著者
増田 正
出版者
バイオメカニズム学会
雑誌
バイオメカニズム学会誌 (ISSN:02850885)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.88-92, 2001-05-01 (Released:2016-11-01)
参考文献数
8
被引用文献数
3 2
著者
西澤 千惠子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.27, 2015

【目的】大分県直入郡入田村(現大分県竹田市)で大正3(1914)年8月の5日間、岡山県小田郡在住の講師を招き料理講習会が開催された。一般の人々の食の変遷に関する研究の一環として、このとき使用された冊子「和洋料理の枝折」に注目し、料理の再現を試みた。<br>【方法】冊子「和洋料理の枝折」の原文はカタカナ表記なのでひらがな表記に改め、分量も尺貫法表記からメートル法表記に換算した。記載されている全91項目のうち調理法が81項目と最も多かった。この中から材料が入手可能な料理を再現し、さらに一食献立を作成して栄養価を評価した。<br>【結果】調理法は日本調理78項目、西洋調理12項目、中国調理1項目である。日本調理が多いが、西洋調理の中には「赤ソース」、「ジャム」、「カツレツ」、「コロッケ」という記述があり、一般の人々の中にこれらの言葉が浸透しつつあることが推察された。「茄子のみそ和え」、「南瓜の丸蒸料理」、「泡雪まんじゅう」、「甘藷ようかん」、「ゼリー(砂糖と食塩で和えたポテトサラダ)」「巻きコロッケ(ロールキャベツ)」は、現在、食されている料理とよく似ていた。「豆腐にて鰻の蒲焼き」、「豆腐のかまぼこ」は模造食品がこの時代に作られていたことを示唆している。「折衷花カツレツ」は初めての料理であった。これらの料理を試食したところ、現在の若者にも受け入れられるものであった。さらに油の使用量が少ないために熱量を低く抑えられることが判明した。今後は、このような講習会の時代背景や、現在食されている料理との関係などを調べていく予定である。
著者
重田 昌友
出版者
一般社団法人 日本エネルギー学会
雑誌
燃料協会誌 (ISSN:03693775)
巻号頁・発行日
vol.67, no.8, pp.652-661, 1988-08-20 (Released:2010-06-28)
参考文献数
18

This paper describes the basic properties demanded and the manufacturing technology of electrode substrate used in phosphoric acid fuel cell. Because of low cost, acceptable properties and durability, only all carbon electrode substrates that are treated at over 2000°C temperature are practical.The electrode substrate has been improved in;·diffusibility to achieve higher electrical current density.·electrical conductivity to reduce ohmic loss.·thermal conductivity to remove heat generated in cells, smoothly.·mechanical properties to reduce handling loss.·chemical stability under operating condition at cathodic potential in hot phosphoric acid.Several carbon electrode substrates have been developed for phosphoric acid fuel cell. A carbon paper electrode is made from carbon fibers and a resin through conventional paper manufacturing. A molded electrode is made from short carbon fibers, a binder resin and other material to make micro pores in it after baking. An integrated electrode that consists of a carbon separator and a pair of ribbed electrode substrate (mold type) has been developed to reduce electrical and thermal resistance, and to im-prove mechanical properties.
著者
大谷 珠代
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.294, pp.42-47, 2000-12

昔から寿司は、ごちそう感があり、つまみにも食事にもなるメニューとして愛されてきたが、最近の人気はそれだけにとどまらない。 消費者アンケートで好きなネタを五つ挙げてもらったところ、トロ、ウニなどに混じって、「納豆巻き」などの"庶民派"や、「牛肉のたたき」「なすびの浅漬け」といった変わりネタも出てきた。

1 0 0 0 OA 診察室の屑籠

著者
竹村猛児 著
出版者
大元社
巻号頁・発行日
1942
著者
小久保 陽太
出版者
一般社団法人 日本ゴム協会
雑誌
日本ゴム協会誌 (ISSN:0029022X)
巻号頁・発行日
vol.92, no.1, pp.10-14, 2019

<p>Rubber is widely used in automotive and consumer fields. We are investigating the application to electrostatic capacitive sensors and electrostrictive polymer actuators by making rubber conductive. The conductive rubber sandwiches the dielectric layer (foamed urethane) so that it detects the capacitance change of the layer due to the load stress on the sensor. By using conductive rubber, we have succeeded in developing highly reliable capacitive sensor. We are promoting sensor development that can be used in medical, nursing care and automotive fields. In addition, it can also apply to an electrostrictive polymer actuator by laminating a rubber electrode and a dielectric layer with high insulating property.</p>
著者
岡田 茂弘 千田 嘉博 山本 光正
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

近世において将軍家(大御所・世子を含む)が旅行や外出する際の宿泊・休憩のために、御殿・御茶屋と呼ばれる施設がつくられていた。その用途は旅行用と遊楽用であり、前者には上洛・駿府往復・日光社参等があり、後者には鷹狩等の狩猟や湯治等がある。特に頻繁に外出・旅行を行った徳川家康・秀忠・家光が造営した御殿・御茶屋は関東から近畿にかけて約100ヶ所が史料上で知られている。わずかに残る施設絵図や廃止以降の村絵図等から、それが比較的単純な居館的な構造であったと判るが、中性以来連綿と続いてきた武士の居館の最末期の姿であるとともに、近世の武家屋敷へ繋がるものでもある。しかし、17世紀末までに廃止されたため関連史料が少ない上、近代以降に開発で遺跡も破壊されてきたために、実体の解明はほとんどなされていなかった。このため、本研究では、比較的遺跡の保存が良好である千葉御茶屋御殿跡の発掘調査を契機として、近世初期の将軍家御殿・御茶屋跡の史料を集成し、遺跡の現状調査を行うと共に、千葉御茶屋御殿跡・鴻巣御殿跡・浦和御殿跡の発掘を伴う遺跡の現地調査を実施した。遺跡全体を発掘調査できたのは、千葉御茶屋御殿跡だけであり、他の2ヶ所は部分的な調査にとどまったが、立地や規模の大小に違いはあっても、主として土塁・空堀による外郭施設内に簡単な書院造り風の建物群を中心とした諸施設が配置されているなど、共通性を有することが明らかになった。さらに、多数の施設が列記されている17世紀中葉(寛永年間)以降の御殿目録や御殿絵図と比較すると、17世紀初期の御殿等はより単純であることが判った。このことは、家光治下で御殿・御茶屋の大規模な修築が行われたことを暗示しており、近世史の分野でも文献史料や絵図資料と考古学資料との対比の必要性が明らかとなった。
著者
登別地域大会実行委員会
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.352-357, 2020

<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;2019年10月26日(土) ・27日(日) の両日,経済地理学会登別地域大会を開催した.26日は,登別温泉第一滝本館を会場に,シンポジウム「道内観光地の将来展望―交通体系の変化を見据えて―」を行い,学会関係者や地元自治体関係者など45名が参加した.開会の趣旨を説明した後,登別現地からの報告や新幹線延伸と地域への影響に関する報告,他地域の事例としてニセコの観光実態に関する報告が行われた.その後,今後の登別観光のあり方などについて,活発な討議が行われた.シンポジウム後は,そのまま第一滝本館での懇親会・宿泊とし,翌27日は,登別市と白老町において,論点に関わる観光拠点のエクスカーションを実施した.24名の参加であり,各施設での担当者からの解説と活発な議論が行われた.</p>
著者
村川 治彦
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.324-336, 2012-07-15

はじめに 本号の特集「経験を記述する」について,企画者である西村ユミは特集扉の企画趣旨において,知を生成する方向性は複数あることを示唆した上で,「経験の理解は,経験内容の理解とは別の次元から問われ」るとした(p.310)。ここで西村が言う「経験の理解」と「経験内容の理解」の区別は,知の生成の方向性のどのような違いから生まれるのであろう。自然科学が前提としてきた主客二元論を乗り越えることをめざしたフッサール以来の現象学が,さまざまな質的研究に重要な基盤を与えてきたのは確かであるが,現在の質的研究を巡るさまざまな混乱を考えたとき(西條,2005),ガリレオやデカルト,ベーコンを祖とする近代科学の方法論の問題以上に,西洋における知の源流と,知のヴェクトルの問題に付随する言語と論理の問題に立ち戻って考える必要があるのではないだろうか。 そこでこの小論では,「経験の理解」と「経験内容の理解」を,ギリシア時代以来の人間の知の生成の2つの方向性,すなわちプラクシス(実践)に基づく「未来志向の知」と,テオリア(理論)を希求する「過去志向の知」に結びつけ,そこにみられる意識と自然あるいは主観性と身体性の観点から考えてみたい註1。そして,量的研究か質的研究かという区分あるいはグラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)や記述的現象学的方法など特定の質的研究の方法論とは異なる,身体論の立場からの「経験の記述」のあり方を提言してみる註2。 本論に入る前に,この小論で言う〈身体〉とは何かについて簡単に述べておきたい。医療の現場で日々出会う身体は,解剖学の祖ヴェザリウスによって系統的に細分化され,デカルトによって心と区別された身体である。しかし,ここで言う〈身体〉は,そうした要素に分割できる物理的延長としての身体ではなく,心と断絶される以前の全体存在としての〈身体〉である。メルロ=ポンティに依拠する西村(2001)はこの〈身体〉を,「生きられた世界経験の具体的な出発点」であり,「世界とのつながりであり,〈身体〉があるからこそ,世界との対話が可能となる」と表現している。この小論で言う〈身体〉も,メルロ=ポンティが示したこの世界とのつながりとしての〈身体〉であり,それはたんにデカルト以前の心とひとつになった身体ではなく,主体と客体という二元論によって人間存在を理解するはるか以前,ギリシア時代に主観性の哲学が立ち現われる以前の〈存在〉を指している。 では,この主観性の哲学以前の〈存在〉とはいかなるものであろう。ギリシア哲学者の日下部吉信(2005)は,「西洋形而上学は全体として主観性の哲学」であり「存在の真理を隠蔽してきた」という反省から,ソクラテス以前のギリシア自然哲学に着目し,根源概念としての〈自然概念〉(ピュシス)を見いだした。日下部はこの「ピュシス」が「ギリシア人にとっては意識の対象ではなく,ある意味性を帯びた意識そのものであった」(p.78)とし,それを主観性の哲学によって説明することは「原則不可能」であることを強調している。そして,「にもかかわらず,そういった根源概念である自然概念(ピュシス)の解明がなお可能だとするなら,それはその概念が自ら現れ出る現場を差し押さえる現象学的方法によって以外ではありえないであろう」(p.75)とした。このピュシスが「自ずから現れ出る現場」こそが,古代ギリシア人にとってはテクネー(技術)の世界であった。日下部によれば,「テクネーの志向性は物事に即したそれである。ギリシア的テクネーの知はいわば物事との応答の内に開示される存在の思索なのである」(p.55)。 このように,ソクラテス以前のギリシア自然哲学の特徴は,テクネー性の重視にあり,その特徴を日下部は,「技術は物事の本質に対して無関心なのである。テクネーをベースとする命題には原理・本質に対する無関心性,冷淡さがつきまとう。というより,それがテクネーの本性なのであって,テクネーは物事の本質には係わらない。そのありように係わるだけである」註3としている。テクネーの人の代表者であるプロタゴラスが示した「絶対的・客観的知識の穏やかな,しかし断固とした拒否」と「神に関しては判断停止」の態度がこうしたテクネー性そのものであり,「プロタゴラスもまた存在の一表現となった人物」としている。このように私たちの〈身体〉は,ギリシア時代に主観性原理が確固たる地位を占める以前に人々が依拠した存在(自然概念)へと導いてくれる。 東西の身体論についての第一人者であった湯浅泰雄(1993)もまた,ギリシア時代のプラクシス(実践,行動)に対するテオリア(理論,観察)の優位こそが,近代がもたらした問題の根源にあることを次のように指摘している。「技術の進歩が科学を追い抜いたという現代の状況は,日常性と科学性の関係について,あらためて考え直す必要をわれわれに教えている。というのは,技術は本来,日常的経験の場面に根拠をもつ営みであるからである。言いかえればわれわれは,近代とは逆に,日常的経験の立場から出発して科学的認識というもののあり方について考えてゆかなくてはならない」(pp.63-64)註4。 日下部の言う存在としての〈自然概念〉(ピュシス)の喪失から主観性原理の確立,湯浅が言うプラクシスに対するテオリアの優位が成立した経緯は,知の方向性という観点からは,哲学者の大出晃(2004)の言う「未来志向の知」から「過去志向の知」への転換と位置づけられるだろう。この小論では,古代オリエントからギリシア時代にかけて起こった知の方向性の転換におけるこの2つの知のあり方,つまり技術的な知恵を主とする「未来志向の知」と事象の依って来る由縁に関心をもつ「過去志向の知」を,西村の言う「知を生成する複数の方向性」と捉えてみる。そして,存在としての〈身体〉が生み出す「未来志向の知」という観点から,「経験の記述」のあり方について考えてみる。
著者
田中 仁一郎 椿本 弥生
出版者
一般社団法人 日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会研究報告集 (ISSN:24363286)
巻号頁・発行日
vol.2021, no.4, pp.132-139, 2021-12-03 (Released:2021-12-03)

本研究はオンライン授業受講形態と学習意欲の関連性を明らかにすることを目的とし,東京大学前期課程の学生に質問紙調査を行い,受講形態別の学習意欲を算出した.そして一元配置分散分析を行い,受講形態間に有意差が見られるかを検証した.また自律の概念にも注目し,深い考察を試みた.その結果,受講形態間に有意差は見られず,受講形態と学習意欲の関連性が低いこと,そしてオンライン授業による自律の阻害などがその原因であることが示唆された.
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1569, pp.30-33, 2010-12-06

「国の威信をかけた開発競争が始まった。本気で戦わないと、水の分野でも韓国に追いつかれてしまう」 危機感あらわにこう語るのは、東レの栗原優フェロー。日本における水処理膜研究の第一人者だ。 高分子化学の技術から発展し、日本のお家芸とも言われる水処理膜。海水淡水化で使うRO(逆浸透)膜では日東電工と東レ、東洋紡が世界シェアの過半を握る。
著者
榊原 郁恵 大口 克人
出版者
日経BP社 ; 1985-
雑誌
日経マネー (ISSN:09119361)
巻号頁・発行日
no.404, pp.22-24, 2016-02

──2015年の活動では昼ドラ初主演の「プラチナエイジ」が出色でした。還暦という、実年齢よりかなり上の主婦を演じられたわけですが。 実はそれが嬉しかったんです。