- 著者
-
岡本 貴久子
Kikuko OKAMOTO
オカモト キクコ
- 出版者
- 総合研究大学院大学文化科学研究科
- 雑誌
- 総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
- 巻号頁・発行日
- no.9, 2013-03-28
本研究では近代日本において実施された「記念」に樹を植えるという行為、即ち「記念植樹」に関する文化史の一つとして、明治12(1879)年に国賓として来日した米国第18代大統領U.S.グラント、通称グラント将軍による三ヶ所(長崎公園・芝公園・上野公園)の記念植樹式に焦点をあて、それが行われた公園という空間の歴史的変遷を分析することによって、何故そうした儀式的行為が営まれたかという意図とその根底に備わっていると見られる自然観を考察した。 なぜ記念植樹か。実は近代化が推進される当時の日本において記念碑や記念像が相次いで設置されていく傍らで、今日、公私を問わずあらゆる場面において一般的となった記念樹を植えるという行為もまた同様に、時の政府や当時を代表する林学者らによって国家事業の一環として推進されていたという事実があり、加えてこうした儀式的行為を広く一般に浸透させる為に逐一ニュースとして記事にしていた報道機関の存在から、記念に植樹するという行為もまた日本の近代化の一牽引役として働いていたのではないかと推測され得るからである。 本文では1872年のグラント政権が開国後間もない新政府の近代化政策に与えた諸影響を中心に論じたが、例えばこのグラント政権下において米国で初めて国立公園が設定され、Arbor Dayという樹栽日が創設され、且つ同政権下の農政家ホーレス・ケプロンが開拓使顧問として来日、増上寺の開拓使出張所を基点に北海道開拓を指揮するなど、グラント政権下における殊に「自然」に関わる政策で新政府が手本としたと見られる事柄は少なくない。こうした近代化の指導者ともいうべきグラント将軍による記念植樹式は、いずれも明治6(1873)年の太政官布告によって「公園」という新たな空間に指定された社寺境内において営まれ、米国を代表する巨樹「ジャイアント・セコイア」等が植えられたのだが、新政府にとってそれは単に将軍の訪日記念という意味のみならず、「旧習を打破し知識を世界に求める」という西欧化政策を着実に根付かせる意図を持ってなされた儀式的行為であったと考えられる。しかしながら同時にこの儀式的行為は、「樹木崇拝」という新政府が棄てたはずの原始的な自然崇拝が根底に備わるものであり、新旧の自然思想が混淆している点を見逃してはならない。 従って明治初期の記念植樹という行為は、新旧あるいは西洋と東洋の思想とかたちと融和させるために行われた一種の儀式的行為であり、明治の指導者たちはこのような自然観を応用しながら近代化促進につとめたといえるのではないだろうか。Planting memorial trees is today a common practice. The act of planting such trees indeed contributed to the promotion of Japanese policies of modernization in the Meiji era, no less than erecting monuments or memorial statues. Two facts support this hypothesis. First, there are texts encouraging the planting of memorial trees, some written by Honda Seiroku, professor of the Imperial University of Tokyo, who laid the groundwork for modern forestry, and others issued by such government offices such as the Ministry of Agriculture, Commerce and Forestry. Second, the media came to recognize the news value of memorial planting and reported on it. Under these circumstances, memorial trees were planted widely as rites of national significance in modern Japan. The event that I examine here is the ceremony commemorating General Ulysses S. Grant’s visit to Japan as a state guest in 1879. Materials indicate that General Grant planted memorial trees at three different parks, all of which were former landholdings of Buddhist temples and Shinto shrines, transformed now into modern Japan’s first public parks by decree in 1873. An analysis of the characteristics and historical changes of these park spaces and the types of memorial trees chosen for planting suggests that the intention was to reflect the policy of Westernization in Japan, with its emphasis on breaking with the past and obtaining new knowledge. At the same time, the root of these ritual practices can be seen in the worship of trees which the government otherwise rejected. There is evidence here that an admixture of old and new ideas regarding nature was one source powering this particular aspect of the promotion of modernization in Japan.