- 著者
-
藤原 哲
- 出版者
- 一般社団法人 日本考古学協会
- 雑誌
- 日本考古学 (ISSN:13408488)
- 巻号頁・発行日
- vol.11, no.18, pp.37-52, 2004-11-01 (Released:2009-02-16)
- 参考文献数
- 118
弥生時代における戦闘はどのようなものであったのか? その様相を具体的に明らかにすることが本論の目的である。こうした問題を検討するため「武器」と「殺傷人骨」を取り上げ,対人殺傷の分類・検討を試みた。研究の方法としては「殺傷人骨」を主な資料とし,「武器」と「殺傷人骨」との関係から,弥生時代における対人殺傷方法の型式的な分類を行う。先ず「武器」を至近距離戦用武器(短剣),接近戦用武器(刀剣類),遠距離戦用武器(弓矢)の3種に大別する。これに基づき,対人殺傷方法を,I・至近距離武器による殺傷,II・接近武器による殺傷,III・遠距離武器による殺傷,そしてIV・遠・近距離武器の殺傷に区分する。この区分により「殺傷人骨」をいくつかのカテゴリーで分類した結果,「殺傷人骨」に見られる弥生時代の殺傷方法も極めて多岐に及ぶことが明らかにできた。特に弥生時代前半(早期~中期)は短剣による(背後からの)殺傷や,弓矢による(側・背後からの)殺傷などが多く,数人単位の戦闘が主であると考えた。また,矢合戦や暴力的儀礼(殺人)の可能性も指摘した。これに対し,弥生時代後半の殺傷人骨には,鉄剣や鉄刀などが想定される鋭利な殺傷痕跡や遠・近距離武器複数の殺傷から「まず矢を射て,最後に剣で止めをさす」といった戦闘が考えられた。また特に,中期末~後期には1遺跡から大量に殺傷人骨が出土する例が認められた。以上の結果から,弥生時代の具体的な戦闘は小規模な「奇襲・襲撃・裏切り」や儀礼的な争いなどが中心であり,弥生時代後半,特に中期末~後期には激しい「集団戦」の比重が高まると想定した。これらの変化には政治力・動員力の確立や,金属器の流通といった社会的な背景が想定され,弥生時代の戦闘は単なる「戦い」から「戦争」へと移る過渡的な「未開戦」段階にあると評価した。