著者
岩間 信之 佐々木 緑 田中 耕市 駒木 伸比古 浅川 達人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.178-196, 2012-12-31 (Released:2013-01-31)
参考文献数
27
被引用文献数
1 4

本稿の目的は,被災地における食品流通の復興プロセスを明らかにするとともに,仮設住宅入居後における買い物環境の変化と食品供給問題改善のための課題を整理することにある.研究対象地域は岩手県下閉伊郡山田町である.東日本大震災により,山田町の市街地は壊滅的な打撃を受けた.震災発生当初,被災者は深刻な食糧難に見舞われた.現在,商業施設の復興はある程度進んでいるものの,仮設住宅の住民の間で買い物環境が悪化している.市街地および仮設住宅周辺において,フードデザートエリアの拡大が確認された.
著者
崎田 誠志郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.4, pp.300-323, 2017 (Released:2022-03-02)
参考文献数
45
被引用文献数
4 1

本研究では,第1種共同漁業であるイセエビ刺網の自主的管理を共同体基盤型管理(CBM)ととらえ,和歌山県串本町の11地区を事例として,同一地域内におけるCBMのミクロな多様性とその形成要因を検討した.イセエビ刺網のCBMを構成する手法は,空間管理,時間管理,漁具漁法管理,参入管理の4類型に分類される.イセエビ刺網の実態や傾向がある程度地理的なまとまりを伴いつつも地区間で異なっていたように,CBMのあり方もまた,地区間・手法間でさまざまな異同がみられた.これらの事例の比較検討から,CBMのミクロな多様性は,地区の自然的・社会的諸条件とその変動に対する漁家集団の応答の積み重ねによって形成されてきたことが明らかとなった.また,CBMが改変・維持される目的にも地区間・手法間で多様性がみられ,漁家集団の性質や意向を反映しながら,CBMの多様化を方向づけていた.
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.116-140_2, 1956-02-01 (Released:2008-12-24)
被引用文献数
1 1
著者
杉山 武志 元野 雄一 長尾 謙吉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.159-176, 2015-03-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
29

本稿は,電気街として知られる大阪の日本橋地区の「趣味」の場所性を考察した.近年の電気街には,ゲームやアニメなど新たな「趣味」に関わる消費者や供給者の集積が顕著であり,こうした集積を日本橋地区の店舗の分布ならびに人が集まる場所の特性から分析した.日本橋では近年,「オタロード」と呼ばれる地区への店舗集積が顕著となっており,地域の活力の拠点も「オタロード」へ移行しているようにみえる.しかし,実際には「日本橋筋商店街」から生じた新たな業種が「オタロード」へ広がる傾向がみられた.その上で,サブカルチャーを趣味にもつ消費者や供給者が集積する要因として,1)日本橋ストリートフェスタにみられるような開放的な場所性がサブカルチャーという趣味的活動の支えになっている,2)サブカルチャーに対する経営者の意識変化,すなわち,集団的学習の経験による「寛容性」の醸成が開放的な場所の生成につながっている,ことを指摘した.
著者
原 裕太 関戸 彩乃 淺野 悟史 青木 賢人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.67-80, 2015 (Released:2015-08-27)
参考文献数
25
被引用文献数
1

本稿では,防風林の形成過程に着目することで,伊豆大島における地域の生物資源利用に関わる人々の知恵とその特徴を明らかにした.防風林の形態には気候,生態系,社会経済的影響などの諸因子が影響している.そのため,国内各地で多様な防風林が形成されてきた.防風林は,それら諸因子を人々がどのように認識し,生活に取り込んできたのかを示す指標となる.伊豆大島には,一辺が50 mほどの比較的小規模な格子状防風林が存在する.調査によって,防風林の構成樹種の多くはヤブツバキであることが確認され,事例からは,伊豆大島の地域資源を活かす知恵として,複数の特徴的形態が見出された.土地の境界に2列に植栽されたヤブツバキ防風林はヤブツバキの資源としての重要性を示し,2000年頃に植栽された新しいヤブツバキ防風林は古くからの習慣を反映していた.また,住民が植生の特性を利用してきたことを物語るものとして,ヤブツバキとオオシマザクラを交互に植栽した防風林が観察された.それらからは島の人々とヤブツバキとの密接な関係が推察された.
著者
水田 義一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100269, 2017 (Released:2017-05-03)

明治初期の三重県と和歌山県の境界画定の結果、北山村は村全体が飛び地となった。なぜ熊野地方の中心都市である新宮市の都市圏を無視した県境が施行されたのであろうか。この地域は古代の国の境界が不安定で、帰属する領域は志摩国、伊勢国、紀伊国と変遷してきている。発表では国境の画定の経過と境界が移動した要因を探るのを目的とする。 1 熊野国 熊野国という地名は、平安時代の『先代旧事本紀』10巻「国造本紀」に「熊野国 志賀高穴穂朝御世、嶢速日命五世孫、大阿斗足尼定賜国造」と出てくる。また『続日本紀』に「従四位下牟漏采女熊野直広浜卒す」とあり、熊野国造の系譜をひいた有力者が牟婁郡にいたことを示している。ところが、『日本書記』は「紀伊国熊野之有馬村」「熊野神邑」「熊野荒坂津」「熊野岬」と記し、熊野国と記すことはない。木簡史料も牟婁郡と記して熊野とは記さない。近世の地誌書『紀伊続風土記』は、大化の改新によって熊野国は紀伊国の牟婁郡に改称されたという説を記し、この説が今も継承されているが、記紀はがなく、行政的な熊野国は存在しなかった。 2 古墳の欠如と郷の分布紀伊半島の先端部では、考古学的な調査事例は少ないが、分布調査から、縄文土器が出土し、弥生土器はほとんどの浦や河口の低地で発見されている。次に古墳の分布をみると、枯木灘から熊野灘にかけて、150kmの海岸には古墳の見られない地区が続く。僅かに周参見と那智勝浦町の下里(前方後円墳)に2基みられるに過ぎない。9世紀の『和名抄』に記された郷の分布をみると、紀伊国の三前郷(潮岬)と、志摩国英虞郡二色郷(錦)まで、100kmの海岸部は、2つの神戸郷と餘部郷記されるが、その所在地も曖昧で、紀伊・志摩国の国境の画定は難しい。実態は未開地が広がり、それが自然の国境をなしていたのではあるまいか。3 伊勢国の拡大 南北朝期に北畠氏は南朝の主力として戦い、南北朝合体後も伊勢国司として代々国司職を継承した。その勢力範囲は伊勢南部、志摩国全土および牟婁郡(熊野地方)に及んでいた。各地に親族を配し、在地の武士を被官化して戦国大名化していった。熊野灘沿岸の旧志摩国英虞郡をその領域に組み込んでいるが、いつ伊勢国度会郡となっていったか、その時期は確定できていない。4 紀伊国と伊勢国の国境 至徳元年(1384)に、北畠氏の家臣加藤氏が、志摩国に進出して長島城を築いて伊勢北畠領の拠点とした。その後2世紀にわたり、尾鷲、木本一帯で紀伊国の有馬氏・堀内氏と合戦を繰り返した。最後に新宮に本拠を置く堀内氏善が天正10年(1581)、尾鷲において北村氏を討ち、荷坂峠までを領国とした。堀内氏は天正13年の秀吉による紀州統一に際して、大名として領域を認められた。その結果、紀伊と伊勢は荷坂峠が国境と定まった。 まとめ 古代の国境:尾根(山岳)による境界と河川を使った境界があるが、尾根を使った大和・紀伊と大和・伊勢さらに伊勢・志摩の国境は、現在まで安定した境界であったと推測される。河川や浦が卓越する紀伊・志摩間の国境は無住の空間が広がり、自然の境界となっていたと考えられる。古墳は那智勝浦町の前方後円墳1基をのぞくと、すさみ町から紀伊長島町の間120kmは古墳が存在しない。10世紀の「和名抄」の郷名を見ると英虞郡二色郷(錦)と牟婁郡三前郷(潮岬)の間には、2つの神戸郷と余部郷が見られるに過ぎず、50戸に編成できない分散的な集落が見られるに過ぎない。半島の先端部は、居住者の少ない辺境であったことを示している。中世の南北朝期の合戦や戦国期の戦乱によって、戦国大名の領域が定まり、それが近世初頭に国境となった。紀伊国牟婁郡が大きく東北へ広がり、伊勢国が志摩国英虞郡を取り込んだ。大和の南端部と紀伊国が河川を境界としているのをのぞくと、いずれも山の峰を利用した安定した境界線である。明治初期に県域の設定が行われたが、近世には紀伊半島を取り巻く紀伊・伊勢国は紀州藩(徳川藩)であった。紀州藩を分割して和歌山県と三重県に分割するとき、安定した自然境界、県庁所在地からの距離を考慮して、熊野川が県境に選ばれたと推測している。
著者
秋元 菜摘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.4, pp.314-327, 2014-07-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
19
被引用文献数
2 3

地方都市郊外では,高齢化に伴い自動車に依存しない生活環境を実現する必要性が高まっている.富山市のクラスター型コンパクトシティ政策は,郊外拠点と都心を結ぶ公共交通の運行頻度の向上と,公共交通沿線に設定された居住推進地区への人口の集約化を軸として,日常生活におけるアクセシビリティ問題の解決を図るものである.本研究では同政策の内容に即した条件を設定し,富山市婦中地域において生活関連施設へのアクセシビリティをシミュレーションすることで政策の効果を定量的に示した.その結果,周辺部の50%以上の人口が居住推進地区に移住した場合にアクセシビリティが最も改善されることが明らかになった.また,高齢者は周辺部での居住比率が高いためにアクセシビリティが改善されやすいことも判明した.中長期的視点から高齢者を中心として居住推進地区への移住を促進しつつも,短期的には公共交通の運行頻度を高めることがアクセシビリティの改善に効果的である.
著者
駒木 伸比古
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.192-207, 2010-03-01 (Released:2012-01-31)
参考文献数
25
被引用文献数
5 6

本研究は,徳島都市圏における大型店の立地展開とその地域的影響が,出店規制に基づきどのように変化してきたかを明らかにした.徳島都市圏では,大店法の施行から現在に至るまで,大型店の出店に対する規制はそれほど厳しく行われてこなかった.そのため,大店法が強化された1980年代に,県外資本によって大型店の出店が進んだ.大型店の郊外化・大型化は,大店法が緩和された1990年代ではなく,大店立地法が施行された2000年以降に顕在化した.これらの結果は,大店法の施行期間において出店調整に対して行政の関与があったために独自規制や出店拒否が行われず,大店立地法の施行以降も新たな制度に基づく規制の実施に消極的であるという徳島都市圏における出店規制の実態から説明される.加えて,出店規制は,商業集積や消費者買物行動に対しても,間接的に影響を及ぼしてきたことが確認できた.
著者
富田 啓介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.85-105, 2012-03-01 (Released:2017-02-21)
参考文献数
45
被引用文献数
1 2

湧水湿地の形成や維持に,その周囲における人の営為がどのような影響を与えていたのかを,里地・里山の中に存在する愛知県豊田市の矢並湿地を事例に論考した.事例地において,湿原内の植生分布,湿地周囲の環境変遷,堆積物の層相・層序と年代を調査し,総合的に検討した.その結果,砂防堤築造や水田造成などの人為的インパクトによって,湧水が地表を拡散して流れる地形が形成され,湿地が形成されたことが明らかとなった.また,矢並湿地の湿原植生の分布は地下水位とよく対応していたが,地下水位は周囲の里山の管理状況によって変化しうると考えられた.さらに,湿原内での採草行為や,未熟な植生が引き起こした湿地周囲の斜面崩壊も,湿原植生の遷移を抑制した可能性がある.このように,湧水湿地は,周囲における人の営為の影響を受けて形成され,その特徴的な植生を維持する場合がある.
著者
苅谷 愛彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.149-164, 2012 (Released:2012-03-26)
参考文献数
24
被引用文献数
1

南米ペルーの中央アンデスには,標高4,000 mを上回る広大な高原であるプナ(アルチプラノ)が広がる.一方,プナは深さ2,000 m以上の河谷に刻まれる.広い高原と深い河谷という,二つの対照的な地形はインカ時代,あるいはそれ以前のプレ・インカ時代から集落の形成や農耕・牧畜の発達など,中央アンデスの人間生活に有形無形の影響を与えてきた.特に,プナを刻む深い河谷の谷壁には巨大な地すべりが随所に発達し,緩傾斜地をもたらしている.それらの地すべり地は集落や耕地として選択的に利用されてきた.本稿では,ペルー南部のアレキーパ県コタワシやプイカ周辺において,プナの縁や河谷の谷壁で認められる大規模地すべりに着目し,その発達過程や現在の様相を述べる.また人間生活との関わりも論述する.
著者
神澤 公男 平川 一臣
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.124-136, 2000-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
27
被引用文献数
4 8

南アルプス・仙丈ヶ岳緬の薮沢では,氷河地形と鞭物薩づけば最終糊の三っの異なる氷河前進期ないしは停滞期が認められた.氷河は最も古い薮沢1期に,最前進し,その末端高度はおよそ標高2,250m. であった.薮沢II期の氷河は標高2,550m付近まで再前進した.薮沢皿期の氷河の末端高度は標高2,890mで,カール内に留まった.i薮沢1期は最終氷期の初期~中期を,薮沢II期,i薮沢皿期は後期を不すと考えられる. 泥質の厚い薮沢礫層の堆積は,完新世初頭頃,急激に生じた.その形成は氷河作用とは無関係で,山岳永久凍土の融解に関連した山地崩壊による可能性がある.
著者
吉田 国光
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.5, pp.402-421, 2009-09-01 (Released:2011-08-25)
参考文献数
53
被引用文献数
3 1

本稿は大規模畑作地帯を事例に,大規模化の基盤である農地移動が農業者のいかなる社会関係のもとに展開するのかを分析し,大規模畑作地帯の形成過程を明らかにすることを目的とした.具体的には,農業者のもつ複数の社会関係を社会的ネットワーク分析における多重送信-単一送信の視点から考察した.研究対象地域は北海道音更町大牧・光和集落とした.対象地域における農地移動に関わる社会関係は,集落と中音更地区内での地縁に加えて小中学校を介した交友関係や血縁,公的機関を介したより広範囲にわたるものであった.多重送信的関係は農地移動に関わる社会関係の基盤となり,安定的な大規模経営の維持に寄与していた.一方で,さらなる大規模化を図る農家は単一送信的関係を活用し,集落という地域単位を越えた広い範囲で農地を集積していた.その結果,さらなる経営耕地面積の拡大が可能となり,大規模畑作地帯が形成された.
著者
長谷川 直子 横山 俊一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b><u>1. </u></b><b><u>はじめに</u></b> サイエンス・コミュニケーションとは一般的に、一般市民にわかりやすく科学の知識を伝えることとして認識されている。日本においては特に理科離れが叫ばれるようになって以降、理科教育の分野でサイエンス・コミュニケーターの重要性が叫ばれ,育成が活発化して来ている(例えばJSTによる科学コミュニケーションの推進など)。 ところで、最近日本史の必修化の検討の動きがあったり、社会の中で地理学の面白さや重要性が充分に認識されていないようにも思える。一方で一般市民に地理的な素養や視点が充分に備わっていないという問題が度々指摘される。それに対して、具体的な市民への啓蒙アプローチは充分に検討し尽くされているとは言いがたい。特に学校教育のみならず、社会人を含む一般人にも地理学者がアウトリーチ活動を積極的に行っていかないと、社会の地理に対する認識は変わっていかないと考える。 <b><u>2. </u></b><b><u>サブカルチャーの地理への地理学者のコミット</u></b> 一般社会の中でヒットしている地理的視点を含んだコンテンツは多くある。テレビ番組で言えばブラタモリ、秘密のケンミンSHOW、世界の果てまでイッテQ、路線バスの旅等の旅番組など、挙げればきりがない。また、書籍においても坂道をテーマにした本は1万部、青春出版社の「世界で一番○○な地図帳」シリーズは1シリーズで15万部や40万部売り上げている*1。これら以外にもご当地もののブームも地理に関係する。これらは少なくとも何らかの地理的エッセンスを含んでいるが、地理以外の人たちが仕掛けている。専門家から見ると物足りないと感じる部分があるかもしれないが、これだけ多くのものが世で展開されているということは,一般の人がそれらの中にある「地域に関する発見」に面白さを感じているという証といえる。 一方で地理に限ったことではないが、アカデミックな分野においては、活動が専門的な研究中心となり、アウトリーチも学会誌への公表や専門的な書籍の執筆等が多く、一般への直接的な活動が余り行われない。コンビニペーパーバックを出している出版社の編集者の話では、歴史では専門家がこの手の普及本を書くことはあるが地理では聞いたことがないそうである。そのような活動を地理でも積極的に行う余地がありそうだ。 以上のことから,サブカルチャーの中で、「地理」との認識なく「地理っぽいもの」を盛り上げている地理でない人たちと、地理をある程度わかっている地理学者とがうまくコラボして行くことで、ご当地グルメの迷走*2を改善したり、一般への地理の普及を効果的に行えるのではないかと考える。演者らはこのような活動を行う地理学者を、サイエンス・コミュニケーターをもじってジオグラフィー・コミュニケーターと呼ぶ。サブカルチャーの中で一般人にウケている地理ネタのデータ集積と、地理を学ぶ大学生のジオコミュ育成を併せてジオコミュセンターを設立してはどうだろうか。 <u>3.</u><u> 様々なレベルに応じたアウトリーチの形</u> ジオパークや博物館、カルチャースクールに来る人、勉強する気のある人たちにアウトリーチするだけではパイが限られる。勉強する気はなく、娯楽として前出のようなサブカルチャーと接している人たちに対し、これら娯楽の中で少しでも地理の素養を身につけてもらう点が裾野を広げるには重要かつ未開であり、検討の余地がある。 ブラタモリの演出家林さんによると、ブラタモリの番組構成の際には「歴史」や「地理」といった単語は出さない。勉強的にしない。下世話な話から入る。色々説明したくなっちゃうけどぐっとこらえて、「説明は3分以内で」というルールを決めてそれを守った。とのことである(Gexpo2014日本地図学会シンポ「都市冒険と地図的好奇心」での講演より抜粋)。専門家がコミットすると専門色が強くなりお勉強的になってしまい娯楽志向の一般人から避けられる。一般ウケする娯楽感性は学者には乏しいので学者外とのコラボが重要となる。 演者らは&ldquo;一般の人への地理的な素養の普及&rdquo;を研究グループの第一目的として活動を行っている。本話題のコンセプトに近いものとしてはご当地グルメを用いた地域理解促進を考えている。ご当地グルメのご当地度を星付けした娯楽本(おもしろおかしくちょっとだけ地理:地理度10%)、前出地図帳シリーズのように小学校の先生がネタ本として使えるようなご当地グルメ本(地理度30%)、自ら学ぶ気のある人向けには雑学的な文庫(地理度70%)を出す等、様々な読者層に対応した普及手段を検討中である。これを図に示すと右のようになる。
著者
村山 朝子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.415-424, 2016 (Released:2016-11-16)
参考文献数
19
被引用文献数
1 1

本稿では,地理学習において物語や小説などの文学作品を活用することの意義と視点について論じた.話の舞台となる地域の風土や文化,人々の気質を内包する文学作品は,学習者の地理的想像力を刺激し,地域についての豊かなイメージや認識をもたせる資料としての可能性を有する.特に世界を対象とする学習において有用である.また地理的想像力は地理教育が育むべき力の一つである.電子メディアの発達などに伴い断片的で一過性の情報が溢れる今日,文学作品を活用し地理的想像力を鍛えることが望まれる.
著者
井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.29, 2021 (Released:2021-09-27)

地域区分は、地域区分をする目的により、また何を指標とするのかで異なってくる。ある地域を理解するために、その地域を一つとしてみなすのか、空間的特徴のあるいくつかのまとまり(地域)に分けてその地域を理解する方がいいのか、そういったことが検討されて地域区分が行われる。他方で小学校社会科および中学校社会科地理的分野の教科書などでは、日本を7地域に区分して学習するようになっている。日本を7地域区分は明治期に画定されたとされるが、この7地域区分が定着し、日本の地誌学習が進められてきた。日本を7地域に区分して考察することが日本地誌を理解しやすくしているのだろうか、そのような議論がなされないまま、子どもたちは日本を7地域に区分できることを所与のものとし、その地域区分の意味を考えることもなく形式的に分けたものとして学習していないだろうか。それでは日本地誌が7地域の寄せ集めという認識でおわり、総合的に日本の地誌を理解したということにならないではないだろうか。2.地域区分の重要性 2021年から施行されている中学校学習指導要領では、日本の地誌学習のはじめに地域区分の学習が行われる。地形、気候、地震・災害、人口、資源・エネルギー、産業、交通・通信などから、これらのいずれかを指標とすると、その指標に応じて日本が地域区分され、どのような特徴をもつ地域から日本が構成されているのかを明らかにすることができる。上記の項目すべてで地域区分を行なう必要もないが、どれかの項目で地域区分を行うことで、地域区分の意味が理解でき、指標により地域区分が異なり、どのような事象に対して地域区分して日本の理解をすべきかといった判断ができるようにもなるだろう。指標をつかって地域区分することは地図活用の技能となるが、地域をどのような基準でいくつに分けることで日本の理解につなげるかを判断することは、分布などに着目してどのような観点で区分するのかという思考力・判断力を伴うものである。また、地図で表現することじたい表現力を必要とするものである。このように地域区分には、知識・技能、思考力・判断力・表現力といった資質が必要とされ、また養うことができる。さらには、次の学習となる日本の諸地域でどのような地域区分が日本を理解していくのに適切なのかといった学習課題を明確にし学習する意欲をわかせる、すなわち主体性につなげることができる。このように、地域区分の学習は資質・能力の3つの柱にかかわる学習となりえるのである。3.地域区分とSDGs 17の目標と169のターゲットから成るSDGsには、それを理解し達成させるための教育が必要となる。その教育には、社会的事象の地理的な見方・考え方をはたらかせた思考力を養うことや知識・技能の習得が含まれる。このような教育がSDGsを支えるものとなる。その意味では地域区分の学習は、SDGsを支えるための基礎的な学習となる。さらには、世界地誌においては、SDGsにかかわる指標で地域区分図を作成することで、SDGsにかかわる地域的課題がみえてくる。人口や貧困に関する指標により、具体的に「貧困をなくそう」「人や国の不平等をなくそう」といった目標にかかわってこよう。日本国内においても気候災害にかかわる指標で地域区分図を作成することで、その地域にふさわしい「気候変動に具体的な対策」を考えることができ、それをどのような地域的範囲で考えていけばいいかといった効率的な対策にもつながっててくる。子どもたちに地域区分をさせることは、日本や世界を俯瞰できるという意味においてSDGsにとって重要なのである。
著者
石坂 愛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

1980年代~1990年代の商業空間の変容により,地方都市における中心市街地のシャッター通り化は我が国の深刻な問題となった.この傾向は地方都市においてまちおこしという意識を喚起させ,日本の観光形態にも影響を与えた.各々の地域における観光協会や自治体は商品価値を生む地域資源の探索に尽力し,その中で注目されるのがテレビアニメ(以下,アニメ)作品の舞台や映画のロケ地を新たな資源とし,アニメファン(以下,ファン)による「聖地巡礼」を促す動きである(山村,2009).聖地巡礼とは,アニメ作品のロケ地,またはその作品や作者に関連する場所,かつファンによってその価値が認められている場所を「聖地」とし,そのような場所を訪ねることと山村(2008)は定義する.聖地巡礼に関する研究の多くは商工会や自治体によって展開されるイベントに着目し,その開催経緯や参加するファンの目的という点に言及している.しかし,まちおこしの背景にある課題に中心市街地の衰退があると考えれば,アニメを題材としたイベント等の展開やアニメファンによる聖地巡礼が,中心市街地において商業を営む地域住民に対していかに影響をもたらすかを考察する必要がある.本研究は,茨城県大洗町を作品の舞台とするテレビアニメ「ガールズ&パンツァー」(以下,ガルパン)が,大洗町の中心市街地に立地する小売店にもたらす社会・経済的変化を明らかにすることを目的とし,中心市街地の小売店経営者における地域住民やファンとの人間関係およびガルパンへの意識の変化と,ファン来店後の売り上げの変化を震災以前とアニメ放送以降に区分して分析した.その際,店舗の業種や立地特性を考慮するために2つの商店街における小売店について検討した.アニメ劇中に多くの店舗が登場した曲がり松商店街は,早期から聖地巡礼目的のファンの通行する様子がみられた.対する大貫商店街は劇中での登場も乏しく,店舗は分散して立地している.<br> 調査の結果,飲食店および酒類,海産物,軽食を販売する食料品店はほぼ全店来店者数および売り上げが増加している.また,買回り品販売店や理美容室等のサービス業においても一部増加がみられた.各小売店はリピーターを獲得し,アニメ放送終了2年後も震災以前の2割以上の来店者数を維持している.なお,店舗におけるファン誘致の成功と来店者数・売り上げ増加率において,小売店の業種や店舗の立地はほとんど関係なく,ファン誘致を成功させた小売店は共通して「ガルパンらしさ」の創出などにより,ファンを受け入れる姿勢を見せている.「ガルパンらしさ」は,各小売店が所有する店舗においてガルパンに関連するイラストやフィギュアなどの装飾品を展示することで,店内および店頭におけるガルパンの景観的要素を強化している様子を意味する.ファンは商店会主催のクイズラリーや店舗に展示されるガルパンに関連グッズの見学など,消費行動以外を目的として来店した店舗においても消費行動をとる傾向にあるため,来店者数増加を経験した小売店は売り上げも増加している.<br> 経営者のアニメやファンに対する理解は,店舗における来店者数の増加や「ガルパンらしさ」の有無に関わらず好転する傾向にある.一方で,「ガルパンらしさ」の創出やファン誘致に積極的な経営者はガルパンを通じて地域住民との交流が活発になっているのに対し,コマーシャルツールとしてのガルパンに一線を画す経営者に関しては地域住民間の交流が活発になったケースが少ない.後者にあたる経営者は地域住民という立場でガルパンを受け入れているものの,既存の客層や販売商品を考慮して,店舗においてファンの誘致を控えている傾向が強い.まちおこしという課題を振り返るならば,このような小売店の経営者の意向を汲み取り,地域コミュニティの紐帯を強めていく必要がある.<br>山村高淑(2008):アニメ聖地の成立とその展開に関する研究―アニメ作品「らき☆すた」による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察―.北海道大学国際広報メディアジャーナル7,145-164.<br>山村高淑(2009):観光情報革命が変える日本のまちづくり インターネット時代の若者の旅文化と新たなコミュニティの可能性.季刊まちづくり22,46-51.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.217-232, 2017 (Released:2017-12-01)
参考文献数
24
被引用文献数
2

モンゴル国内には現在600~900頭前後のユキヒョウが生息すると考えられている.特に西部地域のホブド県,バヤン・ウルギー県では,ユキヒョウと遊牧民の目撃・遭遇事故,家畜被害が多数報告されている.こうした「ユキヒョウ関連事故」は2014年を境に急増し,遊牧民も家畜襲撃被害に対して,ユキヒョウを私的に駆除する応酬的措置が複数確認されている.本調査では2016年7月19日~8月22日の期間,ホブド県ジャルガラント山地,ボンバット山地,ムンフハイルハン山地のユキヒョウ棲息圏に居住する117名の遊牧民から遭遇体験や「ユキヒョウ関連事故」についての遡及調査,履歴調査の構成的インタビューを実施した.両者間関係の改善には遊牧民側の放牧態度や保全生態への姿勢のあり方にもあり,ユキヒョウと遊牧民の関係改善とサステイナブルな共存圏の確立は,ユキヒョウの保全生態の観点からも最重要課題といえる.
著者
殷 冠文 劉 雲剛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.173-188, 2013-03-01 (Released:2017-12-02)
参考文献数
34

中国の都市形成の特徴は,政府が主導的な役割を果たしていることである.特に1990年代以降の分権化政策によって,地方政府主導による都市建設が進み,とりわけ内陸ではそれが顕著となった.本稿では,中国内陸部の鶴壁市を事例として,中国の都市形成のプロセス,とりわけ地方政府の役割に注目する.鶴壁市における新市街地開発事業へのフィールド調査によって,インフラの整備から,住民の移住への動員,企業誘致など広範囲にわたって,地方政府が都市形成に主導的役割を果たしていることがわかった.行政主導的な開発方式で,新しい都市空間が急速に形成され,新たな都市イメージと居住環境が作られた.しかし,その一方で,旧区への配慮が不足したため,旧区全体の衰退および新旧区間の格差の拡大などの問題が生じた.このようなジレンマをどう受け止めるか,それは現代中国の都市形成を読む上で現実的かつ理論的な課題であろう.
著者
大城 直樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.169-182, 1994-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49
被引用文献数
3 6

The landscape of distinct cemeteries found in contemporary Okinawa, the islands of southern Japan, is closely connected with the monchu sytem, which is a patrilineal group social formation and functions as a social norm. Although it has generally been considered that this system was established by the ruling samurai class since the late period of seventeenth century monchu as observed currently should be distinguished from the historical one: it is an “invented tradition” (Hobsbawm, 1983) of the modern period. To interprete the dynamic relation between monchu as invented tradition and the cemetery as a cultural landscape, “cemetery” in this research note is grasped as not only a substantial artifact but also a “place”. I would like to consider “place”, not as a position within an objective cordinate system or depository of meaning, but rather as what lies between them as the two extremes of a spectrum and as an unstable and competitive domain, where various relations- are interwoven. Such a point of view is similar to that of Sack (1980), Entrikin (1991), and Daniels (1992). This perspective enables us to take up both consciousness of the subject in question and the “reality” constituting it. It also leads to an analysis of social process at work in the changing context of possible interaction between the subject and the place. Since we regard this constitutional aspect of place as important, the naive conceptualization of place-for instance, that it has a given essence or an authenticity-is denied. For fully exploring the cemetery as a place, it is necessary to take into account that the cemetery is a locus of memory of the dead for the living and that the memory is socially constructed. In this case, memory can be grouped into the two types: paradigmatic form, constrained by synchronicity, and syntagmatic form, which converges contingent paradigms to contiguous unity in a syntactic way with a certain grammar. Given the possibility of the interpretation that while the former form represents a burial place, the latter, a cemetery, we now identify the latter in the monchu system. A part of the relation between the subject and the cemetry can be shown by sense of place, which is formed by arbitrarily delimiting relations concerned with the place under consideration. In our case, it is notable that the norm of monchu allows such a delimitation. According to Tuan (1980), who set out a binary opposition of rootedness and sense of place, we in the modern world cannot experience rootedness. Therefore, rootedness itself cannot be an sich. Thus it is only a für sick set of representation which necessarily has sense of place as an oppositional term. This development of reflection leads us to the viewpoint that in the context of the rootedness-oriented monchu system, a cemetery is a locus, where a sense of place is experienced through common feeling of “imagined community” (Anderson, 1983) based on genealogical relations over time and space. It may be suggested that, like nationalism, the constitution of intention, in which a long arrow of time can become a motiva-tion of authorization, is no doubt a dynamism of the “modern period”; such a dynamism goes outward beyond the life-world over time and space.