著者
加藤 千博
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンストラクション (ISSN:09153470)
巻号頁・発行日
no.299, pp.76-77, 2002-03-08

2000年7月上旬の早朝,東京都内のある建築工事現場の一角に,現場で働く作業員が集合していた。総勢150人の作業員たちは,10人一組のグループになって整列している。作業を始める前に行ういつもの朝礼のようだが,少し様相が異なる。作業員たちに向かい合う元請けJVの職員の方を向いているのは,各列の先頭にいる作業員1人だけ。残りの9人は,JVの職員に背を向けている。
著者
堤 和男
出版者
日本複合材料学会
雑誌
日本複合材料学会誌 (ISSN:03852563)
巻号頁・発行日
vol.2, no.3, pp.107-113, 1976-07-31 (Released:2009-08-11)
参考文献数
41
著者
菅 浩伸 長尾 正之 片桐 千亜紀 吉崎 伸 中西 裕見子 小野 林太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.はじめに <br> 陸上の地形や遺跡では,従来の航空写真や大縮尺地形図を用いたマッピングに加えて,小型無人航空機(UAV)とSfM多視点ステレオ写真測量(SfM)ソフトウェアの発達によって,高精密な地図の作成や三次元モデル化が可能になってきた。また,衛星を用いた高精度測量(RTK測量など)も可能である。しかし,水中では衛星を用いた測位を直接用いることができない。水中遺跡では,あらかじめダイバーによって海底に格子状に基線を張った上で写真を撮影し,SfMソフトウェアを用いて三次元モデルを作成する例が報告されている。しかし,これらは一般には正確な地理座標をもたず,より大深度の地形や遺物ではダイバーによる基線の設置作業が難しくなることが難点である。<br> 我々は高解像度のマルチビーム測深によってきわめて高精度で地形を可視化し地形研究を行っている。しかし, SfMはより精緻な地形を構築することができ,テクスチャーも表現することが可能である。本研究では高解像度マルチビーム測深とSfMによる三次元モデル構築をあわせて,水中の微地形および文化遺産を高精度で可視化することを試みた。<br><br>&nbsp;2.調査方法と調査地域<br> 本研究では,水中で撮影した写真を基にSfMソフトウェアで構築した三次元モデルに,マルチビーム測深によって得られた座標を参照点として与え,地理座標を持った三次元モデルを作成した。<br> 第一の調査対象は,沖縄・古宇利島の北東海域の水深40mに沈む全長100mの米国軍艦エモンズ(USS Emmons)である。エモンズは第二次大戦末期の沖縄戦において、日本軍特攻機の攻撃によって航行不能となり沈められた。船体の近くには日本軍機の残骸も認められる。特攻によって攻撃され沈められた軍艦が,そのままの姿で海底に沈んでいる遺跡は,現在のところエモンズしか報告されていない。まず,マルチビーム測深を用いて船体周辺部及び周辺海域の地形を高精度で測量した。これとともに,SCUBA潜水にて全長約100mの船体を撮影した1716枚の高解像度写真(7360&times;4912ピクセル)を用いてSfMソフトPhotoScanを用いた三次元モデルを作成した。三次元モデルにはマルチビームデータを基に位置と深度の基準点(Ground Control Point)を与え,120 m &times; 30 m の範囲について約0.1mの高精密DEMデータを作成することに成功した。<br> 第二の調査対象は,沖縄・八重山諸島の嘉弥真島北方のサンゴ礁礁縁部の縁脚と周辺の縁溝地形(水深14~18m,約20m&times;30mのエリア)である。SCUBA潜水にて撮影した約1600枚の写真を用いて,同様の作業を行った。 <br><br>3.本研究の成果とその波及効果<br> 本研究では,世界ではじめてSfMにマルチビーム測深を組み合わせて三次元モデルを作成することに成功した。今後の海底地形研究や水中遺跡研究に応用可能である。<br> なお,本研究では激戦地の沈没戦艦の可視化に成功したが,これによって当事者の証言や戦争記録で構築されてきた戦艦の破損状況や特攻に関する歴史的事実について,物的証拠から検証することが可能となった。今後は戦艦の保存状況についての詳細なモニタリングや国際的な情報共有を行うことが可能となる。本研究の成果は水中文化遺産保護条約によって2045年前後に正式に文化遺産となる第二次世界大戦の水中戦争遺跡の保存・活用方法を検討する上でも,重要な事例を提供するであろう。
著者
佐藤 崇徳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

学校教育でのGIS活用の普及を考えた場合,経費や操作技能の問題からフリーウェアなどの利用が現実的であり,インターネット上で提供される無料サービスの活用も一つの方策と考えられる。インターネット上での地図サービスは,量・質(機能)ともに充実してきている。いくつかの地図サービスでは,API(Application Program Interface)と呼ばれる,外部のウェブサイトから当該サービスを利用するためのプログラム上の規約を公開するようになった。これにより第三者が,自身のウェブサイトに地図サービスを組み込み,必要に応じて表示内容や機能をカスタマイズすることが可能になり,目的に合わせて独自の内容を盛り込んだ様々な地図がインターネット上に登場するようになっている。筆者はこれに注目し,インターネット地図APIを使って地理教育用の地図教材ウェブサイトの開発を行っている。その一部は既に報告済みであるが(佐藤 2011),その後の成果を本発表では報告したい。 民間企業が提供する一般的なインターネット地図は,道路地図のようなデザインが採用されており,地理教育において利用とするには不十分である場合も多い。一方,国土地理院の電子国土Webシステムでは,地形図に近い内容の地図画像が表示されるので,従来の地理教育において地形図の読図の学習として扱ってきた内容に対応し,その特徴を活かした活用法も考えられる。そうした観点から,先には電子国土Webシステムを用いて,地図画面上に任意の地点の情報(現地の景観写真など)を表示させる地図教材サイトを構築した。 それに対して,今回はGoogleマップのAPIをベースに,電子国土WebシステムVer.4で配信される地図画像を組み合わせての構築を試みた。電子国土Webシステム(Ver.3以前)は国土地理院が独自の仕様で開発を進めてきたもので,ユーザーが独自のコンテンツの用意する際の容易さなどの面で問題があった。これに対し,2011年に公開されたVer.4ではシステムが改められた結果,電子国土Webシステムから配信された地図を,他のソフトウェアで使用することが可能になった。そこで,代表的なインターネット地図として広く使われているGoogleマップのAPIを利用して,電子国土Webシステムの地図を表示させることにしたものである。これにより,Googleマップの使いやすい操作性や,APIの豊富な機能を活かして,教材としての利用に適したウェブサイトの構築が可能になった。 さらに,プログラムの部分と地図上に載せるデータの部分を分離し,データはテキストファイルとすることで,Excel等のソフトを使って簡単にデータが入力・編集できるようにした。プログラムに関するファイルとデータ入力用のテンプレートを近日中に公開する予定であり,コンピュータに関する高度な知識がなくとも,全国各地の地理教員などオリジナルの情報を持っている人が独自の教材サイトを作成し,公開できる仕組みを意図している。 本研究では地図投影法に関連する地図教材も作成した。ズームやスクロールが自由に行えるインターネット地図は,投影法としてメルカトル図法を採用していることが多い。これは技術的な事情によるものであるが,正積図法ではないメルカトル図法の世界地図を分布図などに用いるのは適当ではない。しかし,だからこそ,世界地図はひずみを持っていて,球面上をそのまま表したものではないということを生徒に学習させることは,情報リテラシーの面からも重要であるといえる。 Googleマップはメルカトル図法であるが,APIでは球面上での位置関係に適合するように図形(線など)を地図上に描くことができる。これを利用して,球面上での位置や世界地図に関する学習において役立つ地図教材の作成を試みた。教科書に掲載される地図は,メルカトル図法で東京とアメリカ西海岸を結ぶ大圏航路と等角航路が描かれたものや東京中心の正距方位図法など,定番のものに限られているが,今回作成した教材は,ごく簡単な操作で任意の2地点間の大圏航路と等角航路を描いたり,任意の地点を中心とした方位線と等距圏を描くことができ,さまざまな視点から球面上の世界をとらえることを支援するものである。
著者
髙田 協平 羽田 麻美 渡邊 康志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>沖縄島南部には第三紀の島尻泥岩と第四紀の琉球石灰岩が分布する。この地域では,島尻泥岩分布域において比高が小さく幅の広い谷を持つ低平な丘陵が,琉球石灰岩分布域では平坦な台地や段丘が形成されている(兼子・氏家, 2006)。さらに,石灰岩地域では円錐カルストや石灰岩堤(ライムストーンウォール)が分布する。本研究の目的は,与座岳周辺の残丘地形(円錐カルストを構成する円錐丘や泥岩丘陵)を対象とし,異なる地形・地質条件下における残丘の形態的特徴を明らかにすることである。</p><p>残丘の地形計測は,1948年米軍作製の1/4,800地形図を用いた。抽出する残丘は,2本以上の閉曲線で囲まれている(比高1.5m以上)かつ基底長が10m以上のものと定義した。本条件で抽出した計275個の残丘(石灰岩174個,泥岩101個)を対象に,QGISを用いて比高や底面積を計測するとともに,1/50,000地形分類図(国交省,国土調査)と1/50,000地質図(産総研)を重ね合わせて考察をおこなった。</p><p>地質別に残丘の形状を比較すると,石灰岩の残丘(以下,石灰岩残丘)は比高1.53〜54.6m(平均3.98m),底面積62〜98,291m2(平均4,112m2)であり,泥岩の残丘(以下,泥岩残丘)は比高1.53〜38.12m(平均4.77m),底面積108〜229,979m2(平均7,204m2)であった。残丘の底面積が大きいと,比高も大きい傾向がみられる。当該地域の石灰岩は,兼子・氏家(2006)によれば砕屑性石灰岩,サンゴ石灰岩,石灰藻球石灰岩の三種類に分類される。これら石灰岩の岩種別に残丘の形状を比較すると,砕屑性石灰岩において,残丘の比高が他よりも2倍程度,底面積が4倍程度大きい。また,残丘の基底面の形状の歪みを計算したところ,石灰岩残丘は泥岩残丘に比べて真円に近い傾向があった。一方で,石灰岩残丘のうち,石灰岩堤上に形成された残丘は,歪みが最も大きく基底面が楕円形をなしており,石灰岩堤がもつ直線的な形態の影響を受け,発達したものと考える。</p>
著者
渡辺 満久 鈴木 康弘 熊原 康博 後藤 秀昭 中田 高
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

2016.04.14に熊本地震の前震(M6.5)が、04.16には本震(M7.3)が発生した。これらの地震を引き起こした活断層への評価(地震本部、2013)には、指摘すべき大きな問題がある。また、地震断層近傍では、「震災の帯」と呼ぶべき被害の集中域が認められる。このような現象は1995年兵庫県南部地震後にも指摘されていたが、その教訓が生かされたとは思えない。 本震発生時、既知の布田川・日奈久断層に沿って総延長31kmの地表地震断層が現れた。ところが、前震は日奈久断層帯が、本震は(主に)布田川断層帯が起こしたものである(前震と本震は別々の活断層によって引き起こされた)との見解がある。それは、地震本部が布田川・日奈久断層という1つの活断層を、布田川断層帯と日奈久断層帯という別々の活断層として評価しているためである。 明瞭な地震断層が全域で現れたのは本震の時であり、前震の震源域は本震のそれに包括されている。また、都市圏活断層図に示されているように、布田川・日奈久断層は完全に連続した活断層である。これらのことから、別々の断層が連動したという理解は誤っている。かつて地震本部は、連続した布田川・日奈久断層として正しく評価されており、今回の震源域ではM7.2の地震が発生すると予測されていた。ところがその後、変動地形学的な証拠が軽視され、1つの活断層が2つの活断層(帯)に分割されてしまった。それによって想定地震が過小評価され、M7クラスの本震発生への警鐘に結びつかなかった可能性がある。 益城町の市街地では震度7を2度記録したが、本震時の建物被害が著しかった。被害激甚な地域は、南北幅が数100km以内、東西に数km連続する「震災の帯」をなしている。ここでは、新耐震基準に適合している建物までもが壊滅的な被害を被っている。「震災の帯」の中には、益城町堂園付近から連続する(布田川断層から分岐する)地震断層が見出されるため、その活動が地震被害集中に寄与している可能性が高い。ただし、地震断層直上でなくても、近傍における建物物の被害も著しい。 南阿蘇村においては、複数の地震断層が併走して現われた。地震断層直上およびその近傍では、ほとんどの建物が倒壊した。この地域においては、少なくとも5台の自動車が北~北西方向へ横倒しとなっていることも確認した。強いS波が自動車を転倒させ、南阿蘇村における大規模な斜面災害の引き金にもなったと考えられる。 このように、地震断層近傍では、土地のずれに加えて、強震動による被害が集中したと考えられる。堂園付近では、布田川断層の存在は知っていたという声が少なくなかった。しかし、そこに被害が集中する可能性があるとは理解されていなかった可能性が高い。活断層情報の活用の仕方について、再検討すべきであろう。 熊本地震によって、活断層の位置情報が地震防災上極めて重要な情報であることが再確認された。変動地形学的な物的証拠を重視していない地震本部による活断層評価には、非常に大きな問題がある。また、兵庫県南部地震時の教訓を十分に生かすことができなかったのは、活断層情報の活かし方に問題があったと考えられる。防災・減災に向けて、地形学からさらに積極的な提言を続けることが必要であろう。なお、熊本地震の地震断層は既知の活断層の範囲以外にも出現している。「見逃された」理由を検証し、今後の活断層調査に関して解決すべき問題を見極めなければならない。全国の都市圏活断層図の改訂など、熊本地震を貴重な事例として、明確となった問題を解決してゆく必要がある。
著者
関沢 まゆみ
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.147, pp.7-34[含 英語文要旨], 2008-12

本論文ではまず国立歴史民俗博物館『戦争体験の記録と語りに関する資料調査』(全四冊、二〇〇三・二〇〇四年)のデータから、戦没兵士に対して、生還した帰還兵士の場合と、戦没兵士の遺族の場合との両者において、それぞれどのように彼らの死が受け止められているのか、その対応についての分析を行った。両者共に「体験した人にしかわからない」という語りの閉鎖性が特徴的であった。そこで、戦争と死の記憶と語りの特徴をより広い視点から捉えなおす試みとして、日本における戦没兵士や広島の原爆被災者に関する語りを含めて、さらにフランスの、ナチスによる住民虐殺が行われた二つの町の追悼儀礼の事例調査を行い、日本とフランスとの差異についての考察を試みた。論点は以下の三点にまとめられる。第一に、戦争体験の記憶には大別して、「死者の記憶」と「事件の記憶」の二つのタイプがある。死者の記憶の場合には、戦闘員個々人に対して追悼、慰霊の儀礼が行われる。それに対して事件の記憶の場合には、一つは非戦闘員の大量死である悲惨な虐殺、もう一つは戦闘員の激戦と勝利または敗北、があるが、前者の悲惨な虐殺の場合、たとえばそれはフランスのグエヌゥの虐殺やオラドゥール・スール・グラヌの虐殺から日本のヒロシマ、ナガサキの原爆まで多様な事実があるが、その悲惨は戦争という「愚行」へと読み替えられる。そして、死者の記憶はいわば「個人化される」記憶であり、事件の記憶は「社会化される」記憶であるといえる。個人化される死者の記憶と表象は「死者」への追悼、慰霊の諸儀礼としてあらわれ、社会化される「事件」の記憶は、戦争と殺戮という「愚行」への反省と懺悔の意識化へ、また一方では戦勝の記念と顕彰の行事としてあらわれる。その個人化される記憶の場合には時間の経過とともに体験世代や関係者世代がいなくなれば、記憶の風化と喪失へと向かい、一方、社会化される事件の記憶の場合には世代交代を経ても記憶はさまざまな作用力が介在しながらも維持継承される。第二に、フランスのグエヌゥやオラドゥール・スール・グラヌの虐殺の場合には、死者への追悼とともに彼らのことを決して忘れないという「事実の記憶」を重視する儀礼的再現と追体験とが中心となっているのに対して、日本の場合は、「安らかに眠ってください」という集団的な「死者の記憶」が重視され、その冥福が祈られている。そこには、日本とフランスの自我観・霊魂観の相違が反映していると考えられる。第三に、フランスにおいても日本においても「戦争と死」の記憶の場として民俗的な伝統行事が有効に機能していることが指摘できる。フランス、グエヌゥでは、五月に行われるトロメニにおいてペングェレックという新しいスタシオンを組みこんでおり、広島と長崎の場合、八月の盆の月に原爆記念日が、そして一五日には終戦記念日が重なって、死者をまつる日となっている。This paper discusses a study of how the deaths of soldiers killed at war impacted on soldiers who survived the war and the families of those killed, which includes both soldiers killed in action and those who died from illnesses during the war. The study is based on data obtained from "Personal Experiences of War, 1931-1945: A Survey of Japanese Written and Oral Records" I-IV 2004 & 2005, published by the National Museum of Japanese History. A feature common to both returned soldiers and the families of the deceased was the exclusive nature of their narratives as represented by the comment "Only those who have experienced such death can understand." In an attempt to identify the characteristics of memories and narratives of war and death from a wider perspective, the study sought to illuminate the differences between their personal and social impacts. To this end, Japanese narratives included narratives about soldiers killed in action and victims of the atomic bomb dropped on Hiroshima, and a study was undertaken of memorial services held in two French villages, Gouesnou and Oradour-sur-Glane, where civilians were murdered by Nazi soldiers.Three themes emerged from the study. First, there are two general types of memories of war experiences, which are classified as "memories of the dead" and "memories of incidents." Memories of the dead take the form of mourning, and holding commemorative and memorial services for individual soldiers. In contrast, memories of incidents involve two aspects. One is the tragic mass slaughter of non-combatants and the second the bitter fighting and victory or defeat of combatants. Although with respect to the former aspect the circumstances surrounding the tragic killings vary from the slaughter of civilians in Gouesnou and Oradour-sur-Glane to the atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki, these tragedies reveal the "inanity" of war. Memories of the dead are memories that have a "personal" impact, while memories of incidents are memories that have an impact on "society." Memories of the dead with a personal impact are symbolized by the mourning of the "dead" and various memorial rites and services, while memories of "incidents" with a social impact take the form of reflection on the "inanity" of war and bloodshed and a feeling of confession, as well as events that commemorate and celebrate victory. Memories with a personal impact fade and are lost with the passage of time as the generations of those with personal experience and the generations of involved parties die out. Meanwhile, memories of incidents that have an impact on society are retained and continued despite the mediation of a variety of acting forces, even though there is generational change.Secondly, the two French cases comprise mainly of remembering the dead and a ceremonical reenactment and reliving that emphasizes "reaffirming the fact" so that the dead will never be forgotten.Thirdly, traditional popular rituals and events function effectively as the place of memories of "war and death" in both Japan and France. In addition to a commemoration ceremony held in Gouesnou, France on August 7, a new station called Penguérec has also been incorporated into the troménie held in May. In Japan, the dates of the anniversaries of the bombing of Hiroshima and Nagasaki and August 15 marking the end of the Pacific War all fall during the "o-bon" season, and so are days when the dead are honored. Rather than creating a momentum directed at "reaffirming the fact" of the inanity of war and the carnage caused by the atomic bombs, there is a strong momentum directed at collective commemoration that "remembers the dead" and asks for their peaceful repose. The hypothesis here is that the difference between the two is related to how each one views the self and the spirit.
著者
川口 良
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.37-57, 2017-09

「断り表現」として用いられるようになった「大丈夫」の「新しい用法」に注目して、「大丈夫」の意味機能の歴史的変遷を明らかにし、現在の新用法をその変化の過程に位置付けることを目的とした。分析に当たっては、語用論的意味変遷のプロセスとして「文法化」「主観化」「間主観化」を援用した。まず、『日本国語大辞典』(小学館)の用例によって「大丈夫」の意味変遷をたどり、「大丈夫」が明治期までに二度の「主観化」を起こしたあと、「聞き手の懸念を打ち消す」という配慮表現となって「間主観化」を起こしていることを示した。次に、現在の「断り表現」としての用法を検討し、「大丈夫」が「聞き手の気遣いを辞退する」表現となって、相手の主観性にいっそう配慮した意味機能をもつようになったことを論じた。これは、話者の間主観性がより強まって、「大丈夫」が新たな「間主観化」の段階に進んだことを示すものと考えられる。
著者
櫻井 典之 本間 ふみか 和田 典男
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.403-407, 2007 (Released:2009-05-20)
参考文献数
36
被引用文献数
2

症例は78歳男性.64歳時に早期胃癌にて胃切除を施行した.術後3年頃より低血糖発作が出現し,当初ダンピング症候群と考えられていた.次第に頻度が多くなり,食後だけでなく空腹時にも低血糖が出現するようになった.当科受診時に38 mg/dlと低血糖を認め同時採血のIRI 15.5 μU/ml, CPR 5.66 ng/mlと高値を示した.75 gOGTTとグルカゴン負荷試験にてIRIの過剰反応を認めた.画像診断の結果から膵頭部のインスリノーマと診断した.外科にて膵頭十二指腸切除を施行したところ,病理組織所見は膵併存腫瘍でありリンパ節転移を認めた.手術後低血糖発作は完全に消失した.本症例は低血糖の診療に当たる際に示唆に富む症例であり,病理組織所見も膵併存腫瘍という特異な所見を呈していたので報告する.
著者
大橋 宏正 北岡 教英 原 直 武田 一哉
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. PRMU, パターン認識・メディア理解 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.110, no.219, pp.59-64, 2010-10-01

音声を連続音声認識システムにより常時認識することによって得られる認識単語列からその場の雰囲気に適切な音楽・楽曲を提案し,再生するシステムを構築した.楽曲を説明するテキストより構築された文書ベクトル空間と,楽曲の音響特徴量を表現する音響ベクトル空間の対応付けを利用することで,大語彙音声認識によって得られた音声認識単語列を音響ベクトル空間へとマッピングする.また,大語彙音声認識ではカバーできない固有名詞などのキーワードをワードスポッティングで認識する.本稿ではシステムの概要と基本的な性能評価の結果と実際の雑談音声への応用に向けた予備実験結果を示す.楽曲のレビューを読み上げた音声を認識した結果による楽曲検索結果と,レビューのテキストを用いた結果との比較により,テキストではMRR値1で検索できたものが,音声認識性能はWER70.55%,ワードスポッティング性能はF値31.58%でもMRR値0.83と比較的良い結果を得た.また,今後の雑談認識の応用の予備的実験を行い,雑談書き起こしからの例を示した.
著者
大野 治俊 堀越 陽子 堀越 敏子 落合 玲子 本誌編集室
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1386-1393, 1986-12-01

昨年8月12日,羽田発大阪行日本航空123便,ボーイング747SR機か群馬県多野郡御巣鷹山山頂付近に墜落,乗員15名,乗客509名のうち‘奇跡の生存者’4名を除く520名の犠牲者を出した惨事はまだ記憶に新しい. 4名の生存者のうち吉崎博子・美紀子さん親子と落合由美さんの3名が藤岡市内の病院に収容ざれ,川上慶子さんはその病院で応急処置を受けたあと,すぐ国立高崎病院に転院となった.
著者
関口 英男
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1996, no.28, pp.29-41, 1995 (Released:2009-09-16)
参考文献数
5

I discovered several old Japanese tombs even in the North East of England. Some were tombs of Japanese students who died accidentally without seeing their homeland again.Bysaku Fukao was one of the unfortunate. He fell from the dock at Middlesbrough and drowned at the age of 18, on 14th November 1873. He was engaged as an articled pupil with Dixon and Company, Shipbuilding firm and studied at Walworth House College, Darlington at the same time. He was buried in Darlington West Cemetry.Katsu Iwamoto was another. His tomb was found in St. John's Church Cemetry in Newcastle. His name was listed in the “List of Students” of Durham University Calendar 1877-78. He was a naval cadet when he was ordered by the Ministry of Imperial Japanese Navy to study gun manufacturing. But unfortunately he contracted tuberculosis and died four months later at the age of 20, on 21st June 1877.With these predecessors' great effort the modern industrial Japan was created.
著者
小島 美子
出版者
第一法規出版
雑誌
月刊文化財 (ISSN:00165948)
巻号頁・発行日
no.264, pp.p29-32, 1985-09