著者
渡辺 貫太郎
出版者
公益社団法人 日本雪氷学会
雑誌
雪氷 (ISSN:03731006)
巻号頁・発行日
vol.22, no.4, pp.126-133, 1960 (Released:2010-05-07)
参考文献数
23
著者
吉野,亥三郎
出版者
日本造船学会
雑誌
日本造船学会論文集
巻号頁・発行日
no.174, 1993-12

Focussing on the sea-going maneuverability of a 105-passenger hovercraft, the authors made investigations through series of model tests and computer simulations. The wind forces acting on a scale model, which represents superstructure and cushion form, were measured in a wind tunnel test. Oblique towing tests with self-lifting model were carried out for the hydrodynamic characteristics between cushion skirt and water plane. Regarding the characteristics of control surfaces, the force measurement tests with ducted propeller and rudder in wind tunnel were carried out. Based on these results of model tests, the authors developed a simulation program which employs proper mathematical models for each force components, namely cushion skirt, wind, propellers, rudders and thruster. The output of simulation showed fairly good agreement with the results of actual sea trial. Especially in the case of course keeping in beam wind, the reverse of check-helm direction around Froude number of 1.0 experienced in actual operations were confirmed through computer simulation. Lastly the results of extensive investigations on the sea-going maneuverability of the hovercraft are explained.
著者
梶原 直美
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.11-20, 2014

「スピリチュアルケア」が耳慣れた用語となって久しい.WHOでは健康理解としてそれまでの身 体的,精神的,社会的に留まらず,霊的という言葉も加える議論がなされたことはよく知られている. この場合の霊的とは何を指すのか.スピリチュアリティに関する研究は近年盛んになりつつあり,様々 な定義づけが提示されている.本稿は,実践的な様々な現場でのケアを前提に,スピリチュアリティ の語源を,その背景にあるキリスト教に求め,旧約聖書に遡って文脈や語義の分析を行い,意味を問 うた.その結果,以下のことが明らかとなった. 1 .スピリットに相当するヘブライ語のルーアハは始原のエネルギーであり,神との関わりのなかで, 神に従って,完全に新しい世界さえ作り出すダイナミズムを有するものであった. 2 .物質で造られた体に,スピリットと同様の性質を持つ神の命の息ネシャマーが入れられたことで, 人は自分の命を生きる存在となった. 3 .魂とは,体も含め,命を吹き込まれて生きることとなったその人の全存在を指す. 4.人間も動物も,神から命の息を与えられた生命体である. 5.スピリチュアリティはすでに内在するものであり,人の存在を根底から支えている. われわれ人間が超越者なる神との関わりのなかでスピリチュアルな存在とされたように,互いの関 わりにおいてもまたその同じもので繋がっていけるということは,スピリチュアルケアを実践するさいに,安心と希望を与えるのではないだろうか.
著者
大橋 滉也 北口 善明 山岡 克式
雑誌
研究報告インターネットと運用技術(IOT) (ISSN:21888787)
巻号頁・発行日
vol.2020-IOT-48, no.23, pp.1-7, 2020-02-24

IETF で仕様策定が行われている HTTP/3 は,UDP 上に輻輳制御や再送処理を再実装した QUIC を利用することで,主にモバイルネットワークなどの,固定回線に比べ低品質なネットワークでスループットが向上する.しかし,低遅延・低パケットロス率な高品質ネットワークでは,QUIC がユーザ空間で実装されていることなどにより,HTTP/2 よりも低い性能を示すことがある.そのため,いかなる場合でも HTTP/3 を利用することがコンテンツロード時間の削減につながるとは限らない.そこで本研究では,様々なネットワーク環境における HTTP/2 と HTTP/3 の性能比較を行った結果を元に,ネットワーク環境に応じてサーバ側での動的な利用プロトコルの制御を行い,コンテンツロード時間を削減する手法を提案する.これにより,最悪ケースにおけるコンテンツロード時間を 27.8%削減した.
著者
太田 富康
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.9, pp.107-123, 2013-03

明治12(1879)年から大正15(1926)年の間、府県と町村の中間に置かれた地方行政機関である郡役所のなかには、「郡報」「郡公報」「郡時報」等の名称の定期刊行物(以下「郡報」と総称)を発行するものが少なくなかった。明治30年代までの郡報は、郡制施行を契機とする公布公告のための「公報誌」で、官報や府県公報誌同様のスタイルをとった。このスタイルのものも、「彙報」により様々な行政情報、地域情報を伝達する機能を有していたが、明治40年代から大正期に創刊された郡報は、公布式による公布公告機能を離れ、広報的機能を大きく拡充させたものに移行していく。これは、明治41年の戊申詔書発布以降に本格化した地方改良運動(後継としての民力涵養運動を含め)推進を目的とするものであったといえる。上意下達の指揮監督に留まらず、住民や団体の自発的な活動を促そうとする「運動」であったがゆえに、必要な情報が積極的に郡内を環流する必要があったからである。近代日本にアーカイブズ制度は導入されず、公文書が公開されることは基本的にはなかった。しかし、これを原議文書に限定せず、行政記録全般に拡げ、行政情報の統制と周知という情報施策を考えるとき、それだけで済ませることはできない。民間新聞の奨励から規制への転換にみられるように、国策遂行に沿わない情報が統制された一方で、必要な情報は積極的に周知伝達される必要があった。中央集権国家建設期にその必要性は高く、そのためのメディアとして早々に『太政官日誌』が生まれ、自由民権運動に対抗するように『官報』が創刊された。明治後期には地方でも府県公報誌が拡がった。これに対し、地方改良運動は町村を対象単位とする政策であり、このレベルまでの情報の周知伝達と理解受容が求められた。ここにおいて、郡役所までが独自の行政情報伝達メディアを保持するに至る。そこには、そのメディア的性格を「公報」から「広報」へと転換させるという、行政情報史上の画期ともいうべきものがあった。Still in modern times, the idea of archives policy had not long been introduced into Japan and public records had not opened to the public. On the other hand, there was information that must to be announced to them. In the latter half of Meiji and Taisho Era, there was a need to strengthen the announcement function for the purpose of promoting the local improvement movement (Chiho Kairyo Undo). During this period many county office (gunyakusho) issued various kinds of official bulletin (gun-ho). This was an epoch-making event in the history of the information-utilization by local administrations. Today they have become valuable archives.
著者
韓 載香
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.377-400, 2007-11-25

本稿は,パチンコ産業を対象として,在日韓国朝鮮人(以下,在日と略記)コミュニティ内に蓄積される産業関連の経営資源に注目し,同産業への大量参入が実現し,結果的に代表的産業となったことを考察する。産業好況期に在日が集中的に参入できたのは,衰退産業に代わる事業転換先・多角化事業の投資先・新規参入先としてなど,参入する複合的契機がある一方,ビジネスチャンスの発見と参入を容易にする資源が存在したからであった。そのような資源は,1950年代前半に在日コミュニティ内部に基礎的に形成された。在日は,同産業への関与者が多くなるにつれて,人を媒介とした伝播などインフォーマルな形で市場情報に接しやすい環境におかれた。同産業が全国的市場基盤をもっていたため,情報は直接的な競争を生み出さずに共有されえた。一方で,同産業の影の部分が社会的に批判され,ビジネスとして高いリスクの認識が固定化されると,社会からの参入が制限されるようになった。このように,在日は,一般的に参入が抑制されるなか,経営資源をコミュニティ内で入手できる独特な状況下で,参入と集積を進行させてきたのである。
著者
天谷 祐子
出版者
東海学園大学
雑誌
東海学園大学研究紀要. 人文学・健康科学研究編 (ISSN:1349161X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.17-31, 2007-03-31

本研究は、Leeによる恋愛類型理論に基づき松井・木賊・立澤・大久保・大前・岡村・米田(1990)が作成した恋愛観尺度(LETS2)とAron(1992)による一体感尺度(IOS)と天貝(1995)による信頼感尺度を大学生にたずねたものである。研究1では200名の大学生を対象に恋愛観尺度と一体感尺度を質問した。結果として(1)全ての大学生(全ての群)が恋人よりも将来の結婚相手により親密さを感じていた。(2)恋人のいる人は、そうでない人よりもエロス得点の高さが恋人との一体感と関連していた。恋人はいないが恋愛経験のある人はすべてのLETS2得点と一体感と関連していなかった。恋愛経験のない人は、エロス、アガペ、マニア、ストーゲイの高さと一体感が関連していた。研究2では379名の大学生が恋愛観尺度と信頼感尺度に回答した。結果として(1)恋愛経験のある人はそうでない人よりも信頼感得点が高かった。(2)恋人がいてその恋人と結婚したいと考えている人は、他の群よりもエロス得点が高かった。
著者
守岡 知彦
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.332-340, 2018-02-15

項書き換え系を用いた漢字の包摂規準の形式化手法を提案する.漢字の包摂規準は本質的に木構造のパターンに対する書き換えとして記述されているため,項書き換え系における書き換え規則として表現することは容易である.また,完備化アルゴリズムを用いることで計算機にとってより扱いやすい形に変換することができる.しかしながら,包摂除外をはじめとする包摂規準の例外や定義の不完全さ,符号化された漢字レパートリの不斉一さといった問題を扱うためには文字単位の包摂関係と包摂規準に基づく部品間の包摂関係の双方でダブルチェック可能な手法が望ましい.そこで,完備な包摂記述という概念をあわせて提案する.
著者
家永 遵嗣 水野 圭士 林 哲民 タトヤン ディミトリ 小口 康仁 野里 顕士郎 熊谷 すずみ 安達 悠奈
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.17, pp.157-189, 2019-03

標題の史料を翻刻・提示し、主な問題点三点について解説した。 第一に、清原良賢が足利将軍家に奉仕するようになる契機が、持明院統の皇位継承争いのなかで、義満が良賢を後円融上皇・後小松天皇の支持者として固定しようとしたことにあったこと。第二に、標題の史料から、永徳元年に義満が編成した家政機関の政所別当一五名・侍所別当一〇名を特定でき、弁官系諸家を糾合することで崇光上皇の院政を阻止する布石であったとみられること。第三に、成立期の「室町殿」に「障子上」「侍所」が設けられていたことから、室町殿における公卿の家礼と殿上人の家司との意思疎通と連繫が窺い知れること。以上、標題の史料の重要性について解説した。|These three documents are related to Ashikaga Yoshimitsu’s “Ninnkai Daikyou,” a celebration banquet for taking up the third ministe “NaiDaijinn,” in Eitoku 1(A.D. 1381). From these three documents, we can know about Ashikaga Yoshimitsu’s “Kugeka,” becoming a ruler over the royal court. In those days, the “Hokucho” royal court was struggling for the royal throne. One was a descendant from Gokougonn Tennou, the other was Sukou Jyoukou, the elder brother of Gokougonn Tennou, and his son Yoshihito. Ashikaga Yoshimitsu was a nephew of Gokougonn Tennou. Therefore, Ashikaga Yoshimitsu supported Goennyuu Tennou, the son of Gokougonn Tennou, in cooperation with Nijyou Yoshimoto, a man of power in the “Hokucho” royal court. In preparing the “Ninnkai Daikyou” banquet, Yoshimitsu took talented court nobles as his manservants, such as Kiyohara Yoshikata, the original author of “Shoninndaikyouki”. Therefore, Sukou Jyoukou lost his power in the royal court. Then Gokomatsu Tennou, son of Goennyuu Tennou, was able to take the throne in Eitoku 2(A.D. 1382). These three documents reveal 25 people who bacame Yoshimitsu’s manservants. A transcriptor commented on each person’s kinship and the relationship between each person and his masters. And these three Documents reveal the location of the “Shoujinoue” and “Samuraidokoro,” the offices of the manservants, in “Muromachidono,” the palace of Ashikaga Yoshimitsu. They suggest the way in which Yoshimitsu came to understandings with his retainers.
著者
Willcox Donald Craig
出版者
沖縄国際大学総合学術学会
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-16, 2007-07

20世紀、先進国においては平均寿命の性差が広がり、女性が男性を大きく引き離すようになった。ところが1970年代になると、性差が逆に縮小を始め、多くの先進国で性差が縮まっていった。その傾向にありながら、日本は例外的に性差がますます広がりつつある。沖縄県は、県民の平均寿命が高いことで知られてきた。しかしながら、最近では日本全国と比較すると平均寿命の延びが鈍化し、沖縄男性の平均寿命においてはもはや全国の平均寿命を下まわる。2000年に厚生労働省から発表された「都道府県別平均寿命」で沖縄県の男性の平均寿命が47都道府県の全国の内26位に順位を落としたものの、女性は平均寿命1位を維持し、男女間では大きな差がみられる。本研究の目的は、沖縄と本土における平均寿命の性差の要因となる死亡率と年齢層の関係を明らかにすることである。本研究は1975年から2000年にかけての生命表及び人口動態統計を主に参考文献とした。その結果1975年から2000年もの期間において、男女共に沖縄は本土よりも平均寿命の伸びが鈍化したことを示した。さらに、この25年間の期間で、沖縄(6.81年から8.37年)と本土(5.22年から6.91年)両方で男女間における平均寿命の差が大きく広がった。現在における平均寿命の延びは男女共に、特に75歳以上の高齢者の死亡率の低下が大部分を占める。沖縄と本土において、循環器疾患(心疾患および脳血管疾患を含む)の死亡率の低下が平均寿命の延びに貢献した。しかしながら、循環器疾患の低下は、全国と比較して長寿だとされる沖縄よりも本土が顕著である。6大死因による死亡率は、全てにおいて女性より男性が高く、特に、不慮の事故(交通事故を含める)及び自殺率が高い。沖縄の男女間における平均寿命の大きな性差は、男性の悪性新生物(特に肺の悪性新生物)、比較的に高い比率の循環器疾患及び自殺などが重要な要因である。
著者
石川 幹人
出版者
情報文化学会
雑誌
情報文化学会誌 (ISSN:13406531)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.11-20, 2000-11-18
参考文献数
13
被引用文献数
1

本論文は, メディアがもたらす環境変容に関する意識調査の一例を報告し, それを通して, メディア環境の設計における意識調査の役割の重要性を指摘する。本研究では, 電車内の携帯電話使用は控えるべきというマナーに注目し, 大学生の意識を調査した。いくつかの社会学の文献では共同体仮説(マナーは携帯電話が電車内の一時的な共同性を破壊することに由来する)が提唱されているが, 本調査では音仮説(マナーは単に音がうるさいことに由来する)のほうが有力であるといった結果が得られた。しかし, 共同体仮説を支持する少数意見も得られた。また, 心理的な不安傾向との相関も調査したが, 顕著な相関傾向は得られなかった。情報メディアの発展に伴って我々の生活様式に急速な変化が及んでいるので, こうした意識調査を機動的に行って, その結果がメディア環境の良好な設計に反映されることが望まれる。
著者
内藤 理恵子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.151-173, 2011-06-30

今日、日本の葬送文化はさまざまな変容を遂げている。本論では、特に今日のペット供養を取り上げ、伝統的に行われてきた畜生供養とどのように異なるのかを明らかにする。馬頭観音を本尊とした馬供養のように、ペット供養文化が開花する以前にも、日本では動物に対する供養は行われてきた。伝統的な六道輪廻観において動物は、地獄界・餓鬼界の次に低い畜生界に属していると考えられてきた。畜生供養は、中国撰述の『梵網経』を典拠としているが、それは牛馬猪羊など一切の動物の発菩提心を説いているため、本来は動物の成仏をめざすものである。それに対して、ペットが家族化した現在、多くの場合、飼い主は、個々のペットの他界観に関して小さな物語創作を行い、自らの死後、ペットとの再会を願っている。しかし、これはペットに限った現象ではなく、人間に対する他界観に関しても、死者を祀る側の願望にしたがって、小さな物語創作が行われてきているのが垣間見える。
著者
土田 あさみ 秋田 真菜美 増田 宏司 大石 孝雄 Asami TSUCHIDA AKITA Manami MASUDA Koji OISHI Takao
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.119-125,

ノラ猫問題を解決する一つの対策として地域猫活動が各地で行われており,一部の行政でその活動を支援している。そこで,その支援状況とその効果を検討するために,全国の自治体を対象として調査用紙を配布し,2008年度における情報を収集した。その結果,東京都特別区で地域猫活動を支援する行政が多く認められた。また,政令指定都市,中核市および都道府県のいずれの行政でも地域猫活動の地域がないと回答したところが多かった。条例や制度,避妊去勢手術費の補助,講習会開催等の支援措置は,東京都特別区および東京都市部で多く,中核市および都道府県では少ない状況であった。今回の調査では地域猫活動を行政が支援することが,猫に関する苦情の減少,猫の処分数の減少,また住民間の親密の増加等に対して有効であるかどうかについては明らかにならなかったものの,行政機関がノラ猫対策を早めにとることや,その支援を積極的に行うことなどが,猫の処分数を減らすのに有効である可能性が示唆された。
著者
大鎌 邦雄
出版者
日本農業史学会
雑誌
農業史研究 (ISSN:13475614)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.3-13, 2006 (Released:2017-03-23)

The aims of this paper examine the historical character of rural community, and the changes of the communal relations of members by the rural policy in pre-war time. The prototype of rural community is "administrative village" which was formed by the shogunate state in 17 century. The village consisted of independent and modernized farmer's families, but village members had communal and medival relation with each other. This dual character of village were corresponded to the same character of the shogunate state. There were "bilateral relations" between village and state, and depended on each other. It is important that the village strongly regulated its members by self-restricted regulation of members. The home living improvement policy in 1930's aimed to rationalize farmer's traditional life style in rural community. At the same time, this policy made the traditional regulation abilities of community tight because this policy was carried out depended on it's relations in community. The economic control policy in war-time changed the class order of farmers in community and made the traditional relations loose. But this policy also carried out depended on the traditional regulation abilities in community and made it tight. Thus, the rural policy in pre-war time had dual and contrastive characters, and the regulation abilities of community were maintained and supported by rural policy.