- 著者
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安倉 良二
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2013, 2013
1990年代から2000年代半ばに至る大型店の出店規制緩和は,売場面積の大型化と複合化を伴いながら大型店の出店をめぐる都市間競争を加速させた。他方,都市内部の小売活動をみると大型店の隆盛とは対照的に,中心商店街の衰退が不可逆的に進んでいる。こうした中,全国の中心商店街では,観光やイベントの開催ならびにコミュニティ活動の拠点づくりなどを通じて,多くの人々に商店街の存在をアピールする試みが行われている。しかし,その効果が十分であるとは言い難い。<BR> 大型店の立地変化が都市の小売活動に与えた影響に関する研究の多くはモータリゼーションが進み,公共交通機関が未整備な地方都市を対象に,郊外地域の成長と中心市街地の衰退を結びつける形で進められた。しかし,大型店の隆盛と中心商店街の衰退は公共交通機関の便が良い大都市圏近郊都市においても確認できる。とりわけ,中心商店街に近い工場跡地における大型店の立地は,中心市街地の内部というミクロなスケールで大型店の隆盛と中心商店街の衰退という小売活動の二極化を促していると思われる。その実態を明らかにしながら,小売活動の衰退が進む中心商店街におけるまちづくりの動向を論じることは,商業からみた都市空間のあり方を考える上でも見逃せない。<BR> そこで,本報告では,大都市圏近郊都市の中心市街地における小売活動の変化について,大阪市の東隣に位置する八尾市を事例に選び,大型店の立地動向と衰退する中心商店街におけるまちづくりの取り組みの2点から検討することを目的とする。<BR> 八尾市の中心市街地は,江戸時代に建立された大信寺(八尾御坊)の寺内町として形成された。1924年の大阪電気軌道(現在の近鉄大阪線)開通後,八尾市は大阪市の近郊都市としての性格を強めた。中心商店街は1960年代前半まで周辺市町から多くの買い物客を集めていた。<BR> 中心市街地の小売活動が大きく変化する契機となったのは,1960年代後半以降の大型店の相次ぐ立地である。それは以下の2つの時期に分かれる。ひとつは,1960年代後半~1970年代であり,当時の近鉄八尾駅北側にある住宅地に総合スーパーによる単独店舗が相次いで出店した。もうひとつは,1980年代以降である。1981年西武百貨店(現在はそごう・西武)が,「八尾西武」の名称で区画整理事業の完成(1978年)に伴って移転した近鉄八尾新駅前に出店した。区画整理事業区域には,2006年コクヨ八尾工場の跡地を利用して,イトーヨーカ堂の大型ショッピングセンター「Ario」の関西第1号店も開業した。八尾新駅における一大商業集積の形成は,中心商店街における空き店舗の発生ならびに旧駅北側にあった既存大型店の閉店を導いた。<BR> 中心商店街におけるまちづくりの取り組みとして,商業振興面では,毎月11日と27日に大信寺前で開催される露店市「お逮夜市」にちなんだ販促活動が継続的に行われている。また,商業振興以外では2000年代以降,近隣住民に対するファミリーコンサートや歴史散策のイベント開催ならびに空き店舗における子育て支援活動が行われた。しかし,これらの取り組みは市役所からの補助金に依存しており,単発的なものになっている。<BR> 小売活動において大型店との格差が極めて明瞭な八尾市の中心商店街がまちづくりを進めるに際しては,商店街関係者以外の人的資源を活用しながら,寺内町という歴史資源を活用した観光面でのPRに力を入れるなど,いかにして大型店との差別化を図ることができるのかが大きく問われるであろう。<BR>