著者
市川 聖
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>1.背景および研究の目的</p><p></p><p>平成30年の学習指導要領の改訂は、文部科学省によると人工知能の進展やIoT が広がったりするSociety5.0と呼ばれる新時代の到来がある一方で、選挙権年齢が引き下げられたとともに平成34年度からは成年年齢が18歳へと引き下げられることになる。その結果、高校生を取り巻く社会環境はより一層変化が大きくなると予想される。このような時代に対して学校教育には、生徒が様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決してする技能が求められるといえよう。</p><p></p><p>ところで、高等学校の社会科科目は地理歴史科で世界史・日本史・地理のそれぞれで総合科目と探究科目とし、公民科で「公共」・「政治・経済」「倫理」へと改訂される。しかしながら従来は高等学校の社会科は平成6年に地理歴史科と公民科に再編されるまでは双方の教科指導を行っていた。このような社会科の歴史的変遷を検討するならば、教科横断的な学習の方法を検討することが必要だといえよう。教科横断的な学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策として挙げられている。この実現のためには教育課程全体を通した取組を通じて、教科横断的な視点から教育活動の改善を行っていくことだとされている。例えば、地理歴史科と公民科ではグローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を育成すると目標に示されていることを十分踏まえた上で、必履修科目である「地理総合」及び「歴史総合」などの目標における各科目の趣旨に十分配慮するとともに、時間的・空間的な認識と時代や地域の変化や特色を背景に現代の社会を学ぶことができるよう工夫を行うことが横断的な学習の取り組みとして検討されている。</p><p></p><p>そこで本研究では、これらの社会的な背景から高等学校社会科科目における横断的な授業実践を検討し、生徒が主体的な課題解決が行えるような授業展開を行うことを目的としている。なお研究方法としての授業実践例は、地理歴史科では地理探求の岩手県花巻市の地域調査と公民科では倫理の「宮沢賢治の思想」を題材として検討した。その場合には、双方において学習指導案をもとにした授業実践の効果について検証し、今後の新たな学習指導要領を見据えた授業を考察することにしている。</p><p></p><p></p><p></p><p>2.各科目の位置づけ</p><p></p><p>(1)地理探求における「地域調査」</p><p></p><p> 地理探求における「地域」とは、地理的な課題を多面的・多角的に考察することが求められる。これに対して概念などを活用して多面的・多角的に考察したり、地理的な課題の解決に向けて構想したりする力や考察・構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力を養わなければならない。そのためには日本国民としての自覚、我が国の国土に対する愛情、世界の諸地域の多様な生活文化を尊重しようとする知識が必要とされている。</p><p></p><p>(2)公民科・倫理「宮沢賢治の思想」との関係性</p><p></p><p> 前述したように地理探求では日本国土の風土を理解する資質が求められる。これに対して宮沢賢治の思想を題材とした。宮沢賢治は大正時代の後期に活躍した岩手県出身の童話作家である。例えば、岩手県花巻市にある「イギリス海岸」は北上川西岸の河岸のことを さし、イギリスの白亜の海岸に似ていることから名づけられた。一方で宮沢賢治は奥羽山脈に属する岩手山や北上地域に関する作品を残している。これらを踏まえると、宮沢賢治の思想は公民科・倫理でありながらも地理教育的な要素が多いと考え横断的な教科学習に用いることができると考えた。また岩手県花巻市は寒冷で太平洋側気候であるとともに、北上盆地の影響で内陸性気候でもあるため、生徒が地域的な解釈を行うことにも意義があるとした。</p><p></p><p></p><p></p><p>3.まとめと今後の研究課題</p><p></p><p> 本研究では高等学校社会科科目における横断的な授業実践を検討した。その際に、高等学校の地理探求と倫理の横断的な学習を検討し、なおかつ岩手県花巻市の地域調査と宮沢賢治の思想を用いて生徒が主体的な課題解決が行えるような授業実践例とした。</p><p></p><p> 社会的な背景でもあるように、高等学校の生徒は大きな変革がある社会に学ぶことになっている。そこには社会的な変革に対応するとともに、大学入試制度の移行期にも対応しなければならない。本研究では実践の地域調査事例を生徒に考えさせるとともに大学入試にも対応した授業実践を考えた。また今後の研究課題としてはさらに学習指導要領の改訂に伴った実践的な地理科目の授業実践を検討しなければならない。</p>
著者
岡谷 隆基
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

国土地理院は、我が国の位置の基準を管理し位置を測れる環境を提供し、日本の国土全体の地図を整備しさまざまな形態で提供し、災害情報をより早くわかりやすく提供すること、すなわち国土を「測る」「描く」「守る」ことを任務としている。中でも「描く」の取組により提供されてきた地形図は過去1世紀近くにわたり、地理教育の各場面において課題考察などのためのツールとして教科書等で広く扱われてきた。他方、平成28・29年度に順次告示された次期学習指導要領を受けた中学校社会科及び高等学校地理歴史科の学習指導要領解説では、従前の地形図や主題図に加え「地理院地図」についてその活用の意義が明記されるなど、地理教育における地理院地図への期待は大きい。次期学習指導要領において高等学校で地理が新たに必履修化され、新科目「地理総合」が平成34年度から開始するが、その中では課題解決に地図やGISを活用することとしている。しかしながら、中学校社会科及び高等学校地理歴史科の教員の大半が地理専攻出身者ではないことから、いきなり高度なGISソフトウェアを扱うことは困難であり、地理院地図がGIS学習の入り口の役目も果たすものと考える。こうした状況を踏まえ、当日は高等学校における地理必履修化を見据えた地理院地図の活用法について報告する。
著者
服部 信彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.223-240, 1965

南九州すなわち鹿児島県の大部分と宮崎県の南部にかけて,その上部層の名によって「シラス」台地とよばれる広い台地がある.この台地においては住民は水の不足によって悩まされて来た。それは多分「白砂」を意味し,火山灰砂層である「シラス」は非常に透水性が大きく,その表面に降った雨はたちまち台地の下層に滲透するからである.このため住民は水を得るのに深い井戸から水を汲むか,または谷壁の湧水を用いるほかはない.水を得ることは住民にとって非常な労苦であった.<br> しかし最近において革命ともいえる変化が生じた。それは水道が台地一帯につくられるようになったからである.このため住民は以前には想像できない程容易に水を得ることができるようになった.そのような短期間に水道ができた理由は第一にそれらが甚だ安くつくられるようになったからである.水道建設技術が急速に進歩したのである.第二は政府が財政支出によって経費の補助をしたからである.最後に市町村の尽力が大きい。<br> 「シラス」台地は南九州の重要な特色をなす。従ってそれと住民との関係は地理学の興味ある対象である.しかしわれわれが忘れてならないのは自然は決定的要因ではなく,ただ一つの要因たるにすぎぬということである.即ち技術的,経済的,政治的要因も重要である.筆者はこの事実,ひいては南九州の特色を研究した.
著者
高橋 昂輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

従来,都市の移民街に関する研究は,居住,事業所,コミュニティ施設の分布など,エスニック集団内部の物理的構成要素から捉えられてきた。しかし,近年,欧米の諸都市ではジェントリフィケーションが進行し,移民街をはじめとしたダウンタウン周辺に対するホスト社会住民の居住選好が指摘されている。すなわち,近年における移民街の変容を明らかにするためには,エスニック集団内部の変化のみならず,集団外部(ホスト社会)の動きと連関して考察することが求められている。また,ジェントリフィケーションの進行過程において,エスニック集団とジェントリファイアーは空間的に混在すると考えられ,両者の関係性に注目することにより,都市空間の変容をより詳細に描出できると考えられる。<br> トロントにおいても,ダウンタウン周辺部に移民街が形成されたが,近年,ホスト社会住民の都心回帰現象が進展している。その結果,ダウンタウンに隣接するリトルポルトガルとその周辺では,既存のポルトガル系住民と近年流入した非ポルトガル系住民の混在化が進行している。商業地区であるリトルポルトガル内部においても,ポルトガル系から非ポルトガル系へと経営者の交代が進行し,現在,両者は域内に併存している。本発表ではリトルポルトガルの主要なアクターである事業所経営者に注目する。現地でのインタヴュー,質問票調査などによって得られた資料をもとに,個人属性にくわえ,経営者間のソシオグラムを作成することにより,社会関係を分析し,ジェントリフィケーションに直面するリトルポルトガルの動向を明らかにする。なお,現地調査は2012年10~11月,および2013年7~10月におこなった。<br> リトルポルトガルを含むトロント市中心西部は建築年代の比較的古い半戸建住宅(semidetached house)が集積し,従来,ホスト社会住民の関心を引かなかった。しかし,近年における社会的多様性,古い建築様式への肯定的評価,通勤時間縮減への志向など,都心周辺部への価値観の転換にもとづき,ホスト社会住民は同地区に流入している。これにより,リトルポルトガル周辺の地価は2001~2006年の間に約1.5倍上昇し(Statistics Canada),2006年以降,さらに高騰している。地価の上昇は土地所有者にとって固定資産税の増加をもたらすとともに,賃借者にとっても家賃の上昇を引き起こす。すなわち,1960年代以降同地区に形成されたポルトガル系人の集積形態はホスト社会住民との関係性によって変化しつつある。<br> リトルポルトガルに立地する非ポルトガル系事業所32軒のうち,28軒は2003年以降に出店した。非ポルトガル系経営者はポルトガル系経営者が閉鎖した空き店舗に開業するため,両者は域内にモザイク状に分布する。また,各経営者に「域内で最も親しいと思う経営者」を最大3人答えてもらい,得られた回答からリトルポルトガル内の社会関係を示すソシオグラムを作成した。分析の結果,ポルトガル系・非ポルトガル系の両経営者集団はリトルポルトガルという同一の空間に併存する一方,それぞれが社会的には異なるネットワークを形成していることがわかった。<br> こうした両経営者集団の社会的な分離状態は,地域自治組織であるBIA(Business Improvement Area)の運営において,顕在化する。前身の地域自治組織が設立された1978年以降,ポルトガル系経営者が組織の代表を務めてきたが,2012年において非ポルトガル系経営者の中心的人物であるK氏が代表に就任した。K氏の就任以降,BIAの委員はポルトガル系から非ポルトガル系中心の人員構成へと変化し,まちづくりにおいてもポルトガル系に特化しないフェスティバルの開催などが企画されるようになった。K氏が代表に就任した初年度にあたる2012年には,ポルトガル系経営者の反対により,フェスティバルの開催は実現に至らなかった。K氏は6名の非ポルトガル系経営者から親しい人物として支持され,非ポルトガル系社会の中では最も高い中心性を示す。しかし他方,同氏はポルトガル系社会のネットワークには接続しておらず,地域自治組織の運営において課題を有しているといえる。ジェントリフィケーションに直面するリトルポルトガルを社会関係の観点から分析することによって,今日における多民族都市トロントの展開を端的に説明することができる。
著者
石原 肇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>1.研究の背景と目的:地域活性化のためにはバルイベントは単発ではなく継続開催することが重要と考えられる。東大阪市内においては比較的近接する3地域でバルイベントが継続的に実施されている。地域的特性に応じた運営方法と継続性の視点からの調査が必要と思われる。そこで、本研究では、東大阪市の3地域で行われているバルイベントについて運営方法を比較することを目的とする。</p><p>2.研究対象地域と研究方法:東大阪市は、大阪府中河内地域に位置する市である。市域の面積は61.81㎢、人口は502,784人の中核市である。日本有数の中小企業の密集地であり、また、花園ラグビー場のある「ラグビーのまち」でもある。本研究では、同市内で継続開催されている「布施えびすバル」、「小阪・八戸ノ里なのはなバル」(以下、「なのはなバル」)、「長瀬酒バル」を対象とする。バルイベントの実施状況を把握するため、2018年5月26日に「なのはなバル」、2018年9月8日に「長瀬酒バル」、2018年10月20日に「布施えびすバル」の現地調査をそれぞれ行った。2019年6月に、それぞれの事務局にヒアリングを行った。また、バルマップ等の提供を受け、参加店舗数やバルイベント実施範囲を把握した。考察にあたっては、各バルイベント実施地域内の駅一日乗降客数や<b>『</b>東大阪市小売商業の現状と主要商店街の規模・構造調査結果』を参考とした。これらより得た情報から地域的特性と運営方法について比較を行う。</p><p>3.結果と考察</p><p>(1)布施えびすバル:「布施えびすバル」は2013年10月に第1回が開催され、2018年10月に第6回が開催されている。チケット制度である。一日乗降客数の最も多い布施駅があり、商店街の規模も最も大きく飲食店割合が高い。布施えびすバル実行委員会の事務局は、バルイベントに参加している飲食店のオーナーであるA氏が担っている。ヒアリングによれば、最初は商店街の枠の中で動いていたが、制約が大きく飲食店だけのイベントとして出来ず、物販やサービスを入れるとぼやけてしまう傾向にあった。このため、飲食店のみに転換している。</p><p>(2)なのはなバル:「なのはなバル」は2013年3月3日(日)に第1回が東大阪市で初めてのバルイベントとして開催されている。2018年5月に第6回が開催されている。河内小阪駅は布施駅に次いで一日乗降客数が多く、商店街の規模も同様に次ぐが、飲食店割合は低い。なのはなバル実行委員会の事務局は、週刊ひがしおおさかの代表であるB氏が担っている。ヒアリングによれば、7年前に店の人同士が小阪でもバルイベントをやりたいと話し、中学校区が同一の八戸ノ里にも話が及び、開催の機運が高まった。6回目の開催にあたり、従前のチケット制からリストバンド方式に移行した。</p><p>(3)長瀬酒バル:「長瀬酒バル」は2014年7月4日(金)〜6日(日)の3日間で第1回が開催され、その後、2018年9月に第4回が開催されている。本報告で取り上げる3地域の中で3番目となる。長瀬駅の一日乗降客数や商店街の規模は3番目で、飲食店割合は高い。長瀬酒バル実行委員会の委員長は、バルイベントに参加している飲食店のオーナーであるC氏が担っている。ヒアリングによれば、お客様とコミュニケーションのとれるカウンターのあるお店に地元の住民の方々に足を運んでもらう機会を作ろうと開催した。チケット制や参加証方式ではなく、チラシを持っていけばよく、各参加店舗で1コイン(500円)を支払うという極めて簡素なシステムを導入している。</p><p>4.まとめ:東大阪市の3地域で行われているバルイベントは、チケット方式、リストバンド参加証式、チラシ持参といった3地域でそれぞれが異なる運営方法で実施されていることが確認できた。実行委員会が目指すバルイベントの姿、バルイベントの実施範囲にある商店街の規模や飲食店の割合などを勘案して、それぞれが適切であると判断した方法がとられたからだと考えられる。これは、バルイベントが地域の実情に適った運営方法をとれる柔軟なイベントであることを示唆している。なお、2019年秋にはラグビーワールドカップ開催に伴うバルイベントが市域全域で企画されている。</p>
著者
梶田 真
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
no.64, 2003-10-11

1.はじめに 近年、公共投資が本来の社会資本整備という目的から逸脱し、土木業者の需要創出のために過大な事業が実施されているとの批判が強まっている。本報告では公共投資・土木業・環境管理の3者の関係の考察を通じて、公共投資改革のあり方について検討したい。2.わが国における土木業の歴史的展開と地場業者 受注生産を行う土木業では業者に対する信頼が業者選択に大きな影響を与えるため、一般に寡占的な受注構造とピラミッド型の分業体制が形成される。わが国の土木業では、高度経済成長期に中央のゼネコンが次々と地方圏のローカルな土木市場に進出し、地場業者の市場を侵食していった。こうした動きに対し、地場業者は「市場の棲み分け」を訴えて政治家などに働きかけていく。その結果、様々な保護制度が設置され、強化されていく。さらに公共投資における国から地方自治体への、大都市圏から地方圏へのシフトの中で、わが国の土木市場は工事の規模、内容そして発注機関の管轄域によって分断される。このような市場構造はわが国の土木業のコスト高構造、公共投資をめぐる様々な不正の温床を生み出す原因であると考えられている。 では、地場業者は必要ないのだろうか?答えはノーである。例えば、災害などが生じたときに迅速に対応することができるのは即座に施工体制を編成することができ、地域の地理的状況を熟知している地場の業者である。それゆえに中央のゼネコンとの役割分担を見直し、その上で現在の地場業者を適切な方向に再編成していくことが求められている。3.環境共生型の社会資本整備に向けた土木業の再編成 今後、環境共生型の社会資本整備を進めていく上で、その担い手である土木業を適切な形に再編成していくための鍵は何であろうか。報告者は政策の信憑性とインセンティブの問題を取り上げたい。 まず、政策の信憑性であるが、この概念は政府の政策を信頼できるものとして受け止め、対象となる主体の行動に影響を与えることができるかどうかを問題とする。例えば、将来的に公共投資を縮小させる、という将来ビジョンを政府が示したとしても、それが信憑性を持って受け取られなければ、業者は公共投資の縮小に向けた再編成のための努力にかわって、公共投資水準を維持するためのロビー活動に努力を注ぐことになるだろう。適切な将来展望の下で業者に合理的な判断をさせていくためには政府が政権交代や景気変動に左右されない、確固とした姿勢を示し、政策に対する信憑性を回復することが必要である。 次にインセンティブであるが、環境共生型の社会資本整備を進めていくためには、現在の新設工事中心の投資内容を維持・補修工事中心の内容に改めていくと共に、環境に配慮した工事技術などの導入を進めていく必要がある。そのためには、こうした工事技術を収得することが業者にとってメリットとなるようなインセンティブを設けることが必要である。これまで受注業者選定などにおいて環境への配慮などの取り組みが適切に評価されてきたとはいいがたい。今後、公共投資の量的・質的変化が進んでいく中で、政府には必要とされる業者像、工事技術を明確に示し、そうした業者を適切に評価していくための仕組みを確立していくことが求められる。
著者
松本 美予
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100072, 2011

レソト王国は南部アフリカ・ドラケンスバーグ山脈の中心部に位置し、四国の1.4倍程の面積しかない山岳国である。地域の経済大国である南アフリカ共和国に国境線を囲まれるという地理的特徴を持ち、1900年代始めから南アフリカ鉱山への出稼ぎ労働が主要な生業の一つであった。国土の東半分を占める山岳地は人の移住が1890年代より始まり、農村社会の形成初期から出稼ぎ労働は生計の柱であった。現金収入と共に形成された生業形態は1980年代まで続くが、アパルトヘイト政策が撤廃された隣国南アフリカの政治経済変化を受け、大きく変化する。本研究では、レソト山岳地において、出稼ぎ労働による現金収入を中心とした複合的農牧業が、南アフリカの政治経済変化によってどのように変化したのかを明らかにする。<br><b>出稼ぎ労働の最盛期(~</b><b>1970</b><b>年代) </b><b></b>現金収入は農耕と牧畜に投資され、出稼ぎ労働を柱とした複合的な生業形態が実施されていた。農耕では、種・農具・留守の男性労働力を補うための人件費などへ現金が投資された。そして牧畜では、多くの家畜(牛・羊・山羊)が購入され、それらは出稼ぎ労働引退後の備えとなった。&nbsp;<br><b>出稼ぎ労働の減少(</b><b>1980</b><b>年代~現在) </b><b></b>80年代以降、反アパルトヘイト運動が激化し、南アフリカ国内の黒人へ労働市場が開放されていった。それに加え、金価格の下落や、出稼ぎ労働者が担っていた単純作業の機械化などの要因が重なり、レソトからの出稼ぎ労働者は鉱山労働より締め出された。新規採用はなくなり、契約の更新もされなくなった。また、同時期に家畜泥棒が増加し、農村における牛や羊の頭数が減少した。つまり、多くの世帯では出稼ぎと家畜という二つの主要な現金収入源を同時に断たれてしまったのである。その結果、残された農耕への依存が高まり、自給レベル以上の労力を投入せざるを得なくなった。栽培作物が換金作物にシフトするなど、現金収入源としての重要な位置づけになったのである。また家畜泥棒による家畜の減少は、燃料の収集にも影響を与えたと考えられる。農村部では牛フンを燃料として利用しているため、牛の減少は燃料の不足を意味する。調査村においても、牛フンに代わる燃料となる潅木の採集場所が拡大していた。現金収入の減少は、地域の自然資源に強く依存した生活を農民に強いることになり、今後、耕作地や植物資源への負荷がますます高まっていくことが危惧される。
著者
田中 健作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><u>1.研究目的と調査内容</u></p><p></p><p> 本報告では,高齢期のQOL構築とモビリティとの関係性を見出そうとする問題意識から,高齢化が急速に進む大都市圏郊外に焦点を当て,加齢によるモビリティ縮小への適応の実態を明らかにすることを目的とする。</p><p></p><p>研究対象地域は,報告者が2015年より調査を継続している京阪神大都市圏郊外のA市である。2018〜2019年にA市のXマンション(約450戸,エレベーター完備)に住む60歳以上の28人から,インタビューまたは質問紙による調査協力を得た。Xマンションすぐそばのバス停からは,商業施設と隣接した最寄駅との間を約10分で結ぶ路線バスが1時間に4本以上運行されている。交通利便性や居住環境の整備された,典型的な郊外住宅地域であるといえる。</p><p></p><p><u>2.年齢層別にみた外出行動</u></p><p></p><p> 年齢層別に外出頻度と範囲の概況を整理したところ,団地内・周辺および団地外ともに70歳代前半,70代歳後半,60歳代,80歳代の順に外出回数が多かった。70歳代前半の団地外移動回数の平均値は週5回,80代の団地外移動回数の場合は週3回程度であった。なお,最近半年間における外出や利用交通手段の変化は小さかった。70代前半の値の高さは,調査対象者に通勤者が相対的に多く含まれていたり,趣味としてフィットネスクラブに通う人がいたりしたことによるものであった。70歳代後半以上になると,歩行能力の低下により移動の難しくなる人があらわれてくる。</p><p></p><p>このように住民の加齢による外出行動の縮小は認められるものの,当該マンションは,加齢を伴っても,歩行に難がない限りは,週に複数日はマンション外に出かけてQOLを維持することができる環境にあるといえる。</p><p></p><p>また,当該マンションでは,住民主体の自治会活動やサロン開催が積極的に行われている。これら市民活動もまた,地域の交通環境とともに,加齢によってモビリティの縮小する住民のQOLの維持に寄与している。</p><p></p><p><u>3.加齢によるモビリティ縮小への適応</u></p><p></p><p> モビリティの基礎となる歩行状況をみると,加齢によるモビリティ縮小のモザイク化がうかがえる。すなわち,70代に入ると近隣の坂道歩行に苦をより感じるようになり,移動時間に余裕を持たせたり,乗り物利用を増やしたりする人が増えた70代半ばあたりから,過去10年間の徒歩移動の減少が認識されるようにもなっていた。ただし,加齢の進行や加齢への適応の個人差がより明瞭になる80代以上の場合,70代後半よりも坂道を苦に感じる人は相対的に少なかった。加齢の進行や加齢への適応の個人差によるものと推測される。</p><p></p><p>また,加齢によるモビリティの縮小は交通手段利用を分化させていた。これについて調査対象者の免許返納状況により,①運転中、②返納・失効・運転とりやめ、③元々免許なしの3類型に区分して検討した。</p><p></p><p>日常生活における外出回数および外出範囲の過去10年間の変化をみると,類型①と③は「縮小」と「変化なし」の二極化しており,類型②ではこれに外出回数に変化はないものの外出範囲を狭めている人が含まれていた。</p><p></p><p>徒歩を含む移動手段の変化をみると,バス交通の利用が相対的に増加し,電車利用が相対的に減少していることから,日常的な移動範囲は概ね最寄駅周辺からA市周辺の範囲に収斂しつつあると推測される。</p><p></p><p>移動手段全体でみると,各類型に共通してバス交通の利用が多くなっていた。このため,週に1回以上利用する乗り物の数は類型①,②,③の順に多くなっていた。増減に着目すると,①と③の増減幅は小さく,②では大きくなっていた。これは自家用車運転の取りやめと,それによるバスとタクシーの利用が大幅に増えたためである。当該地域は農山村に比べて移動環境が優れており,車の運転も比較的早くに取りやめることができる。交通サービスの発達は,週1回以上の外出を支えてきたことがわかる。</p><p></p><p> こうした移動方法の変化に対する満足度は,どの類型においても「やむを得ない」とする人が多かった。概ね,加齢によるモビリティ縮小を受容していることがわかる。②にのみ「やや不満足」や「不満足」が複数人みられ,主観的QOLに影響を与えている可能性がある。比較的元気なうちに運転を手放せるがゆえ,活動ニーズの高さとモビリティ縮小との間にミスマッチも生じやすいものと考えられる。</p><p></p><p>※本研究では科学研究費(課題番号18K12589)を使用した。</p>
著者
山本 隆太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

I. システム思考と地理教育 地理学習にシステム思考(あるいはシステム論、システムアプローチなど呼称は様々)を導入するという考え方は、1992年の地理教育国際憲章をきっかけとして、世界各国に共通する地理教育的価値観の一つとして認識されている。とくにESD(Education for Sustainable Development)でもシステム思考が重視されていることを受けて、最近では日本やフィンランドの地理カリキュラムの構想にシステムという言葉が登場してきている。こうした地理教育におけるシステム思考については、ルツェルン大学のRempflerらがドイツ語圏で展開している地理システムコンピテンシー研究が国際的にも先駆的な取り組みとして知られている。Armin Rempflerらは地理システムコンピテンシー研究開発プロジェクトを2011年から立ち上げ、システムについての概念的、地理教育的、コンピテンシー開発論的な観点からそれぞれ検討を行っている。 &nbsp; II. 地理学におけるシステム概念の議論不全と社会生態学 プロジェクトの初期段階では、地理学におけるシステム概念の検討が進められた。ドイツでは自然地理学と人文地理学の乖離すなわち総合的な地理学の在り方が、2000年頃のミュンヘン大学地理学部統合問題をきっかけとして大きな議論を呼んだ。これまでの地誌学や景観論、地生態学がこうした総合的な役割を担ってきたという主張があるが、実際には地理学が求める自然地理学と人文地理学を統合するための理論が欠けており、あらためて両地理学領域の乖離を埋め、総合的地理学を具体化するためには、システム論を用いた社会環境研究が必要であるという見方が共有された。そこで、Rempflerらはこの社会環境研究と同等のアプローチを採用している社会生態学を参照し、そこからシステムにまつわる諸概念を借用した(開放性、オートポイエーシス、モデル化、複雑系、非線形、ダイナミズム、創発、境界、自己組織化臨界、限定的予測と調整)。これらシステムにまつわる諸概念を元に、地理システム思考の理論的フレームワークを構築した。 &nbsp; III. 教育理論によるコンピテンシーモデル開発 1)&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 次元階層モデルの構築 社会生態学から見出されたシステム諸概念のフレームワークは、規範教育理論に基づいて次元階層モデルとして再構築された。システムの諸概念を学習することによって身につけられるコンピテンシーが4つの次元として位置づけられるとともに、その学習プロセスを示唆する3段階が示された。さらに、具体的な教材開発にあたってはこのモデルでは複雑すぎるため、教育的削減によって次元数が4から3に削減されるなど、簡素版の次元階層モデルが構築された。 2)&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; コンピテンシーモデルの実証研究 次元階層モデルがコンピテンシーモデルとして有効であるかを検証するために、実証試験用問題が作成された。試験問題はパイロット試験(サンプル数=954)の結果をフィードバックするかたちで改善され、結果的には17類型(テーマ)、全147問が完成した。これを用いた本試験(サンプル数=1926)の結果、コンピテンシーの次元数はさらに削減され、「システムの組織と挙動」、「システムに適応した行動をとる意志」からなる2次元のモデルが開発された。 &nbsp; IV. システム思考を用いた教材の検討 2次元コンピテンシーモデルに基づいて開発された教材「ソマリアの海賊」は、コンセプトマップ作成、ジグソー学習、限定合理性に基づいた解決策考案などの観点が含まれた学習で単元構成されている。複雑な課題の解決を学習する場合はシステム思考が有効であることが示唆された。
著者
遠藤 尚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.158, 2008

<BR> 世帯や個人の生計は,過去から連続した軌跡を背景として現状が存在しているため,発展途上国農村生計研究において時系列的な観点は不可欠である。そして,社会,経済などの外的要素ばかりではなく,世帯のライフサイクルも世帯生計に影響をもたらす。したがって,外的要因による世帯生計の変化を検討する場合,各世帯のライフサイクル上での生計の特徴を考慮する必要がある。また,ジャワ農村では近隣に居住する親族世帯間に日常生活や農業経営における互恵的な関係がみられるため,生計における親族世帯間の関係についても無視できない。西ジャワ農村では,1980年代後半の民間部門を中心とした急速な経済成長以降,農村内外の農外就業が一層拡大し,若年層を中心に就業構造に変化がみられることが指摘されているが(水野,1999),それによる農村生計の変化について検討した研究ほとんどみられない。そこで,本報告では西ジャワ農村におけるライフサイクルによる世帯生計の変動について把握し,世帯間の親族関係に注目しながら,1980年代後半以降の西ジャワ農村生計の変化について明らかにすることを目的とする。<BR> 調査対象地域は,西ジャワ州ボゴール県スカジャディ村である。当村は,ジャカルタの南60km,ボゴールの南西10km,サラック山北側斜面の標高470~900mに位置し,ボゴールからミニバスで約1時間の道のりにある。村の総面積3.0km<SUP>2</SUP>の内,水田は1.6km<SUP>2</SUP>,畑地は1.1km<SUP>2</SUP>を占める。主な生産物は,水稲および陸稲,トウモロコシ,サツマイモ,キャッサバ,インゲンなどであり,調査対象世帯(RW4,RT3,4の全85世帯)では,副業を含め世帯主の40%が農業関連業に就業している。しかし,対象世帯の内,水田を経営しているのは19世帯に過ぎず,比較的農業収入の割合が高い水田経営世帯についてさえ,農業収入は50%を下回っており,対象地域における世帯収入構成において非農業が占める割合は高いといえる。2005年8月,および2006年12月に,上記の調査対象世帯を戸別訪問し,世帯主の都市就業経験を含む就業の時系列的変化と世帯のライフヒストリーに関する聞き取り調査をそれぞれ行った。<BR> 調査結果から,当村における世帯の経済状況や生計はライフサイクルによりかなり規定されていることが明らかとなった。ライフヒストリーにおける世帯の経済状況の好転理由,悪化理由については,それぞれ約50%の世帯が,「子供の就業(好転)」,「子供の就学(悪化)」などの世帯のライフサイクル上の変化や世帯構成の増減などを理由として挙げている。ただし,世帯生計の維持,拡大の手段は階層によって差異がみられる。大規模な水田を所有する親族集団は,土地や教育などの資産への投資,蓄積が世代を超えて行われる一方で,小規模な水田しか持たない親族集団や水田非所有親族集団は,多就業による一時的な生計の拡大に留まり,長期的な資産の蓄積が進んでいない。<BR> 1980年代後半以降,当村においても都市との移動労働の拡大が進み,20代,30代の世帯主の70%以上を都市就業者もしくは都市就業経験者が占めている。移動労働の拡大は,子供の増加,就学により世帯の経済状況が悪化する時期に当たるこれらの世代の世帯所得を改善している。このような傾向は全ての親族集団にみられるが,子女への教育という人的資源の蓄積に勝る大規模水田所有集団はより高賃金で安定的な職業へのアクセスが可能である。ライフステージや生計構成が異なる親族世帯間の互恵的関係は,親族集団内における経済的差異を緩和する方向へ働いていることが確かめられた。しかし,上記のように,西ジャワ農村においても,資産の蓄積状況やアクセス可能な活動に関して親族集団間に差異がみられ,1980年代後半以降もそれらは時系列的に再生産され,引き継がれているといえる。<BR><BR>水野広祐 1999.『インドネシアの地場産業-アジア経済再生の道とは何か?(地域研究叢書 7)』京都大学学術出版会.
著者
丹羽 雄一 須貝 俊彦 松島 義章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに <br> 三陸海岸は東北地方太平洋岸に位置する.このうち,宮古以北では,更新世の海成段丘と解釈されている平坦面が分布し,長期的隆起が示唆される.一方,宮古以南では,海成段丘と解釈されている平坦面があるが,編年可能なテフラが見られない.これらの平坦面は,分布が断片的であり連続性が追えないこと(小池・町田編,2001)も踏まえると,海成段丘であるか否かも定かではない.すなわち,三陸海岸南部の長期地殻変動は現時点で不明である. 三陸海岸南部には,小規模な沖積平野が分布する(千田ほか,1984).これらの沖積平野でコア試料を採取し,堆積物の年代値が得られれば,平野を構成する堆積物の特徴に加え,リアス海岸の形成とその後の埋積,平坦化の過程を検討できる可能性が高い.リアスの埋積・平坦化過程の復元は,長期地殻変動の解明につながると期待される.本研究では,気仙沼大川平野において掘削された堆積物コアに対して堆積相解析および<sup>14</sup>C年代測定を行い,完新統の堆積過程,および完新世全体として見た地殻変動の特徴について論ずる.<br><br>2. 調査地域概要 <br> 気仙沼大川平野は気仙沼湾の西側に位置し,南北約2 km,東西4 kmの三角州性平野である.気仙沼大川と神山川が平野下流部で合流して気仙沼湾に注ぐ. <br><br>3. 試料と方法<br> コア試料(KO1とする)は,気仙沼大川平野河口近くの埋立地で掘削された.KO1コアに対し,岩相記載,粒度分析,<sup>14</sup>C年代測定を行った.岩相記載の際,含まれる貝化石の中で可能なものは種の同定を行った.粒度分析はレーザー回折・散乱式粒度分析装置(SALD &ndash; 3000S; SHIMADZU)を用いた.<sup> 14</sup>C年代は13試料の木片に対し,株式会社加速器分析研究所に依頼した. <br><br>4. 結果 <br> 4.1 堆積相と年代 <br> コア試料は堆積物の特徴に基づき,下位から貝化石を含まない砂礫層を主体とする河川堆積物(ユニット1),細粒砂からシルト層へと上方細粒化し,河口などの感潮域に生息するヤマトシジミや干潟に生息するウミニナやホソウミニナが産出する干潟堆積物(ユニット2),塊状のシルト~粘土層を主体とし,内湾潮下帯に生息するアカガイ,ヤカドツノガイ,トリガイが産出する内湾堆積物(ユニット3),砂質シルトから中粒砂層へ上方粗粒化を示すデルタフロント堆積物(ユニット4),デルタフロント堆積物を覆いシルト~細礫層から構成される干潟~河口分流路堆積物(ユニット5)にそれぞれ区分される.また,ユニット2からは10,520 ~ 9,400 cal BP cal BP,ユニット3からは8,180 ~ 500 cal BP,ユニット4からは280 cal BP以新,ユニット5からは480 cal BP以新の較正年代がそれぞれ得られている. <br> 4.2 堆積曲線 <br> 年代試料の産出層準と年代値との関係をプロットし,堆積曲線を作成した.堆積速度は,10,000 cal BPから9,700 cal BPで約10 mm/yr,9,700 cal BPから500 cal BPで1 &ndash; 2 mm/yr,500 cal BP以降で10 mm/yr以上となり,増田(2000)の三角州システムの堆積速度の変化パターンに対応する.<br><br>5.考察 <br> コア下部(深度38.08 &ndash; 35.38 m;標高&minus;36.78 &ndash; &minus;34.08 m) は潮間帯で生息する貝化石が多産する層準である.また,この層準の速い堆積速度は,コア地点が内湾環境に移行する前の河口付近の環境で,海水準上昇に伴い堆積物が累重する空間が上方に付加され,その空間に気仙沼大川からの多量の土砂が供給されることで説明がつく.すなわち,この区間(10,170 &ndash; 9,600 cal BP)における堆積曲線で示される堆積面標高は,当時の相対的海水準を近似すると考えられる. <br> 一方,地球物理モデルに基づいた同時期の理論的な相対的海水準は標高&minus;27 ~&minus;18 mに推定される(Nakada et al., 1991; Okuno et al., 2014).コアデータから推定される約10,200 ~ 9,600 cal BPの相対的海水準は,ユースタシーとハイドロアイソスタシーのみで計算される同時期の相対的海水準よりも低く,本地域の地殻変動を完新世全体としてみると,陸前高田平野で得られた結果(丹羽ほか,2014)と同様に沈降が卓越していたことが示唆される.コア深度36.13 m(標高-34.83 m)で得られた較正年代(9,910 &ndash; 9,620 cal BP)を基準にすると,当時の相対的海水準の推定値(堆積面標高)と理論値の差から,完新世全体として見た平均的な沈降速度は0.9 ~ 1.8 mm/yr程度と見積もられる.
著者
藤岡 悠一郎 高倉 浩樹 後藤 正憲 中田 篤 ボヤコワ サルダナ イグナチェワ ヴァンダ グリゴレフ ステパン
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100094, 2017 (Released:2017-05-03)

1.はじめに 気候変動や地球温暖化の影響により、シベリアなどの高緯度地方では永久凍土の融解が急速に進行している。そのプロセスやメカニズムは、地域ごとに固有の自然環境や社会環境要因によって異なり、各地域における現状や環境変化のメカニズムを把握する必要性が指摘されている。また、そのような環境変化に適応した生業・生活様式を検討し、社会的なレジリエンスを高めていくために、地域住民や行政関係者、研究者などの多様なステークホルダーが現状や地域の課題を認識する必要がある。本研究チームでは、現地調査によって気候変動の影響を明らかにすることと、その過程によって明らかになった諸科学知見を、教育教材の作成を通じて地域住民に還元することを目的として共同研究を進めている。そして、2016年から自然系科学者と人文系科学者との共同調査を東シベリア・チュラプチャ地域において開始した。本発表では、現地の住民が地域で生じている環境変化をどのように認識しているのかという点に焦点を絞り、結果を報告する。 2.方法 2016年9月にロシア連邦サハ共和国チュラプチャ郡チュラプチャ村(郡中心地)において現地調査を実施した。衛星画像を基に現地踏査を実施し、永久凍土融解の実態を把握した。また、チュラプチャに暮らす住民5名を対象にトピック別のグループ・インタビューを実施し、彼らの認識について把握した。さらに、チュラプチャ村近郊のカヤクスィト村において、現地観察および住民に対する聞き取り調査を実施した。 3.結果と考察 1)チュラプチャ村と周辺地域では、永久凍土が融解することによって形成されるサーモカルストが顕著に発達していた。現地踏査の結果、耕作放棄地において融解の進行が顕著であった。また、耕作放棄地に住宅が建築された場所では、住居近くにサーモカルストが形成され、盛り土などの対応を迫られていた。 2)住民は永久凍土の融解がこの地域で広域的に進行していること、特に耕作放棄地で融解が深刻であり、タイガのなかでも部分的に認められること、融解が2000年頃から急速になったことなどを認識していた。本地域における環境変化の問題としては、永久凍土の融解に伴う住宅地の盛り土の必要性や農業・牧畜に対する問題が語られたが、同時に、降水量の減少による干ばつの発生や雪解け時期の早まりなどの問題も重要視されていた。 3)融解の速度が場所によって異なる点について、住民はそのメカニズムを認識していた。例えば、耕作地では、畑を耕起することで土壌表層に空気が入り、断熱材代わりとなって熱が永久凍土に伝わりにくく、耕作放棄地では土壌が圧縮されることで熱が地中まで伝わり、サーモカルストが発達することなどが指摘され、ソ連崩壊やソフホーズの解体が遠因であるとの認識が示された。今後、自然系の研究成果との関係などを考察し、教材としてどのような知見を共有していくのか、検討していく予定である。 付記 本研究は、北極域研究推進プロジェクト(ArCS)東北大学グループ「環境変化の諸科学知見を地域住民に還元する教育教材制作の取組」(代表 高倉浩樹)の一環として行なわれている。
著者
町田 貞
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.60, no.10, pp.637-642, 1987-10-01 (Released:2008-12-25)
被引用文献数
1 1

In this paper, the position of geomorphology in the area of geography in Japan and the recent trend of Japanese geomorphology are discussed, judged from the papers published in Geographical Review of Japan (Chirigaku Hyoron). Since the establishment of the Association of Japanese Geographers in 1925, geomorphology has been a main object of study in the field of geography in Japan. Immediately after 1945, geomorphological studies have become conspicuously active in comparison with other fields in the physical geography, and quantitative researches of fluvial and marine deposits such as gravel analysis and the studies of mechanism of the formation of geomorphoic surfaces made rapid progress particularly from 1950 to 1960. At that time, depositional topographies were paid more attention to than erosional topographies. As is well known, the Japanese Islands belong to an orogenic zone showing many topo-graphic features affected by crustal movements in the recent geological periods. Therefore, Japanese geomorphologists have paid much attention to the relationship between landforms and crustal movements. After 1950, active faults have been investigated by many geomor-pholcgists in Japan. Recently, systematic approaches of active faults of Japanese Islands appeared and the result was published as Active Fault of Japan (1985). Around 1960, papers of the geomorphic history in Holocene and Pleistocene were intensively published in Geographical Review of Japan. One of the typical examples of such researches is a study of geomorphic history of the Kanto Plain, which became a standard region of Quarternary Chronology in Japan, using a tephrochronological method. On the other hand, quanti-tative and experimental studies of the external agencies on the depositional and erosional forms are also actively carried out. It is worthy of note that the relations between processes and land forms are precisely examined. At present, notable is the progress of general geomorphology, such as studies on mech-anisms and processes of the formation of landforms, experimental geomorphology, climatic gecmorphology as well as tectonic geomorphology and geomorphic chronology, in Japan. Thus, contents of Japanese geomorphology have a wide variety. However, papers on re-gic-nal geomorphology has been very few, contrary to those on general geomorphology. From the viewpoint of geography in Japan, this tendency is not desirable. In recent years a store of topographic knowledge has been accumulated in various parts of Japan. Japanese geomorphology is now considered to have reached a step to make a systematic regional geomorphology of Japan from a standpoint of geographical philosophy.
著者
平野 昌繁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.5, pp.324-336, 1966
被引用文献数
8 4

A mathematical model of slope development is summarized by the relation<br> _??_<br> where <i>u</i>: elevation, <i>t</i>: time, <i>x</i>: horrizontal distances, <i>a</i>: subdueing coefficient, <i>b</i>: recessional coefficient, <i>c</i>: denudational coefficient and <i>f</i> (<i>x</i>, <i>t</i>): arbitrary function of <i>x</i> and <i>t</i>, respectively. Effects of the coefficients are shown in figs. 1-(A), (B) and 2-(A).<br> In order to explain the structural reliefs, the spatial distribution of the rock-strength against erosion owing to geologic structure and lithology is introduced into the equation by putting each coefficient equal a function, in the broadest sence, of <i>x</i>, <i>t</i> and <i>u.</i> Two simple examples of this case are shown in fig. 5.<br> The effects of tectonic movements, for instance of faulting, are also introduced by the function <i>f</i> (<i>x</i>, <i>t</i>), which is, for many cases, considered to be separable into <i>X</i> (<i>x</i>) and <i>T</i> (<i>t</i>), where <i>X</i> (<i>x</i>) and <i>T</i> (<i>t</i>) are functions of <i>x</i> only and <i>t</i> only, respectively. An attempt to classify the types of <i>T</i> (<i>t</i>) has been made.<br> Generally speaking, provided the coefficients <i>a</i>, <i>b</i> and <i>c</i> are independent of <i>u</i>, the equation is linear and canbe solved easily. With suitable evaluation of the coefficients (as shown, for example, in fig. 4-(A)), this linear model can be used to supply a series of illustrations of humid cycle of erosion, especially of the cycle started from faulting.
著者
平野 昌繁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.9, pp.606-617, 1966
被引用文献数
1

斜面発達とくに断層崖発達に関する数学的モデルを論じた時には,斜面発達の数学的モデル化の大綱をのべるにとどまったから,ここでは数学的モデルにおける侵蝕係数の比,有限山体のモデル化,特別な境界条件の例,先行性河谷の例,斜面形の分類などについて, 2次元化された抽象的な斜面としてとりあつかう.この立場では,斜面は対称斜面と非対称斜面に2分され,後者はさらに凸型斜面と凹型斜面,不規則斜面に細分される.これらは何れも衝撃的隆起のあとにあらわれる斜面形であるが,そうでない場合にはことなった斜面形があらわれる.
著者
吾妻 崇 太田 陽子 小林 真弓 金 幸隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.5, pp.365-379, 1996-05
参考文献数
12
被引用文献数
1

The Nojima earthquake fault appeared along the recognized active fault in the northwestern part of Awaji Island in association with the 1995 Hyogoken-Nanbu Earthquake. This earthquake fault is dominated by right-lateral offset (max. 1.7m), with a high-angle reverse fault which has a maximum verlical displacement of 1.3m uplift on the southeastern side. We have repeated the measurement of seven profiles of the fault scarp at two areas (Hirabayashi, Ogura). The fault scarp of the Hirabayashi area (profiles 1-4) is composed of the Plio-Pleistocene Osaka Group at the base and is overlain by an unconsolidated gravel bed at the top. The Ogura area (profiles 5-7) is entirely underlain by the Plio-Pleistocene Osaka Group. The fault scarp in these two areas is characterized by an overhanging slope due to thrusting of the upthrown side. Scarp retreat at Hirabayashi occurred in association with the sudden collapse of the gravel bed and proceeded more quickly than at Ogura, where fault scarp retreat proceeded by exfoliation of the fault plane as well as partial collapse of the Osaka Group. These facts strongly indicate that the lithological control is most significant for the formation of original fault scarp as well as retreat. The retreat of fault scarp was very slow after March to June at Hirabayashi and June to July at Ogura, and proceeded more quickly than some of seismically generated normal faults.
著者
小林 優一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

我が国の地域医療計画の現状として、制度に明記された文言の背景には、医療圏の定量的な評価が必要だとされているが、GISによる分析技術の普及前は行政区域による圏域設定が一般的であった。本稿では、GISによる診療圏分析を行うことで、神奈川県次期「地域医療計画」へ医療圏域内外のアクセシビリティの分析手法のひとつとして、GISがどの程度、実証的に分析出来得るのかを示した。 <br> 地域医療計画の最新の政策動向としては、厚生労働省(2012)次期医療計画の作成指針に「自然的社会的条件を無視した医療圏設定になる可能性が有ること。」が指摘された。だた、先行研究より、医療圏再設定の条件として示されている①人口規模や②流出入率の具体的な数字に関し、根拠と成り得る資料等は無いことが分かった。本稿では、医療圏域の設定の評価を行う前段階として、先ず神奈川県内の医療圏域(全11医療圏)の構造を分析する為に、日常生活圏を設定し、GISを用いて医療施設から到達圏分析を行った。<br> 高齢者の日常生活圏は、石原(1984)、登張ら(2003)(2004)を参考に、大都市部・地方部問わず、時速3km/h(徒歩速度)で500m圏内に設定した。これらの結果から研究対象地域の病院・診療所からの時間距離の10分を日常生活圏として設定し、到達圏分析を行った。次に、田中(2001)を参考に、如何なる移動手段を用いても、日常生活圏に関しては、医療機関から30分圏域を移動に伴う最長時間と設定し、医療機関からの道路ネットワークを用いて到達圏を分析した。<br> また、神奈川県全域の医療機関、病院(全343施設)・クリニック(全6544施設)を対象に、標榜出来る診療科33科ごとに到達圏分析を行った。その結果、神奈川県では、「人工透析施設」が横須賀三浦地区で不足している点が分かった。神奈川県次期「地域保健計画」中に、人工透析が可能な施設数が相対的に不足していることから、その事実を加筆し、今後の対策を同時に考えていく必要性があることを指摘したい。<br> 最後に、今後の人口構造の変化に伴い、病院間の統合や新設に関する議論が活発に進んでくることが予想される。この時流に従い、本稿では、計画予定の交通インフラ拡張及び病院新設の神奈川県藤沢市の事例を参考に、当該地区のアクセス構造の変化について、GISを用いて分析した。その結果、湘南藤沢記念病院(仮称)から距離にして30分圏域に藤沢市全域で高齢者人口数が相対的に多い沿岸部、つまり片瀬江ノ島周辺地区まで、到達圏域が拡張されたことが分かった。 <br> &nbsp;
著者
守屋 以智雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.75, 2008 (Released:2008-11-14)

複成火山は溶岩原・楯状火山・成層火山・カルデラ火山に分けられるが,大量の玄武岩質溶岩流が繰り返し流出することで生じた溶岩原の地形発達について,アメリカ合衆国(USA)西南部,アラビア半島,アフリカ東部,アイスランドなどの溶岩原などを例に比較検討した結果をのべる.日本列島に溶岩原は存在しないが,世界的に見てその分布は広い.インド・デカン高原,USA北西部Columbia 川などの第三紀溶岩台地は浸食作用で溶岩原が台地化したものである.主としてアリゾナ・ニューメキシコ州を中心に,平均層厚100-500m, 面積50-100km平方,体積100-1000km3,寿命100-1000万年前の時空規模をもつ溶岩原が活動を継続している.この規模は日本列島の成層火山と比較して,いずれも10―数10倍に達し,1桁以上大きい.これは本地域と日本列島下のマグマ形成・上昇・噴出機構・過程・環境の違いを示唆する.同格の複成火山として一括分類することに問題がある.個々の溶岩原には多様性がある.Banderier, Geronimoなどの溶岩原は単成火山であるスコリア丘・小型楯状火山から流出した玄武岩質溶岩流が集合して広大な溶岩原を形成している.San Francisco, Taos, Raton-Clayton溶岩原は,Banderier, Geronimoなどの溶岩原に似た土台の中心に流紋岩質溶岩ドーム・安山岩質成層火山が形成されている.流紋岩質火砕流・溶岩ドームを噴出したVallesカルデラ火山の周囲に溶岩原の一部が散在し,土台に溶岩原が存在したことを示すが,さらに,堆積物から成層火山が存在したことも報告されている(Smith and Bailey, 1968).これらをまとめるとUSA西南部の溶岩原はBanderier, Geronimo型→San Francisco, Taos, Raton-Clayton型→Valles型へと変化しているように見える(守屋,1985).ただRaton-Clayton溶岩原は初期にデイサイト質溶岩ドームが噴出,その後断続的溶岩原成長と平行して流紋岩質溶岩ドーム,安山岩質成層火山が形成されたという発達史をもち,守屋 (1985)の溶岩原発達図式ですべてが説明できるとは限らないことを示す. アラビア半島の溶岩原は約3000万年前に始まった割れ目拡大によって紅海が形成される際に,大量の玄武岩質溶岩流出が周辺に起こったが,その余燼は現在も残り,紅海沿岸・アデン湾沿岸に27個のアルカリ玄武岩質溶岩原・小型単成火山群が形成されている.シリア・ヨルダンにまたがるJabel ruse, Ha’il, Jawfなどの溶岩原はアルカリ玄武岩質スコリア丘・小型楯状火山とそれらから流出した溶岩流の集合体で,USA西南部の溶岩原はBanderier, Geronimo溶岩原とほぼ同じと考えられる.メッカ・メディナ市に近いE Harat 溶岩原北部には黒色アルカリ玄武岩質溶岩流の間に,白色のフォノライト質火砕流を噴出した径3kmのカルデラが存在する.より南のイエーメン・サナア市東方には白色フォノライト質溶岩ドーム,火砕流堆積物が広がる.エチオピアAfar三角帯に多く分布するErta Aleなどの溶岩原はBanderier, Geronimo型が多いが,成長とともに楯状火山が形成されることもある.数は少ないが成層火山をもつ溶岩原も存在する.Barberi and Carey (1977) は溶岩原→楯状火山→成層火山という発達図式を提案している.ケニア・タンザニア付近の地溝帯にはNgorongoroなどフォノライト・トラカイト質溶岩流・火砕流を噴出したカルデラがあり,多様性に富む.プレート拡大軸上にあるため,玄武岩質マグマがもっとも盛んに噴出する世界でも有数の地域で,割れ目の両側に溶岩流が広大な溶岩原を形成する.溶岩が流出する割れ目上には玄武岩質のスコリア丘・スパター丘列が30-40kmにわたってのびる.このような割れ目火山が多いアイスランドでは,個々の火山の境界を地形的に認定することが非常に難しい.Askya, Heklaなど特定割れ目からの繰り返し噴火によりマグマ溜まりが形成され,流紋岩質マグマを放出ようになると楯状火山として認定可能になる.溶岩原は次のような別種の単成火山・複成火山をもつ4つのタイプに細分されるー_丸1_玄武岩質小型単成火山のみ _丸2_小型単成火山+玄武岩質楯状火山 _丸3_小型単成火山+楯状火山+安山岩質成層火山 _丸4_小型単成火山+成層火山+流紋岩質カルデラ火山.これらは時系列的に発達した一連のグループと見なせると考えたい._丸2_-_丸4_の溶岩原は複数の複成火山から構成されることから,単成火山より2つ,複成火山より1つ格上の重複成火山と呼びたい.
著者
川浪 朋恵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.118-135, 2016
被引用文献数
2

<p>日本における世界遺産登録は,地域資源の価値の評価と保存・保全への担保という性格だけでなく,地域資源と観光とのより強固な結合という性格も有する.2011年6月に日本で4番目の世界自然遺産に登録された小笠原諸島においても,登録が観光に大きな影響を与えた.本稿では,世界遺産登録前後の観光客について,その数の変化と,属性・観光行動などの質的変化を明らかにした.その結果,登録によって,全国的に知名度が上がり,急激な観光客の増加が見られた一方で,受入数の制限から,観光客の入替わりが起こり,リピーターの減少,初訪問者の増加,一人旅の減少などの属性の変化のほか,滞在の短期化やツアーへの参加率の上昇,トレッキングの人気,物見遊山的な行動など,観光行動も変化した.世界遺産登録は,観光地としての小笠原諸島に強力な付加価値を生み出すとともに,そこに引きつけられる観光客を変化させたことが示された.</p>
著者
関戸 明子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.252, 2009

明治43(1910)年、群馬県が主催し、関東1府6県、甲信越3県、秋田を除く東北5県が参加した1府14県連合共進会が前橋市を会場に開催された。この連合共進会は、関東地方で開催されたものとしては過去最大規模であった。<br> この共進会に合わせて、群馬県教育品展覧会が開催された。この展覧会は、群馬県教育会の前身である上野教育会が主催したもので、会場は高崎中央尋常高等小学校、開催期間は57日間、入場者は11万人を超えた。展覧会には、教具・器具・資料など25,689点が出品された。<br> 教育品展覧会の出品物は「十の八九は教育者の熱心なる考案製作蒐集施設研究調査の結果にして、従来往々諸処の展覧会が生徒の成績品を以て場の大部分を填めたる如きと頗る其の趣を異にせり。……本県全町村の郷土誌は学校職員と役場員との共同の編纂に成れるものにして、多大の労力と時間とを要せしものなり」(下平末蔵「明治四十三年が与へたる活教訓」上野教育278、1910、pp.1-5)と位置づけられている。<br> 郷土誌は、修身・国語・算術・歴史・地理・理科といった初等教育に設けられた19のカテゴリーの一つとして展示された。『群馬県教育品展覧会目録』には、市町村単位の郷土誌119点が記載されている。10月21日と23日の『上毛新聞』に掲載された記事「展覧会場一巡」によれば、156点の郷土誌が出品されていたことが確認できる。こうした点数の違いは、郷土誌の完成が遅れて追加出品されたことなどで生じたと思われる。<br> これらの郷土誌は、明治42(1909)年9月の県知事の訓令によって編纂されたもので、当時208あった市町村のうち、半数以上で所在が確認されている。この訓令には、市町村長・小学校長は別紙目次により明治43(1910)年6月30日までに郷土誌を調製して市町村役場と市町村立小学校に備え付けることとあるだけで、目的などは明記されていない。郷土誌の目次としては、自然界が地界・水界・気界・動物・植物・鉱物の6章と14節、人文界が戸口・教化・郷土ノ沿革・官公署・風俗習慣・村是規約条例等・経済の7章と29節39目を掲げている。<br> この目次のうち、人文界の第7章「経済」・第8節「郷土ノ公経済」には、地租・耕地・小作料・生産額・消費額・基本財産などに関して15目のデータの収録を求めており、編纂当初より単なる教授資料の調製だけを目的に、この事業が企図されたとは考えにくい。郷土誌は、県レベルや郡レベルでも作られてきた。そのなかで、この編纂事業が町村を範域としたことは、地方改良運動の展開期に行われたことと結びついていると考えられる。このことは、郷土誌を県に提出するのではなく、小学校と役場に備え付けるように命じた点からも推察される。<br> 日露戦争後、地方の疲弊が顕在化するなか、明治41(1908)年10月に戊申詔書が発せられた。これは、国運の発展のために、上下一致して勤勉倹約することなどを説き、地方改良運動を支える精神的な柱となった。これを受けて群馬県では、翌年3月に戊申会が結成され、詔書の奉読が各地で行われた。戊申会成立の準備段階で作られた「群馬県斯民会準條」には、精神教育の奨励、道徳と経済の調和、教育産業の発達、地方自治の向上を目的とすると記されている(『雑事綴(戊申会庶務係)』群馬県立文書館所蔵)。明治42年9月に始まる郷土誌編纂事業もこうした流れを受けたものであろう。<br> その後、明治45(1912)年6月に、郷土誌を初等教育と自治民育とに活用するため県知事の訓令が出された。この訓令は、群馬県報で27頁にも及ぶ詳細なもので、郷土誌の利用方法として7点を掲げている。そのなかには、市町村自治行政上の方針を立てるには資料を郷土誌に採ること、市町村民の指導教化の材料として郷土誌を十分に利用することなどとあり、教育だけでなく地方自治にも活用することを求めている。さらに、「郷土ノ公経済」の項目には、町村の富の程度を他町村と比較し、生産・消費の額を明らかにし、輸出入の過不足を調査し、町村民の自覚と発奮を促し、富の増加を計るべしとある。<br> 郷土誌の編纂とその展覧は、その出来不出来を一覧する機会となった。そこで、町村相互の競争を求めつつ、郷土に役立つ人材の育成を期待したものと考えられる。この時期、国家を支える基盤となる地方行財政の強化を急務としていたため、郷土は町村という具体的な範域をとったといえる。