著者
小室 隆 山室 真澄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

日本全国のの平野部の湖沼では戦後の1950年代からの高度経済成長期を通じて、周辺田畑での除草剤使用や(山室ほか 2014)、人口増加や産業の近代化に伴いう、富栄養化がの進行しにより、湖沼水質や植生が劇的に変化をした。2003年には「自然再生推進法」が制定され、日本全国の湖沼においてもNPOや地方自治体によって自然再生活動が実施されている。しかしながら、それらの活動の多くは再生目標の時代設定や対象種の選定が、必ずしも科学的根拠に基づいて行われておらず、人々の主観的な考えに基づき実施されている例が散見されるいるとは言えない状況にある。即ち、本来ならば、湖沼環境が激変する高度経済成長期以前の状況を定量的に把握した上で、産・官・学の協働で再生目標などを設定すべきであるが、。しかし当時の状況が容易に再現できないことから、本来その水域に無かったり、環境悪化後に一時的に繁茂した植物が再生の名の下に植栽される例が散見される。必ずしもそのような状況ではない。 本研究では関東平野で最も水域面積が広く、自然再生アサザの保全・再生活動が行われている霞ヶ浦(西浦)を対象とした。霞ヶ浦は水域面積200km<sup>2</sup>、平均水深4mと浅く、富栄養化の進行した平野部湖沼である。霞ヶ浦も他の平野部湖沼と同様に戦後から高度経済成長期を通じて水生植物が激減した湖沼である(山室・淺枝 2007)。 浮葉植物(Floating-leaved plant)に分類されるのアサザ(<i>Nymphoides peltata</i>)の霞ヶ浦での植栽・保全活動による影響について加茂川・山室(2016)によりは、アサザ植栽を行った消波施設陸側では、底質の細粒化と有機物濃度と全粒化物硫化物の濃度の増加がを確認されておりし、環境への影響環境が悪化していると指摘しているが懸念される。本研究ではこのアサザの生育状況について、霞ヶ浦湖岸全域を対象に調査することで、植栽・保全事業による効果を検討することを目的とした。<br> 本研究では2010年と2015年の2度に渡り、霞ヶ浦湖岸全周を対象に踏査を行い、アサザが生育している地点を地図に落とし、写真撮影を行った。その際、生育している地点の座標、アサザの状態も同時に記録した。2度の調査でアサザの生育地点の変化傾向、そしてと繁茂面積を求めた。面積の計算にはArcGISを用い、踏査の際に撮影した写真から基準長(生育場所で距離がわかる対象物を同じ画角内に収まるように撮影し、Google Earthや地形図から長さを求めた求めた長さ)を求め算出し、アサザの繁茂面積を求める際にスケールとして用いた。この手法によりアサザ植栽による湖岸環境の変化を検討した。また、2009年に国土交通省関東地方整備局霞ヶ浦河川事務所が行ったアサザ分布調査結果を用い比較検討を行った。<br> 2015年にでは155地点でアサザの繁茂が確認された。植栽事業は右岸の鳩崎、古渡、中岸の石田、根田、左岸の永山の計5地点で行われた。これら植栽地のうちアサザを確認できたのは根田と永山の2地点分布は右岸2地点、中岸2地点、左岸11地点で左岸側に集中していた。2のみで、残りの13地点の大部分は自然に進入したと判断された。2015年に2009年から2015年にかけて4地点で生育は確認できず、それらはいずれも右岸側の鳩崎に集中していた。生息繁茂が確認された地点のはは舟溜りや波消堤消波堤の内側のなど、波や風の影響を受けない地点に集中していた。 &nbsp;<br> 霞ヶ浦では2000年に緊急対策として消波工が設置され、アサザの植栽・保護を行った。このことからも分かるように、アサザは本来、波が高い霞ヶ浦で広く分布できる植物ではなく、高度経済成長期以前に生息が確認された地点は全て入り江や湾の最奥部に限定されていた(西廣ほか 2001)。現在アサザが繁茂している場所が人工的に消波された場所や水路であることからも、アサザは霞ヶ浦本来の自然環境に適応した植物ではないと言える。緊急対策が行われた理由として、アサザは霞ヶ浦でしか種子生産できないとの主張があった。これは霞ヶ浦ではサンプル数が多く他では少なかったことが原因で、霞ヶ浦以外でも種子生産されていることが報告されていることからも(藤井ほか 2015)、霞ヶ浦で事業を行う科学的根拠は無かったと考えられる。 &nbsp; &nbsp;&nbsp;
著者
和田 崇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.380-399, 2023 (Released:2023-09-21)
参考文献数
50

本研究は,2030年冬季五輪の招致を目指す北海道札幌市を事例に,Müller and Gaffney(2018)が提起したスポーツ・メガイベントの評価項目を用いて,五輪招致の推進派の説明と反対派の主張を比較分析した.その結果,推進派も反対派もその主体や活動が札幌市だけのローカルレベルにとどまらず,東京を中心とするナショナルレベルの組織,さらに欧米を中心とするグローバルレベルの組織と結びつき,各派でグローバルに共有される論理や戦略が導入されていることが確認できた.そのこともあり,札幌市における推進派の説明と反対派の主張は過去の五輪開催都市や立候補都市のそれと類似しており,推進派は五輪が市民に夢と希望を提供し,都市再開発と地域経済・観光集客の活性化に結びつくと説明し,反対派は国際オリンピック委員会(IOC)と五輪の祝賀資本主義的体質を批判し,市民生活に直結する政策の優先実施と招致決定過程への住民参加を求めていた.
著者
松多 信尚 太田 陽子 安藤 雅孝 原口 強 西川 由香 Switzer Adam LIN Cheng-Horng
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.88, 2010 (Released:2010-11-22)

台湾はユーラシアプレートとフィリピン海プレート上のルソン弧の衝突によって形成されている.その衝突速度は82mm/yr程度で衝突しており,多くの活断層やプレート境界が存在する.特に東海岸に大津波を起こす可能性のある給源としては,琉球トレンチと沖合の海底活断層が考えられる.もしそこで地震が発生すれば,東海岸の海底地形は急に浅くなることから,大きな津波が来襲すると考えられる.台湾の歴史津波記録は少ない.東海岸の詳細な記録があるのは日本統治時代以降である.その中には東海岸に大きな津波の襲来した記録はなく,チリ地震などでも津波が台湾に押し寄せたことは無かったため,台湾では東海岸には津波が来ないと信じる人が多い. しかし,台湾の東海岸は無人だったわけでなく,阿美族と言われる原住民族が主にすんでいた.彼らの伝承の中には”津波”を思わせる伝承も少なくない.その例の中に,阿美族の創世神話の一つがある. これは通りすがりの旅人の神がそこに住んでいた神の一家を懲らしめるために海の神に頼んで大波を起こすという話である.その中で海の神が旅人の神に「今日から五日後,月が丸くなった夜に海ががたんがたんと鳴るでしょう.その時あなた方は星のある山をめがけて逃げなさい」と言い,いよいよその日,旅人の神は星の輝く山に向け逃げ,山頂に着いた頃海はにわかに鳴り始め大波はみるみる高まって,そこに住んでいた神の一家を押し流す.しかし,大波に襲われた一家はかろうじて助かる.それを不満に感じた旅の神は再度海の神に頼むと,海の神は再度大波を起こす.とある.これは,まさに津波が押し寄せたと考えられる.南西の島に住むタオ族の伝説にも津波を思わせる言い伝えがある.この神話も突然大波が押し寄せたという.このように東海岸には津波が押し寄せたと思われる伝承が点在する. 最近の津波の記録と思われる話が成功という町に存在する.これは昭和12年に印刷された安倍明義著「台湾地名研究」にある.その中の新港(現在の成功)の説明には「この地名は大正九年にマラウラウを新港に改めた.」とあり,「8,90年前に畑地が津波に洗われて草木が皆枯死したために,その有様をラウラウといい地名とした」とある.8,90年前とは,経験者が生存している可能性もあり,確かな出来事と思われる.これは,1840-50年頃と思われる.我々はこの言い伝えを頼りに成功で津波堆積物を探す調査を実施した. 成功には5段の完新世段丘が分布する.川沿いの_I_面と_II_面は,厚い堆積物が見られる.これは,氷期でできた谷を埋めた堆積物と考えられる.一方東側に見られる海成の面と川沿いの_III_面の堆積物は厚くなく,基盤を確認することが出来る. 阿美族の集落は高位の段丘の上にあり,成功の地名の由来になった津波が阿美族の集落に被害が及んだ報告はない.したがって,最高位段丘まで遡上したことはないと考えられる.一方,_IV_,_V_面のみに津波が遡上したのであれば,その範囲は限られており,地名の変更を行うほどのインパクトがあったとは考えがたい.したがって,我々は_III_面まで津波が遡上したと考えて,掘削調査を行うことにした. 成功の町の中心部が位置する_III_面は_II_面によって川の陰になっており,堆積物は河成の礫質ではなく,海の影響が強い砂質で構成されると予想された.この_III_面の範囲は日本統治時代以前は湿地であり,日本人が段丘崖の基部に排水溝を掘ることで利用できる土地となったという.この話からこの範囲には湿地性の堆積物が予想された. 我々はまずハンドオーガーによって予備調査を新港中学校の西南の地点で行った.その結果,peatに挟まれた海の貝を含む砂が見られた.我々はこの砂の下位のpeatの年代を測定し,上部が1810-1570 Cal Yrs B.P.,下位が3070-2860 Cal Yrs .B.P.という値が得られたため,同地点を中心にジオスライサー調査を行った.その結果,陸生のカタツムリの殻が見られるpeat質な地層の間に厚さ50cm程度の二枚の海生の貝を含む砂層を確認し,砂層の間の地層から2340-2150 Cal yrs B.P.,下位の層から2990-2790 Cal yrs B.P.の年代を得た.これらの年代には,すでに海水準は安定しているため,海水準が上昇することはない.また,この地は7-15m/kyr程度の速度で隆起している.したがって,砂層堆積時の標高はかなり低かったと考えられ,離水した地域にイベント的に海水が入り込んだことは事実だが,津波と断定するのは難しい.しかし,我々は砂層が上方に細粒化することなどから,津波の可能性が高いと考えており,珪藻分析などを行う予定である. 調査の目的であった最近の津波の確実な証拠は認められなかった.
著者
山崎 孝史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.9, pp.512-533, 2001-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
135
被引用文献数
2

本稿は, 1980年代以降の英語圏の研究動向に即して,グローバル化,国民国家,そしてナショナリズムの関係を理解するための地理学的視角について検討する.グローバル化に伴う昨今の動態的な政治・経済・社会的変化は,一方において国家の基盤である主権,領土,あるいは国民的均質性を問題化し,他方においてナショナリズムに喚起された新国家形成や国家分裂という事態を招いている.本稿はまず,こうした一見矛盾した世界政治の現状を最近の研究を通して把握し,国民国家とナショナリズムの今日的意味を理論的に検討する.次に,ナショナリズムの現代的諸理論を近代主義アプローチを中心に論評する.最後に,ナショナリズムを領域的視点から検討することの有効性を,中心-周辺関係,領域的アイデンティティ,地理的スケールの三つの空間的概念を基に考察する.これらの考察を通して,グローバル化時代における国民国家とナショナリズムに関する政治地理学的研究の方向性を提示する.
著者
成瀬 厚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.156-166, 1997-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
41
被引用文献数
2 2

Discussions about “geopolitics” have flourished within the field of geography in recent years. In Japan, where geopolitics (chiseigaku) had been associated with empire expansion as well as German Geopolitik, the critical issues in geopolitics were not for their own features, but how they reveal ambivalent aspects of geography in general. In particular, two critical issues in geopolitics, political intentions and subjective interpretations of the world, make us realize that geographical descriptions may inevitably be political. Today, the term “geopolitics” is not used to designate a branch of study, but has a variety of contents at the general level. In this paper, by referring to the definition of “orientalism” by Said (1978), I suggest the necessity of analyzing geopolitical texts from the standpoint of criticism. An author of a geopolitical text is not an individual subject. Whether (s)he is a politician or an editor of mass media, (s)he represents the government or nation under a wider umbrella of ideology. From such a viewpoint, we could establish a research agenda that critically examines various geographical descriptions under the term “geopolitics.”
著者
阿部 一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.7, pp.453-465, 1990-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
2 5

Landscape can be considered as place in terms of phenomenological geography. In this paper, the author examines the concept of landscape with reference to that of place, and proposes a con-cept of “story” in order to prepare a framework for the study of landscape change synchronous with our consciousness change. The results are as follows: 1) Landscape is the life-world on which our belief in objective reality is founded, and is a repository of meaning. Therefore, the concept of landscape coincides with that of place as a space with value and meaning. 2) Place is not only an object of intentionality but also a process of intentionality. According to Nishida Kitaro's (1926) theory of place, place is the field of consciousness, which means that place is also the process of recognition. We call this aspect of place a “meaning matrix”, the implicit knowledge required for understanding meaning, such as a standard for judgment or a view of value. 3) It is “story” that represents the meaning of landscape. A story is a discourse on objects-a legend, an article, or a picture and indicates the trend of history. The subject and landscape are changing together, influencing each other in parallel with a “story” (see Fig. 4). 4) The task ahead for landscape study is to understand the self-understanding of a social group by analyzing its “story”, and to clarify the structure of the meaning matrix.
著者
福井 幸太郎 飯田 肇 小坂 共栄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.91, no.1, pp.43-61, 2018-01-01 (Released:2022-09-28)
参考文献数
64
被引用文献数
1

飛騨山脈の四つの多年性雪渓で,地中レーダーで氷厚を,測量用GPSで流動を観測し,氷河の可能性を探った.その結果,カクネ里雪渓と池ノ谷雪渓は厚さ30mを超える氷体を持ち2m/年以上の速度で流動していたことから氷河,内蔵助雪渓は厚さ25mの氷体を持つが流動速度が3cm/年と遅いため多年性雪渓に移行しつつある氷河,はまぐり雪雪渓は現在流動していない多年性雪渓であることが分かった.日本で氷河と判明した多年性雪渓は合計六つになった.また,飛騨山脈の氷河の特性を現地観測データから検討した.その結果,気候条件的に現在の飛騨山脈では氷河が存在可能であること,平衡線高度が同じ地域内で大きくばらつくこと,カクネ里雪渓と池ノ谷雪渓は1955~2016年の61年間で面積がそれぞれ12, 16%減少したことが分かった.
著者
平井 松午
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.10, pp.727-746, 1988-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
42
被引用文献数
3 3

近年の移民研究では,移住者の特性や移住意志決定プロセス,さらには移動流の方向などを明らかにするため,移民研究を人口移動研究の一環として捉え,移民の輩出過程と定着過程とにおける一連の移住過程が検討されてきている。本稿もかかる観点から,山形県出身者の多い美唄市西美唄町山形地区を例に,北海道農業移民の輩出・定着過程について報告しようとするものである. 山形地区の開拓は,明治27(1894)年,山形県村山地方の零細農民が組織した山形団体という農民移住団体の入植によって始まった.その後,自作入植者の単独移住によって開拓地の外延的拡大が行なわれるとともに,山形地区では畑作農業期に農民層分解がみられ,一部上層農の出現をみた.大正10(1921)年に山形地区が水田化されると,上層農はその労働力の担い手として小作人や奉公人を入植させた.こうした後続入植者の多くは,地縁的・血縁的なネットワークを通じての連鎖移住による同郷移住者に求められ,このことが山形地区において「同郷性」を維持してきた理由と考えられる.
著者
三納 正美 大原 圭太郎 山舩 晃太郎 市川 泰雅 木村 颯 片桐 昌弥 橘田 隆史 西尾 友之 大原 歳之 菅 浩伸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.248, 2023 (Released:2023-04-06)

1. はじめに 島根半島の東端に位置する地蔵埼から北東に30㎞以上離れた海域に、日本海軍の駆逐艦「蕨(わらび)」が沈んでいる.1927年の夜間演習中,軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」,軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」がそれぞれ衝突し,「蕨」は沈没,「葦」は大破(艦尾沈没)し,殉職者119名にも及ぶ大事故となり,美保関事件として後世に伝えられている.事故直後から掃海作業や救助作業は行われたが,沈没した正確な位置は不明であり,これまで詳細な調査は実施されていないことから,蕨の沈没位置を特定し,船体の状況を確認するため,本調査を行った.2. 探査方法と結果 既存資料を整理すると4箇所の沈没候補地が挙げられ,その位置も広範囲に分布していたことから,緯度経度情報があり「軍艦」「ワラビ」と呼ばれている漁礁地点を魚群探知機で調査し,反応があった地点周辺を2020年5月にマルチビーム測深機(SeabatT50-P)で詳細に探査した.その結果,漁礁「軍艦」は全長約54m,全高5.4m,最大幅8.3mの巨大な塊であることが判明した.マルチビーム測深で正確な地点,水深,形状等を把握できたため、本調査プロジェクトチームが開発した水中3Dスキャンロボット(天叢雲剣MURAKUMO)を投入し,2020年9月に水深約90mの海底に沈没した船体を確認することに成功した.この結果,船体前部のみであること,発見した水深は約90mであるが,事故直後に調査された時の水深値と島根県の水産試験船が発見した物体の水深値は約180mであったことから,残りの船体は別の場所に沈没している可能性が出てきた.そこで,2021年7月に「軍艦場」と呼ばれている地点を中心に約2.5㎞四方の海域をマルチビーム測深機(SeabatT50-P)で探査し,これまで1つだと認識されていた地形の高まりがいくつかあることがわかった.マルチビームで得られた詳細海底地図を用いて,改良した天叢雲剣MURAKUMOで探査した結果,水深180mを超える海底に沈む駆逐艦蕨後部を発見,撮影することに成功した.3. 考察 天叢雲剣MURAKUMOで取得した画像データを用いてフォトグラメトリによる3Dモデルを作成し,画像データと合わせて検証した結果,船体のサイズや船首形状が蕨に近似し,砲塔のような筒状の構造物,舷窓等が確認できたことから,蕨である可能性が高いと判断した.4. まとめ 蕨前部と後部は約15㎞も離れているが,既往資料や現地状況から,衝突現場は蕨船体後部が沈没している場所であり,船体前部は浮遊後現在の地点に沈没したと考えられる.蕨後部周辺にはその他いくつか地形の高まりが確認されている。今後これらを探査することで,美保関事件をより詳細に解明できるものと考える.参考文献大原 歳之2020. 海の八甲田山「美保関沖事件」伯耆文化研究 第二十一号(2020)抜粋改訂版.謝辞本研究は2021-2025年度科研費 基盤研究(A)JP21H04379および2021-2024年度科研費 基盤研究(C)JP21K00991の成果の一部です。
著者
小口 高 鍛治 秀紀 鶴岡 謙一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.106, 2023 (Released:2023-04-06)

東京大学情報科学研究センター(CSIS)は1998年に発足したGISの研究組織である.CSISは文部科学省が認定した共同利用・共同研究拠点であり,様々な地理空間情報をCSISが多数収集して「研究用空間データ基盤」を構築し,収録したデータを提供している.CSISがデータを収集・購入する際に,データの提供元と覚え書きを交わすことによって,外部の研究者がデータを利用する可能性を確保している.この仕組みにより,個人研究者がデータを入手する際の経済的な負担や手間を軽減している. 「研究用空間データ基盤」に登録されているデータはデジタルデータであるが,地理学では長年にわたり,紙の地図が基本的なデータとして活用されてきた.紙地図は現在も作製されている.この際には,地図を構成する要素のデジタルデータを用いて地図のデジタル原版を作製し,それを印刷するのが今日の一般的な状況である.一方.古い時代の紙地図は,デジタルデータから作成されたものではなく,現存する紙地図自体がデータとして意味を持つ.各所に保管されている古い時代の紙地図の一部は,スキャンやデジタイズによってデジタル形式になっている.このような古い地図の情報を活用して地域の過去の状況を明らかにし,近年の状況と比較することは,地理学の主要な研究方法の一つである.古い時代の地図は,学校教育や生涯教育の場でも活用されており,社会的にも重要である.たとえば,「ブラタモリ」のようなテレビ番組では,過去から現在に至る地理的環境と人の営みを結びつける際に,新旧の地図がしばしば活用されている. このような点を考慮し,CSISはデジタルデータとともに紙地図の資産にも注意を払ってきた.CSISが「研究用空間データ基盤」の提供のような本格的な活動を,紙地図についても行うことは,組織の性格やマンパワーの点から困難である.しかし,紙地図の活用と関連した試みをいくつか行ってきた.日本地理学会と関連した一つの事例は,2000年代後半に試みられた「デジタル地図学博物館」の構築である.これは,CSISが日本地理学会の国立地図学博物館設立推進委員会(現在は地図資料活用推進委員会と改称)と連携し,様々な機関が公開していた地図のスキャン画像を,検索によって即座に閲覧できるシステムの構築を目指したものである.この際には,古地図などの画像を公開している全国の博物館などのウェブサイトを対象とした.このプロジェクトは,画像のURLの変更に対する対応の難しさなどの課題が生じたことと,地図を含む画像の検索がGoogleなどの検索エンジンで可能になっていったこともあり,プロトタイプの構築とその試行的な運用で終了した. 2018~2019年度には,東京大学のデジタルアーカイブズ構築事業の一環として,多数の紙地図のスキャンニングと,地図画像の公開システムの構築を行った.スキャンニングの対象となった地図は,1980年に東京で開催された10th International Cartographic Conferenceの際に,約40ヶ国から日本地図学会に寄贈され,その後に東京大学柏図書館に移管された約1200枚の紙地図の一部を含む.具体的には,国土地理院、海上保安庁、日本水路協会、日本オリエンテーリング協会、U.S. Geological Survey, Geological Survey of Finlandなどが製作した紙地図をスキャンし,著作権の問題がないことを確認した後,「柏の葉紙地図デジタルアーカイブ」としてオンライン公開した.このアーカイブは,独自に開発した地図検索システムを使用しており,高解像度の地図を高速に表示するとともに,メタデータの表示や検索の機能も持っている.ただし上記の1200枚の地図の大半は著作権が消滅していない等の事情があり,公開できたコンテンツの数は限られている. 最新の紙地図と関連したCSISの活動として,埼玉大学教授だった故谷謙二氏がオンラインで公開し,教育の場を含む様々な場面で広く活用されている「今昔マップ」の保守が挙げられる.「今昔マップ」は,国土地理院およびその前身の機関が紙地図として出版した明治時代以降の地図をウェブ・ブラウザで表示する機能を持ち,さらに新旧の地図を並べて比較できる.谷氏は2022年に8月に急逝されたため,氏が管理していたサーバーで稼働している「今昔マップ」の今後の継続性が不透明となった.地理学関係者やご遺族による検討の結果,CSISが「今昔マップ」を含む谷氏が整備したオンラインコンテンツの保守の主体として協力することになった.当面の目的は,現状の「今昔マップ」の提供を継続することである.今後,現行の「今昔マップ」には含まれていない地域の地図画像を,新たに追加する可能性についても検討する予定である.
著者
杉江 あい
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.115-134, 2013-03-01 (Released:2017-12-02)
参考文献数
43
被引用文献数
1 1

本稿は,バングラデシュ農村部における「物乞い」と施しの慣行の実態を実証的に明らかにし,今日の「物乞い」をめぐる制度展開を批判的に検討した.本稿の対象地域の「物乞い」は,障害や高齢によって労働すること,また,家族の経済状況により扶養されることが困難な者である.障害を持つ男性の「物乞い」は,居住地から比較的遠い市場に行っていた.特に大規模な定期市は,彼らに特別な施しが与えられる場となっている.一方,女性の「物乞い」は社会的な規範により,徒歩で集落を中心にまわる者が多い.彼らは施しを与えられるだけでなく,交通費免除や場所提供など,「物乞い」をするための手助けも受けている.特に障害を持つ「物乞い」は,そうした優遇措置を受けやすい.「物乞い」と施しの慣行は宗教的,社会的な意味を持ち,地域社会の仕組みに埋め込まれている.しかし,体制側は経済的,社会的に周縁な領域として廃止しようとしている.
著者
森川 洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.167-187, 2009-05-01 (Released:2011-08-25)
参考文献数
20
被引用文献数
5 3

本稿では,DIDの分布とその人口増減(1980~2005年)および中心地の圏域(通勤圏)とその変化(1985~2000年)の分析に基づいて,都市成長の規模的差異や中核地域とその他の地域との間の地域的差異の存在を明らかにした.今日国土の過半は過疎地域に指定されており,過疎地域の人口減少は中心地の衰退と深く関係するので,都市システムの整備が過疎対策の重要部分を占めるものと考えられる.定住自立圏構想研究会は人口5~10万人の中心都市の振興を提案しているが,これらの都市(中心地)の多くは過疎地域に圏域を伸ばしていない.過疎地域に1万人以上の圏域を持つより小規模な中心地を振興する方が,より効果を発揮することができるであろう.
著者
石坂 澄子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100284, 2017 (Released:2017-05-03)

はじめに 日本で発明された寒天は,取り扱いの簡易さと汎用性の高さで早くから海外輸出品となったが,現在は輸入品が高いシェアを占めている.本発表は寒天の貿易について,歴史的な流れと貿易統計のデータを元にした検討を行うことを目的とする.1.中国への輸出  17世紀中頃に誕生した寒天は,貞享年間(1684~87)には早くも輸出品の一つとなった.江戸時代の対清貿易において,銅の流出を懸念した幕府は,代わりに海産物を支払いの対価に用いた.これを俵物諸色といい,諸色の中に寒天が含まれている.寒天の原料となるテングサの産地は伊予のほかは,相模,豊後,伊豆,紀伊など黒潮の流れる太平洋岸沿岸である。その一方,製造は大坂の摂津地域の冬季寒冷な山間部で行われた.出来上がった寒天は長崎へ運ばれて,中国へ輸出されていた.寒天は生産量の大部分が輸出品となっており,例えば1821(文政4)年の史料によると,元艸惣買入高のうち8割5分が長崎貿易用の細寒天に,残りの1割5分が国内消費用の角寒天に仕立てられていた. 明治に入ると寒天の積出港は神戸・大阪・横浜に変わった.三港が輸出港となった理由は,神戸は後背地である摂津地域が古来からの伝統的・歴史的な寒天の大産地であったためであり,大阪は昔からの大寒天問屋が多数存在しており,阪神居住の中華商人が輸出業者として活躍したため,横浜は,関西より遅れて製造が開始された信州寒天が,1885(明治18)年の信越線(上野-横川間)開通によって輸送の便が良くなり後背地に成長したからである. 2.欧米への輸出  近代以降,寒天は中国以外のアジアや欧米にも販路を広げた.欧米では,ゼラチンの代用として食用に使われていた.更にロベルト・コッホが1882(明治15)年に発表した結核菌の論文の中で寒天培地について述べたことにより,需要は一気に急増した. 細菌の培養は,寒天の前にはゼラチンが利用されていたが,寒天よりも低い温度で溶けるという欠点があった(ゼラチンの融解温度〔一度固まってから溶け始める温度〕は25~35℃,寒天は70~90℃).ゼラチンの代わりに寒天を利用するアイデアは,コッホの元で細菌学を学んでいた医者の夫人によるもので,彼女がフルーツゼリーを作る時にゼラチンではなく寒天を使っていたことが元である.彼女はそのレシピを母親から教わっており,母親はジャワに住んだことのあるオランダ人の友達から教えてもらっていた. 3.輸出品から輸入品への転化  原藻の輸入は1952(昭和27)年から始まっており,寒天の輸入もこの頃からと考えられる.寒天の輸出入量は1977(昭和52)年にほぼ同量となり,その後拮抗していたが,1987(昭和62)年を境に輸出と輸入が逆転した.現在は輸入量が圧倒的に多い.原藻も,現在国内で使用されているテングサの8割弱は輸入品である.おわりに  寒天の製造と流通には海運が大きな役割を担っている.今回は貿易に焦点を当てた.採藻・製造から流通への一連の流れを体系化することを今後の課題としたい.文 献野村豊 1951.『寒天の歴史地理学研究』大阪府経済部水産課林金雄・岡崎彰夫 1970.『寒天ハンドブック』光琳書店山内一也 2007.細菌培養のための寒天培地開発に秘められた物語.日生研たより 53:26.
著者
小山 拓志 青山 雅史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

2016年4月14日に熊本県熊本地方において,M6.5の地震が発生し,熊本県益城町で最大震度7を観測した。そして,2日後の4月16日01時25分頃には,同地域を震央とするM 7.3の地震が発生し,熊本県上益城郡益城町と西原村において最大震度7を再度観測した。この一連の地震によって,熊本市内を西流する白川や緑川,加瀬川周辺を中心に液状化現象(以下,液状化)が発生した。本発表では,地理学の立場から,本地震における液状化被害の分布を示すと共に,液状化発生地点の土地条件について報告する。
著者
本田 智比古
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100065, 2017 (Released:2017-05-03)

1. はじめに国名や都市名,自然地域名称などの地名をどのように表記するのかは,地域を研究対象とする地理学においては大変重要な問題である.しかしながら,地名表記の標準化をつかさどる国家機関が存在しないため,地名の表記は統一が図られず,時にはその不統一性から,同一都市を別の都市と誤解するような事態も生まれている.そのようななか,教科書業界において,地名表記に対してどのような取り組みが行われているのか,帝国書院を例に取り上げ,地名表記にどのような課題があるのか考えてみたい.2. 教科書における外国地名の表記に関して戦後の教育業界において,最初に地名表記の統一が図られたのが,1950年代である.文部省に専門の委員会が設けられ,教育的見地から外国地名と国内主要自然地域名称の呼び方と書き方の基準が検討された.委員は,教育関係者だけでなく,外務省,建設省地理調査所,報道関連など各所から集められ,検討の結果は1959年刊行の『地名の呼び方と書き方』という書籍にまとめられた.以降,この基準書は1978年の『地名表記の手引き』,1994年の『新 地名表記の手引き』へと受け継がれ,教科書業界ではこれらの基準書に従い地名を表記することで,地名表記の統一を図ってきた.しかし,新聞社やテレビ局などの報道機関は会社ごとに独自の基準を作成しており,この基準書に準じなかったという点,1994年以降,続編書籍が刊行されていないという点で課題が残っている. このようななか,教科書業界では,特に国名と首都名に関して特段の配慮を行ってきた.1970年代から2007年までは,『世界の国一覧表』という外務省見解をコンパクトにまとめた書籍を統一原典として使用してきた.また,2007年にこの書籍が廃刊となって以降は,教科書会社で組織している教科書協会に,国名と首都名に関する表記を統一する連絡会議が設けられ,地図帳を発刊している東京書籍・二宮書店・帝国書院の三社の地図帳編集部門担当が毎年集まり,見解の統一を図っている. しかし,このように統一できている外国地名は主要地名だけであり,その他の詳細地名の表記は教科書会社で異なっているのが実情である.例えば帝国書院では,前述の『新地名表記の手引き』が1994年に発刊されたことを受け,本書が掲げる現地音表記の精神を地図帳に反映するため,1998年に地名表記の大幅な見直しを行っている.各言語の専門家数十人にご協力をいただきながら,「英語発音や旧宗主国言語の名残があった地名も原則として現地音表記に改める」などといった新しい原則を設け,地名表記を一新した.だが,これらの帝国書院独自の取り組みにも課題はまだ残っている.例えば,現地音をどの少数民族のものまで徹底するか,現地音を日本語の片仮名表記でどこまで正確に再現できるか,などである.地名表記の検討に対しては,情勢の変更も踏まえながら,不断の努力を行うことが必要である.3. 教科書における国内地名の表記に関して 外国地名に比べると地名表記が統一されているように見える国内地名であるが,これにも課題はある.まず,世界の地名と同様に,詳細地名に関する業界での統一基準が無い点である.帝国書院では,行政地名は国土地理協会発刊の『国土行政区画総覧』,自然地域名称は国土地理院発行の『決定地名集(自然地名)』,鉄道名やスタジアム名等はそれぞれを管理する会社の資料を原典とし,地名表記を社内では統一している. 国内地名の表記に関しては,使用漢字の字体のばらつきという課題もある.例えば飛騨市や飛騨山脈の「騨」は,パソコンの標準変換では出すことができない「」という字体を多くの教科書では採用しているが,これを通常の出版物にまで強要するのは難しいと考える.また,2004年に漢字のJISが改正され,168字の漢字の登録字形が変更されたため,該当漢字がパソコンや印刷機のフォント環境によって異なった字体で印刷されるという問題も起きている.地名として登場するものとしては,「葛・葛」や「薩・薩」,「逢・逢」などがその対象である.(「 」内の右側が2004年以前の,左側が2004年以降のJISにコード登録されている字体)4. まとめ このように外国地名,国内地名ともその表記に関しては様々な課題を抱えているのが現状である.それらの課題を個々の会社や団体だけで解決することは不可能であり,また努力を行うほど,他社や他の業界と不統一を起こす結果にもつながりうる.そのため,国家地名委員会が設置され,この委員会のもとで地名表記の標準化が図られることの意義は非常に大きいと考えている.
著者
福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

日本地理学会が2010年からスタートさせた「地域調査士」の"定義"らしきものとして『地域の自然、社会、人文現象等を総合的にとらえる調査能力を有する人材を「地域調査士」「専門地域調査士」』として認定する制度』とある。まさに自然地理と人文地理を総括的にとらえる地理学の原点にたっての資格である。果たして昨今の地理学教育や研究の中で可能だろうか。筆者の専門分野での実践を通して考察してみた。実例としての論文引用1 熱中症発症の地域性~疾病地理学こそ地理的地域研究の一つ、横山・福岡(立正大)から、日本生気象学会誌(2006)発表2 地域間移動に伴う熱的ストレス~福岡・丸本論文から、「地球環境研究」発表(2008)3 独居老人の室内における熱中症発生気候~一軒の家にも、居室にも微気候差がある、平沼(いであKK)・福岡ら、日本生気象学会(2012)4 都市地域内における熱中症激増~日本一高温の熊谷市のヒートアイランド調査、石井・福岡(立正大)から、地球環境研究(2008)、水蒸気アイランドも鮮明。
著者
奥山 加蘭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.173, 2020 (Released:2020-03-30)

日本では近年,多くの地震が発生しているが地震発生の時期や規模を正確にことは困難である.一方地震は繰り返し起こるとされており,過去の地震の被害状況を復元することは今後の防災を講ずる上で重要な情報となる.昭和19年東南海地震は戦時中に発生した地震であり,詳細な公的記録がほとんど残っていない.そこで本研究では数少ない地震体験者に体験談や資料を収集することで昭和19年東南海地震の被害状況をできるだけ詳細に明らかにし復元することを目的とする.またどうしてそのような被害が出たのかを地形条件と対応させて分析する.
著者
佐藤 善輝 藤原 治 小野 映介 海津 正倫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.3, pp.258-273, 2011-05-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
29
被引用文献数
9 8

浜名湖沿岸の六間川低地および都田川低地で掘削調査と既存ボーリングデータの収集を行い,沖積層の層相・貝化石・珪藻化石分析・電気伝導度測定の結果や14C年代測定値に基づいて,完新世中期から後期にかけての堆積環境の変遷を明らかにした.その結果,両低地に共通した環境変化が認められた.すなわち,6,000~7,000 calBP以降は低地の発達に伴って海水の影響が減少する傾向が見られるが,3,500~3,800 calBP頃に汽水~海水環境の再形成や内湾での水位上昇が認められた.このことは,一時的に浜名湖内へ海水が流入しやすくなったことを示す.その後,3,400~3,500 calBP頃に淡水池沼へと急速に変化した.この時期には浜名湖の湖心部でも急速な淡水化が知られており,浜名湖全体で淡水化が進んだことが示唆される.この環境変化は,浜名湖の湖口部を塞ぐように砂州が形成されたために引き起こされた可能性が高い.
著者
鈴木 奏到
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.75-78, 2006 (Released:2010-06-02)
被引用文献数
1

都市・地域政策の転換期を迎え,改めて地域を科学する地理学を学んだ人材の活躍の場面も広がっていくと思われる.そのためには,問題・課題を構造化するデザイン能力,地域空間上で定量化する解析・プレゼンテーション技術,そして,理解・合意形成のためのコミュニケーション技術をいかに高めていけるか.都市・地域政策にかかわるシンクタンクのプランナーの立場から,地理学の人材を育成していくための体制・環境づくりについて提言する.