that in Vietnam andThailand, the carefully-planned strategic economic support of the Korean government for these industriesand the rapid expansion of multi-channel TV and multi-media industries, which are in want of attractivecontent, are the most important factors that have contributed to the Hallyu expansion.
著者
森 哲 森 直樹 土岐田 昌和
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

中国には6月と9月に渡航し、イツウロコヤマカガシが、ブファジエノライドを持つマドボタル亜科の種と持たないホタル亜科の種を区別して捕食するかどうかを検証するための嗜好性特定実験を行い、前者のみを選好して捕食することを明らかにした。また、イツウロコヤマカガシが、ヒキガエル類とホタル類が共通に持つブファジエノライドを手がかりとして餌認知しているかどうかを実験的に確かめたが、これを支持する結果は得られなかった。野外調査は四川省と雲南省で行い、レオナルドヤマカガシを捕獲し、胃内容物からPyrocoelia属のホタルを初めて検出した。さらに、雲南省ではDiaphanes属のホタルの採集にも成功し、本ホタルがブファジエノライドを持つことを化学分析により確認した。頸腺の胚発生の分析においては、ステージ32のヤマカガシ胚、ならびに同ステージのシマヘビ胚およびマムシ胚の頸部組織で発現する遺伝子をRNA-seq法を用いて網羅的に比較し、ヤマカガシ胚の頸部のみで強く発現する遺伝子を40個ほど特定した。そのうち、頸腺の形成に関与していると予想されたCADM1、NGFR、PDGFRA、AZIN2の4つについて、ヤマカガシより配列断片を単離し、in situハイブリダイゼーションによるmRNAの発現解析を行ったが、組織標本の状態や染色プロトコールが十分でなかったことから、mRNAの局在を確認することができなかった。計画ではインドネシアにも渡航して、Macropisthodon属の種の頸腺の形態観察と頸腺成分の分析を行う予定であったが、調査許可取得の事務的手続きに時間がかかっており、実行はできなかった。しかしながら、インドネシアの共同研究者が単独でボゴール博物館に収蔵されている標本を用いて関連種の頸腺形態の観察を行い、11月には来日して、日本爬虫両棲類学会大会で成果を発表した。
著者
松木 邦裕 大山 泰宏 立木 康介
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

日本の精神力動的心理療法のトレーニングの質を高めるための具体的な方策を検討すべく,米国,ドイツ,イギリス,フランスの力動的心理療法家養成のシステムおよびその実態に関して,養成に関わる人物の招聘やシンポジウム,および研究者による現地の訪問での参与観察や資料の収集を行ない,日本におけるトレーニングの問題点を明らかにした。とりわけ日本では,スーパービジョンや実地研修の不足,事例を見立てる上での構造の不在が指摘された。そして,日本の文化的文脈等を自覚化しつつ,その改善の方向を具体的に討議し,より適切な訓練のモデルを構想した。また,見立て,臨床像記述の方法論等を検討し,実際の訓練に適用した。
著者
吉川 利治
出版者
京都大学
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.19, no.4, pp.363-387, 1982-03

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。Field Marshal Phibunsongkhram, the Prime Minister of Thailand during the Pacific War, is said to have been a dictator, a chauvinist and a militarist, and to have erred in trying to revive old Siam by military means. But the minutes of the Cabinet conference, Phibun's speeches, the Ratthaniyom principles, Thai Code of Valour and Phibun's own behavior during his regime reveal his thoughts and actions as a campaign to foster the civilization of Thailand and to restore her honor and face among nations. He renamed the country "Thailand" on June 24,1939 because the old name Siam was associated with absolute monarchy, Westerner worship, arbitary Chinese action, a national inferiority complex and old customs. It was his aim to dispel these associations and to prompt constitutional monarchy, the civilization of the country and the modernization of the people. The Phibun regime intended to reduce Western political power and Chinese economic power. Japan also had an interest in destroying Western power in Southeast Asia and replacing it with her own. Phibun used Japanese power to carry out his policy. Japan treated Thailand as an important nation in Southeast Asia before the Pacific War, so she could move her forces through Thai territory and obtain necessary facilities. Phibun cooperated with Japan for only one year during the war, then switched to the promotion of an anti-Japanese strategic plan, because he thought that cooperation with Japan did not bring honor and face either to Thailand or to himself.
著者
佐藤 慶太
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2009-11-24

新制・課程博士
著者
宮武 伸一 田代 弦 織田 祥史
出版者
京都大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1991

1.脳腫瘍細胞へのインターロイキン7遺伝子の導入:脳腫瘍細胞にウイルス発現ベクターに組み込んだインターロイキン7遺伝子を導入し発現させた。この腫瘍細胞を宿主マウスに移植すると,インターロイキンを導入されていない腫瘍細胞やネオ遺伝子のみを導入された。腫瘍細胞と異なり、生着せずにリジェクトされた、これは,腫瘍細胞から生成されるインターロイキン7が宿主マウスの免疫能を高めたことによると思われる。2.マクロファージの殺腫瘍細胞効果の,インターロイキンによる賦活:マウス脾臓より収集したマクロファージをインターロイキンやインターフェロンなどのサイトカインで処理すると,マウス腫瘍細胞に対する殺細胞効果の増加が確認された。3.脳腫瘍特異抗原を認識する放射性同位元素で標識したマウウスモノクローナル抗体による脳腫瘍組織のイメージング:我々の施設及び共同研究施設で開発したヒト神経膠腫特異抗原を認識する抗体をFab2のかたちに加工し,これを131-I及び111-Inで標識した。この標識抗体を,ヒト神経膠芽腫細胞U-87MGを移植したBalbnu/nuのヌードマウスに,尾静脈から投与した。その後の,臓器移行,排出をガンマカウンターやガンマカメラでしらべたところ,他の臓器に比較して腫瘍移行性が良好であり,腫瘍の放射性同位元素によるイメージングに充分使用できるものであると,判断された。4.今後の展望としては,サイトカイン遺伝子の導入をin vivoのレベルでできるだけ,腫瘍細胞に限定して行うために,腫瘍特異的発現ベクターの開発及び腫瘍特異的抗体を用いた標的化を考えている。
著者
尾池 和夫 JO 華龍 金 性均 慶 在福 全 明純 大倉 敬宏 久家 慶子 中西 一郎 入月 俊明 秋元 和実 山路 敦 鈴木 康弘 渡辺 満久 岡田 篤正 KIM Sung-kyun JUN Myang-soon JO Wha-ryong KYUNG Jai-bok
出版者
京都大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

韓国南東部の梁山断層は,ほぼ北北東-南南西方向に約200kmにわたって走り,顕著な破砕帯を伴っている.この断層系において活断層変位地形を野外調査し,その主断層についてトレンチ掘削を実施した.この断層は河成段丘面群とその構成層を変位させ,東側の相対的隆起を伴う右横ずれの活断層であることを確認した(岡田ほか,1994).蔚山郡彦陽南方では,大規模な宅地開発が進められているので,その用地を利用して,主断層に伴われる地殻運動やそれ並行すると推定した副断層について多くのトレンチ調査を行った。こうした調査から,次のような事柄が判明した.彦陽南方の台地(高位面)は北東流していたかつての酌川川が形成した扇状地であり,初生的には北東へ傾いていたはずであるが,トレンチ地点付近では西方へ逆傾斜している.掘削調査の結果,高位面を構成する礫層が撓曲変形を受けていることが判明した.この高位面の撓曲による上下変位量は約5mである.いくつかの断層は認められたが,地表面まで切断するものは見当たらなかった.梁山断層の平均変位速度や高位段丘の形成時期を解明する必要があるので,梁山断層が通過する彦陽地域から太和江沿いに河成段丘面を追跡し,海成段丘面との関係を調べ,段丘面編年に関する資料を得るように努めた.それらの結果は,次のように要約される.河成段丘面はfH面群(fH1面・fH2面)・fH面群(fH1面・fM2面)・fL面群(fL1面〜fL3面)に,海成段丘面はm1面〜m3面に区分できる.海成段丘の旧汀線高度は,それぞれ53.3m・18.7m・3.4mである.fH面群やfM面群には赤色風化殻が形成されており,とくにfH面群で顕著である.fL面群の構成層は新鮮でほとんど風化していない.各河成段丘面は滑らかに蔚山湾周辺まで連続する.蔚山湾周辺では,fH2面は+10mの位置へ,fH1面は数mの位置へと連続してゆく.fL1面は下流部で沖積面下に埋没し,蔚山湾周辺での推定高度は-10mである.こうした資料からみて,fM1面が最終間氷期直前の氷期に,m2面が最終間氷期に形成された可能性が高い.fH面群はそれ以前の海面低下期に,m1面は最終間氷期以前の高海面期に形成されたと推定できる.南北〜北北西-南南東走向の蔚山断層系(延長約40km)は慶州市付近で梁山断層系に会合するが,この中央部に沿っても活断層変位地形の存在と,段丘堆積物を変位させる断層露頭が確認された.この特徴や関連現象について調べ,次のような事柄が判明した.蔚山断層系の断層線は著しく弯曲している.断層露頭表現や地形面の変形状態とから考えると,この断層の活動様式は典型的な逆断層である.第四紀後期に形成された地形面や堆積物が明瞭に変位を受けているので,蔚山断層は明らかに活断層である.この断層は高位段丘面を15m,中位段丘面を5m,上下方向へ変位させており,累積的な変位が認められる.断層崖や段丘面の変位方向からみて,東側の山地域が少なくとも第四紀の中ごろから継続的に隆起している.蔚山断層に沿って,明瞭な断層露頭が2ヶ所で観察された.末方里集落東方にある寺谷池北岸では,破砕した花崗岩が地形面を構成する礫層に,走向:ほぼ南北で,傾斜:25-30°Eの衝上面をもって接している.露頭上部では,上盤の花崗岩を被覆する礫層と砂礫層・腐植質層が急斜・逆転している.数本の断層が伴われ,幅数10cmの断層帯となっている.開谷里集落北東方の淵安川河床でも,やや風化した礫層の上に花崗岩が衝上している.末方里集落東方では,中位面を構成するシルト質層が液状化作用を受けて変形し,堆積直後の大地震発生を示唆する.その再来時間については,堆積物や地形面の年代解明を現在行っており,それらの結果を待って評価したい.こうした南北方向の逆断層性活断層の存在は,当域もほぼ東西方向の広域応力場に置かれていることを示唆する.これは北北東-南南西方向の梁山断層系が右ずれを示すこととも符号し,同じ応力場にあることを意味する.また,浦項市付近には,海成中新統が分布していることから,中新世以降の梁山断層の運動像を解明するために,地質調査を実施した.
著者
後藤 浩之
出版者
京都大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010

地震断層を伴うような地表断層地震と,地表断層を伴わない潜在断層地震では,同じ規模の地震の場合に潜在断層地震の方が強い地震動を生成する.本研究では,震源深さと地殻の地震発生層の下部深さの関係に着目し,潜在断層地震で強い地震動が生成される力学的な背景を明らかにした.潜在断層地震の場合にはパルス状の破壊,すなわち同じ地震規模でも短時間にエネルギーの集中した地震動を発生させる傾向にあることを,数値実験により示した.地震断層を伴うような地表断層地震と,地表断層を伴わない潜在断層地震では,同じ規模の地震の場合に潜在断層地震の方が強い地震動を生成する.本研究では,震源深さと地殻の地震発生層の下部深さの関係に着目し,潜在断層地震で強い地震動が生成される力学的な背景を明らかにした.潜在断層地震の場合にはパルス状の破壊,すなわち同じ地震規模でも短時間にエネルギーの集中した地震動を発生させる傾向にあることを,数値実験により示した.
著者
岩城 卓二
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究では、戦争と災害という視点から幕末期の畿内・近国社会の特質について明らかにした。具体的には、幕末期の畿内社会では、人々の間に戦争を忌避する意識が高まっていたこと、それは民間の情報網によって西国の広い地域の人々にも共有されていたこと、戦争による長州藩の打倒を叫ぶ畿内大名もいたが、社会を覆う戦争忌避の力と、たくさんの領主が小さな所領を領有するという所領形態によって軍事行動を起こすことはできなかったこと、幕末期の京都・大阪は武士人口が急増するが必要な労働力・消費物資は町・村が提供する「請ける」体制が機能していたこと、1865年以降天候不順が続き、災害復興に大勢の労働者が動員されたため、農村地主・幕藩領主の間で労働力の奪い合いが起こったこと、その矛盾が爆発したのが1866年の打ちこわしであったことを明らかにし、領主制の矛盾がいち早く吹き出し、その解体の必要性を提起したのが畿内の幕末社会であったことを指摘した。
著者
平芳 幸浩
出版者
京都大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:03897508)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.161-186, 1997-03-31
著者
小川 正広
出版者
京都大学
雑誌
西洋古典論集 (ISSN:02897113)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.89-117, 1989-09-30

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。
著者
相澤 伸依
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2012-01-23

新制・課程博士
著者
出口 康夫
出版者
京都大学
雑誌
京都大學文學部研究紀要 (ISSN:04529774)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.A41-A84, 2005-03-31

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。