著者
本村 健太
出版者
大学美術教育学会
雑誌
美術教育学研究 (ISSN:24332038)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.353-360, 2018 (Released:2019-03-31)
参考文献数
30
被引用文献数
1

2019年のバウハウス創立100周年を目前にして,バウハウス研究において筆者がこれまで継続してきたバウハウス神話を「脱神話化」するための歴史的考察と,バウハウスの「諸芸術の統合」及び「芸術と技術の融合」という芸術的理念を今日に引き継ぐ事例研究として取り組んだ筆者の映像メディア表現の実践を再確認するとともに,現代にまで有効なバウハウスの理念を再考し,バウハウス研究を基礎とする今後の実践的展開を示した。バウハウスに学び,未来を見据え,新しい展望によって造形における提案や解決を行う姿勢を「ニューヴィジョン」と設定し,昨今の「望ましい未来」を提案する「スペキュラティブ・デザイン」などに同様の姿勢をみた。その実践として著者が学生とともに参画し,成果を残した「岩手発・超人スポーツプロジェクト」を紹介するとともに,このテーマで思索するための「ペラコン課題」を教材化の事例として提案した。
著者
渡辺 智 大沼 みお 田中 寛
出版者
日本植物生理学会
雑誌
日本植物生理学会年会およびシンポジウム 講演要旨集 第49回日本植物生理学会年会講演要旨集
巻号頁・発行日
pp.0706, 2008 (Released:2008-12-18)

ヘム合成は生物にとって様々な生理機能に関与する代謝機能であり、特に光合成生物にとっては光合成電子伝達鎖や集光色素の構成経路としての重要な役割を持つ。ヘムはテトラピロール生合成経路を経て最終的にフェロキラターゼ (FeCh) によって合成される。高等植物ではテトラピロール生合成は主に葉緑体で行われることが示唆されてきたが、FeChの酵素活性はミトコンドリアからも検出されることから、その細胞内局在は議論されてきた。 単細胞紅藻Cyanidioschyzon merolaeは核、葉緑体、ミトコンドリアを一つずつ有する極めて単純な細胞をもち、真核細胞成立時の特徴を多く残した生物であることが示唆されている。我々はC. merolae におけるFeChの細胞内局在を明らかにすることを目的として、当研究室において開発されたC. merolaeへの一過的な遺伝子導入技術を用いてFeChの局在解析を行った。HAタグと融合させたFeChをC. merolae細胞に導入し、抗HA抗体で免疫染色後、蛍光観察した結果、ミトコンドリアからの蛍光が確認された。またFeChのアミノ酸配列に基づいた系統解析では、シゾンのFeChは緑色植物の葉緑体局在型FeChと異なるグループに分類された。これらの結果から光合成生物におけるFeChの細胞内局在と、その進化的意義について考察する。
著者
日髙 衣紅
出版者
芸術学研究会
雑誌
芸術学論集 (ISSN:24357227)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.3-12, 2020-12-31 (Released:2021-01-06)
参考文献数
4

本稿は、中国最古の図入りの御籤といわれる『天竺霊籤』の原本を想定し、欠損や後補版の図を再現するための方法を考察したものである。この『天竺霊籤』は南宋時代に刊行されたものと考えられている(以後、南宋版と呼ぶ)。現存するのは86枚で、その中には文字や図の部分的な欠損、後補版が含まれていると考えられている。南宋版と同じ漢詩を伴う御籤は後代に継承され、中国では明代(以後、明版と呼ぶ)、日本では17世紀以降の御籤本が現存する。日本には図も含めて、様々な種類の『天竺霊籤』系統の御籤本が刊行され、100籤が揃っていることから、本来の南宋版も100籤100図から構成されていたと考えられている。本稿では日本の御籤の中で最も中国の御籤を継承する日本の元禄8年(1695)『観音籤註解』(以下、元禄版と呼ぶ)と、南宋版や明版の現存図を手掛かりに、南宋版本来の図を想定し、欠損頁及び後補版の図を補う方法を提示することを目的とする。そのためにまず、元禄版が中国の御籤をどの程度継承するものなのか、テキストと図から検証を行った。そして、南宋版の現存86籤の図の構成については、“モジュール”という観点から考察を行った。これらの検証の結果を基に、元禄版、南宋版の現存図を用いた再現の方法を提示し、南宋版の中で後補版と考えられている75番を例として図の再現を試みた。今回試作によって出来上がった再現図は完全に元の南宋版と一致するとは言い切れないが、失われた一籤の図の大意を示す一つの方法であることを提示した。
著者
山口 優実 佐藤 伸宏 梅﨑 俊郎 安達 一雄 菊池 良和 澤津橋 基広 中川 尚志
出版者
耳鼻と臨床会
雑誌
耳鼻と臨床 (ISSN:04477227)
巻号頁・発行日
vol.63, no.5, pp.151-156, 2017-09-20 (Released:2018-09-20)
参考文献数
9

喉頭全摘出術を施行された無喉頭者(喉頭摘出者)は、永久気管孔より呼吸を行うため鼻孔からの呼吸ができなくなり、嗅裂部への気流が失われ、さらに廃用性に嗅覚障害が起こると考えられている。海外では、嗅覚障害の予防、または改善のため鼻腔内の気流を誘発する演習が、嗅覚器官のリハビリテーション(以下、嗅覚リハ)に適用されており、その有効性も報告されている。しかし本邦では広く普及しているとは言い難く、嗅覚リハに関する報告も極めて少ない。そこで、喉頭全摘出術を施行された喉頭摘出者 11 例に対し、鼻腔内への気流を誘導するための口腔および咽頭内の陰圧を作成する nasal airflow-inducing maneuver(NAIM 法)という嗅覚リハを実施し、噴射式基準嗅力検査にて評価した。検知閾値の平均は、介入前 2.4 から介入後 − 0.5 と有意に改善した。認知閾値の平均は 5.4(高度脱失)から 4.7(高度脱失)と改善傾向であった。また、喉頭摘出から嗅覚リハ開始までの期間は、検知閾値、認知閾値のいずれにも有意な相関は示さなかったが、喉摘から嗅覚リハ開始までの期間と、嗅覚の検知閾値の訓練前後での改善度においては、有意な逆相関を認めた。嗅覚の維持、再獲得の観点からも喉頭全摘出術後は可及的早期に嗅覚リハを開始すべきであることが示唆された。
著者
伊藤 香織
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.1268-1275, 2017-10-25 (Released:2017-10-25)
参考文献数
29
被引用文献数
12 2

質の高い都市環境はシビックプライドを高めると言われているが,その仕組みは明らかになっていない.また,日本の都市に対するシビックプライドのありようは,イギリスをはじめとしてシビックプライドが重視されてきた地域とは異なる部分があると考えられる.そこで,本研究では,シビックプライドの多面性,特に日本の都市・市民のシビックプライドの構成を明らかにすることを第一の目的とし,都市環境の評価とシビックプライドとの関係を明らかにすることを第二の目的とする.まず,シビックプライドの概念を整理してシビックプライド尺度を作成し,事例として今治市の都市環境に関する市民アンケート調査を行い,シビックプライドの構成及び,都市環境の評価がシビックプライドに及ぼす影響構造を明らかにする.分析の結果,今治市の事例では,シビックプライドには「アイデンティティ」「参画」「愛着」「持続願望」の因子があることがわかった.また,中心市街地の評価が参画と持続願望に影響し,高評価有名地の評価が愛着に影響する他,回答者属性では居住年数がアイデンティティと愛着に影響していることなどがわかった.
著者
田中 和子
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.57-70, 2015 (Released:2018-01-30)
参考文献数
49

Sixty works of reproduced drawings and paintings were recently found in the Department of Geography, Faculty of Letters, Kyoto University. They were drawn and painted with pencil, pen, or watercolor. On some of the works, short alphabetical notes include Tibetan place names and comments in Swedish. A preliminary observation of these works made clear that: (1) Four young art students made the reproductions. (2) They made copies from Sven Hedin’s original works drawn and painted in Tibet during his explorations in Central Asia (1905-1908). (3) The reproductions vividly depict mountains, lakes, Tibetan temples and monks, ethnic costumes and people of Tibet, etc. They are artistically very excellent. (4) After his explorations, accepting the invitation of the Tokyo Geographical Society, Hedin visited Japan for one month at the end of 1908. Hedin stayed in Kyoto from November 28 to December 12. (5) At the time when Hedin delivered a lecture at Kyoto Imperial University on November 29, 108 sheets of his original paintings, drawings, and maps were exhibited in an adjacent room. It is conjectured that the four art students may have reproduced some of the exhibited paintings and drawings in less than two weeks before Hedin left Japan.This observation indicates that the reproduced works found at Kyoto University are evidence of international academic exchanges in modern Japan. Hedin was welcomed by people in many disciplines, and they had intellectual and cultural discussions. The reproduced works are also very important visual materials showing the Tibetan landscape and culture of about one hundred years ago, because field surveys by foreigners had been severely restricted or forbidden in Tibet for centuries. These sixty reproductions are extremely valuable as research objects for the study of the modern histories of geography, ethnography, Sinology, Tibetan studies, the arts, and their disciplinary interactions.

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出版者
臨川書店
巻号頁・発行日
2010
著者
横浜郷土研究会編
出版者
横浜郷土研究会
巻号頁・発行日
1976
著者
橘 セツ
出版者
関西国際大学
雑誌
研究紀要 = The bulletin of Kansai University of International Studies (ISSN:13455311)
巻号頁・発行日
no.24, pp.85-100, 2023-03-10

This paper is concerned with life history/life geography of the Countess of Warwick, Frances Evelyn Greville (1861-1938), also known as ‘Daisy’. Lady Warwick’s life was a paradox: her luxuriant aristocratic lifestyle was increasingly at odds with her conversion to socialism from around 1905, and the left-wing political activity that she undertook for the rest of her life. This paper looks at three different landscapes with which Lady Warwick was closely associated: Easton Lodge, Warwick Castle and Studley Castle. This paper then focuses on Lady Warwick’s philosophy and practice in relation to women’s agricultural and horticultural education. She opened the Lady Warwick Hostel in Reading in 1898, before developing Lady Warwick’s College at Studley Castle in 1903. The college offered a high standard of horticultural practical training and education for women. Finally, this paper introduces the Japanese student, Taki Handa, who studied at Lady Warwick College from 1906 to 1908. The paper evaluates how Lady Warwick’s horticultural school contributed to the establishment of a new female branch of the horticulture profession concerned with ‘the lighter branches of agriculture’