著者
和気 純子
出版者
首都大学東京人文科学研究科社会福祉学分野
雑誌
人文学報 = The Journal of social sciences and humanities (ISSN:03868729)
巻号頁・発行日
no.484, pp.1-25, 2014-03

主任介護支援専門員、社会福祉士、保健師等が必置とされる地域包括支援センターでは、3 職種が各自の役割を果たしながら、チームアプローチによって高齢者の地域生活支援を展開することが期待されている。しかしながら、包括的支援事業とともに介護予防支援事業への取り組み求められる状況で、負担が大きいとされる支援困難ケースをめぐる各職種の業務分担やチームアプローチの具体的展開は必ずしも明らかにされていない。そこで本研究では、地域包括支援センターへの全国調査から、支援困難ケースをめぐる3職種の実践内容をその異同に着目して分析し、それらをふまえた支援困難ケースへの対応のあり方を考察した。調査の結果から、3 職種の基本属性に差異が認められ、社会福祉士で男性、20~30 代の若い職員が多いことが明らかになった。権利擁護や総合相談など多機関との連携を要する業務や支援困難ケースへの対応でも社会福祉士が大きな役割を果たしていることが判明する一方、社会福祉士がこれらの業務をより困難に感じ、また、関連機関との連携の必要性をはじめ、ネットワークやチームアプローチ、自治体の後方支援等の必要性を強く認識していることも明らかになった。支援困難ケースに対する効果的な実践の方法や体制の確立には、権利擁護への対応等で支援困難ケースを多く抱える社会福祉士に対し、医学、介護予防、臨床的な専門療法の知識や対応方法、ネットワーキングやチームアプローチなどの多様な技法の習得支援と、適切なスーパービジョンの授受が求められる。
著者
太田 富康
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.9, pp.107-123, 2013-03

明治12(1879)年から大正15(1926)年の間、府県と町村の中間に置かれた地方行政機関である郡役所のなかには、「郡報」「郡公報」「郡時報」等の名称の定期刊行物(以下「郡報」と総称)を発行するものが少なくなかった。明治30年代までの郡報は、郡制施行を契機とする公布公告のための「公報誌」で、官報や府県公報誌同様のスタイルをとった。このスタイルのものも、「彙報」により様々な行政情報、地域情報を伝達する機能を有していたが、明治40年代から大正期に創刊された郡報は、公布式による公布公告機能を離れ、広報的機能を大きく拡充させたものに移行していく。これは、明治41年の戊申詔書発布以降に本格化した地方改良運動(後継としての民力涵養運動を含め)推進を目的とするものであったといえる。上意下達の指揮監督に留まらず、住民や団体の自発的な活動を促そうとする「運動」であったがゆえに、必要な情報が積極的に郡内を環流する必要があったからである。近代日本にアーカイブズ制度は導入されず、公文書が公開されることは基本的にはなかった。しかし、これを原議文書に限定せず、行政記録全般に拡げ、行政情報の統制と周知という情報施策を考えるとき、それだけで済ませることはできない。民間新聞の奨励から規制への転換にみられるように、国策遂行に沿わない情報が統制された一方で、必要な情報は積極的に周知伝達される必要があった。中央集権国家建設期にその必要性は高く、そのためのメディアとして早々に『太政官日誌』が生まれ、自由民権運動に対抗するように『官報』が創刊された。明治後期には地方でも府県公報誌が拡がった。これに対し、地方改良運動は町村を対象単位とする政策であり、このレベルまでの情報の周知伝達と理解受容が求められた。ここにおいて、郡役所までが独自の行政情報伝達メディアを保持するに至る。そこには、そのメディア的性格を「公報」から「広報」へと転換させるという、行政情報史上の画期ともいうべきものがあった。Still in modern times, the idea of archives policy had not long been introduced into Japan and public records had not opened to the public. On the other hand, there was information that must to be announced to them. In the latter half of Meiji and Taisho Era, there was a need to strengthen the announcement function for the purpose of promoting the local improvement movement (Chiho Kairyo Undo). During this period many county office (gunyakusho) issued various kinds of official bulletin (gun-ho). This was an epoch-making event in the history of the information-utilization by local administrations. Today they have become valuable archives.
著者
韓 載香
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.377-400, 2007-11-25

本稿は,パチンコ産業を対象として,在日韓国朝鮮人(以下,在日と略記)コミュニティ内に蓄積される産業関連の経営資源に注目し,同産業への大量参入が実現し,結果的に代表的産業となったことを考察する。産業好況期に在日が集中的に参入できたのは,衰退産業に代わる事業転換先・多角化事業の投資先・新規参入先としてなど,参入する複合的契機がある一方,ビジネスチャンスの発見と参入を容易にする資源が存在したからであった。そのような資源は,1950年代前半に在日コミュニティ内部に基礎的に形成された。在日は,同産業への関与者が多くなるにつれて,人を媒介とした伝播などインフォーマルな形で市場情報に接しやすい環境におかれた。同産業が全国的市場基盤をもっていたため,情報は直接的な競争を生み出さずに共有されえた。一方で,同産業の影の部分が社会的に批判され,ビジネスとして高いリスクの認識が固定化されると,社会からの参入が制限されるようになった。このように,在日は,一般的に参入が抑制されるなか,経営資源をコミュニティ内で入手できる独特な状況下で,参入と集積を進行させてきたのである。
著者
天谷 祐子
出版者
東海学園大学
雑誌
東海学園大学研究紀要. 人文学・健康科学研究編 (ISSN:1349161X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.17-31, 2007-03-31

本研究は、Leeによる恋愛類型理論に基づき松井・木賊・立澤・大久保・大前・岡村・米田(1990)が作成した恋愛観尺度(LETS2)とAron(1992)による一体感尺度(IOS)と天貝(1995)による信頼感尺度を大学生にたずねたものである。研究1では200名の大学生を対象に恋愛観尺度と一体感尺度を質問した。結果として(1)全ての大学生(全ての群)が恋人よりも将来の結婚相手により親密さを感じていた。(2)恋人のいる人は、そうでない人よりもエロス得点の高さが恋人との一体感と関連していた。恋人はいないが恋愛経験のある人はすべてのLETS2得点と一体感と関連していなかった。恋愛経験のない人は、エロス、アガペ、マニア、ストーゲイの高さと一体感が関連していた。研究2では379名の大学生が恋愛観尺度と信頼感尺度に回答した。結果として(1)恋愛経験のある人はそうでない人よりも信頼感得点が高かった。(2)恋人がいてその恋人と結婚したいと考えている人は、他の群よりもエロス得点が高かった。
著者
Willcox Donald Craig
出版者
沖縄国際大学総合学術学会
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-16, 2007-07

20世紀、先進国においては平均寿命の性差が広がり、女性が男性を大きく引き離すようになった。ところが1970年代になると、性差が逆に縮小を始め、多くの先進国で性差が縮まっていった。その傾向にありながら、日本は例外的に性差がますます広がりつつある。沖縄県は、県民の平均寿命が高いことで知られてきた。しかしながら、最近では日本全国と比較すると平均寿命の延びが鈍化し、沖縄男性の平均寿命においてはもはや全国の平均寿命を下まわる。2000年に厚生労働省から発表された「都道府県別平均寿命」で沖縄県の男性の平均寿命が47都道府県の全国の内26位に順位を落としたものの、女性は平均寿命1位を維持し、男女間では大きな差がみられる。本研究の目的は、沖縄と本土における平均寿命の性差の要因となる死亡率と年齢層の関係を明らかにすることである。本研究は1975年から2000年にかけての生命表及び人口動態統計を主に参考文献とした。その結果1975年から2000年もの期間において、男女共に沖縄は本土よりも平均寿命の伸びが鈍化したことを示した。さらに、この25年間の期間で、沖縄(6.81年から8.37年)と本土(5.22年から6.91年)両方で男女間における平均寿命の差が大きく広がった。現在における平均寿命の延びは男女共に、特に75歳以上の高齢者の死亡率の低下が大部分を占める。沖縄と本土において、循環器疾患(心疾患および脳血管疾患を含む)の死亡率の低下が平均寿命の延びに貢献した。しかしながら、循環器疾患の低下は、全国と比較して長寿だとされる沖縄よりも本土が顕著である。6大死因による死亡率は、全てにおいて女性より男性が高く、特に、不慮の事故(交通事故を含める)及び自殺率が高い。沖縄の男女間における平均寿命の大きな性差は、男性の悪性新生物(特に肺の悪性新生物)、比較的に高い比率の循環器疾患及び自殺などが重要な要因である。
著者
石川 幹人
出版者
情報文化学会
雑誌
情報文化学会誌 (ISSN:13406531)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.11-20, 2000-11-18
参考文献数
13
被引用文献数
1

本論文は, メディアがもたらす環境変容に関する意識調査の一例を報告し, それを通して, メディア環境の設計における意識調査の役割の重要性を指摘する。本研究では, 電車内の携帯電話使用は控えるべきというマナーに注目し, 大学生の意識を調査した。いくつかの社会学の文献では共同体仮説(マナーは携帯電話が電車内の一時的な共同性を破壊することに由来する)が提唱されているが, 本調査では音仮説(マナーは単に音がうるさいことに由来する)のほうが有力であるといった結果が得られた。しかし, 共同体仮説を支持する少数意見も得られた。また, 心理的な不安傾向との相関も調査したが, 顕著な相関傾向は得られなかった。情報メディアの発展に伴って我々の生活様式に急速な変化が及んでいるので, こうした意識調査を機動的に行って, その結果がメディア環境の良好な設計に反映されることが望まれる。
著者
内藤 理恵子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.151-173, 2011-06-30

今日、日本の葬送文化はさまざまな変容を遂げている。本論では、特に今日のペット供養を取り上げ、伝統的に行われてきた畜生供養とどのように異なるのかを明らかにする。馬頭観音を本尊とした馬供養のように、ペット供養文化が開花する以前にも、日本では動物に対する供養は行われてきた。伝統的な六道輪廻観において動物は、地獄界・餓鬼界の次に低い畜生界に属していると考えられてきた。畜生供養は、中国撰述の『梵網経』を典拠としているが、それは牛馬猪羊など一切の動物の発菩提心を説いているため、本来は動物の成仏をめざすものである。それに対して、ペットが家族化した現在、多くの場合、飼い主は、個々のペットの他界観に関して小さな物語創作を行い、自らの死後、ペットとの再会を願っている。しかし、これはペットに限った現象ではなく、人間に対する他界観に関しても、死者を祀る側の願望にしたがって、小さな物語創作が行われてきているのが垣間見える。
著者
浜本 満
出版者
九州大学大学院人間環境学研究院教育学部門
雑誌
大学院教育学研究紀要 (ISSN:13451677)
巻号頁・発行日
no.9, pp.53-70, 2006

Anthropological writings abound in allusions to belief. Ethnographers have been accustomed to say, for example, that people of such and such place firmly believe that most of their misfortunes are caused by witchcraft of envious neighbors, or that they believe in the supreme God who controls rainfall, etc. Such descriptions have often been considered problematic, to say the least. For, as many critics argue, if the term "belief" is related to some inner state of a believer, it would be enormously difficult to infer other people's belief, particularly if they are culturally different, when you have no means of access directly to the inside of someone's mind. In this article I will show this kind of criticism is based on inappropriate assumptions about the very concept of belief, and thus is totally unfounded. As Needham's famous book "Belief, Language, and Experience" shows, this criticism might well have devastating effects on anthropological research. I will argue that the word 'believe' as well as other related concepts does not refer to any specific inner state of mind, but is related to two axes of binary estimation of the belief-object: an axis of trustworthiness (true/false distinction in reference to a proposition will be shown to be just another case of trustworthiness), and an axis of possibilities of conflicting judgment in shared discursive space (space of communication). Belief (and/or knowledge) is not simply a matter of intellectual concern, but is directly pertinent to social subject's pragmatic engagement with the world seen as a kind of a gamble-space.
著者
笹部 昌利
出版者
京都産業大学日本文化研究所
雑誌
京都産業大学日本文化研究所紀要 (ISSN:13417207)
巻号頁・発行日
no.21, pp.21-48, 2015

近世日本における「農兵」とは、疲弊した武家社会を助けるために生じた理念であり、現実性をともなうものではなかった。さらに、それはアヘン戦争の情報によって「海防」意識が高まった十九世紀になっても変わるものではなかった。「農兵」が現実的な存在となってくるのは、ペリー来航以降、外国船への対応が恒常化してからであった。鳥取藩領内においては、文久年間、大名による国事対応が頻繁化し、かつ京・大坂への兵事動員が繁多となったことによって、藩領内の警備の手薄さが再認識され、これへの対応として「農兵」による補填が図られたが、軍事インフラの充実に重きを置いた藩当局の判断により、「農兵」教導は挫折を見た。しかしながらこの折、建設された軍事インフラである台場への対応が、在地社会に委ねられたことは、民衆における軍事への志向性を生み出した。殊に、藩政の中心たる領内東部地域において、その志向性は低調で、領内西部、遠隔地において顕著であった。この民間より動員された兵力は長州戦争における活躍によってその正当性が確認され、鳥取藩内においても、「農兵」教導とあらたな「洋式」軍事編成が模索されるようになった。軽装の洋式「歩兵」は、戊辰戦争において活躍し、その後の調練次第で藩の常備兵化が期待されたが、入隊した兵が抱いた志向は、近世的身分制における褒賞と特権を重視するものであり、そのことが隊内外において混乱を生じさせた。「国民皆兵」主義の実現を目指し、あらたな軍隊の創出を目指す政府は、旧武士層たる士族の特権を否定し、幕末に生成された「農兵」をも否定した。
著者
児島 由理
出版者
実践女子大学
雑誌
実践女子短期大学紀要 (ISSN:13477196)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.69-82, 2009-03

In 1936 Kyoshi Takahama and Riichi Yokomitsu made a voyage from Japan to Europe on the same ship. After they landed at Marseilles, Kyoshi called on his son in Paris and traveled through Europe, while Yokomitsu went to see the 1936 Berlin Olympic Games after a stay in Paris and some travels through Europe. After their return to Japan, Kyoshi published Tofutsu Nikki, and Yokomitsu Oshu Kiko. Though they had similar experience on board, their records of their voyages are quite different. The purpose of this paper is to compare these two works and to consider their difference and the common social background.
著者
上田 純子
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.107, no.6, pp.1147-1176,1252-, 1998

The purpose of this paper is to explore the various meetings held in the decision-making process (kaigi 会議) within the political structure of Hagi-han (present-day Yamaguchi-ken), and to suggest a new method for reconsidering some problems in the political history of last yers of the Tokugawa era.In the first section, the author investigates kaigi convened by the Edo-toyaku (senior retainer in charge of han political affairs), when Yoshichika, the daimyo was residing in Edo. She then foc
著者
金水 敏
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.18-31, 2005-07

『天草版平家物語』に用いられた「ござる」を、文法的機能によって分類するとともに、原拠本と対照させることによって、「ござる」の意味派生の手がかりを得ることができる。「ござる」の語源的意味に近い空間的存在文では、ほとんどの用例が尊敬表現であるが、その他の用法では丁寧表現が多数を占めている。その要因は、丁寧表現には主語に対する選択制限がなく、尊敬表現より広い範囲で使用されることによると思われる。また、「ござる」の文法化、存在動詞の語彙項目の変化等も「ござる」の敬語的意味の変化に影響を与えていると考えることができる。