著者
藤井 義晴 古河 衛 早川 嘉彦 菅原 和夫 渋谷 知子
出版者
日本雑草学会
雑誌
雑草研究 (ISSN:0372798X)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.36-42, 1991-04-08
被引用文献数
10

薬用植物、および香料植物の一部から、他感作用候補植物を、レタスに対する発芽・生育試験とフザリウムに対する抗菌性試験(胞子発芽と菌糸伸長試験)から検索した。その結果、作物や一般雑草よりも高い頻度で、活性の強い他感作用候補植物が得られた。 植物発芽・生育阻害活性も抗菌性もともに最も強かったのは、キンポウゲ科のオキナグサとセンニンソウであった。これらは著名た毒草としてすでに知られており、とくにセンニンソウは牧草地に侵入する有害雑草として良く知られている。 これに次ぐものとして、オオグルマ、フレンチタイム、アンミビスナーガ、ゲッケイジュがあった。ユリ科のニラとニンニクは、水抽出液の抗菌性が、カンゾウとクスリウコンはメタノール抽出液の抗菌性が強かったが、植物生育阻害作用は小さかった。逆にヨウシュヤマゴボウ、ニッケイ、ペパーミントは、抗菌性は小さかったが、植物の発芽・生育阻害が強かった。
著者
甲田 雅一 福原 淳子 竹内 美香 大川原 正文 松崎 廣子 遠井 初子 古畑 紀子 丸山 美樹 佐々木 希実 沢辺 悦子 池田 昭 鈴木 ツル 佐藤 仁美 高橋 一郎 木村 冨美子 野村 久子 小野 恵美
出版者
公益財団法人 日本感染症医薬品協会
雑誌
The Japanese Journal of Antibiotics (ISSN:03682781)
巻号頁・発行日
vol.52, no.6, pp.458-468, 1999

<I>Pseudomonas aeruginosa</I>に対する各種抗生物質の抗菌力は分離施設の使用抗生物質の種類や量により影響されることが多く, ある施設で有効とされる抗生物質が他の施設でも有効とは限らない。真に抗菌力に優れる抗生物質とはMICが低く, 薬剤耐性が進行し難い薬剤であり, そのような抗生物質こそ, どの施設からの分離菌に対しても有効と言えるであろう。著者らは薬剤耐性が進行し易い抗生物質ではMICの施設間差が大きいと考え, 6施設から分離した<I>P.aeruginosa</I>に対する各種抗生物質のMICとMICの施設間差を調査し, その結果をスコア化して, 総合的に抗菌力を評価する試みを行った。その結果, 真に<I>P.aeruginosa</I>に対する抗菌力に優れる抗生物質はimipenem, cefozopran, ceftazidime, cefsulodin, amikacinなどであると考えられた。本報告で提案した解析方法は, 入院患者の細菌感染症に対する優れた抗生物質の評価のための一方法になり得ると考える。
著者
古賀 倫嗣
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.421-430,493, 1988-03-31

わが国の政治過程を考察するさいもっとも重要なのは、一九五五年社会党統一と保守合同により成立した保守-革新の政治枠組をもつ「五五年体制」の検討である。国民経済レベルでの高度成長とパラレルに、政治レベルでの自民党長期政権が続き、「経済大国日本」を実現させた。ところが、六〇年代後半、高度成長路線は大都市における過密と公害、生活問題を引き起こす。こうした都市問題に対しては、中央より地方での反応が鋭く、七三年には東海道メガロポリスに沿った主要都市に「革新」自治体が誕生した。「地方革新」が「中央保守」を包囲するという政治戦略とともに、対話による行政、市民参加といったその政治手法は選挙以外に政治参加の手段が存在することを現実に示した。<BR>ところで、「革新」自治体の後退は七〇年代末期には始まり、横浜・沖縄・東京・京都・大阪と相次いでその拠点を失った。だが、地方「革新」の崩壊は「保守」の復権ではなかった。今や政治枠組としての有効性を失った保守-革新の図式にかわって「保革相乗り」で登場したのは、「脱イデオロギー」を標榜する自治省 (旧内務省) 出身の行政テクノクラートであった。こうしたタイプの首長を選択した住民の側にも「生活保守主義」という新しい動きがみられたのも、この時期からである、この層は、一般には浮動票層、支持政党なし層と呼ばれるが、彼らは政治的行為の有効性についてきわめて敏感で、どのチャンネルを使えば自己の利益がうまく実現できるかを常に考えるタイプの市民層といってよい。八七年四月、統一地方選挙のさいの「売上税反乱」はそうした一例にすぎない。<BR>戦後長期にわたって政治の基礎的な枠組であった保守-革新の図式は、こんにち中央-地方の図式に編成替えされ、さらに四全総にみられるように、東京-非東京との対立、「地方」内部の矛盾がいっそう深化している。そういう意味で、現代は「巨大な過渡期」なのである。
著者
古賀 明俊 城戸 英希 藤堂 省 川上 克彦 中山 文夫
出版者
The Japanese Society of Gastroenterological Surgery
雑誌
日本消化器外科学会雑誌 (ISSN:03869768)
巻号頁・発行日
vol.13, no.4, pp.285-294, 1980

15例の膵のインスリン産生腫瘍を報告した.12例はインスリノーマでこのうち1例は異所性で, すべて単発性で, 良性であった.2例は過形成, 1例は組織学的に異常所見はなかった.全例にWhippleの三主徴があり, 血中高インスリン値, 種々の誘発試験を組合わせることにより診断が確実になる.選択的血管造影は72.7%に陽性であった.逆行性膵管造影も間接的診断法になる.手術は膵尾部切除2例, 膵体尾部切除2例, 膵頭十二指腸切除1例, 異所性腫瘍摘出1例, 腫瘍核出術9例である.術中血糖値の測定は腫瘍摘出成功の判定に有効で, 30分以上の持続的上昇を確認する必要がある.手術成績は14例が治癒し, 1例は術後肝不全で死亡した.
著者
原田 智也 西山 昭仁 佐竹 健治 古村 孝志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

京都・奈良の日記には,明応七年六月十一日(ユリウス暦1498年6月30日)の申の刻(午後3〜5時)に“大地震”と記録されている.また,江戸時代に編纂された史料では,鹿児島県から山梨県にかけて大地震が記録されている.特に,江戸時代初期に書かれた『九州軍記』という軍記物語には(以下,“軍記”と呼ぶ),九州地方における,この地震による大被害が記述されている(ただし,地震の発生時刻は,巳の刻(午前10〜12時)と書かれている).軍記は,明応七年六月十一日の地震から100年以上後に書かれた文学作品であるにもかかわらず,九州における地震被害の記述は,多くの地震学者に無批判で受け入れられ,この地震の震源を推定するための情報として重要視されてきた.宇佐美(1987)は,軍記における記述の信頼性は低いとしながらも,京都およびその以東で申の刻に記録された地震と,軍記に記述された巳の刻の地震とを別々の地震と考え,巳の刻の地震の震央を日向灘に推定した(M7.0〜7.5).ただし,震央の精度は100km程度としている.都司・上田(1997),都司(1999)は,軍記の被害記述の一部を津波の描写であるとし,また,中国上海における同日の水面動揺(宇津,1988)も同じく津波であると考え,六月十一日の地震を,同年八月廿五日(9月11日)に発生した明応東海地震に先行した南海地震であると主張した.石橋(1998,2002,2014)は,軍記の記述と上海の水面動揺を津波とする解釈には無理があることを指摘し,さらに他の史料の精査により,六月十一日の地震は南海地震でありえないとした.なお,石橋(1998,2002,2014)は,この地震が,1909年宮崎県西部の地震(M7.6)のような,九州下のスラブ内大地震である可能性もあるとしている.また,「[古代・中世]地震・噴火史料データベース(β版)」では,「14~16時頃に京都で強い地震の揺れを感じた。被害は記録されていない。三河の堀切や熊野地方の新宮も強く揺れた模様。この日午前10時頃に日向灘で大地震が起きて九州で大災害とする説があるが、根拠とする『九州軍記』の記事は疑問である。」という綱文が立てられている.以上のように,この地震の震源について議論が続いているが,この議論を解決するには,九州における地震被害の有無を検討する必要がある.そのためには,軍記における被害記述の信頼性を確かめる必要があるので,本研究では,軍記の成立過程と被害記述の検討とを行った.その結果,以下の理由により,軍記における被害記述の信頼性は非常に低いと考えられ,明応七年六月十一日の地震による九州での大被害の有無は不明,あるいは,無被害である可能性も高いことが分かった.したがって,六月十一日巳の刻の地震が日向灘の大地震であるという説は再考が必要である.(1)地震被害の記述には,具体的な地名が無く,大地震による一般的な被害の描写である印象を受ける.(2)被害記述後に,過去の大地震が列挙されているが,このことから作者が過去の大地震を調べることができたことが分かる.よって,明応七年六月十一日の地震も,年代記等から調べられた可能性がある.(3)誇張された地震発生時刻に関する記述から,この地震が巳の刻に発生したと読めるが,この時刻は,明応東海地震の発生時刻である辰の刻に近い.実際,同時代史料である『親長卿記』や『塔寺八幡宮長帳』では,明応東海地震の発生時刻を巳の刻としている.したがって,軍記の作者が,明応東海地震と六月十一日の地震を混同していた,あるいは,混同して記された史料に基づいて,六月十一日の地震を描写した可能性がある.(4)地震の記述がある章は,明応七年に終わる章と永正二年(1505年)から始まる章との間にあり,文亀三年(1503年)の大飢饉と,度重なる災害による人々の苦しみも記されている.したがって,この章は後に続く物語の舞台設定の性格が強く,地震被害も物語を盛り上げるための創作である可能性も考えられる.(5)軍記には,僧了圓による慶長十二年(1607年)四月と記された序がある.序によると,軍記は,肥前国松浦郡草野村(現福岡県久留米市)において,烏笑軒常念(文禄四年(1595年)没),草野入道玄厚によって書き継がれ,慶長六年(1601年)に完成した.また,軍記完成から約250年後の史料であるが『橘山遺事』によると,了圓も軍記の修正と補筆を行っていたようだ.よって,玄厚(と了圓)は,文禄五年(1596年)の慶長豊後地震を近くで体験していると考えられ,その体験や情報が軍記の記述に影響した可能性も考えられる.本研究は,文部科学省委託研究「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」の一環として行われた.
著者
古川 猛夫
出版者
公益社団法人 応用物理学会
雑誌
応用物理 (ISSN:03698009)
巻号頁・発行日
vol.53, no.9, pp.752-760, 1984-09-10 (Released:2009-02-09)
参考文献数
30

ポリフッ化ビニリデンおよびその共重合体は,50MV/m以上の電界により強誘電的スイッチング現象を示す.スイッチング時間は電界にきわめて強く依存し,高電界ではμ8になる.反転分極量は100~160mC/m2で,結晶域の自発分極はほぼ完全に反転することを示唆する.高分子強誘電体はラメラ状結晶の集合体で,個々のラメラ内で1本の分子鎖の回転を素過程として核生成と成長機構により分極が反転すると考えられる.このような毛デルによる計算機シミュレーションは,案灘のスイッチング曲線をよく再現する.
著者
古川 猛夫
出版者
公益社団法人 高分子学会
雑誌
高分子 (ISSN:04541138)
巻号頁・発行日
vol.36, no.12, pp.868-871, 1987-12-01 (Released:2011-10-14)
参考文献数
22
被引用文献数
2
著者
三保 貴裕 古川 浩二郎 大坪 諭 岡崎 幸生 伊藤 翼
出版者
特定非営利活動法人 日本血管外科学会
雑誌
日本血管外科学会雑誌 (ISSN:09186778)
巻号頁・発行日
vol.18, no.5, pp.559-562, 2009-08-25 (Released:2009-09-01)
参考文献数
9

鈍的外傷による胸部大動脈損傷は,受傷直後より30分以内に大半が死亡する重篤な疾患である.好発部位としては通常は内膜,中膜の断裂により大動脈峡部に限局する仮性瘤の形成を引き起こすことが多い.しかし,今回,画像上も病理学的所見上も通常のB型解離と同様の形態を呈した稀な症例を経験したので報告する.症例は72歳女性で1999年交通事故にて外傷性急性大動脈解離(Stanford B)を発症した.大動脈最大径は35mm程度で多発外傷もあり,降圧加療を行ったが大動脈径の拡大,破裂の兆候等なく,その後外来にて経過観察となった.2005年 2 月,背部痛出現し,CTにて大動脈径は55mmに増大を認め,手術の方針となった.部分体外循環下に下行大動脈人工血管置換術を施行した.術後は対麻痺など認めず良好に経過した.病理組織では,通常の解離と同様の中膜の外側 2 / 3 の部位で解離を認めた.
著者
大原 久友 福永 和男 吉田 則人 古谷 政道 大原 洋一 伊藤 具英 松岡 保男 伊藤 辰雄
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告. 第I部 (ISSN:0470925X)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.225-"249-4", 1967-12-31

著者らは公共草地における造成・維持・利用管理に関する一連の研究を行なっている。今回の報告は北海道河東郡上士幌町字清水谷の町有公共草地において実施したものであり,この清水谷公共草地では主として放牧育成牛による放牧育成を行なうものである。その調査研究の結果を要約するとつぎのごとくである。1.この公共草地は10年以前に森林であったが,その後自然草地(混牧林)として馬の育成に利用されていた。1961年から3ヵ年間にわたり集約草地として改良し,1964年からの3ヵ年間は蹄耕法による簡易草地として造成したものである。その立地条件を示すと全面積: 127ha集約草地造成: 30ha蹄耕法による簡易草地造成: 60ha自然草地: 37ha地況: 標高は400〜480m,乾性地85%,湿性地15%である。土壌: 十勝岳C統火山灰で被覆される火山灰土壌であり,表土のpHは5.9,燐酸吸収係数は1970である。植生: 造成前の植生は乾性地ではカシワ,ミヅナラなどの広葉樹,湿性地ではヤチハソノキの林相であり,前者はササ型(ミヤコザサ),エゾヤマハギの優占する長草型,後者はヒラギシスゲの優占する長草型であった。気象: 一般に低温であり,積算温度は2300℃内外である。時として多雨,無霜期間が短い年もある。したがって一時的には普通畑作物の限界地帯であり,草地農業地帯に属する。2。造成集約草地では常法,つまり障害物除去,耕起,整地,施肥,播種,覆土,鎮圧によって造成した。そのうち施肥と播種はもっとも重要であるが,その量は造成年次によって若干異なる。肥料として炭カル,熔燐,草地用肥料2号(6-11-11),草種としてチモシー,オーチャードグラス,メドウフェスク,アカクローバ,アルファルファ,ラジノクローバを2.2〜2.5kg/10a混播した。蹄耕法による造成も集約草地に準ずるが,集約草地造成の場合よりもやや混播草種数を多くし,播種量も増加した。混播量は3.5〜4.2kgである。造成草地の植生はいずれもよく保持され,とくにオーチャーグラス(マスハーデイ),チモシー(クライマックス),メドウフェスク,ラジノクローバおよびシロクローバ(ニュージランド)などが旺盛に繁茂し,雑草の侵入を防止している。10a当り産草量は3トン内外であるが牧養力はかなり高い。造成後7年次の草地でもかなり植生構成が良好である。造成経費は集約草地の3ヵ年平均がha当り90,628円,蹄耕法による造成草地のそれは38,088円であり,後者の造成費は極めて少ない。[table]3,利用管理集約草地30haを9牧区,簡易草地60haを7牧区,野草地37haを3牧区,つまり全面積127haを19牧区,1牧区平均6.6haに区分し,放牧期間を通じて植生に応じて輪換放牧を行なった。輪換回数は牧区,年次によって異なるが,おおむね2〜7回であり,5回の輪換がもっとも多い。余剩の生じを草については乾草として調製した年もある。1965,1966,1967年における利用状況を示すと左のごとくである。[table]4.放牧期間における育成中の発育入牧時と中間時および終牧時に体位の測定を行なったが,その結果を示すと上のごとくである。入牧時と終牧時における体重の回帰直線はつぎのごとぐである。1965年入牧時Y=14.644x十96.06r=0.939 1965年終牧時Y=15.569x+116.86r=0.946 1966年入牧時Y=13.232x+108.72r=0.971 1966年終牧時Y=16.513x十155.947r=0.965このようにこの公共草地においては放牧育成牛にかなりの効果が認められたが,その原因として考えられる点を指摘すると(1)植生の構成,とくに少ない侵入雑草とマメ科率の保持(2)かなり高い放牧密度(3)植生に応じた適当な輪換方法5.補助飼料給与が発育に及ぼす影響放牧育成牛の栄養を向上せしめるため各群10ヵ月,12ヵ月,14ヵ月齢のもの12頭を用い骨の組成と同じ第3燐酸カルシウムおよび育成牛用配合飼料を給与した結果は左のごとくであり,補助飼料給与の効果は認められる。したがって,育成牛の栄養不良なもの,植生の衰退したときなどはこのようなミネラル,育成牛用飼料を補給することがのぞましい[table]6.経営収支経営収支では1964年は赤字決算(14万円)であったが,1965年以降は黒字決算(1965年は8万円,1966年は52万円,1967年は67万円)となり年とともに次第に黒字額が増加している。収入の主な財源は放牧料と採草料であり,支出の大部分は管理人のための賃金と肥料代である。以上のようにこの清水谷公共草地はかなり造成年次から年数を経ているにかからず,植生の維持がよい状態にあり,集約草地と簡易草地を組み合わせてかなり高い牧養力を保持している。さらに育成牛の栄養も良好にして発育効果も大であり,加うるに経営収支も黒字に転じている。さらに労力の面からみてもこの公共草地は熟練した管理人1人で管理できる単位としてもっとも適正な規模のものであろう。したがってこの草地はもっとも安定した公共草地の1つにあげることができよう。
著者
古瀬 彰
出版者
一般社団法人日本外科学会
雑誌
日本外科学会雑誌 (ISSN:03014894)
巻号頁・発行日
vol.103, 2002-03-10
被引用文献数
1
著者
石田 洋 古澤 一思 牧野 高志 石坂 丞二 渡邉 豊 Hiroshi Ishida Kazusi Furusawa Takashi Makino Joji Ishizaka Yutaka W. Watanabe 株式会社環境総合テクノス 株式会社日本海洋生物研究所 株式会社ケーズブレインズ 名古屋大学宇宙地球環境研究所 北海道大学大学院地球環境科学研究院 The General Environmental Technos Co. Ltd. Marine Biological Research Institute of Japan Co. Ltd. K's Brains Co. Ltd. Institute for Space-Earth Environmental Research (ISEE) Nagoya University Faculty of Environmental Earth Science Hokkaido University
出版者
日本海洋学会
雑誌
海の研究 = Umi no Kenkyu (Oceanography in Japan) (ISSN:21863105)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.17-41, 2016-03-15

西部北太平洋亜熱帯海域の定点(北緯22.5度,東経131.8度)で,2004年から2006年の各年の夏季に,調査地点の500km以内に台風が通過した後の10日以内におこなわれた植物プランクトン群集組成の調査結果を解析した。2006年の台風はEWINIARとBILISで,最接近時の移動速度がそれぞれ2.8と4ms^<-1>であり,2004年のKOMPUS(6.5ms^<-1>)と2005年のHAITANG(7.9ms^<-1>)に比べて遅かった。人工衛星による観測では,2006年のこれらの台風が通過した後,海表面水温が低下し,クロロフィルaが調査地点を含む広範囲において増加していた。また,植物プランクトンが増加しており,優占種はPlanktoniella solで,細胞数は4×10^<7> cells m^<-2>であり,2004年(1×10^5 cells m^<-2>)と2005年(5×10^4 cells m^<-2>)に比べて2-3桁高かった。さらに,シアノバクテリアおよびバクテリアの炭素態現存量も,2004年と2005年に比べ約2倍高かった。同じ地点で2002年12月から2005年7月まで実施したセジメントトラップによる沈降粒子観測では,台風の影響と考えられる変動はみられなかった。Phytoplankton communities and carbon biomass were investigated at 22.5°N, 131.8°E in the western North Pacific subtropical region between 2004 and 2006 within 10 days of a typhoon passing within 500km of the survey point. The typhoons of 2006 were EWINIAR and BILIS. The translation speeds of these typhoons at the nearest area from the survey point were 2.8 and 4 m s^<-1>, respectively slower than that of 2004's typhoon KOMPUS (6.5 m s^<-1>) and 2005's typhoon HITANG (7.9 m s^<-1>). After the 2006 typhoons, the sea surface water temperature decreased, and the chlorophyll-a increased over a wide area, including the investigation point. The number of diatoms in 2006 increased, and the carbon biomass was 5-10 times higher compared with 2004 and 2005. The dominant species of diatom was Planktoniella sol with 4×10^7 cells m^<-2> which was considerably higher than the cell density 2004 (1×10^5 cells m^<-2>) and 2005 (5×10^4 cells m^<-2>). 2006 carbon biomass of the cyanobacteria and bacteria was twice as high as that of other years. The settling particle flux after a specific typhoon was not increased, in contrast with the hypothesis we derived from the increasing biomass data.
著者
櫻井 秀彦 古田 精一
出版者
生活経済学会
雑誌
生活経済学研究 (ISSN:13417347)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.1-12, 2016

Improving patient satisfaction is a goal of many pharmacies in Japan. However, it has been shown that in the case of chronic diseases, the outcomes of medical treatment are not always clearly perceivable, and may not necessarily lead to patient satisfaction. Issues such as reduced medication adherence and unused drugs have been indicated. In this study, we simultaneously measured the degree of patient satisfaction and medication adherence, issues which have been handled separately in previous studies. We then investigated influential factors.A questionnaire survey was conducted on out-patients in pharmacy. Patient satisfaction and medication adherence as well as factors considered to affect these parameters were measured with quantitative scales. Path analysis was performed to examine differences in degrees of influence on satisfaction and medication adherence with multiple group analysis of each patient attribute and disease group.The patient satisfaction level was affected by understanding of effect and medical staff. The adherence scale was most affected by burden followed by understanding of effect. Ultimately, in most cases, no correlation was found between patient satisfaction and adherence, and the contributing causes were found to vary, so improving these various vectors would seem to require respectively differing strategies.
著者
古山 勝彦 長尾 敬介 笠谷 一弘 三井 誠一郎
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科学 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.47, no.5, pp.377-390, 1993-09-25 (Released:2017-06-06)
被引用文献数
4

K-Ar ages of 21 Quaternary basaltic rocks from the Kannabe Volcano Group and adjacent monogenetic volcanoes in the east San-in district were determined. In the Kannabe Volcano Group, the oldest ages, 0.7Ma, were gotten from the Nishiki Volcano. There was a long rest (about 0.5 Ma) of the volcanic activity after the eruption of the Nishiki Volcano. After that, from 0.22 Ma to recent, 6 volcanoes, if including adjacent volcanoes, 9 volcanoes, erupted intermittently. The east San-in district is the most active district of the basaltic volcanism in the San-in and Chugoku area, southwest Japan, in the present day.