著者
中島 秀人
出版者
東京工業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

マイケル・ポラニーは、ハンガリー生まれの科学者である。しかし、彼についての歴史研究は、後半生の哲学者としての側面に偏っていた。本研究では、彼の物理化学者としての姿を詳しく明らかにした。ポラニーは、ギムナジウム時代から、物理化学に興味を持っていた。彼のブダペスト大学の博士論文は、吸着ポテンシャルを主題としたものだ。その背景には、化学反応の物理学的理解の探求がある。マンチェスター時代の反応速度論研究は、これと同一線上にあった。
著者
米虫 正巳
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.70, pp.73-90, 2019-04-01 (Released:2019-04-18)

La philosophie peut-elle répondre à la question : « qu’est-ce que la vie ? » Ne serait-ce pas plutôt à la biologie de s’y appliquer puisque cette question est au fondement de ses recherches actuelles ?Mais que la philosophie doit-elle faire ? Examinons deux épistémologues français des sciences de la vie : Georges Canguilhem et Gilbert Simondon. Notre argument se développe en trois moments : 1) on explique deux concepts concernant la vie : la « normativité biologique » chez Canguilhem et l’« individuation vitale » chez Simondon ; 2) une fois fixée leur identité conceptuelle, on comprend qu’il est possible de considérer la vie du vivant comme événementiel, c’est-à-dire en instituant sa propre norme ou en s’individuant soi-même ; 3) précisant la manière dont trois biologistes français contemporains, Henri Atlan, Alain Prochiantz, Michel Morange traitent Canguilhem ou Simondon, on remarque que les concepts dont nous sommes redevables à ces deux derniers, correspondent à la définition biologique de la vie et servent à la compréhention de l’essence, de la nature ou du sens de la vie dans la biologie contemporaine.Bref et pour conclure, tandis que les sciences de la vie répondent à la question « qu’est-ce que la vie ? » en en donnant les définitions, la philosophie quant à elle crée les concepts par lesquels on peut comprendre le sens de la vie.
著者
池原 優斗
出版者
日本科学哲学会
雑誌
新進研究者 Research Notes
巻号頁・発行日
vol.6, 2023

This research proposes Actor-Network Theory (ANT) as a methodology for organizing and analyzing problems involving "artificial agents," which are artifacts that induce humans to experience them as a certain kind of agent, such as AI and robots. ANT makes it possible to handle the boundaries of the categories of human, “artificial agent” and “other artifacts” in a dynamic and flexible way. This enables effective organization and analysis of problems involving “artificial agents.” After presenting an overview and discussion of ANT, this paper will present how ANT can be used concretely to describe and analyze problems involving "artificial agents" through an analysis that applies ANT to the problem of AI image generators.
著者
馬渡 玲欧
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.68-80, 2017 (Released:2020-03-09)

本稿はH. マルクーゼ『エロスと文明』に焦点を当てながら、マルクーゼのエロス的文明論をギリシャ哲学由来の「伝統的存在論」に対する批判という観点から再構成することによって、マルクーゼがM.ハイデガーの「死へ臨む存在」論の限界を乗り越えようとしたことを示す。方法として、マルクーゼがハイデガーの弟子であり、後年まで密かにハイデガー思想が彼に影響を与えていたことを踏まえながら、両者の議論を比較する。ハイデガーとの共通点とは西欧哲学の伝統的存在論に対する批判である。ただし社会変革の主体を探求するマルクーゼはハイデガーの基礎存在論ではなく、より直接的に人間存在の本質を探求する考察に向かう。その際マルクーゼは、フロイトをプラトン哲学の延長に位置づけることで、フロイトの欲動論に人間存在の本質としてのエロスを見出す。また、ハイデガー存在論においては「時間」が考察の手がかりとなり、「通俗的時間概念」が批判された。ロゴスだけではなく、直線的時間意識も同様に人間存在の本質を規定する思考様式である。ハイデガーは「死へ臨む存在」の関心に通俗的時間概念を乗り越える視座を見出す。他方マルクーゼはこの時間意識を批判するために、「永劫回帰」の思想を取り上げる。「永劫回帰」によって、人間のエロスに対する「意志」は肯定される。人間の死を合理的に解釈する実存哲学を批判し、人間の非合理的な死ではない「生物学的な自然死」を強調するマルクーゼは、「死へ臨む存在」が人間の本質であるとみなすハイデガーを乗り越えようとした。
著者
清田 政秋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.97, no.1, pp.1-26, 2023-06-30 (Released:2023-09-08)

従来本居宣長は仏教批判者とされ、また宣長自身が自らの学問への仏教の影響を語らないために、宣長研究は仏教を考慮外に置いてきた。それに対し漢学との関係は、宣長が京都で医学修行の基礎として学んだ関係からよく研究された。しかし宣長の学問は仏教と深く関連し、それを追究すれば宣長について従来とは異なる新たな知見が得られる。それは宣長にとって仏教とは何であったかの追究でもある。本稿は宣長の学問の出発点である「物のあはれ」説を取り上げる。「物のあはれ」説には膨大な先行研究があるが、まだ十分明らかになっていない問題がある。宣長は、その説は藤原俊成の「恋せずは人は心もなからまし物のあはれも是よりぞ知る」の歌がきっかけになったと語る。だが研究史では俊成の歌からいかにして「物のあはれ」説が成立したかは十分解明されていない。本稿はその成立に『摩訶止観』の心の有り様と感情をめぐる仏教の哲学的思考が関わることを明らかにする。
著者
清水 稔 今田 匡彦
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2023-04-01

文部科学省が示す部活動を地域移行する方針に沿って,文化部はその実施に向けて進展している。しかし,コンクールに向けた吹奏楽部や合唱部の過度な練習,教育的視点を備えていない外部指導者の介入などの問題に対して,音楽部活動の意義そのものから問い直す必要がある。そこで本研究では,現在の音楽部活動の指導者及び部員らへのインタビュー調査を基に,哲学の知見から本質的な問題を明らかにする。また,地域移行をいち早く進めたアメリカ,オーストラリアを調査し,その理念・活動内容・運営方法等を解明する。本研究は,哲学によって問題の構造を把握し,地域移行後の望ましい活動モデルと,そのための評価指針を提案するものである。
著者
田中 均
出版者
日本シェリング協会
雑誌
シェリング年報 (ISSN:09194622)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.65-77, 2023-07-01 (Released:2023-07-01)

I examine a recent interpretation of Friedrich Schiller’s Letters on the Aesthetic Education of Man (1795) by Samantha Matherne and Nick Riggle in their two-part paper “Schiller on Freedom and Aesthetic Value” (2020/2021). At the beginning, I give an overview of Riggle’s own theory on aesthetic value. His “aesthetic communitarianism” consists in cultivation of individuality, promotion of aesthetic freedom, and generation of aesthetic community. Then I argue that Matherne and Riggle understand Schiller’s concept of beauty as a version of aesthetic communitarianism avant la lettre. Finally, I insist against Matherne and Riggle that Schiller’s theory of aesthetic value presupposes universal normativity of taste rather than appreciation of individuality.
著者
神田 和幸
出版者
特定非営利活動法人 手話技能検定協会
雑誌
手話コミュニケーション研究会論文集 (ISSN:27583910)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.48-56, 2019-05-01 (Released:2023-05-09)

手話の言語学的研究が始まって70年以上になる。鼻祖ストーキーの枠組みはアメリカ構造言語学であり、言語相対論に基づく「手話には独自の構造がある」というものであった。その後のアメリカ手話学者は当時流行のチョムスキーによる言語普遍論による枠組みへとパラダイムをシフトした。そのため「手話の音素」という一見、奇妙な概念を設定し、人間の言語の普遍性を強調する一方、音素の中身は音声言語とはまったく異なる構造を設定するという矛盾の中で、音韻論を構築し、統語論を展開しようとしたが、うまくいかなかった。その背景には手話学者の多くが民族主義的な政治思想をもっており、手話が聾者の言語であるという教条から抜け出ることができないまま、科学的な分析技術を拒否し、チョムスキー言語学のいう母語話者の直観にのみ証拠を求める、という思弁的な方法論に終始してきた。本論では言語学のパラダイムの歴史的変化を言語普遍論と言語相対論という対比で考察した。これは哲学的方法論として、演繹的方法論と帰納的方法論に換言できるかもしれない。トマセロの理論は方法論的には帰納法が中心だが、広範囲な諸文献の考察により演繹論も採用している。折衷的という批判もできるが、バランスをとっているという肯定的な見方もできる。あとは実際的な言語処理技術が手話学に応用できるかどうか、というべ実用的な基準もありうるので、別稿においてトマセロの議論の歴史的変化も追いながら考察してみたいと考えている。
著者
藤田 正勝
出版者
京都大学 (Kyoto University)
巻号頁・発行日
2000-03-23

新制・論文博士