著者
南 泰裕
出版者
国士舘大学理工学部
雑誌
国士舘大学理工学部紀要 = Transactions of the Kokushikan University School of Science and Engineering, Tokyo, Japan (ISSN:18824013)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.47-59, 2017-03-31

The paper reported the aspect of town and architecture in Istanbul in Turkey. Istanbul is well known as a historically important city connecting Asia and Europe. Three places named Old Town, New Town and Asian side, face each other across the Bosphorus strait. In addition, each place is covered with maze-like roads and slopes along complicated terrain, and it has a unique urban structure. In the old days, as the capital of eastern Roman Empire, Constantinople richly developed Byzantine culture, among which a masterpiece of Byzantine architecture like Aya Sophia was born. Later, by the occupation of the Ottoman Empire in 1453, Christian culture and Islamic culture was complicatedly mixed, creating a unique culture.In this paper, from March to September 2015, through the experiences of researching and staying at the Mimar Sinan Fine Art University in Istanbul, I would like to report the part of the characteristics of town and the outline of representative architecture, in Istanbul, in addition, report the daily life in downtown and the ordinary urban activity in Istanbul.
著者
国立女性教育会館情報ボランティア
巻号頁・発行日
2022-03-30

・コロナ禍の不況は『女性不況』ー影響は女性に集中ー・女性教育情報センターではテーマ展示「女性の貧困~コロナ禍の中で~」をおこないました・深刻化するシングルマザーの仕事と暮らし・子ども食堂―シングルマザーの頼もしい味方―・男女共同参画推進フォーラムに参加しました。・荻野吟子のマンガ PR 冊子制作に協力 埼玉県立熊谷女子高校・漫画愛好会 インタビュー [後編]・松山高校新聞部 発行 ~男子高校生のジェンダー意識を探る~・シリーズSDGs SDGs で考える「食」「地域づくり」②
著者
CHO Sojin
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
世界の日本研究 = JAPANESE STUDIES AROUND THE WORLD (ISSN:24361771)
巻号頁・発行日
vol.2021, pp.55-63, 2022-03-23

This paper examines the Nihon University 930 reunion and Nichidai-Zenkyōtō organizations that were involved in campus-related activism in 1968. Furthermore, the paper reviews the pattern and significance of activities illuminated during a roundtable discussion during this reunion and records their experiences. The alumni association published the book series, A Record of Activism of Nihon University: Unforgettable Moments, and asked alumni to document their memories of the struggle. They have continued to devote themselves as activists to recordkeeping in order to objectively examine themselves as objects of history.
著者
齋藤 努 坂本 稔 高塚 秀治
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.177, pp.127-178, 2012-11-30

宮城県に在住する刀匠・九代法華三郎信房氏とご子息の栄喜氏のご協力により,代々継承している作刀技術のうち,「卸し鉄」「折り返し鍛錬」「焼き入れ」の3つについて,自然科学的な観点から調査を行い,下記の諸点が明らかになった。卸し鉄では,同じ炉を使い,ほとんど同じような動作をしているのに,軟鉄への浸炭と銑鉄からの脱炭という正反対の反応を起こすことができる。両者において,炉内ではまったく異なるメカニズムが働いていると推測される。すなわち,軟鉄の浸炭では,炉の上部で固体の鉄に炭素が吸収され,融点が下がって半溶融状態となり,炉底に垂れ落ちていく。炉底ではできるだけ風があたらないようにして,脱炭が起こらないようにする。一方,銑鉄の脱炭では,炉の上部で鉄が溶解して液体状態になり,炉底に少しずつ流れ落ちていく。炉底では羽口からの風があたるようにして,鉄中の炭素を燃焼させ,炭素濃度を下げる。折り返し鍛錬において,折り返し回数が増えるにつれて,炭素濃度の均一化されていく様子が観察された。参考文献などにある「折り返し鍛錬によって介在物が減少していく」という現象は確認されず,鍛接面に生じるものもスラグに由来するものも,折り返し回数が増えるほど小さくなり均一に分散されていくことがわかった。鍛造開始時の加熱温度については,仮着けでも泥沸かしでも,鉄の炭素濃度に応じて異なる傾向がみられた。また仮着けと泥沸かしの工程では,加熱温度,作業を行う温度,作業継続時間に相違がみられた。これはそれぞれの工程での目的と刀匠の意識が反映されているものと考えられた。焼き入れにおいて,沸と匂を作りわける場合の加熱温度の違いを実験的に確認できた。これは刀匠の感覚とも整合的であった。また焼刃土の下の鉄の温度の測定により,焼刃土が地部の徐冷に役立っていることが確認された。
著者
佐々木 正輝
出版者
岩手大学
巻号頁・発行日
pp.1-53, 2010

現代社会はストレス社会ともいわれ,私たちには様々なストレスがのしかかっている。フラストレーション事態や葛藤に陥った時,理性的に対処して合理的解決ができず,非生産的で不適切な行動に走ってしまう人を社会不適応という。この不適応の反応様式は多岐にわたるが,二つに大別され,自己内に逃避する消極的なものを非社会性,外部に向かって攻撃的,破壊的反応をとるものを反社会性という。高度経済成長をとげ,国民生活が向上し,便利生活が享受できるようになった昨今,そういった時代に生まれた私たちは,不健全な欲望に対する自己抑制力や逆境に対する耐性が弱くなってきていることは否めない。同様に,高度情報化はそれらの問題に拍車をかけ,前述の非社会性を有した人々の逃げ場になっていると同時に,押しつぶされた反社会性の集積した場所になっている。一昨年6月の秋葉原連続殺傷事件といった凶悪犯罪が,近年たびたび日本のマスメディアを騒がせている。こういった猟奇的な殺人事件を起こす人間とは,いったいどんな人間なのだろうか。一説によると,この秋葉原連続殺傷事件の犯人は,神戸連続児童殺傷事件 (1997年) の犯人 (酒鬼薔薇聖斗・逮捕時14歳) や2000年の西鉄バスジャック事件の犯人 (ネオむぎ茶・逮捕時17歳) と,世間から注目を集めた少年犯罪と同世代 (同学年・1982年4月2日 - 1983年4月1日生まれ) であることから,「理由なき犯罪世代」として世代論について語られたこともある (産経新聞2008年6月11日) 。犯罪とパーソナリティの関係を考えると,凶悪犯罪者,重大犯罪者に多いとされるのが,サイコパスや,反社会性パーソナリティ障害 (ASPD) である。彼らは,社会規範に沿うことができない,自身の利益のために嘘をついたり人を操作したりする,衝動的で暴力行為に及ぶ傾向がある,無責任で自身の行為に自責の念をもたないといった性質をもち,集団生活において様々な不利益をもたらす場合がある。その性質上,犯罪を繰り返す人,快楽犯罪者などの意味で使われることが多い。また,サイコパスやASPDは,一般人口よりもこの障害を持つ人の生物学的第一度近親に多く,遺伝的要因を含んでいることがわかっている。一方でふつうの人々は罪を犯してしまう前に,自身の理性がブレーキをかけ,その行為を抑制する。犯罪者はそうした衝動性を止めることができずに実行に移してしまう点が一般の人々とちがうということができ,前述の遺伝のことを考えると,そこに何らかの先天的要因が存在すると予想できる。先天的なパーソナリティにおけるブレーキと考えられるのが,下記のCloninger理論における損害回避という概念である。Cloniger理論とは,気質と性格の7次元で構成され,パーソナリティと遺伝子多型との関連性の研究で,近年注目されている理論である。気質は先天的で,そのうち新奇性追求 (HA) ,損害回避 (HA) ,報酬依存 (RD) は,それぞれ,中枢神経内のdopamine,serotonin,norepinephrineの神経伝達物質の分泌と代謝に依存していると想定される (Cloninger,1987) 。中枢神経系内のserotonin分泌と関連があるとされる損害回避は,車でいえばブレーキに当たる存在であり,この傾向が強いと,不安を感じやすく,悲観傾向が強いとされる。一方で,この傾向が弱いとのん気で,危険行動を起こしやすいとされる (木島ら,1996) 。また,犯罪の生理学的研究として,犯罪者の脳波研究も古くから盛んに行われている。著者は学部時代から脳波について学ぶ機会に恵まれ,これまでも何度か測定を行ってきた。犯罪と脳波に関する研究は,従来,犯罪者に対するものがほとんどであり,犯罪行為に走る要因や,パーソナリティと脳波に関する研究は活発には行われてこなかったようである。そこで,本研究では,犯罪と深くかかわっている反社会性と損害回避の関連を明らかにすること,また,反社会性と脳波の関連を検証していくことを目的とする。
著者
内藤 壮俊 長谷川 禎彦 松田 佳希 田中 宗
雑誌
量子ソフトウェア(QS) (ISSN:24356492)
巻号頁・発行日
vol.2022-QS-5, no.23, pp.1-9, 2022-03-17

量子コンパイラは,論理回路として表現された量子プログラムを受け取り,デバイス上で実行可能かつ論理的に等価な回路を合成するソフトウェアである.近年主流となっている NISQ デバイスは,物理的に接続された量子ビット間でしか量子ゲートを作用させられない,操作によって生じたエラーが蓄積するといった特性を有している.そのため NISQ デバイスを対象とする量子コンパイラは,接続関係の制約を満たしながら,回路のコストすなわちゲート操作回数が少なくなるように回路を出力しなければならない.このコンパイル操作において最も重要なタスクは,論理回路中の量子ビットをデバイス上の量子ビットに割り当てるタスクである.これは NP 困難であり,出力回路のコストに大きく影響する問題となっている.私たちの提案する量子コンパイラ「ISAAQ (ISing mAchine Assisted Quantum compiler)」は,出力回路のコストを QUBO モデルとして表現し,イジングマシンを用いた解の探索,およびその解に基づいた回路合成を実行する.ISAAQ は,実行結果に基づいた QUBO モデルの更新,複数イジングマシンによる並列実行,デバイス上の経路を考慮したコスト削減といった,他にはない特徴を多く持っている.IBM QX5 および IBM QX20 を対象とした実験では,ISAAQ は既存の QUBO 手法やその他のアルゴリズムよりも低コストな回路を出力できていることが確認され,本提案手法の有効性が示された.
著者
望月 照彦
出版者
多摩大学経営情報学部
雑誌
経営・情報研究 多摩大学研究紀要 = Tama University Journal of Management and Information Sciences (ISSN:13429507)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.45-63, 1997-03-01

多摩大学は1990年(平成元年)に開校した。その開校時から、多摩大学はベンチャー型企業家を生み出す教育を進めていかなければならない運命にあった。なぜなら、開校に寄与した中心の二人、すなわち野田一夫学長は日本における「経営学」の開祖の一人であったし、中村秀一郎学部長は "ベンチャービジネス”という概念と言葉を日本国中に広めたまさにその人であったからである。無論この二人だけではなしに、多摩大学の建学に馳せ参じた教授陣のほとんどが多かれ少なかれベンチャーやアントレプレナーという言葉に関係する研究者であり、また実際に社会でそういった仕事に携わっていた人々であったからでもある。 時代もまた、日本の産業社会を支えるのは古い形の巨大な企業ではなく、新しい哲学と新しい企業家精神を持った中小企業の担い手でなくてはならない、という思いを強めている。バブル型の経済が破綻して、今までの高度成長の論理が通用しなくなると当然新たな小さくても活力のあるベンチャー型企業家が求められるのである。 経営学部を持つ大学は、多摩大学のようにその創設者の精神の息吹のなかに、ベンチャーやアントレプレナーへの志向がなくても、彼らを生み出すための教育を時代が求めるようになってきたのである。今や大学における "ベンチャー教育”は、社会ニーズとなっている。しかし、残念なことに日本の経営学部を持つ多くの大学では、これまでにベンチャー教育の講座もカリキュラムも持っていなかったし、当然その経験も存在しなかったのである。従って、まず最初にしなければならなかったことは、大学自体がベンチャーの精神を持つことであった。大学全体として、チャレンジすることができなかったとしたら、その志しを持つ少数の先生であってもベンチャー教育に取り組む必要があるのではないか。 アメリカのサンノゼのシリコンバレーを生み出した1つの苗床は、スタンフォード大学であるといわれているが、この大学でも組織的なベンチャー教育が行われていたのではなく、1930年代電子工学の先生だったターマン教授が二人の教え子ヒューレットとパッカードを支援したことからベンチャー企業集積が始まったという話は有名である。今でもコンピュータ業界では冠たる地位を確保しているこのヒュートレット・パッカード社は車庫からスタートアップしたものであるが、私はそれをもじって〈ガレージ・インダストリィからカレッジ・インダストリィへ〉と呼んでいる。 そのカレッジ・インダストリィへの挑戦が、この論文の主題となるものである。ささやかな試みであるが、日本のベンチャー教育の一つのモデルになれば、と念じている。そしてそれが大きな流れとなって、多摩大学が存在する多摩エリアが日本におけるシリコンバレーのような地域に発展することを、私は究極の望みとしているのである。
著者
伊豆 裕一 イズ ユウイチ
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture Bulletin
巻号頁・発行日
vol.21, pp.67-76, 2021-03-31

子供は1歳半ほどから絵を描き始め、4歳になる頃には輪郭と数本の線で表現された人の顔を描くようになるといわれる。このように目で見たものを描画する能力は人類に共通したものであるが、やがてこの能力には個人差が現れ、多くの場合それは才能によるものと考えられてきた。一方、近年課題解決手法として注目されるデザイン思考では、仮説推論を行うための手法の一つとしてスケッチが推奨されるなど、描画行為の包括的な創造活動への活用が期待されている。これに対し、ベティ・エドワーズ博士により1979年に出版された『脳の右側で描け』は、目で見たものを描画する行為においては、描く技術よりも右脳による知覚が大切であり、それを実感できる方法として絵を倒立させて描く倒立描画を紹介している。 本研究は、知覚と描画の関係について知見を得ることで、描画行為の包括的な創造活動への活用に向けた研究の基盤とすることを目的とする。そのためにデッサン技法を習得しているデザイン学生とデッサン教育は受けていない人文学生に、正立と倒立、2種類の人の顔のイラストを描画させ分析した。その結果、人文学生の多くは倒立の方が上手に描けた一方、デザイン学生の多くに正立と倒立の差は見られず、描画教育が右脳による知覚に影響を与えることが示された。しかし、顔の印象の把握には他の要因が影響することも示唆された。
著者
松永 俊男
出版者
桃山学院大学総合研究所
雑誌
人間文化研究 = Journal of Humanities Research,St.Andrew's University (ISSN:21889031)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.39-65, 2022-02-23

In 1859, Charles Darwin published Origin of Species as the abstract ofthe Big Species Book. He published revised editions of the Origin fivetimes, 2nd ed.( 1860), 3rd ed.( 1861), 4th ed.( 1866), 5th ed.( 1869), and6th ed.( 1872). In this paper, differences of formats over the six editionsare described, and alterations of Darwin’s attitude toward writing andrevising the Origin are investigated by analysing the correspondenceof Darwin with John Murray, Charles Lyell, Thomas Henry Huxley andothers. In writing the 1st ed. and the 2nd ed., Darwin wanted to complete theBig Book. He showed unwillingness to devote time to writing the Origin.But at the stage of the 3rd ed., he gave up the idea of completing the BigBook and decided to expand upon his theory of the biological evolutionthrough the Origin. After ten years from the 1st ed., Darwin’s idea of the branching evolutionfrom a common ancestor had been widely acknowledged. In theconcluding chapter of the 6th ed., Darwin states, “Now things are whollychanged, and almost every naturalist admits the great principle ofevolution.” (p. 424). This is Darwin’s declaration of victory. The mostimportant object of the Origin had been accomplished. After the 6th ed.,therefore, Darwin did not try to revise the Origin, and concentrated hisenergy on studying botany. The 6th ed. was published as a cheap edition. The appearance of the6th ed. was markedly different from the previous editions. The formatfrom the 1st ed. to 4th ed. was post octavo. The 5th ed. was crown octavo. The 6th ed. was shorter and narrower than the 5th ed. The types ofthe text in the previous editions were 10-point, but 8-point in the 6th ed.In the previous editions, texts were 35 lines in a page, but 45 lines in the6th ed. The previous editions are regarded as fair specimens of Victoriantypography. But the 6th ed. is difficult to read. From the 1st ed. to 4th ed., the price of the Origin was 14s. The 5thed. was 15s. The 6th ed. was half of the 5th ed., i.e., 7s6d. The previouseditions were type printing and were never reprinted. The 6th ed. wasstereotype printing and was reprinted almost annually. After the Education Act of 1870, the readership of England was enlarged.Murray’s objective in publishing the cheap edition was for thenew readership. The 6th ed. sold well, but it is probable that many peoplewere kept from reading the book by its unattractive appearance. Now the Origin has become a classical book of science and has beenpublished in various forms in various languages. However, it is rarethat the book is read thoroughly. The Origin is the typical book that is bought but not read.
著者
佐々木 啓子
出版者
電気通信大学
雑誌
電気通信大学紀要 (ISSN:09150935)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.26-35, 2021-02-01

After the Meiji Restoration the Japanese government started to establish a modern system of bureaucracy and an education system. Also it organised the system for professional qualifications, such as lawyers and medical doctors. The government at first shut women out from these specialised professions. However, some women’s activities enabled them to obtain professional licenses, particularly to become medical doctors. Kei Okami entered the Woman’s Medical College of Pennsylvania, USA, in 1885 and graduated as a Doctor of Medicine in 1889, becoming the first Japanese female to obtain a degree in Western medicine from a Western college. After returning to Japan, she was registered as a certified doctor in 1890, and became the head of gynaecology at Jikeikai Hospital. In 1900, Yayoi Yoshioka, Japan’s 27th female doctor after Ginko Ogino, applied to the Governor of Tokyo for accreditation to establish the private Tokyo Women’s Medical School. The school was promoted to a medical college in 1904, and graduated about 700 female medical doctors from 1908 to 1933. The aim of this article is to discuss how to build up women’s status as professions such as medical doctors.
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.133-147, 2013-05-01

宮沢賢治は石川啄木の短歌に強い影響を受けたが、啄木の北へ走る電柱列の歌も、賢治の童話「月夜のでんしんばしら」に影響を与えた。「月夜のでんしんばしら」は停車場近くの線路で電信柱の列が兵隊になり歩き出す話で、電気総長が号令をかけていた。汽車が来ると電信柱に戻る。従来は電気と鉄道の童話とされていたが、シベリア出兵の日本軍、特に花巻で演習をした盛岡駐屯の工兵隊などの出動を素材にしたことがわかった。賢治作曲の彼らの軍歌はオペラ「カルメン」の「アルカラの竜騎兵」の曲と日本陸軍のラッパの曲とを基にしている。作品に工兵のほか竜騎兵や擲弾兵など19 世紀の欧州の古風な兵種名が登場するのは、ロシアに攻め込んだナポレオン軍の敗退をシベリア出兵に重ねたからで、トルストイの小説「戦争と平和」やハイネの詩「二人の擲弾兵」などを念頭に置いている。電気総長は当時の日本陸軍の実質上の最高指揮官である上原勇作参謀総長をモデルにしている。この作品が書かれた1921 年には上原の指揮の下で日本陸軍はシベリア出兵を行っていた。既に出兵の大義は消失し、革命勢力の優勢が決定的になるにつれて撤退は必至となっていた。「月夜のでんしんばしら」は一見、幻想的な童話にみえるが、実はシベリア出兵を継続する日本軍部への批判の込められた作品だったのである。
著者
山澄 亨
出版者
椙山女学園大学現代マネジメント学部
雑誌
社会とマネジメント = Journal of Management and Social Studies (ISSN:13485849)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.35-64, 2022-03-19

Abstract William E. Dodd was appointed to the U.S. Ambassador to Germany (1933-1937) after working at the University of Chicago as professor. He believed in the Jeffersonian Democracy and ardently supported Woodrow Wilson. Dodd had few acquaintances in the bureaucracy of the State Department. During staying in Germany, he continued to condemn anti-democratic, belligerent policies of the Nazi Germany. To restrain the Nazis, he envisioned an anti-German bloc, in which the U.S. took part. And he asserted that the Soviet Union joined the bloc, if possible. The State Department high officials also thought gradually that Germany was undesirable to the U.S. because German policies to the Western Hemisphere hindered the U.S. from building the sphere of influence in this area through the Good Neighbor Policy. Thus, both Dodd in Berlin and the State Department in Washington opposed to conciliatory policies to Germany, though Dodd’s opinions were often rejected by the State Department.
著者
宮崎 英一 坂井 聡
出版者
香川大学教育学部
雑誌
香川大学教育学部研究報告 = Memoirs of the Faculty of Education, Kagawa University (ISSN:24352020)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.43-48, 2022-03-31

本研究室では、以前からAIを用いたプログラミング教育としてエッジデバイスを用いた教材システムを開発してきた。しかし、以前に発表した Raspberry Pi 3 と Neural Compute Stick を組み合わせたエッジデバイスは所定の精度で画像認識を行えたが、教育現場で実装するには予算の面でもシステム構成の手間の面でも負担が大きかった。そこで本研究では、簡便で安価なAIカメラを用いて画像認識を行ったが、クラウドで計算する標準的な学習モデルは専門的な知識が無くても利用できる反面、アクセス制限や画像認識精度に問題がある事が分かった。そこで、Google Colaboratory を用いて自前で画像認識モデルを学習させる事でアクセス問題を回避し、認識精度を含めてAIカメラの教育現場での運用可能性を探るものである。