著者
小笠原 弘幸
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1, pp.86-112, 2008-06

Ottoman historians often claimed the existence of a close relationship between the Ottoman Empire and the Seljuk Dynasty, although no reliable contemporary source can show this relationship to be based on historical fact. Nevertheless, these accounts of such a relationship were of value because they provided legitimacy for Ottoman empire rule. The purpose of this article is to investigate how the Ottoman historians of the 15th and 16th centuries went about narrating this pseudo-genealogical relationship.During the 15th century, Ottoman historians stressed the Oğuz origins common to the Ottoman Empire and Seljuk Dynasty (see Yazıcıoğlu, Kemâl and Neşrî), and even invented a marriage between the Ottoman ancestor and the Seljuk royal family (see Enverî, Râdvûn and Ebû’l-heyr). These accounts worked as a means of legitimizing Ottoman rule in 15th century Anatolia, where many Turkish emirates claimed to be successors of the Seljuks.However, the narrative concerning the Seljuks drastically changed during the 16th century, with no Ottoman historian writing about the above-mentioned marriage and only a few (Bitlîsî, Nasûh and Lokmân) regarding the Seljuk Dynasty as Oğuz in origin. The most popularly supported non-Oğuz origin was Afrasiyab, the legendary Turkish king of Shāhnāme (see Bitlîsî, Küçük Nişancı and Lokmân), who was generally favored among such Persian historians as Mustawfī. Another possible ancestor was the Prophet Abraham (see Zaʻîm, Abû’l-ʻAbbâs), although no non-Ottoman historian ever mentioned any Abrahamic origins regarding the Seljuks. Some of the sources argued that the Turks originated from Abraham, however(see Jāhiz, Ibn ʻInaba).The author concludes from this examination that the change of narrative between the two centuries in question was caused by two factors: the political situation and historiographical trends. During the 16th century, the legitimizing force of the Seljuks was deemphasized, as the Ottoman Empire developed beyond the former territories of the Rum Seljuks and came under the stronger influence of Persian historiography.
著者
金子 真司 後藤 義明 田淵 隆一 赤間 亮夫 池田 重人 篠宮 佳樹 今村 直広
出版者
国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所
雑誌
森林総合研究所研究報告 (ISSN:09164405)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.259-264, 2018 (Released:2018-11-15)
参考文献数
18

福島県十万山(浪江町・双葉町)の森林火災(2017年4月29日~ 5月10日)の延焼地において、火災直後に山頂部のアカマツ林と谷部のスギ林で樹木と土壌の試料を採取して放射性セシウム(RCs: 134Cs+137Cs)濃度を測定して火災の影響を調べた。樹木については、同一木の幹の燃焼側と非燃焼側から樹皮を採取した。土壌は燃焼地と隣接する非燃焼地から堆積有機物層と表層土壌を採取した。アカマツでは燃焼樹皮が非燃焼樹皮に比べて現存量とRCs 濃度とRCs 蓄積量が小さかった個体が存在した。また、アカマツ林、スギ林で調査したすべての堆積有機物層のRCs 濃度が燃焼箇所に比べて非燃焼箇所で高かった。
著者
菅野 浩明
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.71, no.8, pp.524-525, 2016-08-05 (Released:2016-11-16)
参考文献数
8

現代物理のキーワード数え上げ不変量の母関数から見えてくるもの
著者
五利江 重昭
出版者
Japanese Society for Aquaculture Science
雑誌
水産増殖 (ISSN:03714217)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.519-527, 2001-12-20 (Released:2010-10-28)
参考文献数
7
被引用文献数
6

MS-Excelのソルバーを用いて,非線形最小二乗法および最尤法によりvon Bertalanffyの成長式のパラメータを推定するワークシートを作成した。兵庫県但馬沿岸域で漁獲されたヒラメ(雄)の耳石の測定結果と年齢一体長関係について,パラメータの推定結果をWalfordの定差図法と比較したところ,Walfordの定差図法では成長係数が過小評価になっていると考えられた。また,最小二乗法と最尤法では,推定されたパラメータは同じであった。ここで示した成長式のパラメータを推定するワークシートは,年齢-体長データから成長式のパラメータを推定するのに役立つだろう。
著者
五利江 重昭
出版者
Japanese Society for Aquaculture Science
雑誌
水産増殖 (ISSN:03714217)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.243-249, 2002-06-20 (Released:2010-03-09)
参考文献数
16
被引用文献数
1

MS-Excelのソルバーを用い, 最尤法および非線形最小二乗法により, 全長組成の相対度数分布を混合正規分布に分解して, 各年齢の混合比とAge-Length keyを推定するワークシートを作成した。計算例題として, 兵庫県の但馬沿岸域で漁獲されたヒラメの全長組成と, 成長式のパラメータ推定時に得られる情報を用い, 最尤法と最小二乗法でパラメータの推定結果を比較したところ, 両者に若干の差が見られた。しかし収束状況は, 最小二乗法の方が最尤法よりも安定しているので, ソルバーの制約条件を工夫し, 最小二乗法を用いて収束させるのが実用的であると思われた。ソルバーの制限条件をよく理解した上でこのワークシートを用いれば, 年齢別漁獲尾数の推定や, 放流効果の評価に役立つだろう。また他の対象種に合わせてワークシートを改良する雛形として使用できる。
著者
三島 済一
出版者
医学書院
雑誌
臨床眼科 (ISSN:03705579)
巻号頁・発行日
vol.47, no.11, pp.197, 1993-10-30

姫路の眼科医,高橋江春が明治18年,国産最初の義眼を作り,『義眼要弁』という本を著した。曾孫の高橋先生,京都の奥沢先生からその実物を送って頂いて,見ると素晴らしい出来ばえで,お椀のような形をし,眼球の上にかぶせるようになっている。当時は風眼,旬行性角膜潰瘍が非常に多く,角膜ぶどう腫や眼球萎縮などになったので,前者では眼球縮小術をしてこの義眼をかぶせると,よく動き,容貌が改善し,喜ばれたことはまちがいない。 明治28年,日清戦争で負傷した元兵士に対し,恩賜の義手,義足,義眼が下賜されている。当時の義眼には輸入されたものもあったが,この恩賜の義眼は高橋義眼であろうと思っている。当時の陸軍軍医学校の図書室には眼科の本として,保利真直著3冊,伊東元春訳1冊と『義眼要弁』があった。したがって陸軍は高橋義眼をよく知っており,これを用いたに違いない。
著者
早川 康夫
出版者
日本草地学会
雑誌
日本草地学会誌 (ISSN:04475933)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.169-175, 1995-07-30 (Released:2017-07-07)
参考文献数
15
被引用文献数
1

現在日本の大家畜は牛が主であるが,つい半世紀前までは,国の方針で馬の改良増殖に力を注いでいた。馬は国威高揚のための軍事力として欠かかせぬものであった。しかし草食動物をまとめて多頭数飼養するとなると"まき場"が必要になる。難波,大和,平安時代は河内国の旧河内湖周辺の肥沃湿地に繁茂するヨシを拠り所に馬飼部造を置いた。ついで信濃16牧を設けたが,その3/4は湖跡,河川敷のヨシ原を中心とし埴原牧と浅間山麓の3牧だけが丘陵地形上のススキ,チガヤが使われた。これ以後設立される牧場は山麓丘陵地が,選ばれることが多く大正初期発足の馬産供用限定地では,これが馬牧の標準的立地とみなされるようになった。つまり馬糧野草が湿性遷移系列から乾性遷移系列に変わった。戦後は馬も野草もその用途を大幅縮小し競走馬などが牧草地で僅かに飼われるが,"牛飲馬食"といわれた採食量が野草時代に比べ低減,逆転する。
著者
上野 健爾
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.43, no.10, pp.785-794, 1988-10-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
10
著者
菅谷 成子
出版者
京都大学東南アジア地域研究研究所
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.374-396, 2006-03-31 (Released:2017-10-31)

About forty years ago, Edgar Wickberg, in his pioneering and seminal work on the nineteenth-century Philippines, established how the Chinese had emerged as a commercially powerful foreign group in a Spanish colonial setting, while the Chinese mestizos had risen as a “special kind of Filipino” to support Philippine national awakening toward the turn of the century. Recently, scholars such as Richard T. Chu have questioned the identity of the Chinese mestizo as a “special kind of Filipino.” Chu argues that Chinese mestizos at the turn of the century had multiple, fluid, and ambiguous identities and cannot be said to have had a simple Filipino identity. He concludes that the Filipino identity as a nation was only established definitely after 1910. This paper identifies some of the particular historical factors that brought about the social rise of the Chinese mestizo as an uniquely Spanish colonial being distinct from the “chhut-sì-á” or “tsut-sia” of later years. This paper also shows that the “Chinese mestizos” Wickberg had in mind were not the same “Chinese mestizos” that Chu deals in his recent works, and suggests that the study of overseas Chinese or Chinese overseas can be relevant to Southeast Asian Studies only when it is placed in a historical context and perspective.

15 0 0 0 OA 美の認知

著者
川畑 秀明
出版者
認知神経科学会
雑誌
認知神経科学 (ISSN:13444298)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.84-88, 2011 (Released:2017-04-12)
被引用文献数
1

人は何に、どのように美を感じるのであろうか。芸術や美をめぐる問題は自然科学 からのアプローチが極めて稀であったが、近年の機能脳画像の手法の進歩はそれを可能にし た。この神経美学は、人文科学の問題を自然科学の手法を用いて明らかにしようとするた め、その問題の所在が自然科学者には分かりにくい点も多い。本稿では、哲学から心理学、 脳神経科学に至る美の認知研究の課題を整理した上で、美の本質、基準、過程という3 つの 問題に対するアプローチの例を紹介しながら、美の認知研究の枠組みを論じる。
著者
鶴田 幸恵
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.17-31, 2017-12-26 (Released:2019-01-28)
参考文献数
16

この論文の目的は「トランスジェンダー」概念と「性同一性障害(GID)」概念の関係について,トランスジェンダーとして生きる三橋さんと,性同一性障害として生きるAさんへのインタビューの分析から見通しを与えることである. 三橋さんは,「トランスジェンダー」が性別役割の押しつけからの解放を求める運動と結びついたカテゴリーであるのに対し,「GID」は医学の身体本質主義と結びついた医療カテゴリーであると語る.それに対してAさんは,「GID」をある種の「障害」カテゴリーとして,「トランスジェンダー」と対立的には捉えていない.Aさんは,「障害」というものを社会の側にあると位置づける理解の仕方によって,また三橋さんや私が前提としているようにトランスジェンダーと性同一性障害を対立した存在だとは捉えないことによって,性同一性障害というものをアイデンティティとすることができている. 両者の概念の用法は対立するように見えるかもしれないが,いずれも彼女らが直面してきた問題をサバイブするための手段だと考えることもできる.それゆえ,彼女らのアイデンティティ・カテゴリーは,彼女らの生きている社会関係と,その関係の中でカテゴリーが埋め込まれた概念連関の中で理解されなくてはならない.

5 0 0 0 OA 競馬年鑑

出版者
競馬研究会
巻号頁・発行日
vol.昭和11年版, 1936