著者
福山 秀直
出版者
認知神経科学会
雑誌
認知神経科学 (ISSN:13444298)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3+4, pp.149-155, 2010 (Released:2012-01-01)
参考文献数
10

【要旨】脳機能画像の解析において、問題となることを中心に、間違いやすい点や、初期からの進展について、まとめてみた。問題は、いろいろあるが、多くの場合、初期のころと異なり、コンピュータが速くなったため、簡単に結果を得ることができ、その解析のプロセスを理解しない研究が散見される。解析方法、統計学は、統計画像の基礎であり、それらについて概説し、画像解析法の問題点について述べた。最近の話題として、default mode networkについても触れた。
著者
塚本 直幸 林 良一
出版者
大阪産業大学
雑誌
大阪産業大学人間環境論集 (ISSN:13472135)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.83-93, 2009-06

本論文では,道路空間の「公共性」に関する市民意識を形成する構造をアンケート調査から日独比較分析することで,道路空間利用に関する社会的合意形成のための有効な方策に資することを目的とした。アンケート調査結果によれば,日本(堺市)でもドイツ(ヴュルツブルク市)でも,現在の都心部における自動車による交通混雑,交通事故,生活・歩行環境の悪化,商店街等の活力低下などの面から,都心部への自動車乗り入れ規制を容認する意識が強い。次に,日本では自宅直近の道路に対する「私的」感が強いが,ドイツでは,他の人々による道路の多様な使われ方に寛容であり「私的」感は薄い。逆に,自宅前道路の通行規制や道路整備に伴う建物移転など,公共による私権制限に対する反発はドイツの方が強く,日本の方が公共的な事業に対する協力意識は高い。以上のことを路面公共交通整備のための道路空間の再配分という観点から整理すると、以下のことがいえる。まず、ドイツでは意識面から私的制限に対する抵抗の大きさの反映として、社会的合意を得るための法体系、ガイドライン・基準の整備状況、情報公開制度、予算的裏付け等が適切に整備されていると考えることができる。わが国では、これらがあいまいなまま、ある場合には行政の恣意的施策と地域有力者だけの根回しで進められた事業も多いと考えられ、行政と市民の不幸な相互不信感を生み出す一要因となっている。近年のわが国市民の権利意識の増大と行政活動の公平性・透明性・客観性の確保という点から、ドイツに倣った同様の「仕組み」を整えればLRT整備が急速に進む可能性はある。その際、わが国の直近道路空間に対する「私的感」にも十分に配慮した計画内容とすることが合意を進める上で重要である。
著者
田村 充子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.194-201, 2005-09-19

自己決定とは、過去、医学が優生思想に発する非人道的行為に利用されてきた歴史に対して、わたしたちの存在を真にまもろうとするなかで獲得されてきた原理である。この医療倫理の原則としての原理は、重要であると同時に、それを過度に強調することで多くの問題を生むものともいえる。自己決定の原理は、排除の論理として用いられたり、医師の責任放棄のために利用されたり、病者の過度に個我的な自己決定を補強するために用いられてはならない。マルティン・ブーバーは、人間は関係性のなかに生きる存在である、と論じている。関係に生きる私たち病者の固有の生が、医療の現場において真に守られるために、この自己決定の原理はどのように捉えられてゆくべきか。この問いに対し、本稿では、病む者の視点から、自律性と関係性に着眼しながら、医療の場における自己決定についての考察を試みた。
著者
木下 枝穂 久保倉 寛子 石田 丈博 津田 淑江
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.146-155, 2007-06-20 (Released:2013-04-26)
参考文献数
27

本研究では,煮加熱におけるジャガイモの機能性成分の変化におよぼす本みりんの影響を検討した。アスコルビン酸量および風味形成に関与するアミノ酸分析を行った。また,DPPHラジカル消去活性を測定し,抗酸化活性の検討を行った。その結果,本みりんは,加熱によるアスコルビン酸の減少を抑制していることが明らかとなった。この効果は,本みりん中に含まれるエタノールによるものではないことが明らかとなった。アミノ酸分析の結果,みりん溶液およびエタノール溶液でジャガイモを加熱することにより,ジャガイモの構成アミノ酸は減少し,遊離型のアミノ酸量は増加した。このことより,本みりんおよびエタノール溶液で加熱することにより,ジャガイモに含まれるタンパク質やペプチド内の結合の加水分解が促進されたと考えられた。また,少量の煮汁で加熱した場合,本みりんによるラジカル消去活性は大きく増加した。
著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.23-99, 2006

1. 研究の目的 学校林をめぐる共同関係は「財産」を基底にした「財産共同関係」として明治後期から大正初期にかけて誕生し,その後,昭和戦前期における「愛郷」の普及によって種々の「愛郷共同関係」に拡張したので,すでに入会集団とは異なるものに変容していると考えられる。これを前提として,昭和戦後期・現代における研究の目的を次のように設定し,かつ,森林利用形態論における学校林の位置づけを,目的2)に関連させて論じた。目的1) 天皇制支配の手段として戦前に全国的な展開を見せた愛林日や学校林造成が,戦後に植樹祭や学校植林となって継続した経緯および理由を明らかにする。目的2) そうして戦後に引き継がれた学校林およびそれをめぐる共同関係の地域社会における存在価値を,昭和の町村合併に伴う林野所有の移動から説明する。目的3) 合併を経て地方自治体制が整備されるなかで学校林が消滅,衰退する経緯と,里山保全や環境教育の場として展開し始めた現在の状況を明らかにする。2. 考察1) GHQ/SCAP の立場から考えると,急激な民主化と分権化によって引き起こされる社会不安への対応として愛林日や学校林を位置づけていたと思われる。まず1 点目は絶対的な存在としての天皇を失うことにより国民のあいだに生じる不安であり,そして2点目は農地改革に引き続く山林解放を恐れることにより山林地主のあいだに生じる不安であった。それゆえ,愛林日の復活は天皇を国土復興に担ぎ上げることによる1 点目の不安の払拭であり,学校植林運動の開始は一連の「挙国造林に関する決議」などと同様の造林奨励による2 点目の不安の払拭であった。 しかし,その払拭を実際に思いついたのはGHQ/SCAPではなく山林局(1947年4月より林野局,1949年5月より林野庁)官僚や森林愛護連盟であった。戦前の組織やシステムを維持することに対してGHQ/SCAP は少なからず抵抗するはずで,林野官僚や関係団体は愛林日や学校林を提案する際に次の2点を工夫する必要があった。1点目は愛林日や学校林がそもそもは米国の行事に由来することを主張することであり,2点目は天皇制支配の手段として用いられた過去を「緑化」というイメージにより刷新することであった。 一方で,急激な民主化と分権化により財源の確保も不十分なままに森林管理や校舎建築といった公共事業を一手に引き受けることになった地域社会の立場から考えると,心理的な基盤としては天皇参加の愛林日による国土復興に向けた一致団結が必要とされ,物理的な基盤としては学校林造成による校舎建築財源の確保が必要とされた。その結果,敗戦により「愛国」の箍を外された「愛郷共同関係」が紐帯を自生的に強めることになった。 このようにGHQ/SCAP,林野官僚および関係団体,地域社会のそれぞれの思惑が絡み合いつつ,愛林日が復活し,第1次学校植林5ヵ年計画が開始した,といえる。2. 考察2)町村合併に伴う学校林の所有移動は,無条件もしくは条件付で(すなわち学校林として維持することを条件に)新市町村に統一されるか,さもなくば前町村が財産区を設置して財産区有林の一部として学校林を管理経営するものが多かったのであろう。しかし,学校と地域社会との関係は一様ではなく非常に複雑なものがあらわれる。松尾財産区の学校林は,まず財産区有林のすべてが学校林であるという点,次に松尾を含む複数の前村組合を単位にする旧財産区有林のなかに学校林があるという点,において特殊である。学校林は,実際に植林,管理経営し,その収益を享受した体験をもつ住民や児童生徒にとって,旧財産区とは別に新財産区を設置してでも管理経営するべき存在であったと考えられる。高瀬生産森林組合有の森林は,部落有林野を統一し官行造林を実施した経緯をもつ高瀬村の村有林から成り立っている。まだ新財産区制度が導入される前の町村合併において全戸住民を権利者にして設立した任意団体,高瀬植林組合の性格が高瀬生産森林組合にそのまま受け継がれている。学校林は同生産森林組合にとって部落有林野統一と官行造林の契機となった象徴的存在である。相原保善会は,財産区,生産森林組合を設立するものの最終的に財団法人という法人格によって「地区民の公共の福祉」のための財産保全を可能にする。学校林は「地区民の公共の福祉」のため最初に設置された財産であった。町村合併に伴って財産の移動が検討されるとき一般的にみれば部落有に分解するベクトルと新市町村有に統一するベクトルが同時に働く。これに対して,「愛郷共同関係」は学校林が児童生徒や地区全戸によって管理経営されてきたことを訴える。すなわち「地区民の公共の福祉」というベクトルを掲げる。そして財産区,生産森林組合,財団法人などの制度的な外形を与えることによって「財産共同関係」を固定化し,自然村から自由を奪うと同時に新市町村への統一を防御したのである。3. 考察3)日本はGHQ/SCAPからの独立を果たし,朝鮮戦争をきっかけにして高度経済成長を開始する。この時期に第2次学校植林5ヶ年計画がはじまるが,もはや財産としての学校林を国策として奨励する必要はなくなっていた。合併により前町村が学校設置主体としての権限を失っていくだけでなく,義務教育費国庫負担金などの補助金制度によって中央から地方への統制が復活したである。新市町村にとって学校整備に必要なものは補助金であって地域社会の力ではなかった。そのため,残像としての「緑化」が以降の学校植林運動を牽引せざるを得ない。全国各地に出現する「基金条例」にみられるように財産としての学校林は1960年代から1970年代にかけてフェードアウトしていった。 そして,1970年代以降,世界的に自然環境の悪化が危惧されるなか,国内においても里山保全や環境教育の場としての学校林に対する関心が高まり始める。そして1990年代後半より2000年代前半にかけて市町村,都道府県,国レベルで学校林に関する施策が開始されるようになる。飯田市における「学友林整備事業」はその典型例であった 4. 森林利用形態論における学校林の位置づけ 直轄利用形態の変容という観点から町村合併における学校林の移動について若干の考察を加えるならば,これまで川島武宜らによる森林利用形態論において直轄利用形態は,道路,橋梁,消防,学校などの公共事業への支出により,林野を管理経営する自然村が地区内における権力を維持する手段としてみなされていた。しかし学校林は不自由な直轄利用形態,あえて名づけるならば「公共利用形態」とでもいうべきものに姿を変えた。現在も地域社会によって管理経営される学校林とは,直轄利用形態に孕まれる公共利用形態としての性格が,児童生徒や地区全戸の管理経営によって強められ,かつ,合併に伴う制度的な外形の導入によって固定化された,かなり特殊なものといえるだろう
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.489, pp.41-43, 2014-11

居酒屋の定番メニューの1つである「ポテトサラダ」(ポテサラ)。決して目立たないが、安定して売れ続ける縁の下の力持ち的存在だ。しかも、最近ではその根強い人気に着目した店によって、個性的なポテサラが続々と登場している。
著者
荻布 優子 川﨑 聡大
出版者
奈良学園大学
雑誌
奈良学園大学紀要 = Bulletin of Nara Gakuen University (ISSN:2188918X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.33-47, 2019-09

本研究の目的は、児童期におけるRey-Osterrieth Complex Figure Test(ROCFT)と書字正確性との関係を探索的に広く検討することである。対象は公立小学校の通常学級に在籍する1~6年生404名とした。書字正確性の指標には小学生の読み書きスクリーニング検査(STRAW)を採用した。その結果、ROCFTとSTRAWは相関関係にあり、視覚情報処理過程と書字正確性の間には一定の関与が示唆された。ROCFT成績からSTRAWで測られる書字正確性を十分に予測することは難しかったが、3年生および5年生ではROCFTの低下の有無が書字正確性の低下に関与することが明らかとなった。これはSTRAWの課題特性が結果に反映されたことも一因であると考えられた。本研究の結果は、発達性読み書き障害の指導や背景要因を探る事例報告による知見を支持するものである。ただしROCFTの低下は書字低下の絶対条件ではなく、同様に書字正確性の低下した児童が必ずしもROCFTにも低下を認めるとも限らない。書字正確性の指標の信頼性および妥当性の検証が必要であり、そのうえでの発達心理学的観点から書字正確性と視覚情報処理過程の検討が必要であると考えらえた。
著者
池田 健雄
出版者
千葉大学大学院人文公共学府
雑誌
千葉大学人文公共学研究論集 = Journal of studies on humanities and public affairs of Chiba University (ISSN:24332291)
巻号頁・発行日
no.40, pp.22-41, 2020-03

[要旨]1938 年 5 月に近田良造(ちかだりょうぞう)医師は東京に生まれ、医学専門学校卒業後、市内の医院に内科医として勤務中に、善隣協会の「対蒙古民族のへ医療に貢献」に賛同、転職した。翌月、善隣協会本部から中国内蒙古・包頭(ほうとう)市勤務を命じられ、善隣協会包頭診療所に単身赴任する。彼は外来以外にも回民、蒙古族の居留地に出かけ、内科以外の眼科、性病科等の治療を行う。彼は日本人学校の校医・保護者会長など歴任し 1945 年 9 月まで包頭で過ごす。1945 年 10 月、医師一家は北京経由で帰国できず、山西省太原(さんせいしょうたいげん)に到着した。閻錫山(えんしゃくざん)が日本軍・住民を引入れ「山西王国」を建設中であった。近田医師は現地の太原共済医院副院長の職を得た。知識人として「山西王国」の要職に就いた為、1949 年、閻錫山軍の敗戦により、山西残留の幹部として逮捕される。1956 年、彼は 70 歳で日本に帰国したが、再び「医師免許」取得に挑戦し、72 歳で合格した。その後、彼は埼玉県で近田医院を開業し、84 歳まで一医師として生涯現役を全うした。
著者
吉田 啓一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.1, no.5, pp.29-43, 1958-12-31

This paper is discussed on the process of the nationalization of the Bank of France and the four big deposit banks and also on the method of credit control. It was in 1936 under the government of "Front populaire" that the Bank of France started its first step to the nationalization. Since then, some attempt of reorganization was made during the World War II, but towards the end of 1945 after the "liberation", the radical reconstruction was carried out to the effect that the Bank of France was completely nationalization with other four big banks. The nationalization of the Bank of France is not entirely caused by the economic reason, but seems to be due to the social and political reason. This is clearly understood from the process of it. In this point we can say the nature of the nationalization is a little different from that of the Bank of England. The fundamental idea was to get rid of dominion upon the Bank of France by a few people and also upon the French politics and economy itself by the minority. In other words we might call it the socialization based on the socialism. Therefore the system of the control of the financial policy came to be adjusted and strengthened with the realization of the nationalization of the Bank of France. The aim of this treatise is to make clear the manifold situations which stimulated the nationalization of the Bank of France, especially its social and political back-ground, investigating the process of it.
著者
柴田 隆子
雑誌
人文
巻号頁・発行日
no.16, pp.131-147, 2018-03

本論では1980 年代のテレビ番組における言説と映像を分析し、「小劇場ブーム」と観客像との関係を明らかにする。NHK の演劇番組やニュース番組では、小劇場演劇は1985 年に始まる小劇場建設ラッシュとそれを享受する若い観客が注目された。一方、若者向け番組では文化における情報の送り手と受け手の境界が揺らいでいることが議論されていた。ダンスや音楽の場面で舞台が紹介されるこれらの番組で描かれたのは、演劇の同時代文化としての側面である。そこで語られる観客の多様なイメージは、批評やメディアの描く文脈を反映したものであった。1980 年代の小劇場演劇は集団創作が注目に値する。多くの女性を含む従来の演劇的慣習に従わない作り手たちは新しい想像力を手にし、舞台を記号的に読み解く若い観客は、その創作の共犯者であった。番組映像から見えてくるのは「小劇場ブーム」という現象は小さな劇場という場と小劇団の増加であり、その結果、集団創作のスタイルとそれを支える新たな想像力が客席を含めた演劇領域に広まったといえる。The aim of this paper is to clarify the relationship between a phenomenon known as the 'Little Theater boom' and audience images from TV programs in the 1980s, analyzing their discourses and pictures. NHK Theater and News programs described the activity of the Little Theater (Sho-gekijo) increasing theater spaces in Tokyo from 1985 onwards, focusing on getting young audiences on the bandwagon. On the other hand, the youth TV program discussed the indecisive boundary between a sender and a receiver in cultures. These TV programs emphasized the facet of theater activities as contemporary culture with dancing and music in their spectacles. The various images of new audiences, who supported contemporary culture, reflected critical and media discourse. The remarkable creative style of the Little Theater in 1980s was a group project. The creators, many of whom were women, did not rely on traditional theater conventions, thereby gaining a new imagination. The young audiences, interpreting theatrical signs on the stage, were also accomplices in that creation. The 'Little Theater boom' phenomenon increased the number of Little Theater spaces and companies. As a result of the phenomenon, the collaborative style of such creative group projects and their imaginations spread in the area of theater, including to the audiences.
著者
Ruxton Ian
出版者
九州工業大学
巻号頁・発行日
2007-04

平成17年度-平成18年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書:3分冊
著者
中性紙技術 調査チーム
出版者
紙パルプ技術協会
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.367-380, 2012

近年では,印刷用紙のほとんどが中性から弱塩基性で製造される中性紙となっており,酸性紙を探す方が難しくなりつつある。更には,毎朝目を通す新聞用紙でさえ中性紙化が進んでいる。1980年代は世界的に図書館での書籍の劣化が世間の注目を集め,日本においても印刷用紙は劣化の原因物質である硫酸根を最小限とする,保存性に優れた中性紙化への転換が望まれた時期でもあった。<BR>日本国内においても,既に特殊紙分野では中性抄紙は行われていたが,大量に生産される一般印刷用紙では中性抄紙化はまだ黎明期にあった。三菱製紙株式会社は中性紙を市場で最も早く開発した訳ではないが,取り組みを開始してから比較的早く,中川工場での上質紙に続き,八戸工場の塗工紙においても,工場全体での中性紙転換を果たすことができた。また,欧米とは目的を異にして,抄紙工程の中性抄紙化と,塗工工程の中性紙化を同時並行で進めてきた。<BR>中性紙への現場試験開始から約30年,中性紙転換から20年以上経過した事から,本報告では技術の継承・保存を目的に塗工紙をメインとした八戸工場における中性紙の開発について,前編・後編の2回に分けて当時の背景と技術の流れを纏めた。
著者
岡村 逸郎
出版者
福祉社会学会
雑誌
福祉社会学研究 (ISSN:13493337)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.132-153, 2016-05-31 (Released:2019-06-20)
参考文献数
53

本稿の目的は,小西聖子が犯罪被害者支援に携わる精神科医としての「専門性」をいかにして形成したのかを,精神的被害の管轄権とケアの非対称性に注目して明らかにすることである. 小西は,第1 に,法学者や法律の実務家というほかの領域の専門職が2 次被害を予防するために精神的被害を理解する必要があるとしたうえで,法的な枠組みにおいてとりこぼされる精神的被害を測定することによって,「専門性」を担保しようとした.第2 に,精神科医―クライエント間の関係の非対称性が露呈することによって生じる2 次被害を予防しながらも同時に治療効果のある,有効な治療法を洗練することによって,「専門性」を担保しようとした. 以上の2 つの「専門性」は,誰に対する「専門性」なのかという点と,精神科医の加害者性が問題になるか否かという点において,異なる水準のものだった.しかしそれらが組み合わさることによってこそ,カウンセリングの実務に従事しつつも法制定を求めるかたちで犯罪被害者支援に携わる,精神科医の「専門性」が形成された. 本稿は,これらの2 つの「専門性」に注目することで,犯罪被害者支援の基盤をつくった精神科医の活動がいかにして可能になったのか明らかにした.そのことによって,先行研究によって十分に検討されてこなかった,犯罪被害者を対象にする福祉実践の基盤の歴史的な形成過程を明らかにした.
著者
Michael H. Walter Jens Dreyhaupt Torsten Mundt Ralf Kohal Matthias Kern Angelika Rauch Frank Nothdurft Sinsa Hartmann Klaus Böning Julian Boldt Helmut Stark Daniel Edelhoff Bernd Wöstmann Ralph Gunnar Luthardt Wolfgang Hannak Stefan Wolfart Guido Heydecke Florentine Jahn Peter Pospiech Birgit Marré
出版者
Japan Prosthodontic Society
雑誌
Journal of Prosthodontic Research (ISSN:18831958)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.498-505, 2020 (Released:2020-08-08)
参考文献数
29
被引用文献数
8

Purpose: This analysis focused on periodontal health in shortened dental arches (SDAs). Methods: In a randomized controlled clinical trial, patients with missing molars in one jaw and at least one premo-lar and canine on both sides were eligible for participation. In the partial removable dental prosthesis (PRDP) group ( n = 79), molars were replaced with a precision attachment retained PRDP. In the SDA group ( n == 71), the SDA up to the second premolars was either left as is or restored with fixed den- tal prostheses. Outcome variables were vertical clinical attachment loss (CAL-V), pocket probing depth (PPD), bleeding on probing (BOP) and plaque index (PLI). For CAL-V and PPD, the changes at six mea- suring points per tooth were analyzed. For BOP and PLI, patient related rates were calculated for each point in time. Statistical methods included linear regression analyses. Results: In the intention-to-treat (ITT) analysis for CAL-V in the study jaw, the 10 year patient related mean changes were 0.66 mm in the PRDP group and −0.13 mm in the SDA group. The resulting mean patient related group difference of 0.79 mm (95% CI: 0.20 mm–1.38 mm) was significant ( p = 0.01). There were no significant differences in the ITT analyses for PPD. For BOP and PLI, significant group differences with more favorable results for the SDA group were found. Conclusions: In view of lacking substantial differences for CAL-V and PPD, the overall differences were considered of minor clinical relevance. The results add confirmatory evidence to the shortened dental arch concept and its clinical viability (controlled-trials.com ISRCTN97265367).