著者
葛山 元基 小山 泰宏 岡﨑 久美 高村 隆 岡田 亨
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.C3O1105-C3O1105, 2010

【目的】<BR>臨床において,上腕三頭筋のMMTでの筋力は問題ないにもかかわらず,投球障害肘や離断性骨軟骨炎を有する野球選手において肘関節の伸展が困難な例を少なからず経験する.我々は,上腕三頭筋内側頭,上腕三頭筋外側頭は伸展・内転方向に従って筋出力が高くなること,また,肩関節挙上角度が増すに従い筋出力が小さくなることを示した.そこで,本研究では,野球経験(中学・高校の部活動レベル以上)の有無により,肩関節肢位の違いにおける上腕三頭筋内側頭,外側頭の筋活動に変化があるかを検討し,また競技に伴う特徴的な筋活動があるかを筋電図学的に検討することである.<BR>【方法】<BR>対象は肩・肘関節に手術歴・可動域制限がなく,日常生活において疼痛のない健常人男性21名(平均年齢26.3±3.1歳,身長171.6±4.9cm,体重66.3±8.0kg)であり,内訳は野球経験のある9名の投球側,非投球側,野球経験のない12名の利き手(コントロール側)の3群とした.<BR>肩関節の挙上角度が異なる肢位において,1kgの重錘を負荷とし,前腕が常に抗重力位になる肢位を基本肢位とした.基本肢位から肘伸展運動を行い,肘関節伸展-20度での等尺性収縮を表面筋電図にて測定した.測定筋は上腕三頭筋内側頭,上腕三頭筋外側頭,棘下筋,三角筋後部線維の4筋である.測定機器は,Noraxon社製表面筋電図myosystem1400を使用し,十分な皮膚処理後に電極を貼付した.測定肢位は,解剖学的肢位を基準として,前額面上4肢位(肩関節最大屈曲位,屈曲90度位,屈曲0度位,伸展-20度位)と,矢状面上2肢位(最大外転位,外転90度位)の計6肢位で行った.解析区間は,等尺性収縮5秒間の内,2~4秒の3秒間とした.また,各筋の平均を算出し,3回測定の平均値を求め,DanielsらのMMT3遂行時の平均筋活動にて除して標準化(%RVC)を行った.統計学的処理は,SPSSver12.0を使用し,2元配置分散分析(多重比較法:Tukey法)を用いて投球側,非投球側,コントロール側の3群と肢位別での比較を行い,有意水準は5%とした.<BR>【説明と同意】<BR>本研究は,船橋整形外科病院倫理委員会の承諾を得た後に行われた.被験者に対しては,本研究における評価内容,皮膚処理時のリスクについて十分な説明を行い,同意を得た対象のみ測定を施行した.<BR>【結果】<BR>肩関節挙上角度と角筋%RVC<BR>a上腕三頭筋内側頭について<BR>投球側,非投球側,コントロール側の3群による筋活動は共に投球側が有意に高い結果となり(P<0.01),平均値は,最大屈曲位において投球側94.5±40.5,非投球側66.5±28.3,コントロール側67.5±36.8,最大外転位では投球側101.5±55.8,非投球側83.5±45.6,コントロール側84.8±43.1であった.肢位においては,伸展20度位242.9±152.1,0度屈曲位218.9±150.1,90度外転位138.4±42.5,90度屈曲位105.1±56.6,最大外転位82.6±49.2,最大屈曲位80.5±38.2の順で高値を示した(P<0.01).<BR>b.棘下筋について<BR>投球側,非投球側,コントロール側の3群による筋活動に有意な差は見られなかった(P=0.94).肢位による違いでは,最大屈曲位74.1±35.4,最大外転位46.8±15.3,伸展20度位38.1±18.7,屈曲0度位28.4±15.6,90度屈曲位24.2±14.1,90度外転位24.1±18.7の順で高値を示した(P<0.01)<BR>【考察】<BR>棘下筋の筋活動は挙上角度が増すにつれて優位に高くなっていたが,投球側,非投球側,コントロール側の3群においての有意な差は見られなかった.我々は,上腕三頭筋の筋活動は内転方向かつ伸展方向で高値を示すこと,挙上角度や外転角度が増すにつれて低値となることを示したが,野球経験者においては投球側の筋活動が非投球側,野球未経験者であるコントロール側より大きく,挙上位での上腕三頭筋筋活動は繰り返しの投球により運動学習されたものであることが示唆された.<BR>【理学療法学研究としての意義】<BR>野球経験者の上腕三頭筋内側頭の筋活動は反復された運動学習によって獲得されたものであると考えられた.そのため,投球障害肘や離断性骨軟骨炎を有する野球選手の治療の一手段として腱板機能改善と共に挙上・外転位での上腕三頭筋の筋収縮を促し,運動学習をさせることは競技復帰への重要な要素であると考える.
著者
平野 正
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史學雜誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.85, no.12, pp.1613-1652, 1720-1721, 1976-12-20

The December 9 Movement was a starting point of the anti-Japanese mass movement and the anti-Japanese national united front. The students in Peking started this movement after making their own organizational and political preparations. These efforts led to the great December 16 demonstration parade and also to a movement led by the Southward Expansion Propaganda Group, which aimed at student cooperation with workers and peasants. In addition, the December 9 Movement had a great impact on students throughout the nation, as a student movement arose in every city. These provincial movements were spontaneous protests stimulated by the events in Peking. The student movement in Shanghai was markedly so, but it was overtaken by pro-Kuomintang rightist students and its main political line became the organization of the National Salvation Association. Thus the fate of its original goals was quite different from those of its counterpart in Peking. Yet, the leftist politics shown in the Southward Expansion Propaganda Movement created tension between student activists, and the average student, and so local government authorities took advantage of this chance to suppress this movement. So the sthdent movement was obliged to become dormant. However, by adopting a united front policy, the student movement recovered and came to play a role in the national united front. This policy, aimed at consolidating the student movement, consisted of forming a nation-wide student organization. Consequently there arose the Chinese Students' National Salvation Association, an organization that played a great part in forming the united front. Meanwhile the activities of the Southward Expansion Propaganda Group were taken over by the National Liberation Vanguard Group, which was very important in supporting the student movement on the grass-roots level. After the outbreak of the Anti-Japanese War it extended its activities in the provinces, playing a vital role also in strengthening the anti-Japanese National United Front and arousing local groups to participate in the effort. But, for this very reason, the student movement was suppressed by the Kuo-mintang government in August 1938 and was compelled to go into illegal underground activities. However, the student movement that had begun with the December 9 Movement not only proved to be the initiation of the Chinese People's Liberation Struggle. But also it proved to be a movement of enormous historical significance both for the formation and development of the anti-Japanese national united front and for the advancement of the unification of student groups with those of the workers and peasants.
著者
樋口 輝雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.237-255, 2008-09-15
被引用文献数
1

明治8年にわが国で最初の歯科医術開業免状を授与された小幡英之助(1850-1909)は,洋法歯科医術の開祖と称揚されるが,その受験時の記録については明らかではなかった.国立公文書館には,明治初期に各府県史料編纂のため収集された諸記録の写しが来刊のまま収蔵されている。書写資料には,内務省に小幡への免状下付を上申した東京府からの文書とともに,試験を実施した東京医学校の成績書,小幡自身の東京府への試験出願書,履歴書などが収載されていた.これらの書類は『東京市史稿/市街篇第五十七』(東京都編纂昭和40年刊)に活字で翻文されているが,試験成績は「中の上」であったこと,免状下付の日付は明治8年10月2日であることが歴史資料の上からも確認できた.また最近になり新たに刊行された『福澤諭吉書翰集』には,明治天皇の歯科主治医に小幡英之助の任用を依頼する書簡が収録されている.これら各種文献資料の再検討(text critique)により,現在までの歴史書に描かれた小幡像は若干修正する必要があると思われる.
著者
大平 貴彦 東 明正 松田 一郎
出版者
The Japanese Society of Child Neurology
雑誌
脳と発達 (ISSN:18847668)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.180-183, 1993
被引用文献数
2

5例の年齢依存性てんかん性脳症に新しいベンゾジアゼピン系薬剤であるロフラゼプ酸エチルの使用を試み, 全ての症例において発作抑制の著明改善を認めた.1例は易興奮性, 不機嫌などの行動異常が出現したため, 2カ月で投与を中止した.全例, 投与開始時より眠気, ふらつきなどの副反応は見られず, また生化学的異常も認めなかった.ロフラゼプ酸エチルは, 他のベンゾジアゼピン系薬剤が無効かまたは有効であっても副反応の強い症例に対し副反応軽減を目的として使用してみる価値のある薬剤と考えられる.
著者
石坂 悟 堀 雅宏
出版者
人間-生活環境系学会
雑誌
人間-生活環境系シンポジウム報告集
巻号頁・発行日
vol.30, pp.307-310, 2006-12-01

生活環境中で化学物質を用いないで有害昆虫を捕獲できる装置を開発した。27W誘引ランプを用い、実験によって最適な温熱トラップの構造と加熱温度(12.5W、内壁温度80℃)を決定した。この装置を種々の環壌での捕獲実験に適用して、捕獲昆虫の同定および従来の捕獲装置との捕獲数の比較を行い、有効性を確認した。
著者
小椋 純一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.297-317, 2003-03-31

日本の植生景観は,有史以来,特に植生への人間の関わり方により大きく変化しながら今日に至っている。それは,たとえば第二次世界大戦後に特に顕著なスギやヒノキなどの人工林の急速な拡大,あるいはここ30~40年ほどの間のマツ林の急激な減少などの森林の樹種的な変化もあるが,その他にも明治期以降における里山の森林樹高の変化,あるいは草原の減少などもある。本稿では,京都府の場合を例に,文献から明治期における植生景観の変化の背景を考察したものである。その結果,明治期における京都府内における植生景観の変化の大きな背景として,砂防事業の推進,山野への火入れ制限・禁止,植林の推進があったものと考えられる。そのうち,砂防については,明治4年以降に大々的な砂防事業が展開され,樹木の伐採や採草の制限・禁止などの措置がとられた。また,山野への火入れ制限・禁止も,森林の保護や拡大を主な目的としてなされ,それに対する規制は明治10年代よりかなり強くなっていった。また,明治初期より植林の奨励がなされ,それは山野への火入れ制限・禁止などで支えられることにより,明治後期にはしだいに盛んになっていった。これらのことにより,淀川流域の一部に存在したはげ山,農山村の採草地などとして存在した草原,あるいは燃料として利用された低木の柴地が減少していく一方,スギ・ヒノキを中心とした森林が拡大し,あるいは森林の樹木が高木化するなど,京都府内の植生景観に大きな変化が見られるようになったと考えられる。
著者
糸山 泰人
出版者
日本神経学会
雑誌
臨床神経学 (ISSN:0009918X)
巻号頁・発行日
vol.49, no.11, pp.699-707, 2009 (Released:2009-12-28)
参考文献数
10

「multiplicity in time and space in CNS」を診断基準の骨子とする多発性硬化症(multiple sclerosis,MS)の診断には多様な病態と疾患がふくまれる可能性がある.MSの認識が遅れた日本では,視神経や脊髄に病変の主座をおく再発性の炎症性疾患はMSと考えられ,視神経脊髄型MS(OSMS)としてアジアのMSの特徴とされてきた.一方,欧米では類似の疾患を視神経脊髄炎(neuromyelitis optica,NMO)とよんできたが,両疾患には多くの臨床的および検査学的所見の共通性があることや,最近発見されたNMO-IgGが共通に存在することを考えると両者は同一疾患と考えられる.このNMO-IgGはNMO/OSMSにのみにみられMSにはみとめられない血清抗体で,その標的抗原はwater channelのaquaporin4(AQP4)でありアストロサイトに局在している.このNMO-IgGに加えてNMO/OSMSが示す臨床的特徴,すなわち視神経と脊髄という病変部位の選択性,極端な女性優位性,3椎体以上の長さのMRI脊髄病巣,髄液オリゴクローナルバンドが陰性である点などを考えてみると,NMO/OSMSとMSはきわだった差異を示していることに気付かされる.さらに,免疫組織化学的にはNMO/OSMSの脊髄病変ではAQP4とアストロサイトのマーカーであるGFAPの染色性が欠落しているが,MBP陽性の髄鞘は病変で比較的保たれていることが明らかとなった.この所見はMBPのみが欠損するprimarily demyelinating diseaseであるMSの病変特徴とは根本的に異なるものであり,NMO/OSMSはMSと病態を異にする疾患と考えられる.加えて,急性期のNMO患者の髄液では著明なGFAPの増加があり,NMOはastrocyteがprimaryに傷害される新たな概念の疾患と考えられる.現在,AQP4抗体が関与するNMOの病態機序が培養系や動物モデルで明らかにされつつある.今後はNMOへの新たな治療法の開発が求められる.
著者
真柳 誠 中山 貞男 小口 勝司
出版者
公益社団法人 日本薬理学会
雑誌
日本薬理学雑誌 (ISSN:00155691)
巻号頁・発行日
vol.99, no.2, pp.115-121, 1992-02-01 (Released:2011-09-07)
参考文献数
19
被引用文献数
8 6

セリ科和漢薬より8種の熱水抽出エキス (HWE) と2種のタンニン除去画分 (DTF) を調製し, ラット肝の脂質過酸化物 (LPO) 形成, およびaminopyrine N-demethylase (APD) 活性とaniline hydroxylase (ANH) 活性に対するHWEとDTFの影響をin vitroで検討した.APD活性に対し, 白正のHWEとDTFおよび茴香・前胡・当帰・川〓・防風・柴胡のHWEは抑制を示したが, 茴香のDTFによる影響は見られなかった.ANH活性に対し, 白〓・茴香のHWEとDTF, および防風・前胡・北沙参・当帰のHWEが抑制を示した、LPO形成に対し, 前胡・白〓・川〓のHWEは抑制を示したが, 柴胡・茴香・防風・北沙参のHWEは促進を示した.茴香のDTFの結果より, APD活性とANH活性に対し作用を及ぼした茴香の成分は異なっていることが示唆された.白正はAPD活性とANH活性に対し著明な抑制作用を示したことから, invivoにおいても薬物代謝酵素活性に影響を与える可能性が考えられた.
著者
加藤 隆一 鎌滝 哲也
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.97-101, 1983

"病は気から"などと言っても, 頭がズキズキする, 腹が痛いなど, どうにも我慢できないときもある。薬を何回か服用しても治らないときは, "多めに飲んだら少しは楽になるかも"と考える。あまり良くならないけれど"やめたらもっと悪くなるかも知れない"と思って長期に渡って服用することもある。そのようなとき, "こんなに薬を飲んで大丈夫かな"とふと不安になる人もいるだろう。事実, 大量にあるいは長期に渡って薬を投与すると, 毒性あるいは副作用が現れることがあり, それが死亡例などであればマスコミも格好のネタとばかりに大々的に報道する。
著者
新村 秀一
出版者
日本計算機統計学会
雑誌
計算機統計学 (ISSN:09148930)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.231-238, 2003-12

近年,経済学部などでは,学生にとって統計の授業が難しく,不人気なため,コマ数の削減や必修科目から選択への格下げが続いている.これに対応し,真に社会に出て役立つ実践的な統計学を,新しい情報化時代の質の高いユーザー教育として再編することを提案したい.私の提案は,以下の3段階の統計教育を行うことである.・ステップ1は,前期2単位科目として,わずか4件の小さなデータを用いて,ヒストグラムと基本統計量(平均,中央値,最頻値,範囲,四分位範囲,標準偏差,四分位数とパーセンタイル,歪み度と尖り度,変動係数),散布図と相関係数,単回帰分析,クロス集計などを教えることである.そのあと,正規分布を偏差値などと関連付け教える.また,実際のデータを用いた分析例の解釈を教えることにすればよい.・ステップ2と3は,後期に情報実習の一環としておこなう.ステップ2は,統計ソフトを用いて一つのデータをどう分析し,出力をどう解釈するかを,操作法とともに統計実習の一環として教える.ステップ3は,課題としてWebやCD-ROMから興味のあるテーマを選ばせ,20頁ぐらいの統計レポートを筆記試験の代わりに提出させる.このような方法を出発点にすれば,データから情報を取り出す楽しさ,統計手法全体が見通せること,など従来の講義科目で得られない成果が期待できる.
著者
伊藤 裕之
出版者
Japan Pharmaceutical Library Association
雑誌
薬学図書館 (ISSN:03862062)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.270-276, 2007

COUNTER準拠の利用統計レポートをいかに効率的に収集し, その分析に多くの時間を費やすか。COUNTER登場以来の課題に取り組むため, 現在米国情報標準化機構(NISO)のイニシアティブであるSUSHI(Standardized Usage Statistics Harvesting Initiative)が新たにプロトコルの策定を進めている。本稿では, SUSHIの活動およびSUSHIプロトコルの概要を解説し, 電子情報資源管理システム(ERMS)が可能にする利用統計レポートの活用事例もあわせて紹介していく。
著者
荒川 紀子
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.32-39, 2007
被引用文献数
2

COUNTERは,電子ジャーナルやデータベースなどを購読している図書館等に対して,各ベンダーがその機関からの利用量を報告する際に準拠することが推奨されている国際的な基準である。JSTの電子ジャーナルサイトJ-STAGEでは,購読機関向けの利用統計提供サービスを始め,2006年末に日本発のサービスで初めてCOUNTERに準拠した。J-STAGEは出版者に代わって第三者の立場で統計を配信するという立場にあり,また,無償公開の雑誌も多いため,いかに購読機関を扱うかが最大の課題であった。本記事では,J-STAGEに利用統計提供サービスを導入するまでの経緯とその利用方法を紹介する。

1 0 0 0 OA 新撰数学

著者
関口開 著
出版者
村田則重等
巻号頁・発行日
vol.上・下, 1875