著者
村田 喜代治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.219-230, 1958

1. It follows from the very nature of a science that until it has reached a certain stage of development, definition of its character is necessarily impossible. But once this stage of development has been reached not only is it not waste of time to investigate precise chracter; it is waste of time not to do so. (L. Robbins) By the way Prof. E. G. R. Taylor stated once &ldquo;What have they dooe ? This was the question derisively asked by the educated public about the Fellow of Royal Society in the early years of their incorporation. It is asked today, and in the same mocking spirit, about geographers&rdquo;. To answer the above question it will be usefull to show the actual works done by many geographers. At the same time, however, geographers also must attempt methodological examination. Because as mentioned above, in case a science has reached a certain stage of development, its further development and repletion of its contents are to be accomplished by methodological examination but not only by trial and error.<br> 2. The writer's methodological examination is first directed to views stated in &ldquo;American Geography&rdquo;. In this book Prof. P. E. James shows three contributions of geography. (cf. p. 6) The writer has some questions of the foundation of his views. His first and second items assert to apply practically the concepts and principles provided by other systematic sciences, therefore the writer understands that he characterizes geography as the applied branch of other sciences with theory like the applied chemistry as against the theoretical chemistry. Such understanding leads me to the conclusion that the third asserrtion has no substantial meaning because it remains simply as an applied perspective. Then what is the reason why Prof. James venture to express his views without considering the theoretical basis underlying them? To me such a logical confusion seems to arise from some sort of belief that &ldquo;area&rdquo; is a peculiar objective accepted only in the field of geography. To the geographers who have such a belief, so far as their study is concerned with area, it is geography science even if it gets some benefit by the result of other sciences. But there are some questions on area. They are; (1) the concept and treatment of area is not exclusive possession of geography (e. g. as indicated by Prof. R. B. Hall), (2) it is a created intellectual concept (e. g. Prof. D. Whittlesey), (3) it is genetically a product which was brought as the result to avoid inpetous conclusion by environmentalism. So far as these views are admitted, the writer can say on each of them as following; (1) It seems to me that the view intending to characterize the geography only by connection with area has no scientific foundation. So far as the surface of the earth is the stage of human activities, it will be a common field of many sciences, and it is natural that many other sciences have some interest on the approach. Thus it is clear that area is not monopoly of geography.<br> (2) If area is a created intellectual concept then what is its substantial content? As Prof. H. H. McCarty stated economic geography &ldquo;derives its concepts largely from the field of economics, &rdquo; economic geographers, almost always treat economical phenomena by using concepts of economics. Therefore the writer can say that concrete contents of economic area are agglomeration of economic phenomena studied in economics. The fact that systematic and topical approaches are used in economic geography as well as regional approach, means that the contents of area substantially make those approaches indispensable. The systematic approach means, for instance, that economic geography must depend on the economics, consequently it must have stand-point of economics to areal study.<br> (3) So far as the area is a product to avoid the defect of environmentalism, it is not an objective but genetically a means of environmentalistic approach.
著者
齊藤 由香
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1,アンダルシア自治州の景観政策</b></p><p> 景観法をもたないスペイン・アンダルシア自治州では,景観政策は環境,文化,地域計画など景観との関連の深い政策領域において個別に進められきた。ゆえに,景観のとらえ方や政策的介入のあり方は分野によって大きく異なっている(齊藤,2019)。今回はとくに文化財政策にフォーカスし,景観の観点から行われている政策的介入の事例として,世界遺産「アンテケラのドルメン遺跡」(2016年7月登録)の景観マネジメントを取り上げる。この考古遺跡の有する景観的価値がどのように見出されたのか,それを可視化し社会と共有するため,どのような政策的介入が行われてきたのかを明らかにすることで,文化遺産の景観マネジメントの意義を問うことが本研究の目的である。</p><p></p><p><b>2.アンテケラのドルメン遺跡の景観的価値</b></p><p> 「アンテケラのドルメン遺跡」には,メンガ,ヴィエラ,エル・ロメラルの3つの巨石建造物に加え,2つの山が含まれる。一般に西ヨーロッパのドルメンの方向設定が天体の動きに関連付けられるのに対し,アンテケラの場合メンガとエル・ロメラルは各々,この地域の象徴的なランドマークである「恋人たちの岩山」とカルスト地形の山エル・トルカルの方向を向いている。こうした地上の自然物に向けられた独特な方向設定は,当時の人々が周辺環境をいかに認識していたのかという,彼らのコスモロジーを理解する上で重要な要素であり,世界遺産が有するべき「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)」として認められた。すなわち,アンテケラのドルメン遺跡は文化財そのものだけではなく,巨石建造物と自然のモニュメントの間に構築された景観としてとらえ直すことで,その遺産的価値が再評価されたといえる。</p><p></p><p><b>3. アンテケラのドルメン遺跡に対する景観的介入</b></p><p> 世界遺産登録以前,景観の観点から行われた最初の政策的介入は,メンガ遺跡を森のように覆っていたマツの木をすべて伐採することであった(2004年)。この遺跡最大の価値であるドルメン遺跡と自然環境との関係性を可視化するためには,メンガ遺跡と「恋人たちの岩山」の間の見通し(intervisiblidad)を確保することが不可欠と考えられたからである。さらに,この遺跡が有する景観的価値を再解釈する試みとして,アンダルシア歴史遺産院と景観地域研究所の共同による調査研究が行われた(2011年)。</p><p> 世界遺産登録後は,UNESCOからの指導と要請を受けながら,とくにドルメン遺跡とその周辺の景観の保護・向上を目的としたマネジメントに主眼が置かれている。具体的には,1980年代メンガ遺跡と「恋人たちの岩山」の間に設置されたミュージアムの修景,世界遺産登録前に建設された工業団地の景観インパクトを軽減するための植栽作業,都市計画における用途地域の変更などが挙げられる。また,2019年夏からは遺跡を夜間公開し,市民にドルメン遺跡の景観的価値を体感してもらうための試みとして野外フェス「Menga Stones」を開催している。</p><p></p><p><b>文献</b></p><p> 齊藤由香 2019.スペイン・アンダルシア自治州の景観政策—自治州各省庁による施策の総合化の試み—.日本地理学会2019年春季学術大会(ポスター発表)</p>
著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>Ⅰ 本報告の背景とねらい</b><br>少子高齢化に悩む多くの市町村は、他地域からの移住者を定住させる取り組みを重要施策として掲げ、移住説明会や移住体験会等を実施する市町村も増えてきた。しかし、農山村地域に移転・定住した人々の多くは、定年者や早期退職者であり、地域産業の担い手育成や人口の再生産には結びつかない。一方、子育て中あるいはこれから子育てをする若年層の移住は、満足のいく住まいや保育・教育施設、就業先がみつからないことが障害となって、なかなか進まない。こうしたなかで、全国有数の高齢化である山口県大島郡周防大島町では、「周防大島町定住促進協議会」を発足させて、官民が一体となって受け入れ体制を整えており、2012~13年には2年連続で社会増となった。本報告では、若年層の移住者への聞き取り調査をもとに、移住に至るまでの経緯や、移住者が挑戦しているさまざまな取り組み、島における移住者の役割について考察した。<br><b>Ⅱ 移住前の状況と移住の動機</b><br>聞き取り対象者10名のうち6名は親戚や妻の父か母が周防大島の出身者であり、その他は新規就農者フェアや島づくりのためのイベントで周防大島出身者と知り合ったのが島を知るきっかけであった。移住の動機は全員が移住後に従事している職業をしたいためであった。また関東圏から移住した2名は東日本大震災後に放射能の影響を受けない地域で子どもを育てたいことが、移住を急ぐ動機となった。東日本大震災以降はこうした「放射能避難民」が急増しており、社会増をもたらした一因にもなっている。<br><b>Ⅲ 住まいの確保と移住後の就業状況</b><br>移住後の住まいは、親類や親がいる場合、それらの所有物件や、親類や親の知り合いが所有している家屋であった。その他は、島の知り合いか定住促進協議会の仲介で、空き家を探して住んでいた。移住後の職業は農業が4名、漁業が1名、養蜂業が2名、設計士+ジェラート専門店1名、ジャム専門店1名、ポータルサイト運営者+観光協会1名であった。農業をしている4名のうち、2名は農学部出身者で農業に関する知識があったが、他の2名の前職はイベントプランナーとミュージシャンで、農業経験はなかった。農業以外に従事している6名の前職は旅行会社社長、CM制作者、ホテルマン、設計士、電力会社社員、情報通信関係企業の社員で、設計士以外は前職と無関係であったが、養蜂業の2名は退職後に農家や父親の養蜂業の手伝いをした経験があった。<br><b>Ⅳ 島の産業再生に寄与する移住者</b><br>今回対象とした移住者全員が、インターネットを島での生活や仕事にとって欠かせないツールと考えていた。業務上では①島で入手しにくい業務用資材の購入、②生産技術や市況等の情報収集、③独自の生産方法や商品のPR、生活上では①島にない生活雑貨等の購入、②島で安く入手できない商品の購入に多用されていた。 しかし、大部分がネットで物を販売するには否定的であった。彼らは、島の恵みを活かした農産物、ジャム、ジェラートを作りたい、移住時から今日に至るまで世話になっている島民と共に歩みたい、という思いが強い。このため、生産物も可能なかぎり島内のチャレンジショップや「道の駅」、近隣の有機農産物販売店等で売り、訪れる観光客に周防大島の良さを伝えたいと考えている。また、農業や養蜂業に従事している移住者は、耕作放棄地や遊休地も活用して有機農業や観光農園等に取り組んでおり、地域産業の再生にも寄与する存在になりつつあるといってよい。
著者
成瀬 厚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.108, 2011

I はじめに下北沢は演劇の街でありながら,近年では音楽ライヴを提供する店舗の集積により,音楽の街としての様相を呈してきている。毎年7月にはそのライヴ施設の集積を活かした「下北沢音楽祭」が開催されている。一方,下北沢の街はここ数年,「都市計画道路補助54号線」と駅前広場を含む「区画街路10号線」の建設計画をめぐって様々な動きが展開している。本報告では,下北沢でライヴ活動を行っているミュージシャンたちを取り上げ,かれらの下北沢との関わりについて考察する。特に,この建設計画をめぐる動きが顕著であった2005年を中心にミュージシャンたちのこの街との関わり方を明らかにしたい。II 音楽的社会関係2005年の5月に雑誌『SWITCH』は「下北沢は終わらない」という特集を組んだ。芸能界からは,この街で生まれ育った小池栄子,演劇界からは原田芳雄が登場し,作家の片岡義男はこの街を舞台とする短編小説を寄稿した。音楽界からは曽我部恵一やクラムボンの原田郁子,小島麻由美,UAなどのメジャー・アーティストが名を連ねているが,本報告で取り上げるのは,かつてメジャー・レコード会社との契約もしていたが,現在は下北沢の施設を含むライヴ活動を中心にしているミュージシャンたちである。また,本報告では具体的な社会運動としての下北沢再開発反対派の団体について詳細に報告することはしない。反対派の団体で代表的なのは「Save the下北沢」だが,ミュージシャンたちはそれらと緩やかに関係を持ったり,その主張に大枠で同意したりしているが,必ずしも自らが主体的に運動に参加するわけではない。むしろ,自分たちにできるのは音楽活動だけだと割り切っているともいえる。ただし,こうしたミュージシャンたちは明らかにこの街,下北沢に愛着を持っていて執着している。かれらはそれぞれ好んで定期的に出演しているライヴ施設を下北沢にもち,自ら企画するイヴェントも定期的に開催している。また本報告では報告者を含むオーディエンスの行動もたどっている。表1には,対象とするミュージシャンが2005年に行ったライヴ本数と下北沢での内訳を示した。かれらは,こうした特定の街でのライヴ活動を通して,ミュージシャン同士,ライヴ施設の経営者や従業員,そしてオーディエンスたちと関係を結ぶ。かれらのなかには下北沢周辺での居住暦を持つものもあり,仕事場として,居住地としてこの街と関わっている。朝日美穂が2005年11月にライヴ演奏で参加したイヴェント「シモキタ解体」は下北沢のタウン誌『ミスアティコ』が主催したもので,「Save the下北沢」の代表や,社会学者の吉見俊哉もトークセッションに参加したものである。III 街の音楽的風景朝日は単独で,HARCOは南風というグループへのゲストという形で,シリーズCD「sound of shimokitazawa」に参加している。特に,朝日の「ドットオレンジ模様の恋心」という楽曲は下北沢的要素をふんだんに盛り込んだもの。朝日は他にも下北沢のカレー店のドリンクメニューをタイトルにした楽曲もある。HARCOは2004年発売のCDに収録された楽曲「お引越し」のプロモーションヴィデオを下北沢中心に撮影している他,2002年発売のCD『space estate 732』の冒頭で,下北沢で賃貸住宅を探す青年に扮している。ハシケンは2006年から下北沢のライヴ施設「440」で隔月イヴェントを開催し,その集大成として制作したCD『Hug』(2007年)にはそのテーマソング「下北沢」が収録されている。そこではのんびりとしたテンポの曲に,自らの日常的行動のように,下北沢南口界隈をブラブラと歩く様子が描写されている。IV おわりに報告者はこれまで,文化的作品における場所の表象分析を通して,場所と人間主体のアイデンティティの関係について論じてきた。本報告では,作品自体の考察も含むが,そのパフォーマンスの場としての場所との関わり合いについても考察した。また,社会運動研究が明らかにしてきたような,場所に対する明確な帰属意識を有する共同性ではなく,下北沢という商品的街に相応しい緩やかな共同性によって,開発反対運動に同調する思想が共有されている。文 献中根弘貴 2010. 下北沢に創られる共同性の民族誌:ロックバンドと市民運動グループの繋がり.南山大学大学院2009年度修士論文(未入手)
著者
河野 敬一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.256, 2008

<BR>1.はじめに<BR> 本報告では、近代日本の地域の再編成の過程において、地方の対応やその果たした役割がどのようなものであったのか、具体的な個人や一族の動きを分析することによって予察していきたい。<BR> 地方有力者は、明治期以降の議会制や地方制度が確立していく中で、市町村長や、地方政治・国政へ参画をする例が多いが、その関わり方については、従来、個人の経歴・事蹟から、その政治活動等を通じて果たした役割について間接的に把握されるにとどまり、個人やその同族集団が、具体的にどのような認識をもって政治に参画し、その結果として家業や地域社会に何をもたらしたかといった具体的な検討は、資料の制約などもあってあまりなされてこなかった。本報告では、まず明治期以降比較的多く作成された「同族会記録」、家や同族の「家憲・家訓」などを分析することによって、地方有力者およびその一族の認識の実態を明らかにしていきたい。<BR><BR>2.地方同族集団の政治へのスタンス<BR> 長野県小諸の小山家は、江戸時代から味噌醤油の醸造業を経営し、幕末から明治初期にかけて小諸荒町町内に親族分家による商店を輩出しながら事業を拡大した。一方で明治20年代に、当主・小山久左衛門正友は、渋澤栄一らとの知己も得て製糸業に乗り出し「純水館」を設立したり、小諸義塾の創立に際して資金的援助をするなど新しい産業への進出や地域の教育といった社会活動にも理解を示した。小諸は関東平野と北陸方面を結ぶ交通の要地であると共に佐久平の玄関口という地理的優位性もあって、小諸商人は信州の中でもとりわけ「進取の気質に富む」とみられていたが、実体としてはどうだったのであろうか。<BR> 正友の長男・邦太郎は、純水館長を継ぎ製糸業と家業の醸造業を兼営したが、その後、県会議員、衆議院・参議院と国政に参画し、国政の場で「蚕糸業国策論」を唱え、蚕糸業の発展に力を尽くした。政界進出の経過を小山家に残る「小山同姓会記録」や「小山一族会日誌」によって詳細にみてみると、政治への参画に至るまでの以下のようなプロセスが明らかになる。<BR> 邦太郎は、地域社会のなかでの人望が篤く、地域代表・業界代表として政治への関わりを周囲から強く求められた。一方、小山同族団としては、当主が政治活動への傾注することによって家業の発展の妨げになることをおそれて、大正期から昭和戦前期に起こった政界への邦太郎擁立への動きに一族会において再三の反対決議を行った。<BR> もう一つの例として、山形県酒田の本間家を挙げたい。本間家は、明治期以降、江戸時代以来の蓄財をもとに信成合資会社を設立し不動産管理と貸金業で資産を拡大させた。しかし、新規事業への進出には消極的で、大正期には所有地1,800町歩を超え、当時の『資産家一覧』においても、地方資産家として五指に入る1千万円を超える資産額を誇ったものの、いわゆる「地方財閥」にはならなかった。これは、本間家の株式投資を禁止した「家憲」の存在に依るものと思われる。また、明治24年の「(本間)光美日記」によれば、7代当主・本間光輝に対する酒田町長への強い推薦に対して、家業への影響をおそれて一族が反対した記録があるなど、小山家と同様の姿勢を示している。<BR> この2つの例は、地方有力者の政治参画への消極性や、土地への執着を示している。同族や地域社会との緊密なつながりを持っていることは、とくに地方における事業の存立の重要な要件になりうる。反面、共同体的な心情と人間関係に基づいて地域社会から求められる政治活動や社会活動への参画が、規模の限られた同族経営では、政治的活動に関わる人材にも時間にも限界があるため、むしろ事業の拡大・発展への力の集中を阻害する要因となる。また、土地所有を媒介とした地縁が、他事業への投資を阻害する心理的要因になったことも考えられる。<BR> こうした「保守性」から脱皮しようとする動きのひとつが中央への進出であり、事実、財閥形成をなしたグループの多くが中央を志向した。一方、地方に根ざし事業を保持しようとした有力者たちは、特定の業界や地域を反映した限定的な政治へのかかわりを通じて、地方の地域形成に一定の役割を果たしていった。彼らの政治的な関わりが、どのようなプロセスによって地域形成に反映されていったか、より具体的に検討をしていきたい。
著者
小林 峻 日下 博幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>2017年6月3日、ベトナム北部の都市ハノイで過去40年間で最高となる41.5℃を観測した。このような都市の記録的高温の原因として、地球温暖化や大規模スケールの異常気象といったグローバルスケールの現象だけでなく、フェーン現象や都市ヒートアイランド(UHI)といったローカルスケールの現象が指摘されている。しかしこれら先行研究は、都市の記録的高温に対するグローバルスケールおよびローカルスケールの現象の寄与をまとめて議論していない。そこで本研究は、2017年6月にハノイを襲った記録的高温に対して寄与していた異なる時空間スケール現象を、データ解析および数値シミュレーションにより調査し寄与を定量的に評価するものである。</p><p></p><p> まずWRFによる数値シミュレーションが2017年6月の記録的高温を再現できているか、NOAAの運営するClimate Data Onlineより得られる観測データと比較して評価する。気温や相対湿度、風向については観測値と変化傾向がおおむね一致した。次に観測データを用いて、ベトナム北部の気温の40年(1971-2010)変化傾向を調査した。その結果、1971年から2010年の40年間で0.908℃の気温上昇傾向が認められた。さらに数値シミュレーションを用いてUHIの寄与を定量的に評価したところ、6月2〜5日のハノイでは昼間では0〜+1.0℃、夜間では+2.0〜+4.0℃であった。一方、再解析データのNCEP-FNLを20年(2000-2019)分用いたデータ解析により、大規模スケールの異常気象の寄与を定量的に評価した。その結果、6月2〜5日は20年平均値を+4.0〜+8.0℃上回る暖気が西風によりハノイ上空に移流されていることがわかった。さらに、この気温の正偏差および西風がともに強かった場合にハノイで気温が上昇しやすいことも示唆される。最後に数値シミュレーションにより、6月2〜5日にはハノイの風上側でフェーン現象が継続的に発生し、昼間にはハノイ上空およびその風上側で混合層が顕著に発達していたことがわかった。なお地形の昇温効果は最大+3.0℃、平均+0.33℃であった。</p><p> 以上より、2017年6月にハノイを襲った記録的高温には、地球温暖化や暖気移流といった大規模スケールの現象から、フェーン現象やUHIといったローカルスケールの現象まで寄与していたと結論付けられる。</p>
著者
安 哉宣
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1. はじめに<br><br> 日本におけるインバウンド観光は2020年に2000万人という目標値を5年も早く達成し、2020年・4000万人という新たな目標値が示されるほど急成長を遂げてきた。並行して観光の形態や対象は多様化しており、旅行者を取り巻く環境も変わりつつある。日本各地では外国人旅行者への受け入れ環境の整備や体制づくりが課題となっている。訪日韓国人旅行者数は、2016年に過去最高値(約500万人)となり、わずか2年間で約2倍近くの増加を見せた。その際,「沖縄」が新たな訪問先として注目されている。沖縄への韓国人旅行者数は2016年に約43万人となり、これは2011年比約20倍以上の値である。この要因として航空路線の新規就航とLCCの増便が挙げられる。韓国から沖縄への定期便(直行便)は2011年に週8便であったが、2016年には週28便、2017年には週61便となった。本報告では、この急増した沖縄への韓国人旅行者を対象とし、アンケート調査に基づき、沖縄における韓国人旅行者の観光行動および受け入れ環境への評価を把握することを目的とする。アンケート調査は2017年8月に実施し、回答者数は130名(女性79名、男性51名)であった。<br><br>2. 韓国人旅行者の特性による観光行動<br><br> 沖縄への韓国人旅行者は、日本旅行の経験者が約74.2%であったが、沖縄旅行を初めて経験する者が92.4%を占めた。沖縄旅行のきっかけは「観光地の魅力(42.7%)」、「家族、友達、知人からのおすすめ(29.0%)」、「LCC航空(8.4%)」であった。恋人・夫婦(30.3%)及び家族旅行者(47.0%)が多く、未就学児同伴の旅行者も約22.7%を占めていた。旅行日程の多くは3泊であり滞在日数はそれほど長くなかった。主な観光スポットは那覇市内の国際通り、美浜アメリカンビレッジ、万座毛周辺、沖縄美ら海水族館,古宇利島などに集中していた。レンタカー利用者が半分以上であるが、公共交通利用も約28%を占めている。海外個人旅行者(FIT)のうち、旅行会社のオプショナルツアーへの参加者は19.7%であった。主なツアー内容は、シュノーケリング(38%)、日帰りバスツアー(35%)、ダイビング(21%)などである。沖縄の魅力として自然景観(21.3%)、海(22.7%)、海水浴(12.3%)、マリンレジャー(8.7%)であった。これらの移動にレンタカーを利用する者が多いものの、沖縄の観光魅力としてドライブが占める割合は3.6%と高くなかった。<br><br>3. 訪沖旅行者の受け入れ環境への評価<br><br> 沖縄への韓国人旅行者の約76%は今回の沖縄旅行に対して満足していると答えていた。しかし、21.3%がFIT観光客に向けた環境整備が必要であると指摘した。「良くない」と評価されたものとして、道路標識・案内板の外国語表記(26.2%)、公共交通利用の便利さ(23.1%)、無料Wi-Fi環境(18.1%)、公共交通機関の外国語表記・案内(16.7%)、レストラン及び観光施設での外国語表記・対応(15.8%)がみられた。沖縄におけるインバウンド観光客の受け入れ環境を充実させるために、交通システムの整備や多言語対応の改善・強化が必要となっている。交通面については、自由回答において、北部エリアまでの直行便、バス本数の増便、利便性の高い公共交通フリーパスの設定など、レンタカー利用せず観光できる交通インフラ整備・拡充の改善が求められていた。この背景として、駐車場、交通渋滞による観光時間のロス、韓国とは異なる交通ルールが沖縄観光の不満足の存在が挙げられる。一方の多言語対応に関しては、韓国人観光者はマリンレジャーに対するニーズは高いものの、まだ外国語対応ができる事業所は少ない状況にある。体験観光分野における外国語対応スタッフの拡充は沖縄魅力の分散・拡散、沖縄での長期滞在へのアプローチにもなりうると考えられる。<br><br>4. おわりに<br><br> 以上のように、外国人観光客の急増する沖縄では、観光スポット間の周遊を促す公共交通移動面の利便性やアクセス改善、外国語対応といった受け入れ環境の整備が求められている。
著者
渡辺 和之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

&nbsp; 原発事故による畜産被害を聞き取りしている。2013年秋と2014年春に南相馬市で調査をおこなった。南相馬市には福島県内にあるすべての避難区域が混在する。20km以内の旧警戒地域は小高区にあり、旧計画的避難区域(2012年4月解除)や特定避難勧奨地点(以下勧奨地点)は原町区の山よりの集落に集中する。原町区の平野は比較的線量も低く、旧避難準備区域(2011年10月解除)となり、30km圏外の鹿島区では避難も補償もない。調査では原町区の山に近い橲原(じさばら)、深野(ふこうの)、馬場、片倉の集落を訪れ、4人の酪農家から話を伺うことができた。<br>&nbsp; 南相馬では転作田を牧草地としており、いずれの農家も20ha以上の牧草地を利用する。このため、糞や堆肥置き場には困っていない。ただし、事故後牛乳の線量をND(検出限界値以下)とするため、30Bq以上の牧草を牛に与えるのを禁止し(国の基準値は100Bq)、購入飼料を与えている。<br>&nbsp; ところが、酪農家のなかには1人だけ県に許可を取り、牧草を与える実験をしている人がいる。彼は、国が牧草地を除染する以前から自主的に除染をはじめ、九州大学のグループとEM菌を使った除染実験をしている。牛1頭にEM菌を与え、64Bqの牧草を与えてみた所、EM菌が内部被曝したセシウム吸着し、乳の線量が落ちていた。<br>&nbsp; 市内では震災を機に人手不足が深刻化しており、酪農家の間でも大きな問題となっている。南相馬の山の方が市内でも線量が高く、いずれの酪農家の方も子供を避難させている。妻子は県外にいて1人で牛の面倒を見ている人もおり、今までの規模はとても維持できないという。といって、少ない規模だと、ヘルパーも十分に雇うこともできず、牛の数を半分以下に減らした人もいる。<br>&nbsp; 現地では地域分断よりも、地域の維持がより大きな問題となっている。ある酪農家は「続けられるだけまだいいと、今では考えるようにしている」という。「小高や津島の酪農家を見ていると、いつ再開できるのか先が見えない。農家によって状況も違うし、考え方も違う。どうやって生きて行くのか、その先の見通しを何とか見つけないと。事故がなくても考えなければいけないことだったかもしれない。ただ、無駄な努力をさせられたよな」とのことである。片倉では、小学校が複式学級になる。深野でも小学校の生徒が10人に減ってしまった。「避難先には何でもある。30-40代は戻ってこない。だから、昨年から田んぼも再開した。続けていないと集落が維持できなくなる」とのことである。<br>&nbsp; 人がいなくなったことで獣害問題も深刻化している。山に近い片倉や馬場では、震災前からイノシシの被害はあったが、震災後に電気柵を設置したという。「電気柵をはずすと集中砲火を受ける。猿も定期的に群れで来る。あれはくせ者。牧草の新芽を食べる」という。<br>&nbsp; このような状況でありながらも、彼らは後継者不足には悩んでいない。週末になると避難先の千葉から息子さんが手伝いにくる人もいれば、息子が新潟の農業短大を卒業したら酪農をやるという人もいる。「酪農で大丈夫かとも思うが、牧草さえ再開できれば牛乳は足らないし、やってゆけなくはない」。また、「一度辞めると(酪農の)再開は困難。それ(息子が家業を継ぐ)までは今の規模を維持して行かないと」という。酪農仲間たちは、「親の背中を見てるんだねえ」とコメントしていた。
著者
薄井 晴 吉沢 直 郭 慶玄 矢ケ崎 太洋 呉羽 正昭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

1. はじめに<br><br> モータリゼーションの進展,流通資本による大型小売店の郊外立地,少子高齢化などの影響を受け,地方都市の商店街は衰退している。こうした苦境を打開するため,地方商店街では地域資源を活かした観光振興が取り組まれ, 注目を集めている。例えば, アニメを活用した茨城県の大洗町商店街(小原,2018), 「昭和レトロな町」という地域イメージを創出した東京都の青梅商店街(設楽・菊地,2008)では, 商店街の顧客圏を定住人口から交流人口へと拡大し, 地域アイデンティティが再構築される様子が報告されている。 しかし, 商店街と観光に関する既往研究は, 商店街活性化を目指し新たに観光資源を創出した事例の分析に留まり, 古くから地域に根ざした観光資源と商店街の関係性について検討したものはみられない。<br><br> 以上を踏まえ本研究では,花見観光の目的地として著名な長野県伊那市高遠町のご城下通り商店街を対象に,花見観光の実態と商店街の商業機能の分析した上で, 伝統的な観光資源と商店街の関係性を明らかにする。<br><br> <br><br>2. 花見観光と商店街の変容<br><br> 約700年の歴史を持つ高遠城址公園は, 桜の名所として名高く,伊那市全体の観光施策において主要な観光資源として位置づけられている。しかし,開花期間中に高遠城址公園で開催される「さくら祭り」の入場者数は, 2000年ごろから減少傾向にある。また, さくら祭りは各年の開花状況によって集客数が異なるため, 不安定な観光資源となっていた。<br><br> ご城下通り商店街は, 古くより高遠城の城下町として発展し, 周辺地域の中心機能を担ってきた。しかし, 全国的な動向に同じく, 近年は空き店舗が増加しており衰退傾向にある。また, 空き店舗の増加は商店街の裏通りで顕著であった。一方,商業機能が比較的維持されているご城下商店街の表通りにおいても,今後の経営継続意向がない店舗が多く存在し, 特に近隣住民を主な顧客とする伝統的な店舗でその傾向が顕著であった。また, 全体の半数以上の店舗の主要顧客圏は高遠町内であり, 観光客の来店はほとんどない状況であった。<br><br> <br><br>3. 花見観光と商店街の関係性<br><br> 古くはさくら祭り期間中に商店街の店舗による高遠城址公園内での出店が積極的に行われていたが,樹木保護など環境保護の観点から出店数が大幅に減少した。その後,来訪者数の減少により収益が見込めないことや,労働力不足など商店経営上の理由により,さくら祭りへの出店をやめる店舗が増加した。またご城下通り商店街の店舗においても, 商店街に滞在しない観光客が増加したこと, お土産の購入量が減少したことにより, 観光収入は減少傾向にある。つまり, 花見観光と商店街の関係性は希薄化傾向にあるといえよう。<br><br> <br><br>4. おわりに<br> 伊那市全体において観光振興が目指されており, その中での花・歴史の主要な観光資源を持つ高遠町は, 観光振興において重要地区となっている。しかし,その高遠町の主要な商業集積であるご城下商店街は衰退傾向にあり, 花見観光と商店街の関係性も希薄化が進んでいた。今後, どのようにご城下通り商店街で収益構造を作り, 高遠町に利益を生み出すかが課題となっている。
著者
山下 博樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

1.はじめに<br> 持続可能な市街地への再生に取り組む都市が増えるなか、常にそのトップランナーとして住みよい都市のあり方を模索し続ける都市としてバンクーバーを挙げられる。バンクーバー都市圏政府(Metro Vancouver, 旧GVRD)による長年の取り組みは、1996年に策定された『Livable Region Strategic Plan』(以下、LRSP)をはじめとする一連の広域戦略計画による。これまでバンクーバーでは、最大の中心地となるダウンタウンのほかに、規模の異なる2タイプの郊外核を計画的に配置し、公共交通網の拡充と一体的に整備してきた。1990年代以後の人口増加などのために、2000年代後半より都市圏の成長管理の反作用が深刻化している(山下 2010)。こうした課題を改善すべく2011年7月に策定された新しい計画『Metro Vancouver 2040』(以下、MV 2040)では、広範になった都市圏を大きく東西に2分割し、ダウンタウンと並ぶ新都心の整備を図ろうとしている。本報告では、MV 2040の概要と2009年冬季オリンピック後の郊外を中心とした地域で急速に進んでいる公共交通指向型開発の特徴について紹介したい。<br><br>&nbsp;2.「メトロ・バンクーバー2040」の都市圏再編プラン<br> MV 2040での主な変更点・特徴は、次の通りである。<br>①上述したように都市圏を大きく東西に2分割し、旧来のダウンタウンを西の都心に、これまで南東郊サレー市の中心として計画に位置づけられながら、十分に機能集積がされていなかったサレー・センター(MV 2040ではサレー・メトロセンター)をフレーザー川以東の新都心に位置づけている。<br>②この間の郊外化の進展に対応して下位の郊外核となるコミュニティ型タウンセンターが従前の12ヵ所から17ヵ所に増加した。<br>③これまで対象外であった空港、大学、病院などの公共的施設も、公共交通網に結節されるべき主要施設として位置づけられた。<br>④郊外化が顕著であった南郊には、オリンピック開催にむけてリッチモンド・シティセンター及び国際空港とダウンタウンを結ぶスカイトレイン・カナダ線が新設された。同様に東郊には財政的課題により着工が遅れていたエバーグリーン線が2016年夏の完成を目指して、2012年1月に着工した。<br> 以上のような新たな取り組みにより、LRSP期間の末期に顕在化した成長管理対象地域の内外での公共交通や中心地整備上の地域格差が緩和され、人口増加の中心であったこれらの地域でのリバビリティ向上に大きく貢献することが予測される。<br><br>&nbsp;3.ポスト・オリンピックの公共交通指向型開発 <br> 2009年の冬季オリンピック開催にむけた前述のカナダ線建設とダウンタウンでの新駅建設などが2000年代後半のバンクーバー都市圏の主要プロジェクトであった。その間、凍結されていた市街地再整備がオリンピック終了に伴って近年再開された。それらの事業の共通点は、都市圏の幹線交通網であるスカイトレインの駅やその周辺で公共施設などの建設が行われていることである。現在進行中の主な事業として次のものが挙げられる。<br>①MV 2040で東郊の新都心として位置づけられたサレー・メトロセンターには、これまで駅前に商業施設と大学のサテライトキャンパスによる大型複合施設が立地していたが、LRSPで同じ位置づけにあった他の広域型タウンセンターと比較してもその機能集積は脆弱であった。しかし、この複合施設に隣接して2011年9月に市立図書館が完成し、現在市役所も建設中であり、当該地区への機能集積が急速に進められている。<br>②ダウンタウンの都市圏の地理的中心から大きくずれる問題点を補うために、1980年代に計画的に整備されたメトロタウンは都市圏最大の商業集積を形成してきたが、郊外化が東郊で顕著であることなどからMV 2040ではサレー・メトロセンターに新都心の座を譲ることになった。メトロタウンでは現在、駅前の大規模ショッピングセンターに隣接して立地していた2棟の超高層オフィスビルの隣りに3棟目のオフィスビルが建設中で、これまで弱点であったオフィス集積の強化が進められることになった。<br>③都市圏で最も早く市街地が形成されたニュー・ウェストミンスター市のダウンタウンは、スカイトレイン駅に隣接しているものの沿道の建物老朽化などにより商店街は寂れていた。老朽化した映画館などの再開発が計画されるとともに、スカイトレイン駅ではスーパーや各種店舗からなる駅ビルの建設が進められている。&nbsp;<br>
著者
杉本 興運
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

研究の背景と目的 本研究は、東京大都市圏における若者の種類別の観光・レジャーの実施状況を明らかにし、大都市における若者の観光・レジャー活動の特性や全体的傾向を把握することを目的とする。先行研究である杉本(2018)の研究では、パーソントリップ調査を基にして開発された大規模人流データを分析することで、東京大都市圏における若者の日帰り観光・レジャーの外出時間や訪問先にみられる特徴を明らかにすることに成功した。しかし、訪問先での活動目的が「観光・レジャー」一択の属性情報しかなく、より細かい種類で分類したときの観光・レジャー活動の実施状況についてはまだ分かっていない。<br><br>研究方法 大都市圏に居住する若者に対してWebアンケート調査を実施した。具体的には、東京大都市圏(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県)に居住している15歳以上34歳未満の人々を対象として、28種類の観光・レジャーそれぞれにおける1)直近1年間での活動の実施の有無、2)実施した場合の同行者、3)実施した場合の訪問先について質問した。なお、調査には株式会社コロプラのサービスを利用し、Webアンケートは2018年1月5日に配信・回収した。<br><br> 分析方法としては、各質問の単純集計結果から傾向を読み取るとともに、若者の基本属性を基にしたクロス集計の結果から属性による違いを明らかにする。<br>分析結果 回収したサンプル数は全部で1,115人となった。紙面の都合上、1)の分析結果のみを記す(図1)。種類別にみると、「ショッピング」(565人)の実施者数が最も多く、それに続いて「テーマパーク・遊園地」(370人)、「グルメ」(348人)、「動物園・水族館」(274人)、「コンサート・演劇」(259人)の順に実施者数が多い。したがって、これらが東京大都市圏における若者が観光・レジャーで行う一般的な活動であると言え、都市観光の要素が非常に強い。若者に特有の活動と考えられる「アニメ・マンガの場所やイベント」(146人)、「ナイトクラブ・ライブハウス」(61人)に関しては、実死者数は相対的に高いとは言えない。
著者
村山 良之 桜井 愛子 佐藤 健 北浦 早苗 小田 隆史 熊谷 誠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>1 学校防災の自校化を担う教員のための研修</p><p></p><p> 学校防災の自校化のためには,学校や学区の地形を含む地域の条件を把握してハザードマップの想定外まで含む読図が有効かつ必要である。しかし,このような地理学界の常識は,学校教員を含む一般市民にはまったく浸透していない。元々の専門や経歴が多様な発表者らは,地理学(地形学)の常識を活かして学校防災が向上するよう,この教員研修を提案するものである。</p><p></p><p> 発表者らは,2019年6月石巻市教育委員会防災主任研修会でワークショップの機会を得た(村山,2019)。自校を含むハザードマップ,地形図,地形分類図等を用いて共同作業を行うことで,受講した防災主任は読図力が上昇したとこを自ら認める等,成果をあげることができた(小田ほか,2020)。そこで,同様の研修を広くオンライン等でもできるよう,研修動画,ワークシートとその記入例等含む,プログラムを作成した。</p><p></p><p>2 オンライン研修プログラム</p><p></p><p> 上記ワークショップで得た成果および課題と,学校教員の実状を踏まえて,ガイダンスを含む6つの研修からなる講座「学区の地図を活用した災害リスクの理解」を作成した。</p><p></p><p> 対象ハザードは,土砂災害と洪水とし津波についても言及する。防災のために有益でかつ防災や専門知識を持たない学校教員にも理解を促しやすいことを念頭に,地形要素として,山地・丘陵地については傾斜の大小と崖および谷,低地については微高地(自然堤防,浜堤・砂丘)と後背湿地や旧河道を,取り上げることとした。いずれも土砂災害と水害に対する土地条件として重要な地形要素である。そして,それらの地形把握のために,山地・丘陵地(土砂災害)については地形図,低地(洪水)については地形分類図が有効であること,それぞれの地図の入手・閲覧方法,概要と読図法,さらにハザードマップと関連することを,学ぶ(研修2,3)。ハザードマップについては,有用で利用しやすい情報源であるとしてその不要論を廃し,結果のみではなく「科学的根拠のある目安」として利用すべきこと(研修0),ハザードマップの種類や入手・閲覧方法とその限界(想定外)について(研修1),そして研修2と3で学んだ地形とハザードマップが密接に関連することを踏まえつつ,想定外についても地形から合理的に把握できることを,学ぶ(研修4)。さらに,研修5では,これまでの研修内容を応用して,避難の合理的な方法を学ぶ。</p><p></p><p> </p><p></p><p>講座「学区の地図を活用した災害リスクの理解」の主な内容</p><p></p><p>研修0 ガイダンス</p><p></p><p>講座全体の構成,講座の背景と目的,ハザードマップとは,読図とは,「地形を踏まえたハザードマップ3段階読図法」</p><p></p><p>研修1 学区のハザードマップを読む</p><p></p><p>ハザードマップをインターネットで探す 重ねるハザードマップから読む ハザードマップの想定について(法律,前提) まとめ 演習 おまけ</p><p></p><p>研修2 学区の地形図を読む</p><p></p><p>地形とは 地形図とは(例:岩手県釜石市の一部) 地形図を読むためのポイント(方位,縮尺,地図記号,等高線,崖記号,谷線) 地形図と土砂災害ハザードマップ(谷と土砂災害,崖や急傾斜地とがけ崩れ,2019年台風19号) まとめ おまけ</p><p></p><p>研修3 学区の地形分類図を読む</p><p></p><p>地形分類図とは(低地内の微地形) 地理院地図で地形分類図を読む(断面図,微地形と起伏,洪水ハザードマップとの対応) まとめ 演習(自校の学区について,地形図と地形分類図から読み取れること) おまけ(低地部で地形分類図がない場合)</p><p></p><p>研修4 学区の地形からハザードマップの想定外も考える</p><p></p><p>ハザードマップと,地形図,地形分類図を読む(例:山形県庄内地方の土砂災害と洪水 2019年台風19号宮城県丸森町の浸水範囲,ハザードマップと地形分類図) まとめ 演習(自校の学区について,ハザードマップの想定外を考えて記述する)</p><p></p><p>研修5 学区内での避難について考える</p><p></p><p>緊急避難場所と避難所 まとめ 演習①(自校が緊急避難場所/避難所に指定されているか確認する) 演習②(大雨時の緊急避難場所までのルートを複数考える おまけ</p><p></p><p> </p><p></p><p> 2021年1月現在,本プログラムのインターネット公開準備中である。宇根寛氏,熊木洋太氏,黒木貴一氏,澤祥氏,鈴木康弘氏から,助言をいただいた。心より感謝申し上げる。</p>
著者
青山 雅史 小山 拓志 宇根 寛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.2, pp.128-142, 2014
被引用文献数
1

<p>2011年東北地方太平洋沖地震で生じた利根川下流低地における液状化被害の分布を詳細に示した.本地域では河道変遷の経緯や旧河道・旧湖沼の埋立て年代が明らかなため,液状化被害発生地点と地形や土地履歴との関係を詳細に検討できる.江戸期以降の利根川改修工事によって本川から切り離された旧河道や,破堤時の洗掘で形成された旧湖沼などが,明治後期以降に利根川の浚渫砂を用いて埋め立てられ,若齢の地盤が形成された地域において,高密度に液状化被害が生じた.また,戸建家屋や電柱,ブロック塀の沈下・傾動が多数生じたが,地下埋設物の顕著な浮き上がり被害は少なかった.1960年代までに埋立てが完了した旧河道・旧湖沼では,埋立て年代が新しいほど単位面積当たりの液状化被害発生数が多く,従来の知見とも合致した.液状化被害の発生には微地形分布のみならず,地形・地盤の発達過程や人為的改変の経緯などの土地履歴が影響を与えていたといえる.</p>
著者
岡谷 隆基 研川 英征
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>1.はじめに</p><p> 10年前に発生した東日本大震災は東北地方太平洋岸を中心に未曾有の災害をもたらし,津波が想定浸水範囲を超えて発生したことなどから「想定外」という言葉が多く用いられた。しかしながら,地震や豪雨などに伴う災害は現在の地形や地盤をもたらした土地の成り立ちを強く反映して発生するものであり,地形分類図などの地理情報は人々に起こりうる災害への想像力を「想定外」を超えて働かせることに寄与すると考える。国土地理院はそうした情報を従前より整備してきた。</p><p> 他方,国土地理院は地理空間情報当局として,前身を含めて1世紀以上,地形図を作成,刊行している。当該地形図は,小中学校の社会科や高等学校の地歴科などにおいて,地図を学習する基盤としても長くその役割を果たしてきている。他方,20世紀末からはウェブ地図やカーナビの地図など,我々が普段目にする地図には情報通信技術の急速な発展を背景としたデジタルのものが急速に増えている。国土地理院でもデジタル化の流れに対応すべく,数値地図などのデジタルプロダクトの作成・刊行,電子国土Webシステムや地理院地図などのウェブ地図の整備・公開に取り組んできた。先述した地形分類図なども地理院地図の主要なコンテンツの一つである。</p><p> 本発表は,国土地理院が重点的に改善を行ってきた地理院地図の取組の経緯等について,地理教育や防災教育への波及などを念頭に置きながら報告するものである。</p><p></p><p>2.地理院地図の進化</p><p> 国土地理院は,国土に関する様々な地理空間情報を統合し,コンピュータ上で再現する仮想的な国土として「電子国土」の概念を提唱し,この概念を実現するためのツールとして,平成 15 年に電子国土Webシステムを公開した。以降も改良を重ねる中で,オープンソースソフトウェアの積極的な採用を進め,平成25年に「地理院地図」を公開し,ウェブブラウザのみならずスマートフォンや PC 用の地図表示ライブラリからも地図データが利用できるようになった(北村ほか,2014)。</p><p> 以降も,様々なコンテンツや機能が追加実装され続けているが,地理教育や防災教育に活用できる機能の強化も進んでおり,例えば以下のようなものが追加された(国土地理院,2021a)。</p><p>・空中写真の全国シームレス化,地下震源断層モデルの3D表示の実現(平成28年度)</p><p>・断面図作成,標高段彩機能の実装(平成29年度)</p><p> 地理院地図はhttps://maps.gsi.go.jp/から利用できる。また,教育における活用事例なども地理院地図の使い方ページ(国土地理院,2021b)に示している。地理院地図のコンテンツの拡充や機能強化の取組を通じ,今後起こりうる災害への想像力を働かせることに寄与できると考える。このような取組を通じて,今後も防災・減災に寄与していきたい。</p><p></p><p>参考文献等</p><p>北村京子・小島脩平・打上真一・神田洋史・藤村英範(2014):地理院地図の公開.国土地理院時報,125,53-57.</p><p>国土地理院(2021a):過去のお知らせ.</p><p> https://maps.gsi.go.jp/help/notice.html(最終閲覧日:2021.1.10)</p><p>国土地理院(2021b):地理院地図の使い方.</p><p> https://maps.gsi.go.jp/help/intro/(最終閲覧日:2021.1.10)</p>
著者
瀧本 家康 川村 教一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>近年,日本では各地で豪雨や台風による災害が頻発している.大雨による災害である浸水域や浸水深は概ね沖積平野の微地形の分布や特性から説明が可能である.したがって,生徒に平野における気象災害と土地の特徴を関連付けて考察させるためには,地形図に加え,河川の周囲の地形分類図や地形断面図などを適宜併用させることが必要である.これらの地形分類図や地形断面図を見るには,国土地理院が運用しているウェブ地図「地理院地図」を用いることが有用である.そこで,本研究では,中等教育段階の生徒を対象とした地理院地図の基本的な機能の紹介と水害の自然素因の一つである小地形・微地形を見出させて,水害のリスクを認知させる実習教材を開発し,試行実践を行った.本実習では地理院地図の機能のうち,「標準地図」に加えて,「地形断面図」,「地形分類図」,「浸水推定段彩図」を用いて,これまでに起こった2つの水害を事例とした2つの実習教材を開発した.2つの実習教材ともに水害をテーマとして,地理院地図を用いて土地の特徴を捉えた上で,浸水被害の状況の差異や想定される洪水リスクの分析を行う課題である.実践の結果,ほとんどの生徒が地理院地図の断面図,重ね合わせ機能を適切に利用することができていた.実習直後に,地理院地図の使い勝手や本実習の意義等について調査した結果,ほとんどの生徒が地理院地図の使いやすさを実感したとともに,本実習を通して,河川地形や地形と水害の関係などについて興味関心が高まったと回答した.</p>
著者
大槻 涼 村上 優香 小林 護
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>概要</b></p><p></p><p> 駒澤大学マップアーカイブズは、駒澤大学が所蔵する地図資料の周知、保存、活用を目的として、2004年に始まった、学生主体のプロジェクトである。設立から10年以上経過した現在も、新規地図資料の収集と整理作業を継続している。学生が主体であることと、現在も整理作業が続いていることの2点は他に例のないプロジェクトである。これまでに成果として2冊の目録、『駒澤大学所蔵外邦図目録』(2011)と『駒澤大学所蔵外邦図目録 第2版』(2015)を刊行した。刊行以降も駒澤大学の学内から外邦図を含む新たな地図資料の受け入れを行い、整理作業と目録編纂作業を行なっている。次期地図目録編纂にあたり現状を報告する。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>外邦図とは</b></p><p></p><p> 明治期から第二次世界大戦終戦まで、旧日本陸軍参謀本部・陸地測量部が作成した、日本領土以外の地域の地図である。駒澤大学には、多田文男教授(1966〜1977)より寄贈された外邦図を中心としたコレクションが所蔵されている。『駒澤大学所蔵外邦図目録 第2版』時点で、収蔵されている地域は、樺太千島126枚、朝鮮1277枚、台湾97枚、中国3196枚、インド1293枚、東南アジア1641枚、オセアニア地域188枚、アメリカ国内111枚、ヨーロッパ34枚、海図947枚など、地域としては中国が多い傾向にある。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>新規受け入れ資料</b></p><p></p><p> 駒澤大学外邦図目録 第2版の刊行(2016年)以降、新たに図書館と駒澤大学地理学科から新しく地図資料を受け入れた。この中には前述の外邦図ばかりではなく、国内を対象地域とした旧版地形図や、海図、兵要地誌、航空図のほか、関東大震災発生時の消失地域図といった主題図、海外の旅行図も含まれる。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>新規受け入れ資料の概要</b></p><p>駒澤大学図書館から地理学科地図室へ移管:454枚(航空図7枚含む外邦図のほか、日本国内の主題図や中国の地質図などが含まれる。) 地理学科所蔵の旧版地形図:2234枚 駒澤大学外邦図目録に未収録資料:204枚</p><p>外邦図22枚</p><p></p><p>海外の領域の海図10枚</p><p></p><p>旧版地形図23枚</p><p></p><p>米軍作成都市計画図18枚</p><p></p><p>駒澤大学 地理学教室からの受け入れ資料</p><p></p><p>高木正博名誉教授から 79枚</p><p></p><p>橋詰直道教授から 401枚</p><p></p><p>(千葉県内の二万分の一正式図と全国の五万分の一の地形図など)</p><p></p><p></p><p></p><p><b>学生主体の地図整理作業の意義</b></p><p></p><p> 駒澤大学マップアーカイブズの活動の特徴として、学生主体であることが挙げられる。作業方針や資料の収集、日々の整理作業は、課外活動として学生自身の自主的な活動で行われている。確かに目録の完成だけを目指すのであれば業者やアルバイトに依頼する方が短時間で完了することが期待できる。しかし、学生が時間をかけ、一枚一枚地図を読み取ってリスト化する作業の過程では作製年代や目的、作製方法、用途も様々な地図を直接読み取る経験を得ることができると考えられる。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>駒澤大学マップアーカイブズの活動</b></p><p></p><p> 現在、学部生17名(1年生1名、2年生5名、3年生2名、4年生9名)、大学院生1名が週1回(90分)集まり整理作業を行なっている。未整理の地図資料については駒澤大学での整理番号(駒大番号)を付け、図幅名、縮尺、経緯度、製作者などを読み取りリスト化している。すでにリスト化が完了している地図は地域ごとやコレクションごとに分類し整理を続けている。また、受け入れた地図資料のうち、未整理のコレクションは地図ケースに納め管理している。</p><p></p><p> また、駒澤大学学園祭「オータムフェスティバル」や駒澤大学禅文化博物館での企画展示、地理学科の授業への資料提供を実施している。</p><p></p><p></p><p></p><p><b>今後の展望</b></p><p> これまでの外邦図、海図ばかりではなく、多くの地図資料を盛り込んだ、第3版の目録編纂作業を実施している。また、作製されてから70年以上が経過した地図も多く、退色や劣化、破損が目立つ資料も多い。今後はこうした地図の修復や管理も行う予定である。</p>
著者
小林 茂 渡辺 理絵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.58, 2005

演者らはここ数年来、第2次世界大戦終結まで日本がアジア太平洋地域で作製してきた地図について、地域環境資料として評価するとともに、その作製過程にアプローチしてきた。近代国家における地図作製への関心のたかまりに応じて(Edney, 1997; トンチャイ, 2003)、日本についても関連の研究を展開する必要が大きいと判断されたからである。この結果、日本の旧植民地における地形図作製は、土地調査事業と密接に関係しつつ展開されたこと、さらに陸地測量部と密接な関係がもちつつも、非軍事的色彩がつよいことが注目された。本報告では、この概要を紹介し、共通する特色について検討する。1. 植民地における土地調査事業の展開 日本の植民地では、初期より土地所有の近代化にむけて土地調査事業が積極的に推進された。台湾では臨時台湾土地調査局(1898-1905年)、朝鮮では朝鮮総督府臨時土地調査局(1910-1918年)、さらに関東州でも関東庁臨時土地調査部(1914-1924年)によってそれぞれ実施され、土地台帳や地籍図が整備された。この意義については、多方面から検討される必要がある(宮嶋, 1994)が、いずれでも地籍図作製に際し三角測量により図根点が設定され、それにもとづく地籍原図を縮小しつつ地形図の作製にいたっている。2.三角測量の導入と地形図の作製 地籍図作製への三角測量の導入は、沖縄土地整理事務局による同種の事業(1899-1903年) が最初であり、台湾では沖縄の事業の視察後にこれを決定した(江, 1974, p. 135)。ただし朝鮮・関東州の場合は、事業当初より導入を決定していたと考えられ(『朝鮮土地調査計画書』1910年、「関東州土地調査事業概要」1923年)、これが標準化していったことがうかがえる。他方沖縄県で実施に至らなかった地形図作製については、台湾・朝鮮・関東州いずれでも当初予定していなかったが、事業開始後しばらくして付帯的な事業として実施することにした点は注目される。3.目賀田種太郎(1853-1926)の役割 沖縄県の土地整理事業における三角測量の採用は、これを指揮した当時の大蔵省主税局長、目賀田種太郎の指示によるものとされている(『男爵目賀田種太郎』1938, pp.250-251)。目賀田はこれ以前に大蔵省地租課長などとして地価修正と地押調査を推進しており、この指示はその時の体験をふまえたものである。また目賀田は、のちに韓国財政顧問(1904-1907年)として朝鮮の土地調査事業の準備に関与し、三角測量の導入を指示している(p.498-499)。くわえて目賀田は、1901年台湾総督府に赴任する宮地舜治(殖産局長)に地図をつくるようすすめたという(p.253)。台湾の地形図(堡図)作製のための作業は1902年から開始され、時期的にも符合するので、これが土地調査事業にともなう地形図作製の発端になった可能性がある。なお、目賀田はベルギーとフランスにおける類似の事業に関心をもっており(pp. 168, 253-255)、これらの指示や勧誘との関係をさらに検討する必要が大きい。4.植民地における地図作製の非軍事的性格 上記のように、大蔵官僚のイニシアティブにより、非軍事機関によって作製された地形図の刊行には、台湾の場合は台湾日々新報社、朝鮮の場合は朝鮮総督府、関東州の場合は関東庁が関与し、要塞地帯などをのぞいて、各地域で最初の本格的近代地形図となった点も留意される。
著者
湯田 ミノリ
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.2, 2007

<BR> フィンランドでは2005年より小中高において新カリキュラムがスタートした.そのカリキュラムでは,高等学校において,大変特徴的な変化が見られる.それは,地理(maantiede)の授業「地域調査(Aluetutkimus)」において,教員,生徒ともに地理情報システム(以下GIS)を必ず使わなければならなくなったという点である.この科目は,専門科目(syventävä kurssi)であり,選択科目ではあるものの,どの高校においても開設しなくてはいけない科目である.言い換えれば,すべての生徒たちにGISを使って学ぶ機会が与えられているのである.<BR> GISが高等学校でカリキュラムに組み込まれるようになった背景には,教科としての地理の位置づけと小学校低学年から行われている徹底した地図教育がある.<BR> フィンランドの学校教育において,地理は生物,科学,物理と同じ自然科学の分野に位置づけられている.中でも,生物と地理は同じカテゴリとされ,教員養成の場でも,互いに主専攻,副専攻としなければならないほど,密接な関わりを持つ.地理の位置づけは,初等中等教育におけるカリキュラムにも大きく影響している.<BR> 森と湖に囲まれたフィンランドにおいては,身近な環境としての自然環境を理解することから科学分野の学習が始まる.小学校1年から4年まで学ぶ「環境・自然科学(ympäristö- ja luonnontieto)」という教科では,身の回りの自然環境を題材に,科学的な知識を得ていくとともに,地図を読み,使う学習を行う.<BR> 小学校1年生から,空間認識を養うため,街の鳥瞰図に触れ,立体図形の認識が登場する.地図は,小学校2年生で登場し,普段使っている部屋の地図化,そして近隣から地球規模までさまざまな縮尺の地図に触れる.そして3年生では,実際の地形図の読み方,コンパスの使い方を学ぶ.そしてその地図と周辺地域を同一視できるようになる.低学年からあらゆる縮尺の地図とともに学習をしてきた児童たちは,その後,学年があがるに従い,地理が地理という独立した教科に派生していいき,学習の範囲が自分の住む州,国,北欧,ヨーロッパと広がり,人口移動や地域的な特徴や差異へと移っていっても,そのなかで自分たちの地域がどこに位置づけられ,それがどのように他と関連しているのかを理解していく.これらの一連の地図を読み解く学習,そして,すべての位置には情報があるという,GISの基礎的な考え方を学んだ上で,高等学校で,ソフトウエアの操作を授業に取り入れている.<BR> フィンランドの高等学校でGISを導入する理由は,生徒たちの空間的思考を涵養する,コンピュータの技術的知識を身につける,身の回りの問題を題材にした教授法の実施といった,世界的な地理教育の発展の傾向もあるが,フィンランドが教科横断的なテーマを多く扱っていることも大きな要因としている.<BR> そして,カリキュラム以外の部分でも,他のヨーロッパの国とも連携してGIS教育プロジェクトを行っていること,大学,そして現役の教員に対するGIS教育の充実などにより,GISを使った授業ができる環境を整えている.
著者
村山 良之 小田 隆史 佐藤 健 桜井 愛子 北浦 早苗 加賀谷 碧
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>1 はじめに</p><p> 学校防災や地域防災の基盤として,当該地域の「地形」を理解し想定外も含むハザードマップの読図が求められる。防災のための最低限の地形の知識と,伝えるための取組が求められている。</p><p> 発表者らは,先に石巻市教委防災主任研修会で「学校区の地形に基づく災害リスクの理解」のためのワークショップを行い,報告した(村山他,2019)。より短時間のワークショップを,酒田市教委防災教育研修会で実践する機会を得た。本発表は,その内容について報告し,防災のための地形ミニマム・エッセンシャルズとその方法について,さらに検討するものである。ワークショップは石巻での実践を基に,酒田化し,一部簡略化した。</p><p>2 ワークショップの準備:地形と地図群その他</p><p> 洪水と土砂災害を想定し,地形要素として,山地・丘陵地については,傾斜の大小と崖および谷線,低地については微高地(自然堤防,砂丘)と後背湿地や旧河道を選択した。</p><p> 使用した地図群は以下のとおり。①作業用基図として,電子地形図25000に国土数値情報の小中学区境界を重ねた,中学校区の地図。縮尺1/1〜2万。②治水地形分類図(地理院地図)。③酒田市の土砂災害と洪水のハザードマップ(同市ウェブサイト)。他に,緊急避難場所リスト,ポストイット,カラーシール類,個人用ワークシートを使用した。ワークシートは,「酒田市学校防災マニュアル作成ハンドブック」の冒頭頁「学校と学区の現状」に対応しており,その改善を期待して設計された。</p><p> 市内の小中学校全29校のうち1校欠席,各校1名(1校のみ2名)参加(合計29名)で,7つの中学校区ごとにグループワークを行った。与えられた時間は,全体で約60分である。</p><p>3 ワークショップのプロセス</p><p> 目的が明瞭になるよう,タイトルを「防災マニュアルのさらなる改善に向けて−地形に基づく災害リスクの理解−」とした。①地形図を読み取るための</p><p>ポイントを知る:方位,縮尺,地図記号,等高線(混み合ってるところとあまりないところ),崖記号,谷。②微地形の理解を深めるために地形分類図の使用が有効なことを知る:低地部の微高地(自然堤防,砂丘等),後背湿地,旧河道。以上はミニレクチャー。③学区の地形を読み取る(グループワーク):地図記号で小中学校の位置を確認し,シールを貼りながら自己紹介。方位と縮尺(モノサシ),山と低地を確認し,崖,微高地,旧河道等にポストイット。④ハザードマップを読み取るためのポイントを知る:土砂災害の種類と発生場所,浸水域や浸水深の分布について,ハザードマップと地形(微地形)の関連について,ミニレクチャー。⑤学区のハザードマップと地形図との関係を読み取る(グループワーク):起こりうる災害を確認して,その種類と場所をシール,ポストイット貼り付け。⁶学区の緊急避難場所と地形との関係を理解する(グループ,個人ワーク):緊急避難場所にシールを貼り,地形の特徴を踏まえて,ワークシートに記入。⑦研修のまとめ:地形をふまえたハザードマップ読図法。</p><p>4 おわりに</p><p> 匿名の事後アンケート(下の表)によると,短時間のワークショップながらその成果は認められるが,課題も明瞭である。コメント(自由記入)は,おおむね肯定的ながら,地震や津波への期待も提示された。近く宮城県内での計画等があり,改善を重ねてこの取組を広めたい。</p>
著者
村山 良之 小田 隆史 佐藤 健 桜井 愛子 北浦 早苗 加賀谷 碧
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>1 はじめに</p><p> 様々な自然災害の土地条件(物理的素因)として「地形」の指標性が高いことが,地理学界以外にも広く理解されるようになっている。学校防災や地域防災の基盤として,当該地域の地形を理解することが,学校教員と児童・生徒,地域防災のリーダー層と住民に求められている。しかし,地元の地形ひいてはハザードマップの理解は難しいとされてきた。防災のための最低限の地形の知識と,それを伝えるための取組が求められている。</p><p> 発表者らは,石巻市教育委員会が主催する防災主任研修会(宮城県では各学校に防災主任が置かれている)のうち2時間をいただき,「学校区の地形に基づく災害リスクの理解」のためのワークショップを行う機会を得た。参加者には,地形や地図について得意ではない先生方が含まれる想定される。本発表は,その内容について報告し,防災のための地形ミニマム・エッセンシャルズとそれを伝える方法も含めて,検討するものである。</p><p>2 ワークショップの準備:地形と地図群</p><p> 地形や地図に関する基礎知識を有する者と教育を専門とする者を含む発表者らが協議を重ねて,防災のために理解すべき地形要素として,以下を特定した。山地・丘陵地については傾斜の大小と崖および谷線,低地については微高地(自然堤防,浜堤・砂丘)と後背湿地や旧河道である。言うまでもなく,これらは,土砂災害や洪水に関連する。</p><p> 上記の把握のために,以下の地図群を準備した。①作業用基図として,電子地形図25000に国土数値情報の小中学区境界を重ねて中学校区ごとにプリントアウトしたもの。学区によって異なるが,その縮尺はおよそ1/1~2万。②低地部の微地形を把握するための,治水地形分類図または土地条件図(地理院地図からプリントアウト)。③石巻市に関するハザードマップ:土砂災害(石巻市サイトからウェブGISで公開),北上川水系北上川および旧北上川洪水浸水想定区域図(国土交通省サイトからpdfで公開),津波避難地図(東日本大震災時の浸水深と避難場所等を示した地図,石巻市サイトからpdfで公開)。</p><p> 各学校から1名参加で,中学校区ごとにグループワークを行うこととした。上記の地図のうち②と③は中学校区ごとに関連するもののみ,グループに配付した。地図群の他には,中学校区別の避難所(緊急避難場所,避難所)リスト,ポストイット,カラーシール類,個人用ワークシートが配付された。</p><p>3 ワークショップ「学校区の地形に基づく災害リスクの理解」</p><p> ワークショップは以下のとおり進められた。①学区のハザードマップと地形図からわかることを考える(事前アンケート),②地形図を読み取るためのポイントを知る:読図の基礎として,地図記号(学校),等高線(混み合ってるところとあまりないところ),崖記号,等高線形状からわかる谷線等についてミニレクチャー,③微地形の理解を深めるために地形分類図の使用が有効なことを知る:等高線では地形がわからない低地部について地形分類図が有効であること,微高地(自然堤防,浜堤等),後背湿地,旧河道についてミニレクチャー,④学区の地形を読み取る:各グループの地形図上で学校の位置,山地と低地,崖,谷,微地形を確認してポストイット添付等グループ作業,学区の地形の特徴をワークシートに各自記入,⑤ハザードマップを読み取るためのポイントを知る:災害の種類とそれぞれの想定条件を確認した後,ハザードマップと地形(微地形)の関係についてミニレクチャー,⑥学区のハザードマップと地形図との関係を読み取る:起こりうる災害をグループで確認して,その種類と場所をワークシートに記入,⑦学区の緊急避難場所と地形との関係を理解する:災害種別ごとの緊急避難場所にシールを貼り,地形の特徴を踏まえて,ワークシートに記入,⑧研修のまとめ。⑨事後アンケート(記名と匿名)。</p><p>4 おわりに</p><p> 参加者の反応等から,複数の改善点が既に明らかになっている。さらに,事前,事後のアンケート結果に基づく詳細な検討を行い,防災のための地形ミニマム・エッセンシャルズの特定とその伝達方法の改善に努めたい。</p>