著者
石 弘之
出版者
日経BP社
雑誌
日経エコロジー (ISSN:13449001)
巻号頁・発行日
no.112, pp.73-75, 2008-10

【あらすじ】あまり読まれることのないプラトンの著書になかでも、クリティアスだけがよく読まれているのは、副題にもあるように幻の大陸「アトランティス」が登場するからだ。アテナイ(アテネの古名)は、かつてアトランティス大帝国を相手に戦い勝利を収めた。その栄光のアテナイの環境がその後いかに荒廃したか、プラトンは嘆き悲しむ。
著者
鈴木 靖民
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.152, pp.315-327, 2009-03

7世紀,推古朝の王権イデオロギーは外来の仏教と礼の二つの思想を基に複合して成り立っていた。遣隋使は,王権がアジア世界のなかで倭国を隋に倣って仏教を興し,礼儀の国,大国として存立することを目標に置いて遣わされた。さらに,倭国は隋を頂点とする国際秩序,国際環境のなかで,仏教思想に基づく社会秩序はもちろんのこと,中国古来の儒教思想に淵源を有する礼制,礼秩序の整備もまた急務で,不可欠とされることを認識した。仏教と礼秩序の受容は倭国王権の東アジアを見据えた国際戦略であった。そのために使者をはじめ,学問僧,学生を多数派遣し,隋の学芸,思想,制度などを摂取,学修すると同時に,書籍や文物を獲得し将来することに務めた。冠位十二階,憲法十七条の制定をはじめとして実施した政治,政策,制度,それと不可分に行われた外交こそが推古朝の政治改革の内実にほかならない。
著者
佐谷 眞木人
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. ドイツ語学・文学 = Hiyoshi Studien zur Germanistik (ISSN:09117202)
巻号頁・発行日
no.58, pp.131-144, 2019

1. はじめに2. 柳田はいつ, どのようにしてKHMと出会ったのか3. 渡欧後の柳田と昔話研究4. ドイツ民俗学とグリムと柳田5. おわりに羽田功教授退職記念号 = Sonderheft für Prof. Isao Hada
著者
出口 顯
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.221-241, 2015

本稿ではヌアーとディンカの宗教研究におけるエヴァンズ=プリチャード(E-P)とリーンハートの思想の意義を、近年のアニミズム的存在論にも言及しながら検討する。まずシベリアのチュクチの供犠において生け贅の代用について論じるウィレスレヴの議論とE-Pによるヌアーの供犠における代用の解釈を比較する。代用を可能にする類似性が物質と物質のあいだにみられ、観念は物質の一形態であると説くウィレスレヴに対して、代用において類似しているのは観念と観念であると説くE-Pは、観念と物質の非連続性を強調する。ついで、人間から遠くかけ離れていながらも人間の生活に直接介入し体験される神の存在を理解するために、インゴルドによるメッシュワークという考え方を応用する。人間は神が張り巡らし神の一部でもあるメッシュワーク上にあり、人がメッシュワークに絡み取られる経験の相に応じて、現れる神の姿は異なる。そしてこの神と人々の経験の結びつきをさらに論じたのがリーンハートである。「力」(神性や神霊)がディンカの経験のイメージであるとリーンハートが言うとき、イメージとは視覚的印象ではなく、連続した生の経験を一定の配置のもとで人々に把握させ、経験への対処を定めさせるものである。「カ」が過去の出来事の保管庫であるなら記憶は「力」という外部から人間に到来するものであり、人の心は「力」の介入を俟ってはじめて成立する。リーンハートのこの思想は「機械の中の幽霊ドグマ」で有名な哲学者ライルの影響を受けているが、彼らと照らし合わせるとき、ヴィヴェイロス・デ・カストロやデッコラのアニミズム論は、彼らが批判しているはずの心身二元論という「機械の中の幽霊ドグマ」を乗り越えていないことがわかる。E-Pも心身二元論とは異なる立場にいたが、Nuer Religionは神観念をめぐるシニフィアンとシニフィエの安直な連結を解体する試みとして読まれるべきである。
出版者
海人社
雑誌
世界の艦船
巻号頁・発行日
no.840, pp.93-98, 2016-07
著者
新藤 浩伸
出版者
東京大学大学院教育学研究科生涯学習基盤経営コース内『生涯学習基盤経営研究』編集委員会
雑誌
生涯学習基盤経営研究 (ISSN:1342193X)
巻号頁・発行日
no.36, pp.17-31, 2011

日本において博物館は, 施設建設が一定の成果をみた現在, 財政難等の様々な課題に直面しつつも,制度改革の途上にある。しかし, 制度改革の途上にある現在だからこそ必要な「博物館とは何か」という根本的な問いは, 博物館学が多領域にわたることなどから十分とはいえない。これに対し本論では,第一に, 議論の前提として近年の博物館の現状および制度改正の動向を, 背景にある状況とともに概観する。第二に, 近代国家の機関としての博物館に向けられた批判の論点をふまえ, それにこたえていくにあたり,(1)公共施設としての意味, (2)コレクションと場所としての意味, (3)博物館において学ぶことの意味という観点から検討する。そして第三には, 近年の文化施設研究, および文化の視点からの教育学研究の検討を通して, 生涯学習社会における文化学習基盤としての博物館のあり方について展望的に考察する。論文/Theses
著者
山口 富一
出版者
新潟医療福祉大学
雑誌
新潟医療福祉学会誌 (ISSN:13468774)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.36-42, 2005-03-14

言語聴覚士 (ST) の分野である聴覚障害 (児) 者に対することばの指導やコミュニケーション方法獲得に対する取り組みは古くから行われてきている。国内外の取り組みの歴史と専門職としての言語聴覚士誕生の経緯と、日本における言語聴覚士の国家資格制度が遅れたいきさつを年代を追って、関係諸団体の主張と対立・意見調整の過程を振り返る。言語聴覚士の活躍する多様な職場と多様な養成機関の並存という現状を踏まえての養成が必要と考える。
著者
赤堀 三郎
出版者
東京女子大学現代教養学部国際社会学科社会学専攻紀要編集委員会
雑誌
東京女子大学社会学年報 = Tokyo Women's Christian University annals of sociology (ISSN:21876401)
巻号頁・発行日
no.6, pp.47-54, 2018

日本では近年,不寛容が広がりつつあると言われている.不寛容社会という言葉が使 われることもある.本論文は,社会が不寛容になっているか否かを検証したり,社会の不寛容さを道徳的・倫理的見地から嘆いたり非難したりするものではない.本論文で問うのは,不寛容社会が「どのように観察されているか」である.そしてこのことを通じて,近代化や文明化のもつパラドクシカルな性質を扱うための一般的な枠組を探究する.そのためにここでは,社会を一種の観察者として把握し,その観察の仕方を問う「セカンド・オーダーの観察」の視座に立つ.ここから,次のようなことが言える:まず,社会の不寛容さは寛容/不寛容の区別を用いることで観察されており,その背 景には「文明化した社会は寛容であるべきだ」という考えが隠されていることがわかる.次に,社会学理論の知見をあてはめれば,不寛容さの蔓延は文明化に逆行するものではなく,むしろ文明化の当然の帰結であると言える.不寛容社会は文明化や「よりよい社会」の追求が往々にして正反対の結果をもたらすというパラドックスの一例として捉えることができ,この意味で注目に値する.そして,ニクラス・ルーマン『社会の社会』で論じられている「社会の自己記述」という循環的な図式を用いることで,この種のパラドクシカルな現象の発生メカニズムに接近することができる.社会の望ましさの追求と密接に結びついた不寛容社会のような自己記述は,往々にして当初の目的に反する望ましくない帰結をもたらす.この種の問題に対処するとすれば,たとえば不寛容を現象の水準ではなく言説という水準で把握し,言説が逆機能をもたらす仕組みを解明して,そこに見られる悪循環の円環を断ち切ることがその処方箋となるだろう.