著者
浦山 佳恵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.95, 2021 (Released:2021-03-29)

日本には,かつて地中に巣を作るクロスズメバチVespula sp.の幼虫や蛹を「蜂の子」と呼び食す慣行が広くあった.明治以降,全国的に蜂の子の商品化が進み,1980年以降生息数の減少が指摘されるようになると、1990年以降各地で蜂追いを楽しむ同好会が設立され,1999年には全国地蜂愛好会が結成され情報交換を通じて資源保護や増殖活動が行われるようになった.2006年現在,30余りの会が蜂追いや巣の大きさを競うコンテスト,増殖活動をしているという.1980年代までの伊那谷は,全国的にも積極的な蜂の子食慣行がみられた地域の一つで,蜂の子はご馳走にもなり,煮たり煎ったりするだけでなく蜂の子飯や五目飯,寿司等にもされていた.採取方法も蜂追いや透かしという方法で見つけたり,夏に小さい巣を採り自宅周辺で飼育する飼い巣を行ったりしていた.蜂追いや飼い巣は貴重な蛋白源を得るための生業であるとともに,大人や青少年にとっては娯楽の一つでもあった.現在、伊那谷北部に位置する伊那市にも,「伊那市地蜂愛好会」が存在する.また,伊那谷では蜂の子の佃煮が土産物や日常のおかずとしてサービスエリア,道の駅,スーパー等で販売されているが,それらの原料の多くは県外・海外から輸入されたものであるという.食生活が豊かになった今,伊那谷の地域住民にとってクロスズメバチはどのようなものになっているのだろうか.2018〜2020年に,伊那市の地蜂愛好家5名への蜂の子食慣行に関する聞取り調査及び飼い巣の見学,伊那市地蜂愛好会の活動への同行を行い,現在の伊那谷のクロスズメバチがもたらす自然の恵みについて考察したので報告する.
著者
竹村 一男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.311, 2019 (Released:2019-03-30)

内村鑑三には、『地理学考』をはじめとする地理や自然(天然)環境に関する著述が多く,内村のキリスト教信仰,思想のバックボーンのおおくを地理思考がなしていると考えられる。その地理思考は,神の創造した宇宙万物の摂理探求が地理学の目的であり,宇宙万物は人間の教育という目的のために神が創造したものでもあるという,神学的,宗教的地理学によるものである。その内村地理学の特徴として,1.キリスト教的目的論を前提としている。2.アーノルド・ギュヨー(Arnord Guyot),カール・リッター(Carl Ritter)など宗教的思考をとる地理学者の影響が認められる。3.内村の地理書『地理学考(地人論)』はギュヨーの影響のもとに宗教的地理学の記述と独自の文化論を展開している。4.「内村の無教会」=「内村が帰する地理的宇宙」の構造が推定される。5.後年,内村の自然観が聖書的自然観寄りに大きく推移している。 年譜にそって内村の地理思考をみていく。札幌農学校入学(1877年)以前から内村には地理学への志があり,受洗以降,開拓使御用掛時の文書は自然を享受するクリスチャンの立場からの地理的記述が多い。アメリカ留学時代(1884~88年)には大学の所在地アマーストの近郊で多くの野外調査を重ねたことを記している。当時の日本では入手困難であったギュヨーやリッターの宗教的地理学の文献を熟読してその影響を受けるとともに,自らの宗教観との一致や信仰確認を行ったことも推測できる。特にギュヨー The earth and manによる「inorganic nature is made for organized nature, and the whole globe for man, as both are made for God, the origin and end of all things.」の記述は内村の宗教的地理学思考に大きな影響を与えたと思われる。また,この時期に内村の回心体験がなされたとされるが,報告者は内村の体験時の筆記メモとされる「I for Japan, Japan for the world, The Word for Christ, And All for God.」に,ギュヨーの記述との関係性を推定しており,リッター及び西欧の宗教的地理学に遡るものでもあると考える。この一文は内村生涯の指針とされ,後に内村は和文で「余は日本の為め 日本は世界の為め 世界は基督の為め 基督は神の為め也」と多くの色紙に残し,やがて内村の墓標となった。留学時に改めて自身の帰する日本に思い至った内村であるが,帰国後は不敬事件(1891年)などの不遇の時期を迎えることで,内村の日本観も揺らぐ。しかし,それらの経験は内村に,自らが帰すべきは現実的存在である日本国やアメリカ合衆国ではなく,これらを超越した「神の国」であり,「世界の市民,宇宙の人」であるべきことを示した。それが,「神の国」「帰すべき地理的宇宙」から「無教会」へと展開する。 1895年に『地理学考』を刊行する。同書は内村の生涯の愛読書となった『The earth and man』の影響が大きいが,その文明論を発展させた,独自の宗教的地理書といえる。「両文明は太平洋中に於て相会し,二者の配合に因りて胚胎せし新文明は我より出て再び東西両洋に普からんとす」と,日本に東西文明の仲介者,新文明の発信者という使命と希望を与えている。なお,両書には環境決定論に傾いた記述や,特に『The earth and man』には人種差別的な記述も観られる。後年(~1930年)は聖書解釈による,神の創造物中における人間の優位性など,自然愛好家としての内村に好感を示す読者を失望させる記述も観られるが,これは内村の地理学が宗教的地理学である以上,免れえない帰結といえるかもしれない。生涯を通じて内村の思想のバックボーンには地理思考があったといえる。
著者
大西 健太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2022年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.134, 2022 (Released:2022-10-05)

目的:デジタル化が進行しているアニメーション産業において、以前より地理的な近接性の必要性が薄れてきている。しかし、依然として東京一極集中の産業立地に大きな変化は見られない。一方で、地方にスタジオを新たに設けたり、移設したりする事例が増えてきた。以上のような状況下で、アニメーション産業集積はデジタル化によってどのような変化をしているのか。なぜ未だに東京に集積しているのかに着目して研究を進めた。研究方法:聞き取り調査と文献調査を用いて調査を進めた。2021年10月から12月の2か月間で聞き取り調査を行い、並行して統計などを分析した。聞き取り調査先はアニメーターを養成している専門学校6校とアニメーション制作会社1社、法人である。結果:東京においてアニメーション制作会社の数は増加傾向にある。 多くの制作会社がデジタル機器を導入し、工程を効率化しているが、多くの課題が残っており、業界内でのシェア率は大きく高まっていない。また、アニメーション産業では過酷な労働状況が問題となっている。昼夜を問わない作業や低賃金労働などが代表的であり、若いアニメーターがすぐに辞めてしまったり、別産業への人材の流出が起きたりしている。これらは、集積による利益が、副次的に不利益を生み出したと本研究では考える。 東京で長年集積してきたアニメーション産業だが、近年地方へ工程の一部を移転する事例が増えている。移転した会社からは地方での制作のメリットが多く述べられた。インタビュー結果やインターネット記事の事例から、地方への進出条件を以下の4つにまとめた。① 作品制作やグロスを受注できる取引関係が構築されている② 完成したものを共有や運搬できるルートが確保されている ③ 人材を調達できる ④ 地方に行くメリットを見出している 考察:インタビューや統計より、産業集積からの大きな分散は見られなかったが、デジタル化を起因とする集積内部の変容がわずかながら見られた。CG会社が新たに多く参入したことによって、渋谷区を代表とする都心部にもアニメーション制作が波及してきた。 デジタル化は進んでいるが、東京での集積は依然として強固なものであった。その理由として、アニメーション産業の脆弱性が上げられる。制作会社は小さな規模が多く、制作に依存した経営体制をしている。東京で制作することは、集積による負の影響を受けることもあるが、それを容認することで、それ以上のリスクを回避することができ、どの会社も集積内での経営を成り立たせている。
著者
大西 健太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.136, 2023 (Released:2023-04-06)

アニメーション産業は「働き方改革」によって産業構造規模での変化が見られている.東京における産業集積内では大きな変化を求められ,地方への進出も増加傾向にある.本稿では,こういった状況下にあるアニメーション産業集積の動向に関して,集積内部の外部経済や外部不経済の面から考えていきたい.本研究では聞き取り調査及び報告書類を用いて検討・整理を行った. 結果を端的に述べると,外部不経済が進みつつあることがわかった.アニメーターが集積内の柔軟な専門家として流動的に業務を行っているが,勤務時間や報酬に問題があった.これらの改善が求められ,アニメーターの社員化や深夜業務の停止が行われているが,制作会社にとっては固定費の増加になり,負担が生まれている.また,人材不足の解消や人材育成のジレンマを乗り越えるために賃金が上昇し,経営面でも悪化傾向にある.その結果,デジタル化の助力もあり,地方への制作拠点の移転などが起きている.
著者
大西 健太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.126, 2023 (Released:2023-09-28)

国内外問わず,創造産業やコンテンツ産業といったクリエイティブな産業は大都市に集積していることが指摘されてきた.日本においても,アニメーション産業やビデオゲーム産業は大都市である東京都に産業集積を形成している.本発表で扱うアニメーション産業も東京都に85%が集中しており,都内の制作会社の数は2020年時点で692社に及ぶ.東京都の制作会社数は増加傾向にある一方,全国の制作会社数に占める割合は減少傾向にある.これは,アニメーション産業の地方進出を示しており,地方圏においてもアニメーション制作ができる環境が形成されるようになったといえる. アニメーション制作会社の地方進出に関する研究の蓄積は未だに浅い.現段階で地方に進出している企業に関する学術的な分析は,今後の地方圏における産業誘致策やアニメーション制作会社の立ち上げに大きな意義をもたらすと考えられる.以上のことから,本研究では地方圏に立地するアニメーション制作会社の取引ネットワークや成立過程,地域とのつながり等に着目し,現時点での地方でのアニメーション制作の現状を整理することを目的とする.本研究はアニメーション制作に関連する企業や団体・個人に対する聞き取り調査をもとに分析・考察を行った. 課題を整理すると,地方で制作を続ける上で問題になってくるのは,取引ネットワークの構築と市場の確保であった.取引ネットワークが構築されていなければ,仕事を請けることも発注することもできない.また,地方において市場が確保されていなければ,東京の制作会社の下請けとしての機能が大きくなり,地方で制作を行うメリットが薄れてしまう.これらの二つの問題を解消することが,地方での制作を持続的に行うために必要な要素である. なお本発表は,地方におけるアニメーション制作現場に関する調査の経過報告であり,あくまで事例に過ぎない.今後調査をさらに進め,地方進出が進むアニメーション産業の全体像の把握に努めていく.
著者
池 俊介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.131-153, 1986-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
8 7

わが国にかつて広範に存在した入会林野は,主に明治以来の政府の入会林野解体政策によって,その多くが解体していった.しかし現在でも,近代的所有形態をとりつつも,実質的に入会林野としての性格を維持している例がかなり存在している.本稿では,財産区という所有形態で旧入会林野を維持し,観光事業に利用している二つの集落をとりあげ,旧入会林野の有効利用の実態を明らかにするとともに,財産区をめぐる諸問題についても考察した. その結果, (1) 1960年代からの白樺湖・蓼科高原の著しい観光地化の中で,財産区は土地貸付・直営観光事業によって莫大な収益を得,財産区民の生活水準の向上に利用されていること, (2) 観光地化による財産区の事務量増加の中で,人事面において問題を生じていること, (3) 財産区制度の矛盾により,財産管理面で観光地化による新来住民の存在が問題化していること, (4) 財産区収益の増大により,市当局の行政面での圧力が増す可能性が生じてきたこと,などが明らかとなった.
著者
相馬 秀廣 田 然
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.201, 2010 (Released:2010-06-10)

1.はじめに 従来,遺跡研究は考古学,文献史学,建築史,美術史ほかの分野が中心で,地理学分野が貢献できる範囲はかなり限定的であった.しかし,Corona,IKONOS,QuickBird(以下,QB)などの高解像度衛星写真・衛星画像(以下,高解像度衛星画像)の普及は,それらのデジタル化とともに,遺跡研究における地理学分野の有効性・重要性を高めることとなり,とりわけ,樹木が乏しい乾燥・半乾燥地域では顕著である(SOHMA,2004,相馬ほか,2007,白石ほか2009,ほか). その背景には,1)地理学では,空中写真判読などによる,対象地域の上空からの空間的解析が基礎的研究法として定着,2)考古学では,環境考古学(Geo-Archeology)を含めて,遺跡から様々な情報を抽出するものの,視点はほぼ地表付近に限定され,調査対象地を遺跡周辺へ拡大して立地条件などの詳細な検討は,一部を除くとあまり実施されていない,3) 文書(木簡などを含めた文字資料)は,遺跡自身あるいはその歴史的背景などについて重要な情報を提供する場合はあるものの,それら単独ではなかなか利用しにくいのが実情,などが挙げられる. また,デジタル化された高解像度衛星画像は1シーンで少なくとも数km程度の範囲をカバーしており,小縮尺スケール(数km以上)からズームアップすることで大縮尺スケール(数m程度)までの範囲の対象に対応が可能である.1枚あるいは一組の空中写真は,撮影スケールにもよるが,検討可能な範囲が衛星画像などに比べて限定的である.加えて,研究対象地域が海外の場合には,入手自体に障害が大きい場合が多い. そこで,遺跡調査に際して,高解像度衛星画像(写真)判読を基礎として,考古学・文献史学の情報と連携した,地理学的研究法,すなわち,衛星考古地理学の有効性が浮上する. 以下,いずれも乾燥地域に分布する,中国のタリム盆地楼蘭,内モンゴル西部黒河下流域,モンゴル中部の遺跡を取り上げ,衛星考古地理学の有効性について検討する. 2-1.黒河下流域,前漢代居延屯田におけるBj2008囲郭 年降水量50mm以下の黒河下流域には,前漢代,居延屯田が設置された.QB画像(地上解像度約60cm)の判読により従来 未報告のBj2008囲郭の存在が確認され,現地調査により前漢代の囲郭であることが判明し(相馬ほか,2009),さらに,既知 の2つの囲郭および3つの候官などの主要な施設の空間的配置,農地と主要な放牧地の土地利用と土地条件の関係などを検討した結果,当地域の屯田開発が計画的に実施されたことが明らかとなった(相馬ほか2010,SOHMA et al, 2010).それらは,当地域の屯田開発に関わる従来の解釈を大きく変更させるものとなった. 2-2.楼蘭地区の漢代伊循城とLE遺跡 超乾燥地域である楼蘭地区には,文書によれば,BC77年(あるいは同65年)に伊循城が建設されたがその位置は,未だ確定していない.楼蘭地区では,LE遺跡は,Coronaの判読により LA,LK,LLなど囲郭とはヤルダンを形成した卓越風の風向との関係が異なること(SOHMA, 2004),また,その城壁は漢代の敦煌付近の長城壁と同じ建築法による(Stein,1907)ことなどが判明している.QB画像の判読により,LE囲郭のサイズが前漢代の居延屯田の主要3囲郭とほぼ同じで,卓越風の風向との関係も同様であることが判明した.さらに,QB画像では,LE囲郭の付近に,周囲のヤルダンよりも明らかに比高が小さく,耕地跡の可能性が高い方形の土地パターンが存在している.以上のことは,LE遺跡は上記の伊循城である可能性が極めて高いことを示している. 2-3.モンゴル中部,フンフレー遺跡群 ウブルハンガイ県フンフレー遺跡群は,ベガ・ボグド山地北東麓にあり,モンゴル帝国初期の首都カラコラムと南の黒河下流域のエチナをつなぐ南北縦断路と,を通るモンゴル高原の東西交通路の交点に位置する.同遺跡群は,豊富な湧水を利用した農耕地域であり,カラコラムへ食糧の供給地であることが判明した(白石ほか,2009). 本研究は,平成21年度科学研究費補助金基盤研究(A)(2)(海外)(19251009)「高解像度衛星データによる古灌漑水路・耕地跡の復元とその系譜の類型化」(代表:相馬秀廣),同(A)(18202024)「モンゴル帝国興亡史の解明を目指した環境考古学的研究」(代表:白石典之)による研究成果の一部である.
著者
中村 友美 鈴木 秀和 山川 信之 市川 清士
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2022年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.168, 2022 (Released:2022-03-28)

1.はじめに 地下水は,上水道事業が広く普及された今日においても重要な水資源として多くの地域で利用されている。一方,人為的影響を伴った地下水は,沿岸に発達する生態系への影響などが問題視されている。琉球列島南部の八重山諸島東端に位置する石垣島白保地区の前面海域には,サンゴ礁をはじめとする貴重な自然環境が残っている。しかし,白保地区の地下水に関する詳しい報告は少ない。このような状況を踏まえ,本研究では,更新世の琉球石灰岩上に位置する白保地区を対象に水位変化および水質調査を行い,白保地区における現時点における地下水の諸特性を明らかにすることを目的とする。2.調査方法 水位観測は,汀線から内陸部にかけて調査測線を設定し,3地点にロガー(自記記録計)を設置した(図1)。データ取得期間は,2020年9月3日から約1年である。No.2は地面標高が確約していないため,データ解析にはNo.1およびNo.3を使用した。潮位データは,気象庁が観測および公開している1時間間隔実測潮位を使用した。また,測水調査は, 2020年9月10日~12日及び2021年9月6日に実施した。調査地点は,民家の井戸を対象に,2020年に14地点,2021年に10地点調査した。井戸の状況をふまえて地点数は異なっている。現地では気温,水温,EC(電気伝導度),地下水位を測定した。採水した試料は,駒澤大学地理学科の実験室で主要溶存成分の分析を行った。 3.結果および考察 1)地下水位の観測結果 今回得られた地下水位の観測結果では,潮汐変動の影響を顕著に受けていることが認められた(図2)。無降雨時の2020年9月17日~19日の範囲をみると,各地点とも潮位のピーク後に水位のピークを迎えていることが分かる。その時差は,無降雨時の満潮時にそれぞれNo.1およびNo.3で,約1時間,約2時間であり,干潮時は約2時間,約3時間であった。汀線からの距離によって時差が異なり,それぞれ満潮時と比べ干潮時の時差が大きいことが分かる。また,9月18日の水位の振幅は,潮位の振幅が1.84mの時にNo.1で0.83m,No.3で0.53mと内陸へいくほど小さくなる。2)水質調査結果 水質組成は,全体的にNa-Cl(アルカリ非炭酸塩)型を示した(図1)。海岸に近くになるほど,Na+,K+,Mg2+,Cl-,SO42-濃度が高くなり,内陸部になるとNa-Cl型ではあるが,全体に占めるCa2+とHCO3-濃度が沿岸付近よりも高くなり,海水の影響度が低くなることが判明した。しかし,汀線と平行に海水の影響度は低くならず,調査地点の北側と南側で異なる傾向を示した。調査地点の北側では,陸域の地下水中に多く含まれるCa2+・HCO3-・NO3-,南側では,Na+・K+・Mg2+・Cl-・SO42-が相対的により多く含まれていたが,海水とその影響がない地下水(石垣島鍾乳洞)のCl-濃度を用いた二成分混合モデルにより各井戸への海水の混合率を求めたところ,2020年の調査では約1~8%,2021年の調査では約3~22%であった。汀線からほぼ同距離であるが,北側と南側では,約2倍の差があることが分かった。潮汐による溶存成分量の変化は,大きく表れなかったものの,微量な変化は認められた。4.まとめ 本研究では,琉球列島南部の八重山諸島東端に位置する石垣島白保地区における地下水の水位変化及び水質調査を行った。その結果,地下水位は,潮位と位相差が生じているものの,潮汐と対応して周期的な変動をしていることが明らかとなった。水質調査の結果も兼ねて,井戸への直接的な塩水遡上はないものの,海水および地下水が地下内部で連続していると判断できる。
著者
栗林 梓
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.184, 2023 (Released:2023-04-06)

Ⅰ はじめに 日本では大学進学率が上昇し,同年齢人口の50%以上が大学に進学するようになった.しかし,中には,経済的,心理的負担の問題から離家を伴う大学進学を諦める者もいる.大学進学・学生生活における学生の経済的,心理的負担を軽減し,彼ら/彼女らの教育を支えていくことは,社会的に重要な問題といえる. このような問題へのアプローチの一つとして,教育の地理学的研究においては学生の教育空間を多様な関係性の中で捉え直そうとする動きが強まっている(中澤 2022).栗林(2022b)は,中でも住まいとの関係性に注目し,上述のような問題にアプローチする可能性を示した.住まいの中でも学生の経済的,心理的負担の軽減という意味では学寮に期待が寄せられてきた(例えば, 日下田 2006).しかし,その意味を考察するには,寮生が大学進学・学生生活の中で学寮をどのように位置付け,経験してきたのかを解明しなければならないが,そのような議論は十分になされてこなかった. Ⅱ 研究目的・方法 そこで,本発表では学寮の一形態である県人寮に着目して,大学進学・学生生活においてそれらが経済的,心理的に学生を支える可能性と課題について明らかにすることを目的とする.ここで特に県人寮に着目したいのは,進学先での同郷者の存在が,大学進学・学生生活において心理的な支えとなる可能性が考えられるためである(遠藤 2022).また,県人寮の事例として長野県の県人寮の1つである信濃学寮(男性専用)を取り上げる.信濃学寮は全国学生寮協議会に加盟する41の県人寮の中でも,寮費が最も安価な部類である.また,定員が100名を超える比較的規模の大きい11の県人寮の1つである.さらに,長野県は大学教育の需要の割に大学教育の供給が少ない県のひとつであり,大学進学にあたっては経済的,心理的負担を伴う離家が必要となる場合が多い(栗林 2022a).以上,負担の軽減やデータの入手可能性といった側面から信濃学寮に着目することに一定の意義があると判断した. まず,県人寮の歴史や実態を把握するために,県人寮に関する新聞記事や運営母体の会誌を収集するとともに,信濃学寮の事務局に対して聞き取り調査を行なった.また,大学進学・学生生活における県人寮の可能性と課題について考察するため,寮生に対するアンケート調査を行なった(90部配布,71部回収).アンケート調査では寮を知った契機や入寮理由,寮生活のメリット,デメリットなどを中心に基礎的な事項を把握した.さらに,卒寮前の寮生を対象に,聞き取り調査を行なった(継続中).聞き取り調査では,アンケートの回答に関する質問に加え,大学進学までの人生や学生生活,将来展望などについて寮生に自由に語ってもらい,1時間〜1時間半程度の生活史を聞き取った. Ⅲ 結果および当日の議論 いま東京の県人寮は減少傾向にある.これは,経営難,老朽化,入寮生の減少によるところが大きい.1933年に完成した信濃学寮も入寮者は減少傾向にある.それでは東京の県人寮は役目を終え,不要になったのだろうか? 筆者は,調査結果からも,そのような結論は早計であると主張したい.例えば,信濃学寮の強み(魅力)として,60名が「経済的負担」挙げている一方で,50名が「食事」を,30名が「寮生間交流」を挙げている.寮生の語りからは,これらが学生生活における心理的な支えとなっていることがわかる.もちろんこれらの要素に価値を見出す程度には個人差がある.しかし,やはり寮生の語りからは,寮生が信濃学寮をホームとすることにより学びの継続を可能としている側面があることを理解できる.各地の県人会がその意義を変化させながら存続してきたように(山口2002),信濃学寮も運営母体や理念,役目を変化させながら,長野県出身子弟の大学進学・学生生活を支え続けている. 発表当日は,アンケート調査の結果や学生の語りを拠り所としながら,上述の議論を深めてみたい.また,大学進学おける離家や,彼ら/彼女らを都市空間の中で捉えようとする理論,概念,先行研究での議論が,教育を取り巻く構造の中で,どうにかして東京に進学し学びを継続しようとする学生の存在を周縁化してしまう恐れがあることに若干の批判的検討を加えながら考察を展開したい.
著者
船引 彩子 中村 絵美 田代 崇 林崎 涼 亀田 純孝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.251, 2023 (Released:2023-04-06)

1. 北海道の湿原開拓 北海道南部,渡島管内山越郡長万部町に位置する静狩湿原は,太平洋(内浦湾)に面した海岸平野に形成された湿原で,北海道の低地に発達する高層湿原の南限とされている.当地では戦後の食糧増産を目的に進められた開拓により,200ha以上の面積の高層湿原を含む,1950haの湿地が失われた.本稿では静狩湿原の戦後開拓とその後の変化について,静狩湿原の開拓が進められた時代背景や気象条件,具体的な戸数や生業の変化,近隣自治体との比較から,論考を行った. 2. 北海道における戦後開拓と酪農 戦後における北海道の開拓地で,その後の離農や酪農への転換などの過程が調べられた研究例は多い.道東の根釧地区では1932年の大冷害をきっかけとして乳牛飼育が普及し始めた.道北の日本海側に位置する上サロベツ原野では戦後の緊急入植後,1950~1965年に冷害による離農の増加と酪農専業への転換が進み,第二次世界大戦後の酪農振興法(1954)も乳牛頭数を増大させている.3. 静狩湿原の気候 長万部町が面する内浦湾では,夏にオホーツク海高気圧の影響を受け,やませによる冷夏となり,海霧が発生することも多い.気象庁のデータによると、長万部町の夏季(6〜8月)の月平均日照時間は道東で酪農のさかんな別海町よりはわずかに長いが,米作りのさかんな道央の岩見沢市,ジャガイモ生産のさかんな道東の帯広市などより短い. また同じ道南地域においても,長万部町は日本海側に近い自治体より日照時間が少ない傾向がある. 長万部町に隣接し,同じく内浦湾に面する八雲町では,早くに水稲栽培を試みたが失敗しており,その理由の一つに夏季の海霧による日照不足が挙げられている(安田,1964). 冷涼な気候の道東や道北では農地開発が盛んに行われず,湿原面積の減少が道央や南西部ほどではなかったとされる.しかし本研究で対象とする静狩湿原の場合,緯度が低い道南地域の中では比較的冷涼な気候であるが,農地開拓のために湿原の9割以上が失われており,個別のケースとして検討する必要がある.4. 開拓地の集約と酪農への転換 静狩地区では戦後の開拓当初,一戸当たり7.5haの土地をあてがわれ,100戸以上が入植した.当初は稲作やジャガイモの栽培を想定していたが,現在は50ha以上の農地を持つ2戸の農家が酪農に従事している. その理由としては近隣で第一次世界大戦後から酪農先進地域であった八雲の影響も強いが,長万部町の気候が冷涼で稲作や畑作が難しかったこと,開拓地での離農者の増加や農用地転売が一戸当たりの農業経営面積拡大につながり,農家戸数が減少したことなどが挙げられる.
著者
小泉 佑介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.400-411, 2023 (Released:2023-10-05)
参考文献数
18

本稿では,COVID-19パンデミック下で実施されたインドネシアの2020年人口・住宅センサスについて,政府資料やメディア報道,および中央統計庁職員への聞取りをもとにその実態を解説する.インドネシアの2020年人口・住宅センサスは,COVID-19の感染拡大によってさまざまな変更を迫られた.特にジャワ島のほぼ全域と外島の都市部における訪問面接調査が中止されたことで,同地域の人口データが,氏名,性別,続柄といった基礎情報のみに限定された.その背景には,COVID-19パンデミック対策に向けて2020年度の政府予算が再編され,2020年人口・住宅センサスに関する予算も大幅な削減を余儀なくされたことが大きく影響していた.インドネシアの2020年人口・住宅センサスは,以前のデータとの整合性を維持できなくなったことから,今後は人口センサスの調査方法の方針も大きく変わっていくと考えられる.
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100143, 2017 (Released:2017-10-26)

<はじめに>地域では様々な祭りが執り行われているが,そうした祭りの多くは,地域社会との強い結びつきのもとにあるといえよう.これまで祭りと地域社会との関係に関しては豊富な研究蓄積がみられる.中でも地理学の研究に目を向けると,たとえば,古田(1990)は,新住民の流入により,祭りの意味が伝統的な行事から子どものための行事へと変容したことを明らかにしている.また,平(1990)は,地域社会において祭りの担い手が不足する中,祭りを執り行うスケールを広域化することで,祭りが維持されることを示唆した.こうした祭りと地域社会との関係をめぐる研究では,主として存続している祭りに焦点があてられてきた.しかし,地域社会が変容する中,そうした変容に適応し,存続する祭りがある一方で,中断や消滅に至った祭りも多く存在する.そのため,今日における祭りと地域社会の関係をより詳細に理解するためには,そうした祭りにも目を向ける必要があるだろう.<BR> そこで本研究は,地域社会の変容により中断したものの,再生され,再度中断に至った祭りを事例とし,従来と再生後の祭りの比較を通じ,祭りと地域社会の関係を考察することを目的とする.具体的には,秩父市荒川白久地区の天狗祭りを対象とする.<BR> 本研究で使用するデータは,実行委員長をはじめとする天狗祭りの中心人物や,荒川白久地区の住民10名に対して実施したインタビュー調査により収集した.また,従来の天狗祭りの郷土資料やフィールド調査で得られた情報も分析に使用する.なお,本研究では,荒川白久地区の中でも,天狗祭りの再生において中心的な役割を担った後述の上白久町会に特に注目する.<BR><対象地域と地域住民組織の概要>本研究の対象地域である荒川白久地区は,2005年に秩父市に編入された旧荒川村の一部で,中山間地域として特徴付けられる.2015年の国勢調査によると,人口は846人で,高齢化率は41.1%と,高齢化の進んだ地域といえる.荒川白久地区では,40から70世帯ごとに集落区という地域住民組織が編成されている.同地区にはこの集落区が7つ存在する.他方で,上述の編入合併の際に,2から3の集落区をまとめた,町会という地域住民組織が新たに設けられた.<BR><天狗祭りの再生と中断>天狗祭りは,山の神をやぐらに迎え入れ,やぐらを燃やすことで山へと返すという儀礼的な意味を持つ民俗行事で,小・中学生の男子が中心となって,毎年11月に開催されていた.従来,同祭りは旧荒川村の集落区ごとに執り行われてきたが,中でも原区という集落区のものは,埼玉県の無形民俗文化財に登録されている. 1960年代頃になると,同祭りは夜遊びや火遊びとして捉えられるようになり行われなくなっていった.1970年代以降は上述の原区でのみ継続されていたが,同区でも2011年を最後に休止となった.<BR> そうした中,2015年に地域住民の呼びかけにより天狗祭りが再生された.その際,従来の集落区ではなく,より広域な地域住民組織である町会において祭りが執り行われた.しかし,住民の一部から祭りに対する異論が投げかけられ,翌年,天狗祭りは再度中断となった.<BR> 再生された天狗祭りは,祭りの意味や活動内容が従来のものとは異なる点が多くみられた.従来は,主に子どもたちを中心に集落区を単位に行われていた.また,祭りに必要な諸経費は住民からの灯明料によって賄われていた.しかし,再生された天狗祭りは,60から70歳代の住民を中心に,町会を単位に実施された.そして,諸経費は,灯明料ではなく,有志の住民からの協賛金というかたちの寄付で賄われた.また,従来の天狗祭りでは,祠への参拝をはじめ,神事に関わる活動が重視されたが,再生された天狗祭りでは宗教色が極力排除され,地域内外の人々の交流が重視された.その重視する点の違いから,開催場所も人家から離れた場所から,住宅地付近へと変更された.天狗祭りの再生において,祭りを執り行う単位が集落区からより広域な町会となったことは,結果として祭りの再生に賛同し活動に参加する地域住民を集めやすくなったといえる.地域住民からは,再生された天狗祭りに対して懐かしいという声がきかれた一方で,内容や開催場所が従来とは異なることや,火を炊くことに対して否定的な声もきかれた.<BR><まとめ>天狗祭りは,祭りを執り行う単位の広域化や子どもが不在でも実施可能なものへと内容が変更されたことで,一度中断したものの,再生まで至ることができた.しかし,神事であることや子どもが主体といった従来,住民が重視していた点が失われたことで,当時の様子を知る住民が少なくない中,地域社会が一枚岩となって祭りを支えることはできず,新しいかたちの天狗祭りは継続することはできなかったと考えられる.
著者
畔蒜 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.35, 2023 (Released:2023-09-28)

1. 問題の所在 厚生労働省の報告によれば,2022年4月における全国の待機児童数は2,944人であり,2017年(26,081人)以降減少傾向にある.その一方で,近年は希望する保育所に入所できなかった世帯や育児休業の延長によって対応した世帯など,待機児童の定義や数値には含まれない「潜在的待機児童」が耳目を集めている.保育所に入所させるための活動が「保活」と称されるように,保育サービスの利用は世帯の就業や生活の状況と密接に関係しており,社会的再生産において重要な位置を占める.したがって保育ニーズを議論する上では,待機児童数や保育所の定員数・利用児童数といった量的指標に拠るのみならず,サービス利用者の具体的な経験に内在する需要をとらえる視点が重要となる.これを踏まえて本報告では,ウェブサイト上に公開されている保育所利用者の体験談を読み解くことで,東京大都市圏(東京都,埼玉県,千葉県,神奈川県)における保育ニーズを質的側面から検討し,その実態と保育労働との関係性を考察することを目的とする.2. 分析対象 分析対象とするデータは,マンション購入等のコンサルティング会社が運営するサイト「住まいサーフィン」内の「パパ・ママ保活体験談」ページ上に,2022年1月から2023年6月までに投稿された165件の記事である.投稿者の属性は母親が129件,父親が36件であり,フルタイム勤務者が全体の約73%を占める.投稿者が利用した保育所はすべて東京大都市圏内に所在しており,うち約78%が認可保育所であった.投稿者の多くは2019年から2022年にかけて「保活」を経験しており,入所当時の子どもの年齢は0歳から2歳までが全体の約88%を占めていた. 保育所を利用した契機は,家計のために共働きが必須であった点,および身近に預けられる親族や知人がいなかった点が共通する傾向にあった.他方で,あらかじめ職場復帰を念頭に置いていた,日中子どもから離れるために就職先を探すといった,自らのキャリアやライフスタイルを重視する過程で保育所の利用を選択した例もみられた.3. 保育所利用者の体験談 保育所入所後の体験談からは,行事イベントや保護者会の実施,連絡帳によるやり取りが必要か否かといった,相反する保育ニーズの実態が描き出された.また,子どもを預けなければ働けない状況である一方,集団生活が基本となる保育所では子どもが体調を崩す頻度も多く,休園対応に苦労する声も散見された.保育所の利用にあたっては,厳格な送迎時間が1日のタイムスケジュールを規定している状況が示唆され,夫婦間での送迎役割の分担や,ベビーシッターサービスなどの積極的な利用を推奨する意見が挙げられていた. 投稿内容でひときわ目を引くのが,子育てをする上での息抜きに関する記述である.ここでは,父親の投稿者が自身のリフレッシュや家族で過ごす時間を挙げている点に対し,母親の投稿者は家事や育児から解放された「ひとりの時間・空間」をいかに作り出すかを重視している点が特徴的である.これに加えて,有給休暇等で平日に休みを取得した際に,子どもを保育所に預けることで自身の息抜きの時間を作り出すような例も多くみられた.4. 考察 多くの子育て世帯にとって,保育所の利用は日常生活を維持する上で必要不可欠となっており,保育サービスには従来の福祉的な側面にとどまらず,いつでも・どこでも利用可能な社会インフラとしての側面が求められている.その背後には本報告の事例が示唆するように,依然として母親に育児負担が偏っている状況がある.母親の多くは自身の子育てから解放された時間・空間を必要としており,それは時に,休日に子どもを預けることで実現されている.加えて,保育所には単に預ける以上の役割が求められるようになり,ニーズが相反するような状況も見受けられる. こうした状況に対応を迫られるのは,まさしくサービスを提供する保育所側であり,そこで働く保育労働者である.社会インフラとしての保育サービスを支える保育労働者の就業や生活の状況,保育ニーズの質的多様化と保育所の労働力編成との関係性などを明らかにしつつ,保育サービスの需給構造や社会的再生産をめぐる議論を展開していく視座が求められる.
著者
水野 一晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.134, 2008 (Released:2008-07-19)

インドのアルナチャル・プラデシュ州(アッサム・ヒマラヤ)は、ブータンと中国・チベットとの国境に近く、22-24のチベット系民族(細分化すれば51民族)の住む地域である。長らくインドと中国の国境紛争が続き(現在でも中国の地図では中国領)、最近まで外国人の入国が禁止されていたため、未知の部分が多く、神秘的な領域である。現在外国人が入域をするためには、国と州の入域許可書が必要で10日間以内の滞在が認められる。今回は2007年7月の予備調査、とくにディラン・ゾーン地域の自然と人間活動について報告を行う。 1. 地形と土地利用:住居や農地の多くは、地滑り斜面と崖錐斜面に立地している。それらの地形はその形状と堆積物から住居と農地の立地に有利であると考えられる。 2. 森林利用:農地の肥料は樹木の落葉のみが利用されるため、落葉は住民にとって重要な財産になっている。森林は森林保護地域と非保護地域に区分され、それぞれ住民による利用の仕方が異なる。また、土地の所有者、同一クランの者とそれ以外の者では落葉の利用権が異なる。 3. 農業:農耕は標高2400m以下(稲作は標高1700m以下)、牧畜(ヤク)は標高2000m以上で行われている。放牧地は樹木を人為的に毒で枯死させてつくられ、そこではバターやチーズが現金収入になっている。 4. 住民の定着と農耕の起源:同じアルナチャル・プラデシュ州のジロ地域では、各所の露頭でみられる埋没腐植層の14Cの年代から、2000年前頃には人が定着し、500年前頃には焼畑が盛んであったことが推測される。ディラン・ゾーン地域の水田下から発見された埋没木の年代は、14C濃度から1957年-1961年のものと推測されるが、今後さらに埋没木や埋没腐植層を探し、タワン-ディラン・ゾーン地域で農地が拡大した時代を明らかにしていきたい。
著者
塩崎 大輔 橋本 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.301, 2020 (Released:2020-03-30)

1.研究目的 高度経済成長期以降,日本では大規模リゾート施設や大型保養地が各地で開発され,北海道や東北,本州内陸部といった積雪地域ではスキー場を中心としたスキーリゾート開発が進められた.しかしバブル経済の崩壊とともに,スキーリゾート地域は長らく低迷の時代を迎えた(呉羽,2017).しかし,2000年代後半から一部スキー場は外国人からの注目を集め,スキー場周辺の再開発が見られるようになった.北海道虻田郡倶知安町に位置するニセコグランヒラフスキー場もその一つである.グランヒラフスキー場が位置する倶知安町字山田はバブル経済とともに開発が活発化し,また開発エリアも泉郷や樺山といった隣接エリアにまで拡大していった.しかしバブル経済の崩壊とともに開発行為が停滞し,2000年代後半から外国人による開発が急拡大した(塩崎・橋本,2017).現在では6階以上の高層階を有する分譲型の建物が建築されているが,こうした不動産の実態は未だ不明である.そこで本研究は不動産登記情報をもとに,ニセコヒラフ地区における建物および不動産所有の実態を明らかにし,空間特性および課題を議論することを目的とする.2.研究対象地域及び研究方法 研究対象地域は北海道虻田郡倶知安町字山田,道道343号からグランヒラフスキー場にかけてのエリア(以後ヒラフ北部地区と称す)とする.本研究はまず,不動産の登記情報723件をデータベース化する.登記情報を収集するにあたっては,ZENRIN住宅地図の2017年度版に記載されているヒラフ北部地区の建物を対象とした.次に登記に記載されてある建物情報及び所有者情報から,不動産及び不動産所有の実態を明らかにする.さらに建物の立地及び建物情報,所有者情報からニセコヒラフ地区における現在の不動産及び不動産所有の空間特性を議論する.最後に当該地区の不動産と災害リスクについて考察し、これらの分析結果を総合し本研究はニセコエリアにおける地域開発を議論する。3.研究結果まず登記情報を集計した結果,ヒラフ北部地区の専有部種類は12種類登録されており,最も多いのが「居宅」で451件であった.次いで多いのが「ホテル」で114件であり,「物置」47件,「店舗」27件と続いた.建物毎に集計すると,建物内に50件以上の「居宅」を有する建物は4棟存在した.これらの建物は一般的な宿泊予約サイトにも掲載されており,「居宅」で登録された部屋が宿泊施設としても利用されている. 次に各専有部の所有者の変化を見ると,表題部に記載された所有者の所在が,倶知安町で236件と最も多かった.次に札幌市が213件と多く,東京都が85件,オーストラリアが85件,神奈川県が49件,マレーシアが4件であった.しかし売買などを経た最終的な所有者は,最も多いのが中華人民共和国で210件,次にオーストラリアが101件,シンガポールが82件とアジア圏の所有者が増加している一方で,倶知安町が32件,札幌市が19件と激減している.これにより北海道のディベロッパーがヒラフ北部地区を開発し,専有部をアジア圏の富裕層に販売している実態が明らかとなった. 各建物の立地時期を年代別に分けて表示すると,多くの建物が2010年代に開発されたものということが見てわかる(図1).また西側から南側にかけて沢が存在するが,この沢に沿う形で建物が並んでいる様子もわかる.もともとヒラフスキー場は沢に挟まれた狭矮な土地であり,地形的制約から開発が拡大しにくいため,飛び地的に泉郷や樺山エリアが開発されてきた.しかし近年ではこの沢付近でも開発が行われる傾向があり,そうして開発された建物を多くの外国人が所有する実態が明らかとなった. こうした地形は災害リスクも伴う.ヒラフ地区は沢地形のような急傾斜地が多いため,土砂災害エリアが設定されており,図1で示された多くの建物がこのエリア内に存在する.またこれらの建物には外国人オーナーはもちろん,宿泊施設としても多くの外国人が来る.こうした人たちに災害情報をどのように伝達するのか,また災害発生時にどのようにアプローチするべきなのかを検討する必要があると考えられる.
著者
于 燕楠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.49, 2021 (Released:2021-03-29)

1. 目的と方法需要発生地によってインバウンドの訪問パターンには特徴がみられる.典型的な例として,台湾の団体旅行は地方を含めた全国へ拡大する傾向にある一方,中国の団体旅行は東京—大阪間のゴールデンルートに偏在している.地方訪問について,台湾人の地方志向と中国人の都市志向がよく知られているものの,その要因を検討する実証研究は必ずしも十分とは限らない.地方における台中の訪問パターンを相対化する具体例によって,異なる分布傾向をもたらす要因がわかる可能性がある.本稿の目的は,富山県に訪問する台湾発と中国発の旅行商品の訪問地を明らかにし,その分布要因を考察することである.具体的には,2019年1年間の富山県を経由する台湾389件と中国258件の旅行商品を資料とする分析と,2020年12月に旅行業者を対象とする聞き取り調査を実施した.旅行商品の分析では,目的地をノード,目的地間の移動経路をリンクとして抽象化し,旅行商品をネットワークの視点でとらえる.両ネットワークの面的な分布傾向,線的な周遊ルート,点的な目的地の3つのスケールに着目し,聞き取り調査を踏まえて分析結果を考察した.2. 結果と考察台中両ネットワークとも,白川郷と金沢をハブとする構造を有している.富山県を訪れる旅行商品であるものの,富山県は必ずしも主要目的地とは限らない.市町村単位で集計した訪問地の分布について,台湾の旅行商品は訪問地が80箇所と多いこと対し,中国のものは44箇所と旅行範囲が比較的限定されている.特に台湾のツアーには,富山県朝日町や新潟県糸魚川市などの中小都市の多いことが顕著である.これらの地区が中国のツアーに現れていない要因は,商品化までの知名度に欠けることだと考えられ,「造成しても販売が困難」との聞き取り調査の回答と整合的な結果となった.また,周遊ルートの地域差も確認できた.聞き取り調査の結果を参考にし,コミュニティ抽出手法で捉えた周遊ルートを「昇龍道」「アルペンルート周遊型」「ゴールデンルート拡張型」「近畿—北陸周遊型」の4類型にまとめた.地方志向の「昇龍道」「アルペンルート周遊型」が共通しているものの,「ゴールデンルート拡張型」が中国独自のものとして存在している.この類型では,富山や金沢をはじめとする地方部が大都市の脇役とみられ,中国からの地方訪問を促す一因がゴールデンルートのリニューアルだと分かる.一方,この類型は台湾のツアーに全く登場しておらず,東京—大阪に台中間の温度差が存在している.以上から,地方訪問を指向する台湾と,ゴールデンルートに固執する中国の旅行商品の違いが比較的明瞭にみられる.ほかにも旅行形態・ターゲットの設定・旅行商品Webページの記述の特徴を合わせて見ると,両者が違う成長段階にあることが考えられ,市場の成熟度が訪問パターンの差を生じさせた一因だと考察できる.中国では日本の地方部が観光地として知られるようになった日が浅く,なじみの薄い地方訪問がまだ草創期にありながら,台湾は既に訪日の成熟市場であり,大都市よりも地方志向性が向上している.今後一定の期間を経ることで,台湾のような旅行商品が中国にも現れる可能性がある.しかし,市場の成熟度はあくまでも一因であり,今後は入国制限,旅行業者の経営戦略,旅行動機の差などの要素がどれだけ旅行商品に影響を与えるのかを確認する必要がある.

1 0 0 0 OA ドイツの国境

著者
浮田 典良
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1-13, 1994-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37

Seit der Eröffnung der Berliner Mauer im November 1989 und der Vereinigung der beiden deutschen Staaten im Oktober 1990 hat man sich auch in Japan für das Phänomen der Staatsgrenze sehr interessiert. Bis etwa 1960 sind die Probleme der Staatsgrenze in der Regel nur von der Politischen Geographie untersucht worden. Die Staatsgrenzen behandelte man in den europäischen Ländern und auch in Japan hauptsächlich unter folgenden Gesichtspunkten: a) “frontier” and “boundary” (strategischer Aspekt). b) Grenzverlauf. (Handelt es sich um natürliche oder künstliche Grenzen?) c) Funktionen und Wirkungen der Grenzen. Seither haben die geographischen Untersuchungen über die Staatsgrenzen in Deutschland, Österreich und der Schweiz auch Aspekte der Landschaftsforschung und der Sozialgeographie aufgegriffen. Man kann die Forschungsthemen in drei Gruppen gliedern. A. Analysen der Kulturlandschaft beiderseits der Staatsgrenze: Sie betreffen vor allem (1) die historische Gestaltung der Kulturlandschaft wie Flurformen und Siedlungsformen. Zum Beispiel findet man beiderseits der deutsch-niederländischen Grenze im Emsland unterschiedliche Formen der Moorkolonisation und der Kanalsiedlungen, die auf der topographischen Karte bemerkbar sind. (2) die Differenzierung der landwirtschaftlichen Bodennutzung unter dem Einfluϖ einer unterschiedlichen Agrarpolitik. Unter anderem findet man beiderseits der schweizerisch-österreichischen Grenze am Alpenrhein Weinbau nur auf der schweizerischen Seite. (3) die Unterschiede der Wirtschaftsstruktur beiderseits der Staatsgrenze. Beispiel: In der Oberrheinischen Tiefebene differiert die Erwerbstätigkeit der Bevölkerung auf der deutschen und französischen Seite erheblich. B. Untersuchungen der Beziehungen über die Staatsgrenzen: Sie gelten vor allem (1) den Grenzgängern oder Grenzpendlern. Zum Beispiel kommen von den Niederlanden, Belgien, Frankreich und Österreich viele Grenzpendler nach Deutschland. Dagegen orientieren sich die Grenzpendler von Deutschland aus vor allem auf die Schweiz. (2) den zentralörtlichen Beziehungen. Beispiel: Der Einzugsbereich der Grenzstadt Flensburg reicht auch nach Dänemark hinein. Viele Leute kommen von dort nach Flensburg, um alkoholische Getränke, Schokoladen, Elektroartikel and andere Waren zu kaufen. (3) dem Fremdenverkehr. Der moderne Tourismus zeigt hohe absolute Zuwachsraten in der Form des grenzäberschreitenden Reiseverkehrs. C. Grenzäberschreitende Zusammenarbeit im Bereich der räumlichen Entwicklungsplanung. Im Vordergrund stehen (1) die Verkehrsplanung and das Wirken zwischenstaatlicher Einrichtungen. Beim Neubau der Straϖen und anderer Verkehrswege wird oft eine grenzäberschreitende Zusammenarbeit nötig. Regionale oder kommunale Organisationen, wie EUREGIO Maas-Rhein und Regio Basiliensis gewinnen zunehmend Bedeutung. (2) Aspekt des Umweltschutzes. Die Umweltverschmutzung (tuft, Wasser) sensibilisiert in Grenzregionen zunehmend die durch “die andere Seite” belastete Bevölkerung. Für die Lösung der oft komplizierten technisch-ökonomischen Problem spielt die grenzäberschreitende Zusammenarbeit eine unentbehrliche Rolle.
著者
岡 義記
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.55-73, 1990-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
69

W. M. Davisの地形学は今世紀の前半に全盛時代を迎え,その影響力は今日にも及ぶ.しかし,その影響力ゆえに今日ほどDavisが酷評を受けている時代はない.Davis地形学の中心的概念であった侵食輪廻に焦点をあて,その意義を考え,その歴史的展開と日本の地形学の対応を歴史的に考察した. その結果,侵食輪廻説に含まれる空想とその前提にいくつかの矛盾があったために,それを放棄しなければならない歴史をたどったことを指摘した.また,日本では,その影響を強く受けていたが,侵食輪廻説の根底にある仮定にまでさかのぼる徹底した議論がみられなかったために,それに基づく古典的削剥年代学は温存される結果となったことなどを指摘することができた.
著者
中條 暁仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.78, 2021 (Released:2021-03-29)

近年,過疎山村では残存人口の少子高齢化が顕著に進み,中には高齢人口すらも減少に転じる地域が現れるなど,本格的な人口減少社会に突入している。こうした中にあって,地域社会とともにあり続けた寺院が消滅していくとする指摘がなされている。村落における寺院は集落コミュニティが管理主体となる神社とは異なり,住職とその家族(寺族)が居住し相続する。そして,檀家家族の葬祭儀礼や日常生活のケアに対応することを通じて地域住民に向き合ってきた。いわば寺院は家族の結節点として機能してきたが,現代の山村家族は他出子(別居子)を輩出して空間的に分散居住し,成員相互の関係性に変化を生じさせているため,これに対応せざるを得なくなっている。こうした寺院のすがたは山村家族の変化を反映するものであり,寺院研究を通じて山村社会の特質に迫ることができると考えられる。 ところで,既存の地理学研究では,寺院にとどまらず神社も含めて村落社会に所在する宗教施設は変化しない存在として扱われてきた感が否めない。すなわち,寺社をとりまく地域社会が変化しているにも関わらず,旧態依然とした存在として認識されている。その背景には,伝統的な村落社会に対する理解を目指す研究が多かったこと,現代村落を対象とするにしても研究者が得る寺社に関する情報がかなり限定されたものであることなどから,固定的なイメージで語られる場合が多かったと思われる。 こうした問題意識をふまえると,地域社会の変貌が著しい過疎山村を対象として寺院の実態を明らかにする意義が見いだされる。本発表では,存続の岐路に位置づけられる無居住寺院に注目し,無居住化の実態とその対応の限界を報告する。 報告者は過疎地域における寺院をとらえる枠組みを,住職の存在形態に基づいて時系列に4つの段階に区分して仮説的に提起している。住職の有無が,寺檀関係や宗務行政における寺院の存続を決定づけているためである。第 Ⅰ段階は専任の住職がいながらも,檀家が実質的に減少していく段階である。第Ⅱ段階は檀家の減少が次第に進み,やがて専任住職が代務(兼務)住職となり,住職や寺族が不常住化する段階である。第Ⅲ段階は,代務住職が高齢化等により当該寺院の法務を担えなくなるなどして実質的に無住職化に陥ったり,代務住職が死去後も後任住職が補充されなくなったりして無住職となる段階である。そして,第Ⅳ段階は無住職の状態が長らく続き,境内や堂宇も荒廃して廃寺化する段階である。 このうち,本報告が対象とする山梨県早川町は,第Ⅱ段階にある寺院が多数を占める地域となっており,第Ⅲ段階を経ずして第Ⅳ段階に至るケースもみられるなど,問題は深刻化している。 本報告で対象とする山梨県早川町には日蓮宗25ヶ寺をはじめ,真言宗1ヶ寺,臨済宗1ヶ寺,曹洞宗5ヶ寺の合計32ヶ寺が所在するが,そのうち住職が実質的に在住しているのは日蓮宗の4ヶ寺にとどまる。日蓮宗寺院を調査したところ,1950年代に寺院の無居住化が始まっており,その数を増やしながら現在に至っている。いわば寺院の無居住化が常態化した地域といえる。時空間的遷移をみると北部の奥地集落から無居住化が始まっており,集落の過疎化に伴って進行していることが明らかである。近年は中心集落の寺院においても無居住化しており,住職の後継者が得られなかったことが直接的な要因となっている。 近年増加する無居住寺院をめぐっては,その管理が問題となっている。山梨県早川町では,多くの寺院で儀礼や信仰の空間としての機能を維持するために,代務住職や近隣檀家が境内を管理していた。中には,堂宇の間取りを公民館として改装し,高齢者の「たまり場」,住民による集会の場としての機能を持たせている事例があった。一方で,堂宇の老朽化によって損傷が進み,少数の檀家による復旧が困難に陥っている寺院では,檀家の同意を得て代務住職が廃寺を決断していた。ひとたび自然災害や獣害によって堂宇が損傷すると,廃寺に至るケースもある。 本発表で取り上げた無居住寺院に対しては,今後,存続か廃寺かのいずれかの方向性が想定される。前者の場合は,所属宗派の信仰空間としての機能を維持すべきか,あるいは地域社会の共有空間とすべきかという方向性も検討課題となってくる。後者については,地域社会に開放された「サード・プレイス」としての対応が想定されるし,前者については「少数社会」の構築に関する議論が参考になる。少数の現地在住の住職で,広範に分布する無居住寺院を管理するシステムの構築が求められる。
著者
谷口 真人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.60, no.11, pp.725-738, 1987-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
22
被引用文献数
18 16

新潟県長岡平野における地下水温の形成機構を解明するために,地下水温の時空間分布の観測と熱移流を考慮:した数値解析を行なった.その結果,地下水温鉛直分布の季節変化パターンは特徴的な4つのタイプに分類され,その分布域も地域的な特徴を持つことが明らかになった.また,地下水流動による熱移流を考慮した数値解析により,これらの地域的差異が,地下水の涵養・流出・移流・揚水によって生じたものであることが明らかになった。地下水流動系の涵養域および流出域に出現するタイプは,それぞれ年間を通じた0.01m/dの下向きおよび上向きのフラックスの存在により,恒温層深度が鉛直一次元の熱伝導による計算値より約5m下方および上方へ移動する.河川近傍に出現するタイプは,水平熱移流の影響を受けて全層一様に温度変化する.市街地中心部に出現するタイプは冬期の消雪用揚水により,浅層の高温な地下水が水塊状に下方へ移動することにより説明できた.