著者
飯野 和夫
出版者
東京都立大学人文学部
雑誌
人文学報 (ISSN:03868729)
巻号頁・発行日
no.151, pp.p147-173, 1982-02
著者
森 章
出版者
日本生態学会
雑誌
保全生態学研究 (ISSN:13424327)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.45-59, 2007-05-31
被引用文献数
6

近年、生態系や景観レベルでの機能や動態を重視する管理り・保全方策に焦点が当てられている。特に森林生態系は多くの景観における主要要素であり、それゆえ生態系の健全性を包括的に維持する森林管理が、結果として、内包される遺伝子・種・個体群・群集、そしてさらには各森林生態系の存在する地域景観に至るまでの各レベルにおける多様性の維持に貢献できるといった、生態系を基準とした森林管理の概念が認知されるようになった。カナダ・ブリティッシュコロンビア州には、低頻度で起こる大規模な火事撹乱が規定する森林景観、高頻度・低強度の林床火事により維持されてきた内陸の乾燥林、小規模なギャップ形成が主要撹乱要因として卓越する太平洋岸温帯雨林など、様々な森林生態系が存在する。卓越する撹乱体制は州内でも地域ごとに大きく異なり、生態系の動的側面を重視しない管理方策により森林生態系を本来あるべき姿から変えてしまうことを避けるため、そしてすでに変化してしまった森林生態系の健全性の回復のためにも、近年自然撹乱体制に関わる研究が担う役割は大きくなっている。これは生態系を基準とした森林管理を実行する中で非常に重要と考えられている。そして現在、ブリティッシュコロンビア州では、森林を管理運営する立場の機関・団体が、現行の研究により得られる新たな知見を取り入れて、様々な撹乱により維持される森林の動的側面や森林景観の多様性を尊重しつつ、試行錯誤しながら管理方策を改善していく適応的管理が行われている。このように、最新の研究成果が実際の管理運営に反映されることは、これからの持続可能な森林管理において非常に重要であると考えられる。
著者
黄 自進
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.93-121, 2010-09

蒋介石は生涯にわたって、自分の成長経験を取り上げ、国民を激励する講演あるいは訓示を行っていた。そこでよく取り上げられたのは、母の教訓と新潟県高田連隊での軍人生活であった。八歳の時に父を失った蒋介石には、いわゆる家庭教育が当然母の教訓しかなかった。高田連隊の軍人生活が母の教訓と肩を並べて論じられたことは、彼の生涯に日本での留学経験がいかなるウエートを占めていたのかを窺わせよう。こうした認識に鑑みて、蒋介石の日本留学経験、さらにその後の五回の来日経験を合わせて考察することにより、青年期から壮年期に至るまでの彼の人格形成における日本の位置づけを次のように明らかにした。すなわち、日本は青春期の彼を啓発した場所であり、また、壮年期の彼に勇気を与え、革命再起の活力を齎した場所である。こうした個人の経験から、彼は中国が日本の近代化経験を手本として学ぶべきであると考えたのであった。これは同時に、彼が同胞に対して、日本に学ぶようにと呼びかける動機ともなった。
著者
塩入 秀敏
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.A11-A20, 2003

山背王は長屋王の庶子である。長屋王の変に際して縁坐は免れたが、罪人の子としてその後の運命はあまり期待はできなかったはずである。ところが、ある時、突如として蔭位制度の規定以上の叙位にあずかり、最終的には従三位まで昇進して参議礼部卿として衆去している。皇位継承をめぐって政権抗争が渦巻き幾多の皇親貴族が失脚・没落していく中で、山背王は、長屋王怨霊さわぎの恩恵、橘奈良麻呂の変の密告、藤原弟貞への改名、藤原仲麻呂への接近などを経ながら、渦の中心とはつかず離れずの関係を保ちつつ、ほどほどのところで身を全うしたといえる。この山背王 (藤原弟貞)の生き方を、契機となったと思われるできごとや事件などとの関わりを通して見ながら考えてみることにより、一つ間違えばどうなるかわからない危険な状況にあった奈良時代皇親貴族の処世の一例として考察してみた。
著者
菊地 夏野
出版者
京都大学
雑誌
京都社会学年報 : KJS
巻号頁・発行日
vol.9, pp.129-147, 2001-12-25

This paper aims at reconsidering the view on prostitution during the 1990s in Japan. When people discuss the issue of prostitution in general, they have tended to reduce the problem into whether it is morally right or wrong. Especially in the 90s, it was often discussed around the dualistic notion of "free will versus compulsion", which have prevented us to see what exactly structuralizes the complex relationship between prostitution and the violence against women. Among the dominant discourses on prostitution during this period, there were some varieties. On one hand, there were discourses that condemn prostitution to be perfectly evil. It had become a convention for the anti-prostitution movement to regard prostitution as a greatest violence and discrimination against women. Such scholars as Daisaburou HASHIDUME and Kaku SECHIYAMA, on the other hand, have objected to the idea that prostitution is essentially bad. Their position was to affirm the act as far as it were carried out without violence and discrimination against women. Their debate tells us that, whether they deny it or not, their concern was to condemn whether prostitution is morally right or wrong. Instead, we proposed to ask why it has always been looked at in such a way. In pursuing the question in this paper, we have clarified the processes in which discourses on prostitution inevitably fell into the reductionism. Finally, we turned to the alternative approach to prostitution advocated by Mitsu TANAKA. It is a distinctive approach that turns our attention to the divided status of Japanese women. By making reference to TANAKA's argument, we have investigated a new way to situate prostitution more fundamentally and offered a clue to the situation into which modern Japanese women are put.
著者
黒木 彬文
出版者
福岡国際大学・福岡女子短期大学
雑誌
福岡国際大学紀要 (ISSN:13446916)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.67-73, 2003-02-18

1880年設立の興亜会は近代日本最初にアジア主義組織であり、そこには大きく分けて五つの担い手を異にするアジア主義の思潮があった。日本の文明開化の先進性を意識した日本盟主論の強いものからそうではなくアジアの対等性に重きを措くものまで、日本とアジア(おもに朝鮮中国)との関係性についてはニュアンスの違いがあった。それは思想の重点を日本ナショナリズム(国権拡張)におくか、アジア地域主義(興亜主義)におくか、の違いに照応していた。しかし、そこに共通するのは通商貿易をとおしてのアジアの基本的には水平関係形成の志向性であった。これは日清戦争後の軍事力を背景とする垂直関係形成の志向性とはことなっていた。そのようなアジア主義を初期アジア主義と規定してみたい。
著者
武長 玄次郎 廣田 純子 古宮 照雄
出版者
木更津工業高等専門学校
雑誌
木更津工業高等専門学校紀要 (ISSN:2188921X)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.175-191, 2007-01

第1章ではヘンリー八世時代の経済の混乱とイギリス海洋精神の発揮、第2章では大商人の援助による海上貿易活動とイギリス帝国の形成、第3章はエリザベス朝演劇の世俗的傾向と、宗教から見たギリシャ劇との比較、第4章ではヨーロッパ文化の精華としてのイタリア・ルネサンスの意義とそのイングランドへの影響、科学的精神と結び付きながらも、科学対非科学という近代社会的対立に陥らなかった独自の文化概念を述べている。
著者
加藤 一郎
出版者
国立音楽大学
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-16, 2012-03

本研究はヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1685?1750年 以下「バッハ」と記す)のアーティキュレーションの表現技法に着目し、その中で行われるテンポの微細な変動について考察したものである。アーティキュレーションは旋律の中の分節を明瞭に表現する技法であり、当時の文献には、その表現方法が断片的に記されている。J.G.ワルターは『作曲理論要提』の中で、歌詞に含まれるアクセントのおかれた音節の音価は拡大することに触れており、また、J.J.クヴァンツは『フルート奏法』の中で、拍内の強拍にあたる音を強調し、音価を拡大して「びっこをひく」ように奏することを勧めている。後者に付けられた譜例にはスラーが書き込まれていることから、それはアーティキュレーションとの関係を含むものと考えられる。また、実際にスラーの表現技法に触れた証言もあり、C.P.E.バッハは『正しいクラヴィーア奏法』の中で、スラーの開始音を強調することを提唱しており、L.モーツァルトは『ヴァイオリン奏法』の中で、スラーの開始音を強調し、音価を拡大するよう述べている。こうした資料を参考にし、バッハのアーティキュレーションの表現技法について具体的に検討した結果、次のことが分かった。彼が用いたアーティキュレーションの主要なパターンのうち、1拍に含まれる4音にスラーが用いられた場合は、スラーの開始音は様々な度合いで強調され、テンポの速い曲では、スラーの開始音が第2音以降と切り離されることがあった。こうした奏法は弦楽器の運弓法や声楽の母音唱と関連するものであった。点は様々な意味を持つが、点が連続して記されたパッセージでは、テンポの安定性が意図されていることが多かった。スラーが2音のペアに用いられた場合は、スラーが拍と同時に始まる方法と、スラーが上拍的に始まる方法があるが、何れの場合も、スラーの開始音で表現の拡大が行われることで、2音による音型を明瞭に表現することができた。4音の中の3音にスラーが用いられた場合は、4音を1:3に分ける方法と、3:1に分ける方法があるが、前者では独立した第1音を強調し、その後、僅かに間を取ってから第2音以降のグループを奏することで、しばしば音楽のテクスチュアを明瞭に表現することができた。スラーの開始音や音と音の間が時間的に拡大しても、当時の演奏習慣では、拍の中で埋め合わせのシステムが働くことで、拍としての長さは変わらなかったものと考えられる。アーティキュレーションの表現の中で、テンポの変動は僅かなものであったが、それが音量などの変化と連動することによってこの技法を真に効果的なものにしていた。本研究で得られた示唆により、今後のバッハ演奏に新たな可能性が生まれることを期待する。
著者
加藤 諭
出版者
東北大学史料館
雑誌
東北大学史料館紀要 (ISSN:1881039X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.89-102, 2014-03-15

4 0 0 0 香纓考

著者
古勝 隆一
出版者
日本香文化学会
雑誌
香文化録 = Fragrance culture review (ISSN:24241008)
巻号頁・発行日
no.5, pp.2-12, 2020-05
著者
遠藤 秀紀 佐々木 基樹 成島 悦雄 小宮 輝之 林田 明子 林 良博 STAFFORD Brian J.
出版者
社団法人日本獣医学会
雑誌
The journal of veterinary medical science (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
vol.65, no.8, pp.839-843, 2003-08-25
被引用文献数
1 3

ジャイアントパンダの肢端把握時における前腕と手根部の運動を解明するため,遺体を用いて前腕の屈筋と伸筋を機能形態学的に検討した.尺側手根屈筋は発達した2頭をもっていたが,その収縮では尺骨に対する副手根骨の角度が変わることはほとんどないと結論できた.このことは,ジャイアントパンダが物を把握するときに,副手根骨がその把握対象物の支持体として機能していることを示している.また,長第一指外転筋は尺骨と橈骨の双方に発達した起始をもち,前腕の回外筋としても機能していることが明らかとなった.これらの結果から,ジャイアントパンダが橈側種子骨と副手根骨を利用した肢端把握システムを使って食物を口に運ぶ際には,方形回内筋,円回内筋,長第一指外転筋,そして回外筋が,前腕の回内・回外運動に効果的に貢献していることが示唆された.