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著者
森口 美都男
雑誌
人文研究 (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.59-72, 1965

一 第一次大戦の始まる直前、ディルタイは相並び立つ多種多様の世界観の相対性の事実を強調すると共に、その様な「無政府状態」から脱出しうる唯一の途として、彼のいわゆる「歴史意識」の徹底とそこに基礎をおく類型化的把握とを提案した。……
著者
胡 玉華
出版者
駒澤大学外国語部
雑誌
駒沢大学外国語部論集 (ISSN:03899837)
巻号頁・発行日
no.55, pp.91-108, 2001-09

近年来、日本における中国語学習者の増加にともなって、夥しい種類の中国語教科書が次々に現れ、初級だけでも毎年30種類以上の新刊が出るほどである。それ自体は、多様で独創的な教材選択の範囲を大きく広げ、中国語教授者にとって喜ばしい現象であることを否定するつもりはない。しかしながら、他方、「その教育内容や教育過程についてはほとんど研究が行われず、教員の資質や教科書の内容に関して現状はまさに百花繚乱であり、いわば無政府状態である」という手厳しい指摘もあり、それは当を得た鋭い批判であると言える。そうした状態の中で、教育する側にとって、中国語の授業を如何に適切かつ効果的に行うかという課題の検討がいっそう重要になってきている。教育現象を心理学的に研究することを目標とする教育心理学(educational psychology)によれば、授業は、教師の教授活動と学生の学習活動との統一的な過程である。教授活動は、学生が一定の学習活動を遂行し得ること(課題の解決)を目指して行われるが、その解決する課題の内容によって、学習活動は二つのタイプに分けられる。一つは、それぞれの「課題」と「解答」を対にして学習するという「個別的学習」タイプである。例えば、歴史年号を学習する際に、「新中国の誕生は1949年だ」という一つの「課題」を学習すると、それ一つについては「解答」することができるようになる。しかし、「では、文化大革命は何年に始まったか」という別の「課題」には全く答えることができない。もう一つは、多くの「課題」に答えるために、それらの課題を全体として支配する「ルール」を学習するという「ルール学習」タイプである。例えば、数学・物理のさまざまな「法則」・「原理」・「公式」の学習が「ルール学習」にあたる。また、外国語の文法(例えば、語序の規則・動作の時制・態の表現方法など)はルール化することができるので、「ルール学習」を行うことが可能である。「ルール学習」の教授過程は、最も基本的で単純なパターンとして、特定のルール(rule)の例示と、そのルールの活用事例(example)の例示という2つのファクターによって構成される。例えば、中国語文法の例を取り上げると、ルール:中国語の動詞は目的語の前につくルールの事例:我(僕)/〓(君)/〓(愛する)我愛〓。(僕は君を愛している)このような「中国語の動詞は目的語の前につく」という「ルール」を覚えると、たくさんの中国語文が読め、書けるようになる。つまり、「個別的学習」に比べて、「ルール学習」は記憶の負担が少なく、未知の課題の予測、或いは解答も可能になるという大きな利点がある。しかし、中国語の文法がルール化を可能にする構造を持っているからといって、中国語文法の教授が「ルール学習」で必ずしも成功するとは限らない。文法事象をどのようにルール化するか、当該ルールを学習者に理解させるために複数の事例からどの事例を選択するか、ルールと事例をどのような配列で提示するか、ルールの例外例をどう扱うか、ルールを既有知識と結びつけられるかどうかなどの問題を解明しなければ、文法規則の学習過程はさしずめ「個別的学習」にとどまってしまうだろう。ここでは、「ルール学習」という教育心理学の視点に基づいて、近年出版された中国語教科書の幾つかを参照し、中国語文法教授の現状及びその問題点を分析し、文法教授における「ルール学習」の留意点を検討したい。
著者
西部 均
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.252, 2005

今日の急激な経済発展の道を驀進する巨大な中国社会を牽引する上海という場所は,世界中の資本主義諸国からますます熱い眼差しを注がれている。それは何も経済ばかりの話ではない。この上海という都市は,かつて世界でも特異な性格をもつ場所として世界史にその名を刻み,欧米人や日本人にとっても因縁深い係わりがあった。その記憶が今,発掘され整理されようとしている。1980年代以降,近代上海を題材とする文芸作品は急激にその数を増し,また近代上海史研究もさまざまな分野から貢献が相次ぐようになった。この近代上海ブームは中国や欧米でもますます加熱し,止まるところを知らない勢いだ。こうした近代上海史研究の中から,近代上海の世界的な特異性と魅力の一端が明かにされた。つまり,上海は他の場所では受容されがたい極端な異質性,つまり東洋と西洋,支配者と抵抗者,富者と貧者,生と死などが同時に包みこまれてしまう。ここでは,世界50国からまた中国各地からやってきた人々のアイデンティティが見事にすれ違い,それでいて彼らを一所に共在させる磁力が働いていた。彼らは,その磁力の赴くままに身を任せながら自らのアイデンティティを浮遊させ,近代上海の限りない可能性を謳歌した反面,無政府状態の闇社会の中に転落していった。しかし,これは都市を都市たらしめている要素であり,その要素の極端な表出の見られた近代上海は,都市を考えるうえで絶好の事例を用意してくれる。<BR>先行研究において,上海に作られた日本人社会は,常に流民と言える人々からエネルギーを送り続けられて成立した社会だったことが明らかにされている。零細貿易商や「からゆきさん」に代表される彼らは,日本社会で食い詰め,ろくな元でももたずに渡来し,上海で成功することに賭けた人たちである。彼らの存在は,忠孝の封建遺制的な倫理や家父長的規範に堅固に守られた本国社会になじめなかった人たちにとって,絶好のアジールを与える自由さを醸し出すことになった。しかし,先行研究において注目を集めてきたのは,こうした土着派居留民ではなく,上海に関する文芸作品をものし同時代の日本社会に上海の魅力を印象づけた芥川龍之介,村松梢風,横光利一のような,「遊滬派」の人たちである。彼らの表象分析において,「魔都」イメージのなかで日本人にとっての上海像がとらえられることが多かった。「魔都」イメージにおいてエログロナンセンスに酔う本国のモダニストたちに,西洋と東洋の混じり合う異国のエキセントリックな魅力は危険と隣り合わせで,虎穴に入らずんば…,という冒険心をかき立てる。しかし,これは近代上海に対する日本人の係わり方の片面でしかなく,いまだそのバランスの取れた日本人にとっての上海の認識像を描き出せてはいない。そこで,日本人の遺した各種表象の中から当時の日本人の上海への係わり方を探り出していく必要がある。<BR>近代期に日本人の書き残した上海の表象は,膨大な数に上るが,上海で刊行されたものなどの散逸が激しく,閲覧が容易でないものも多い。しかし,仮にこれらをジャンル分けすれば,以下のようなものが得られる。すなわち,日本国政府機関による調査報告,渡航者向けガイドブック,居留民のエッセイ・ルポルタージュ,作家の文芸作品,紀行文,郷土史などである。この中で,本研究の課題に最も有用なのはガイドブックである。ガイドブックは,上海ものの文芸作品と同じく,種類も多く,版を重ね続け,多くの日本人読者を得たことが分かる。そこで,1900-1930年代のガイドブックの内容を検討すると,以下のようなことが言える。すなわち,中国語の上海ガイドには上海で生活するためのプラグマチックな情報が満載されているのに対し,日本語のガイドには上海で事業をおこすための情報に偏りが見られる。さらに,日本語ガイドには上海の地政学的位置や行政機構について概説が充実している。上海での社交術の紹介もある中国語ガイドには,中国社会に張りめぐらされた人脈ネットワークを推測させるが,日本人にとっての上海はまず自分の足で立たなければならない異国の地であった。しかし,1920年代,1930年代に進むとともに,日本人社会の拡大,組織化が進み,日本人社会の紹介記事が幅を利かすようになる。また,上海自体の発展とともに,上海を楽しもうとするゆとりが示されるようになる。さらに,その他の表象のなかで紹介された中国人の習慣・風俗,中国人社会への関心の広がりが示されるようになった。上海の日本人にとって,中国人は優越感を感じる差別対象であるとともに,同時に欧米人に対して同じ劣等者であるという同種意識の対象でもあり得た。中国人との関係を遮断する傾向にあった欧米人に比べ,日本人の中国社会への関心の広がりは注目すべき事象である。また,ガイドブックと文芸作品との関係も検討すべき課題である。
出版者
日経BP社 ; 1999-
雑誌
日経Linux : Nikkei Linux (ISSN:13450182)
巻号頁・発行日
vol.16, no.7, pp.99-101, 2014-07

YouTubeやニコ動を視聴ホームシアターにもPart3音楽/動画を楽しむSteamOSの独自UI環境ではWebブラウザーやミュージックプレーヤーも利用できます。また、GNOME環境に好みのLinuxアプリケーションを導入して利用することも可能です。ここではSteamOSの独自UI環境で音楽を再…
出版者
日経BP社 ; 1999-
雑誌
日経Linux : Nikkei Linux (ISSN:13450182)
巻号頁・発行日
vol.16, no.7, pp.95-98, 2014-07

厳選!お薦めゲームはこの4本Part2ゲームで遊ぶSteamOSの準備が整ったので、まずはゲームで遊んでみましょう。クレジットカードやPayPalでゲームを購入できます。Steamアカウントを既に取得している場合は、そのアカウントをSteamOS上で利用することにより、購入済みの…
著者
太田辰幸
出版者
東洋大学
雑誌
経営論集
巻号頁・発行日
no.56, 2002-03-23
出版者
日経BP社
雑誌
日経BPガバメントテクノロジー
巻号頁・発行日
no.12, pp.35-39, 2006-07

紙の書類の管理はきちんとしていますか?-こう聞かれてドッキリする担当者は多いのでは。今注目の「セキュアプリント」に加えて、全文書を4つのセキュリティレベルに分類する規則を定めた自治体の例を紹介する。 「自治体の紙文書のセキュリティは、危険なグレーゾーンにある」と警告するのは、ニッセイエブロ総合研究所の村岡正司所長だ。
著者
久松 理一
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.61, no.8, pp.1523-1537, 2019 (Released:2019-08-20)
参考文献数
82

原因不明の慢性炎症性疾患である炎症性腸疾患(inflammatory bowel disease,IBD)はいまだ増加傾向が続いており,長期予後改善を目指した新たな治療戦略が必要である.具体的な治療目標を設定したtreat to target(T2T)に基づく治療戦略の重要性が唱えられている.内視鏡的寛解が標準的な治療目標として設定され,さらに組織学的寛解を治療目標とするべきかの検討も行われている.T2T治療戦略には適切なモニタリングも重要であり,便バイオマーカーであるカルプロテクチンや便潜血定量法が使用可能となった.さらにカプセル内視鏡や小腸バルーン内視鏡の発達により小腸病変雄モニタリングも可能になった.さらにcross sectional imagingも進歩し日常診療の診断・モニタリングツールとして使用されている.治療の面では,5-アミノサリチル酸製剤やブデソニド製剤の選択肢が増え,チオプリン製剤についてはNUDT15遺伝子多型を含めた新たなエビデンスが構築されつつある.さらに抗TNFα抗体製剤の成功によりIBDに対する分子標的治療薬がめざましい勢いで開発されつつある.
著者
平岡 佐規子 加藤 順 岡田 裕之
出版者
一般財団法人 日本消化器病学会
雑誌
日本消化器病学会雑誌 (ISSN:04466586)
巻号頁・発行日
vol.115, no.3, pp.262-271, 2018-03-10 (Released:2018-03-12)
参考文献数
53

炎症性腸疾患は慢性疾患であり,生涯を通じ疾患活動性の評価が必要である.腸管炎症の評価の基準は内視鏡検査であるが,頻回の施行は避けたく,代替となるバイオマーカーが必須である.最近本邦でも便中カルプロテクチン(Fcal)が保険収載され,便中マーカーが注目されている.Fcalは欧米で広く利用されており,炎症性腸疾患の疾患活動性との関連,機能性疾患との鑑別に関しエビデンスも豊富である.一方,本邦から発信した免疫学的便潜血検査は,特に潰瘍性大腸炎の粘膜治癒予測においてはFcalより優れている.その他,血液マーカーでは,CRPなどの有用性が報告されているが,新規バイオマーカーの開発も期待される.
著者
林 洋輔
出版者
一般社団法人 日本体育・スポーツ・健康学会
雑誌
体育学研究 (ISSN:04846710)
巻号頁・発行日
pp.14035, (Released:2015-04-10)
参考文献数
56
被引用文献数
3 1

In the present study, an attempt was made to clarify the whole structure and originality of Taiiku-gaku (Science of PE, Health and Sport Sciences), centering on the ‘tree of sciences’ theory of René Descartes (1596-1650). In the study of physical education philosophy, some attempts have been made to reveal the whole structure and originality of Taiiku-gaku. It seems more appropriate to discuss and address this issue by defining certain principles at the outset. For this purpose, it would informative to examine this issue from the philosophical perspective of Descartes’ ‘tree of sciences’ philosophy. In the history of discussion to clarify the whole structure and originality of Taiiku-gaku among researchers, three essential characteristics become evident: (1) Science should be aimed at being practical and useful, (2) it should contribute to our well-being, and (3) it should aid the search for wisdom. Up to now, it appears that Taiiku-gaku as a science has advanced in line with these characteristics. However, Descartes revealed his vision of the purpose of science through the “tree of sciences” in his Principia Philosophiae (Principles of Philosophy). He analogized the whole structure of science (philosophy) to a tree with its roots, trunk, branches and fruit. The present paper therefore utilizes this concept of Descartes to answer the question. In conclusion, the whole structure of Taiiku-gaku could be understood as being analogous to a tree, and the originality of Taiiku-gaku does not depend on humans themselves or human movement as a fundamental research object. The originality of Taiiku-gaku can be analogized with the achievement of Generosity, which is the goal of the “tree of sciences”. Thus, on the basis of output diversity analogous to fruit taken from branches of the tree, the originality can be characterized as a science that tries to achieve the highest performance of human movement imaginable. More enlightened discussion can ensue by reconsidering the concept of taiiku (which is different from Physical Education) and the identity of Taiiku-gaku researchers.

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著者
久保田米僊 著
出版者
田中治兵衛
巻号頁・発行日
1887