蚕虫 (@syounennoomoide)

投稿一覧(最新100件)

J-STAGE Articles 「八条宮智仁親王サロンの主要な活動と構成員」 https://t.co/sh36dpiIaF
RT @a_ri_no_ri: 後水尾院サロンと宮廷庭園の展開 https://t.co/2XdggWE2YN 八条宮智仁親王サロンの形成と展開にみる固有性と時代性 https://t.co/kbty1AHyZH 『无上法院殿御日記』にみる後水尾院サロン以降の宮廷庭園文化…
RT @a_ri_no_ri: 後水尾院サロンと宮廷庭園の展開 https://t.co/2XdggWE2YN 八条宮智仁親王サロンの形成と展開にみる固有性と時代性 https://t.co/kbty1AHyZH 『无上法院殿御日記』にみる後水尾院サロン以降の宮廷庭園文化…
RT @a_ri_no_ri: 後水尾院サロンと宮廷庭園の展開 https://t.co/2XdggWE2YN 八条宮智仁親王サロンの形成と展開にみる固有性と時代性 https://t.co/kbty1AHyZH 『无上法院殿御日記』にみる後水尾院サロン以降の宮廷庭園文化…
RT @shima_126: 馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
CiNii 論文 -  「豊臣秀頼の寺社造営について」 https://t.co/4X6HprEd75 #CiNii
CiNii 論文 -  「豊臣秀頼の作事体制について」 https://t.co/FInAxsNADt #CiNii

236 0 0 0 OA 維新史料綱要

RT @itaru_ohyama: 『維新史料綱要』巻7 p54 幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称「よしひさ」を布告す https://t.co/rsDm1pDemz
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 天皇誕生日にかこつけて再宣伝ですが、この論文はとても面白かったです 室町時代の武家や公家、天皇が誕生日をどう意識していたのか、という点に目を向けた木下聡先生の論文。 推しの誕生日祝いをしたい方はどうぞ https://t.co/UUnQ…
RT @Ankhlore: こういう論文がワンクリックで読めるとはありがたい。https://t.co/GcOiVx2BPW ・大豆はナイジェリアの主要な穀物 ・1991年ごろ、日本人が豆腐作りを指導して普及 ・日持ちを良くするため、厚揚げみたいに揚げて食べる ・スナック感覚…

21 0 0 0 OA 日本剣豪列伝

RT @tonmanaangler: 同じ直木三十五「武勇伝雑話」に『島津独特の「すてがまり」といふ法で」とありますね。こっちは小説ではないから、直木三十五は事実だと認識してたのだと思われ。 https://t.co/sGzx11WBXz
RT @holy_sengoku: 『日本史のまめまめしい知識 第1巻』木下聡先生の「室町幕府において将軍直臣に対して将軍以外が名前の一字を与えること」を読んで気になっていた、伊勢氏から「貞」字を授与されている奉公衆や在国被官に関して、興味深い論文。先行研究を辿る道標としても参…
RT @a_ri_no_ri: 「春日局に見る乳母役割の変質」https://t.co/lAyOmrh8a2 乳母の論文をチェックのために読んだ。春日局の役割はかなり阿茶局に近いなと思った。
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…

64 0 0 0 OA 師郷記

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…

64 0 0 0 OA [師守記] 64巻

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…

67 0 0 0 OA 康富記

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…

67 0 0 0 OA 満済准后日記

RT @am2nkm_A: デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記…
RT @nekonoizumi: 以前から馬部氏が「隠蔽」を行っている等、ツイッターで執拗に攻撃していた某アカウントに対する反論論文だった。自らの論文の前提や姿勢について述べつつ、攻撃の論拠を丁寧に潰していっている。 ⇒馬部隆弘 「アテルイの「首塚」と牧野阪古墳」 『志學臺考古…
RT @Kozikagami: 三淵藤英の動画。こちらの制作では金子拓先生の論文に助けられました。 藤英の立ち位置について知りたいという方にはオススメです。 (動画は4/3に投稿します) https://t.co/EmdVp1614y https://t.co/YqEB2oxk…
CiNii 論文  江戸時代, 大井川における刎橋の橋長と森林伐採の関係 https://t.co/jQmh5c6stN #CiNii
CiNii 論文 -  甲斐武田の治水策の問題点とその限界:―御勅使川分流の終焉― https://t.co/U4degtsDhj #CiNii
CiNii 論文 -  釜無川左岸連続堤防の築造経緯 https://t.co/BESlugIMHf #CiNii
RT @holy_sengoku: 誕生祈祷といえば、こんな論文もありました。近代以前の日本には誕生日を毎年祝う習慣はない、というのが通説だったそうで。近世が中心ですが、将軍に限らず様々な階層の誕生日にまつわる習慣を検討されています。(戦国期では京兆家以外、他地域での例はあるん…
RT @a_ri_no_ri: 「数寄屋御成の展開と衰退」https://t.co/z8ZAXaiL26 秀忠の御成は大名統制のためとは言えないという解釈。自分も御成先のメンツは「どちらかといえば、秀忠に近しいよな」と思っていたから、こっちの説の方が納得できる。
RT @a_ri_no_ri: J-STAGE Articles - 豊国大明神号の創出過程に関する一考察 https://t.co/3psg4UwA7T 秀吉の神号が新八幡ではなく豊国大明神となったのは、後陽成天皇、徳川家康、豊臣(羽柴家)の3者の都合によるという説。明との冊…
CiNii 論文 -  尾張国津島の大橋氏における家系伝説創造と「浪合記」・「大橋記」 https://t.co/bLaBkSWCMZ #CiNii 「五十巻本の「大橋記」が慶長年間(一五九六~一六一五)の編纂だとすれば、 「浪合記」原初本の成立は当然それ以降となる。」南朝の親王が出てきて面白い内容だけど、まあ近世だよね
RT @holy_sengoku: @mtboxl 2009年には田中信司先生が「親幕府路線は義長独特のもの」「三好長慶の志向と義長の志向とを各別して捉えていくべき」と訴えられていたようですね。 三好氏権力と末期室町幕府との関係について : 三好義長を考える https://t…
CiNii 論文 -  「会津領主加藤明成改易をめぐる諸認識」 会津加藤家改易は明成の自発的な領地返上申し出によるものとの見解 https://t.co/XVEEYkyjST #CiNii
RT @a_ri_no_ri: CiNii 論文 -  御守袋文書にみる徳川家光の心理 https://t.co/MIhQJaW8oo #CiNii 家光の「二世権現、二世将軍」の別解釈。秀忠をないがしろにした表現ではないとしている。ただ、家光の家康崇拝は揺るがないあたりが、家…
RT @yougoha: 馬部先生の「名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実」(大阪大谷大学紀要53)、いつの間にか公開されとるやん! https://t.co/za7AwszGW2
RT @washou3956: PDF公開。津野倫明「木下吉隆と文禄の役に関する豊臣秀吉朱印状の年代」(『人文科学研究』23、2018年7月)豊臣秀吉右筆とである木下吉隆の失脚・官途を検討することで、朝鮮出兵時の秀吉朱印状の年代比定における指標を提示。https://t.co/…
CiNii 論文 -  今川氏家臣朝比奈親徳の政治的立場 https://t.co/KUr7ojjkYB #CiNii
RT @tateita_HI: @kusunoki030513 こちらの論文を参照すると分かりますが、大まかに関ヶ原のみを扱ったものと、それ以降の出来事を記した二つの系統があり、更にその中でも相違点があります。 https://t.co/hfOeG0aM1A
RT @holy_sengoku: @holy_sengoku 将軍義輝は帰京以来、少なくとも永禄5年の教興寺の戦いまでは三好政権と協調関係にあり、三好家と上杉家の関係も決して悪くはありませんでした。永禄4年の小笠原長時・貞虎父子の旧領復帰を巡って両者は提携しています。http…
RT @kotosakikotoko: 白峰旬センセは『慶長庚子の大乱』『慶長庚子の大兵乱』を提案してるのね。 関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈 : なぜ大谷吉継だけが戦死したのか https://t.co/aKNL5KKzXs
CiNii 論文 -  宝暦治水工事と〈聖地〉の誕生 https://t.co/Me8IG6CMal #CiNii
RT @a_ri_no_ri: CiNii 論文 -  豊臣政権の関東・奥羽仕置(続論) https://t.co/pyBPYa0nVs #CiNii この論文の中にある書状で秀吉側がやたらと目の赤い鶴を伊達に「ちょうだい」と要求しているんだが、何でだ?
RT @a_ri_no_ri: 論文メモ 徳川家康の駿府外交体制:https://t.co/zgmICeDrPf 豊臣政権の関東・奥羽仕置:https://t.co/nA4tA4eCny
RT @buqimingri: 十五世紀中葉における伊勢氏権力構造と被官衆(中島丈晴) https://t.co/aJn3Ghz91R 室町期伊勢氏の取次-寄子、在京被官・在国被官の違いを解説。後北条氏における被官たちのグルーピング考察に援用可能か?
RT @nknatane: @nknatane 最近提出された豊臣期の博士論文としては、森脇崇文氏の『豊臣期宇喜多氏の構造的特質』(2012)https://t.co/cAVfpMIdddや林晃弘氏の『近世前期寺社政策の研究』(2016)https://t.co/yT46f0J…
RT @nknatane: @nknatane 最近提出された豊臣期の博士論文としては、森脇崇文氏の『豊臣期宇喜多氏の構造的特質』(2012)https://t.co/cAVfpMIdddや林晃弘氏の『近世前期寺社政策の研究』(2016)https://t.co/yT46f0J…
RT @nknatane: @nknatane なお、豊臣政権の奉行発給文書については、谷徹也氏の博士論文『近世成立期の統治構造』(2016年)https://t.co/EQ4EuzJ9eW に「豊臣氏奉行発給文書考」という新稿が含まれており、発給文書の集成と年次比定がおこなわ…
RT @nknatane: 伊藤真昭「前田玄以発給文書集成(1)」(『歴史文化研究』5号、2016年3月)https://t.co/PuBczIU3HT この史料集成は未読だが、伊藤氏は著書『京都の寺社と豊臣政権』(法蔵館、2003年)において玄以発給文書を集成されている旨を述…
RT @tateita_HI: @1059kanri )続き)駿州ゟ上之御人数ハ、何も国々へ御返しニ候、猶珍敷儀候 ハヽ可申入候、恐々謹言 浅左京 七月廿九日幸長(花押) 大関左衛門督殿 御宿所」 という書状です。なお、これに関する白峰氏の見解は下記のリンクを。https://…
RT @yougoha: ただ正則の改易に関しては別に徳川が警戒だとかそういうもんではなく、単に地雷原でタップダンスした結果だと思います。肥後加藤家も同様 こちらの論文を呼んだ印象ですが 徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1- https://t.co/zk0iRqTBGP
RT @a_ri_no_ri: CiNii 論文 -  秀忠親政期の領知朱印状 https://t.co/H3vdPm61z5 #CiNii 基礎的研究がされてなかったって…。
CiNii 論文「室町時代東國における領主の存在形態 : 上野國新田庄の岩松氏の場合」 https://t.co/2NEs25zZR7 #CiNii
RT @buqimingri: 論文:「徳川家の初期謡初(うたいぞめ) : 永禄期を中心に」(天野文雄) https://t.co/NGbMqhWE1G 『朝野舊聞襃藁』の記述を精査した内容で、三河を統一し徳川として家康が叙爵した永禄10年の年頭を画期と推測し、そこに結集した1…
応仁の乱直前の遠江情勢について CiNii 論文 -  「室町中期の遠江国蒲御厨をめぐる甲斐氏と吉良氏」 https://t.co/bvJmuy99d7 #CiNii
小袖変遷チャートが面白い。 CiNii 論文 -  「近世初期における小袖意匠形式の変遷」 https://t.co/StX8haxN1y #CiNii
CiNii 論文 -  『戦国大名今川氏の「不入」関係について : 法史学からのアプローチ』 https://t.co/zijUNSYVPX #CiNii
『当代記』の自然現象・災害に関する記述から執筆者が安濃津に居住だった可能性についての指摘。 CiNii 論文 -  「近世初期の自然災害記録媒体としての『当代記』の特性分析」 http://t.co/XfI2qcabm4 #CiNii
豊臣政権での「年寄」「奉行」についての解釈。「内府年寄五人居申所にて」秀吉遺言状での「年寄」は石田三成等ってことなのかな。 CiNii 論文 -  豊臣五大老・御奉行についての一考察 http://t.co/lhCQn3x9yG #CiNii
関ヶ原の戦いの前(7月17日~9月15日)石田・毛利連合政権が機能していたとする論拠。 CiNii 論文 -  慶長5年7月〜同年9月における石田・毛利連合政権の形成について http://t.co/cpbIJYF8tz #CiNii
中世から近世への政治的展開を豊臣政権の中に見ている。天正十八年からの京都改造事業が近世的な統一国家形成と密接に関わっているとか。 CiNii 論文 -  京都改造: ひとつの豊臣政権論 http://t.co/dh0faKvLzy #CiNii
三成襲撃事件。徳川屋敷への逃亡説発生について書かれている。面白い。 CiNii 論文 -  豊臣七将の石田三成襲撃事件 : 歴史認識生成のメカニズムとその陥穽 http://t.co/BRYBonJgzG #CiNii

お気に入り一覧(最新100件)

馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
“CiNii 論文 -  大正末期における地域神社の存在形態 : 『川内村誌』に記載された小祠の分析” https://t.co/tVy6khLX9o
「熊本藩細川家の忍び」なんて気になりすぎるタイトル。フリーで公開されてるのを最近知りました。 まだ読めてないけどDLだけした。島原の乱とかで活躍したらしい。 https://t.co/KmWIXbZGDW

2 0 0 0 OA 多聞院日記

北田原城主・坂上氏についてメモ。 坂上(さかのうえ)氏は生駒市有里町字坂ノ上が遺称地らしい(『角川日本地名大辞典29奈良県』「たはら 田原」)。永禄10年「田原之坂上」が松永久秀方に属して蜂起(『多聞院日記』永禄10年9月22日条 https://t.co/9B8Ee5lzxM)。「松少へ又裏帰了」とある。
日文研のリポトジチェック。 室町期在京領主吉良氏と遠江国浜松庄https://t.co/BHQn8J7lQt 『江戸図屏風』から読み解く寛永期の江戸の庭園https://t.co/KuqUBfmIsb 持続可能な外交をめざして : 幕末期、欧米外交官の将軍拝謁儀礼をめぐる検討からhttps://t.co/kzDjWKuN47
日文研のリポトジチェック。 室町期在京領主吉良氏と遠江国浜松庄https://t.co/BHQn8J7lQt 『江戸図屏風』から読み解く寛永期の江戸の庭園https://t.co/KuqUBfmIsb 持続可能な外交をめざして : 幕末期、欧米外交官の将軍拝謁儀礼をめぐる検討からhttps://t.co/kzDjWKuN47
日文研のリポトジチェック。 室町期在京領主吉良氏と遠江国浜松庄https://t.co/BHQn8J7lQt 『江戸図屏風』から読み解く寛永期の江戸の庭園https://t.co/KuqUBfmIsb 持続可能な外交をめざして : 幕末期、欧米外交官の将軍拝謁儀礼をめぐる検討からhttps://t.co/kzDjWKuN47
慶応2年2月5日(1866年3月21日)、木戸孝允の手紙(薩長同盟の6か条)に、坂本龍馬が内容を保証する裏書きをした。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)曰く、龍馬が長州藩要路の一部から薩摩藩士と見られていた点が意味を持った。 https://t.co/Vz75SjD6eh

23 0 0 0 OA 姓氏家系大辞典

河内小山城が安見氏居城だって話、『姓氏家系大辞典』の安見氏系譜からの引用部分に普通にありましたね。発信源はここかぁ https://t.co/G8QLpmcGDX https://t.co/uurGs46jvq
これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
『玄朔道三配剤録』と『医学天正記』から見た曲直瀬玄朔一門の患者とその時代 : とくに秀吉の番医制との関係を軸にhttps://t.co/wJCwHAGcT1 使用史料が限定的なので、秀忠の部分の記述が診察が二回だけで健康だと書いてあるが、『言経卿記』でそんなことはないのが分かる。
2018年10月大阪大谷大学博物館にて開催された「大阪陣屋サミット」の発表と討論の要旨がPDF公開。 #PDF公開城郭論文 馬部隆弘・中西裕樹・田村正孝・吉井克信・尾谷雅彦・若林幸子「大阪陣屋サミット ー陣屋の魅力と歴史的価値ー」(『大阪大谷大学歴史文化研究』19、2019年) https://t.co/ZiOnsmcjl4
複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.co/egN2tfa1yL
引用は西谷功「『視覃雑記』著者「長典」と醍醐寺建久本『十巻抄』所持者「長典」」(『智山学報』64、2015年、PDF公開)88頁を参照のこと。また、同様の指摘として橋本初子「法会と法流からみた中世の僧数」(『日本史研究』388、1994年)123頁も参照のこと。https://t.co/VSwXF3mYzJ
続き)是日、佐次右衛門、帰藩の途に就き、慎太郎・楠左衛門、亦薩長二藩の連絡を図らんが為、西下す」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)参照。https://t.co/nAmxbsCper
この地図見るたびに思うんだけど、外ヶ浜が南部領、東浜が浪岡北畠領におおよそ対応できるの結構楽しい。 (出典は松前街道の変遷について https://t.co/b1ZEMiSeTi) https://t.co/YYNmJlmZa1

2 0 0 0 OA 武将感状記

『武将感状記』 (日本名著文庫) / 淡庵子 編 (聚栄堂, 1921) のp142-143 https://t.co/lV1MYbK3sr
PDF公開。津野倫明「木下吉隆と文禄の役に関する豊臣秀吉朱印状の年代」(『人文科学研究』23、2018年7月)豊臣秀吉右筆とである木下吉隆の失脚・官途を検討することで、朝鮮出兵時の秀吉朱印状の年代比定における指標を提示。https://t.co/yfttaV3w9k
論文内で今川家支族関口氏についてまとめられていたのでツイートしておきます CiNii 論文 -  天文~永禄期の北条氏規について : 本光院殿菩提者となるまで https://t.co/1MciEZvkkW #CiNii
PDF公開。野田泰三「戦国期播磨における大名家妻室について」(『女性歴史文化研究所紀要』26、2018年3月)赤松政則の後室洞松院を中心に、戦国期播磨における武家妻室の機能や権限を考察する上で参考となる事例を紹介。黒田(小寺)孝高の妻室に関する史料もあわせて紹介。https://t.co/ziXbxl6NYA
CiNii 論文 -  北野社祠官筆頭松梅院の定着と豊臣政権 : 『北野社家日記』禅昌記の考察 https://t.co/yFy4ci7yDY #CiNii ついでにチェック。松梅院と孝蔵主は交流あり。

5 0 0 0 OA 山形経済志料

『山形経済志料. 第2集』山形の鰻屋の証言。丑の日に鰻を食べる習慣はなかったが天保年間(1830-1844)から急に売れはじめ弘化・嘉永がピークだったという。ちなみに源内は1780年没。 https://t.co/1xi6y1CwLv
@kusunoki030513 こちらの論文を参照すると分かりますが、大まかに関ヶ原のみを扱ったものと、それ以降の出来事を記した二つの系統があり、更にその中でも相違点があります。 https://t.co/hfOeG0aM1A
また、松永弾正邸の賑やかな左義長の様子に何らかの意図が込められているとすれば、単純に三好・松永を対抗勢力と捉える将軍義輝が上杉謙信に彼らの排除を要請したと見るのも早計ではないかと。幕臣として久秀を義輝に近い志向とする評価もありますし。https://t.co/wBFleBVzrB https://t.co/SE8NKmKbi8
永禄年間の三好・松永と将軍義輝の関係に興味ある方に良いまとめ。法華宗寺院や弾正邸の描写に義輝と久秀の信頼関係を読み取っていて、別方向からの久秀忠臣説と言えるかも。戦国時代展の予習にも最適? / “CiNii 論文 -  『上杉本…” https://t.co/L2B1b0O3Qj
黒田日出男さんのこの論文なんか読んだことが無いんですかね。 CiNii 論文 -  中世民衆の皮膚感覚と恐怖 (1982年度歴史学研究会大会報告--民衆の生活・文化と変革主体) -- (全体会 民衆の生活・文化と変革主体) https://t.co/xQgESMXS3g
CiNii 論文 -  天正年間における家康への近江在京賄料について https://t.co/5jrqc1jCvB #CiNii
論文メモ 徳川家康の駿府外交体制:https://t.co/zgmICeDrPf 豊臣政権の関東・奥羽仕置:https://t.co/nA4tA4eCny
十五世紀中葉における伊勢氏権力構造と被官衆(中島丈晴) https://t.co/aJn3Ghz91R 室町期伊勢氏の取次-寄子、在京被官・在国被官の違いを解説。後北条氏における被官たちのグルーピング考察に援用可能か?
「城誘」の読み方、初めて知った。検索してみると、すでに論文があるようだ。三重野誠「城誘に関する一分析」(『大分県地方史』143、1991年)、同「戦国期における城誘」(『大分県地方史』183、2002年)。後者はPDF公開していた。https://t.co/3GdYX6eAEH
「天文期木沢長政の動向―細川京兆家・河内義就流畠山氏・大和国をめぐって―」 https://t.co/Bkxohwul1A
論文:「徳川家の初期謡初(うたいぞめ) : 永禄期を中心に」(天野文雄) https://t.co/NGbMqhWE1G 『朝野舊聞襃藁』の記述を精査した内容で、三河を統一し徳川として家康が叙爵した永禄10年の年頭を画期と推測し、そこに結集した114名を紹介している。
@Tdr_moeguti4065 私自身勘違いしていましたが、家康は豊臣を名乗っていませんね。藤原から源に変えたのが天正16年と推論している論文があります>「徳川家康の源氏改姓問題」(笠谷和比古)http://t.co/uY8sofL1Z9
CiNii 論文 -  豊臣期検地一覧(稿) http://t.co/JC7xIgpBCP #CiNii

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