著者
武部 玲央 古市 徹 石井 一英
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集G(環境)
巻号頁・発行日
vol.69, no.6, pp.II_301-II_312, 2013

本研究は,稚内市及び離島を含む計5地域からなる宗谷地域の生ごみとそれ以外の可燃ごみ中の紙・プラ・布・木くず(燃料ごみ)の両方を対象とし,(1)既設バイオガス施設利用とごみ燃料(RDF)化施設の新設による地域循環圏シナリオを構築し,(2)コスト,リサイクル率,最終処分量を評価軸とし,現状の焼却施設更新シナリオと比較した場合の改善効果を解析し,実行可能な地域循環の構築例を示すことを目的とした.生ごみについては利尻・礼文島からコンテナ–フェリー輸送で稚内市の既設バイオガス化施設に運搬し,燃料ごみについては全ての地域からコンテナ輸送(またはコンテナ–フェリー輸送)し,稚内市で集中的にRDF化し,旭川市の既設製紙工場で利用するシナリオの改善効果が高いことを示した.
著者
永井 義人
出版者
広島市立大学国際学部
雑誌
広島国際研究 (ISSN:13413546)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.1-11, 2015

Yasugi City, Shimane Prefecture, and Miryang City, South Gyeongsang Province (South Korea), formed sister government ties in October, 1990, and made extensive efforts on developing friendly relations with each other. However, the interexchange was interrupted, because the Japan-South Korea relation had deteriorated after the establishment of the "Takeshima Day" Ordinance by Shimane Prefectural Assembly in 2005. After the interruption, the mayor of Yasugi visited South Korea in a personal capacity, and showed his desire to resume the interexchange to the mayor of Miryang in May, 2006. As a result, the interexchange resumed.13;The subject of this research is to clarify the process of resuming the interexchange between Yasugi City and Miryang City, and also to describe the situation after the program resumed during confrontations between Japan and South Korea. Although continuing the interexchange became difficult again in 2008, because of Japanese and South Korean provocations regarding Takeshima, an unstable interexchange has continued until now (2015). The interexchange was continued thanks to positive efforts of the mayors. However, when the mayors changed, continuation of the interexchange was threatened. The conclusion of this case study is that it is not easy to build a foundation for interexchange programs during confrontation between nations.
著者
リヒタ ウヴェ 渡部 貞昭
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.255-261, 0000

2001年1月31日、ドイツ連邦政府は急進右翼のドイツ国民民主党(NPD)の禁止を連邦憲法裁判所に申し立てた。その理由は、外国人への暴行及びユダヤ人施設への冒涜・破壊行為の件数が増大したからであった。本稿はホロコーストと同胞のユダヤ人にたいする西ドイツ戦後社会の態度の考察である。
著者
武井 祥 阿部 匡伸 徳永 幸生 杉山 精
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.72, pp.309-310, 2010-03-08
参考文献数
1
著者
渡辺 謙仁
雑誌
第31回天文教育研究会・2017年天文教育普及研究会年会 集録
巻号頁・発行日
2017

第31回天文教育研究会, 2017年8月6日-8日, 西本願寺 聞法会館, 京都市.
著者
黒木 貴一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.177, 2004

_I_.はじめに 福岡教育大学では自然地理の内容に関し、1年生前期の人文地理学及び自然地理学(15/2コ)、1年生後期の地理学概論(15/2コ)、2年生前期の自然地理学講義(15コ)、3年生の自然地理学実習(30コ) と自然地理学演習(30コ)で講義等がなされる。これらの内容は学年が進むほど専門性が増すようになっている。しかしこれらは自然地理学全般の内容は網羅できず、リモセンやGISなど新しい自然地理学の内容までは十分紹介できない。それ以前に、高等学校の地理を履修していない学生数が急増してきた問題がある。これまで本学の抱える自然地理教育の諸問題を明らかにし、自然地理学実習や地理学概論などを通じて教育方法を検討し、その問題解決方法を模索してきた(黒木,2003, 2004;黒木ほか,2004)。本稿ではその検討と模索状況を紹介し、自然地理学の技能や資質を有する小・中学校教員養成の課題について述べる。_II_.本学の自然地理教育にある問題1.社会科教員を目指す学生の教科への意識 本学で社会科教員を目指す人文系学生の多くは、1)地理の内容が難しいと感じており履修を敬遠し歴史教科を選択しがちである、2)履修意識は第一に資格取得にあり踏み込んだ教科内容を敬遠する、3)泥にまみれ汗を流す自然地理の野外調査に抵抗を感じ自然地理よりも人文地理に進みやすいという特性がある。多くの学生が、1)地理は暗記科目であり、2)教科書の内容は最先端であり、3)自然地理は自然科学の一部とは思っておらず、また4)自然地理に野外調査が必須であるとはあまり考えていない。2.教育環境の問題講義等を進めるにあたり、_丸1_実習室や実験室がない、_丸2_年間履修上限42単位が設定されている、_丸3_多様なコースの学生が全学年履修する実態がある、_丸4_教育関連の実習の種類が多く、_丸5_受け入れ先の都合で五月雨式に学生が休む、などの問題もあり十分な教育環境を提供できていない。_III_.取り組みの現状(対策)_II_.の問題を背景に講義等では、1)新しい自然地理内容の学習、2)文献・資料調査や計算を伴う学習、3)野外調査を必須とする学習、4)実験・観察・解析を必要とする学習を実践させ学生の意識改革を図る。実践の中で地図及び地図帳に親しませ(技能)、時間・空間スケール、人文地理と自然地理との関係、他分野の知識が必要な自然地理的分析手法に関する理解(資質)を進めさせることを念頭におく。1) 新しい地理内容学習:自然地理学実習では、共通パソコン室にて、フリーソフト(ArcExplorer, MapWin, カシミール等)を用いた数値地図およびGIS教育を進めている。2) 文献・資料調査や計算:地理学概論では、九州の水循環をテーマにした講義を実施している。この中で気候学、水文学の内容を紹介し、地図帳などの統計資料を使って水量を計算させ、九州島(各県)の水循環を視覚化させる。ここでは統計の持つ様々な空間と時間スケールを、九州島の1年に統一させる計算過程で、地理的な時間・空間スケールの考え方の理解を進めることも企図している。3) 野外調査:社会研究基礎(初等・中等教員養成コースの社会科専攻学生の演習科目)では、キャンパス周辺の現地調査を行い、テーマ毎の地理情報を地図化し、その地図を用いた模擬授業を実践させている。レポートでは学習指導要領と模擬授業との関連を考えさせる。最終的に学生の作成した地図はGISデータ化し、地域環境マップにまとめた。4) 実験・観察・解析:自然地理学演習と卒論を通じて実験、観察、解析を経験させ、自然地理は野外調査が必要な自然科学であることを理解させる。簡易ボーリング、粒度分析や燃焼試験、活断層や火山灰の観察、岩盤節理計測などを実施させている。_IV_.まとめ自然地理が苦手・嫌いな生徒を再生産させないために、自然地理好きの学生を排出することが現在の重要な課題である。講義等を通じて、小・中学校の自然地理を教える上で不可欠な技能や資質を念頭に置く地理的スキル(学び方、調べ方、まとめ方)を理解させるための試みを表1にまとめた。
著者
長谷川 悠里
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.1-22, 2011

<p>Nel Paradiso della Commedia, Il Primo Mobile e il luogo d'origine dello spazio e del tempo, rappresentati come due realta causa-effetto inscindibili. La scelta dantesca di collocare il Primo Mobile come forza motrice del cosmo ha origine nelle autorita antiche, ma l'idea di conferire ad esso una funzione generatrice del tempo e frutto della conciliazione di vari aspetti di diverse correnti di pensiero, cristiane ed antiche. Il Primo Mobile dapprima viene introdotto da Tolomeo per motivi filosofico-speculativi al fine di spiegare il fenomeno della precessione degli equinozi. Prima di Dante, Sant'Agostino aveva gia affermato che il tempo e misura del moto, ma non aveva impostato l'esistenza del Primo Mobile come luogo d'origine del tempo. Solo in Dante, dunque, il Primo Mobile diventa l'elemento unificatore tra il mondo temporale e il mondo non-temporale che, in funzione del motore secondo una legge naturale-divina, regola l'eterno ruotare dell'Universo attorno all'Empireo. In vari luoghi del Paradiso (Par. X-XIII, XXIII-XXIV, XXVII-XXIX), il moto planetario si configura nei cerchi trinitari dei beati e degli Angeli. Negli studi danteschi, l'interpretazione tradizionale dei cerchi delle anime paradisiache afferma che essi simboleggiano, oltre alla sapienza divina e la fede, la perfezione dell'Universo creato da Dio. I cerchi dei beati vengono assimilati ai congegni dell'orologio meccanico nel cielo del Sole e nel cielo delle Stelle Fisse. In merito a tale similitudine, si pone pero una questione: per quale motivo i cerchi dei beati, simbolo della perfezione divina e dell'eternita, vengono paragonati all'orologio meccanico? La nostra coscienza di moderni percepisce il tempo come un concetto contrastante all'eternita. Il divario che si apre tra la natura del tempo e quella dell'eternita conduce inoltre ad un'altra questione: la rotazione dei cerchi dei beati e puro simbolo della perfezione divina? Per comprendere il rapporto tra l'eternita e il tempo in Dante, e necessario risalire agli autori antichi, in primo luogo a Platone. Il dualismo presente nella cosmologia dantesca tra mondo temporale ed eternita ha origine nel Timeo, che vede le forme del tempo come imitazione dell'eternita. Nella visione platonica, la struttura circolare del sistema planetario riporta eternamente tutti i pianeti nello stesso luogo, ed e proprio dal moto dei cieli che il tempo viene ad essere creato e misurato. In questo modo, nel cosmo platonico, la rotazione dei pianeti e il fondamento dell'Universo e garantisce la somiglianza tra l'eternita e il tempo del nostro mondo. Considerando tutto cio, si puo presumere che questo rappresenti uno dei motivi fondamentali per cui i beati danteschi compiono un movimento circolare. In Sant'Agostino l'immagine mobile dell'eternita, il tempo, non solo imita l'eternita, ma anche l'eterna uguaglianza (aequalitas) attraverso il ritmo del movimento dei numeri, i quali costituiscono ogni elemento delle creature. Il concetto platonico e ben presente nel De musica di Agostino, dove si tratta l'idea di aequalitas come legge suprema dell'ordine del creato. Solo l'aequalitas e in grado di mantenere un collegamento armonico fra tutti gli esseri, a loro volta costituiti dai numeri: tutti i numeri muovono da Dio, motore immobile, a Dio, causa finale. Per Agostino, l'aequalitas e il principio di ogni esistenza: ha origine nell'Empireo, dove rimane "eterna aequalitas", un non-luogo eterno, dove non era e non sara, ma sempre e, in un eterno presente. Secondo Dante (Convivio IV, II, 6), il tempo e "numero di movimento, secondo prima e poi" (Aristotele, Fisica IV). Il tempo nasce dai moti circolari del cielo e viene misurato dall'unita di numero eternamente uguale e invariabile. Da questo concetto si</p><p>(View PDF for the rest of the abstract.)</p>
著者
辻田 智子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.215-231, 2012-03

文化大革命では多くの映画作品,映画人が批判されたが,批判の理論的根拠となったひとつ が文芸黒線専政論である。文芸黒線専政論は「林彪同志が江青に委託して開いた部隊文芸工作 座談会紀要」(部隊紀要)で提起された。「部隊紀要」では建国以来のほとんどの映画が否定さ れたが,『南海長城』は映画作品のなかで唯一肯定的にとりあげられている。 『南海長城』はその制作が文革期の文芸政策の根幹に関わる重要な問題であるにもかかわら ず,これまでほとんど論及されてこなかった。また江青が推進した文芸政策の一環としてとら えて論じられたものは管見の限りでは見当たらない。本稿は「部隊紀要」にとりあげられなが ら撮影が中断した映画『南海長城』の制作過程について考察しようとするものである。 江青は文革前から『南海長城』を「模範映画」にしようとする意図を持っていた。中国建国 後17 年間に制作された映画作品のほとんどが否定されたなか,新たな模範を示そうとしたの である。しかしその文芸観は監督である厳寄洲の作風と相容れず,制作が遅々として進まない まま文化大革命を迎える。文革が始まると八一電影製片廠は混乱し,所長の陳播や厳寄洲に対 する批判運動が展開され映画の制作は中断する。映画『南海長城』は文革末期の1976 年9 月 になってようやく完成し10 月に公開された。制作決定から完成まで10 年以上の歳月を要した が,公開されてわずか二週間足らずで公開中止となった。 江青が「模範映画」を作ろうとした背景には「模範」という権威を作り出して自らの権威を 高める意図が潜んでいた。また解放軍所属の映画撮影所である八一電影製片廠という軍の文芸 の力を借りて自らの政治的野心を実現させる思惑もあった。文革により映画の制作が中断した のは,映画制作よりも対立するグループを批判,排除することを選択したこと,文革の開始と ともに江青の政治的地位が急上昇したこと,いっぽうで進めていた京劇改革が成果を上げ評価 されたこと,そのため「模範映画」に依拠する必要がなくなったことなどの要因が考えられる。 本稿は以上について論及し,文革が始まる前から文革に至る文芸政策がどのようになされて いたのかの一端を解明しようとするものである。
著者
竹本 豊
出版者
林業経済学会
雑誌
林業経済研究 (ISSN:02851598)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.12-22, 2009-11-01
被引用文献数
2

2003年4月に,高知県が全国で初めて導入した新税制「森林環境税」は,その後,同様の新税制が30の都道府県にまで波及したことを考えると,非常に興味深い事例である。本稿では,行政内部組織に焦点をあて,森林環境税導入の政策決定過程を解明した。政策決定過程における主要な政策調整は,課税方式と税の使途に存在した。課税方式では,(1)「水道課税方式」の従量制から定額制への変更と(2)「県民税超過課税方式」の選択,税の使途では,(1)ハード・ソフト両面からソフト中心事業への変更と(2)ハード事業の復活である。決定過程を分析すると,知事発言により,新税導入に向けた取り組みが積極化した税務課の新税実現に向けた現実的選択の積み重ねと,決定段階での森林局の実質的関与が特徴的であった。政策決定過程を仮説的に定義すると,ある政策目的に対して理想的な政策手段を追及する過程ではなく,ある政策目的を円滑に達成するための政策手段を選択していく過程であるといえる。
著者
小倉 健太郎
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.5-26, 2021

<p>日本のアニメを論じる際に、しばしば強調されてきたのが平面性だ。アニメの平面性を強調する議論は枚挙にいとまがない。こうした議論では、アニメの平面性はときに日本の伝統美術と結び付けられ、日本固有の性質とされる。日本文化研究者のトーマス・ラマールはこうした議論と距離を置きながらも、やはりアニメの平面性に着目している。彼はセル・アニメーション制作に用いられる撮影台に特有の多平面を層状に合成する構造を「アニメ・マシーン」とし、アニメ・マシーンによって生み出される運動を「アニメティズム」としている。アニメティズムという概念は、とりわけ美学的にアニメを分析する際にはしばしば言及される概念となっている。</p><p>しかし、彼がアニメティズムの例として挙げる大友克洋監督の『スチームボーイ』(2004)は、じつのところアニメ・マシーンとは異なる構造によって生み出されている。こうした構造の先行例としてはフライシャー・スタジオが用いた回転式撮影台を挙げることができる。本論は、回転式撮影台の構造が作り出す独自の映像をフライシャー的空間と定義し、それが日本のアニメにも現れていると主張する。フライシャー的空間は、アニメ・マシーンという議論に欠けているものを浮き彫りにする。平面性に囚われないアニメの可能性がそこには表れているのだ。</p>