著者
畠山 輝雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>1</b><b>.はじめに<BR></b><b></b> <br> 近年、全国の地方自治体では、景気停滞および脆弱財政下での新たな収入源の確保が課題となっている。税収をあげることに苦労する中で、多くの自治体で実施されているのが自治体の広告事業である。これは、自治体webサイトや広報、公用車、公用封筒などへの広告掲示が主流であるが、近年注目されているのが公共施設へのネーミングライツ(以下、NR)の導入である。<br> NRとは、施設の名称を企業等に売却して資金を得る民間資金活用策であり、1973年にアメリカ合衆国で最初に導入された。日本の公共施設では、2003年に東京スタジアムの名称を(株)味の素が購入した(味の素スタジアム)のが最初であり、それ以降多くの公共施設で導入され、2012年5月現在で82自治体159施設に導入されている(報告者が実施したアンケート調査より)。また、募集中の施設も多くみられる。<br> これまで地理学では、広告に関する広告の立地(屋外広告など)や空間的展開(求人広告、新聞折込広告など)に関する研究が行われてきた。また、広告に関する研究が多く行われてきた経営学では、広告の効果やニーズに応じた効果的な運用方法について検討されてきている。 NRについては、施設名称を企業等が購入するという性格上、広告となるのは企業(商品)名のみであり、そこにメッセージや連絡先、その他付帯情報を掲載することは困難である。また、広告が消費者に到達する手段は、直接的な施設への来場以外に、当該自治体webサイトへの施設名の掲載、マスメディア(TV、新聞、雑誌、各種webなど)への施設名の露出、地図(カーナビ)への掲載、道路看板への施設名の掲示など多岐にわたっている。これは、他の自治体広告事業でも見られないことである。また、一般的な広告と異なるのは、名称購入の対価として自治体に広告料を払うことにより、地域貢献という付加価値が生じることも特徴である。このように、新しくかつ複雑な到達手段および効果が考えられるため、地理学はもとより経営学をはじめとした関係分野でも研究蓄積が少ない。<br> そこで本研究では、徳島県を事例に、公共施設へのNRの広告到達範囲とそれを踏まえた広告効果について検討する。<br>&nbsp;<b>2</b><b>.徳島県の公共施設への</b><b>NR<br></b> 徳島県では、2007年に鳴門総合運動公園(鳴門・大塚スポーツパーク)と南部健康運動公園野球場(JAアグリあなんスタジアム)にNRが導入されて以降、多くの公共施設に導入され、2014年1月現在、13の施設にNRが導入されている。これは、宮城県に次ぐ全国で2番目の多さであり、スポーツ施設のほか、文化施設、社会教育施設、都市公園、歩道橋など多くの種類の施設に導入されている。また、利用者が限定される小規模な施設から、Jリーグのホームスタジアムとしてマスコミへの露出が高い施設まで存在する。そして、スポンサーも民間企業(地方銀行、食品)のほか、農協、労働金庫など多様であるため、研究事例として妥当であると判断した。<br>&nbsp;<b>3</b><b>.おわりに<br></b><b></b> 最も施設名称の到達範囲が広域と考えられるマスメディアの内、新聞への名称掲載から考察すると、徳島ヴォルティスや徳島インディゴソックスなどのプロスポーツクラブのホームスタジアムでは、徳島県域を越えた広域な到達範囲になる一方で、文化施設や社会教育施設などではほぼ県域にとどまっている。しかし、徳島県のNRスポンサーは、もともと県内在住者・企業等への広告効果を期待しており、また参入には地域貢献も重視しているため、NR参入の目的としては合致しているといえる。 ただし、NRの認知度や施設名称のみの露出に関する広告効果、地名と企業名が併せて表出することの意味などは明らかにできなかったため、住民へのアンケート調査の実施など今後の課題としたい。
著者
KISS Eva TAKEUCHI Atsuhiko
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.12, pp.669-685, 2002-10-01
参考文献数
35

Abstract: By the beginning of the twentieth century, Budapest had become a modern city with large and significant industrial areas. After 1989, when radical political change opened the way for economic and social reforms, these old industrial districts have become the most important scenes of changes. Based on the surveys and interviews carried out in Budapest and Tokyo, the main purposes of this study are to describe the most important structural and functional changes in the industrial areas of Budapest during the last decade and to compare them with the changes in the industrial areas of inner Tokyo. The emphasis is primarily on how industrial restructuring affected the spatial structure of industry, the urban space and the land use. In spite of the significant differences between the two cities there are also similarities in the development and prospects of industrial areas of Budapest and Tokyo. Not only do the urban structure and functional division of the cities transform but also the local society and urban landscape.
著者
太田 慧
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>1. はじめに 南西諸島西部に位置する宮古島市は,主に宮古島,伊良部島,下地島から構成されている。宮古島市内には,宮古島の西部に位置する宮古空港と,下地島に位置する下地島空港の2つの空港が存在している。宮古空港は1989年に東京への直行便が就航して以来,本州からの観光客が増加している。一方,下地島空港はパイロットの訓練用の飛行場であったが,2019年3月に旅客用ターミナルの供用が開始され,本州との間に定期便が就航したほか,香港との国際線も就航した。これにより,東京や大阪などの国内大都市圏や海外からの観光客の増加やリゾート開発にともなう島内経済への大きな影響が見込まれている。また,2015年には宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が開通し,宮古島と伊良部島,下地島間の往来が活発になっている。そこで,本報告ではまず,沖縄県宮古島市における宿泊施設の分布状況を利用料金別に概観し,現在の観光開発の状況について報告する。</p><p>2. データの作成 宿泊施設のデータについては,大手旅行サイト「じゃらんnet」に掲載されている宮古島市に立地する宿泊施設情報から,2020年1月18日時点の大人2名利用時の目安となる宿泊料金を抽出し,116件のデータを得た。その結果,大人2名利用時の料金目安として3,000円未満の宿泊施設数は14軒,3,000〜10,000円未満の宿泊施設数は75軒,10,000〜20,000円未満の宿泊施設数は16軒,20,000円以上の宿泊施設数は11軒であった。これらの結果と分布状況を示したものが図1である。</p><p>3. 利用料金別にみた宿泊施設の分布傾向 図1によれば,宮古島における宿泊施設は宮古島市役所をはじめとする行政機能や島内最大の繁華街が立地する宮古空港北部の平良地区に集中していた。平良地区では特に1泊3,000円以下または3,000円〜10,000円以下の価格帯の宿泊施設が集中しており,民宿ないしは比較的小規模なホテルなどの宿泊施設が目立った。一方,1泊20,000円以上の宿泊施設は宮古島の南海岸に集中しており,宮古島の南海岸沿いに島外資本系列の高価格帯の大規模宿泊施設が進出していることを示している。</p>
著者
金田 章裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.1-20, 1986
被引用文献数
1

条里プランの完成・変容・崩壊のプロセスやその古代・中世における機能について,絵図類における表現に注目しつつ,包括的な検討を進めた。<br> 条里プランは, 8世紀の中頃に,すでに存在していた条里地割に加えて条里呼称法が導入されることによって完成した.これは,三世一身法と墾田永年私財法の下での私領の増大と,それに伴う土地の記録・確認作業の急増に対応するものであったと考えられる.従って,条里プランは律令と共に中国から直輸入されたものでも,班田収授の開始と共に完成した形で存在したものでもなかった・また,唐代中国の一般的な土地表示法とも異なっており,古代日本の実情に合わせて次第に完成度を高めていったものであり,この点では都城プランにおける土地表示法とも同一軌道上にあった.<br> このような条里プランは,一条一巻として作製された班田図に明示されて使用されたが,これには条ごとに里を連続して描いたものと,条ごとではあっても,里を一つ一つ個別に描いたものとがあったと考えられる.現存する絵図類には,この双方の様式を反映したものを確認することができる。<br> このような条里プランは,班田制崩壊後もさまざまな土地関係の許可あるいは権利・義務などの単位として,中世に至るまで重要な役割を果し続けた.とくに坪の区画が果した意義は大きく,これが今日まで広範囲にわたって条里地割を存続させ,村落景観の基盤となっている大きな理由である.<br> これに対して,里の区画の方は条里呼称の単位として以上の機能を本来は有していなかったが,荘園あるいは村の境界として使用された場合もあった. 条里プランは,定着度の高い地域では16世紀まで機能し続けたが,中世には必要:性や情報量の多寡によって,絵図類などの表現にさまざまな間違いを生じていることもあった.<br> 以上のような条里プランの完成・定着・崩壊のプロセスとともに,土地表示法は典型的には,古代的地名の条里地割に対応する分割ないし再編,条里呼称法と古代的小字地名の併用,条里呼称法のみによる表示,条里呼称法と小字地名の併用,といったプロセスをたどり,遅くとも16世紀末までに,現状のように小字地名のみによる表示法へと変化した.これらの各段階は歴史的な社会的・経済的段階と対応するものであり,同時に日本の村落景観の形成プロセスないし画期にかかわるものである.条里プランは,日本の歴史地理研究において,重要:かつ有効な手がかりとなるものである.
著者
石黒 聡士 鈴木 康弘 杉村 俊郎 佐野 滋樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.76, 2007

<BR>1.はじめに<br> スマトラ沖地震に代表されるような大規模災害の直後には、迅速な状況把握が必要である。しかし、特に災害前の状況と災害直後の状況を把握できるデータは、通常限定される。その中で、高解像度衛星による画像は、広範囲にわたって均質で定量的な解析が可能である。特に、高解像度衛星によって撮影されるステレオペアの3次元計測によって、高精度に標高を計測できることが報告されている。このため、高解像度衛星画像は、地震性地殻変動量の計測など、変動地形解析において有効であることが期待される。<br> そこで本研究では、2004年スマトラ沖地震の直後に撮影されたIKONOSとQuickBirdによる単画像を複合して用い、地震性隆起量を計測する。また、異種の高解像度衛星画像を複合させる手法の有効性について論じる。<br><BR>2.IKONOSとQuickBirdを複合させた地震性地殻変動計測 <br> 2004年スマトラ沖地震の直後に撮影されたIKONOS(解像度1m)とQuickBird(同0.6m)による単画像を組み合わせて、地震時のAndaman諸島北西部における地震性地殻変動計測を行った。この地域では地震時に隆起が起きたことが報告されている。しかし、地震後の短期間に再び沈降する余効変動が観測されているため、地震直後における最大隆起量を計測することは、これまで困難であった。<br> 我々はまず、地震後15日目に撮影されたIKONOS画像と、9日目に撮影されたQuickBirdの画像を用いてステレオ計測し、隆起によって干上がった裾礁のDSMを作成した。このDSMの精度は、標準偏差で0.7m程度であった。<br> 次に、このDSMに、地震前に撮影されたQuickBird画像に写っている汀線をGIS上で重ねあわせ、旧汀線の地震直後の高度を計測した。この結果、Andaman諸島北西岸では、スマトラ地震後の10日前後では2.15m(±0.7m)隆起していたことを明らかにすることができた。<br><BR>3.異種の高解像度衛星画像を複合させる手法の有効性<br> 災害の発生直後において入手可能な衛星画像は、1.災害前に撮影された単画像、2.災害発生後に複数の衛星が集中的に繰り返し撮影した画像である。災害発生直後には需要が高まるため、各社の衛星による撮影頻度が急激に増加する。右図に、Andaman諸島において、スマトラ沖地震前後で新規に撮影されたQuickBird画像のアーカイブ総数の増加を示した。ただし、2の画像でも、ステレオ撮影は特別なリクエストがない限り撮影されない。実際に、図に示した例でも、この期間中にQuickBirdによるステレオ撮影は一度もなされなかった。<br> このような背景の中、災害直後の緊急調査においては、入手可能なデータを最大限に活用し、有意な情報を引き出すことが求められる。2の画像を使用するメリットは、各社の異なる種類の衛星が様々な角度から撮影しているため、これらを複合することでステレオペアを作成でき、従って地形モデルを作成できることである。さらに、短期間に繰り返し撮影されているために、比較的高頻度で時間的変化を把握できる。一方、1の画像は頻繁に撮影されていないため、ステレオペアの作成は多くの場合で不可能である。しかし、地殻変動前の汀線の位置など、地殻変動量の計測の際に基準となる地理的事象を把握することができる。<br> 上述の2の画像を用いて合成したステレオペアから作成した地震後の地形モデルに、1の画像から読み取った汀線などの地理的事象を重ねあわせて比較することで、地震性隆起量の計測が可能である。さらに、2の画像が頻繁に撮影されることを利用すれば、2の画像からも地理的事象を読み取ることで、地震後の余効変動による沈降量を、複数の時点で計測できる。<br> 以上のように、異種の衛星画像を複合させることが、地震性地殻変動の計測に有効であることを示した。しかし、本手法では1の画像を用いて地震前の地形モデルを作成できないため、沈降域において地震性沈降量を計測することができない。また、局所的に高い精度でDSMの作成が可能である一方で、絶対的な位置の精度は衛星の定位モデルに依存する。このため、たとえば他のソースから作成されたDSMの差し引きは、単純には行うことができないことなどが、本手法の限界として挙げられる。<br>
著者
大竹 あすか
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p> Ⅰ 研究の背景と目的</p><p> 本発表では,行政機関や民間企業が着目する「ソフト面」における都市計画における課題を,経済地理学者ハーヴェイ(2013)が提示した「都市コモンズ」概念を対象に、スケール論の観点から分析することの意義を明らかにする.</p><p> 高度経済成長期以降のモータリゼーションを基盤としたハード面重視の都市整備に対する批判として.住民参加の意識や地域ブランド創出など,「空間を利用する」人々を基盤としたソフトな都市計画が推進されるようになった.一方1970年代後半にイギリスで発祥した新自由主義を受けて,日本政府は2000年代以降,公共施設の民営化を推進した.また地方自治体も規制緩和を行い,都市公園の管理を民間企業に委託する事例が増加している.</p><p> これまでの経済地理学では,民間企業による公的資本の独占が都市空間における公共性を源泉として利益を創出していることを「独占レント」にあたると批判してきた.これらの研究に対して,ハーヴェイ(2013)はコモンズの管理には地理的なスケール分析が必要だと指摘している.そのため,都市空間におけるコモンズが持つ公共性が,民間企業と一般市民の間で、「空間利用の私有化」をめぐるスケールの問題を引き起こしていることを、主に言説により明らかにする必要がある.</p><p>Ⅱ 研究方法と背景</p><p> 上記の課題について東京都渋谷区の宮下公園の指定管理者委託過程に関する論争について分析した.宮下公園に関する裁判の記録,宮下公園を管轄する渋谷区議会の議事録,宮下公園を特集した雑誌記事を対象に分析した.あわせて,宮下公園の観察調査を行った.分析するために利用するスケール観点は,地理学の研究を整理した上で,Smith(1984),Jones et al.(2017)が提唱したスケールの複層性とスケールの統合に関する議論を用いた.</p><p> 宮下公園は,渋谷駅に隣接する都市公園である.2000年代から始まった渋谷駅周辺の再開発の一環として2度にわたり、空間利用が民営化され,現在は三井不動産株式会社が主な指定管理者として公園を管理している.しかし,1度目にナイキジャパンが指定管理者として登場したときに,公園の改修工事中にホームレスの強制排除が行われたこと,宮下公園の命名権に関する入札競争が不透明であったことが裁判や議会で論争となった.</p><p>Ⅲ 考察</p><p> 宮下公園の論争に関する分析を通して,地理学者スミス,N.が提示したスケールの複層性に関する理論によって,ある都市空間を形成する主体間の立場の違いを理解できることが可能となった.宮下公園を含む渋谷駅周辺地区は,都市社会学で"user"と定義される公園の利用者や都市住民が,ファッション街を中心としたクリエイティブ産業の拠点として発展させてきた.これは,「若者の街」としてのイメージや,パブリックアート活動などに表れている.宮下公園を媒介として,身体やコミュニティレベルの下位スケールが,都市空間や地域レベルの上位スケールを形成したといえる.</p><p> しかし公園の管理権限が指定管理者へ移行することで,都市空間の利用のスケールを規定する主導権が都市整備を行う主体に移行することが明らかになった.さらに,公園を管理する民間企業が若者向けの店舗を設置し,宮下公園が持っている交通利便性や渋谷駅の拠点機能,宮下公園の個々の利用者が作り上げてきた場所イメージを利益の源泉としている.この現象は,ハーヴェイ,D.が提唱した「独占レント」とみなせるこの過程で,国や地域などの上位のスケールが,身体,コミュニティ,都市空間のスケールを包括する「スケールの統合」が起きていると捉えられる.表面的にはスケールの複層性が保たれ,都市空間の多様性が利益創出の源泉となっているも関わらず,民営化によりスケールを規定する主体から"user"が疎外されることが明らかになった.</p>
著者
牟田 浩二 草野 邦明 関根 智子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.9, 2006

本研究は、京都市中心部に立地するホテルを対象として、ホテルのサービス・設備・利便性について評価し、ホテルのランク付けを行うとともにランク別のホテルの立地傾向を明らかにする。 研究対象地域は、京都市の主要ホテルが多く立地している、京都市の上京区、中京区、下京区、右京区、左京区とし、その地域に立地する61のホテルを取り上げた。 ホテルを評価するために、"サービス""設備""利便性""料金"の4つを評価因子として取り上げた。評価因子は、サービスに対しては11、設備に対しては6、利便性に対しては5、料金に対しては4の、計26の評価項目で構成されている。ホテルはこれらの評価項目に対し得点化を行い、それらを総合して5_から_74点で評価した。 その結果、ホテルはA_から_Dの4ランクにランク付けされた。Aランク(50点以上)が12箇所、Bランク(40_から_49点)が10箇所、Cランク(30_から_39点)が22箇所、Dランク(29点以下)が17箇所となった。 ランクごとの立地をみると、Aランクは、京都駅、歴史的建築物、市役所周辺、BランクのホテルはAランクのホテル近く、CランクのホテルはAランクのホテルの中間、DランクのホテルはA・Cランクのホテルの中間や道路(堀川・烏丸・河原町通り)と駅前に多く立地している。
著者
佐野 亘 藤田 和彦 平林 頌子 横山 祐典 宮入 陽介 ローレン トス リチャード アロンソン 菅 浩伸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p><b>はじめに</b></p><p> サンゴ礁の海浜沖には海草帯と呼ばれる生物・地形分帯がある.海草帯は海草類の群落であり,底質は砂礫質の堆積物で構成され,低潮位でも干出しない汀線付近から水深4mを超える場所にも形成されることがある.また海草帯は魚類や底生生物の生息・産卵の場,ウミガメやジュゴンなどの海草を摂食する貴重な生物種を支える場であるとともに,沿岸浅海域における炭素循環に大きな役割を担っていることも報告されている(Unsworth et al., 2019;Fourqurean et al., 2012;Nellemann et al., 2009).このようなサンゴ礁における海草帯の役割が注目される一方,サンゴ礁に現成のような海草帯が具体的にいつから形成されていたのかという時間的な検証が行われた研究例は少ない.</p><p></p><p>研究対象地域の一つである久米島のサンゴ礁地形は約8300年前から発達し始め,約5700年前に礁嶺が海面に到達.さらに礁嶺の海面到達後,外洋と分断されたラグーンが未固結堆積物で埋積されるということが明らかになっている(Kan et al., 1991).しかし、これらの先行研究は主に固結した礁石灰岩コアを用いて礁嶺の形成過程に焦点が当てられものであり,海草帯に代表される未固結堆積物で構成された沿岸域に関しては,その地形発達プロセスに関する科学的知見が少ない状況である.</p><p></p><p>そこで本研究では現成海草帯において採取された未固結堆積物コア試料を用いてその堆積物と年代を検討するとともに,現成海草帯の現地調査を行い,海草帯の地形発達過程とそれに伴う海草帯の形成時期を明らかにした.</p><p><b>現地調査と分析手法</b></p><p> 本研究では,琉球列島久米島の東部と沖縄島の備瀬崎の2地域において採取した海草帯の未固結堆積物コア試料(最大掘削深度4.2 m)を用いた.コア採取地点の底質は枝サンゴ礫を多く含む砂泥質の堆積物であり,リュウキュウアマモ(<i>Cymodocea serrulata</i>),リュウキュウスガモ(<i>Thalassia hemprichii</i>),またウミジグサ(<i>Halodule uninervis</i>)や,ウミヒルモ(<i>Halophila ovalis</i>)などの海草類が卓越した場所である.またコア試料採取地点および周辺地域における現地調査を行い,<i>Amphisorus hemprichii</i>,<i>Calcarina calcarinoides</i>などの大型底生有孔虫が現生の海草葉上に生息していることを確認した.コア試料は九州大学にてサブサンプリングを行い,東京大学大気海洋研究所にてサンゴ礫や有孔虫化石の放射性炭素年代測定を行った.さらに堆積物中の大型底生有孔虫の群集解析を行い,現生有孔虫の生息分布との比較から海草帯の堆積環境の復元を行った.</p><p><b>海草帯の堆積過程と形成年代</b></p><p> 久米島東部の海草帯における現地調査では,現生の海草葉上に優占的に生息する大型底生有孔虫(<i>Calcarina calcarinoides</i>)を発見した.<i>Calcarina calcarinoides</i>は先行研究においても海草葉上において優占的に生息することが明らかにされている(藤田他, 1999)ことから,この有孔虫化石を海草帯形成の指標として堆積物中に含まれる有孔虫の群集解析を行った結果,3.9 Ka BP以降(水深3m以浅)に海草帯形成を指示する結果が得られた.また沖縄島備瀬崎においては現地調査と堆積物試料の分析の結果,大型底生有孔虫である<i>Amphisorus hemprichii</i>(通称;ゼニ石)が古海草帯指標となることが示唆された.</p><p></p><p><b>謝辞:</b>本研究はH28〜32年度科研費 基盤研究(S) 16H06309「浅海底地形学を基にした沿岸域の先進的学際研究 −三次元海底地形で開くパラダイム−」(代表者:菅 浩伸)の成果の一部です.</p><p></p><p><b>参考文献</b></p><p></p><p>Fourqurean et al. (2012). <i>Nature Geoscience</i>, Vol. 5, pp.505-509</p><p></p><p>藤田和彦 他 (1999). 化石, No. 66, pp.16-33</p><p></p><p>Kan et al. (1991). <i>Geographical Review of Japan</i>, 64, 2, 114-131</p><p></p><p>Nellemann et al. (2009). Blue carbon: the role of healthy oceans in binding carbon, pp.35-44</p><p></p><p>Unsworth et al. (2018b). <i>Conservation Letters</i>, Vol. 12. pp.1-8</p>
著者
西部 均
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.252, 2005

今日の急激な経済発展の道を驀進する巨大な中国社会を牽引する上海という場所は,世界中の資本主義諸国からますます熱い眼差しを注がれている。それは何も経済ばかりの話ではない。この上海という都市は,かつて世界でも特異な性格をもつ場所として世界史にその名を刻み,欧米人や日本人にとっても因縁深い係わりがあった。その記憶が今,発掘され整理されようとしている。1980年代以降,近代上海を題材とする文芸作品は急激にその数を増し,また近代上海史研究もさまざまな分野から貢献が相次ぐようになった。この近代上海ブームは中国や欧米でもますます加熱し,止まるところを知らない勢いだ。こうした近代上海史研究の中から,近代上海の世界的な特異性と魅力の一端が明かにされた。つまり,上海は他の場所では受容されがたい極端な異質性,つまり東洋と西洋,支配者と抵抗者,富者と貧者,生と死などが同時に包みこまれてしまう。ここでは,世界50国からまた中国各地からやってきた人々のアイデンティティが見事にすれ違い,それでいて彼らを一所に共在させる磁力が働いていた。彼らは,その磁力の赴くままに身を任せながら自らのアイデンティティを浮遊させ,近代上海の限りない可能性を謳歌した反面,無政府状態の闇社会の中に転落していった。しかし,これは都市を都市たらしめている要素であり,その要素の極端な表出の見られた近代上海は,都市を考えるうえで絶好の事例を用意してくれる。<BR>先行研究において,上海に作られた日本人社会は,常に流民と言える人々からエネルギーを送り続けられて成立した社会だったことが明らかにされている。零細貿易商や「からゆきさん」に代表される彼らは,日本社会で食い詰め,ろくな元でももたずに渡来し,上海で成功することに賭けた人たちである。彼らの存在は,忠孝の封建遺制的な倫理や家父長的規範に堅固に守られた本国社会になじめなかった人たちにとって,絶好のアジールを与える自由さを醸し出すことになった。しかし,先行研究において注目を集めてきたのは,こうした土着派居留民ではなく,上海に関する文芸作品をものし同時代の日本社会に上海の魅力を印象づけた芥川龍之介,村松梢風,横光利一のような,「遊滬派」の人たちである。彼らの表象分析において,「魔都」イメージのなかで日本人にとっての上海像がとらえられることが多かった。「魔都」イメージにおいてエログロナンセンスに酔う本国のモダニストたちに,西洋と東洋の混じり合う異国のエキセントリックな魅力は危険と隣り合わせで,虎穴に入らずんば…,という冒険心をかき立てる。しかし,これは近代上海に対する日本人の係わり方の片面でしかなく,いまだそのバランスの取れた日本人にとっての上海の認識像を描き出せてはいない。そこで,日本人の遺した各種表象の中から当時の日本人の上海への係わり方を探り出していく必要がある。<BR>近代期に日本人の書き残した上海の表象は,膨大な数に上るが,上海で刊行されたものなどの散逸が激しく,閲覧が容易でないものも多い。しかし,仮にこれらをジャンル分けすれば,以下のようなものが得られる。すなわち,日本国政府機関による調査報告,渡航者向けガイドブック,居留民のエッセイ・ルポルタージュ,作家の文芸作品,紀行文,郷土史などである。この中で,本研究の課題に最も有用なのはガイドブックである。ガイドブックは,上海ものの文芸作品と同じく,種類も多く,版を重ね続け,多くの日本人読者を得たことが分かる。そこで,1900-1930年代のガイドブックの内容を検討すると,以下のようなことが言える。すなわち,中国語の上海ガイドには上海で生活するためのプラグマチックな情報が満載されているのに対し,日本語のガイドには上海で事業をおこすための情報に偏りが見られる。さらに,日本語ガイドには上海の地政学的位置や行政機構について概説が充実している。上海での社交術の紹介もある中国語ガイドには,中国社会に張りめぐらされた人脈ネットワークを推測させるが,日本人にとっての上海はまず自分の足で立たなければならない異国の地であった。しかし,1920年代,1930年代に進むとともに,日本人社会の拡大,組織化が進み,日本人社会の紹介記事が幅を利かすようになる。また,上海自体の発展とともに,上海を楽しもうとするゆとりが示されるようになる。さらに,その他の表象のなかで紹介された中国人の習慣・風俗,中国人社会への関心の広がりが示されるようになった。上海の日本人にとって,中国人は優越感を感じる差別対象であるとともに,同時に欧米人に対して同じ劣等者であるという同種意識の対象でもあり得た。中国人との関係を遮断する傾向にあった欧米人に比べ,日本人の中国社会への関心の広がりは注目すべき事象である。また,ガイドブックと文芸作品との関係も検討すべき課題である。
著者
崎田 誠志郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1.目的</b><br><br> ギリシャはEUでも特に小規模沿岸漁業が盛んな国であるが,それゆえに,近年はローカルな小規模漁業の実態とナショナルスケール以上の施策との齟齬が問題となっている.本発表では,ギリシャにおける海洋保護区(Marine Protected Area,以下,MPA)を例に取り,漁業者をはじめとする関連主体がどのように内外の関係性を構築しているかについて,MPAおよび漁場利用の空間性に着目しながら予察的に検証する.<br><br><b>2.対象地域と調査手法</b><br><br> 調査対象地は,ギリシャ西部のイオニア諸島ザキントス県ザキントスとした.ザキントス島の南部にあたるラガナ湾は,アカウミガメ<i>Caretta caretta</i>の産卵地として重要な役割を担うことなどが評価され,1999年に湾内がMPAに指定された.湾内のMPAは複数のゾーンに分かれており(図1),湾東部のゾーンAのみ,5~10月の季節限定で禁漁区となる.その管理は,独立行政法人であるNational Marine Park of Zakynthos(以下,NMPZ)が中心となって実践されている.<br><br> ザキントスの漁業に関する正確な統計は得られていないが,ラガナ湾では主に延縄と刺網が営まれており,湾内の操業漁家数は専・兼業あわせて50世帯前後と見込まれる.漁業者組織としては,1970年代に結成されたFisherman's Unionが唯一のものである.<br><br> 現地調査では,2017年3月~4月にかけてラガナ湾沿岸のリムニ・ケリウおよびアギオス・ソスティスに滞在し,正規漁業者,地域住民,Fisherman's Union代表,NMPZ代表及び所属研究員らに聞取り調査を実施した.<br><br><b>3</b><b>.結果</b><br><br> ラガナ湾におけるMPAの設立・維持においては,一貫してNMPZが主導な役割を果たしてきた.また,近年注目を集める参加型MPAの実践として,2012年にはNMPZ,ザキントス漁業局,港湾警察,およびFisherman's Unionの代表からなるFishing Committeeが発足した.一連の取り組みでは,特にNMPZ職員の専門知識と仲介の努力がMPAの維持に貢献していた.<br> 一方で,伝統的に海域利用の主役であった漁業者は,ラガナ湾の利用と管理をめぐる近年の議論から後退しつつある.2017年現在,Fishing CommitteeではゾーンAの通年禁漁化について議論と交渉が始められており,少なくともFisherman's Unionの代表は全面禁漁化に同意する見込みである.これは合意形成の成功というよりも,ラガナ湾内における漁業規模の縮小が大きな要因として挙げられる.すなわち,全面禁漁化の実現は,必ずしもNMPZや他主体との協調性やMPAに対する漁業者の理解が高まったことを意味するものではない.近年はゾーンAの境界線近くに操業が集中する傾向(edge fishing)が生じており,全面禁漁化によってこの傾向が強化される可能性も否定できない.
著者
堀内 雅生 山口 隆子 松本 昭大
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>温暖な地域における風穴の研究事例は少ない。今回は,鹿児島の桜島において著者らが新たに確認した「黒神風穴」について報告する。風穴の気温は18.8℃で,外気温(23.8℃)と比べて5.0℃低温であった。風速は0.15ms-1であった。 清水・澤田(2015)の巻末資料より,全国の風穴情報をGIS上に取り込み,気象庁のメッシュ平年値(2010)より各風穴周辺の年平均気温を求めた。すると,黒神風穴は御蔵島の風穴(温風穴)と同率で,日本国内において現在確認されている風穴の中で最も周辺の年平均気温が高いことが分かった。</p>
著者
佐藤 照子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.236, 2008 (Released:2008-07-19)

1.はじめに 2005年8月、ハリケーン・カトリーナ災害は米国災害史上最大の被害を記録した。特に注目されたのは、ミシシィッピー川のデルタ上に発達した人口48万人の大都市ニューオリンズ中心市街地(NOと記す)の1ヶ月にわたる水没である。ハリケーン・カトリーナの規模はカテゴリー5まで達したが、ルイジアナ州南部上陸時は、防災計画で想定されたカテゴリー3までその勢力を下げていた。この想定規模内のハザードが、氾濫発生場の土地環境などの自然的要因、開発などの社会・経済的要因、治水対策・水防活動などの社会的要因、地球温暖化に伴うとされる海面上昇等の影響を受け、想定外の大規模氾濫(ハザード)へと変化していった。災害は多様な側面を持つが、ここではハザード大規模化の要因に焦点を当て報告する。 2.ハザード大規模化の要因 高潮発生から大規模氾濫発生まで、ハザード大規模化の様相とそれと関わる要因を整理すると次のようになる。 1)カトリーナの強風はメキシコ湾等で高潮を発生させた。この規模は大規模ではあるが防災計画の想定内であった。2)高潮はルイジアナ州南部湿地帯を遡上するが、ここで高潮は減衰し、NOはその直撃を免れている。しかし、湿地帯は毎年65-90 km2/yearの速度で消失し、将来、高潮が直接NOに及ぶ可能性が高くなっている。湿地帯消失の要因として、石油開発や運河開発、治水施設整備にともなう土砂供給量の減少、波浪の影響そして地球温暖化に伴う海面上昇が上げられている(Campanella, 2004)。3)デルタ地帯に位置し、後背湿地を開発し市街地が形成されたNOでは、開発に伴う地下水排水や地盤の圧密、洪水氾濫減少による土砂供給量減少等の影響で地盤沈下が進行し、現在市街地の70%がゼロメートル地帯である。すなわち、堤防と日常的な強制排水によってかろうじて陸化しているこの都市は、外水氾濫による水没の危険性を常に抱えている地域でもある。4)この都市中心部の3水路に高潮が直接進入した。ここには、低湿地にとって重要な高潮遡上を防ぐ水門がなかった。これは、堤防建設と都市排水管理主体が異なり、管理境界の構造物建設合意ができなかったためである。5)高潮により水路内の潮位が上昇し、堤防が破堤した。破堤の原因は、(1)水位が堤防高を越え、越流により堤体が洗掘され洪水防御壁が倒壊したものと、(2)水位は堤防高より低く、堤体基盤を通した漏水によるものとがあった。このように、低湿な土地条件が堤体からの漏水による破堤の可能性を高め、さらに地盤沈下とともに堤防が沈下するなど、想定規模内の外力でさえ制御が難しい状況があった。6)また、堤防の建設と管理の主体が異なり、後者は地域別に多数あるため、堤防の日常的なあるいは緊急時の管理責任の所在が不明確であり、堤防からの漏水等への対応も不十分であった(USHR, 2006)。7)さらに、水門がないため、破堤後には多量の水を蓄えたポンチャートレイン湖の水が市街地へ流入するのを防げなかった。8)排水ポンプも中規模程度の浸水に備えたもので、古いものも多く、NO水没という状況に対して、十分な排水機能を確保できなかった。9)また、大規模氾濫に備えた氾濫場所を限る二線堤のような構造物はなく、流入した多量の水は、堤防で囲まれたNO中心市街地の80%を水没させることになった。10)さらに、破堤ヵ所の締切工事は、破堤確認の遅れや情報通信システムの故障から開始が遅れ、堤防の構造から車両が乗入れできず、完成までに時間を要した。 3.低頻度大規模災害と行政・住民の対応 NO大水害は低頻度大規模水害と呼ばれるタイプの水害である。すなわち、治水構造物の破壊(破堤)による大規模な洪水氾濫が、その発生頻度は非常に低いが、被害ポテンシャルの大きい都市部で発生し、大被害に結びついたものである。行政や住民はしばしば来襲するハリケーンに対しては様々な備えをしていたが、このような低頻度大規模水害は想定外のことで対応計画は無く、無防備のまま被災したことがハザード大規模化の過程からも分かる。 4.まとめ 気候モデルによるシミュレーション結果は将来のハリケーンの大規模化を予測しており、これは大規模な高潮発生につながる。この一次外力の増大から、水災害に対して脆弱な土地環境に立地する大都市を守るためには、なんとしても破堤を回避することが重要となる。このためには、ハザードを制御する堤防の強化、防潮堤・排水機場・二線堤等の整備等々の様々な対策や堤防維持管理体制の整備等を統合的に組み合わせ、ハザード大規模化への連鎖を断つことが求められる。それらに加え、土地環境をさらに脆弱にさせない対策、湿地帯の環境保全、土砂供給量の保全などの長期的視点にたった環境管理や、氾濫しても家屋への浸水が軽減できるような土地利用管理等の施策も同時に推進していくことが求められる。
著者
青木 賢人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.291, 2011

現成の氷河が存在せず(とされていた),氷河地形の分布範囲も広くなく,そのアプローチも悪い日本列島において,非常に多くの氷河地形研究が蓄積されてきた.その研究史については,岩田(2010)において既に,時系列,テーマ別に精緻に整理されており,1936~2010年の間に公表された400本を超える報文がリスト化されている(岩田編,2010).「1970年代に活動した研究者たちに育てられた新しい世代の大学院生」であった演者らには,これらの研究史を整理し,次の課題を見出す責務が課されたといえよう. 本発表では,これらの日本列島の氷河地形に関する研究を,その指向性から「地域研究としての氷河地形研究」と「基礎研究としての氷河地形研究」とに整理し,それぞれについて,今後の研究課題に関する展望を述べてみたい.
著者
安本 晋也 中谷 友樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1.</b><b>研究の背景</b></p><p></p><p>近年、健康格差の問題が注目を集めるようになり、貧困層がその他の社会階層と比べて健康状態が劣っている傾向があることが指摘されている。健康格差の発生要因は多様であり、貧困層は「喫煙など健康に影響する行動」「医療施設の利用率」「幼児期の生活史」等において不利な立場にあることが、健康格差の原因として指摘されてきた。</p><p></p><p>一方でO'Neill et al. (2003)は、「環境の質の配分」が健康格差を生む要因の一つとなると主張し、そのプロセスとして次の二つを挙げた。第一に、人々が享受する近隣環境の質(清浄な大気や静かな住環境など)が富裕な地域に多く配分され、貧しい地域では剥奪されることで、健康格差が生まれる可能性がある。</p><p></p><p>このような環境リスクや環境アメニティの配分の公平性を問う概念を環境正義と呼ぶ。環境正義は「居住者の社会的属性(貧困度や人種など)に関わらず、全ての地域が等しく環境リスクもしくは環境アメニティへのアクセスを保有している状況のこと」として定義される。日本においても環境の不正義(近隣環境の質が不公平な配分となっている状況)が見出されている(Yasumoto et al. 2014)。</p><p></p><p>第二に、貧困層はその他の社会階層と比べ、質の低い近隣環境に対し脆弱であるため、環境の質の剥奪に対し、貧困層の健康水準はより強く影響を受け、健康格差が拡大する危険性がある。</p><p></p><p>しかし日本において環境の不正義が、健康格差にどのような影響を与えるかを計量的に分析した研究例は数少ない。本研究ではこの点を踏まえ、大阪府を対象に次の分析を行った。第一に、大阪府において居住地域の社会経済的な水準に基づく健康格差が発生してるかを調査した。次に、環境の質の指標として各家屋が受ける夜間の騒音と日照のデータを取得し、その配分の公平性について分析した。最後に、それら環境の質の配分がどのような健康影響を居住者にもたらすのかを、健康格差の視点から分析した。</p><p></p><p><b>2. </b><b>分析手法</b></p><p></p><p>居住者の近隣環境の質の指標と健康指標のデータは、いずれも郵送質問紙調査を行って取得した。対象となった世帯に、住宅における夜間の騒音と日照の享受の度合いをたずね、さらに健康指標として主観的健康観と幸福感についてたずねた。本調査は2010年、層化無作為抽出法に基づいて180箇所の町丁目に居住する世帯を対象に行った(世帯数=2,527、回答率=約40%)。</p><p></p><p>また、各町丁目の貧困度の指標として、失業率や高齢単独世帯割合などの貧困と関連がある国勢調査指標の重み付け合成値で定義される地理的剥奪指標を利用した。次に大阪府内のDID地区に属する町丁目を地理的剥奪指標に応じて4分位に分類し、各4分位において環境の質に応じて健康水準がどう異なって分布しているかを分析した。</p><p></p><p><b>3. </b><b>結果と考察</b></p><p></p><p>分析の結果として、大阪府には主観的健康観と幸福感における健康格差がみられた。また、富裕な地域ほど騒音の少ない環境に住むという環境の不正義はみられたが、日照の不公平な配分はみられなかった。</p><p></p><p>夜間の静かな環境と日照は、居住者の健康に正の影響を与えることもわかったが、その影響の大きさは地域の貧困度による違いはなかった。すなわち、静かな住環境と日照の剥奪に対し、貧困層は富裕層と比べて必ずしも脆弱ではないという結果になった。</p><p></p><p>筆者らの過去研究では、貧困層は富裕層と比べ公園緑地への近接性の剥奪に対し脆弱であるという結果が出ており、それとは一致しない。これは公園と異なり、静かな環境や日照には代替財が少ないからと考えられる。</p><p></p><p>文献</p><p></p><p>O'Neill, M.S., Jerrett, M., Kawachi, I., Levy, J.I., Cohen, A.J., Gouveia, N., Wilkinson, P., Fletcher, T., Cifuentes, L., and Schwartz, J. l. 2003. Health, wealth, and air pollution: advancing theory and methods. <i>Environmental Health Perspectives</i>, 111(16): 1861-1870.</p><p></p><p>Yasumoto, S., Jones, A.P., and Shimizu, C. 2014. Longitudinal trends in equity of park accessibility in Yokohama, Japan: An investigation of the role of causal mechanisms, <i>Environment and Planning A</i>, 46: 682–699.</p>
著者
千葉 昭彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.137, 2010

1. 「都市地理学」の見られ方<br>「地理学は地域研究において有用、有益な分野であるので、社会や行政などに対して政策提言をしていかなければならない」という趣旨の発言が地理学界でしばしば聞かれる。そこでは、現実にそのような役割を担い、実現しているのかどうかということが問われることとなる。<br>検討対象を都市地理学に限定するならば、林(2001)は「都市地理学の限界」とのタイトルのもとに、バージェスやホイトのモデルを取り上げ、都市地理学は都市構造記述するにとどまっていると評し、都市形成のメカニズムの理論的説明がみられないとしている。それゆえに、都市地理学は都市問題発生のメカニズムも把握できないのでその解決の処方箋を示すことができないとしている。<br><br>2.都市地理学の研究目的と研究対象<br>林の指摘は、地理学あるいは都市地理学の関係者の意図と異なるものとなっている。そこで、地理学あるいは都市地理学の有用性や社会的な役割に関する先達の指摘を確認しておこう。<br>ヘットナーは「われわれは応用地理学の課題に中に、計画の直接的基礎としての評価および変更の提案と言う二段階を区別することができる。・・・(中略)・・・そして、評価は必然的に変更への提案につながる」(ヘットナー,2001,PP.243―244)と述べている。プレポも「地理学はデータや生のもの、材料や生活の共存、人間活動や景観の次第に急速となる変化と、他方での永続性、空間を構築し、整備し、荒廃させる諸力の可動性を考慮するものである」(プレポ,1984,P.32)と指摘している。<br>わが国の論者でも同様の言及を確認することがでる。木内は「(1)地理学を今より広く、かつ深く、社会の諸問題に活用することは、双方にとって有益である。(2)このために応用地理学を地理学の一分野として樹てることは望ましいが、現情は必ずしも十分な状態にはない。・・・(中略)・・・(3)地理学の応用は、そのテクニクを実社会に利用するという控え目のものから、計画・政策を樹立する積極的な姿勢のものまで幾段階かがある」(木内,1968,P.76)としている。また、西川も「こうした地域と結びついた、いわば社会的病理現象の因果関係を解明して、その対策を適切に講じるために、そしてさらに合理的な土地利用と地域・地区制を確立し、よりすぐれた生活環境を育成し、産業効率の増進をはかるなどの地域開発計画に対して、人文地理学はいろいろな形で貢献できるし、またそれが強く期待されているのである」(西川,1985, P.7)と記している。<br>ところで、学問の位置付けを阿部謹也(1999)が指摘するように真理探究の基礎研究と問題解決の応用研究とに分けてとらえるとしても、都市地理学が後者の役割を担うならば、その政治的立場や価値判断にかかわりなく、次のようなプロセスが求められる。すなわち、取り上げるべき問題を認識し、その上でその問題が発生する要因やメカニズムを究明し、最後にそれらを勘案して問題解決の道筋を示す、つまり政策提言に至る。これはあたかも医師が患者の症状(病気)を認識し、その症状(病気)の発生原因を解明し、病気の原因を取り除く治療方法を処方あるいは処置するプロセスと同じであろう。<br><br>3. 都市地理学に求められる方向性<br>阿部和俊(2007)は都市的地域を研究対象とした論文を、都市を点として分析したものと面として分析したものといった区分と、都市を研究したものと都市で研究したものとに分類している。ここで都市地理学に応用研究としての役割を求めるのであるならば、「まちづくり」などの特に面として都市を研究する領域では、林の指摘とのギャップの解消が求められることになる。
著者
村山 良之 小田 隆史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.59, 2021 (Released:2021-03-29)

1 東日本大震災における大川小学校の被災 2004年3月,宮城県第三次地震被害想定報告書が公表された。同報告書内の宮城県沖地震(連動)「津波浸水予測図」(https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/95893.pdf)によれば,石巻市立大川小学校(当時)や付近の集落(釜谷)までは津波浸水が及ばないと予測され,同校は地区の避難所に指定されていた。1933年昭和三陸津波もここには到達せず,1960年チリ地震津波についても不明と,この地図には記されている。しかし,想定地震よりもはるかに大規模な東北地方太平洋沖地震による津波は,大川小校舎2階の屋根に達し,釜谷を壊滅させた。全校児童108名のうち74名(津波襲来時在校の76[MOユ1] 名のうち72名),教職員13名のうち10名(同11名のうち10名)が,死亡または行方不明となった(大川小事故検証報告書,2014による)。東日本大震災では,引き渡し後の児童生徒が多く犠牲になった(115名,毎日新聞2011年8月12日)が,ここは学校管理下で児童生徒が亡くなった(ほぼ唯一の)事例であった。2 大川小学校津波訴訟判決の骨子 2014年,第三者委員会による「大川小学校事故検証報告書」発表の後,一部の児童のご遺族によって国家賠償訴訟が起こされた。2016年の第1審判決では,原告側が勝訴したが,マニュアルの不備等の事前防災の過失は免責された。しかし,第2審判決では事前の備えの不備が厳しく認定され,原告側の全面勝訴となり,2019年最高裁が上告を棄却し,この判決が確定した。 同判決における学校防災上の指摘は,以下の通りである(宮城県学校防災体制在り方検討会議報告書,2020を一部改変)。① 学校が安全確保義務を遺漏なく履行するために必要とされる知識及び経験は,地域住民が有している平均的な知識及び経験よりも,遙かに高いレベルのものでなければならない(校長等は、かかる知見を収集・蓄積できる立場にあった)。② 学校が津波によって被災する可能性があるかどうかを検討するに際しては, 津波浸水域予測を概略の想定結果と捉えた上で, 実際の立地条件に照らしたより詳細な検討をすべき 。③ 学校は,独自の立場から津波ハザードマップ及び地域防災計画の信頼性等について批判的に検討すべき。④ 学校は,危機管理マニュアルに,児童を安全に避難させるのに適した避難場所を定め,かつ避難経路及び避難方法を記載すべき。⑤ 教育委員会は学校に対し, 学校の実情に応じて,危機等発生時に教職員が取るべき措置の具体的内容及び手順を定めた 危機管理マニュアルの作成を指導し,地域の実情や在校児童の実態を踏まえた内容となっているかを確認し,不備がある時にはその是正を指示・指導すべき。 災害のメカニズムの理解と,ハザードマップの想定外を含むリスクを踏まえ,自校化された防災を,学校に求めるものである。3 大川小学校判決と地理学が果たすべき役割 大川小判決確定を受けて,「在り方検討会」は,2020年12月「宮城県学校防災体制在り方検討会議報告書」を発表し,判決の指摘や従前の取組を踏まえて,以下の基本方針を提示した。① 教職員の様々な状況下における災害対応力の強化② 児童生徒等の自らの命を守り他者を助ける力の育成③ 地域の災害特性等を踏まえた実効性のある学校防災体制の整備④ 地域や関係機関等との連携による地域ぐるみの学校防災体制の構築 ここにある③だけでなく,4つの全てにおいて,学校や学区の災害特性について学校教員が適切に把握できることが前提となり,専門家や地域住民との連携が求められる。そのためには,災害に対する土地条件として指標性が高い「地形」の理解が有効かつ不可欠である。このことは,地理学界では常識と言えるが,学校現場(および一般)には浸透していない(小田ほか, 2020)。ハザードマップの想定外をも把握できるよう,たとえば「地形を踏まえたハザードマップ3段階読図法」(村山,2019)等の教育が求められよう。 大川小判決は,教員研修や教員養成課程において,地理学や地理教育が果たすべき役割が大きいことを示している。2019年度からの教職課程で必修化された学校安全に関する授業や免許更新講習等において,また,高校で必修化される「地理総合」において,地理学および地理教育は,最低限必要な地形理解や地図読図力の向上に貢献し,もって学校防災を支える担い手を増やしていく必要があると発表者らは考える。
著者
相馬 秀廣 山内 和也 山藤 正敏 安倍 雅史 バレンティナ サンコバ ヴァレリー コルチェンコ 窪田 順平 渡辺 三津子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

<b>はじめに:</b>天山山脈西部北麓には,オアシスを連ね唐代には「天山北路」が通り,北方にはカザフ草原が広がる.ヌリアン(2009)によれば,アクベシム遺跡は,紀元5-6世紀にソグド人による建設後,交易の発達により繁栄し,7世紀には西突厥の中心地として玄奘も滞在し,657年以降は断続的に唐,西突厥,吐蕃の支配下に置かれ, 682年の唐の「杜懐寶石碑」が出土している.「タラス河畔の戦い」の後も、カルルク、カラハン朝の中心的な都城址として13世紀初頭まで居住されたとされ,仏教寺院,ネストリウス派キリスト教会などの遺跡も複数存在する. 考古発掘により,アクベシム遺跡の概要は大まかには判明しているものの,何故この場所に同遺跡が建設されたか,南東部のラバドの性格など,基本的な点で未解決な部分も少なくない.また,同遺跡からおおよそ25km圏(アクベッシム遺跡地区)内には,数多くの遺跡の存在が知られているものの,それらの立地条件については,必ずしも明らかではない.そこで,発表では,高解像度衛星画像・同写真の判読と現地調査結果により,各遺跡の立地条件などについて報告する.本研究は,1967年撮影のCorona衛星写真(地上解像度約3m. Corona)および2007年観測のQuickBird衛星画像(同約0.6m)などによる衛星考古地理学的手法を用いた.<b>アクベシム遺跡地区の囲郭遺跡の立地条件</b>:当地区の囲郭遺跡の立地条件は, a)段丘面上端,b)段丘面上(一辺が数10mの小規模囲郭),c)扇端(アクベシム遺跡),d)沖積低地(ブラナ遺跡)に区分される.aは一辺の長さが100mオーダーで囲郭の一部に段丘崖を利用し,幅数から10mの空堀を周囲に巡らせており,防御に重点がおかれた可能性が高い.同様な囲郭址がイシク湖南岸にも存在する.bは烽火台である. アクベシム遺跡は,東西両側を南からチュー川に延びる2つの大きな開析扇状地扇端付近のほぼ合流部に位置する.当地区の遺跡の中では地下水を最も得やすく,また,両側からの河川氾濫に対して最も被害を受けにくい立地にある.ブラナ遺跡は,アクベシム遺跡の後,当地区の中心だったとされる囲郭であるが,アクベシム遺跡両側の扇状地の間を流下する小河川の沖積低地に立地する.以上の点から,アクベシム遺跡は,当地区において,中心となるのに最も望ましい立地にあることが判明した.
著者
木村 ひなた
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>世界有数の地震国である日本は,1995年兵庫県南部地震や,2016年の熊本地震のような内陸地殻内地震により構造物に多大な被害を受けている.特に,兵庫県南部地震と熊本地震では,地表に地表地震断層が出現して,その直上ではずれによる被害も確認された.地震動に対する防災の備えのためには,将来どのような地震および地震動が発生するのか,特に,構造物の破壊に効くとされる強震動の予測が重要である.</p><p> 兵庫県南部地震以降,地震調査研究推進本部は,強震動予測手法(以下,「レシピ」)を構築・公開している.その「レシピ」では,活断層の長さと経験式などから地下の震源断層を表す巨視的パラメータを決定して,次に微視的・その他の2種類のパラメータを設定し,特性化震源モデルを作成する.その際,震源断層は2km以深のみに設定されるこれは,震源動力学モデルの研究から,地表付近の数kmに及ぶ堆積岩層において応力降下がほとんど発生しないと考えるためである.しかし,この考え方に対して,地表付近の断層すべりも震源断層のすべりの一端であり,その効果が断層近傍で記録された地震波形に寄与しているとすれば,地表から深さ2〜3kmの浅部にすべりを与えない特性化震源モデルは,地震動を過小評価する恐れがあるという考え方もある.また,熊本地震で観察された地表地震断層の周囲約100mの家屋の顕著な倒壊については,深さ2〜3kmの浅部領域での地震波生成を考慮する必要があるとの議論も行われている.地震本部は,熊本地震で地震計に観測された永久変位の再現に加えて,この過小評価を回避するために,従来の特性化震源モデルの背景領域を地表まで延伸する検討が行っているが,観測波形と計算結果との整合性は不十分である.</p><p> 大熊(2019,岡山大学卒業論文)は,兵庫県南部地震を契機とした地震観測網の充実により日本国内で初めて地震計に記録された熊本地震の永久変位を研究対象とし,活断層から発生する地震の強震動予測の観点から,「レシピ」の特性化震源モデルを基本としつつ,野外での変動地形調査により活断層情報として得られる地表地震断層の変位量データを地下最浅部に浅部すべりとして加えるモデルを考案した.これを特性化震源モデルとして,久田(2016)の波数積分法を用いて計算することで,地震危険度評価を高度化することの検討・検証を行なった。その結果,永久変位の予測の向上が確認でき,変動地形情報を断層モデルに組み込む重要性を示した.</p><p> しかし、大熊(2019)の改良特性化震源モデルは,Asano and Iwata(2016)や地震本部の特性化震源モデルの中で,断層面上端以浅の地下深さ2kmに変動地形データ1行を加えたものであり、地表地震断層を観察・計測した変動地形の成果の解像度には達していない.さらに,このことは,地震波形が観測された地点と断層面との最短距離の再現にも影響する問題であった.熊本地震で,例えば熊原ほか(2016)によって観測された地表地震断層の観測点間隔はおよそ平均100mオーダーであり,先に述べた地表地震断層の周囲約100mの家屋の顕著な倒壊を議論するためにも,地表地震断層の詳細分布を考慮した熊本地震の変位波形計算が望まれていた.</p><p> 本研究は、地表地震断層の詳細分布を考慮した断層モデルを作成し変位波形を計算することで,永久変位の予測のさらなる向上を目指す.(1)Asano and Iwata (2016)の断層モデルに60度の傾斜を持たせ,断層位置を変更したモデル,(2) (1)のモデルに100mの解像度の地表地震断層の変位量データを浅部すべりとして加えたモデル,(3)Asano and Iwata (2016,AGU)を震源断層におき,インバージョン 結果を100mの解像度へ補間しすべり量として与えたモデル(4)(3)のモデルを震源断層におき, 100mの解像度の地表地震断層の変位量データを浅部すべりとして加えたモデル,以上4つのモデルを考案した.計算のため,それぞれ100m解像度の点群データとして整備し,防災科学技術研究所が公開している3次元差分法を用いたGMSで計算を行い,変位波形を計算し,実際の観測記録と比較した.なお,PCの計算能力の制約上本研究では予察的な計算である.</p><p> 益城町宮園において,地表地震断層の変位量データを浅部すべりとして加えたモデル(1),(4)ともに水平成分の過小評価の割合の減少を確認することができた.しかし,(1)の鉛直成分では過大評価,(4)の鉛直成分では過小評価となり,変動地形情報からの地表のすべり量と地下のすべり量の接合条件で異なる傾向を得た.今後の課題として,現実的な予測のために,複数のモデル・パラメータの組み合わせからばらつきを評価する手法が必要だと考える.</p>
著者
兼子 純 菊地 俊夫 田林 明 仁平 尊明 ワルデチュック トム
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

ローカルレベルでの小規模な流通,もしくは生産者と消費者間のダイレクト・マーケティングの重要性が,その土地の自然条件や位置関係,歴史的・文化的背景,産業構造などの地域の文脈で議論されることが必要であり,こうした動きに食料の生産の場として機能してきた農村地域や農業者がどのように対応しているのか明らかにする必要がある。本研究は,カナダ・ブリティッシュコロンビア州(BC州)バンクーバー島のカウチンバレー地区を対象として,地域資源を活かしたアグリツーリズムの事例分析から,農村観光の特徴を明らかにする。<br> バンクーバー島は,BC州の南西端に位置する。島全体の人口は約76万であるが,2000年以降一貫して増加を続けている。主要都市は島の南東部に集中しており,BC州の州都であるビクトリア(人口:約34万)は島の南東端に位置する。島の主要産業は元々林業であったが,近年では豊かな自然環境を活かしたアウトドア観光のほか,植民地時代の遺産を活かした都市観光に加えて,農村観光が盛んになっている。 研究対象地域であるカウチンバレー地区は,バンクーバー島の南東部,州都ビクトリアの北に位置する。カウチンバレー地区はカナダで唯一地中海性気候帯に属する温暖な地域である。このような気候条件に加えて,山や海,湖が地区内に近接して存在するという自然環境,島の主要都市から車でおよそ1時間という立地条件から,近年観光業に力を入れている。&nbsp; <br> カウチンバレー地区では恵まれた自然条件の下,多様な農業が展開され,それらを観光に結びつける動きが盛んである。当地区では西部が山間地で農業不適である一方,中央部の丘陵地では畜産関係,東部を南北に走る主要道路沿いには果樹・野菜生産など高付加価値で比較的集約的な農場が分布するとともに,菊地ほか(2016)で示されたワイナリーも分布する。 農業生産者はいくつかの形態でアグリツーリズムの場を提供する。一つは主要都市ダンカンで毎週土曜日に開催されるファーマーズ・マーケットである。このマーケットは通年開催で,出店登録者は177(2016年)である。地元農業者を中心に出店があり,直売としての機能のほか,出店者の農場と消費者を結びつける役割を果たしている。 ワイナリーはカウチンバレー地区を特徴づける重要なアグリツーリズムの場であるが,ここでは地区で唯一のアップルサイダー農場の事例を紹介する。地区南部の丘陵地コブヒルに立地するこの農場では,自園地で生産したリンゴからアップルサイダーを生産・販売している。整備された園地ではリンゴの生産,商品の直売のほか,ビストロが併設されるとともに,結婚式場としても使用される。その他に発表では,地域密着型農業に取り組む農家レストランの事例,ファームツアーを開催する水牛農家の事例を紹介する予定である。<br> 対象地区の海岸部に位置するカワチンベイ(図1)は,2009年に北アメリカで最初のスローシティ組織である&ldquo;Citta Slow(チッタスロウ)&rdquo;コミュニティに認定された。カワチンベイは夏季には大変賑わいを見せる観光地になっているが,同組織の活動趣旨は経済的な観光地化ではなく,農村地域のコミュニティ形成にあるという。本発表では,このスローシティの実態を紹介したい。
著者
藤本 潔 羽佐田 紘大 谷口 真吾 古川 恵太 小野 賢二 渡辺 信
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br><br>マングローブ林は、一般に潮間帯上部という極めて限られた環境下にのみ成立することから、温暖化に伴う海面上昇は、その生態系へ多大な影響を及ぼすであろうことが予想される。西表島に隣接する石垣島の海面水位は、1968年以降、全球平均とほぼ同一の年平均2.3mmの速度で上昇しつつある(沖縄気象台 2018)。すなわち、ここ50年間で11.5cm上昇した計算となる。近年の上昇速度が年10mmを超えるミクロネシア連邦ポンペイ島では、マングローブ泥炭堆積域で、その生産を担うヤエヤマヒルギ属の立木密度が低下した林分では大規模な表層侵食が進行しつつあることが明らかになって来た(藤本ほか 2016)。本発表は、本年2月および8月に西表島のマングローブ林を対象に実施した現地調査で見出された海面上昇の影響と考えられる現象について報告する。<br><br>2.研究方法<br><br>筆者らは、西表島ではこれまで船浦湾のヤエヤマヒルギ林とオヒルギ林に固定プロットを設置し、植生構造と立地環境の観測研究を行ってきた。今回は、由布島対岸に位置するマヤプシキ林に新たに固定プロット(幅5m、奥行70m)を設置し、地盤高測量と毎木調査を行った。プロットは海側林縁部から海岸線とほぼ直行する形で設置した。地盤高測量は水準器付きポケットコンパスを用い、cmオーダーで微地形を表記できるよう多点で測量し、ArcGIS 3D analystを用いて等高線図を作成した。標高は、測量時の海面高度を基準に、石垣港の潮位表を用いて算出した。毎木調査は、胸高(1.3m)以上の全立木に番号を付し、樹種名、位置(XY座標)、直径(ヤエヤマヒルギは最上部の支柱根上30cm、それ以外の樹種は胸高)、樹高を記載した。<br><br>3.結果<br><br> 海側10mはマヤプシキのほぼ純林、10~33mの間はマヤプシキとヤエヤマヒルギの混交林、33~50mの間はヤエヤマヒルギとオヒルギの混交林、50mより内陸側はほぼオヒルギの純林となっていた。70m地点には立ち枯れしたシマシラキが確認された。立ち枯れしたシマシラキは、プロット外にも多数確認された。<br><br> マヤプシキは直径5㎝未満の小径木が46%、5~10cmが37%を占める。20m地点までは直径10cm未満のものがほとんどを占めるが、20~33mの間は直径10cmを超えるものが過半数を占めるようになる。最大直径は23.3cm、最大樹高は5.7mであった。ヤエヤマヒルギはほとんどが直径10cm未満で、直径5cm未満の小径木が74%を占める。最大直径は47m付近の13.8cm、最大樹高は5.7mであった。オヒルギは直径5cm未満の小径木は少なく、50~70mの間では直径10cm以上、樹高6m以上のものがほぼ半数を占める。最大直径は19.9cm、最大樹高は11.1mに達する。<br><br>地盤高は、海側林縁部が標高+28cmで、内陸側に向かい徐々に高くなり、45m付近で+50cm程になる。45mより内陸側にはアナジャコの塚であったと思われる比高10~20cm程の微高地が見られるが、一般的なアナジャコの塚に比べると起伏は小さい。この林の最も内陸側には、起伏の大きな現成のアナジャコの塚が存在し、そこではシマシラキの生木が確認された。立ち枯れしたシマシラキはアナジャコの塚であったと思われる起伏の小さな微高地上に分布していた。<br><br>4.考察<br><br> シマシラキはバックマングローブの一種で、通常はほとんど潮位の届かない地盤高に生育している。立ち枯れしたシマシラキはアナジャコの塚上に生育していたが、近年の海面上昇に伴いアナジャコの塚が侵食され地盤高を減じたため、冠水頻度が増し枯死した可能性がある。船浦湾に面する浜堤の海側前縁部にはヒルギモドキの小群落が見られるが、近年海岸侵食が進み、そのケーブル根が露出していることも確認された。このように、全球平均とほぼ同様な速度で進みつつある海面上昇に対しても、一部の樹種では目に見える形での影響が現れ始めていることが明らかになった。<br><br>参考文献<br>沖縄気象台 2018. 沖縄の気候変動監視レポート2018. 藤本潔 2016. 日本地理学会発表要旨集 90: 101.