著者
宇野 善康
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.97-142, 1970-03

一. 日本におけるTV受信機の普及過程Using 17 illustrations and 25 charts, studies of various aspects of the increase of the number of television sets in Japanese families are introduced. First, the spread is studied chronologically following each period and the trend of each stage is investigated. Especially, the factors closely related to the increase, such as, wide use of radio sets, number of television sets purchased, fluctuation of prices, numbers of new television broadcasting station established, expansion of coverage of television stations and increasing number of registered receivers in each period, are carefully studied. Next, geographical studies of the increase including study by prefecture, that of urban and surburban area, and that of local areas covering the conditions of cities, towns and villages, are presented. Also, relationships with developing mass media, such as, newspapers, magazines, movie films and music records, are considered together with changes of advertising expenses by each media. Then, research on the development of economic conditions and trends of the rationalization of Japanese farmer, which are enabling them to purchase television sets, are conducted. The research includes study of ratio between hours spent for farm labor and those for the rest of daily life. The increasing number of farming machines as their production properties has been also investigated. Finally, studies on the development of television sets by profesfion are conducted. Especially, the difference in ratio of the increase of durable consumer properties between urban laborers and farmers as well as the difference in the degree of the improvement of consumption standard and the changes of income between the two groups are carefully studied.
著者
遠藤 匡俊 ENDO Masatoshi
出版者
岩手大学教育学部社会科教育科
雑誌
岩手大学文化論叢 (ISSN:09123571)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.75-91, 2009

明治期以前のアイヌの生活を知るうえでは,文字で記された史料,絵図,地図など様々な種類の歴史的史料が有効である。アイヌの人々に遵守されていた「すでに死亡した人や近所に生きている人と同じ名前を付けない」という命名規則,あるいは集落,家族構成などの研究において,必要不可欠な史料として人別帳があげられる。人別帳には、一人ひとりの名前,年齢,続柄等が家という単位で記されているだけでなく,複数の家が含まれる集落,さらには複数の集落が含まれる場所の各単位で記されている。アイヌの人別帳は,1800年代中期のものは蝦夷地のなかでも多くの地域に関するものが多数残存しているが,1800年代初期のものになると残存するものはかなり限られており,1800(寛政12)年の択捉(エトロフ)場所,1803(享和3)年の厚岸(アッケシ)場所,1812(文化9)年の静内(シズナイ)場所,1822(文政5)年の高島(タカシマ)場所,1828(文政11)年の北蝦夷地東浦(南カラフト東海岸)などの少数の地域の史料が知られているにすぎない。 北海道江別市の北海道立図書館北方資料室には,1825(文政8)年の「フルウ場所土人人別改」という史料が所蔵・保管されている。この史料は,文政8年の西蝦夷地古宇(フルウ)場所におけるアイヌの人別帳の写本である。これは原稿用紙にペン書きで記された写本であり,「フルウ場所土人人別改」の原本は文政8年6月に作成されたものと判断されるが,その後かなりの時間が経過して明治期以降になってから筆写されたものと考えられる。原本の所在はまだ明らかではないものの,残存する1800年代初期のアイヌの人別帳は非常に数少なく,当時のアイヌの生活を知るうえで貴重な史料であると考えられる。 1800年代初期のアイヌの社会構造の特徴として,厚岸場所や択捉場所周辺地域の研究によって,多数の家来や妻妾を持つ有力者の存在が挙げられてきた(高倉,1940;川上,1986;菊池,1991;海保,1992;岩崎,1994)。一方,択捉場所,厚岸場所,静内場所,高島場所,北蝦夷地東浦の研究によって,1800年代初期のアイヌの社会構造の特徴として同居者の存在があげられ(遠藤,2004a),「すでに死亡した人や近所に生きている人と同じ名前を付けない」という命名規則が存在しその空間的適用範囲はかなり広い地域にまで及んでいたことが示されている(遠藤,2004a)。古宇場所の事例は,1800年代初期のアイヌの社会構造や命名規則の空間的適用範囲のなかで,どのように位置付けられるのであろうか。 本研究の目的は,「フルウ場所土人人別改」を用いて,1825(文政8)年の古宇場所におけるアイヌの家構成員の人口構成を復元し,「近所に生きている人と同じ名前を付けない」という命名規則の空間的適用範囲を明らかにすることである。そして文政8年の古宇場所のアイヌの家と命名規則の実態を,既に公表した1800年代初期の5地域(寛政12年の択捉場所,享和3年の厚岸場所,文化9年の静内場所,文政5年の高島場所,文政11年の北蝦夷地東浦)の実態(遠藤,2004a)と比較して考察することである。
著者
塚本 明
出版者
三重大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

近世伊勢神宮の門前町、宇治・山田の社会構造を、神社特有の触穢意識の規定性と、穢れを忌避するシステムに注目して分析を加えた。近世の宇治・山田では、中世以来の神社の触穢規定に反して、実生活においては触穢の影響を回避する工夫がなされている。また穢れの判定には、幕府の遠国奉行・山田奉行に比べて神宮はむしろ軽く済ませる志向を示した。宇治・山田という都市が諸国からの参宮客によって経済的に成り立っており、参宮を規制する触穢規定の適用が好まれなかったことが背景にある。だが同時に清浄さを重んじる伊勢神宮は世間の見方に影響を受け、触穢を蔑ろにすることも許されなかった。宇治・山田の社会が死穢の影響を避けるためには、これらを処理する専業者、拝田・牛谷と呼ばれた被差別民を不可欠な存在とした。なお、外来の被差別民を含め、彼らへの忌避意識は江戸時代前期において強くはない、だが中期以降に、山田奉行、朝廷世界からの働き掛けにより、次第に触穢意識も変容を迫られる。特に幕末期には、被差別民、仏教、異国人が一体となって排除されるようになり、直接・間接的に近代以降の触穢意識を規定していくこととなる。なお、報告書においては伊勢神宮長官機構で作成された公務日誌中の触穢関係記事の一覧、宇治・山田の基礎的な資料である『宇治山田市史資料』の年次一覧、神宮領の基礎的な文献である『大神宮史要』の江戸時代中の記事について編年にした一覧表を付した。
著者
田原 秀男 今西 正昭 石井 徳味 西岡 伯 松浦 健 秋山 隆弘 栗田 孝
出版者
社団法人日本泌尿器科学会
雑誌
日本泌尿器科學會雜誌 (ISSN:00215287)
巻号頁・発行日
vol.89, no.10, pp.854-857, 1998-10-20
参考文献数
7

生体腎移植後の機能廃絶腎周囲に発生した粘液型脂肪肉腫の1例を経験したので報告する.患者は19歳男性.1988年6月15日母親をドナーとして生体腎移植を施行した.腎移植3年後慢性拒絶反応が徐々に増悪し,1991年6月に透析導入となった.1992年1月腹部腫瘤に気付き受診した.CTにて移植腎周囲に巨大な低吸収像を示す腫瘤を認めた.移植腎を一塊として摘出した.腫瘤は病理組織学的に粘液型脂肪肉腫と診断された.腫瘍細胞はHLA-DRB1 DNA typingによって,レシピエント細胞由来のものであることが証明された.手術後再発もなく外来にて経過観察していたが1993年脳内出血にて死亡した.
著者
松本 尚子
出版者
国立天文台
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2010

本研究の目的は、高精度天体位置計測のための望遠鏡VERAを用いた位相補償VLBI観測により、銀河系中心から約3kpcまでの領域の晩期型星および星形成領域に付随するメーザー源の絶対3次元運動を高精度で計測し、その測定結果と銀河系の動力学的な理論モデルとを比較することで、銀河系のバーポテンシャルの深さ・太陽系に対するバーの傾斜角など、銀河系の棒状構造に制限をつける事である。特に、運動学的に議論可能な精度で銀河系内のガスの絶対3次元運動を得るには、現時点において星形成領域に付随するメーザー源を用いた位相補償VLBI観測が唯一であり、運動学的な観点からのアプローチの一つとして重要な意味を持つ。この目的のために、昨年度は国内初の試みである6.7GHz帯メタノールメーザー源を用いた位相補償観測の試験として、もっとも明るい6.7GHz帯メタノールメーザー源の一つである大質量星形成領域W3(OH)に付随するメーザー源の年周視差・固有運動を得た。本年度はその成果をPASJから出版し、国内外の研究会でも成果発表を行った。本成果には、まだ観測例の少ない6.7GHz帯メタノールメーザー源の内部固有運動の検出も含まれており、大質量星形成領域の周辺環境を探るという観点でも重要な意味を持つ成果である。上記の経験を元に、2009年11月よりVERAを用いて、銀河系バー周辺領域の6.7GHz帯メタノールメーザー源を10天体観測してきた。2011年秋までの時点で、10天体中6天体の絶対3次元固有運動を3σ以上の精度で求めることができた。これらのデータ解析結果から得られた3次元運動と銀河の棒状構造モデル等と照らし合わせて非円運動成分を導き、これまでの銀河系に関する研究結果と矛盾しないバーの傾斜角~35°が得られ、棒状構造の存在が3次元運動からも示唆される事を、国内外の研究会にて発表した。
著者
北川 勝彦
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.1989, no.35, pp.47-63, 1989-12-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
32

This study consists of a provisional synthesis of research on Japan's relations with Africa based on an extensive examinations of pre-war Japanese consular reports regarding economic conditions in Africa. The purpose of this study is to make an interpretation of how economic relations between Japan and Africa developed in the period between 1913 and 1924. Japanese scholars have recently come to appreciate the value of consular reports as historical sources. Consular reports provided detailed information on a wide variety of commercial topics by agent stationed all over the world. They were printed and made available to merchants and businessmen from 1881 to 1943. This study focuses on the fifth series, entitled the Official Commercial Reports (Tsushoo-Koohoo), published from April 1913 to December 1924.After the First World War the number of commercial reports coming from Japanese consuls residing in various parts of Africa and other areas increased and the range of topics grew as well. The reports on North Africa almost all on Egypt and afterwards reports on Tunis, Algeria, French and Spanish Morocco were added. Special attention was paid to the number and tonnage of ships passing through the Suez Canal. There were also reports on cotton crops, on Japanese merchandize such as cotton textiles, knit-ware, matches and brushes. Reports on South Africa focused on the Union of South Africa, Southern and Northern Rhodesia, and South West Africa. The wide range of reports on the Union of South Africa included reports on foreign trade, on mining, on market for wool and wool products, on ports and harbors, on expected yield of cotton crops and on Japanese general merchandize such as cotton goods, medicines, glass bottles, matches, cement, fishing instruments and the like.
著者
高橋 正道 山田 敏弘 長谷川 卓 安藤 寿男
出版者
新潟大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

これまでに、2009~2011年の間、5回にわたるモンゴルの白亜紀についての野外調査を行った。主な調査地は、バガヌール、フレンドホ、テブシンゴビ、ツグルグ、シーブオーボ、シネフダク、バヤン、エルヘートなどのウランバートルの東南のゴビ地域である。この調査に参加した人数は、モンゴル古生物学研究所、エール大学、シカゴ植物園、金沢大学、新潟大学のメンバーである。これらの調査によってモンゴルの白亜紀の地層から初めて、3次元的構造を残している小型炭化化石を発見し、被子植物の初期進化と地球環境の変遷解明に有効な手掛かりを得ることができた。分担者の長谷川は,フレンドホ地域のフフテグ層において地質柱状図を作成し,植物化石試料採集露頭周辺についての地質学的な記載を行った。また、シネフダク地域のシネフダク層に関して柱状図を作成の上、採集した試料について有機炭素の同位体比を測定した.その結果,7‰程度の変動があることが明らかになった.この結果は,湖堆積物への植物プランクトン類と高等植物の相対的な含有率の変動を示していると考えられ,湖の成層状態や河川による高等植物遺体の流入量など,気候に関連する要因の変動読み取れることが判ってきた。また、マレー大学のLee教授と筑波大学の久田教授の協力を得て、モンゴルと対比可能なマレーシアで、熱帯地域での白亜紀の地層からの小型炭化化石の探索の可能性を探った。
著者
専修大学学会
出版者
専修大学学会
巻号頁・発行日
1968