著者
下垣 良太
出版者
大正大学宗教学会
雑誌
宗教学年報 (ISSN:09144846)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.69-88, 2018
著者
平山 琢二 田崎 駿平 藤原 望 眞榮田 知美 大泰司 紀之 Hirayama Takuji Tasaki Shumpei Fujiwara Nozomi Maeda Tomomi Ohtaishi Noriyuki
出版者
琉球大学農学部
雑誌
琉球大学農学部学術報告 (ISSN:03704246)
巻号頁・発行日
no.59, pp.25-27, 2012-12

The dugong trenches in the coast of Iriomote Island were investigated. The luxuriance of seagrasses in the western coast of Iriomote Island was higher than seagrasses in Okinawa Island. And many kinds of species of the seagrasses were observated (two family, six genus, eight species). The field investigated in this time was more large area and very well. Therefore, the side of diversity of living thing, the western coast of Iriomote Island was most important area. And, this coast has profusion of the Food of dougong dugon. But in this investigation, we were not able to check dugong trench in the coast of Iriomote Island. Therefore, it was guessed that a possibility that, as for us, the dugong inhabits the Iriomote island was low.西表島周辺におけるジュゴンの定着の可能性について調査する目的で、ジュゴンによる食痕調査およびジュゴンに関する伝聞や目撃情報などの聞き取り調査を行った。食痕調査では4地域を行った。また、聞き取り調査では石垣島およひ西表島で計41名を対象に行った。ジュゴンの食痕調査では、いずれの地域においてもジュゴンによる食痕は確認できなかった。また、ジュゴンの目撃に関する情報は、石垣島およひ西表島ともに全くなかった。伝聞に関しては30件の情報を得た。このようなことから、今回のジュゴンの食痕調査および聞き取り調査から、現在は西表島周辺にジュゴンは定着していないと思われた。しかし、かつてジュゴンが棲息していた地域における海草藻場の広がりは極めて良好であり、南西諸島海洋の生物多様性の面からも非常に重要な地域である。西表島西岸は、定期船の往来も少なく、良好な藻場を有していることから、西表島におけるジュゴン定着の可能性は極めて高いものと推察された。
著者
品川 ひろみ
出版者
日本保育学会
雑誌
保育学研究 (ISSN:13409808)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.224-235, 2011-12-25

本研究は日系ブラジル人が多く入所する保育所において,通訳がどのような役割を果しているのかについて,保育士に対するアンケート調査,園長に対するインタビュー調査をもとに,「日常の保育」と「文化の保障」という二つの視点で検討した。その結果,「日常の保育」においては,通訳の存在は大変重要であり,通訳がいることで子どもや保護者へのコミュニケーションがスムーズにいき,細かいところにまで配慮した保育が実現できることがわかった。「文化の保障」についても,通訳が子どもの母語や文化を保障する役割としても機能していることがわかった。一方で,日本人保育士たちは多様な考えをもち,必ずしも文化の保障が必要であるとは考えていない者も見られた。また,通訳が常駐している保育所と,巡回型の保育所では,通訳の役割そのものは,どちらも同じように重要であったが,巡回型では時間的な制約があり,十分な関わりができない面も確認された。
著者
田代 高章 八重樫 一矢 TASHIRO Takaaki YAEGASHI Kazuya
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.17-36, 2009
被引用文献数
1

今日、いじめ、不登校、暴力行為、薬物乱用、高校中退など、いわゆる学校不適応とされる問題行動は後を絶たない。文部科学省をはじめ各都道府県教育委員会、各学校などでは、これらの問題行動の実態の把握と、それへの様々な対応に追われている。 対応のあり方としては、近年の少年法改正による厳罰化の動きとも関連して、アメリカのゼロ・トレランス(zerotolerance)の発想をわが国にも応用しようという動きもみられる。 もちろん、一方で、個々の子どもに対するカウンセリングマインドに依拠した対応の必要性も主張される。また、わが国では、教師による子ども理解と信頼関係の構築を基本としつつ、子ども集団の関係を異質協同の自治的関係へと変容させようとする、学級集団づくり・子ども集団づくりといった「生活指導」理論と実践の蓄積もある。さらに、ゼロ・トレランスとしての厳罰主義の動きを批判する見解もある。 近年の毅然たる対応、罰則基準の明確化と周知徹底、罰則に基づく厳しい懲戒といった動向のなかで、暴力行為や中退者など多くの問題を抱える高校現場の実態はどうか、特に定時制高校での実態について、岩手県のケースを参考にしつつ、徒指導についての今日の考え方を概観し、問題行動の現状とそれへの指導の方向性について、考えてみたい。
著者
亘 悠哉
出版者
The Mammal Society of Japan
雑誌
哺乳類科学 (ISSN:0385437X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.27-38, 2011-06-30

外来種の侵入による生物多様性・生態系機能の低下,および経済被害はきわめて甚大で,各地域特有の自然や暮らしを脅かす切実な問題となっている.こうした問題を解決するために,各地で外来種駆除が実施されており,近年では根絶成功例や在来種の回復など,駆除による対策の有効性が成果として現れてきている.一方で,たとえ外来種を減少させることができたとしても,インパクトを受けていた生態系が必ずしも回復するとは限らず,時には状況がさらに悪化してしまう場合もある.このような知見は個々の論文で報告されてきたものの,全体像が整理され示されたことはこれまでになかった.本総説では,このような知見を整理し,外来哺乳類の影響の環境依存性や非線形性,ヒステリシス,外来種間の相互作用などを,意図しない現象の理由として挙げ,そこには,食性のスイッチングやアリー効果,外来種の侵入と生息地改変の複合効果,メソプレデターリリースなどのプロセスが関わりうることを紹介した.また,それぞれのプロセスに応じた対処法として,在来種の回復の評価プロセスの導入や生息地管理,他の生物の管理などをリストアップした.以上のような対処法が取り入れられた総合的な外来種対策の実践例は,近年報告が増えはじめてきた段階である.このような個々の実践例を積み重ね,対処法の有効性を検証していくことは,個々の地域の問題を解決するだけでなく,さらなる実践例を生み出す上でも重要な役割を果たしていくであろう.<br>
著者
烏賀陽 梨沙
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.123-135, 2014

本稿の目的は,近年のアメリカの美術館教育の現状を文化的,教育的,社会的枠組みの中で位置付け,美術館教育の発展にはどのような要因が影響しているかについて,社会的・経済的視座もいれ多角的に分析・考察することである。1990年代以降を中心に,筆者の過去の調査・研究をもとにニューヨークの美術館の実例や先行研究の例から分析する。事例に即して検討した結果,1980年代後半から1990年代の財政困難期,美術館はその脱却方策を模索したが,そこに二つの方向性がみられた。一つは外部資金(公・民)を積極的に取りにいくこと,二つ目は教育的プログラムやサービスの充実に美術館の焦点が移行することである。こうして美術館教育の発展に,資金援助側の戦略的助成方針など外的要因も関係するようになる。また,近年の認知心理学の進歩も相乗し,美術館に関連した新しい学習理論がうみだされ美術館教育の方法論の充実へとつながり発展を助長した。
著者
梅屋 潔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.274-284, 2018

<p>This paper argues the effectiveness of a strategy by President Museveni's campaign for reelection to conduct a series of government re-burials of or commemorative ceremonies for great men with West Nilotic origin who had been murdered by then-President Idi Amin. The attempt is to describe the attitude of the Western Nilotic peoples in Uganda towards a series of events, and to confirm how individuals with voting rights are inseparably connected to the identity and sentiments of their ethnic group. The re-burials clearly show that modern presidential elections in Uganda have an emotional aspect as well as a civic one. The series of events, and the strategic effectiveness displayed, force us to rethink the universality of the idea of the concept of "citizenship." That concept—as with all concepts of Western origin believed to be universal—has been interpreted and appropriated reasonably within an autochthonous cosmogony, and might be seen to be interwoven with autochthonous concepts in Africa and other areas after being imported from the West.</p><p>Because of the series of events, the people of Western Nilotic origin, or at least those who can assert to have some connection, supported President Museveni as he honored the great dead men of their ethnicity. This time, the reburial was an epoch-making strategy to address the issue, and even successfully managed to integrate people based on their ethnicity, even though the late Oboth-Ofumbi was not especially beloved by all his neighbors. Another issue was the role of religious and spiritual dimensions in peopleʼs voting behavior. The government's honoring of the dead positively affected people in neighboring communities. It can be said that the dead thus demonstrated agency to the living, having intervened in the actions of the living. In a sense, they—ontologically, the dead—shared a social space with the living in terms of personhood, which, for people of Western Nilotic origin, inevitably includes those who have already died. A consideration of the state of the dead can thus greatly influence their voting behavior.</p><p>(View PDF for the rest of the abstract.)</p>
著者
田原 範子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.233-255, 2018

<p>本稿は、アルル人の死者祈念の最終儀礼をとおして、死者と生者の交流について論考するものだ。死者祈念の最終儀礼は、死後10年くらいまでに、死者のクランが、他のクランを招待して饗宴をもつことで完了する。2つのクランは、笛と太鼓と踊りに3夜連続、興じながら、死者のティポ(精霊)を祖霊の世界へ送りだしてきた。ところが、ウガンダ共和国ネビ県においては、死者祈念の最終儀礼は1987年が最後であった。このまま儀礼が消滅することを案じた筆者は、パモラ・クランのウヌ・リネージの人びとに協力し、2009年より準備を重ね、2012年3月に簡略化した死者祈念の最終儀礼を行った。</p><p>調査対象の社会に対して、こうした働きかけをすることに迷いがなかったわけではないが、消えゆく儀礼を若い世代へ継承する一助になればという気持ちがあり、映像化を試みた。また、対話的に儀礼を生成する過程をとおして、当該社会の意思決定過程や社会関係を学べるのではないかと考えた。人びとと共に死者祈念の最終儀礼の再興を模索する過程で、パモラ・クランの人びとがコンゴ民主共和国の人びとの支援を受けたり、ウガンダ国内の異なるクランの人びとから助けられたりする状況が明らかになった。この儀礼は、日常生活では関係を密にしない生者たちが再会し、音楽と踊りを楽しみ、共に飲み、共に食べることをとおして、友好関係を再確認する場でもあった。本特集に執筆しているニャムンジョの言葉を借りれば、死者祈念の最終儀礼とは、一過的で集合的なコンヴィヴィアリティを構築する場であった。</p><p>本稿では、こうした死者祈念の儀礼空間に、緩やかな連帯関係にあった生者が参入し、儀礼を共同して構築すること、この一時的で流動的な共同性を、リチュアル・シティズンシップと名付けた。それは、死者という存在によって生者たちが構築する共同性であり、死者と生者が交流する場に現れるシティズンシップである。従来、シティズンシップにかかわる研究は、生者を中心に行われてきた。なぜならシティズンシップの根幹には、法的・政治的・経済的、すなわち現世的な権利や義務の制度があり、そこに死者の存在は勘案されることはなかったからだ。しかし死者や祖霊の存在は、私たち生者の日常生活に深く根をおろしている。本稿では、死者という存在を含めた共同性を考察するために、従来のシティズンシップ概念に死者を含めるリチュアル・シティズンシップという新たな概念を提唱した。その概念を使用することにより、死者祈念の最終儀礼の記述をとおして、アルル人のクラン間の緩やかなつながりを考察し、生者の共同性の底流にあるものを明らかにすることを試みた。</p>
著者
鄭 惠先
出版者
北海道大学国際本部留学生センター = Hokkaido University, Office of International Affairs, International Student Center
雑誌
北海道大学国際教育研究センター紀要 = Journal of Center for International Education and Research, Hokkaido University
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-13, 2017-12

本研究では、メディア言語研究という立場から日韓対照の視点を取り入れて両言語による映像メディアの談話を考察した。とりわけスポーツ情報番組の実例をもとに、ジャンルによる語用論的特徴について考察した結果、日本のテレビ番組の談話では番組独自のジャンル特性が言語表現に強く影響していることが示された。たとえば、実況中継のアナウンサーの発話では、常体と敬体の混用が目立つ日本に対して、韓国では常に敬体のみが用いられる。また、報道性より娯楽性が重視されるワイドショーというジャンルは日本に特徴的に見られる映像メディアで、その中の談話はジャンル独自の語用論的特徴を持っている。このように、同じスポーツ情報番組であっても日韓の映像メディアには言語表現の違いが顕著に表れることが明らかになった。今後は、メディア言語研究のさらなる充実を図るために、映像メディアのジャンルと日韓の言語固有性という2つの要素に加えて、日韓・韓日のメディア翻訳をも有機的に関連づけて考察を続ける必要がある。This paper compares and contrasts the Japanese and Korean languages in sports information programs on the TV and indicates that the genre of each program strongly affects pragmatic features of linguistic expression in each language. An example of the genre influence is the utterance of reporters in live report programs. Japanese reporters mixed the polite style with the ordinary style while Korean reporters used only the polite style. Furthermore, in "Wide Show" which is a genre peculiar to Japan, the function as entertainment is emphasized more than the function as a report, and it has its own practical features. Thus, even in the same sports information program, there is a difference in language expression between Japanese and Korean. Taking into account the conclusion of this paper, the author will continue to conduct research on video media language, focusing on the relation among three elements: genre of media, linguistic differences of the two languages, and translation.
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンストラクション (ISSN:09153470)
巻号頁・発行日
no.409, pp.74-75, 2006-10-13

気象庁発表のデータによれば,1時間当たりの降水量が100mm以上の降水の発生回数は,1986〜95年は年平均2.2回。それが96〜2005年には同4.7回と倍増した。 下表の通り,雨が原因となった可能性のある現場の災害も発生している。法面の崩落による事故が多いが,なかには下水道にたまった雨水が原因で被災した例もある。
著者
松島 憲一 坂本 奈々 澤田 純平 藤原 亜沙美 牧内 和隆 根本 和洋 南 峰夫
出版者
信州大学農学部
雑誌
信州大学農学部紀要 = Journal of the Faculty of Agriculture, Shinshu University (ISSN:05830621)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.25-37, 2015-03

信州大学は環境教育の一環として環境教育海外研修を毎年実施しており,2014年には3月1日より3月11日までの11日間に4名の学生をネパールに派遣し,首都カトマンズおよびダウラギリ県ムスタン郡マルファ村において調査ならびに研修を実施した。本報では本研修において訪問した,環境に優しい電気自動車による乗り合いタクシー(サファ・テンプー)の運営会社Nepal Electric Vehicle Industry社およびバイオブリケットの普及を通じ環境問題と貧困問題の改善を進める団体Centre for Energy and Environment Nepalに対して実施した聞き取り調査の結果を報告する。また,トリブバン大学理工学部環境科学科において実施した学生交流においてディスカッションされた内容,さらには滞在中に実施した環境意識調査(アンケート調査)の結果もあわせて報告する。
著者
師 茂樹
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1126-1132, 2015-03-25

雲英晃耀(きら・こうよう,1831-1910)は,幕末から明治時代にかけて活躍した浄土真宗大谷派の僧侶で,キリスト教を批判した『護法総論』(1869)の著者として,また因明の研究者・教育者として知られる.特にその因明学については,『因明入正理論疏方隅録』のような註釈書だけでなく,『因明初歩』『因明大意』などの入門書が知られているが,その内容についてはこれまでほとんど研究されてこなかった.雲英晃耀の因明学については,いくつかの特徴が見られる.一つは実践的,応用的な面である.雲英は国会開設の詔(1881)以来,因明の入門書等を多数出版しているが,そのなかで共和制(反天皇制)批判などの例をあげながら因明を解説している.また,議会や裁判所などで因明が活用できるという信念から因明学協会を設立し,政治家や法曹関係者への普及活動を積極的に行った.もう一つは,西洋の論理学(当時はJ. S. ミルの『論理学体系』)をふまえた因明の再解釈である.雲英は,演繹法・帰納法と因明とを比較しながら,西洋論理学には悟他がないこと,演繹法・帰納法は因明の一部にすぎないことなどを論じ,西洋論理学に比して因明がいかに勝れているかを繰り返し主張していた.そして,三段論法に合わせる形で三支作法の順序を変えるなどの提案(新々因明)を行った.この提案は西洋論理学の研究者である大西祝や,弟子の村上専精から批判されることになる.雲英による因明の普及は失敗したものの,因明を仏教から独立させようとした点,演繹法・帰納法との比較など,後の因明学・仏教論理学研究に大きな影響を与える部分もあったと考えられる.
著者
斉藤 了文
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-20, 2006
被引用文献数
1

テクノロジーを理解する枠組みを提案する。その基本は、「人工物に媒介された倫理」である。人工物をつくるエンジニアにとって、その責任とか、人工物を使うユーザの位置づけを考える上で、人工物に媒介されているという観点は興味深い論点を含んでいる。 さらに、テクノロジーが使われている社会とその制度の記述を基に考察を進める。その基本が、不法行為法の変遷である。このポイントは、過失に焦点を当てると、それを通じて自律的な人間というユーザの位置づけができなくなる、ことである。この場合に、社会的行為者として責任を取ることのできるものは、メーカーつまり法人という「奇妙な人工物」になってしまう。また、エンジニアも専門家団体の一員として(医師や弁護士のように)損害賠償責任を負うことになれば、テクノロジーと共に暮らす社会の責任ある行為者となりうる。