著者
関 陽平 立花 義裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

天気予報などで耳にする気温の前日差は,体感温度に関係しており,寒暖差アレルギーや熱中症などの健康面への被害だけでなく,商品の売り上げ等に関連する経済的にも重要な指標である.<br> どの地域どの季節で前日差が大きいかを気候学的に理解しておくことは重要である.しかし,前日差の地域性・季節性について詳細に検討した研究例はない.今回は最低気温の前日差に着目して,地域性・季節性を気候学的に解析した結果を報告する.<br> 結論から記述すると,北海道の冬季は最低気温前日差が非常に大きい.そのため,北海道と比較して,最低気温前日差が大きい条件を考察していく.
著者
有馬 貴之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>Ⅰ</p><p></p><p> 2021年3月現在,日本には観光を学べる系学部・学科が100以上ある.それらは大きく研究中心型教育と産業人材育成型教育に分けられるが,いずれの教育においても学外(実社会)における体験との親和性は大変高い.そういったなかで,地域を多面的な要素から理解する地誌学も大変重要である.ただし,観光学は多様な学問領域の総合体であり,そのことを前提に地誌学の役割を考察する必要がある.そこで,本発表では複数の大学における学外観光教育実践の事例を報告し,観光教育と地誌学との接点についての議論の題材を提供する.</p><p></p><p></p><p></p><p>Ⅱ</p><p></p><p> 報告者はこれまでに複数の大学で教鞭を取ってきたが,それぞれの大学の学問や学びに対する姿勢や意義が異なるため,実施してきた学外教育の内容も異なってくる.以下では,それぞれの実施内容から地誌学との関連性を検討する.</p><p></p><p></p><p></p><p>1.</p><p></p><p> 首都大学東京自然・文化ツーリズムコースでの学外教育は,地理学調査の意味合いが強いものであった.具体的には,学生は各観光施設への聞き取り調査や施設の分布調査などを行った.地誌学(的思考)は事前知識としての箱根の地域把握において活用された.本事例は,既存の地理学教育の枠組みとして提供されたものであることから,「観光地域の把握方法の理解」が目的であり,地誌学的学習との親和性も高かった.</p><p></p><p></p><p></p><p>2.</p><p></p><p> 帝京大学観光経営学科は産業人材育成型大学であり,学生も観光産業への就職を希望して入学するものが多い.そのような場合,実践的な場,具体的には企業や地域団体と連携した教育が学生に好まれる傾向にあり,教員もそのような舞台を確保しがちである.学外団体との連携を前提とした教育では,学外団体のメリットとなることも求められ,これまでに街歩きアプリにおけるスポット紹介コンテンツの作成や,プロモーション動画の作成などを行ってきた.これらの学外教育では,「観光地域のプロモーションの理解」を目的とした.このような活動においても,地誌学は事前の地域理解の手段として活用された.ただし,本事例では,地域の理解と同等に,市場,つまり消費者(観光者)理解や,アプリや動画撮影などの広告に対する理解も学生に必要となる.そのため,地誌学的理解に割かれる時間は物理的にも減少した.</p><p></p><p></p><p>3.</p><p></p><p> 帝京大学観光経営学科での学外教育では学生企画によるツアーやイベント造成も行った.段取りとしては,ツアー・イベント作成事前には地域調査として資料収集や聞き取り調査などを行い,それを基にイベント企画や散策ツアーの造成を行うといものである.なお,自身が自らガイドを担う場合はガイド(プレゼンテーション)の練習を,ガイドを地域の方々に担ってもらう場合には,ガイド原稿の作成を行った.これらには地誌学的ストーリーの構築が必要とされた.また,ツアーやイベントにかかる他機関との調整や,ポスター等のデザイン作成も行った.これらの学外教育は「観光商品の作成過程の理解」を目的としており,地誌学的な地域理解にさける時間を減少させてしまった.そのため,風景の見方,資料収集の方法,地域の要点を理解する思考などは,当該科目とは異なるところで学習が必要となる.ところが,産業人材育成型の観光系大学において,地誌学的思考法を教授している大学は決して多くないであろう.</p><p></p><p></p><p></p><p>4.</p><p></p><p> 現在実践している学外教育は,築地場外市場商店街と連携した取り組みである.ここでは長期的な視点を持った地域のプロモーションやブランド化を目的に,現地組織の協力を経て実施している.これらは,これまでの教育実践の景観を組み合わせたものでもある.また,SNSマーケティングや,マネタイズの側面すなわち「ビジネス面をも考慮した地域経営の理解」を目的としている.地誌学的理解としては,現在,地域の歴史とともに店舗への聞き取り調査を実施している最中である.</p><p></p><p></p><p></p><p>Ⅲ</p><p></p><p> 地理学者としては,研究中心型教育の実践が自らの研究指向性と合致する.しかしながら,観光学における地理学という側面では,観光という文脈において,他の学問分野との接点を見出した教育が求められる.例えば,地誌学による地域理解だけではなく,その地域理解を消費者に伝達していく発想力やプレゼン力,マーケティングの知識も教育に必要になってくる.そのような知識を,地域理解の後に加える必要があるのである.</p><p></p><p> ただし,大学における学生の学習時間は有限である.そのため,純粋な学問的意義とかけ離れていくジレンマが観光教育における地誌学にはある.特に,産業人材育成型大学では,地誌学の重要性の比重は下がっているとも考えられる.上記の報告者の教育実践でも反省すべき点であるが,地誌学を地域理解の手段としてのみ捉えるのではなく,学問性として地域の課題発見の方法としての有効性や,ビジネス的視点との関連をより追求する等の新しい動きがあっても良いのかもしれない.</p>
著者
大和田 美香
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.43, 2010

1.はじめに<BR> 開発途上国への支援のなかでも、人材の能力強化や生産性向上につながる教育分野への支援の重要性は大きい。特に職業訓練は就業や起業と直接の関連性が高く、労働市場のニーズに対応した人材の育成と供給の役割を果たすことが期待される。本研究では紛争国の復興・開発期における効果的な職業訓練とは何かを、事例地域である南部スーダンの労働市場の把握もふまえ、訓練生の要望と、雇用主の意見の聞き取りを行った上で考察する。<BR><BR>2.南部スーダンにおける労働市場と職業訓練<BR> スーダン国では南部と北部の対立から第一次内戦(1954~1972年)、第二次内戦(1983~2005年)が起こり、2005年に南北包括和平合意が署名され平和が訪れた。現在、南部スーダンには自治権が認められている。労働人口のうち約8割を第三次産業、約2割を第一次産業が構成しており、第二次産業はわずかである(JICA, 2007)。インフラ整備が急務であることや、開発援助機関の本部の多くが所在することなどから今後復興・開発が進むうえで特に人材ニーズの高い業種は建設業、自動車整備業、ホテルサービス業であると考えられる。これらの業種の企業への聞き取り調査から、従業員の半数以上が外国人労働者であること、高い職位になるほど外国人労働者の割合が高くなること、人材の採用に関して英語の言語能力が重要であることが分かった。新たな国づくりが進められる中、技能労働の多くが外国人によって担われており、自国での技能を有する人材育成が必要である。また、紛争直後のため地域の住民が生計を向上させるための基礎的な技能訓練も求められている。このような要請から南部スーダンで日本の独立行政法人 国際協力機構(JICA)による「基礎的技能・職業訓練強化プロジェクト(英語名Project for Improvement of Basic Skills and Vocational Training in Southern Sudan, SAVOT)」が実施中である。公的訓練実施機関と民間訓練実施機関の能力強化を行っている。訓練卒業生への追跡調査(SAVOT, 2008)と満足度調査の結果、卒業生の72%が訓練後就業しており、雇用に貢献していること、59%で収入が増加しており生計向上に寄与していることが分かった。一方54%が長期あるいは短期の契約ベースで働いており、不安定な就業であることも分かった。今後の改善のための要望について、訓練卒業生からは起業の支援、より高いレベルの訓練の実施などが挙げられ、雇用主からは訓練期間の延長、実践を重視したカリキュラムの編成を望む意見が多かった。また、プロジェクトでは除隊兵士の社会復帰のための訓練も行われた。<BR><BR>3.おわりに<BR> これらの調査からプロジェクトでは、ジュバの雇用市場において、産業の現場で中核的な役割を担う部門従業員層と起業者層に人材を育成し送り出していることが分かった。また、南部スーダンにおける職業訓練の課題と提言として、(1)政策と資格制度が定められたうえで、(2)公的・民間訓練実施機関が人材の受け手である産業界との結び付きを強め市場のニーズに適したカリキュラム改訂をすること、(3)卒業生の起業支援体制を強化することが挙げられる。むすびに、紛争復興・開発期における職業訓練全般においては、復興期は必要な施設や機材を整備したり、指導員のやる気を引き出したり、運営スタッフの能力強化をしたりすることが特に重要である。また、開発期には訓練機関が自立するための収入創出活動の導入と指導員の質の向上が大切であることが指摘できる。
著者
松多 信尚 石黒 聡 村瀬 雅之 陳 文山
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.247, 2011

台湾島はフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界に位置し,フィリピン海プその収束速度は北西―南東方向に90 mm/yrと見積もられている(Sella et al., 2002).台東縦谷断層は地質学的なプレート境界と考えられ,その東側は付加した堆積岩や火山岩で構成された海岸山脈,西側は変成岩からなる中央山脈である. 台東縦谷断層は台東縦谷の東縁に位置する東側隆起の逆断層で,奇美断層付近を境に北部と南部に分けられる.南部は北から玉里断層,池上断層,利吉断層,利吉断層の西側に併走する鹿野断層などが分布する.これらの断層は逆断層がクリープしているとされ,GPSによる測地データ(Lee et al., 2003)だけでなく,水準測量(Matsuta et al., 2009)やクリープメータ(Angelier et al.,1986 etc)でそのクリープ運動の確認がなされ,20-30mm/yr程度の早さで短縮しているとされている.一方,台東縦谷断層は1951年にマグニチュード7前後の地震を立て続けに起こした.北部のセグメントは複数のトレンチ調査の結果,活動間隔が約170-210年程度と報告されている.南部のセグメントでは活動間隔が100年程度と推定され,2003年の成功地震が1951年の地震の次のイベントだと考えれば50年程度の可能性もあるとされる(Chen et al., 2007 ).玉里断層はクリープしている区間の北端に位置する.この断層は,1951年の地震では縦ずれ1.5m以上の地震断層として出現しているため,地表変形はクリープ運動と地震性変位の両方による.我々はこの断層を横断する30kmの測線で水準測量を2008年より毎年8月に実施し,玉里断層を挟む200mの区間で年間1.7cm,約1.5kmの区間で約3cmの隆起が2年間認められた.この運動が継続しているならば,過去30年間の累積変位量は1m近くなることが予想され,空中写真測量を用いた平面的な変位量の分布を得ることを試みた. 台湾における空中写真は最近ではほぼ毎年更新されている.我々は台湾大學所有の1978 年撮影の約2 万分の1 の縮尺の空中写真と2007 年撮影のほぼ同じ縮尺の空中写真を利用して航空写真測量を試みた.座標変換に用いるグランドコントロールポイント(GCP) は2007 年撮影の航空写真に関しては2009 年12 月に実測し,1978 年撮影の航空写真に関しては当時の三角点の測量記録を用いて補正した.それぞれの写真の座標を求めた後,ほぼ同じ位置の地形断面を測量し,地形断面を比較した. 我々は写真測量の誤差は絶対値では大きいが,地形断面上の相対誤差はより小さいと考え比較した. 我々は1978年の空中写真の同定に利用するGCPを得る必要があるが変位を受ける前の位置を実測することは出来ない.そこで,両年代に実測された三角点の座標差を利用して,1978年当時のGCPを推定した. まず,求めたいGCP点を三角点の近傍に見つけ,三角点とそのGCP点との相対位置は十分に小さく両者は同じ変位をしたと考え,2007年度の空中写真上で位置を計測した. 我々は空中写真判読から地形面を7段に分類し古い面からT1―T7とした.特に断層上盤側にはT3からT7までの5面が分布する.これらの地形の年代は不明であるが,堆積物の風化程度や赤色化の度合いなどから, T4面以下の離水年代は1万年前程度と推定される.対象地域南部の地域では断層運動に伴うと思われるバルジ状の地形が確認できるほか,分岐断層や逆向きの高角断層などがあり,複雑な断層トレースが認められる. その結果T4面はT7面に対して,変位が累積していること.逆向き断層についてはT4面で明瞭であるが,T7面では顕著でないことなどがわかった. 調査範囲北部の断面である,Line1-3は,30年間に断面図を比較すると上盤側が隆起していることが確認できた.一方南部の測線では,人工改変を除けばほぼ地形断面が重なり,北部と比較して,顕著な上下変位を認められない. これは写真測量の精度の問題か,変位量の分布に狭い範囲で地域差があるか今後検討が必要であり,新たに水準の測線を昨年設けた. 水準測量の測線はT7段丘上にある.この段丘面は台東縦谷断層と平行にブロードな背斜・向斜状の地形が認められる.この段丘を刻む東側から流れ出る支流は背斜軸を横断して先行谷化して本流と合流している.このことはこの背斜・向斜状の地形が変位地形である可能性が高い事を示す.この背斜・向斜構造は水準測量でも観測されており,普遍的な変形と考えられる.ただし,水準測量の結果は測線が構造と斜行しているため,断層形状の側方変化等を見ている可能性もあり,その検証のための新たな水準測線も昨年設けた.
著者
深見 聡
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.17, 2004

_I_.はじめに 近年、まちづくりの新たな手法として、地域住民みずからが主体となって行政等と協働のもと「地域資源」を再発見し、それを発信しようというエコミュージアム活動が各地でみられる。まちづくりを進める上で不可欠な交流人口(観光客)の拡大につながるものとして、現代の多様化した観光形態に応えうるものとの期待も高い。 エコミュージアムと従来の博物館との相違は_丸1_主体としての住民の存在、_丸2_対象となる資料の分散範囲をテリトリーとする、_丸3_官民が対等の位置づけにあり、まちづくりに取り組むという3点に集約できる(新井,1995)。国内における動向もほぼこれに沿った形での運営がなされている。その先駆けは1989年の山形県朝日町における研究会発足にあり、2000年にはNPO法人朝日町エコミュージアム協会が誕生している。また、鹿児島県隼人町では地元の志學館と町生涯学習課などと住民が協働して築100年の駅舎を中心とした、決して数年前まで地域資源として一般には注目さえ集めなかった地域が、農産物の販売や散策マップの配布で地域資源が見直された。2004年にはJRの観光特急列車が停車するまでになっている。いずれも成功地といわれる地域に共通するのは、度合いの濃淡はあるにせよ上掲3つの要件を備えていることにある。しかし、これらのほとんどの事例は、農村地域(周辺地域)で展開されている(井原,2003)。エコミュージアムの定義からすれば、都市部での取り組みが少ないのは意外ともいえる。本研究では、都市のなかの過疎地域と言うべき旧中心市街地における活性化の手法としてエコミュージアムに注目し、地域住民の取り組みの模様や意識の実際を、参与観察法にもとづいて把握しその効果と課題を明らかにしていく。_II_.対象地域の概要 鹿児島市南部に位置する谷山地区は、1967年に鹿児島市と合併するまでは谷山市として国鉄谷山駅や市電谷山電停から南側にのびる国道225号沿いおよび周辺は商店街を形成するなど谷山市としての拠点性を持っていた。しかし、合併以後現在まで人口は約4倍の増加をみたが、それは郊外の新市街地の誕生の結果であり、旧市街地の停滞化は著しい。2002年に谷山TMO構想が策定されたものの、まちづくり手法として有効性を発揮するには至っていない。_III_.谷山エコミュージアムの確立に向けた動き エコミュージアムの対象地からみた旧市街地は、周辺地域にはない「地域資源」が存在する。たとえば、谷山地区には鹿児島市内唯一の19世紀建造の石橋が旧街道の河川に架かり、近世から近代にかけて塩田が広がっていたことを伝える塩釜神社がある。また、商店街には樹齢100年を超える保存樹がある。ところが、これらを一体のものと位置づけた固有の資源として、地域住民(とりわけここでは専門的な関心を抱く者を除いて地域住民という)が主体となり積極的に発信、すなわち活用してこなかった。以下、参与観察による成果を示す。住民みずからが「地域資源」を探すワークショップの開催 このような経緯を踏まえて、地元のNPO法人「かごしま探検の会」が常設の組織機能を担い、『たにやまエコマップ』作りをとおしたエコミュージアムの確立を図った。 ワークショップは2003年9月から毎月第2土曜日に計5回開催した。参加者は延べ62名で、その多くは高齢者と小中学生、旧市街地外の谷山地区に居住する者であった。毎回、ファシリテータとなるNPOのスタッフがおよそのルートを提示して、地域資源と感じたものに理由を添えて写真やスケッチに収め、散策後は各自がそれらをブレインストーミングしながら白地図1枚に集結させていった。とくに、子どもの視線がおとなだけでは見つけにくい、何ら変哲のないような空地や河川に棲む生き物に関心を向けさせ、遊び空間を実体験に基づいて記録していたことは特筆すべきであろう。
著者
山本 峻平 髙橋 彰 佐藤 弘隆 河角 直美 矢野 桂司 井上 学 北本 朝展
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

デジタル技術とオープンデータ化の進展によりデータベースの活用が注目されている。近年では、インターネット環境の充実により画像や写真に関するデータベースの制作が多くなってきている。例えば、横浜市図書館や長崎大学図書館における古写真データベースなどがあげられる。これらの写真は明治・大正頃の写真や絵ハガキを中心に構成されるが、当時の都市景観がわかるデータベースとして貴重である。発表者らも立命館大学において戦後の京都市電を主な題材とした『京都の鉄道・バス写真データベース(以下京都市電DB)』を公開している(http://www.dh-jac.net/db1/photodb/search_shiden.php)。京都市電DBの活用策としては市電車両を被写体としながらも当時の都市景観が背景として写りこんでいることから、景観研究や都市研究に活用できること、また、年代が戦後から廃線の1978年までの時代であり、記憶の呼び起こし、まちあるきや観光への応用が期待できる。<br>近年、まちあるきが人気を集め、テレビや雑誌などで特集が組まれ、関連する書籍が多く出版されている。その中で、景観の変化や復原、相違点を探すことが行われているが、過去の景観を示す資料は探しだすことは容易ではない。そのような資料の一つとして京都市電DBを活用することが期待される。<br>写真データベースに収蔵されている写真を現地に赴き照合することで、当時の景観との差異が発見でき、まちあるきのアクティビティとして楽しむことができる。また、まちあるきの利用だけではなく、当時の景観との比較から眠っていた当時の記憶が呼び起こされ、記憶のアーカイブなどの研究へも活用できる。<br>本研究は、写真データベースのまちあるきツールとしての有用性の検証を行うとともに、記憶を呼び起こすツールとしての有効性についても検証を行なう。<br>本研究では、国立情報学研究所の北本氏を中心とした研究グループが開発を行っている、アンドロイド・スマートフォン用アプリ、「メモリーグラフ」をアレンジし、「KYOTOメモリーグラフ」アプリを作成し、使用する。アプリには当時の写真が位置情報を持った形で収蔵されおり、それを基に撮影された場所に赴く。次に、スマートフォンの画面に当時の写真を半透明で表示することが出来るので、今昔の写真を重ね合わせ、当時と現在の同アングルの撮影が可能となる。また、撮影された写真には位置情報が付加され、撮影場所の地図による表示やGISと連動することができる。さらに、撮影した写真にはタグが入力でき、コメントや思い出などを入力することができる。これらのデータはスマートフォン内部だけでなく、サーバーに保存することができ、撮影された今昔の写真データや付加されたコメントなどのメタデータをアーカイブし蓄積することができるようになっている。また、当時の写真を現在の風景と重ねる行為は撮影位置や傾きなど撮影時の条件に近づけなくてはならず、当時の撮影者の追体験が得られる。現在、実証実験と位置づけ、プロジェクトメンバー及び近接の関係者数人を被験者として「KYOTOメモリーグラフ」を利用したまちあるきを数回実施する予定である。被験者にはこちらで用意したスマートフォンを貸与するほか、各自のスマートフォンを用いる。今回の実験は、グループで実施し、機器やアプリへの習熟度、安全性、行動観察などを検証する。
著者
櫛引 素夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1.</b><b>はじめに</b></p><p></p><p> 郊外に立地する整備新幹線の駅は、アクセス面や都市計画上の課題を抱える例が少なくない(あおもり新幹線研究連絡会・2020、櫛引・2020)。このような状況を克服し、新幹線駅を新たな協働の拠り所とする営みを目指して、発表者は2019年度、東北新幹線・新青森駅と周辺を対象にニュースレター「はっしん! 新青森」を創刊、10カ月に10回発行した。経過は2019年の日本地理学会・秋季学術大会で報告した。事業は2020年度も継続したが、コロナ禍が世界と国内を覆うに伴い、年度初めから事業の中断や活動の変更を余儀なくされた。本研究では、地元のネットワークづくりに及んだ影響と、その克服へ向けた取り組み、およびこれらの過程に対する考察について報告する。</p><p></p><p><b>2.2019年度から2020年度への経緯</b></p><p></p><p> 2019年の秋から冬、ニュースレター発行は順調に推移した。2020年12月に東北新幹線全線開通・新青森開業10周年を控え、節目を祝いながら開業以来の足跡と地域課題を見直す機運が生まれる一方、多様な市民がイベントに参加し始めていた。</p><p></p><p> 2019年11月には、地域連携DMO法人・信州いいやま観光局から講師を招き、青森西高校で「おもてなしフォーラム」を開催。青森西高校生や青森大学生、新青森駅長はじめJR東日本社員、青森県や国土交通省青森運輸支局の職員、住民など約70人が参加した。</p><p></p><p> しかし、2020年2月には外国人観光客が減り始め、青森西高校の生徒たちが「おもてなし活動」の舞台としてきたクルーズ船の寄港中止が報じられるようになった。2月下旬から3月にかけて、ニュースレターに毎回、記事を掲載してきた三内丸山遺跡センターや青森県立美術館のイベントが中止になり、印刷が終わった紙面の修正と再印刷を余儀なくされたりもした。</p><p></p><p> 3月下旬には県内初の感染者が確認され、ニュースレター配布に協力を得ていた施設が相次いで閉鎖されたため、完成していた4月号の配布を断念せざるを得なくなった。続く5月号は当初から制作を諦めた。</p><p></p><p> 既報の通り、北陸新幹線の上越妙高駅(新潟県上越市)周辺でも、姉妹紙となるニュースレターの刊行構想が生まれ、現地セミナーや試作を経て刊行を目指していたが、コロナ禍が一因となり実現していない。</p><p></p><p><b>3.</b><b>発信の継続と活動の再起動</b></p><p></p><p> ニュースレターはFacebookとInstagramで関連アカウントを運用してきた。また、青森西高校生は「おもてなし活動」の機会がなくなったことから、ねぶた衣装を二次利用したマスクや感染拡大防止を呼びかけるポスターを制作していた。そこで、紙面作りは諦めたものの、これらの活動をネットの独自コンテンツとして、主にFacebookで報じ続けた。この間、記事の閲覧回数が前年の1.5〜2倍に増加する現象もみられた。</p><p></p><p> やがて、緊急事態宣言が解除されたことから、青森西高校と新青森駅のコラボによる「開業10周年カウントダウン企画」がスタート、活動が徐々に再起動した。並行して、ニュースレターを6月に復活させた。</p><p></p><p><b>4.</b><b>考察と展望</b></p><p></p><p> 地元では「ウィズ・コロナ」時代に向けた模索が始まっている。例えば、青森県立美術館の「コレクション展2020-2:この世界と私のあいだ」は「ソーシャル・ディスタンシング」が意識され、「物事の境界・空間」「これからの距離」をキーワードに構成されたという。さらに、インターネット上でギャラリートークを公開するなど、豊富なコレクションを今までとは異なる形で「社会にひらいていく」ことを志向しているという。</p><p></p><p> 社会全般において あらためて「ウィズ・コロナ」におけるDX(デジタル・トランフォーメーション)の必要性が浮上している。上記の取り組みは、その一例と言えよう、とはいえ、人間社会のさまざまな動きや連携は、やはり「ネット」「デジタル」だけでは完結させようがない。空間的にも、社会的にも、さまざまな関係性を再構築していく上で、リアルとネットをつなぎ直す「起点」やアイテムが不可欠であろう。一方では、新たな観光や旅行、移動の在り方を根本的につくり直す営みが不可避である。</p><p></p><p> これらの状況を俯瞰すれば、新幹線駅やその周辺を対象とするニュースレターは、広域的なネットワークと地域、そしてリアルとネットを結ぶ「二重の結節点」として、今まで以上の価値を持ち得ると考えられる。</p><p></p><p><b>◇</b><b>参考文献:</b>あおもり新幹線研究連絡会(2019)「九州、北陸新幹線沿線の変化の検証に基づく、北海道新幹線の経済的、社会的活用法への提言」(青森学術文化振興財団・2018年度助成事業報告書)、▽櫛引素夫(2020)「新幹線は地域をどう変えるのか」(古今書院)▽櫛引素夫(2019)「郊外の『ポツンと新幹線駅』、集客をどう図るか」(東洋経済オンライン記事、2019年10月19日)</p>
著者
中條 曉仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.21, 2004

1.はじめに 現代の山村では高齢社会化が急速に進展し,高齢者を地域社会の中心的な担い手として位置づけざるを得ない状況が出現している。山村における高齢者の主な社会的役割として,地域農業をめぐる生産活動や地域コミュニティの運営が指摘できる。このうち農業をめぐる生産活動は,高齢者自身の日常生活に加え地域生活をも成り立たせてきた。それは地域社会関係の基軸をなしてきたものであり,社会生活と一体化した状態が保たれている。高齢者の生活における農業の占めるウエイトはきわめて大きいと考えられる。 本報告では,高齢者による生産活動を,山村という日常生活にさまざまな制約や条件を付与する居住環境での生活維持を目標とした行動ととらえる。これは,高齢者が生活実現を図るために展開する主体的行為として位置づけられ,「生活戦略」として把握される。分析では生活戦略を編成する「資源」が創出されるしくみ,特に高齢者が生活戦略の資源となる生産活動に従事し続けられるメカニズムに注目する。対象地域は高齢化の著しい四国山地にあって,高齢者による農業生産や農産加工といった生産活動が展開されている高知県吾北地域である。2.家族農業経営における高齢者の役割 吾北地域には県内屈指の茶業地域が形成されているが,茶業農家のうち個人の製茶工場を経営する自園自製農家の高齢者に注目する。自園自製農家は,生産労働や家事労働などが高齢者を含む家族労働力の分担によって展開されている。いずれの農家も若年層が農外就業に就いており,高齢者が経営主体となっている。ここでは,高齢者がこれまでに蓄積した知識が役立てられている。特にマニュアル化しきれない部分,例えば防除における病虫害発生の予測や最適散布頻度の決定,製茶における製茶機械の微調整などでの役割がある。しかし,加齢に伴う高齢者の身体的変化は,高齢期以前から創出されてきた生活戦略を予期せぬタイミングで予期せぬ形で崩壊させてしまうという危険性を内包している。特に,後継者のいない農家では経営の存続や経営内容の縮小を迫られているが,これらの対応は高齢者による適応の所産としてとらえることができる。3.女性高齢者による生産活動グループの形成 対象地域では,女性高齢者を中心とした農家女性が集落を母体とするグループを形成し,農産加工活動や対外的な販売活動に従事している。ここでは,経済的充足に加え空洞化しがちな地域社会関係を充足するという意義が見出せる。こうした女性起業が可能になる背景として,女性の行動と世帯や集落との間で生じる緊張関係が調整され,解消されていることが指摘される。世帯との緊張関係は夫や子どもなど家族員との間で生じるが,女性が自分に課せられた義務(家事など)を果たすことや,家族員の役割構造を変化させて協力関係を構築することによって,特に夫とのコンフリクトを回避している。また集落との緊張関係は,男性優位の集落社会にあって集落組織に女性グループを組み込ませてムラの承認を得ていることや,公的機関(農業改良普及所や行政)による支援や補助金の導入を背景としながら調整されている。さらに,これまで「個人の財布」を持たなかった女性が自分名義の通帳を持つようになったことや,高齢化によって男性のみでは集落運営が難しくなり女性の役割が必要になってきたことも女性起業の背景として重要である。4.まとめ 山村における高齢者は,生産活動に従事することによって資源を創出し,生活戦略を形成しているといえる。そして,その生活戦略に基づいて高齢者は山村での生活を維持している。従来の地理学において高齢者は地域の周辺的な存在として等閑視されてきたが,高齢者の地理学ではそのような視点を修正することが可能である。日本では中山間地域を中心に高齢社会地域が出現している。今後は,高齢者を地域の主体とする視点からの検討が求められる。
著者
白井 郁子 武田 祐子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.258, 2010

本研究では、横浜市港北区に2008年3月に開店した複合型商業施設「TRESSA横浜」の顧客カードの情報をもとにGISを利用した詳細な商圏分析を行い、顧客の空間分布の実態を明らかにした結果を報告する。<br><br>TRESSA横浜は、オートモール&ショッピングエリアというタイプの車の販売を含む複合型商業施設である。東急東横線の日吉駅・綱島駅・大倉山駅・菊名駅、JR鶴見駅・新横浜駅の各駅からバスで20分程度の場所に位置しており、車での利用が多い。トヨタの物流拠点整備工場の跡地に開発され、その敷地面積は7万m<sup>2</sup>,テナント220店舗、収容可能駐車数2700台である。<br><br>TRESSA社の独自システムで管理されている顧客データベースの一部の変数を抽出したデータを利用した。このデータには、会員番号、自宅の郵便番号、性別、買上回数、買上金額、DM発行数が含まれており、サンプル数は11万4千件である。また記録された期間は、TRESSAが開店した2008年4月以降2009年9月までである。<BR><BR>顧客カードの郵便番号を住所変換し、CSISアドレスマッチングサービスを利用して経緯度座標を付与することで、顧客の郵便番号区ごとの分布図を作成した。さらに、TRESSAからの距離帯ごと、郵便番号区ごとに会員数、買上回数、買上金額を集計し、顧客の空間分布、売上実績の実態を明らかにした。また、国勢調査の小地域統計より、顧客分布と人口分布との関係を検討した。<BR><BR>顧客カードを利用したGISによる商圏分析の結果は、以下に要約される。1)顧客の分布は、TRESSAから3km圏で全顧客の約50%、5km圏で全顧客のおよそ70%を占めていた。このゾーンは、TRESSAが戦略とする10km圏よりも相当狭いエリアである。また買上金額では、2km圏に全体の50%、4km圏までで全体の80%にのぼる。2)4km圏外であっても、TRESSAより南西に位置する港北区南部と神奈川区西部にかけての地域、およびTRESSA北部にあたる川崎市中原区の会員比率が高い。3)DM発行は、その70%が4キロ圏内で行われているが会員比率の多寡は考慮されていない。4)人口密度と会員比率の多寡には、相関はみられない。以上より、大型商業施設であるTRESSAの商圏は、その規模に相応しない地元完結型と見なされる。
著者
諸星 幸子 小寺 浩二 浅見 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>Ⅰ はじめに</b><br>&nbsp;&nbsp; 北海道の中心にほど近い十勝岳は、上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077mの活火山である。十勝岳では、1857年安政噴火、1887年明治噴火、1926年大正噴火、1962年噴火、1988~89年噴火と30年弱~40年弱の間隔で周期的な噴火が起きており、現在(2016年)は、直近の噴火より26年目となっている。水蒸気噴火がこれから起こる可能性が非常に高い活火山であると判断し、調査を行う事とした。当研究室では、噴火後の複数の地域で水環境変化の調査を行っているが、今後噴火の可能性のある地域として選定したものである。<br> <br><b>Ⅱ 研究方法</b><br>&nbsp;&nbsp;&nbsp;調査は2016 年11 月11~16 日で実施し、現地調査項目はAT,WT,pH,RpH,EC 等である。採水したサンプルは、研究室にてTOC, 主要溶存成分の分析を行った。主要溶存成分の分析結果、特にリチウム濃度について、その他成分との相関などを調べる。また、モリブデン青比色法によってSiO2の測定を行い、溶存成分との関係も解析した。<br> <br><b>Ⅲ 結果と考察</b><br><b>1.EC、WT、pH、RpH、溶存成分について</b><br>&nbsp;&nbsp; 十勝岳周辺の水質は、pHが低くECが高い傾向である。また水温も高く、温泉の影響が考えられる。pHとR-pHの差が大きい地点も温泉がほとんどである。北西の十勝岳周辺の低pH、高EC、高WT は温泉の影響が出ていると考えられる。十勝岳温泉、吹上温泉、吹上露天の湯、白金温泉、フラヌイ温泉などがあるが、泉質はそれぞれ異なっている。<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;トリリニアダイヤグラムやシュティフダイヤグラムの分析によると、地域による水質のバラツキが大きく、主に地質の影響と考えられる。<br> <br><b>2.Li 濃度、Li/Cl 比について</b><br>&nbsp;&nbsp; Li濃度は、温泉地ではかなり高い値となっている(図1)。Li/Cl比についてもスラブ地殻深部流体の影響があると考えられる(風早ほか、2014)0.001 を超えている地点がかなり多くある(図2)。十勝岳周辺にも集中しているが、十勝川流域の十勝平野でも多くの地点で検出された。これについては、原因を探る必要がある。<br>&nbsp;&nbsp; 最高値はフラヌイ温泉で0.00522、次いで爪幕橋(然別川)で、0.00300、次が清水大橋(十勝川)で0.00277である。<br><br> <b>Ⅳ おわりに</b><br>&nbsp;&nbsp; 十勝岳周辺の水質分析の結果、Li濃度及びLi/Cl比の高い地点が、温泉地と周辺河川にみられた。十勝岳自体の活動は、現在小康状態であるが、これは地殻深部流体の影響と考えられる。こうした調査を継続的に行うことで、火山噴火と地殻深部流体の影響が明らかになる可能性がある。<br> <br><b>参 考 文 献</b><br>&nbsp;&nbsp; 風早康平, 高橋正明, 安原正也, 西尾嘉朗, 稲村明彦, 森川徳敏, 佐藤努, 高橋浩, 北岡豪一, 大沢信二, 尾山洋一, 大和田道子, 塚本斉, 堀口桂香, 戸崎裕貴, 切田司(2014):西南日本におけるスラブ起源深部流体の分布と特徴. 日本水文科学会誌44(1). pp.3-16.
著者
寺澤 元一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.224, 2009

1.「日本海」は、国際的に確立した唯一の呼称であり、外務省が行った世界各国の古地図調査でも明らか。(1)日本海の呼称が初めて使われたのは、17世紀初めのイタリア人宣教師マテオ・リッチによって作成された「坤輿万国全図」であり、日本海の呼称は19世紀初頭までに欧米人によって確立されたと考えられている。(2)非常に信憑性が低い韓国側の古地図調査 (イ)日本の調査の方が韓国の調査より網羅的 (ロ)「東洋海」などの呼称を「東海」の呼称と同一視2.国連や米国を始めとする主要国政府も日本海呼称を正式に使用している。(1)国連は2004年3月、日本海が標準的な地名であることを認め、国連公式文書では標準的な地名として使用されなければならないとの方針を公式に確認。(2)米国や英国、フランス、ドイツ、中国等の各主要国政府も、日本海の呼称を使用。3.近年になって突然、日本海の単一呼称にごく一部の国から異議が唱えられ始めたが、この主張に根拠はなく、我が国は断固反論している。(1)韓国等が日本海の名称に異議を唱え始めたのは、1992年の第6回国連地名標準化会議が最初。それまでは、日本海の名称に異議が唱えられたことはなかったが、突然、韓国等は日本海の表記を「東海(East Sea)」との呼称に変更するか、あるいは日本海と「東海」を併記すべきと主張。(2)韓国の主張に対する反論 (イ)韓国側主張「日本海の名称は日本の拡張主義や植民地支配の結果広められてきた。」 →19世紀初頭、日本海の呼称が他を圧倒して使われるようになったこの時期の日本は、いまだ江戸時代で鎖国政策をとっており、日本が、日本海の名称確立に何らかの影響力を行使したということはない。(ロ)韓国側の主張「日本海と『東海』の併記を勧告する国連及びIHOの決議がある。」 →国連地名標準化会議決議_III_/20及びIHO技術決議A.4.2.6には、「日本海と『東海』との併記を勧告」との記載はいっさいなく、そもそも両決議は、湾や海峡など2つ以上の国の主権下にある地形を想定したものであり、日本海のような公海には適用はない。(3)韓国国内の名称にすぎない「東海」を国際的な標準名称にしようとする動きは、国際的な海上交通の安全面にも影響を及ぼしかねない混乱を生じさせるため、認めることはできない。また、日本海は国際的に確立した唯一の呼称であり、何ら争う余地はない。4.最近では、韓国政府も自らの主張の一部を撤回したと評価できる調査結果を発表。 韓国政府が少なくとも、日本海の名称が「日本の拡張主義や植民地政策」によるものとの主張が誤りであり、それ以前から広まっていたことを認めたものと評価。5.我が国政府は、日本海呼称をめぐる議論は、あくまでも実証主義に基づき、学術的かつ冷静に対応すべきである。
著者
松山 周一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.59, 2021 (Released:2021-09-27)

本発表では、地理学において既往の研究でコンテンツ内に描かれる場所をどのように特定しようとしてきたのかということについて、それを前提として作品に場所の表象を施していると考えられる、聖地巡礼ないしコンテンツツーリズムで取り扱われる作品に当てはめながら検討することを目的とする。地理学では、映画をはじめとしたメディアコンテンツの世界を地図化する試みがなされてきたが、いずれの事例においても課題を有している状態にある。この問題点は場所の特定が作品内において確実にできない作品で検討していることが原因であるとも考えられる。そのため、作品内における場所の特定が前提となる日本のマンガ・アニメにおける聖地巡礼ないしコンテンツツーリズムで取り扱われる作品を検討することによって課題を克服できる可能性を有していると考えられる。
著者
小泉 佑介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.99, 2021 (Released:2021-09-27)

グローバル化の進展と共に環境問題の規定要因が多様化・複雑化する中で,地理学においてもその解明に向けた実証的・理論的研究が積み重ねられている。特に2000年代以降の新たな動きとして,ポリティカル・エコロジー論の研究動向をまとめた小泉・祖田(2021)によると,環境問題に関わる国家や国際機関,NGOなどの多様なアクターが複雑に絡み合う状況を,地理学のスケール概念から捉えなおすアプローチが注目を集めている。本発表は小泉・祖田(2021)の議論を踏まえた上で,環境ガバナンス論におけるスケール概念の適応可能性に言及した研究に焦点を絞り,その研究レビューを通じて今後の展開可能性を検討する。 地理学では,場所,空間,領域(性)といったタームに加えて,スケールも重要な鍵概念の1つである。とりわけ1980年代以降のスケールに関する議論では,スケールを社会的・政治的なプロセスを経て生産・構築されるものとして捉え,そこでのアクター間関係の相互作用を分析の主軸に据えてきた(Smith 1984)。これに対し,2000年代には地理学におけるスケールの議論が認識論的な方向に傾斜していることへの批判が高まり,Marston(2005)による「スケールなき人文地理学(Human Geography without Scale)」という問題提起が,地理学全体を巻き込む一大スケール論争を引き起こした。これら一連の論争は,2000年代後半には決着をみないままに収束していったが,スケールの理論化および実証研究への応用を目指す研究は,2010年代以降も絶えず継続しており,本発表が対象とする環境ガバナンス論にも大きな影響を与えることとなった。 批判地理学や政治地理学を中心とするスケールの議論は,一方でグローバル化が進展し,他方でローカル・アクターの役割が強化されるといった多層的なスケール関係の再編プロセスにおける政治力学に注目してきた(Brenner 2004)。これに対し,環境ガバナンスを議論する際には,地表面上に存在する山,川,海,植生,あるいは人間活動をいかに統合的な観点から管理するのかが問題となるため,スケールの社会的・政治的側面だけでなく,生物物理学的(biophysical)な要素を考察の対象に含める必要がある(McCarthy 2005)。 こうした問題意識の下で,近年の地理学ではいくつかの興味深い研究が蓄積されている。例えば,Holifield(2020)によると,水資源管理において,一般的には流域(watershed)といった広域的なスケールが好ましいとされる一方,現場のローカルな組織にとっては川沿い(bank to bank)といった目の届く範囲でのスケールが現実的であるため,環境ガバナンスのスケール設定には社会的・政治的意図が先行する場合が多いことが指摘されている。このように,自然科学的観点からの「理想的な」スケールと社会学的なプロセスを経て「生産された」スケールとの間には,常にミスマッチが生じるため,今後はこうした問題の解決に向けて,地理学と生態学等との統合的研究が求められるといえよう。
著者
柴山 明寛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100115, 2016 (Released:2016-11-09)

2011年3月11日発生した東日本大震災で得られた知見や経験を,後世に語り継ぐことで,今後の防災・減災対応・対策を向上させ,今後発生する大規模自然災害の被害軽減に繋がることは明白である.しかしながら,未曾有の大災害となった東日本大震災では,直接的な被害だけでも東日本全域に拡がり,間接被害を含めると日本のみならず全世界規模に影響を与え,本震災で得られた災害に対する知見や経験は膨大である.この膨大の知見や経験を収集し,後世へ残すことが重要な課題となる.そして,単純に震災の知見や経験を記録して残すだけなく,震災記録を教訓として解釈し,被災地の復旧・復興および今後の防災・減災活動に利活用することが重要となる.そこで,東日本大震災の発生直後から数多く団体が震災記録の収集を開始し,震災から5年が経過した現在では,数十の団体が震災記録をWeb上で公開を行っている.その中のひとつの機関として,著者が行っている東北大学の東日本大震災アーカイブプロジェクト「みちのく震録伝」も含まれている. 本稿では,東日本大震災が発生してから5年が経過した現在までの様々な機関・団体が構築した震災アーカイブの動向や特徴について述べた.次に,東日本大震災アーカイブプロジェクト「みちのく震録伝」の概要及び活動状況に着いて述べた.最後に,震災アーカイブの問題点として,震災記録の整理方法及び位置情報を含むメタデータの重要性について述べた.
著者
浦部 浩之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

【本報告の視点】 31万6000人もの死者を出した2010年1月12日のハイチ大地震から3年が経過した。この間に国際社会から注ぎ込まれた援助は一国に対する災害復興支援としては史上最大の90億ドル(約束額)にのぼる。しかしながら30万以上もの人が今なお仮設住宅にすら移れずテント生活を強いられており、復興の道筋はいまだ見えない。そればかりか、ハイチにはなかったはずのコレラの感染が震災10ヵ月後に突如始まり、2012年末までに死者は約8000人、感染者は国民の16人に1人に当たる64万人近くに達している。なぜハイチの状況はこれほどまで深刻なのか。 本報告では、報告者が2010年11月にJPFからの委嘱で被災者支援事業モニタリング・中間評価のために現地に派遣された際の調査、および2012年1月にハイチ・ドミニカ共和国国境で行った調査もふまえつつ、ハイチが自然災害に対して脆弱であることの政治・経済・社会にわたる構造的要因を、やや長期的視点に立って考察したい。【失敗国家ハイチの現状と繰り返される災害】 ハイチは1人当たりGDPが656ドル(2009年)にすぎず、国民の54.9%が1日1.25ドル以下(2000-08年)で暮らす西半球の最貧国である。汚職が蔓延り(2009年の腐敗認識指数は180ヵ国中168位)、統治の正統性も低い(2008年の民主主義指数は149ヵ国中110位)。2010年地震による被災が甚大化したことの背景には、ハイチがいわゆる「失敗国家」の状態にあり、災害に対する備えや災害発生後の対処能力を著しく欠いていたことがある。 それゆえハイチは、同じイスパニョーラ島で隣り合うドミニカ共和国、あるいはその他の島嶼国と比較しても、高い頻度で自然災害を被ってきた。たとえば2004年に島を襲ったハリケーン・ジーンによる被害はドミニカ共和国でも記録的なものであったが(死者23人、被災者2万2000人)、ハイチでは死者1870人、行方不明者870人、被災者約30万人にまで膨らんだ。【農業生産システムの破綻と食糧問題】 ハイチは貧困のために森林破壊が極端に進み、森林被覆率は3.8%しかない(2005年)。2004年ハリケーン災害が深刻化したのも、山麓の町が水位3mもの洪水に襲われたことにあった。 ハイチとドミニカ共和国の差異は、主食である米の生産と輸入の推移にも端的に表れている。ドミニカ共和国では過去45年間、人口増にともなう米の需要増を国内生産で賄い、2007年の米の自給率は96.9%に達している。ところがハイチでは農村の貧困と環境破壊による生産性の低下のために米の生産高は横ばいで、2007年には米の自給率は22.0%にまで下がった。 これにはいわゆるワシントン・コンセンサス後に推し進められた経済自由化も大いに関係している。つまり、1990年に史上初の民主的選挙で選出されながらクーデタで大統領職を追われたアリスティドは、米軍を中心とする多国籍軍の支援で政権復帰を果たした後の1995年、経済援助と引き換えに、米の関税率を35%から3%に引き下げることを受け入れた。これにより国内農業の衰退と食糧の輸入増がいっそう拡大することになった。ハイチの食糧需給は国際市況に大きく左右されるようになり、2008年4月には一次産品価格の世界的急騰がハイチ国内で群衆の暴動に発展し、内閣が退陣に追い込まれる事態にまでなった。【複雑な援助の方程式】 震災後、ハイチのプレバル大統領(当時)はWFPと米国政府に対し、国内農業への打撃を理由に食糧支援の停止を求めた。しかし食糧の不足に不満を募らせるハイチ市民が多いのも事実であり、プレバルの提起を否定する論調も強い。先進国の援助関係者はハイチ政府の腐敗を懸念し、しばしば政府を迂回して市民に直接、援助を届けてきた。しかし、支援団体が根こそぎハイチの優秀な人材を雇い入れるため、それがハイチの公的部門をますます弱体化させてきたとの矛盾もある。復興に向けた活動へのハイチの人々の関与が少ないことへの批判が国内外で根強い一方で、内政対立で数ヵ月にわたり組閣ができない事態が続くなど、ハイチ政府の統治も覚束ない。復興をめぐるさまざまな議論や批判が渦巻く中で、ハイチは国家の再建、防災の強化、農業の振興、食糧の安定供給、貧困の緩和、統治の強化など、複合的な課題に取り組んでいかなければならない。
著者
土'谷 敏治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.152, 2003

1.はじめに 現在,日本の公共交通は大きな転換期に立っているといえる.自動車交通への依存度がさらに高まる中で,規制緩和と国による助成の削減が実施され,とりわけ大都市圏以外の地域では,各事業者の経営判断と地方自治体による政策的決断の必要性が増している. このような事態は,自らのインフラストラクチャーを維持・管理しなければならない地方鉄道事業者にとって,より深刻である.地方鉄道事業者の経営環境が,極めて深刻な状況におかれていることは周知の事実であるが,旧国鉄の地方交通線問題が一応の終結をみて以来,鉄道の存廃問題はしばらく沈静化していた.しかし,上記のような動きの中で再びその存廃問題が論議され,実際に廃止される鉄道路線がみられるようになった.このことは,従来の独立採算制の枠組みの中では,既に経営の限界に達している事業者が現れていることを示している.他方,いずれの鉄道路線にも,日常生活を営む上でその路線を必要とする利用者が存在する.今後は経営補助の視点ではなく,都市計画や地域の交通政策の中で,鉄道をはじめとする公共交通機関を位置づけていかなくてはならない段階にきているといえよう. ところで,鉄道路線の存廃を論議するにしても,また助成制度や交通政策を検討するにしても,まずその鉄道路線のおかれている現状や利用状況の把握が不可欠である.そのうち経営側の視点に立った分析は,当該事業者の経営上の資料から可能であるが,利用者側の分析は利用者や沿線居住者に対する新たな調査が必要であり,一部の鉄道路線を除いて十分な資料が入手困難な状況にある.今回,千葉県銚子市の銚子電鉄について,利用者に対する調査の機会を得た.本研究では経営側の資料とあわせて,この調査結果をもとに銚子電鉄利用者の特徴やその利用状況についての分析を行い,銚子電鉄が抱える課題や展望について検討を加える.2.銚子電鉄の旅客輸送パターン 銚子電鉄は,営業キロ6.4km,地方鉄道の中でもとりわけ小規模な鉄道である.その路線は,銚子市の中心部に位置しJR線との接続駅でもある銚子を起点に,市域の南東端に位置する外川を結んでいる. したがって,旅客輸送パターンは,銚子とその他の各駅間の輸送が中心であり,定期外の輸送ではとくに銚子・犬吠間の観光客の輸送が顕著である.このような輸送パターン以外では,沿線に立地する高等学校や小学校への通学輸送や,旧市街への買い物・用務客の輸送が注目される.時間帯別にみると,もちろん通勤・通学時間帯に輸送量が集中するが,とりわけ午前の通学時間帯における,上記の学校最寄り駅付近での集中が顕著である. しかし,このような旅客輸送の営業収入は営業経費を下回って欠損を生じている.他方,旅客輸送以外のいわゆる副業による収入は旅客収入を大きく上回り,それによって旅客収入の欠損を埋め合わせている情況にある.3.利用者特性 銚子電鉄利用者の特性を明らかにするため,乗客の性別・年齢などの属性や,利用目的・利用頻度・乗降駅・他の交通機関との乗り継ぎなどの利用状況についてのアンケート調査を実施した.その結果,調査時1日の銚子電鉄利用者総数の1/4強と考えられる回答を得た. 回答者の約3/4は銚子市在住者であったが,その半数以上が通勤・通学を利用目的として挙げている.その数は,利用頻度が週4日以上の回答者数とほぼ一致し,両者の対応関係は明らかである.しかし,定期乗車券利用者数はこれよりも少なく,通勤・通学利用者の定期乗車券購入率低下を裏付けている.通勤,通学に次いで,買い物や遊びに出かける際の利用が多いが,これら利用目的でも週単位の利用者が多く,全体として銚子電鉄利用者の利用頻度は高いといえる.このことは利用者の銚子電鉄に対する評価にも表れ,好意的な評価や存続を望む意見が多い.また,パークアンドライドに代表される自家用車や自転車との連携は不十分であるが,銚子駅におけるJR線との乗り継ぎ需要はかなり存在すると考えられ,両者の連携強化が求められる. 銚子市以外の在住者では,そのほとんどが観光目的の利用で,11月の調査時期から考えても,銚子電鉄に対する観光需要は大きいと判断される.また,観光客の多くに,銚子電鉄自体を観光対象の1つとして評価する傾向が見らる.これらの観光客は,主としてJR線を経由して訪れており,観光面でもJR線との連携が望まれる.
著者
森脇 広 永迫 俊郎 鈴木 毅彦 寺山 怜 松風 潤 小田 龍平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b> </b></p><p><b>はじめに:</b>南九州・南西諸島の古環境と文化の諸要素の高精度編年を進めている.今回は南西諸島の喜界島のテフラと古砂丘を取り上げる.喜界島は全島がサンゴ礁段丘からなる.段丘は多くの年代測定が行われ,最終間氷期MIS 5eの段丘面が標高200mに達し,日本では隆起量が最も大きいことで知られる.このため,最終氷期の亜間氷期MIS 3の段丘面群(上位からD面,E面,F面:太田・大村,2000)が高度90m~15mで,現在の陸上に広く出現している.</p><p></p><p><b> </b>砂丘は喜界島南西部のMIS 3の段丘地帯を広く覆う.それらは,現在の海岸近くにある完新世の砂丘,内陸のMIS 3面上に分布する更新世の水天宮古砂丘(角田,1997)からなる.その地形や堆積物,形成時期について,古くから関心が持たれてきた(三位・木越,1966;武永,1968;成瀬・井上,1987など).</p><p></p><p> 最近,水天宮砂丘地帯において,広範囲の耕地整理工事がなされ,砂丘の地形と堆積物の全体的な様相が明らかとなってきた.この報告では,水天宮古砂丘の分布と堆積物の構造,テフラの同定・編年,及び<sup>14</sup>C年代資料に基づく古砂丘の編年と形成を検討する.</p><p></p><p> <b>テフラ</b>:喜界島のテフラについては,同定や層序,年代などまだよくわかっていない.今回の調査で,9枚のテフラを見いだした.このうち2枚は,バブルウォール型の火山ガラスを豊富に含むガラス質火山灰で,上位はK-Ah, 下位はATに同定される.他の7枚は斑晶や微細軽石に富む淡褐色火山灰で,ここでは,上位からKj-1〜Kj-7と名づける.鉱物は斜方輝石,単斜輝石,角閃石,磁鉄鉱,チタン鉄鉱,長石,石英で,スコリアを含むものもある.全体として特徴的に高温石英を含む.それらの鉱物の含有の有無・度合い,層相・層位などからそれぞれのテフラの識別が可能で,南西諸島の島々やトカラ列島の諸火山でこれまで知られているテフラに一部対比可能なものもみられる.ATはKj-6とKj-7の間にある.K-AhとKjテフラ群との層位関係は同一露頭断面で直接確認できないが,土壌の厚さなどから,K-AhはKjテフラ群より上位にあるものと推定される.</p><p></p><p><b> 砂丘の地形と堆積物:</b>これまで水天宮古砂丘は,喜界島南西部の孤立した丘陵一帯を広く構成しているとされてきた.しかし今回の調査で,水天宮古砂丘とされる丘陵の南半部のほとんどは基盤のサンゴ石灰岩からなるD面,E面で,砂丘はこれらの段丘面を部分的に覆っているにすぎないことが明らかとなった.南半部では,段丘崖や崖上にリッジ状に分布しており,当時の海岸沿いに形成されていったことを示す.</p><p></p><p> 一方,北半部は最大20m以上に及ぶ厚い砂丘堆積物が全体を覆う.部分的には膠結砂丘砂からなっている.この中には少なくとも2枚の土壌が挟まれる.砂丘地形は南北に細長い谷を挟む砂丘列をなす.テフラと下記の<sup>14</sup>C年代は,谷と砂丘の形成期はほぼ同じであることを示す.したがって,谷は砂丘形成後の侵食によってできたものではなく,砂丘形成時の凹地として形成されたもので,水天宮北側の砂丘列は縦列砂丘として形成されたと解釈される.いくつかの地点での堆積物の層理の走向も,この砂丘列の方向と調和し,北方の海岸からの砂の運搬・供給を示す.この水天宮古砂丘はMIS 3段丘群最下位のF面の北端まで続き,この付近の海浜からの砂の供給によって形成されたことを示す.</p><p></p><p> <b>砂丘の編年と形成</b>:古砂丘堆積物を覆う土壌中に認められる上記テフラのうち,もっとも古いのはATである. Kj-7は現在のところ認められない.北半部の厚い砂丘堆積物上部から得られた陸生貝化石の<sup>14</sup>C年代は33,000〜34,000 cal BPを示し,テフラ編年と整合する.ATの層位とこの年代からみて,水天宮古砂丘の主要部をなす北半部の古砂丘は,MIS 3後期の3.5万年前前後に形成されたものと考えられる.段丘面との関係,テフラ,<sup>14</sup>C年代を総合すると,水天宮古砂丘は,MIS 3前期は当時の海岸縁辺に小規模な砂丘が形成され,後期になると,北側の海岸からの砂の供給による大規模な砂丘形成があったと考えられる.</p>
著者
山下 清海
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1</b><b>.はじめに</b><br> 世界各地に多数のチャイナタウンが形成され,特定のチャイナタウンの事例研究も多くなされている。しかし,グローバルな視点から,世界のチャイナタウンを比較研究し,それらの共通する特色や地域的特色を考察した研究は乏しい。<br> 1978年末以降の改革開放政策の実施後,海外へ移り住む中国人が急増し,彼らは中国では「新移民」と呼ばれる。新移民は,移住先のホスト社会への適応様式において,以前から海外に居住していた「老華僑」とは大きく異なる。本研究では,「老華僑」と比較するために,「新移民」のことを「新華僑」と呼ぶことにする。<br> 従来,アフリカ大陸は,南アフリカを除き,いわば華人空白地帯であった。しかし,中国政府のアフリカ重視政策に伴って,アフリカ大陸各地に,多数の新華僑が移り住んでいる。このようなアフリカ大陸における新華僑の実態については,マスメディアで注目されているが,アフリカの新華僑に関する研究はまだ少ない。そこで本研究では,アフリカの中でも,最大の華人人口を有する南アフリカの最大都市ヨハネスブルグにみられる新旧のチャイナタウンに着目し,ヨハネスブルグのチャイナタウンの地域的特色を明らかにすることを目的とする。2018年9月,3ヵ所のチャイナタウンにおいて,土地利用調査,聞き取り調査などを行った。<br><br><b>2</b><b>.オールドチャイナタウン~ファースト・チャイナタウン~</b><br> 世界のチャイナタウンは,おもに老華僑によって形成されたオールドチャイナタウンと,新華僑によって形成されたニューチャイナタウンに二分できる。CBDの近くに形成されたファースト・チャイナタウン(First Chinatown,中国語では第一唐人街または老唐人街と呼ばれる)が,ヨハネスブルグのオールドチャイナタウンである。<br> 1991年のアパルトヘイト関連諸法の撤廃後,CBDは衰退し,そこに大量の移民が集住し、治安が悪化した。これに伴い,ファースト・チャイナタウンは衰退し,新華僑もここに居住することはなかった。現在,ファースト・チャイナタウンには,杜省(トランスバール)中華会館(1903年創立)や杜省華僑聯衛会所(1909年創立),中国料理店(3軒),その他の華人経営の店舗(4軒)が残るのみである。<br><br><b>3</b><b>.ニューチャイナタウン~シリルディン・チャイナタウン~</b><br> 新華僑は,治安が悪いヨハネスブルグ中心部を避けて,東郊に多く居住した。なかでもCBDからから北東約6kmの郊外に位置するシリルディンに新華僑が集住し,郊外型ニューチャイナタウンが形成された。中国・南アフリカ両国の政治的関係の強化に伴い,シリルディン・チャイナタウンは,2005年,「ヨハネスブルグ・チャイナタウン」(約翰内斯堡唐人街)としてヨハネスブルグ市に登録された。2013年には,牌楼(中国式楼門)も建設された。<br> シリルディン・チャイナタウンのメインストリート,デリック・アヴェニュー(Derrick Ave.,西羅町大街)の両側には,筆者の調査で華人関係の店舗・団体が38軒認められた。このほか、店舗の2階、3階などに「住宿」と書かれたゲストハウスやマッサージ店なども見られる。シリルディン・チャイナタウンでは、「超市」(超級市場の略語)の看板を掲げたスーパーマーケットと中国料理店が中核をなしている。<br><br><b>4</b><b>.モール型チャイナタウン~チャイナモール~</b><br> 一般にチャイナモール(China mall,中国商場)と呼ばれる新華僑経営の店舗が集中するショッピングモールが,Crown Cityなどヨハネスブルグの市内各地に形成されている。これらチャイナモールは,新華僑の重要な経済活動の場であるとともに,居住・生活の場でもあり,モール型ニューチャイナタウンである。チャイナモールでは,中国から輸入した様々な商品を現地向けに販売する新華僑が経営する店舗が集まっており,防犯のため,高い塀で囲まれ,自動小銃を構えた警備員が警戒している。<br> ヨハネスブルグでは,上述したような3つの類型のチャイナタウンを確認することができた。オールドチャイナタウンの衰退やチャイナモールの厳重警備も,治安悪化というヨハネスブルグ特有の地域的特色を反映しているといえる。<br><br>〔付記〕本研究を進めるにあたり,平成29~33年度科学研究費基盤研究(B)(一般)「地域活性化におけるエスニック資源の活用の可能性に関する応用地理学的研究」(課題番号:17H02425,研究代表者:山下清海)の一部を使用した。<br><b>文献</b><br>山下清海(2016):『新・中華街―世界各地で<華人社会>は変貌する』講談社.<br>山下清海(2019):『世界のチャイナタウンの形成と変容』明石書店.
著者
楮原 京子 今泉 俊文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.96, 2003

はじめに鳥取県の西部に位置する弓ヶ浜半島は,美保湾と中海を隔てるように,本土側から島根半島に向かって突き出した砂州であり,主として日野川から供給された砂礫層によって形成された.この砂州は大別して3列の浜堤列(中海側から内浜・中浜・外浜とよばれている)からなり,完新世の海面変化に伴って形成された.また,このうち,外浜は,中国山地で広く行われた「鉄穴流し」による土砂流出の影響を強く受けている(藤原,1972,貞方,1983,中村ほか,2000などの研究). 近年,日野川流域に建設された多数の砂防ダムや砂防堰堤によって流出土砂量が減少し,この砂州の基部にあたる皆生温泉付近では,海岸侵食が深刻化している.筆者らは,空中写真判読と現地調査,既存ボーリング資料,遺跡分布資料などから,弓ヶ浜半島の砂州の形成史と海岸線の変化を明らかにし,その上で,鉄穴流しのもたらした影響,現在深刻化する海岸侵食について2から3の考察を行った.主な結果1.内浜,中浜,外浜の分布形態から,内浜と外浜は,日野川からの土砂供給の多い時期に形成されと考えられる.これに対して,中浜は土砂供給の減少した時期に,内浜を侵食しながら,島根半島発達側へ拡大したと考えられる(図1).3つの浜堤列の形成年代を直接に示す資料は得られてないが,完新世の海面変化やボ[リング資料,浜堤上の遺跡の分布,鉄穴流しの最盛期等から考えると,内浜は6000から3000年前頃に,中浜は3000年から2000年前頃に,外浜は1000から100年前頃に,それぞれ形成された浜堤と推定される.2.各浜堤の面積・堆砂量(体積)を試算した.面積は地形分類図とGISソフトMapImfo7.0によって求めた.体積は半島を6地区に分割し,各地区の地質断面図から,各浜堤断面形を簡単な図形に置き換えて計測した断面積を浜堤毎に積算した.この場合,下限は海底地形が急変する水深9m(半島先端では-4m)までを浜堤堆積物と見なした.各浜堤の面積および堆積は図2に示す.3.各浜堤形成に要した時間を1.の結果とすると,各浜堤の平均堆積速度は,それぞれ内浜が1.56*105m3/年,中浜が0.58*105m3/年,外浜が1.61*105m3/年となる.外浜は,内浜の堆砂量の3分の1程度ではあるが,両者の速度には大差はない.つまり,鉄穴流しがもたらしたと考えられる地形変化は,完新世初期の土砂流出速度に匹敵する.これに対して,中浜の堆積速度は,内浜・外浜に比べると半分以下で明らかに遅い.4.日野川からの流出土砂の減少に伴って,弓ヶ浜半島基部では活発な侵食作用が始まる.中浜の面積を形成期間で除した値(0.14*105m2/年;浜堤の平均成長速度)より小さい区間では,侵食が卓越すると考えられる.現在の状況が中浜と同じとすると,侵食が著しい皆生海岸線(長さ3.5kmの区間)では,侵食速度は少なくとも平均約4m/年と見積もられる.この平均成長速度に基づいて,海岸線侵食速度を,弓ヶ浜海岸で行われた最近の土砂動態の実測値(日野川工事事務所,2002)と比較すると,例えば,皆生工区(3.32km区間)では,4.24m/年(実測値4.38m/年),工区全域(8.95km区間)では,1.57m/年(実測値2.65m/年)となり,ほぼ実測値と近似する.今回作成した地下断面は,主としてボーリング資料の記載内容と既存文献に基づくものであったので,今後は,試錐試料から,粒度分析,帯磁率,年代測定等を行い,確かなデータとしたい.
著者
朴 〓玄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.10, pp.661-675, 1997-10
参考文献数
19

The purpose of this paper is to discuss the possibility of direct and stable international linkages between nonmetropolitan cities in the international urban system between Korea and Japan in terms of banking transactions.<br> The data used in this study were obtained from 24 banks in Korea, and the author analyzed the following four points: 1) the characteristics of locational trend of Korean banks from an international viewpoint; 2) the concentration patterns of international transactions with Japan; 3) the location of branch offices with overseas management functions; and 4) the features of linkages between Korean and Japanese cities.<br> The results are summarized as follows: 1. A cluster analysis of domestic branch office location of Korean banks identified four types: national type, metropolitan type, regional type, and provincial type. Overseas branches of Korean banks have mostly been established by those headquartered in Seoul, and branches of foreign banks are concentrated in Seoul.<br> 2. Korean banks are classified into four types according to the location of overseas management office: one-center type, two-center type, three-center type, and decentralized type. An ANOVA analysis of the concentration of transactions with Japan by each type revealed that the linkages between Seoul and Tokyo are significantly stronger than those between other cities.<br> 3. Lorenz curves of office location show that branches with overseas functions are more concentrated in Seoul and Tokyo, and among the nonmetropolitan cites are relatively more heavily concentrated in Fukuoka, Taegu, and Pusan.<br> 4. Results from the case studies of two Korean banks headquartered in Taegu and Pusan are: 1) both banks have their overseas management offices in their headquarters, in contrast to other local banks which have their overseas management offices in Seoul; and 2) among the nonmetropolitan cities in Japan, both banks have also small-scale transactions with Fukuoka.<br> 5. In conclusion, linkages between nonmetropolitan cities in the international urban system are still weak, but the international business functions of branches in local cities are expected to promote regional economic development and to transform the structure of the international urban system.