著者
逸村 裕 小川 治之 緑川 信之 金子 昌嗣 斎藤 憲一郎
出版者
社団法人情報科学技術協会
雑誌
ドクメンテーション研究 (ISSN:00125180)
巻号頁・発行日
vol.33, no.6, pp.273-279, 1983-06-01

理工学34分分野の雑誌を対象に,引用数,自誌引用率,被引用数,impact factor,decay index,immediacy indexの各引用尺度について調べ,分野ごとに平均を計算した。その結果,以下の点が明らかにされた。 (1)一般に,引用数の多い分野ほど,被引用数も多く,impactfactorの値も高い。応用・複合科学分分野は,被引用数,impact factorがともに低い。(2)decay indexの値は分野による差があまり大きくない。ただし,伝統的な分野よりも,最近発達してきた分野の方が,比較的値が大きい。(3)immediacy indexは,分野による差が大きい。応用・複合科学,および数学,力学などの伝統的な分野で値が低い。
著者
古谷 大輔
出版者
大阪外国語大学
雑誌
IDUN (ISSN:02879042)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.241-258, 2006

Maktfordelningen mellan de suverana staterna i det tidiga moderna Europa utvecklades under trettioariga kriget, dar Sverige vann militart och bleu en stormakt runt Ostersjon. Darfor brukar manga forskare rikta in sig pa den svenska armen i utsikt om alt visa hur den militara utvecklingen tvingade staten att exploatera sina resurser pa ett annat satt och att modernisera statsforvaltningen. Som skal till att Sverige kunde bli en stormakt efter Gustav II Adolfs tid anges att den moderna stat, som byggdes upp pa 1600-talet hade ett rationellt system med varnplikt eller skatt. Men den tolkningen forutsatter att den moderna staten forvaltats endast inom dess grans. Malet fdr uppsatsen ar att undersoka hur Sverige finansierade trettioariga kriget och forklara hur Sverige forvaltades inom och utom dess granser. Efter att Gustav II Adolf med den svenska armen landsteg i norra Tyskland sommaren 1630, okade antalet soldater i den svenska armen plotsligt. Sverige behovde pengar for att anstalla dessa i Tyskland, men under det svenska finanssystemet pa 1600-talet kunde Sverige inte ta in pengar fran hemlandet, eftersom skatt i princip var insamlad in natura. Darfor tankte Gustav II Adolf och andra statsledare att kriget pa kontinenten maste finansieras av pengar som inkasseras fran andra lander. Svenska militarledare forbjod plundring, men svenska armen samlade in kontribution fran omradena som den hade besatt i Tyskland. Detta var grunden till att svenska armen kunde beviljas krediter pa kontinenten. Sveriges kammarkollegium utsag nagra svenska och nederlandska kopman som agenter for svensk krigsfinansiering i nagra stader langs kusten av Nordsjon och Ostersjon, till exempel i Amsterdam, Hamburg, Stettin, Stralsund osv., och forordnade dem att skicka pengar till svenska armen i norra Tyskland. De frammande kopman som hade forbindelser med svenska agenter lanade ut pengar mot borgen for skatt eller resurser som Sverige skulle skaffa i framtiden. Svenska militarledare anvande krediten och kunde inkassera pengar paa kort tid pa detta satt. Sveriges stormakt var alltsa beroende av internationella manskliga och ekonomiska natverk for sin krigsfinansiering.
著者
続 有恒 冨安 芳和 織田 揮準 荻野 惺
出版者
名古屋大学
雑誌
名古屋大學教育學部紀要. 教育心理学科 (ISSN:03874796)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.71-85, 1968-03-25

国立情報学研究所で電子化したコンテンツを使用している。
著者
鈴木 勝 新国 俊彦 谷津 三雄 鈴木 邦夫
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.51-54, 1973-08-10

「よはひ草」は昭和2年ライオン歯磨本舗が「歯展」を東京,大阪,名古屋などで開いた時の資料をもととして編集され,昭和3年〜6年までの3年間に計6冊が刊行された.本書は歯に関する古医書の考証から文献の出典や記録又,伝説,迷信から揚枝,歯磨,意匠,染黒歯など,歯学史上のみならず文学,風俗学,人類学など歯に関する極めて重要な文献資料の大集成である.第1輯の凡例に「文献は最初原稿を作った時,多く手近なものから始めたので,孫引もあったが,校正の際はでき得る限り原本とつき合はして,努めて原文通りにした」とあり,又,第2輯の凡例に「本輯に於ても前輯通り,総て原形を尊重して置いた」又第3輯に「よはひ草は,あくまでも生のままの原料である.之を活かすも,むだにするのも,扱ふ人の腕次第,心次第である」又第4輯に「よはひ草第1輯を出してから年を亘っただけに,文献の如きは多く原本に就てつき合はすことができるやうになったが,それでも尚一二の孫引がある.これは今後とてもなくすことはできないであろう」と記し,第5輯に「歯に関する文献資料は決して古今東西を網羅したといふではないが,普通の人の考へつく範囲のものは略収めたつもりである.これより以上の蒐集は寧ろそれを欲する人かぎりの仕事ではあるまいか」又「読者諸君は之に拠って,より有益なる,より有趣味なる論文なり随筆なりを羸ち得られたり,また之に拠って,種々なる発見思付を示されたり,それが篇者発行者の最初より最後まで熱望して巳まない所である」と結んである.そこで,今回の復刊を機に,本書に集録されている文献を,日大松戸歯科大学資料館に蔵する原本と比較し2,3の検討を加えてみたので報告する.
著者
加藤 秀起 津坂 昌利 小山 修司 前越 久
出版者
公益社団法人 日本放射線技術学会
雑誌
日本放射線技術学会雑誌 (ISSN:03694305)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.615-623, 1998
参考文献数
16
被引用文献数
1 1

An x-ray spectrum measured by a semiconductor detector is different from the incident x-ray spectrum to the detector, because of distortions caused by energy-dependent responses of the detector and statistical and electrical fluctuations in the signal amplifying process. In this paper, we discuss a method for correcting the statistical and electrical fluctuations of the x-ray spectrum, using the unfolding method with a function based on the Gaussian distribution. Unfolding the measured x-ray spectrum by this method, K-α and K-β characteristic x-rays were clearly separated into two line spectra, and energy resolution was improved. The unfolding method, when used to supplement the stripping method that is generally applied to x-ray spectra correction, will provide enhanced correction of x-ray spectra.
著者
小沼 順二 千葉 聡
出版者
日本生態学会
雑誌
日本生態学会誌 (ISSN:00215007)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.247-254, 2012-07-30
被引用文献数
1

分布の重複する2種が、異所的な個体群間では同様の形質値を示す一方で、同所的な個体群間では異なる形質値を示すことがある。形質のこのような地理的パターン形質置換とよばれ、種間相互作用が形質分化に影響を与えたことを示す重要な証拠となる。形質置換は、「生態的形質置換」と「繁殖的形質置換」の2つに分類される。生態的形質置換とはフィンチのくちばしやトゲウオの体型のように、資源利用に関わる形質の分化パターンのことであり資源競争がその主要因として考えられる。一方、繁殖的形質置換とは体色や鳴き声など繁殖行動に関わる形質の分化パターンのことであり、交配前隔離機構の強化の結果生じる分化パターンをさす。種間交雑によって生じるコスト、すなわち「繁殖干渉」を避けるように、交配相手認識に関わる形質が種間で分化するパターンといえる。これまで多くの生態的形質置換研究事例が報告されてきたが、実際それらにおいて種間競争を示した研究は非常に少ない。そこで我々は「生態的形質置換と思われている形質分化パターンの幾つかは実際には資源競争が要因ではなく繁殖干渉によって生じたのではないか」という仮説を立てた。特に体サイズのように資源利用や繁殖行動両方に関わる形質の分化では、資源競争の効果を考えなくても繁殖干渉が主要因として働き形質分化が生じる可能性を考えた。そこで同所的種分化モデルを拡張したモデルを用い本仮説の理論的検証を行った。その結果、たとえ種間に資源競争が全く存在しないという条件下においても資源利用に関わる形質が隔離強化の結果として2 種間で分化し得ることを示すことができた。この結果は、繁殖干渉が種間の形質差を導く主要因になり得ることを示している。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.17-30, 2013

『源氏物語』の桐壷巻に、亡き桐壷更衣の母君を帝の使い命婦が訪れ、帝の言葉を伝え、共に亡き更衣を偲ぶ名場面がある。娘を亡くした母君の歎きのことば「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、」について『河海抄』には「荘子日寿則多辱」という注がある。しかし、「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、」の「いとつらう」と『荘子』の「寿則多辱」の「辱多し」とでは、かなり意味がずれる。一方、白楽天の「感旧」の詩は、二十年の問に親しい四人の友人が次々に亡くなり、自分だけが生きながらえた実感を結びの句で「人生莫羨苦長命命長感旧多悲辛(人生羨むこと莫かれ苦だ長命なることを命長ければ旧に感じ悲辛多し)」と直裁に表現しており、読者の心を打つ。晩年の白詩には、このような飾り気の無い率直な表現が多い。親しい人々を次々と亡くした実感を素直に述べており、万人の心を打つもののあはれが詠まれている。白氏文集を愛読し、『源氏物語』の中に多く利用した紫式部はこの詩も知っていて、桐壷巻に利用した可能性もある。『源氏物語』の中には『荘子』を利用した明確な例は「寿則多辱」を除けば認めにくい。従来の注の検討を行い、白詩との関係を考察する。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.(17-30), 2013

『源氏物語』の桐壷巻に、亡き桐壷更衣の母君を帝の使い命婦が訪れ、帝の言葉を伝え、共に亡き更衣を偲ぶ名場面がある。娘を亡くした母君の歎きのことば「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、」について『河海抄』には「荘子曰く寿則多辱」という注がある。しかし、「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、」の「いとつらう」と『荘子』の「寿則多辱」の「辱多し」とでは、かなり意味がずれる。一方、白楽天の「感旧」の詩は、二十年の問に親しい四人の友人が次々に亡くなり、自分だけが生きながらえた実感を結びの句で「人生莫羨苦長命 命長感旧多悲辛(人生羨むこと莫かれ苦だ長命なることを命長ければ旧に感じ悲辛多し)」と直截に表現しており、読者の心を打つ。晩年の白詩には、このような飾り気の無い率直な表現が多い。親しい人々を次々と亡くした実感を素直に述べており、万人の心を打つもののあはれが詠まれている。白氏文集を愛読し、『源氏物語』の中に多く利用した紫式部はこの詩も知っていて、桐壷巻に利用した可能性もある。『源氏物語』の中には『荘子』を利用した明確な例は「寿則多辱」を除けば認めにくい。従来の注の検討を行い、白詩との関係を考察する。
著者
伊藤 貴之 山田 敦 井上 恵介 古畑 智武 嶋田 憲司
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.252-253, 1997-09-24

CADなどで生成された形状を細かい要素の集合に分割するメッシュ生成技術は、計算力学、形状表現、画像生成などの各分野に広く用いられている。もっとも有名なメッシュ生成手法の一つに、Delaunay三角メッシュ生成法がある。この方法は、平面中に与えられた多数の節点(ノード)を連結して三角形要素の集合を生成する方法であり、三角形要素の最小角度が最大になるようにメッシュを生成する。特に、形状の外周(Outside loop)、穴(Inside hole)、内部線分(Inside wire)などを制約条件にして(図1(a)参照)、制約条件を破損しないように三角メッシュを生成する、制約つきDelaunay三角メッシュ生成法が広く実用されている。ここでいう「制約条件を破損しない」とは、制約条件を構成するすベての線分(制約線分)が1個または2個の要素の辺となるように三角メッシュを生成することを意味する。制約つきDelaunay三角メッシュ生成法の典型的なアルゴリズム[1]では、制約線分がない状態で三角メッシュを生成し、そのメッシュに制約線分を追加し、制約線分と交差する要素を除去し、その領域におけるメッシュを再生成する(図1(b)参照)。しかしこの手法では、非常に多数のノードや制約線分をもつ場合に、要素と制約線分の交差判定処理、および再メッシュ生成処理の処理時間が大きくなる。本報告では、要素と制約線分との交差判定などの処理時間を低減する、制約つきDelaunay三角メッシュ生成法の効率的な実装方法(図1(c)参照)を提案する。本手法では、まず制約線分に接するノードを処理し、2辺が同一制約線分と文差する三角形がある場合には、メッシュをそのノードの処理前の状態に戻し、別のノードを先に処理する。この処理を終えた時点で、すべての制約線分は1個または2個の三角形要素に共有された状態となる。その後に、制約線分に接しないノードを処理して三角メッシュを完成する。この時、制約線分に接しないノードの処理において、新しい三角形要素と制約線分の交差判定をすることなく、制約線分の破損を防ぐことができる。よって、従来の手法よりも、制約線分との交差判定を少なくすることができる。
著者
久志本 秀夫
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.22, pp.31-43, 1974-03-20

Si conserva alla Biblioteca Nazionale di Firenze un documento interessantissimo II, IV, 128, fols. 108^V-110^r)che ci fa intravedere un episodio durante il Concilio di Firenze. Circa settecento greci Con l'imperatore Giovanni VIII vennero in Italia per riunirsi Con la Chiesa di Roma. Il 6 luglio 1439 la riunione fu compiuta e il 27 del mese medesimo l'imperatore fece un'escursione a Pistoia e Prato. Ritornando a Firenze si riposo a Peretola fino alla tarda sera. In compagnia c' erano uomini famosi come Agnolo Acciaiuoli e Ciriaco d' Ancona. Giovanni Pigli che ospito loro nella case sua lascio un documento autografo descrivendo quella che aveva visto durante il giorno. Questo documento contribuisce a conoscere la biografia di Ciriaco d' Ancona le cui notizie sono poche dal 1438 al 1442. Il Setton l' ha fatto conoscere negli Stati Uniti(1958)e il Ricci in Italia(1962)ignorando il lavoro del Setton. C' e la differenza delicata tra di loro. Per esempio, il primo legge "Ricciardo" per un gentiluomo di Peretola, mentre il secondo lo chiama come "Riccardo". Ho introdotto la vita breve di Giovanni VIII e tradotto il documento aggiungendo i commenti.
著者
山本 郁男
出版者
みやぎん経済研究所
雑誌
調査月報
巻号頁・発行日
no.139, pp.2-7, 2004-12
出版者
桃山学院大学
雑誌
桃山学院大学人間科学 (ISSN:09170227)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.325-338, 2000-12-20