著者
橋本 毅彦 岡本 拓司 廣野 喜幸 鈴木 淳 梶 雅範 鈴木 晃仁 柿原 泰 金 凡性 石原 孝二
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-04-01

事故や災害の発生を防止したり緩和したりするために、様々な安全基準や規約が設けられている。本研究では、そのような各種の事故災害への対応と基準規約の制定に関して、航空・電力・防火・治水・保険・化学・医薬・医療などの工業医療分野において取り上げ、その歴史的過程を分析しようとした。産業社会を支えるそのような巨大な技術システムの基準・規約の全体を取り上げることはできないが、その顕著な側面やよく知られていないが重要な事例などを明らかにした。
著者
廣野 喜幸
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.18-36, 2019-04-20 (Released:2020-04-20)
参考文献数
57

1980 年代のバイオテクノロジーの進展は人体の商品化を可能にし,資本システムは実際に人体を商品化してきた.先進諸国は臓器売買を禁じる法律を制定したが,発展途上国では(特にイランでは国家主導で)売買がなされている.経済的アクターによる生権力は,近代世界システムが外部を周辺化したさいに,強制労働という規律権力で始まり,18~19 世紀を中心とする黒人奴隷制度で「生き続けよ,そうでなければ死に廃棄せよ」とする生権力の形態をとり,それが引き続き人体のパーツに達したと解釈できる.このタイプの経済的生権力は近代世界システム論のいう半周辺地域に,より深く浸透しているが,この機序の詳細を解明することが今後の課題となろう.
著者
小松 美彦 大谷 いづみ 香川 知晶 竹田 扇 田中 智彦 土井 健司 廣野 喜幸 爪田 一寿 森本 直子 天野 陽子 田中 丹史 花岡 龍毅 的射場 瑞樹 皆吉 淳平
出版者
東京海洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

米国で誕生し日本に導入されたバイオエシックスの特性を検討した。すなわち、文明論、歴史、メタ科学、経済批判、生権力の視点が稀薄ないしは欠落していることを剔抉し、日本の生命倫理の改革の方向性を検討した。成果は共著『メタバイオエシックスの構築へ--生命倫理を問いなおす』(NTT出版、2010)にまとめた。また、バイオエシックスが導入された1970~80年代の日本の科学・思想・宗教・政治状況を、文献輪読やオーラルヒストリー調査などを通じて考察した。以上は、国内外の研究にあって初の試みであり、書評やシンポジウムなどで高く評価された。
著者
定松 淳 花岡 龍毅 田野尻 哲郎 田中 丹史 江間 有沙 廣野 喜幸
出版者
北海道大学 高等教育推進機構 オープンエデュケーションセンター 科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)
雑誌
科学技術コミュニケーション (ISSN:18818390)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.3-15, 2017-06

科学技術コミュニケーションの重要な課題のひとつとしてリスクコミュニケーションがあり(廣野 2013),そのなかでも一般市民にも広く接点のある領域として医薬品のリスクコミュニケーションがある.特に医薬品の副作用は身近で,重大なものになりえるにもかかわらず,その事実は社会的に十分認知されているとは言えない.医薬品リスクについてのコミュニケーションを活性化させ, リテラシーを向上させる必要がある.本稿では,医薬品についてのリスク情報を掌握している薬剤師の専門性に注目し,一般市民の薬剤師との関わりの実態についての探索的調査を行った.その結果から,医薬品リテラシーの向上のために薬剤師の専門性を活用する余地があること,その際には 前提としての「薬剤師が医薬品についての専門性を持っている」という点についての社会的認知を 高める必要があることを指摘する.これは,一般市民に対して知識の増進をつい求めてしまいがちな科学コミュニケーション一般に対しても,社会的なインデックス情報の重要性を指摘するものとして示唆するところが小さくないと考えらえる.
著者
廣野 喜幸
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.18-36, 2019

<p> 1980 年代のバイオテクノロジーの進展は人体の商品化を可能にし,資本システムは実際に人体を商品化してきた.先進諸国は臓器売買を禁じる法律を制定したが,発展途上国では(特にイランでは国家主導で)売買がなされている.経済的アクターによる生権力は,近代世界システムが外部を周辺化したさいに,強制労働という規律権力で始まり,18~19 世紀を中心とする黒人奴隷制度で「生き続けよ,そうでなければ死に廃棄せよ」とする生権力の形態をとり,それが引き続き人体のパーツに達したと解釈できる.このタイプの経済的生権力は近代世界システム論のいう半周辺地域に,より深く浸透しているが,この機序の詳細を解明することが今後の課題となろう.</p>
著者
廣野 喜幸 石井 則久 市野川 容孝 金森 修 森 修一 山邉 昭則 渡邊 日日 関谷 翔 高野 弘之 花岡 龍毅
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

国際比較の観点から、公衆衛生・医学研究に関する日本の医療政策の形成過程の特徴を明らかにするため、医学専門雑誌、審議会の議事録や裁判記録等の資料分析を中心に調査し、その成果を論文・口頭で発表した。また各年度、医学・医療行政の専門家に対してインタビュー形式の調査を実施した。調査を通じて積極的な意見交換を行いながら、日本の医療行政の仕組みやワクチン・インフルエンザ等の政策の歴史の把握、最新情報の収集に努めた。
著者
堂前 雅史 廣野 喜幸 佐倉 統 清野 聡子
出版者
和光大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

聞きとり調査では、主として、死生観に関する知識のいくつかについて、生産・流通・受容過程の情報を収集した。まず、日本では、脳死問題が現れる以前に「三徴候説」のような死の基準は法的には一定せず、むしろ法曹界は医者に一任することをもってよしとする傾向があったことが示唆された。以上より、1.死に関しては法律家による専門的知識の生産があったとしても、それが流通・受容過程に乗ったのではない、2.科学に関する事項に関しては、料学者による知識が法律家よりも優位に立って流通するシステムになっている、3.脳死概念登場以前は、むしろ一般の想定が法曹家の世界に流入したと見るべきことが判明した。次に、中国伝統医療では、生きている者のみであり、死にゆく者は除外されつづけた。よって、東洋医学では、死の判定基準を医者が設ける発想すら希薄であった.また、緻密な世界観・生命観に裏打ちされた中国伝統医学が日本に入る際、背後の生命観は捨象され、純粋に技術として吸収された。したがって、4.科学技術が受容される際は、技術のみを導入し、背後の科学思想を拒否することが可能であること、また、5.科学知識は人々の嗜好によって受容が拒否される、6.一般市民にただ科学知識を注入してもサイエンス・リテラシーは向上しない可能性があることが分かった。今日の科学技術においても、一般人を科学知識の生産者と見なしうる場合がある。しかし、こうした「素人理論」の流通機構は整備されていない。そこで、本研究では、吉野川可動堰問題を対象に、一般市民が科学知識の生産・流通に成功した例を分析し、7.一般市民の科学知識生産を促すシステムが整備される必要があることを明らかにした(廣野)。また、そうしたシステム整備の具体的提言として、8.市民科学がもたらす「公共空間の科学知識」媒体の必要を唱え、大学紀要の利用を提唱した(堂前)。
著者
廣野 喜幸 KIM SungKhum KIM SungKhun
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2005

19世紀以降、東アジア(中国・朝鮮・日本)に西洋近代医学が大規模に移植された。こうした移植に対する反応は各国様々であった。本研究では、そうした反応の差異を、特に日本と朝鮮に焦点を絞って検討した。西洋医学の大量移入に対して、当時、朝鮮の伝統医学者たちがとった態度は、大きく三つに分類できよう。(1)積極的導入派は、伝統医学の理論的な基盤であった陰陽説と五行説を厳しく批判した。(2)折衷派は、伝統医学の主な概念は西洋医学の言葉で翻訳できるし、二つの医学の間には疎通の可能性が残されていると考えた。(3)否定派は、身体に対する西洋近代医学の暴力性(侵襲性の高さ)に注目し、その限界を指摘した。近代朝鮮の医学システムの変化と比べると、日本の医学システムは遥かにドラスティックな形で転換した。近代日本は、江戸時代以来の伝統医学システムをほぼ廃止し、西洋近代医学に基づく新しい医学的システムを構築した。つまり、圧倒的大多数が積極的導入を支持した。また、その過程で近代日本は、朝鮮における医学システムの変化を促した直接的な介入者として機能することになる。われわれは、当時の朝鮮伝統医学がもっていた限界および可能性を、先の三つのグループに見出した。また、このような朝鮮の伝統医学者たちの理論は、日本による朝鮮植民地化以降、政治的な抵抗運動の理論と結合しながら、さらに精密化していくことになった。19世紀以降、東アジアの伝統科学はほとんど西洋近代科学に置き換えられた。しかし、そのなかでも伝統医学のみは、現在も現場の医療として臨床的成果を挙げている。東洋の伝統医学と西洋近代医学との衝突の中で起きた理論的境界に迫ることで、伝統医学のみならず、東アジア伝統科学の真相を再認識する手がかりを得ることができた。
著者
橋本 毅彦 廣野 喜幸 岡本 拓司
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究においては、1960年代以降に通商産業省の主導によって設立された技術研究組合の活動内容の調査分析を目的とするものである。特に、戦後日本において不活発であったとされる産学連携、すなわち大学と企業との間の共同研究に関して、技術研究組合という場を通じて、直接的ないしは間接的な協力があったかどうかを調査することを目的とするものであった。平成17年度においては、そのような技術研究組合のいくつかを取り上げて、その研究活動を検討した。平成18年度においては、それらの技術研究組合に対して、過去における産学共同の有無、当時の史料の有無を問い合わせるアンケートを実施した。アンケートに対しては、10余りの技術研究組合から回答が寄せられた。また、『科学技術白書』などの政府の報告書に現れる記事を通じて、戦後の産学協同のあり方を概括した。それとともに、化学産業、コンピュータ開発などをめぐるいくつかの技術研究組合に関しては、関連する報告書等をより具体的に調査した。いずれの調査委においても、大学と企業とが直接共同研究するのではなく、本研究で取り上げた技術研究組合や科学技術の各分野において設立されている財団法人の研究機関などが、共同研究の場を提供することで両セクターの仲介役のような役割を果たしたものがあることが示された。